信州の情報誌「
KURA」はいつも愛読している雑誌である。2010年12月号の特集は、“信州発ローカルデザイン”ということで、松本、小布施、軽井沢、木曽福島各地における街のデザインについて、それぞれの地に詳しい方々が特色を紹介しておられる。今回私がとくに注目したのは、小布施についての紹介記事だ。
小布施についてはすでにご存知の方も多いだろう。
写真は今年の6月に撮ったものだが、路地や街並みが修景されて美しい。
街の案内人は、小布施堂、桝一市村酒造場代表取締役の市村次夫氏、案内文の小見出しは、「ぶらぶら歩きの道を取り戻す」「秩序は美しさ、バラバラは楽しさ」「まちづくりでは外部空間の質を重視」「年を経るほどに価値が増す景観が魅力」といった内容だ。
ここではその中から「まちづくりでは外部空間の質を重視」の下(もと)の文章を引用したい。
(引用開始)
小布施の修景事業は1980年代に北斎館周辺から始まりました。「外部空間の質を重視」することを共通認識として、建物の大きさや位置を工夫して移築・改築・新築を行い、気持ちのよい戸外の空間を作ってきたのです。たとえば、四角い空間(広場)は角の部分が通路につながると落ち着かず、辺から通路がつながると落ち着ける空間になる。また、建物に囲まれた空間(囲まれ空間)は落ち着くけれど、中央に建物があってその周囲にある空間にいる場合(たとえば、郊外型大型店の駐車場)は落ち着かない。
道をクランクにすると、視線がつきあたる部分ができます。T字路でも同様ですね。これをアイストップといって、景観上の価値が高いんです。つきあたりに見えるものを何にするのかを意識して都市全体のデザインを考えることが大切です。ただ、そうはいっても、アイストップになる場所は個人の所有であることが多い。アイストップにあった郵便局が移転し、民有地になっている礼もあります。小布施では修景事業の当初から「内は自分のもの、外はみんなのもの」という考え方があることが大きな強みになっています。
(引用終了)
<同雑誌23ページ>
以前「
街の魅力」や「
街のつながり」の項で、都市計画における「つながり」の重要性に注目してきたけれど、小布施でも、景観の連続性が重視されていることが分かる。修景(景観の修復)という街づくりの手法については、“小布施 まちづくりの奇跡”川向正人著(新潮新書)に詳しい。
さて、「内と外」の話である。小布施の「内は自分のもの、外はみんなのもの」という考え方について、以前「
日本人と身体性」の項で“裸はいつから恥ずかしくなったか―日本人の羞恥心”中野明著(新潮選書)で引用した部分を、補助線として再度掲載したい。
(引用開始)
歴史学者牧原憲夫氏は、昔の家屋について「庶民にとって家の内と外は画然とは分化しておらず、路地は土地の延長でしかなかった」という。そして裸体を取り締まるということは、「家屋と路地が渾然一体だった地域社会から、路上を“公共”の空間として剥離すること」と指摘する。さらに、「道路はもはや住民のものではなく、“私生活”はしだいに家のなかに閉じ込められていく」。これも裸体を極度に隠したひとつの副作用と考えてよい。
(引用終了)
<同書225−226ページ>
市村氏のいう「自分のものとしての内」は、牧原氏のいう「私生活」と概ね重なっているだろう。それに対して、「みんなのものとしての外」は、牧原氏のいう「路上空間としての公共」と重なるかどうか。
牧原氏が想定しておられる「もはや住民のものではない」路上空間は、明治以降、官僚支配のもとで整備されてきた“旧い公共”であり、それに対して、市村氏のいう「みんなのものとしての外」とは、去年鳩山民主党政権が掲げた“新しい公共”の概念に近いのではないだろうか。
以前「
自立と共生」の項で引用した鳩山首相の所信表明演説から、“新しい公共”に言及した部分をもう一度引用してみる。
(引用開始)
私が目指したいのは、人と人が支え合い、役に立ち合う「新しい公共」の概念です。「新しい公共」とは、人を支えるという役割を、「官」と言われる人たちだけが担うのではなく、教育や子育て、街づくり、防犯や防災、医療や福祉などに地域でかかわっておられる方々一人ひとりにも参加していただき、それを社会全体として応援しようという新しい価値観です。
(引用終了)
<10/27/09 東京新聞より>
“新しい公共”は、勿論街づくりだけではなく社会全体の話だけれど、街づくりもその大切な一角である。
“小布施 まちづくりの奇跡”川向正人著(新潮新書)を読むと、小布施のまちづくりは、中心部から始められて大きな成果を挙げているものの、観光地化と景観は両立できるのか、周辺部の修景、職人技術の継承、世代交代などの課題もあり、全体としてはまだ道半ばであることがわかる。
しかし、明治以降近代化を進めてきた我々は、「家屋と路地が渾然一体だった地域社会」へすんなりと戻ることはできない。いまさら裸で街を歩き回るわけにはいかないのだ。であるならば、「内は自分のもの、外はみんなのもの」とする小布施の街づくりに対する考え方は、ほかの都市にとって大いに参考になるに違いない。鳩山政権は挫折したが、「みんなのものとしての外」=“新しい公共”の街づくりは、まだその途に着いたばかりなのである。これからも小布施の街づくりに注目してゆきたい。
ところで12月号の「KURA」には、街以外にも、各種ブランドや老舗のパッケージなど、いろいろな“信州発ローカルデザイン”が紹介されている。信州に興味のある方はぜひ雑誌をご覧戴きたい。