“中央線がなかったら見えてくる東京の古層”陣内秀信・三浦展共著(NTT出版)という面白い本を読んだ。まずは新聞の紹介文を引用しよう。
(引用開始)
東京の西部を東西に走るJR中央線。沿線には人気の住宅街が広がり、大きな存在感を示している。だが関東大震災の被災者が同線の中野駅から三鷹駅までの辺りに移り住むまでは、やや離れた青梅街道や甲州街道沿いの方がにぎわっていた。本書は中央線がなかったころの東京の姿をフィールドワークによって明らかにする。昭和以降「公害」「ニュータウン」と呼ばれた地域に実は古くから人が暮らし、長い歴史があることが分かる。
(引用終了)
<日経新聞 1/27/2013>
このブログでは、これからの街づくりの考え方として、山岳と海洋を繋ぐ河川を中心にその流域をひとつの纏まりと考える「
流域思想」を提唱しているが、「鉄道」という近代社会のインフラを外すと、見えてくるのはその土地に根付いた古い「流域価値」だ。本書の両氏の対談からそのことに触れた箇所を引用したい。
(引用開始)
三浦: 実際に、江戸以前の古代・中世の世界を探る手法として、陣内さんが指摘される、川や湧き水(湧水)、神社、古道に注目する視点は、面白いと思いました。私も曲がりくねった道が好きですが、それが古代・中世、江戸時代からあるかと思うと、また街歩きの面白さが倍化します。
陣内: 中沢新一さんは著書『アースダイバー』で、宗教空間、お墓を縄文地図にマッピングする面白い方法で、東京の古層に光を当てています。われわれもずっとおなじ発想で見てきましたが、さらに「古道」が面白いと思っていました。古道は、必ずいい場所に通っているんです。
三浦: 実際に調査されたのは、いつごろのことですか。
陣内:一九九七年と九八年にかけて杉並区で調査をしています。実は紀元前一五〇〇年からローマに滅ぼされる紀元前三〇〇年まで続いた地中海のサルディーニャ島の文明の調査をしたことがきっかけです。その地域では、湧き水を大事にしてそこに聖域(後の時代も重要な場所となっていた)をつくり、それら聖域を結んだ古道を今でも辿ることができました。日本に戻ってきて、湧水、聖域、古道に注視して杉並区で応用したら、見事にあてはまったんです。
三浦: 僕は、川の暗渠を辿って歩くことも好きなのですが、「川」も東京の構造を知るうえで、欠かせないものですよね。
陣内: ええ。近代の開発で見えづらくなっていますが、東京にたくさんある川とセットにしながら地形に目を向けると、武蔵野や多摩にかけて本当の都市や地域の骨格、風景が見えてくるんですよ。
例えば、杉並区でも桃園川は暗渠になっていますが、妙法寺川、善福寺川、神田川の四つの川が流れ、放射状になっている。
三浦: 鉄道は近代になってからのインフラですが、地域の構造を決めていた、それまでの重要なインフラは街道と「川」ですね。しかし昔の地図をよく見ると、街道などの道が川に沿って、山と谷の地形に沿って存在することがわかりますね。
陣内: そうです。人々の生活には水が必要なので、川の周辺に少し小高く安全なところに人間が住みます。しかも、東京には古来から崖線が多く、川沿いに侵食されて崖があり、そこに水が湧く(湧水)。すると、その近くに神社、聖域ができ、周りに人が住み、近世の集落につながっていくのです。善福寺川沿いには、縄文、弥生時代の遺跡や古墳も発見されています。(後略)
(引用終了)
<同書 20−22ページ(フリガナは省略)>
ということで、人は昔から、河川とその「流域」を大切にしてきた。この本が扱っている東京西郊には私も長く住んでいるので、フィールドワークの知見が特に身近に感じられた。
「
流域価値」の項で、これからの街づくりに必要なのは「新しい家族の価値」と古い流域価値との融合(fusion)ではないだろうか、と書いたけれど、この本の著者お二人の問題意識も同じ辺りにあると思われる。さらに本書から引用したい。
(引用開始)
通勤に明け暮れ、ベッドタウンに寝に帰るライフスタイルはもう古い。地元に目を向け、地域の面白さを発見することが、ますます重要になるに違いない。日常の暮らしの意識が鉄道と駅に意識を支配されている従来の精神構造から、ぜひとも脱出し、自由な発想に立って地域に眠っている資産を発見してみたいものである。
(引用終了)
<同書 137-138ページ>
このブログでは、これからの産業システムとして、多品種少量生産、食の地産地消、資源循環、新技術の四つを挙げているが、ビジネスにおいても、地域に眠っている資産を活性化させ、それを自らの商売に結びつけてゆくのが、成功の鍵の一つであるに違いない。