夜間飛行

茂木賛からスモールビジネスを目指す人への熱いメッセージ


理念(Mission)先行の考え方

2013年01月01日 [ 起業論 ]@sanmotegiをフォローする

 会社で最も重要なのは、その理念(Mission)だろう。以前「理念(Mission)と目的(Objective)の重要性」の項で、

(引用開始)

 会社を始める際には、なぜその会社を興そうとしたのかという理念(Mission)と、具体的に何を達成したいのかという目的(Objective)を、自分できちんと書いてみることが重要である。

 いくら小さくとも会社は一つの共同体だから、その理念と目的を、社員やお客様、さらには社会に対してわかりやすく伝えることが大切なのである。この二つをはっきりさせず、ただお金が儲かるからとか、人に頼まれたからという理由で始めても、会社という共同体は長続きしない。

(引用終了)

と書いたけれど、「創業理念」は起業した後も重要である。何故なら、その文言は、なぜその会社が営業を続けるのかを示す、いわば会社の存在理由(レゾンデートル)だからである。

 この理念先行型の考え方は、起業や会社運営という大きな場面だけではなく、その中で、さまざまなプロジェクトを推進・実行する際や、個人のキャリアプラン作りにも有効である。“ミッションからはじめよう!”並木裕太著(ディスカヴァー・トゥエンティワン)は、その為のフレームワークを平明に解説した本だ。新聞の書評を引用しよう。

(引用開始)

使命を重視し課題の整理を

 ビジネスとは絶え間ない課題解決のこと。航空会社の経営企画室に配属された「大空翔子」は、格安航空会社への対抗策という課題を会社から与えられる。戸惑う彼女の前に登場したのが、コンサルタント「並木裕太」。彼はフレームワークやツリーやらの専門用語を駆使して課題を解決に導く。
 裕太が説く解決のステップは、「ミッション(使命)、ロジック(論理)、リアライズ(実行)」。リアライズには「レジスター(認識)、エンゲージ(向かい合い)、コミット(責任を持つ)」の三つが必要ということで、翔子は随所で「また出た、横文字! 耳障りだし、意味がわからない」と、ツッコミまくる。そのツッコミに裕太が答える中で、意味不明の用語がわかりやすく解説されていく、という仕掛けだ。
 著者は外資系コンサルタント会社出身で、この本も、コンサルお得意のロジカルシンキングを扱っているが、「ロジック」よりも「ミッション」を重要視した点に、新たなひらめきがある。ミッションとは「なぜ、それを実行するのかというそもそもの志、使命」のこと。ビジネスの現実はロジカルとはいい難いが、ミッションという軸が見え、課題整理のスキルがあれば、前に進むことはできる。そのスキルの最先端を、誰にも使い勝手よく整理している。

(引用終了)
<朝日新聞 5/13/2012>

ということで、この本には、ミッションをつくる上で役に立つツールが多く紹介されている。一読をお勧めしたい。

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スモールビジネスのマーケティング

2012年07月24日 [ 起業論 ]@sanmotegiをフォローする

 このブログでは、起業理念が明確な小規模企業(スモールビジネス)を応援している。“小が大を越えるマーケティングの法則”岩崎邦彦著(日経新聞出版社)は、スモールビジネスにおけるマーケティングについて書かれた本だ。新聞の書評を引用しよう。

(引用開始)

 人口減少社会の日本で企業が生き残るためのマーケティング戦略を紹介する。キーワードは書名にある「小」だ。
 高度成長期には大企業による同一商品の大量生産、大量販売によって生活水準が向上した。当時の消費社会のキーワードは「大」だった。だが豊かさを手にした消費者は次に他人とは違う商品やサービスを好むようになる。多様性が重視されるこうした社会では「大」より「小」が重要になる。小さな企業、小さな店にチャンスが生まれる。
 著者は長年、地域社会と消費行動を研究テーマとしてきた。そこから見えてきたのは「全国」から「地方」、「総合」から「専門」、「効率性」から「感性」などへの社会構造と消費者意識の変化だ。
 本書では、多くの消費者調査で浮かんだ、消費者の細分化した好みを解説。随所に設問を挟むなど読者の理解を助ける工夫も凝らしている。
 商品開発や営業に携わる人には、日本の消費者の実像を知るのに役立つだろう。個性的で独自色を出せる「小規模の強み」を探し出し、それを調和のとれた形に組み合わせる必要性を感じるはずだ。
 また、本書を読み進めていけば、新しい強みを見つけることだけが大切ではないこともわかる。個性的な強みがありながら見過ごしているケースがあり、身の回りでの再発見から商機をつかむことが可能だからだ。

(引用終了)
<日経新聞 5/6/2012>

ということで、この本には、「ほんもの力」「きずな力」「コミュニケーション力」という3つの力に注目したマーケティング戦略が平明に書かれている。本の帯裏には、

(引用開始)

「全国」から「地域」へ、「総合」から「専門」へ、「画一性」から「個性」へ、「量」から「質」へ、「無難」から「本物」へ、「効率性」から「感性」へ――時代のトレンドは、小さな企業に吹く追い風。
3つの力「ほんもの力」「きずな力」「コミュニケーション力」
でチャンスをつかみとれ!

(引用終了)

とある。興味のある方にお勧めしたい。

 ここのところ、スモールビジネスに関連する本が多く出版されている。“計画と無計画のあいだ”三島邦弘著(河出書房新社)、“「本屋」は死なない”石橋毅史著(新潮社)、“営業部は今日で解散します”村尾隆介著(大和書房)、“小商いのすすめ”平川克美著(ミシマ社)などなど。スモールビジネスとは、モノを大量生産・販売するのではなく、その場所に起こるコトをベースとした商売である。やはり時代は「“モノからコトへ”のパラダイム・シフト」を迎えているのだろう。

 尚、“「本屋」は死なない”については「本の系譜」、“営業部は今日で解散します”については「これからのモノづくり」、“小商いのすすめ”については「ヒューマン・スケール」の各項で紹介した。併せてお読みいただけると嬉しい。

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ヒューマン・スケール

2012年06月19日 [ 起業論 ]@sanmotegiをフォローする

 このブログでは、安定成長時代の産業システムとして、多品種少量生産、食品の地産地消、資源循環、新技術の四つを挙げ、それらを牽引するのは、フレキシブルで判断が早く、地域に密着したスモールビジネスであると主張してきた。ここでいうスモールビジネスとは、起業理念が明確な小規模企業を指す。従業員数の目安としては、社長1人から全員で30人くらいまでを想定しているが、業種によって適正規模があるからあまり拘らなくても良い。

 先日“小商いのすすめ”平川克美著(ミシマ社)という本を読んだ。このブログでの主張と重なるところが多いので、今回はこの本を紹介したい。まずは新聞の書評から。

(引用開始)

 装丁のセンスと「小商い」という言葉の響きに惹かれて手に取った。が、著者が前書きで断っているように、本書は小規模ビジネスの指南本ではない。
 グローバル資本主義が行き詰まり、経済成長神話や原発安全神話が崩壊した今、我々はどんなやり方で未来を描くべきか。本書では貧しくも活気があった昭和30年代を見つめ直しながらそのヒントを探る。キーワードは経済の縮小均衡とヒューマン・スケール(身の丈)の復興だ。
 金融技術によって膨らませた経済とは対極にある、地に足のついた、血の通った営み――そんな“小商いの哲学”に日本再生の希望を見る。「経営規模としては、むしろ小なるを望む」と謳ったソニーの設立趣意書を「小商いマニフェスト」と捉え、その精神を軽視したが故に、ソニーは輝きを失ったと説くのだ。
 換言すれば、経済成長の夢から覚めて「大人になれ」ということ。例えば高度成長を主導した下村治は、日本の拡大均衡が限界に達したことを1980年代半ばに見抜いていたという。
 小商いとは「身の回りの人間的なちいさな問題を、自らの責任において引き受ける」生き方のことでもある。脱・経済成長論は多々あれど、興味をそそるタイトルが本書の白眉。小商いを旨とする版元の出版社のありようが著者の主張を体現している。(ミシマ社・1680円)

(引用終了)
<朝日新聞 4/1/2012(ルビ省略)>

ということで、この本には私が勤めていたソニーの設立趣意書も出てくる。小商いについて、さらに本書から引用しよう。

(引用開始)

 小商いとは、自分が売りたい商品を、売りたい人に届けたいという送り手と受け手を直接的につないでいけるビジネスという名の交通であり、この直接性とは無縁の株主や、巨大な流通システムの影響を最小化できるやり方です。
 当然のことながら、そこに大きな利潤が生まれることはありません。
 しかし、小商いであるがゆえに、それほど大きな利潤というものも必要とはしていない。 
 何よりも、送り手と受け手の関係が長期にわたって継続してゆくことで、送り手は自分が行なっていることが意味のあることであり、社会に必要とされているのだと実感することができることが重要なのです。

(引用終了)
<同書 212ページ>

 本書の鍵となるコンセプトは、書評にもあるとおり「ヒューマン・スケール」という言葉だろう。本書のあとがきから引用する。

(引用開始)

 人間は誰でも自然の摂理のなかから偶然にこの世に生れ落ち、数十年を経て再び自然の摂理の中に回収されていく存在です。
 本書の中で繰り返し述べているヒューマン・スケールとは、まさに人間がどこまでいっても自然性という限界を超え出ることはできない存在であり、その限界には意味があるのだということから導き出した言葉です。
 小商いという言葉は、そのヒューマン・スケールという言葉の日本語訳なのです。

(引用終了)
<同書 227ページ>

 ヒューマン・スケールという言葉には、物事を判断するに及んで「自分を外さない」という意味も込められている。

(引用開始)

 ひとは、自分を棚上げにしたところでは何でも言うことが可能ですが、自分を棚上げしてなされた言葉は中空に浮遊するだけで、他者に届くことはありません。

(引用終了)
<同書 132ページ>

このブログでも、「集合名詞(collective noun)の罠」の項で、「これまで人間社会で起こったことのすべては一人一人の判断と行動(あるいは非行動)の結果であり、これからもそれ以外はあり得ないということを我々は肝に銘じるべきだろう。(中略)ビジネスの現場でも、本当のところ個人の力が全てである。何かを成し遂げるためには、社員一人ひとりが持てる力をフルに発揮する以外に道はない。スモールビジネスにおいては特に、社長以下社員一人ひとりの行為がそのまますぐ会社の業績・評価につながる。」と述べたことがある。

 著者の平川氏はさらに、ヒューマン・スケールとは、本来自分には責任のない「いま・ここ」に対して、責任を持つ生き方だという。

(引用開始)

 そういった合理主義的には損な役回りをする人があって、はじめて地域という「場」に血が通い、共同体が息を吹き返すことができる。(中略)
 ともかく、誰かが最初に贈与的な行為をすることでしか共同体は起動していかない。
 合理主義的には損な役回りといいましたが、ほんとうはそうとばかりはいえないだろうとわたしは思っています。
 なぜなら、責任がないことに責任を持つときに、はじめて「いま・ここ」に生きていることの意味が生まれてくるからです。
 自分が「いま・ここ」にいるという偶然を、必然に変えることができる。

(引用終了)
<同書 195−196ページ>

この考え方は、「人は自分のために生まれるのではなく、社会のために生まれてくる」とする私の「生産と消費論」とシンクロする。人は、自然の摂理のなかから、本来自分には責任のない「いま・ここ」(社会)に生まれてくる。そして、その「いま・ここ」に貢献することで、生きていることの意味が生じてくるのだ。この考え方については、小説“僕のH2O”でも展開しているので併せてお読みいただければ嬉しい。

 平川氏は、新聞のインタビュー記事(東京新聞 3/4/2012)のなかで、この本は、執筆中の昨年三月に東日本大震災があり、同じ年の六月に一年半介護した父親を看取るという二つの体験がなければ書けなかったとし、「毎日早く帰ってスーパーに立ち寄り、ご飯をつくって洗濯する。それを続けて分かったのは、人間は自分のために生きているのではない、ということです。自分を必要としてくれる人間のために生きているときに、生命エネルギーはものすごく上がるんです。震災以降にわれわれが身に付けなければいけない耐性はそれだと思う」と述べておられる。また、同インタビュー記事によると、平川氏は、現在IT関連など二つの会社を都内で経営しているが、社員は合わせて十人。自ら「小商い」を実践しているとのことである。小商い(スモールビジネス)については、ここのカテゴリ「起業論」でもいろいろな角度から論じているので、参照していただきたい。

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自分でよく考えるということ

2012年04月30日 [ 起業論 ]@sanmotegiをフォローする

 先日「1969年」の項で自分を振り返り、

(引用開始)

 当時私は高校三年生、世界のことなど何も知らないくせに、受験勉強の振りをしながら吉本隆明の“共同幻想論”(河出書房)などを読む、生意気盛りの若者だった。

(引用終了)

と書いたけれど、私は当時から、多少偏ってはいたものの、何でも自分でよく考える習慣だけは物にしていたと思う。このブログではこれまで、

A Resource Planning−英語的発想−主格中心
a 脳の働き―「公(public)」

B Process Technology−日本語的発想−環境中心
b 身体の働き―「私(private)」

という対比を見、偏ることなく物事を考えるには、この両方を以ってバランスよく考える必要があると述べてきた。尚、ここでいう「脳の働き」とは、大脳新皮質主体の思考であり、「身体の働き」とは、身体機能を司る脳幹・大脳旧皮質主体の思考のことを指す(詳しくは「脳と身体」の項を参照のこと)。

 若かりし頃の自分を省みるに、何でもよく考える習慣はあったものの、どちらかというと、「大脳新皮質主体の思考」に偏っていたように思う。「大脳新皮質主体の思考」は、客観的に状況を把握して物事を分析するのに必要だが、人に共感し環境を体感するには、「脳幹・大脳旧皮質主体の思考」が重要である。前者を「頭で考える」と譬えれば、後者は「腹で考える」といえるだろう。歳を重ねるうちにこのことがわかってきた。例えば寅さんの映画は、腹で考えることが出来ないとなかなかその良さがわからない。

 以前「複眼主義のすすめ」の項で、この対比に、

Α 男性性=「空間重視」「所有原理」
Β 女性性=「時間重視」「関係原理」

という別の対比を重ね合わせたことがある。人はそもそも性別によって、どちらかに偏りが出るのかもしれない。とすると、もともと男性性が優位な人は「女性性」=「脳幹・大脳旧皮質主体の思考」を、女性性が優位の人は「男性性」=「大脳新皮質主体の思考」をそれぞれ鍛え、バランスよく物事を考える力を養う必要があるということになる。

 ただし同じ「大脳新皮質主体の思考」でも、(「母音言語と自他認識」の項で述べたように)日本語においては、自分と相手とを区別する「自他分離機能」が充分に働かないという仮説がある。英語や他の外国語の勉強を通して、この機能も上手く使えるようになることが大切である。

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多様性を守る自由意志

2012年04月24日 [ 起業論 ]@sanmotegiをフォローする

 前回「自由意志の役割」の項で、

(引用開始)

 人間社会における「ゆらぎ」は、自然環境変化や気候変動、科学技術の発展、歴史や言葉の違い、貧富の差や社会ネットワーク・システムなどなど、それこそ無数の要因(コト)が複雑に絡み合って齎されるが、人の「自由意志」もそれらの要因の大切な一部である。とくに社会の多様性を保つために、人の「自由意志」の果たす役割は大きいと思う。

(引用終了)

と書いたけれど、「多様性を守る自由意志」というテーマにとって、最適なテキストがあった。“水を守りに、森へ”山田健著(筑摩選書)という本である。サブタイトルに“地下水の持続可能性を求めて”とある。まず新聞の書評を紹介しよう。

(引用開始)

 サントリーで長くコピーライターを務めた著者は21世紀が迫ってきたころ、ふと、同社の事業がいかに「地下水」に依存しているかに気づく。同時に、その地下水が、森林の荒廃によっていかに危うい状況に置かれているかも。
 以来10年余りにわたって、地下水を涵養(かんよう)する森を守ろうと日本中を奔走してきた経験が、軽妙につづられる。
 ユニークなのは、企業の社会貢献ではなく、本業としての位置づけだ。水に生かされている会社が水を守るのは当たり前というわけだ。
 ミネラルウォーターなどを生産する工場の周辺で、約7千ヘクタールの森林を整備してきた。山手線を一回り大きくしたとてつもない広さだが、日本全体では微々たるものだ。
 広大な森林を守るには、国や自治体の力だけでは到底足りない。多くの企業に、本業に近いところで森林に目を向けてほしい。そう提案する。
 「だれか」ではなく「私」の問題としてとらえてこそ。今こそ必要な発想の転換だ。

(引用開始)
<朝日新聞 2/26/2012>

ということで、なぜこれが(多様性を守る自由意志というテーマにとって)最適なテキストかと云うと、まず著者に「水を守るための森づくり」という明確な自由意思があり、それが会社の本業として位置づけられることで「社会(企業活動)の多様性」が生み出されたこと、と同時に、森を再生することで「自然の多様性」が守られるからである。

 このブログでは、これからの街づくりを支えるコンセプトとして、山岳と海洋とを繋ぐ河川を中心にその流域を一つの纏まりとして考える「流域思想」を提唱しているが、山田氏のいう「水を守る森づくり」は、流域思想の優れた実践でもある。

 それにしても、この本によると、日本の森林の荒廃は限界に来ているようだ。山田氏によると、放置された杉や檜の人工林問題はもとより、鹿の増加による食害、カシナガという虫によるナラ枯れ、止まらない松枯れなどなど、難問が山積しているという。「自由意志の役割」の項で考察したように、「世界はすべて互いに関連しあったプロセスで成り立っている」のであるから、このことは我々水を使う人すべての問題である。

 ちなみに、山田氏は本のあとがきで、「水を守る森づくり」のお手本は、気仙沼で「森は海の恋人」活動を立ち上げた畠山重篤氏であると書いておられる。畠山氏については、私も「鉄と海と山の話」の項でその著書を紹介したことがある。併せてお読みいただければ嬉しい。

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自由意志の役割

2012年04月17日 [ 起業論 ]@sanmotegiをフォローする

 先日「場のキュレーション」の項で、“石ころをダイヤに変える「キュレーション」の力”勝見明著(潮出版社)という本について、

(引用開始)

 勝見氏はまず、ものごとの捉え方には、固定的で静態的なビーイング(being =〜である)と、流動的で動態的なビカミング(becoming =〜になる)の二つの見方があると指摘する。人を見るときにも、「〜である」と捉えると固定的な見方が前面に出され、「〜になる」と捉えると、未来に向かって開かれ、様々なかかわりを通じて変化していくという「人の可能性」が浮かび上がる。

 そこで、「場のキュレーション」にとって大切なのは、顧客をビーイングの存在として見るのではなく、ビカミングの存在としてみることである、と勝見氏は述べる。

(引用終了)

と書いたけれど、このビカミングの考え方について、同書から、関連する部分を引用しておきたい。

(引用開始)

 ものごとをビカミングとしてとらえる世界観は、「世界はすべて互いに関連しあったプロセスで成り立っている。したがって、世界は常に動き続ける出来事の連続体である」という考え方に由来します。イギリス出身のホワイトヘッドという哲学者が唱えた考え方です。
 ホワイトヘッドは、「世界はことごとく、常に生成発展するため、目を向けるべきはモノそのものではなく、コトが生成して消滅するプロセスである」と説きました。コトは人とモノと時間と空間の関係性の中から生まれます。そのため、コトのあり方は時間とともに変化し、生成しては消滅します。昨日のコトと今日のコトは同じようで違う。だから世の中はビーイングではなく、ビカミングである、と。
 このホワイトヘッドの考え方が、二十一世紀に入った今、注目されているのは、モノが氾濫した二十世紀が終わり、ビジネスの世界でも、単にモノを売るのではなく、どんなコトを提供できるかという、コト的な発想が求められているからでしょう。

(引用終了)
<同書 180ページ>

 さて、「世界はすべて互いに関連しあったプロセスで成り立っている」というと、この世の中のことはすべて決まっている(運命論)、自由意志など存在しない、と勘違いする人がときどきいる。しかし、繋がっていることと、決まっていることとは違う。人は自由意志を大いに発揮して、世界をより良い方向に転ずる努力をすべきである。

 以前「1/f のゆらぎ」の項で、佐治晴夫氏の著書に触れながら、自然界において、時間や空間の中の場所が変わっていくにつれて物理的な性質や状態が変化していく様子を「ゆらぎ」という、と書いたけれど、人間社会においても、平均値の近くで自律的にその性質や状態が変化する様子を「ゆらぎ」と呼ぶことができる。

 人間社会における「ゆらぎ」は、自然環境変化や気候変動、科学技術の発展、歴史や言葉の違い、貧富の差や社会ネットワーク・システムなどなど、それこそ無数の要因(コト)が複雑に絡み合って齎されるが、人の「自由意志」もそれらの要因の大切な一部である。とくに社会の多様性を保つために、人の「自由意志」の果たす役割は大きいと思う。

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場のキュレーション

2012年03月19日 [ 起業論 ]@sanmotegiをフォローする

 前回「モノづくりとスモールビジネス」の項で紹介した“石ころをダイヤに変える「キュレーション」の力”勝見明著(潮出版社)に、「場のキュレーション」という言葉がある。「“モノからコトへ”のパラダイム・シフト」との関連で、今回はこの言葉について掘り下げてみたい。その前に同書より、「モノ」と「コト」の違いを、ビジネスの観点からもう一度確認しておきたい。

(引用開始)

 モノとコトはどう違うのか。それは、そこに人間がかかわっているかどうかです。つまり、コトとはモノとユーザーとの関係性の中で生まれる文脈であり、物語であると言えます。体験と言ってもいいでしょう。その物語や体験に共感するとき、ユーザーは手を伸ばす。だから、テクノロジーの軸だけでなく、人間を中心に置くリベラルアーツの軸が必要なのです。
 モノはそのままでは単なるモノですが、キュレーションを媒介すると新しいコトに転化する。キュレーションとは単なるモノづくりではなく、コトづくりにほかなりません。

(引用終了)
<同書 65ページ>

「リベラルアーツ(liberal arts)」とは、人々を何らかの隷属や制約から解き放ち、より自由に、より豊かな生き方へと導くための見識といった意味で、ここでは、アップルのスティーブ・ジョブズがiPadの発表会で、「アップルは常に、テクノロジーとリベラルアーツの交差点に立とうとしてきました」と述べたことを踏まえている。

 さて、キュレーションとは、

@ 既存の意味を問い直して再定義し
A 要素を選択して絞り込み、結びつけて編集し
B 新しい意味、文脈、価値を生成する

ことであった。それでは「場のキュレーション」において大切なことは何なのだろう。

 勝見氏はまず、ものごとの捉え方には、固定的で静態的なビーイング(being =〜である)と、流動的で動態的なビカミング(becoming =〜になる)の二つの見方があると指摘する。人を見るときにも、「〜である」と捉えると固定的な見方が前面に出され、「〜になる」と捉えると、未来に向かって開かれ、様々なかかわりを通じて変化していくという「人の可能性」が浮かび上がる。

 そこで、「場のキュレーション」にとって大切なのは、顧客をビーイングの存在として見るのではなく、ビカミングの存在としてみることである、と勝見氏は述べる。

(引用開始)

 場のキュレーションは固定的なビーイングではなく、ビカミングでなければならない。
 常に変化し続けるルミネの成功は、空間軸だけでなく、時間軸に沿った場のキュレーションの重要性を示しています。

(引用終了)
<同書 181ページ>

ここでいう「ルミネ」とは、JR東日本の駅ビルのことである。ルミネでは、行く度ごとに売場が変化し新しい情報が発信されているという。

 以前「場所のリノベーション」の項で、建築家隈研吾氏の“建築の設計っていうのは、結局すべて「場所のリノベーション」じゃないかって思うんだよね。”という言葉を紹介したことがある。リノベーションという行為も、対象をビカミングの存在として見ることから始まる。

 隈氏のいう「場所のリノベーション」と、勝見氏のいう「場のキュレーション」とは、「建物」と「売場」という違いはあるけれど、基本的には、

@ 既存の意味を問い直して再定義し
A 要素を選択して絞り込み、結びつけて編集し
B 新しい意味、文脈、価値を生成する

という作業として、同じ地平に立っていると思われる。建築家も、キュレーターの一種族なのである。

 場のキュレーターは、「ハブ(Hub)の役割」とも近接しながら、場を再定義し、編集し、新しい価値を生成する。建築家については、さらに「建築士という仕事」や「建築について」の項なども参照して欲しい。

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モノづくりとスモールビジネス

2012年03月12日 [ 起業論 ]@sanmotegiをフォローする

 前回「これからのモノづくり」の項の最後に、

(引用開始)

これからは「モノづくり」においても、地域に密着した理念あるスモールビジネスの出番なのではないだろうか。

(引用終了)

と書いたけれど、スモールビジネスの出番は、実際の「モノづくり」=「製造」以外に、“モノからコトまで”のリードタイムを短くするための「戦略・企画・デザイン・販売」などにもあると思う。自分でモノを作ることが出来なくても、気に入ったモノの「戦略・企画・デザイン・販売」などをスモールビジネスとして請け負うわけだ。

 尚、このブログでいう「スモールビジネス」とは、フレキシブルで、判断が早く、企業理念が明確な小規模企業を指す。従業員数の目安としては、以前「組織の適正規模」の項に書いたように、社長1人から全員で30人くらいまでを想定しているが、業種によって適正規模があるから、従業員数にはあまり拘らなくても良い。

 「モノづくり」に携わる人は忙しいから、なかなか自分でそれを売り込むことにまで手が回らない場合が多い。だからそういう人のために、前回紹介した“営業部は今日で解散します。”村尾降介著(大和書房)という本に、自社製品の持つ物語(コト)をいかに顧客に伝えるか、というアイデアがいろいろと書かれているわけだが、それでもやはり自社で賄うことが難しい場合、外部から売り込みを支援するスモールビジネスの出番がある。実際、“営業部は今日で解散します。”の著者村尾降介氏ご自身も、中小企業のブランド戦略を手がけるコンサルタント会社、スターブランド社の共同経営者である。

 そういった場合参考になるのが、“石ころをダイヤに変える「キュレーション」の力”勝見明著(潮出版社)という本である。新聞の書評を引用しよう。

(引用開始)

 「キュレーション」は美術館や博物館で企画や展示を担当する専門職の「キュレーター」に由来する言葉。著者は、モノや情報が飽和状態になっているビジネスの世界でも、キュレーターのように@既存の意味を問い直して再定義しA要素を選択して絞り込み、結びつけて編集しB新しい意味、文脈、価値を生成する――ことが求められていると説く。
 実例として、米アップルやセブン―イレブンの戦略、ノンアルコールビール「キリンフリー」などの成功例を挙げる。キュレーションは単なるモノづくりだけでなく、作り手と消費者が双方向で新たな価値を「共創」する「コトづくり」であるとの視点に今日性を感じる。

(引用終了)
<朝日新聞 11/13/2011>

著者の勝見氏はこの本の中で、20世紀はモノを通じた一方的な価値の提供の時代であり、21世紀は、コトを育む双方向的な価値の共創の時代になると論じ、キュレーションを通じた新しいコトづくりを提唱しておられる。まさに「“モノからコトへ”のパラダイム・シフト」におけるビジネス書である。

 今の仕事に飽き足らない思いを抱いている人は、この本などを参考にしながら、気に入ったモノの「戦略・企画・デザイン・販売」を請け負うキュレーターとして、スモールビジネスを起業してみてはいかがだろう。そういえば「本の系譜」の項でみた「意思のある本屋」というのも、本(というモノ)のキュレーターとして考えることが出来る。尚、キュレーターの仕事については、以前「アートビジネス」の項でも触れたことがある。併せてお読みいただければ嬉しい。

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これからのモノづくり

2012年03月06日 [ 起業論 ]@sanmotegiをフォローする

 先日「日本のモノづくり」の項で、

(引用開始)

 モノづくりの本質は、絶え間のないProcess Technologyの改善である。以前「日本の生産技術の質が高い理由」の項で、日本語が母音語であることと、それに伴って起こる「自他認識」の希薄性が、「話し手の意識を環境と一体化させる傾向」を生み、それが自然や組織ばかりではなく機械などの無機的環境に対しても働くことを論じたけれど、日本のモノづくりの質の高さは、この「日本語の特質」に由るところが大きいと思う。

 このブログでは、安定成長時代の産業システムとして、多品種少量生産、食品の地産地消、資源循環、新技術の四つを挙げているが、これらの中心に「日本のモノづくり」があるのは間違いないだろう。

(引用終了)

と書いたけれど、「“モノからコトへ”のパラダイム・シフト」のなかで、これからの日本のモノづくりはどうあるべきなのだろうか。今回はこのことについて考えてみたい。

 日本のこれからのモノづくりにとって第一に大切なのは、それが、「多品種少量生産、食品の地産地消、資源循環、新技術」という四つの安定成長時代の産業システムに何らかの形で関わっていることであろう。実態として、大量生産・輸送・消費システムによる製造が日本からまったく消えることはありえないだろうし、そうなるべきだと主張しているわけではないが、これからの日本のモノづくりは、安定成長時代の産業システムと親和性を持つ方向にシフトしていくべきだと思う。

 多品種少量生産、食品の地産地消、資源循環、新技術にリンクしたモノは、「コト」を生み出す力が強い。「コト」は必ず地域(固有の時空間)で起こる。多品種少量生産、食品の地産地消、資源循環の三つは、高度成長時代の大量生産・輸送・消費システムよりも地域密着型だから、「コト」を起こす力がより強いのだ。「“モノからコトまで”のリードタイムが短い」と言い換えても良いかもしれない。また、新技術(や新素材)は、旧技術よりも新しい「コト」を起こす力が強い。小惑星探査機「はやぶさ」が引き起こした新しい「コト」の数々は我々の記憶に新しいところだ。

 日本のこれからのモノづくりにとって第二に必要なのは、できるだけ「コト」が起こりやすいモノづくりを心掛けることであろう。「“モノからコトへ”のパラダイム・シフト」の項の最後に、

(引用開始)

そしてまた、「モノ」であっても、自分が気に入った「モノ」をよくよく観察していれば、やがて、それが作られたときの「時間と空間」が解けて見えてくるかもしれないということでもある。

(引用終了)

と書いたけれど、伝統工芸品や手作り品の良いモノは、それが作られたときの「時間と空間」が後ろに揺曳してみえる。優れたブランド品は、ブランド固有の物語がそのモノの内に秘められている。絵画の傑作は、描かれた光景がいまにも動き出しそうに見える。

 “営業部は今日で解散します。”村尾降介著(大和書房)という本には、自社製品の持つ物語(コト)をいかに顧客に伝えるか、というアイデアの数々が書かれている。「覚えられるネーミング」「写真に取りたくなる仕掛け」「お客さまにビジネスに参加してもらう」「人が覚えられるコピーは15文字以内」「意外な推薦人をつくる」などなど。本のサブタイトルには“「伝える力」のアイデア帳”とある。一読をお勧めしたい。

 以上、これからのモノづくりにとって大切なポイントを纏めると、

A 安定成長時代の産業システムに何らかの形で関わっていること
B できるだけ「コト」が起こりやすいモノづくりを心掛けること

となる。さて、これを踏まえて、改めて「日本のモノづくり」の項で取り上げた“奇跡のモノづくり”江上剛著(幻冬舎)に紹介された8つのモノづくり:

1. 本間ゴルフ・酒田工場(ゴルフクラブ製造)
2. メルシャン・八代工場(焼酎づくり)
3. 山崎研磨工場・燕市(タンブラーなどの研磨)
4. コニカミノルタ・豊川工場(プラネタリウム製造)
5. クレラ・新潟事業所(新素材開発)
6. キッコーマン・野田工場(醤油の国際化)
7. 宮の華・宮古島(琉球泡盛づくり)
8. 波照間製糖・波照間島/シートーヤー・宮古島(黒糖づくり)

を見てみると、どれもAに関わり、Bに対応していることがわかる。これは偶然ではないと思う。そして重要なことは、これらの企業は決して売り上げ規模のみを追求していない。このブログでは、「安定成長時代の産業システムを牽引するのは、フレキシブルで、判断が早く、地域に密着したスモールビジネス」であると主張してきたが、これからは「モノづくり」においても、地域に密着した理念あるスモールビジネスの出番なのではないだろうか。中小規模の「モノづくり」については、「中小製造業」の項も参照していただきたい。

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森ガール

2012年01月17日 [ 起業論 ]@sanmotegiをフォローする

 前回「場所のリノベーション」で紹介した“三低主義”のあとがきの中で、三浦展氏は、

(引用開始)

 実際、今、若い世代を中心に、時代の感覚がすごく変化している。たとえば、バブル時代の若い女性は、銀座で遊び、青山の高級マンションに住み、高級外車や高級ブランド品を買う暮らしに憧れた。しかし現代の若い女性は、青山のマンションよりも谷中の長屋に住みたがる。高級外車には興味がなくなり、鉄道が好きな「鉄子」や中古カメラを持って浅草や向島を散歩する「カメラ女子」が増えている。ブランド品への関心もなくなり、ユニクロや無印や古着や浴衣を好んでいる。お墓めぐりを趣味とする女性すら増えているという。そこでは完全に「近代」が笑いとばされている。と言うか、すでに「近代」が眼中にない。

(引用終了)
<同書 250ページ>

と書いておられる。先日「“シェア”という考え方 II」のなかで、

(引用開始)

 地球規模でエネルギー循環が求められるようになり、日本が安定成長時代に入った今、われわれの社会は必然的に変わらざるを得ない。どう変わらなければならないかというと、人々は「世間」に縛られすぎることなく「所有原理」を自覚して精神的に自立すること、政治やビジネスは、女性性に基づく「関係原理」を大胆に取り入れること、この二つである。

(引用終了)

と書いたけれど、“三低主義”のルーツには、この「女性性に基づく関係原理」があるようだ。

 さて「鉄子」や「カメラ女子」の元祖と言えば、やはり「森ガール」ということになるのではないだろうか。過去の新聞から「森ガール」に関する記事を拾ってみよう。

(引用開始)

 「森ガール」は三年前、インターネットの会員制サイト「mixi」で森ガールコミュニティーができてから、表舞台に登場した。「森にいそうな女の子」のファッションは少女っぽいメルヘンな世界。ゆったりしたワンピースにファーなどのふわふわしたアイテム。レギンスやタイツをはき、露出が少ないのも特徴だ。

(引用終了)
<東京新聞 11/23/2009>

(引用開始)

 森ガールと呼ばれる人はファッションや雑貨など、趣味の領域では好き嫌いがはっきりしている。マニアの気質を備えてはいるのだが、執着心が強いわけではない。「ないもの」ねだりを繰り返すのではなく、手の届く届くもので満足する。そこには、「今あるもの」を大切に繰り返し使おうとするエコロジーの考え方からの感化もみてとれる。(中略)健康と環境に配慮したライフスタイルを表す「ロハス」ブームの系譜に連なるかのような、環境意識の高まりにつながる要素を抱えている。

(引用終了)
<日経新聞 1/23/2010>

ということで、その服装には、上の記事にある「ゆったりしたワンピースにファーなどのふわふわしたアイテム。レギンスやタイツをはき、露出が少ない」という特徴のほかに、自然素材、アースカラー、重ね着、ローヒールの靴などといった特色もある。

 それらの特徴は、勿論西洋化を生活に取り入れたあとのファッションだから着方やスタイルは違うけれど、自然素材、重ね着、ローヒール、ゆったりとしたワンピース、露出が少ないなどといった点で、日本古来の「和服」とコンセプトが似ている。

 以前「牡蠣の見上げる森」や「森の本」の項で、日本では古来より「森」が産業や文化のルーツとなっていることをみてきた。言語に強い身体性を持つ日本人は、本来的に自然志向である。そういう意味で「森ガール」の生まれた土壌は肥沃であり、その現象は決して一過性の流行とは思われない。以前「本の系譜」の項で紹介した“「本屋」は死なない”のなかに登場する「ひぐらし文庫」の原田真弓さんは、昨今のいわゆる“ブーム本”を批判するなかで、

(引用開始)

「最近だと“森ガール”のブームがそれにあたると思います。森の中にいるイメージの女の子やそのファッション。見方を変えれば昔からあるものだし、多くの人にはなんだかよくわからないですよね(笑)。最初にそういう視点で本をつくった出版社があって、これは面白い、と私も思った。魅力が定着するには、時間をかけてゆっくり広がっていったほうがいいんです。それが、あっという間に行き渡っちゃう。(中略)じっくりやれば、渋谷の洋服屋さんなんかとも組んで、いろんなことができたと思うんだけれど」

(引用終了)
<同書 35‐36ページ>

と述べて、関連本のブームが過去のものになってしまったことを嘆いておられる。関連本ブームは去ってしまったはかもしれないが、「森ガール」が成長しそのファッションがさらに洗練されてくれば、日本古来の「和服」とも融合(fusion)し、近代以降の日本の服装として社会生活に定着していくのではあるまいか。

 自然志向の「森ガール」は、多品種少量生産、食の地産地消、資源循環といったこれからの安定成長時代を象徴し、政治やビジネスに必要な「女性性に基づく関係原理」を体現する存在なのである。

 「鉄子」や「カメラ女子」のみならず、「山ガール」、「新書読書法(2010)」で紹介した三浦展氏の“シンプル族”といった人たちは、みな「森ガール」の血筋を受け継いでいるといってよいと思う。

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“シェア”という考え方

2011年12月20日 [ 起業論 ]@sanmotegiをフォローする

 “これからの日本のために「シェア」の話をしよう”三浦展著(NHK出版)という本を内容に共感しながら読んだ。著者の三浦氏は、消費社会研究家、マーケティング・アナリストで、以前「街の魅力」や「新書読書法(2010)」などでも本を紹介したことがある。まず同書のカバー裏の紹介文を引用しよう。

(引用開始)

 いま、消費や経済自体がシェア型になり始めている。かつそれが消費や経済を縮小させるのではなく、むしろ新たな方向に拡大する力を持ち始めている。
 本書は、これからの日本社会にとって有効なシェア型の価値観や行動、そしてすでに拡大し始めたシェア型の消費やビジネスの最新事情についてのレポートである。

(引用終了)

 三浦氏はこの本で、なぜ今の日本にシェア型の価値観や行動が必要なのかということについて、超高齢社会、コミュニケーション・共感の重視、エコ意識の拡大、情報化などから分析し、すでの始まっているシェア型の消費とビジネスについて、物のシェア、人のシェアの両面から具体的な例を挙げて丁寧に説明している。そしてシェアのコンセプトを、分配、分担、共感という三つのキーワードに込め、シェアの意味を、

私有     → 共同利用
独占、格差 → 分配
ただ乗り   → 分担
孤独     → 共感

といった「パラダイム・シフト」として示している。詳しくは同書を読んでいただきたいが、三浦氏がご自分でも、

(引用開始)

 また本書は、私が郊外、団地、ニュータウン、都市、住宅、建築、家族、若者、私有、コミュニティなどについて過去ずっと考えてきたことが、渾然一体となっている。その意味では個人的にいささか感慨深いものがある。

(引用終了)
<同書 232ページ>

と書いておられるように、“シェア”は、安定成長社会の様々な事象の底に流れる根幹的な価値観と云えるだろう。

 このブログでは、安定成長時代の産業システムとして、多品種少量生産、食品の地産地消、資源循環、新技術の四つを挙げ、それを牽引するのは、フレキシブルで判断が早く、地域に密着したスモールビジネスであると述べてきているが、分配、分担、共感をベースとする“シェア”は、多品種少量生産、食品の地産地消、資源循環といった産業システムの中心コンセプトであり、スモールビジネスの成立に欠かせない社会的価値観でもあると思う。

 さて、“シェア”の時代にとって大切だと思われるテーマをいくつか挙げてみたい。

1. モノからコトへ

 シェアという「コト」の分析には、アフォーダンスや言語、エッジ・エフェクトや境界設計といった「関係性」の人間科学、免疫学(生物学)や気象学、流体力学や波動力学、熱力学といった「コトの力学」の応用が必要だと思われる。

2. 生産と消費の相互性

 このブログでは、他人のための行為を「生産」、自分のための行為を「消費」と呼び、ある人の「生産」は別の人の「消費」であり、ある人の「消費」は別の人の「生産」であると論じてきた。“シェア”型経済においては、これまでの大量生産/在庫販売システムから、少量生産/対面販売システムへと、その経済活動の中心がシフトしていくと考えられる。そしてこの少量生産/対面販売システムは、ある人の「生産」が別の人の「消費」であり、ある人の「消費」が別の人の「生産」であるという、「生産と消費の相互性」原理をより顕在化させるだろう。生産と消費の相互性について、「生産と消費について」の項から引用しておこう。

(引用開始)

 「生産」(他人のための行為)と「消費」(自分のための行為)には、必ず相手が存在する。一対多である場合もあれば一対一ということもあるだろうし、「生産」がサービスではなく物(商品)の場合は在庫期間もあるだろうが、他人のための行為にはかならず受け手が想定されるし、自分のための行為にはかならずそれを与えてくれる人が居る。自然を満喫しようと思って山歩きをしたとしても、どこかに誰か、山道を整備してくれた人が居るはずなのだ。三つ星レストランのシェフが腕によりをかけて料理を作ろうとすれば、すばらしい素材を提供する多くの農家や酪農家が必要となる。オペラ歌手にはその技量を味わう観客が必要なのだ。

(引用終了)

このブログのカテゴリ「街づくり」の各項で取り上げてきたテーマは、みなそのような“シェア”型経済に根ざした活動(の諸相)である。

3. 精神的自立の必要性

 “シェア”は、

私有     → 共同利用
独占、格差 → 分配
ただ乗り   → 分担
孤独     → 共感

ということであるから、その前提として、個人の精神的自立が必要である。そうでないとメンバーの間にもたれ合いや依存状態が生じ、“シェア”のコンセプトそのものが成り立たなくなる。日本人(日本語)の環境依存性については、カテゴリ「言葉について」の各項でも論じてきたが、元一橋大学学長の阿部謹也氏は、その著書“「世間」とはなにか”(講談社現代新書)のなかで、日本人の環境(人間関係)依存性について、

(引用開始)

 日本の個人は、世間向きの顔や発言と自分の内面の想いを区別してふるまい、そのような関係の中で個人の外面と内面の双方が形成されているのである。いわば個人は、世間との関係の中で生まれているのである。世間は人間関係の世界である限りでかなり曖昧(あいまい)なものであり、その曖昧なものとの関係の中で自己を形成せざるをえない日本の個人は、欧米人からみると、曖昧な存在としてみえるのである。ここに絶対的な神との関係の中で自己を形成することからはじまったヨーロッパの個人との違いがある。わが国には人権という言葉はあるが、その実は言葉だけであって、個々人の真の意味の人権が守られているとは到底いえない状況である。こうした状況も世間という枠の中で許容されてきたのである。

(引用終了)
<同書 30ページ>

と述べておられる。精神的自立の必要性については、カテゴリ「公と私論」の各項でも論じてきた。参照いただければと思う。

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日本のモノづくり

2011年11月14日 [ 起業論 ]@sanmotegiをフォローする

 “奇跡のモノづくり”江上剛著(幻冬舎)という本を読んだ。まず新聞書評の紹介文を引用しよう。

(引用開始)

 至高のゴルフクラブを製造する本間ゴルフ、個性を極めた焼酎を造るメルシャン八代工場、ビールの泡が消えない不思議なタンブラーを生んだ山崎研磨工場など8ヶ所の現場を著者が訪ね、モノづくりの真髄を報告する。本間ゴルフでは、塗装一筋25年の職人が言う。「自分の仕事はこれだというか、魂で仕事をやっていますよ」。日本はモノづくりでいくしかない、という著者の強い思いがあふれている。

(引用終了)
<朝日新聞 9/18/2011>

 著者の江上剛氏は経済小説で知られた作家だが、東日本大震災の被害に直面して自信を失いかけている人々に、もういちど日本のモノづくりの力強さを伝えたいとの想いから、この本の取材執筆を思い立ったと云う。紹介された8つの現場は以下の通り。

1. 本間ゴルフ・酒田工場(ゴルフクラブ製造)
2. メルシャン・八代工場(焼酎づくり)
3. 山崎研磨工場・燕市(タンブラーなどの研磨)
4. コニカミノルタ・豊川工場(プラネタリウム製造)
5. クレラ・新潟事業所(新素材開発)
6. キッコーマン・野田工場(醤油の国際化)
7. 宮の華・宮古島(琉球泡盛づくり)
8. 波照間製糖・波照間島/シートーヤー・宮古島(黒糖づくり)

どの現場にも「元気なリーダー」がいて「宝石のような言葉」がある。本の前書きから、江上氏の想いの篭った文章を紹介しよう。

(引用開始)

 日本は、モノづくりで生きて行くしかない。金融立国論を唱える人もいるだろう。しかし日本が世界から認めれ、世界に貢献できるのは、モノづくりの力だ。日本のモノづくりは、決して死なない。これからも生きて、輝き続ける。私は、彼らを取材してますます強くそう考えるようになった。私は、彼らから勇気をもらった。日本の将来に不安を抱いている皆さんにもその勇気をぜひお分けしたい。

(引用終了)
<同書 7ページ>

 モノづくりの本質は、絶え間のないProcess Technologyの改善である。以前「日本の生産技術の質が高い理由」の項で、日本語が母音語であることと、それに伴って起こる「自他認識」の希薄性が、「話し手の意識を環境と一体化させる傾向」を生み、それが自然や組織ばかりではなく機械などの無機的環境に対しても働くことを論じたけれど、日本のモノづくりの質の高さは、この「日本語の特質」に由るところが大きいと思う。

 このブログでは、安定成長時代の産業システムとして、多品種少量生産、食品の地産地消、資源循環、新技術の四つを挙げているが、これらの中心に「日本のモノづくり」があるのは間違いないだろう。

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仕事の達人 II 

2011年10月18日 [ 起業論 ]@sanmotegiをフォローする

 前回の「仕事の達人」に続いて、今回は仕事へのモチベーションをどうキープするかについて書いてみたい。勿論前回みた脳内物質のコントロールや起業家精神をもって進めば、モチベーションは保たれる筈ではあるけれど、そこは人間、仕事以外でいろいろと悩むことも多い。

 “ポジティブな人だけがうまくいく 3:1の法則”バーバラ・フレドリクソン著(日本実業出版社)という本は、人の心理状態をポジティブ(自己肯定的な心の状態)とネガティブ(自己否定的な心の状態)とに分け、モチベーションに関連してこの二つの比率に注目している。

 著者はアメリカの心理学者だが、様々な実験によって、ポジティブ比率がある点(転換点)を越えると、ポジティブ・フィードバックが掛かってその比率がさらに上昇することを確かめたという。逆に転換点を下回ると、人はネガティブ・スパイラルに陥ってしまうという。本のタイトルからも分る通り、その転換点の比率は、3:1(ポジティブ3:ネガティブ1)以上ということである。

 たしかに自己否定的な心理状態は人を落ち込ませる。なにごとも常に前向きに考えることは大切だ。ここで著者のいう「10のポジティブ感情」を挙げておこう。

1.  喜び(Joy)
2.  感謝(Gratitude)
3.  安らぎ(Serenity)
4.  興味(Interest)
5.  希望(Hope)
6.  誇り(Pride)
7.  愉快(Amusement)
8.  鼓舞(Inspiration)
9.  畏敬(Awe)
10. 愛(Love)

ということで、どれも自己肯定的な心理状態である。

 以前「モチベーションの分布」や「興味の横展開」で述べたように、個人のモチベーションは必ずしも会社の目標と合致するわけではないけれど、生きていく上でこれらのポジティブ感情を増やすことができれば、人生の目標を支える日々の仕事についても、前向きに取り組むことができるだろう。

 ところで、この本には3:1の比率の分析に関して、「バタフライ効果」の話が出てくる。その部分を引用したい。

(引用開始)

 ロサダの方程式は、マネジメントチームの行動がひとつの複雑系―――具体的にいうと、非線形動的システム―――を反映していることを示しています。非線形動的システムの顕著な特徴は、よく「バタフライ効果」という言葉で呼ばれます。些細に見えるインプット(たとえば、ある地域でチョウチョが羽をばたつかせること)が、のちに他所でそれと比較にならない大きな結果につながる、というような意味です。
 確かにポジティビティは「バタフライ効果」なのかもしれません。チョウチョの羽のばたつきのように、かすかなポジティビティが驚くほど大きな結果につながるからです。

(引用終了)
<同書178−179ページ>

ここでいうロサダの方程式とは「チーム行動の数学的モデリング」から導かれたチーム連結性を示す数式のことで、著者の「拡張―形成理論」と多くの点で整合するという。詳しくは本書をお読みいただきたいが、ある転換点を超えると、ポジティビティの拡張(上昇スパイラル)が起こるというのが「拡張―形成理論」であり、ロサダの方程式などと共にこの理論が「3:1の法則」のベースとなっている。

 バタフライ効果とは、気象学でよく使われるTermである。「仕事の達人」の項で挙げた脳内物質(神経伝達物質)のコントロールを仕事術への免疫学(生物学)的アプローチとすれば、このポジティブ比率の考え方は、いわば気象学的(物理学的)アプローチと云ってもよいかもしれない。

 以前「気象学について」の項で、免疫学と気象学への共通興味として「社会科学への応用」を挙げたけれど、免疫というミクロコスモスと気象というマクロコスモスの両面から中間のメゾコスモスを分析するというアプローチは、社会分析だけでなく、「仕事の達人」への道にも応用できるようだ。

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仕事の達人

2011年10月10日 [ 起業論 ]@sanmotegiをフォローする

 以前「人生系と生命系」の項で、
 
(引用開始)

人生の達人と呼ばれる人々は、「交わりにくいふたつの物語」をそよ風にでも準(なぞら)え、振幅が小さい呼吸や脈拍、脳波といった振動から、振幅が中位の昼と夜、気圧と気温、仕事と休息といったリズム、さらには幼年期、青年期、壮年期、老年期といった人生の大きな波動を、「1/f のゆらぎ」の要領で上手く同期(synchronize)させているのかもしれない。

(引用終了)

と書いたけれど、人生の達人の前に、まず「仕事の達人」になろうということで、今回は、“脳内物質仕事術”樺沢紫苑著(マガジンハウス)と、“スティーブ・ジョブズ 驚異のイノベーション”カーマイン・ガロ著(日経BP社)の二冊の本を紹介したい。

 まずは“脳内物質仕事術”から。脳内物質とは著者の造語で、そもそもドーパミンやノルアドレナリンなどの神経伝達物質のことを指すという。新聞の紹介記事を引用しよう。

(引用開始)

脳の仕組みを利用した上手な働き方指南

 精神科医である著者が、ビジネスマンに向けて脳内物質を活かした仕事術を伝授。精神論で乗り切るのではなく、脳の仕組みを利用した上手な働き方を提案している。
 紹介されているのは、モチベーションを高める幸福物質「ドーパミン」、緊張感やプレッシャーで効率を高める「ノルアドレナリン」、興奮や怒りと関連して分泌される勝負物質「アドレナリン」、うつ病予防にも役立つ癒やし物質「セロトニン」、疲労回復に欠かせない睡眠物質「メラトニン」、認知機能とひらめきを高める「アセチルコリン」、究極の癒やし物質「エンドルフィン」の7つの脳内物質。これらはどれかが突出していてはダメで、バランスがよく分泌されていることが重要なのだという。例えばアドレナリンは、火事場のバカ力を出すには有効なものの、出しすぎれば疲弊状態に陥るのだとか。それぞれの脳内物質をオン・オフにするための食事法や生活術が紹介され、実践的だ。

(引用終了)
<日刊ゲンダイ 1/8/2011>

仕事には呼吸法も大切である。呼吸法については、以前「自律神経と生産と消費活動について」の中で述べたことがある。この脳内物質活用術と、仕事中の呼吸法とによって、昼と夜、仕事と休息などのリズムをより上手くコントロールできるようになる筈だ。

 “スティーブ・ジョブズ 驚異のイノベーション”は、アップルの創業者をモデルに、商品開発における起業家の理念を分りやすく7つに纏めたものだ。これも新聞の紹介記事を引用しよう。

(引用開始)

 本書を見てすぐ気付くのはベストセラーになった『スティーブ・ジョブズ 驚異のプレゼン』(日経BP社)の「二匹目のドジョウ」を狙った作品という点だ。著者も訳者も装丁も同じ。唯一異なるのは、前著がジョブズ氏の情報伝達力に焦点を当てたのに対し、今回は彼や米アップルの卓越した商品開発力をテーマにした点である。
 「シンク・ディファレント」。アップルを追われたジョブズ氏が返り咲いた翌年、同社が1997年から始めたキャンペーンのコピーだ。これを機にアップルは「iMac」「iPod」「iPhone(アオフォーン)」「iPad」と、強烈な勢いで世界を変える商品を世に出した。
 本書はその開発力の源泉はジョブズ氏の創造性にあるとし、7つの法則にまとめた。すなわち「大好きなことをする」「製品を売るな。夢を売れ。」「メッセージの名人になる」―――。前著でジョブズ氏の逸話を多数紹介したため、今回は他の成功者の話も交え、法則を説明している。
 興味深いのは外村仁氏の解説だ。「iPod」のアイデアは外部からの提案だが、先に話を聞いた日本の家電メーカーは皆、前例のない商品に「ノー」といったそうだ。まさに利用者視点に立ったジョブズ氏の感性が成功をもたらした。前著と合わせて読むと、日本企業に足りない何かが見えてくる。井口耕二訳。

(引用終了)
<日経新聞 8/21/2011>

書評に書かれなかった7つの法則の残りは、「宇宙に衝撃を与える」「頭に活を入れる」「1000ものことにノーと言う」「めちゃくちゃすごい体験をつくる」である。先日亡くなったジョブズ氏から我々が学ぶところはとても多いと思う。

 起業の理念については、「理念(Mission)と目的(Objective)の重要性」などで論じた。また、組織におけるリーダーシップについては「ホームズとワトソン」や「リーダーの役割」の項で述べた。

 7つの脳内物質活用術と呼吸法、起業理念と商品開発の7つの法則、リーダーシップの自覚などをもって、みなさんも「仕事の達人」への道を目指していただきたい。

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布づくり

2011年04月19日 [ 起業論 ]@sanmotegiをフォローする

 先日「境界としての皮膚」の項で、身体の境界としての「皮膚」について述べたけれど、人が身に纏う「布」は、身体境界の社会的な表現であり、まさに「第二の皮膚」と云えるだろう。

 “魂の布”松本路子著(淡交社)という本は、日本を含むアジア地域でこの「第二の皮膚」であるところの布づくりに励む、12人の女性作家たちを(美しい作品写真と文章とで)紹介している。表紙カバー裏の紹介文を引用しよう。

(引用開始)

モンスーンアジアの12人の女性作家をめぐる旅は、
スピリチュアルな気配に満ちていた。
かつて布は神への捧げ物として、
また愛する人の無病息災を祈り、
その魂を守るためにと、染め、織られた。
現代の布作家たちもまた、
糸や染料など自然からの生命(いのち)を得て、
その素材を慈しみ、祈るように造形していく。
「魂の布」のいまれる瞬間のきらめき。
そしてその布は、手にした者を立ち去りがたくする
魔力をたっぷりと内に秘めていた。
――「あとがき」より――

(引用終了)
<表紙カバー裏の紹介文>

12人の女性作家とは、

竹染めの白     秦泉寺由子(バリ)
黒檀染めの黒茶   瀧澤久仁子(タイ)
精霊の布      ヴォアヴァン・ポウミン(ラオス)
こころも       真砂美千代(葉山)
錦の織花      サワニー・バンシット(タイ)
あけずば織り    上原美智子(沖縄)
芭蕉交布の彩    石垣昭子(西表島)
柿渋染めの衣    原口良子(西荻窪)
墨・染・織      真喜志民子(沖縄)
蚕衣無縫      安藤明子(多治見)
風の手織り布    真木千秋(あきる野)
ジャワの華布    ジョセフィーヌ・コマラ(ジャワ)
<目次と本の帯より>

の各氏である。本の帯には、“大地のエネルギーを秘めた布をめぐる旅”とあり、12人の居住地(上記リストの括弧内)と作品の写真がある。作家たちのストーリーはどれも素晴らしい。私は、自己の「女性性」を最大限にしてこの本を堪能した。本には、収録作家のギャラリー・ショップ情報も載っているから、興味のある方はコンタクトしてみていただきたい。

 このブログでは、「多品種少量生産・食品の地産地消・資源循環・新技術」の四つを「安定成長時代の産業システム」として捉え、そのシステムを牽引するのは「フレキシブルで、判断が早く、地域に密着したスモールビジネス」であると指摘している。

 自然素材を用いた多彩な機織・布づくりは、「多品種少量生産・資源循環」の二つに関わっており、12人の女性作家たちが起こしたビジネスは、まさに「フレキシブルで、判断が早く、地域に密着したスモールビジネス」である。12人の皆さんの更なる活躍に期待したい。

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宝石のような言葉

2011年02月01日 [ 起業論 ]@sanmotegiをフォローする

 “夢の扉〜NEXT DOOR〜不可能を可能にした会社”菊野浩樹著(朝日新聞出版)を読んだ。元気ある日本のスモールビジネス9社を紹介した本で、(TVプロデューサーである)著者菊野氏が、自らのドキュメンタリー番組で取り上げた社会フロンティアたちの中から、特に印象に残った会社を再取材して纏めたものだ。

(引用開始)

人も、会社も、日本もまだまだ捨てたものじゃない!
人を救いたい、アイデアで役に立ちたい、失敗しても諦めない……
プロデューサーが自ら綴った、番組で触れられなかった感動のドラマ。
放送300回を超えた人気長寿番組、初の単行本化。

(引用終了)
<本の帯の紹介文より>

ということで、その9社とは、

(引用開始)

1 ふわふわのパンを缶詰で世界を救いたい|パン・アキモト
2 家を空気で浮かせて地震から守りたい|ツーバイ免震住宅
3 事故の起きない安全なナットを作りたい|ハードロック工業
4 あらゆる製品の小型化に役立ちたい|シコー
5 小型風力発電で新しいエコを広めたい|ゼファー
6 世界を駆け回りハイテク産業を守りたい|アドバンスト マテリアル ジャパン
7 日本の伝統を守るため新たな職人を育てたい|秋山木工
8 もっと農業に向き合う人々を増やしたい|マイファーム
9 体が不自由な人にも旅行を楽しんでもらいたい|旅のお手伝い楽楽

(引用終了)
<本の帯裏の紹介文より>

の各社である。どれも社会貢献への確固たる理念(Mission)と目的(Objective)とを持ったすばらしいスモールビジネスだ。

 紹介の最後に載せられた会社基本データによると、各社の従業員数は、非本社籍社員などを除くと8名−76名で、年商は多いところで340億円である。以前「組織の適正規模」の項で述べたように、従業員規模が大きくなると、意思疎通や情報伝達の面で効率が悪くなる。同じことを繰り返すだけの“少品種大量生産”企業はそれでも良いかもしれないが、多品種少量生産、食品の地産地消、資源循環、新技術を旨とするこれからの産業システムにおいては、意思疎通の十全さと情報伝達のスピードが命で、そのためには組織規模が小さい方が断然有利である。ネット時代だから、足りない機能はいくらでも他社との連携によって補完できる。

 この本を読むと、それぞれの社長さんたちがいかに顧客と社員とを大切にしているかがわかる。各社の来歴やオペレーションの詳細は本書を読んで貰うとして、以下、私が気に入った社長さんたちのコメントを幾つか紹介したい。

「親父に言われた言葉があります。私たちは、食品会社です。その食品の“食”という字は、“人”に“良”と書くんですね。そして“品”という字は、“口”が三つじゃないですか。だから、『多くの人の口に良いものを作るのが、食品会社だ』って、教わってきたんです」(「パン・アキモト」秋山義彦氏)

「人を見るときは、半分以上、良いところがあるかどうか。良いところと悪いところを両方、考えてみる。あいつは、だらしなくて無愛想だけど、真面目(まじめ)で、仕事熱心で、手先も器用だから、半分以上は良いところがあるというふうに人を見る。まあ、主観でしかないんですけどね。社員のみんなにも、半分以上良いところがあれば、“良い”と見るよと。そして、そういうやつなら、うちの会社のためになると。人間、100パーセント完璧な人なんていないですしね。もし、いたとしても、まあ、うちの会社には来ないでしょう(笑)」(「ツーバイ免震住宅」坂本祥一氏)

「“顧客満足”が第一だって、いつも言うんですけど。お客さんを満足させないと仕事というのは安定しないし、拡大していかないね。お客さんの満足より自分の満足が先に来たら、絶対ダメ。たとえば、仮に一個10円でできるものを50円で売ったら40円儲かるじゃないですか。自分は儲かるけど、お客さんは満足しませんね。それじゃ、うまくいかないわけですよ」(「ハードロック工業」若林克彦氏)

「どんな商品でも、同じ性能なら小さいほうがいい。機能さえあれば、姿はいらないんですよ。あとは、商品が小さければ材料も少ないから費用がかさまない。その分、知恵の勝負になる。日本は資源がないから、知恵で戦わないとダメだと思っています」(「シコー」白木学氏)

「社長になる人は、ビジョンを語れる人でないとダメ。ここで大事なのは『語れる』ことだよ。ビジョンを持つだけじゃダメ。ビジョンを持って、人に語る。人に伝えるんだよ。要するにビジネスの世界は、常に群れだからね。群れの中でコミュニケーションしないと。そのためには、口に出して語らないと」(「ゼファー」伊藤瞭介氏)

「何かにこだわるやつ、物事にこだわるやつね。そして、ちょっとしつこいやつ。そういう人は、知識も含め、専門的な考え方ができるようになる。そして同時に、広い視野を持っている人がいいね。あまり、偏見とか、差別意識とか、持っている人はダメだね」(「アドバンスト マテリアル ジャパン」中村繁夫氏)

「『機械を導入すると、10人の職人のクビが切れるよ。今は高くたって、長期的には、人件費の大きな節約になるよ』って言われたんです。でも絶対に、買わなかった。こんな機械を3000万出して買うならね、人間に3000万円投資したほうがいいよ。こんな機械で作ったもん、そのうち、だれも買わなくなるよ。そういう時代が来るよ、ってね」(「秋山木工」秋山利輝氏)

「日本の農業を変えるには、農家や農地や法制度をどうこうするまえに、まず消費者の意識を変えなければいけません。実際に農業をしてみて、自分で育てた作物を自分で食べる。その一連を我々は“自産自消”と言っているんですが、やはり、自分で育てた野菜はおいしいですよ。これが、『めっちゃ楽しい』です。同時に、その“自産自消”を通じて、農業がどれだけ大変か、知ってもらう。『安全で美味しい食品を食べたい』、そう言うだけなら簡単です。言うだけじゃなく、いろんなことがわかった上で、食品の安全や味を考えて欲しいですね」(「マイファーム」西辻一真氏)

「霊山護国神社ですか。確かに、あそこは車椅子では厳しい。でも、お客様がどうしても行きたいとおっしゃったら、なんとか行ける方法を考えますよ。『いけるところ』から『行きたい所』へ、ですからね」(「旅のお手伝い楽楽」佐野恵一氏)

いかがだろう、元気なリーダーたちの宝石のような言葉を味わってもらえただろうか。尚、先ほどの会社基本データには、各社のホームページアドレスも載っているから、アクセスして更なる情報を得ることも可能だ。

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騙されるな!

2010年11月23日 [ 起業論 ]@sanmotegiをフォローする

 ビジネスを経営していて(資金繰り以外で)一番困るのは、人に騙されることだ。商品の競争力不足や市場とのミス・マッチなどは、後でいくらでも修正が効くけれど、人に騙されるとなかなか取り返しがつかない。

 前回「母音言語と自他認識」の項で説明した“日本語的発想における「自他認識」の薄弱性”の問題点は、人に騙されやすいことだろう。

 「自他認識」の薄弱性は、話し手と聞き手が一体化しやすく「環境や場を守る力」は強いのだが、話し手が環境や場に縛られすぎると、事の本質が見えなくなることが多い。事の本質が見えないと、見せかけの「権威」や「うそ」に騙されやすくなる。

 海外にいくと「日本人はお人好しだ」とよく言われる。それは我々が生まれつきそうなのではなく、日本語そのものに「要因」が埋め込まれていると思われる。

 見せかけの「権威」や「うそ」に騙されないようにするにはどうしたら良いか。以前「自立と共生」の項で、

(引用開始)

精神的に自立していなければ、すぐに他人に騙されてしまい、経済的自立を保つことが出来ない。

(引用終了)

と書いたけれど、自分で物事の本質を見抜くためには、「精神的自立」がまず必要である。そのためには、自分と相手、さらに周りの状況を客観的に把握できなくてはならない。まさに発想における「自他認識」が必要なのである。

 このブログではこれまで、

A Resource Planning−英語的発想−主格中心
B Process Technology−日本語的発想−環境中心

という対比を見てきたが、客観的に状況を把握するためには、環境中心の日本語的発想よりも、自他認識に優れた「主格中心の英語的発想」が必要とされるのだ。

 ビジネスにおいて、見せかけの「権威」や「うそ」に騙されないようにするには、環境や場に過度に縛られることなく、全体を俯瞰して「合理的な判断」をしなければならない。そのためにも、自らの「理念(Mission)と目的(Objective)」に基づいて、信頼できる人的ネットワークを築いていっていただきたい。

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高度な経営

2010年08月24日 [ 起業論 ]@sanmotegiをフォローする

 前回「情報公開」の項で、

(引用開始)

 組織が競争に打ち勝つには、「情報公開」によって組織メンバーの能力を結集し、その上で、最適戦略を立案することが求められるのである。

(引用終了)

と書いたけれど、企業が競争に打ち勝つためには、「情報公開」ばかりではなく、日本語の「自分の属する組織を盲目的に守ろうとする力」の源泉を分析し、それをさらに、「自覚的」に利用することも考えなければならない。

 どういうことか説明しよう。「先輩と後輩の関係」「迷惑をかけない」「空気を読む」「派閥をつくる」「敬語の使用」「上座と下座」「お辞儀」「相手にあわせる」といった「自分の属する組織を盲目的に守ろうとする力」の表出形態には、そもそも何故それらが日本社会に出現したのかという歴史的理由(わけ)がある筈だ。今日の機能組織(ゲゼルシャフト)では、往々にしてそれらが「組織内の秩序を乱さないように努力する姿」となってしまい、変革の妨げになるわけだが、その表出形態の源泉を探り、その奥にあるエッセンスだけをいまの経営に生かすことができれば、今日の機能組織にとっても、「自分の属する組織を盲目的に守ろうとする力」そのものは、力強い見方になり得るということである。

 もともと、「先輩と後輩の関係」「迷惑をかけない」「空気を読む」「派閥をつくる」「敬語の使用」「上座と下座」「お辞儀」「相手にあわせる」といった「自分の属する組織を盲目的に守ろうとする力」の表出形態は、日本の近代化以前の、血縁・地縁組織(ゲマインシャフト)において整備された、きわめて「身体性」の強い、日本人特有の行動様式であった。個人という主格中心ではなく、家族や一族、身分、自然や神々などの「環境」を中心に据えた、人々の「身の処し方」であった。

 であるならば、「自分の属する組織を盲目的に守ろうとする力」の表出形態の奥にあるエッセンスは、環境を中心に据えた身の処し方、つまりは「身体性」そのものであると考えることができる。従って、その「身体性」を上手くいまの経営に生かすことができれば、今日の機能組織にとっても、「自分の属する組織を盲目的に守ろうとする力」そのものは、力強い見方になり得るということなのである。

 一昔前、日本的経営の鏡としてもてはやされた「家族的経営」を例にとって具体的に考えてみよう。

 「家族的経営」手法は、家族や一族、身分、自然や神々などの「環境」の代わりに、「会社」という「環境」を中心に据え、経営者と社員の「身の処し方」を謳ったものである。「会社」をいわば擬似的家族として位置付けるわけだ。昨今のグローバルな競争のなかで、「家族的経営」は、組織の効率的な運営を妨げる元凶として打ち捨てられた感があるけれど、使い方を間違えなければ、今日でも会社運営における力強い見方になる筈だ。

 なぜ「家族的経営」が一見時代遅れのように見えるのか。それは、会社の規模が肥大化し、経営者と社員一人ひとりの顔が見えなくなってしまったこと、経営者が自分の家族を後継者に据えるなど、「家族的経営」を意思決定プロセスに用いてしまったこと、などが主な理由であろう。「身体性」の強い「家族的経営」手法は、組織規模を適正に保ち、その上で、従業員のモチベーション管理などに限定して用いるべきなのである。

 組織経営には、戦略思考であるところのResource Planningと、工程の改善を図るProcess Technologyの両方が必要であることは、以前“現場のビジネス英語「Resource PlanningとProcess Technology」”の項で説明した。意思決定プロセスはResource Planningの重要エレメントであり、従業員のモチベーションはProcess Technologyのエレメントである。このProcess Technologyの実現手段として、日本では「家族的経営」「ボトムアップ」「サークル活動」「全員参加」「会社運動会」などが有効に働く筈である。

 以前“現場のビジネス英語「MarketingとSales」”の項で、今は亡き井上ひさし氏の著書を紹介しつつ、「自治の精神」(Resource Planning的エレメント)と「市民同士の連帯」(Process Technology的エレメント)について書いた文章も、ここに再録しておこう。

(引用開始)

 ところで、Resource PlanningとProcess Technologyの二つを活かす「包容力」は、企業経営だけに止まらず、あらゆる組織運営に必要なことだと思う。

 最近「ボローニャ紀行」井上ひさし著(文藝春秋)を読んだが、氏はその軽妙な語り口で、ボローニャ市民が豊かな地域文化を創りあげてきた背景には、ローマ時代から長く受け継がれてきた「自治の精神」があり、市民たちの思考の原点には自分という「主格」がしっかりと置かれていること、と同時に彼らはボローニャという自分たちの「環境」を大切にし、市民同士の連帯のなかからいろいろなビジネスや施設を立ち上げていることを指摘しておられる。都市の運営にも的確なResource Planningと、行き届いたProcess Technologyが必要なのだ。

(引用終了)

 「崖の上のPonyo」の項で紹介した株式会社「スタジオジブリ」は、数年前に社員のための保育園を設立した。ソフト販売会社の「アシスト」は、数年前から従業員の週末農業を助成している。これらは、「家族的経営」手法を従業員のモチベーション管理に導入した、優れた例と云えよう。

 尚、企業における「従業員のモチベーション管理」の重要性は、以前「リーダーの役割」の項で述べた、

(引用開始)

 社員が何に興味を持っているのか、何に向いているのかを良く見て、社内外で適材適所を図るのがリーダーの役割の第一である。

(引用終了)

という指摘とも重なる筈だ。

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posted by 茂木賛 at 09:21 | Permalink | Comment(0) | 起業論

マグネシウム循環社会

2010年05月25日 [ 起業論 ]@sanmotegiをフォローする

 “マグネシウム文明論”矢部孝/山路達也共著(PHP新書)を読む。まず本カバー裏の紹介文を引用しよう。

(引用開始)

石油の次のエネルギー資源は何か?太陽電池で日本のエネルギーを賄(まかな)おうとすると、国土の六割を覆う必要がある。水素社会なら地下が水素貯蔵タンクだらけ。リチウムイオン電池を載せた電気自動車が普及すると、リチウム資源が不足する。さらに、今の造水法で世界的な水不足に対応するには、世界の電力を五割増やさねばならない。この状況を突破する解こそ「マグネシウム循環社会」である。『タイム』誌で二〇〇九年Heroes of the Environmentに選ばれた、二酸化炭素二五%削減も実現する新技術を公開する。

(引用終了)

ということで、この本は、海水に含まれるマグネシウムを使った、エネルギー循環社会について書かれたものだ。本文は、テクニカルライターの山路達也氏が、矢部孝東京工業大学教授の研究・事業内容をわかりやすく紹介する形をとっている。詳しくは本書をお読みいただきたいが、以下、簡単にそのステップを説明しよう。

 まず初めのステップは、海水に含まれる塩化マグネシウムを、淡水化プラントにて、淡水と塩化マグネシウムに分化する。さらに塩化マグネシウムに熱を加えて酸化マグネシウムにする。淡水はそのまま農作物の生産などに使用される。

 次に、精錬所で、淡水化プラントから送られた酸化マグネシウムを金属マグネシウムにする。ここでは、太陽光からレーザー光線を作り、そのレーザー光線によってマグネシウムを製錬する。

 できた金属マグネシウムは、消費地に送られ、発電所の燃料や燃料電池として車などに使われる。この燃料電池は、マグネシウムと酸素の反応を利用するもの(空気電池)だ。使用されて(燃やされて)酸化したマグネシウムは、再びマグネシウム精錬所に送られ、レーザー光線によって金属マグネシウムに戻される。

 以上がマグネシウム循環のステップだが、エネルギー源として使われるのは、海水と太陽光、それと酸素である。海水中の総マグネシウム資源量は1880兆トン(石油10万年分)というから、太陽光や酸素と併せて、エネルギー源は無尽蔵と云えるだろう。各ステップで、有害物質が排出されることもないという。

 課題は勿論、各ステップにおける変換効率であろう。淡水化プラントやマグネシウム精錬所、発電所や空気電池製造工場などにおける設備投資と、そこから得られる各エネルギーの回収量が長期的に見合わなければ、いくらエネルギー源が無尽蔵にあるといっても、事業としては成り立たない。

 鍵を握るのは、各ステップで導入される新技術である。淡水化プラントにおける高速回転ローラーなどを使った淡水化技術、マグネシウム精錬所で必要となる太陽光励起レーザー、自動車などで使われるマグネシウム空気電池などなど。これらの新技術の完成度によって、各ステップにおけるエネルギー変換効率が決まってくる。

 これらの新技術のうち、実用化に漕ぎ着けたのは、最初のステップである淡水化技術であるという。本書から引用しよう。

(引用開始)

 太陽光の集熱機で80~90度に暖めた海水を、ローラーで細かい水滴にして蒸発させ、蒸留水をつくる。この方式は、高価な逆浸透膜も不要ですし、メンテナンスも容易です。
 さらに、水が蒸発する際の潜熱を回収して再利用するなど改良を重ね、「ペガサス浄水化システム」と名づけました。(中略)
 すでに装置自体は完成しており、10トン/日の淡水化能力を実現しています。逆浸透膜法の装置と比較した場合、価格当たりの生産水量は9倍です。逆浸透膜法は電気代がかさむのが難点ですが、ペガサス浄水化システムは太陽熱や排熱を利用するため、ランニングコストがほとんどかかりません。

(引用終了)
<同書185−186ページ>

いかがだろう。研究を推進する矢部教授は、各技術に自信を表明しておられるので、成果に期待したいと思う。尚、マグネシウム循環社会構想については、”The Magnesium Civilization”に、最新情報が紹介されているので、興味のある人は参照して欲しい。

 このブログでは、日本の安定成長時代を代表する産業システムとして、

1. 多品種少量生産
2. 食の地産地消
3. 資源循環
4. 新技術

の4つを挙げている。マグネシウム循環社会構想は、このうち「資源循環」と「新技術」に関わっているので、今後、有望なビジネスの一つとなるだろう。

 またブログでは、これらの産業システムを牽引するのは、フレキシブルで、判断が早く、地域に密着した「スモールビジネス」であると書いてきたけれど、この研究を推進するのは、東京工業大学発ベンチャー株式会社エレクトラ(代表取締役会長・矢部孝)であり、淡水化プラントを運営するのは、傘下の株式会社ペガソス・エレクトラ(社長・吉川元宏)であるという。この淡水化プラントは、さらに多くのスモールビジネスによって支えられている。

(引用開始)

 ペガサス浄水化システムの製造を請け負っているのは、大手メーカーの下請けをしている中小企業数十社です。2008年、中小企業が集まっている東京の瑞穂町(みずほまち)で、マグネシウム循環社会のビジョンについて講演をしました。そのビジョンに共感した中小企業の経営者と組んで、淡水化装置のビジネスを展開しています。

(引用終了)
<同書188ページ>

関係する皆さんのご活躍を応援したい。

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posted by 茂木賛 at 13:09 | Permalink | Comment(0) | 起業論

内需主導と環境技術

2009年11月09日 [ 起業論 ]@sanmotegiをフォローする

 このブログでは、これからの日本の安定成長時代を代表する産業システムとして、

1. 多品種少量生産
2. 食の地産地消
3. 資源循環
4. 新技術

の四つを挙げてきた。これらの産業システムは、今回「政権交代」により実現した民主党政権が掲げる、「内需主導と環境技術」政策と重なる部分が多い。鳩山首相の所信表明演説からその部分を引用しよう。

(引用開始)

 同時に、内需を中心とした安定的な成長を実現することが極めて重要となります。世界最高の低炭素型産業、「緑の産業」を成長の柱として育てあげ、国民生活のあらゆる場面における情報通信技術の利活用の促進や、先端分野における研究開発、人事育成の強化などにより、科学技術の力で世界をリードするとともに、今一度、規制のあり方を全面的に見直し、新たな需要サイクルを創出してまいります。

(引用終了)
<10/27/09 東京新聞より>

「内需を中心とした安定的な成長」を支える産業システムは、国民生活の多様なニーズに応えるという意味で「多品種少量生産」が基本型であり、需給双方を押し上げるという意味で「食料の地産地消」が重要となる。環境政策としての「緑の産業」を支えるシステムは、当然「資源循環型」でなければならず、水の浄化などを生み出す「新技術」がより重要となる。

「内需主導」
1. 多品種少量生産
2. 食の地産地消

「環境技術」
3. 資源循環
4. 新技術

ということで、これらの産業システムが、鳩山政権の政策と呼応しながら、さらに強化されていくことを期待したい。

 この「内需主導と環境技術」政策は、21世紀におけるエネルギーが、これまでの化石燃料一辺倒から太陽光熱などへ多様化していくことを背景としている。従って、

1. 多品種少量生産
2. 食の地産地消
3. 資源循環
4. 新技術

の四つは、21世紀型エネルギーそのものを担う重要な産業システムであるとも云えるだろう。

 最近、21世紀のエネルギーに関して、“流域思想”というものがあることを知った。“流域思想”とは、山岳と海洋とを繋ぐ河川を中心にその流域を一つの纏まりとして考える発想で、これからの食やエネルギーを考える上で重要なコンセプトの一つだと思われる。上の四つの産業システムは、この大地と海洋とを繋ぐ“流域思想”にこそ相応しいと思う。“流域思想”については、“本質を見抜く力”養老孟司・竹村公太郎共著(PHP新書)や“環境を知るとはどういうことか” 養老孟司・岸由二共著(PHPサイエンス・ワールド新書)などに詳しい。

 鳩山首相の所信表明演説には、これ以外にも、「人の笑顔がわが歓び」、「自立と共生」、「新しい公共」、「人間のための経済」、「中小企業重視」などなど、このブログでこれまで書いてきたことと重なる主張や政策が多い。それらについても折を見てコメントしていきたい。

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posted by 茂木賛 at 11:03 | Permalink | Comment(0) | 起業論

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