夜間飛行

茂木賛からスモールビジネスを目指す人への熱いメッセージ


歴史の表と裏

2016年02月16日 [ 起業論 ]@sanmotegiをフォローする

 前回「物事の表と裏 II」の項で、歴史について、

(引用開始)

正史と外史、すなわち時の権力勝者が綴った表史と、敗者が綴った裏史の両方を知ることは、歴史を学ぶ際の基本であるが、裏は確かさの見極めが難しい。いろいろな仮説が生まれる所以だ。玉石混交で面倒くさがりには敬遠されるが、暇を惜しまず吟味していくと、思わぬ繋がりが見えてくることもある。

(引用終了)

と書いたけれど、今回はその一例を示してみたい。

 先日、『下山事件 暗殺者たちの夏』柴田哲考著(祥伝社)という本を読んだ。これは占領時代の日本で起きた事件をフィクションの形で追いかけたものだ。内容は勿論「いろいろな仮説の一つ」だが、当時歴史の裏で暗躍した政財界の大物、日米諜報員、特務機関員、検察・警察などのことが詳しく描かれている。

 この本と、以前「国家理念の実現」の項で紹介した『日本はなぜ、「基地」と「原発」を止められないのか』矢部宏治著(集英社インターナショナル)にある日本の国家権力構造の変遷、

戦前(昭和初期):天皇+日本軍+内務官僚
戦後@(昭和後期):天皇米軍+財務・経済・外務・法務官僚+自民党
戦後A(平成期):米軍+外務・法務官僚

とを繋げて考えると、権力中枢と一般国民との間の層(中間層)がより鮮明に見えてきた。

 先日『百花深処』<平岡公威の冒険 5>において、その大枠を、

(引用開始)

 戦後日本の姿を今一度振り返ってみよう。戦争に破れると、国(state)は主に以下の人々よって形作られた。

〔1〕
@ 一人の占領軍司令長官(米国軍人)
A 一握りの理想家米国軍人
B 多くのゴロツキ米国軍人

〔2〕
@ 一人の敗戦国君主
A 一握りの生き残り官僚
B 多くの生き残り軍人
C 無数のその日暮らしの庶民たち

 多大な影響を齎したのは勿論〔1〕の人々だ。戦犯を裁き情報を検閲し、米軍が末永く支配するための体制を作り必要な資金を投入した。〔1〕Aの人々は特に憲法作成と文化保全に力を注ぎ、Bはそれ以外全てを担った。〔2〕は皆そのために利用された。

 数年後日本国はサンフランシスコ講和条約によって独立を回復したが、「米軍が末永く支配するための体制」は日米安全保障条約などによって継続。〔1〕の人々の多くは帰国し、体制は〔2〕によって担われることとなった。

 ここで〔2〕の取りうる選択肢は二つあった筈だ。一つは「米軍が末永く支配するための体制」から脱却し真の独立を勝ち取る道。もう一つは独立よりも資金的(狭い意味の経済的)繁栄のみを選ぶ道。

 国家統治を任された〔2〕@、A、およびBの一部の人々は後者を選んだ。その方が自分達のためになると考えたからだろう。その下で、Bの大半の男たちは復興のために挺身し、Cの人々はそれを支えた。冷戦の時代を経て、確かに日本は資金的に復興した。しかし独立国となる道は閉ざされたまま、文化的繁栄は細々としたものに留まった。平成の今、『日本はなぜ、「基地」と「原発」を止められないのか』にあるように、日本国は依然として米軍と官僚とに国家統治能力を奪われている。 

(引用終了)

と纏めた。他の関連本と照らし合わせても、この結論はいまのところかなり確かだと思っている。当然「いろいろな仮説の一つ」としてではあるが。

TwitterやFacebookもやっています。
こちらにもお気軽にコメントなどお寄せください。

posted by 茂木賛 at 14:51 | Permalink | Comment(0) | 起業論

物事の表と裏 II 

2016年02月10日 [ 起業論 ]@sanmotegiをフォローする

 前回「物事の表と裏」の項で、裏を見つけるのは分析派Aの得意技、奥に気付くのは直観派Bの方と書いたけれど、今回はその辺りをさらに敷衍してみたい。AとBというのは勿論、複眼主義の考え方の対比、

------------------------------------------
A Resource Planning−英語的発想−主格中心
a 脳(大脳新皮質)の働き−「公(Public)」−「都市」
A 男性性=「空間重視」「所有原理」

A、a系:デジタル回路思考主体
世界をモノ(凍結した時空)の集積体としてみる(線形科学)
------------------------------------------

------------------------------------------
B Process Technology−日本語的発想−環境中心
b 身体(大脳旧皮質及び脳幹)の働き−「私(Private)」−「自然」
B 女性性=「時間重視」「関係原理」

B、b系:アナログ回路思考主体
世界をコト(動きのある時空)の入れ子構造としてみる(非線形科学)
------------------------------------------

を指している。

 物事には表・奥・裏とあるわけだが、Aの考え方は物事をどちらかというと構造的に理解しようとする。学問で言えば理論科学、ビジネスでいえばメリット・デメリット、pros and cons分析など。一方のBは物事を機能的に体感しようとする。学問で言えば実験科学、ビジネスでいえばサントリーの「やってみなはれ」、英語で言えばjust do itなどがそれだ。Aは物事を静止させてその物(モノ)の構造を見る。Bは物事の動き(コト)に身を投じてそのダイナミズムを観る。これは「背景時空について」の話に繋がる論点でもある。どちらの役割も大切なのは言うまでもない。そういえば以前「ホームズとワトソン」の項で、あの有名な探偵小説にAとBの対比を当て嵌めたことがある。

 物事を「変化」という点から見ると、物(モノ)は静止しているわけだから、変化は、物と物との間で起る歪みやひび割れなどの構造的な変形、ということになる。一方、事(コト)の変化は、内側に秘められたエネルギーによる質の変化、卵の孵化、蛹から蝶へのメタモルフォーゼといった奥からの変化である。変形が変質を促し、変質が変形を齎すという相互作用もある。たとえば「エッジエフェクト」というのは、異なるモノが接する界面から新たなコトが生成する作用をいう。

 表と裏の話に戻ると、正史と外史と呼ばれる歴史についての表・裏もある。歴史書は誰かが書いたものだからAの範疇だ。正史と外史、すなわち時の権力勝者が綴った表史と、敗者が綴った裏史の両方を知ることは、歴史を学ぶ際の基本であるが、裏は確かさの見極めが難しい。いろいろな仮説が生まれる所以だ。玉石混交で面倒くさがりには敬遠されるが、暇を惜しまず吟味していくと、思わぬ繋がりが見えてくることもある。Bの力を借りるために、現地へ足を運んだり、内なる直感に耳を傾けることも必要である。

 文明の発展に寄与する二元論もA領域の話だ。仮想としての宗教や律法、理論科学などを背景時空として、善と悪、正統と異端、正と否(right and wrong)などと分けてゆく二元論は、西洋近代文明を作った弁証法の基でもある。その時、B側の考え方を忘れるとえらいことになる。A側の暴走、特に過激な一神教と結びついたそれは環境を破壊し、作られた武器は人類を滅亡させかねない。21世紀のモノコト・シフトは、A側のロジックに、どれだけB側のハートが寄り添えるかのチャレンジである、という見方も出来るだろう。

TwitterやFacebookもやっています。
こちらにもお気軽にコメントなどお寄せください。

posted by 茂木賛 at 11:54 | Permalink | Comment(0) | 起業論

物事の表と裏

2016年02月02日 [ 起業論 ]@sanmotegiをフォローする

 物事には表もあれば裏もある。「3の構造」でいえば表・奥・裏の3つだろうか。表と裏はたとえば、光と影、天と地、南側と北側などで、それ自体は価値中立的だ。しかし(奥もそうだが)裏は往々にして人の目から隠れている。都市のインフラでいえば下水やゴミ処理場など、裏は概ね人目に付かないところにある。そこで、物事の良し悪しを表と裏で表現することが起る。たとえば世間と裏世間、表の仕事と裏の仕事などなど。

 複眼主義の対比、

------------------------------------------
A Resource Planning−英語的発想−主格中心
a 脳(大脳新皮質)の働き−「公(Public)」−「都市」
A 男性性=「空間重視」「所有原理」

A、a系:デジタル回路思考主体
世界をモノ(凍結した時空)の集積体としてみる(線形科学)
------------------------------------------

------------------------------------------
B Process Technology−日本語的発想−環境中心
b 身体(大脳旧皮質及び脳幹)の働き−「私(Private)」−「自然」
B 女性性=「時間重視」「関係原理」

B、b系:アナログ回路思考主体
世界をコト(動きのある時空)の入れ子構造としてみる(非線形科学)
------------------------------------------

でいえば、A、Bそれぞれの行き過ぎが裏=悪しとなる。Aは過度の分析的・理知的な考え方、Bは過度の直感的・感情的な考え方が裏=悪しとなる。個体においてAとBは拮抗的だから、Aの行き過ぎはBの過小、Bの行き過ぎはAの過小となる。このバランスが上手く取れないと、人は「三つの宿啞」のどれかに陥りやすくなる。

(1)過剰な財欲と名声欲(greed)
(2)官僚主義(bureaucracy)
(3)認知の歪み(cognitive distortions)

このことはこれまでも縷々述べてきた。

 物事は、片側ばかり見ていたのでは全体は掴めない。表で活躍するためにも裏を知ることが重要だ。表と裏、良し悪し、両方を均等に見ること。それはビジネスの第一歩でもあるがこれがなかなか難しい。習慣や経験、好みなどが邪魔をして見方を偏らせる。光が当る表ばかりに目が行く。縁の下の力持ちに目が届かない。話の裏が読めない。裏で蠢く共謀が見抜けない。

 裏を見つけるのは分析派Aの得意技だ。直観派Bの方は裏よりも奥に気付く。日本語を母語とする人はもともとBが強い。世界の先進国を中心にAへの偏りが強かった20世紀、日本人の多くはその行き過ぎた物質主義や拝金主義に随分と感化されたけれど、国家の統治に関してはAを他人任せにしてきた。政治の裏が見えなかったからかもしれない。いや、見たくなかったのか。それが統治に関して<日本の戦後の父性不在>を生み出してきた。これからの世界はモノコト・シフトで全体にBに偏ってくるから、様々な分野で我々は先頭を走っていることになるが、政治に関しては逆にAを強化し、「アナロジー的思考法」の佐藤優氏を見習ってもっと見えない裏を知る必要がある。

TwitterやFacebookもやっています。
こちらにもお気軽にコメントなどお寄せください。

posted by 茂木賛 at 16:48 | Permalink | Comment(0) | 起業論

大きな物語

2016年01月26日 [ 起業論 ]@sanmotegiをフォローする

 前回「アナロジー的思考法」の項で、佐藤優氏の『世界史の極意』という本を紹介したが、その中に「大きな物語」という言葉が出てくる。その部分を引用したい。

(引用開始)

 「大きな物語」とは、社会全体で共有できるような価値や思想体系のこと。「長い十九世紀」の時代であれば、「人類は無限に進歩する」とか、「民主主義や科学技術の発展が人々を幸せにする」というお話が「大きな物語」です。
 ところが民主主義からナチズムが生まれ、科学技術が原爆をつくるようになると、人々は「大きな物語」を素直に信じることができなくなります。
 とくに、私の世代以降の日本の知識人は、「大きな物語」の批判ばかりを繰り返し、「大きな物語」をつくる作業を怠ってきてしまいました。
 歴史研究でも、細かい各論の実証は手堅くおこないますが、歴史をアナロジカルにとらえ、「大きな物語」を提出することにはきわめて禁欲的でした。
 その結果、何が起きたか。排外主義的な書籍やヘトスピーチの氾濫です。
 人間は本質的に物語を好みます。ですから、知識人が「大きな物語」をつくって提示しなければ、その間隙をグロテスクな物語が埋めてしまうのです。
 具体的にはこういうことです。知識人が「大きな物語」をつくらないと、人々の物語を読み取る能力は著しく低下する。だから、「在日外国人の特権によって、日本国民の生命と財産がおびやかされている」というような稚拙でグロテスクな物語であっても、多くの人々が簡単に信じ込んでしまうようになるわけです。

(引用終了)
<同書 22ページ(フリガナ省略)>

「大きな物語」とは、「社会全体で共有できる価値、思想体系」ということである。佐藤氏は、人々がこんなに簡単に稚拙でグロテスクな物語を「大きな物語」と勘違いして信じ込むとは思わなかったとし、次のように書く。

(引用開始)

 そこで自覚的に日本の「大きな物語」を再構築する必要を感じました。それを踏まえて、帝国主義的な傾向を強めていく国際社会のなかで、日本国家と日本民族が生き延びる知恵を見出していくことを意図していたわけです。
 しかし現在の私は、そういった作業の必要性を感じていません。というよりも、グロテスクな「大きな物語」の氾濫をせき止める物語を構築するほうが急務の課題だと認識しています。
 以上のような個人的な反省も踏まえて、本書では、アナロジーによって歴史を理解するという方法論を採ることにしました。これが実利的にも有益であることは、ここまで述べたとおりです。

(引用終了)
<同書 23−24ページ>

グロテスクな物語の氾濫をせき止めるため、そしてグロテスクな物語によって起りうる戦争を阻止するため、佐藤氏は「アナロジー的思考」という手法を使って、いまの世界の問題を解説しようとするわけだ。それはそれで宜しい。

 では、21世紀の「大きな物語」をどう作るか。前回、アナロジー的思考は複眼主義の対比、

------------------------------------------
A Resource Planning−英語的発想−主格中心
a 脳(大脳新皮質)の働き−「公(Public)」−「都市」
A 男性性=「空間重視」「所有原理」

A、a系:デジタル回路思考主体
世界をモノ(凍結した時空)の集積体としてみる(線形科学)
------------------------------------------

------------------------------------------
B Process Technology−日本語的発想−環境中心
b 身体(大脳旧皮質及び脳幹)の働き−「私(Private)」−「自然」
B 女性性=「時間重視」「関係原理」

B、b系:アナログ回路思考主体
世界をコト(動きのある時空)の入れ子構造としてみる(非線形科学)
------------------------------------------

でいうA側の考え方だと書いたが、私の考えでは、「大きな物語」は、A側の考え方だけでは作れない。「背景時空について」の項で述べたように、B側のキーワードは「連続」だ。「分析」と「連続」、両方揃わなければ新しいアイデアはなかなか創発しない。21世紀の「大きな物語」は、A側だけでなく、B側の考え方との対話のなかから生まれるはずだ。

 このブログでは、21世紀はモノコト・シフトの時代だと述べている。モノコト・シフトとは、「“モノからコトへ”のパラダイム・シフト」の略で、二十世紀の大量生産システムと人の過剰な財欲による「行き過ぎた資本主義」への反省として、また、科学の還元主義的思考による「モノ信仰」の行き詰まりに対する新しい枠組みとして生まれた、(動きの見えないモノよりも)動きのあるコトを大切にする生き方、考え方への関心の高まりを指す。それは、A側に偏った20世紀から、B側の復権によってA、B両者のバランスを回復しようとする21世紀の動きといえる。「揺り戻しの諸相」で書いたように、振り子はA側とB側の間を行ったり来たりしながら、A、B両者のバランスが回復したところでモノコト・シフトは終わるだろう。「大きな物語」はその先にある。これからA側に必要なのは、Bの考え方と対話しながら、柔軟な理論を組み立てることだと思う。やがてそれが「大きな物語」へとつながるに違いない。

TwitterやFacebookもやっています。
こちらにもお気軽にコメントなどお寄せください。

posted by 茂木賛 at 11:42 | Permalink | Comment(0) | 起業論

アナロジー的思考法

2016年01月19日 [ 起業論 ]@sanmotegiをフォローする

 先日「階層間のあつれき」の項で、『官僚階級論』佐藤優著(モナド新書)を紹介したが、『世界史の極意』(NHK出版新書)という本は、佐藤氏が「アナロジー的思考」という手法を使って、現在世界で起きている様々な問題を解説したものだ。アナロジー的思考とは、

(引用開始)

 本書では、<いま>を読み解くために必須の歴史的出来事を整理して解説します。世界史の通史を解説する本ではありません。世界史を通して、アナロジー的なものの見方を訓練する本です。
 いま、「アナロジー(類比)」と書きました。これは、似ている事物を結びつけて考えることです。アナロジー的思考はなぜ重要なのか。未知の出来事に遭遇したときでも、この思考法が身についていれば、「この状況は、過去に経験したあの状況とそっくりだ」と、対象を冷静に分析できるからです。

(引用終了)
<同書 10−11ページ(フリガナ省略)>

ということで、これは「背景時空について」の項でいうところのA側の考え方、「分ける」発想法、分けたものを固定・類比し整理する思考である。複眼主義の対比、

------------------------------------------
A Resource Planning−英語的発想−主格中心
a 脳(大脳新皮質)の働き−「公(Public)」−「都市」
A 男性性=「空間重視」「所有原理」

A、a系:デジタル回路思考主体
世界をモノ(凍結した時空)の集積体としてみる(線形科学)
------------------------------------------

------------------------------------------
B Process Technology−日本語的発想−環境中心
b 身体(大脳旧皮質及び脳幹)の働き−「私(Private)」−「自然」
B 女性性=「時間重視」「関係原理」

B、b系:アナログ回路思考主体
世界をコト(動きのある時空)の入れ子構造としてみる(非線形科学)
------------------------------------------

でいうA側の考え方である。

 なぜアナロジー的思考法なのか。氏は、今の世界は「戦争の時代」が再燃しようとしている状況だとし、

(引用開始)

 このような状況にあって、知識人の焦眉の課題は「戦争を阻止すること」です。そして、戦争を阻止するためには、アナロジカルに歴史を見る必要があります。
 なぜか。
 すでにお話したとおり、アナロジカルに歴史を見るとは、いま自分が置かれている状況を、別の時代に生じた別の状況との類比にもとづいて理解するということです。こうしたアナロジー的思考は、論理では読み解けない、非常に複雑な出来事を前にどう行動するかを考えることに役立つからです。(中略)
 第一章でくわしく見るように、現代は十九世紀末から二〇世紀初頭の帝国主義を繰り返そうとしている。帝国主義の時代には、西欧諸国が「力」をむきだしにして、勢力を拡大しました。現代もまた中国、そしてロシアが帝国主義的な傾向を強めている。これが、アナロジカルに歴史を見ることの一例です。 

(引用終了)
<同書 17−18ページ(フリガナ省略)>

と書く。本の目次を紹介しよう。

序 章 歴史は悲劇を繰り返すのか?
――世界史をアナロジカルに読み解く
第一章 多極化する世界を読み解く極意
――「新・帝国主義」を歴史的にとらえる
第二章 民族問題を読み解く極意
――「ナショナリズム」を歴史的にとらえる
第三章 宗教紛争を読み解く極意
――「イスラム国」「EU」を歴史的にとらえる

 今の世界を氏は「新・帝国主義」の時代と分析し、それを「資本主義と帝国主義」「民族とナショナリズム」「キリスト教とイスラム」という三つの背景時空からアナロジカルに読み解いてゆく。

(引用開始)

 資本主義、ナショナリズム、宗教――私の見立てでは、この三点の掛け算で「新・帝国主義の時代」は動いている。その実相をアナロジカルに把握することが本書の最終目標です。

(引用終了)
<同書 28ページ>

 私も、「熱狂の時代」の項で述べたように、モノコト・シフトの時代、人々の考え方がB側に偏りすぎると、熱狂による戦争が起りかねないと考える。我々はA側の考え方をもっと学ぶべきだし、そのためにこの本の知見が役立つと思う。

TwitterやFacebookもやっています。
こちらにもお気軽にコメントなどお寄せください。

posted by 茂木賛 at 13:14 | Permalink | Comment(0) | 起業論

階層間のあつれき

2015年12月29日 [ 起業論 ]@sanmotegiをフォローする

 前回「揺り戻しの諸相」の項で、モノコト・シフトを巡る様々な力関係における守旧派と新興勢力間の「せめぎあい」に関して、

(引用開始)

 20世紀を担ったのは(当然ながら)21世紀の老年層であり、主導したのは欧米諸国の富裕層による覇権主義である。従って、「様々な力関係」のうち、世代間では「老年層の守旧と若年層の新興」、男女間では「男性性の守旧と女性性の新興」、階層間では「富裕層の守旧と貧困層の新興」、といった大まかな対立軸を描くことができる。宗教間や地域間、国家間における対立や分裂は、「覇権主義=守旧、多極主義=新興」といった軸で見るのがいいだろう。

(引用終了)

と書いたけれど、今回はそのうちの「階層間のあつれき」に焦点を当ててみたい。

 富裕層には、人類の三つの宿啞、

(1)社会の自由を抑圧する人の過剰な財欲と名声欲
(2)それが作り出すシステムとその自己増幅を担う官僚主義
(3)官僚主義を助長する我々の認知の歪みの放置

のうち、(1)の過剰な財欲と名声欲(greed)を持つ人が少なくない。彼らは(2)の官僚主義(bureaucracy)を利用して、中間層や貧困層を(3)の認知の歪み(cognitive distortions)に陥れながら自らの財を増やしてきた。だから彼らの守旧運動は概ねこのスキーム上で繰り広げられる。

 彼らが富を成す有力手段の一つは「経済の三層構造」でいう「マネー経済」b:「利潤を生み出す会計システム」上の株式や債券投資だ。それらの富は財といっても、信用創造と金利だけが頼りのペーパーマネーだから、モノコト・シフトによって「“モノ”余りの時代」が到来すると、それと同期して収縮せざるを得ない。守旧運動はその実態を隠しながら行なわれる。しかし所詮は悪足掻きに過ぎない。『再発する世界連鎖暴落』副島隆彦著(祥伝社)には、greedを持つ人々のそういう悪足掻きが、数字を伴って暴かれている。2015年11月発行の本だ。参考になると思う。恐ろしいのは彼らが戦争をも利用しようとすることである。大きな戦争となるともはや地球環境が持たないかもしれない。

 参考までに経済の三層構造とは、

「コト経済」

a: 生命の営みそのもの
b: それ以外、人と外部との相互作用全般

「モノ経済」

a: 生活必需品
b: それ以外、商品の交通全般

「マネー経済」

a: 社会にモノを循環させる潤滑剤
b: 利潤を生み出す会計システム

であり、モノコト・シフトの時代には、特にa領域(生命の営み、生活必需品、モノの循環)への求心力と、「コト経済」(a、b両領域)に対する親近感が増す。尚、ここでいう「経済」とは、「自然の諸々の循環を含めて、人間を養う社会の根本理法・理念」を指す。

 官僚主義(bureaucracy)を体現する人々を、一つの「階級」として扱おうというのが『官僚階級論』佐藤優著(モナド新書)だ。2015年10月発行の本。官僚は(1)のgreedに取り入るだけでなく、集合的無意識によって自らを守るとする、ユニークな視点の本だ。官僚は「nationとstate」の項で述べた「state」の今を裏から牛耳る。greedの後ろで蠢く官僚を、「階級」として扱うことで表に引き摺り出そういう意図があるらしい。副題に「霞ヶ関(リヴァイアサン)といかに闘うか」とある。本の帯にある紹介文には、

(引用開始)

官僚はこう信じている。「有象無象(うぞうむぞう)の国民を支配するのは自分たち偏差値エリートだ」と。

(引用終了)

とある。これも読むと面白い。

 階層間の「富裕層の守旧と貧困層の新興」。これからの時代、地球環境を守りつつ貧困層を新興させるには、富裕層が溜め込んだ、あるいは官僚が隠し持つ「マネー経済」b:「利潤を生み出す会計システム」上のペーパーマネーを、「マネー経済」a:「社会のモノを循環させる潤滑油」の方に活用して、必要な産業基盤(インフラ)への投資を行なうことだと思う。

 日本でいえば観光インフラ投資、とくに日本海側への投資、海外でいえばユーラシア大陸への投資(「観光業について」「観光業について II」「日本海側の魅力」各項参照のこと)。福祉への投資も大切だ。副島氏は『再発する世界連鎖暴落』の中で、ユーラシア大陸のど真ん中に沢山都市をつくり、中国だけでなくユーラシア全体の職のない若者たちのために、新しい雇用を生み出すべきだという。そして日本の汚水処理技術と海水から真水をつくる技術を惜しみなく導入する。

(引用開始)

 もう日本人は東シナ海ばかりを見ている時代ではない。これからの世界は、ユーラシア大陸が世界の中心となる“陸の時代”なのだ。水さえ十分つくれれば、人類は生きてゆける。巨大な有効需要もつくることができる。そうすれば、大きな戦争=第3次世界大戦をしないですむのである。

(引用終了)
<同書 239ページ(フリガナ省略)>

 尚、副島氏と佐藤氏には『崩れゆく世界 生き延びる知恵』(日本文芸社)という共著もある。2015年6月発行。副題には「国家と権力のウソに騙されない21世紀の読み解き方」とある。併せて読むとよいと思う。

TwitterやFacebookもやっています。
こちらにもお気軽にコメントなどお寄せください。

posted by 茂木賛 at 12:33 | Permalink | Comment(0) | 起業論

揺り戻しの諸相

2015年12月22日 [ 起業論 ]@sanmotegiをフォローする

 前回「時代の地殻変動」の項で、『物欲なき世界』という本を紹介し、モノコト・シフト時代の地殻変動の様子を見たが、当然のことながら、変化には「揺り戻し」が付き物だ。同書からそのことを指適する部分を引用しよう。

(引用開始)

 現在進行中の、そしてさらに顕在化されるであろう「物欲なき世界」は、貧しいわけでも愚かなわけでもない。むしろ今まで以上に本質的な豊かさを感じられる世界になるはずだ。ただ、「何をもって幸せとするか」を巡る価値観の対立は今まで以上に激しくなるだろう。これまでの見える価値=経済的価値を信奉する守旧派と、見えない価値=非経済的価値を提唱する新興勢力とのせめぎあいはあらゆる局面で顕在化してくるに違いない。

(引用終了)
<同書 247ページ>

 守旧派と新興勢力との「せめぎあい」は、社会の様々な力関係における対立、あるいは分裂として立ち現れてくる筈だ。「様々な力関係」とは、世代間、男女間、階層間、宗教間、地域間、国家間などのそれを指す。

 モノコト・シフトは、複眼主義の、

------------------------------------------
A Resource Planning−英語的発想−主格中心
a 脳(大脳新皮質)の働き−「公(Public)」−「都市」
A 男性性=「空間重視」「所有原理」

A、a系:デジタル回路思考主体
世界をモノ(凍結した時空)の集積体としてみる(線形科学)
------------------------------------------

------------------------------------------
B Process Technology−日本語的発想−環境中心
b 身体(大脳旧皮質及び脳幹)の働き−「私(Private)」−「自然」
B 女性性=「時間重視」「関係原理」

B、b系:アナログ回路思考主体
世界をコト(動きのある時空)の入れ子構造としてみる(非線形科学)
------------------------------------------

という対比において、A側に偏った20世紀から、B側の復権によってA、B両者のバランスを回復しようとする21世紀の動きだから、揺り戻しの諸相は、その逆の(A側の守旧)運動として捉えることができるだろう。

 20世紀を担ったのは(当然ながら)21世紀の老年層であり、主導したのは欧米諸国の富裕層による覇権主義である。従って、「様々な力関係」のうち、世代間では「老年層の守旧と若年層の新興」、男女間では「男性性の守旧と女性性の新興」、階層間では「富裕層の守旧と貧困層の新興」、といった大まかな対立軸を描くことができる。宗教間や地域間、国家間における対立や分裂は、「覇権主義=守旧、多極主義=新興」といった軸で見るのがいいだろう。

 ただし、これらはあくまでも大枠であって、それぞれの内部では別の動きもある。振り子はA側とB側の間を行ったり来たりしながら、A、B両者のバランスが回復したところでモノコト・シフトは終わるだろう。その先の新しい時代の実相を今から見通すことは難しいが、“コト”(“固有の時空”)の相互作用を十分踏まえたものとなることだけは間違いないと思う。

 揺り戻しは、「熱狂の時代」の項でみたように、人類の三つの宿啞、

(1)社会の自由を抑圧する人の過剰な財欲と名声欲
(2)それが作り出すシステムとその自己増幅を担う官僚主義
(3)官僚主義を助長する我々の認知の歪みの放置

によって動機付けられるだろう。人は本来「理性を持ち、感情を抑え、他人を敬い、優しさを持った責任感のある、決断力に富んだ、思考能力を持つ哺乳類」だと私は考えている。だから性悪説は採らないが、この三つの宿啞を上手くコントロールしないと、人類はその先の新しい時代どころかモノコト・シフトすら達成せずに滅ぶかもしれない。地球環境が持たないからだ。改めて「三つの宿啞」の項をお読みいただきたい。

TwitterやFacebookもやっています。
こちらにもお気軽にコメントなどお寄せください。

posted by 茂木賛 at 11:19 | Permalink | Comment(0) | 起業論

時代の地殻変動

2015年12月15日 [ 起業論 ]@sanmotegiをフォローする

 前回「“コト”のシェアと“サービス”」の項で、

(引用終了)

 シェア・サービス(の提供と享受)を通して、自分自身がどう変るか、それがモノコト・シフト時代の本質ではないだろうか。(中略)
 “コト”は双方向、相互作用なのだ。商品を通して“コト”をシェアする、そしてその先に「変った自分」を発見する。それがこれからの起業家に求められる資質であり、ビジネスのあり方だと思う。

(引用終了)

と書いたけれど、『物欲なき世界』菅付雅信著(平凡社)は、世界各地の先駆者たちへのインタビューを通して、こういった時代の実相に迫ろうとする労作だ。本の構成は次のようになっている。

-----------------------------------------------
<まえがき> 欲しいものがない世界の時代精神を探して

<1> 「生き方」が最後の商品となった
<2> ふたつの超大国の物欲の行方
<3> モノとの新しい関係
<4> 共有を前提とした社会の到来
<5> 幸福はお金で買えるか
<6> 資本主義の先にある幸福へ

<あとがき> 経済の問題が終わった後に
-----------------------------------------------

新聞に載った著者の言葉を引用しよう。

(引用開始)

 「今、何が欲しい?」と聞かれて、「特別欲しいモノはないかも」と感じるようになったことから、この本の構想は始まった。そのころ私は、ツイッターやフェイスブックなどのソーシャルメディアの普及によって、人々の行動や人格がかなり可視化できる状況になっていることについて新書でまとめていた。書き終わるころ、もう見栄を張る必要がない社会になった、つまり見栄のための消費が意味をなさなくなるので、物欲が減るのではと思うようになった。
 実際にさまざまな消費者調査を見てみると、そのような結果がいくつも出て来る。また自分も含め、人々のモノに対する執着がかなり落ちている感覚もある。では、欲しいモノがない世界というのは、どういう状況か。そこでは何を持てば幸せと呼ばれるのだろうか。そういう漠とした疑問から、本書の取材をスタートした。
 衣服だけではなく雑貨や食を取り入れた「ライフスタイル・ショップ」と呼ばれる新しいお店が人気を集め、生活提案型の雑誌「ライフスタイル・マガジン」が台頭するなど「生き方」が商品となった消費の終着点的状況。買うよりも「共有=シェア」し、自分たちによるモノ作りを優先する潮流。ほとんどが電子情報となった「お金」の新しい定義。そしてモノを買い続け、お金を使い続けることを強いる資本主義の制度疲労。さまざまな異なる楽器が奏でるノイズが、まとまるとひとつの大きなハーモニーとなって聞こえてきた。
 また日本だけでなく、中国の上海、アメリカのポートランドで生まれている新しい消費意識を取材し、さらに内外の膨大な資料をあさって、モノと幸せと資本主義の行方を探る旅を続けた二年間の結果がこの本となった。
 「自分が本当に欲しいモノは何か?」。その答えはまだ定かではないが、この旅には確かな手応えがあった。それは物欲の行き先には、多くの賢人たちの知恵と数多くの希望があることだ。

(引用終了)
<東京新聞 11/16/2015(フリガナ省略)>

 この本は、モノコト・シフト時代の地殻変動の様子を上手く捉えている。一読してみていただきたい。たとえば<5>章の最後に次のような指摘がある。

(引用開始)

 人はなぜ働くのか。それはお金のため。ではお金を稼ぐのは何のためにあるのか。それは幸せになるため。人々はそう信じ込んできた。それは資本主義のセントラルドグマ(基本原理)だったのだ。でも、それはひょっとすると、人類の長い歴史の中では、二〇世紀後半の数十年間の特殊なドグマだったのではないか。元来、働くことはお金のためだけではないし、お金を稼ぐことが幸福につながることとも限らない。むしろお金を稼ぐことを人生の第一義にしていくと、さまざまなストレスや支障を生むことがある。もちろんお金は強力な交換装置であり、信用の尺度でもあり続けるだろうが、お金で買えないモノや信用もたくさんあることがわかってきた。いや、もともとお金で買えないものの方がたくさんあったし、これからもそうなのだ。
 では、たくさん働き、たくさんお金を稼ぎ、たくさんモノを買って、より幸せになるという資本主義のセントラルドグマが信じられなくなったとしたら?幸せになるための方法としての消費であり、その交換装置としてのお金が一番大事だと思わされてきた社会から、消費ともお金ともあまり結びつかない幸福のカタチがますます露見するようになった社会に移行しつつある中で、資本主義そのものが機能不全となりつつある様子が浮かび上がってきた。社会を動かす原動力として、資本主義はもはや人々に幸福をもたらすエンジンにならなくなっているのではないだろうか(かつてもそうであったかといえば疑問だが、今よりも祖の幻想は抗力があったはずだ)。二一世紀には、新しいカタチの幸福を実現するための新しいエンジン、新しい動燃機関が必要なのではないか。

(引用終了)
<同書 206−207ページ>

 この本に描かれた生活面の変化に加え、「皮膚とシステム」の項でみた新しい非要素還元主義科学の世界観を併せると、21世紀の方向がよく見えてくると思う。

TwitterやFacebookもやっています。
こちらにもお気軽にコメントなどお寄せください。

posted by 茂木賛 at 13:10 | Permalink | Comment(0) | 起業論

“コト”のシェアと“サービス”

2015年12月08日 [ 起業論 ]@sanmotegiをフォローする

 前回「所有について」の項で、

(引用開始)


 “モノ”は所有できるが、“コト”は所有できない。だから“コト”を大切に考える人は、「所有」や「私有」に固執しない筈だ。“モノ”を供給するだけのビジネスは縮小してゆくだろう。“モノ”を売るのではなく、商品を通して“コト”をシェアする。そんな商売がこれからは伸びるだろう。ただし、“コト”のシェアは“サービス”とは違う。サービスは一方向だが“コト”は双方向、相互作用だ。

(引用終了)

と書いたけれど、今回は、この“コト”のシェアと“サービス”の違いについてさらに考えてみたい。

 シェアリング・エコノミー(共有経済)という言葉がある。「共有の社会関係によって統御される経済」といったほどの意味だが、「モノコト・シフトの研究」の項でも触れたように、最近この比率が高まっているという。

 このブログで使う「経済」という言葉は、単にマネーのやり取りだけでなく「自然の諸々の循環を含め、人間を養う、社会の根本理法・摂理」を意味するから、共有も私有も包摂するが、普通使われる経済=マネー経済という意味範囲では、私有制を強く必要としない活動領域をそれ以外と区別するために、共有経済という言葉が使われるのだろう。

 『シェアリング・エコノミー』宮崎康二著(日本経済新聞社)には、最近増えてきたP2P宿泊、ライドシェア、カーシェアなどの「シェア・サービス」の実態と仕組みが手際よく纏められている。しかし、それらはあくまでも業者から顧客への一方向のサービスであり、メリットはマネー経済において生産効率や資産効率が上がることだという。これまでの“モノ”の販売よりは“コト”に近づいているが、それだけでは“コト”のシェアとはいい難い。“コト”はあくまでも双方向、相互作用なのだから。

 確かに、IT技術の進化と共に発達したこれらのシェア・サービスは、これまでの“モノ”の販売よりは“コト”に近づいている。しかしモノコト・シフト時代の本質は、その先にあるはずだ。このレベルでしかシェア・サービスが語られないのであれば、次に出てくるのは政府による「規制緩和」の話になってしまう。東京オリンピックに向けてどの法律をどう変えて「民泊」を進めるかなどなど。どこまで許可するか、しないか、それが官僚の手の上で弄ばれるだけだ。あるいは、どのサービスをどこが買収するか。所謂“サービス事業”は所有の対象としてしか扱われない。

 シェア・サービス(の提供と享受)を通して、自分自身がどう変るか、それがモノコト・シフト時代の本質ではないだろうか。

 なぜシェア・サービスを使うのか。使いやすい(手軽)、安い、早い、だけではなく、普通のサービスと違う(新規性)、楽しい、考え方が変った、自分でも何か始めてみよう、というところまでいってはじめて“コト”らしくなる。

 サービスを提供する側からいえば、簡単に始められる、意外に儲かる、だけでは詰まらない。顧客の声を聴いてやり方を変える、一律ではなくパーソナルな対応もする、別のことと関連付けてみる、といったところまでいって“コト”らしくなる。物販との違いがでてくる。

 “コト”は双方向、相互作用なのだ。商品を通して“コト”をシェアする、そしてその先に「変った自分」を発見する。それがこれからの起業家に求められる資質であり、ビジネスのあり方だと思う。

TwitterやFacebookもやっています。
こちらにもお気軽にコメントなどお寄せください。

posted by 茂木賛 at 09:36 | Permalink | Comment(0) | 起業論

ヴァージンの流儀

2015年11月18日 [ 起業論 ]@sanmotegiをフォローする

 「自分と外界との<あいだ>を設計せよ」の項で、自分という渦(vortex)とそれを取り巻く外界との間をうまく設計することが人生には重要だとし、

(引用開始)

 この設計図は起業家にも欠かせない。モノコト・シフト時代の産業システムは大量生産・輸送・消費から、多品種少量生産、食品の地産地消、資源循環、新技術といったものに変わっていく。朝昼晩、どのように自分と外界(この場合は身近な顧客、従業員、家族など)との間合いを取るか、それが遠隔操作で外界との話を済ませてきたこれまでと違って重要な課題となるだろう。

(引用終了)

と書いたけれど、そのことをよく心得た起業家の一人が、ヴァージン・グループ創業者のリチャード・ブランソン氏だと思う。最近出版された『ヴァージン・ウェイ』リチャード・ブランソン著(日経BP)は、彼が、過去から今に至るまでの自らの「外界との設計」を縦横に語った本である。副題に「R・ブランソンのリーダーシップを磨く教室」とある。まず本書の帯(表)から紹介文を引用しよう。

(引用開始)

航空業から宇宙旅行まで世界で事業展開するヴァージン・グループの総師、R・ブランソンが明かすリスクをチャンスに変えるリーダーシップの極意。

<ヴァージン流リーダーの心得>

○ どんな意見にも黙って耳を「傾ける」。
○ 互いから、市場から、失敗から「学ぶ」。
○ メンバー全員で大いに「笑う」。
○ 周到に準備し、リスクを「楽しむ」。

(引用終了)

 ヴァージン・グループは、従業員5万人、売上高2兆円、世界50カ国以上で事業を展開する企業だが、そのビジネスは航空、鉄道、金融、携帯電話、飲料、通信、放送、出版、宇宙旅行などのユニットに分かれている。本帯(裏)の彼のメッセージも引用しておこう。

(引用開始)

私は本書で、自分のこれまでの生き方を包み隠さず紹介したい。しっかりと聴き、生き、笑い、リーダーシップをとるということについて、私自身の(おそらくはあまりトラディショナルとは言えない)考え方を紹介したい。私はちょっとクレイジーなこと、寿命を縮めかねないことにもいろいろ挑戦してきた。(略)過去の多くの冒険は「家でまねしないでください」というたぐいのものであることは確かだ。しかし、とりわけ起業を志す人にとって不可欠なのは、自らの直感を信じ、たとえ崖っぷちに立たされそうな気がするときでも信念を曲げない、独立独歩の心意気だと私は思う。(本書「はじめに」より)

(引用終了)

 この本の中でリチャードは、「聴く(listen)」「学ぶ(learn)」「笑う(laugh)」「率いる(lead)」という四つのキーワードの下、これまでのビジネスにおける様々なチャレンジを語っていく。その中から、自分と外界との設計に関する文章を幾つか拾ってみたい。

(引用開始)

 好むと好まざるとにかかわらず、顧客、従業員、友人など、相手が誰であれ、その人の見たものが現実である。昔から言うように、「アヒルのように歩くなら、それはたいていアヒルである」。個人であれ企業であれ、他人の目を通して自分の行動を見られるようになるには練習がいる。(55ページ)

 私の経験では、人の「地位を知る」ことを重視しすぎる企業文化は、人間関係の妨げになる問題を引き起こし、恨みつらみの原因となり、その結果、進歩やイノベーションを阻みかねない。(121ページ)

 ヴァージン・マネーには「EBO」と呼ばれる社是のようなものがある。「Everybody Better Off(みんなが豊に)」の略だ。同社の業務はまぎれもなくこの社是を体現するものだった。(186ページ)

 採用候補者の過去の実績を見るのは重要だけれども、一番考慮すべき重要なことは「性格が合う」かどうかと私は思う。つまり、その人の生き方、ユーモアのセンス、立ち居振る舞いがあなたの会社のカルチャーにぴったりとはまりやすいかどうか。(203ページ)

 この40年余りのヴァージンの成功の秘訣は何かというなら、答えは簡単である。「私の先見性に富む優れたリーダーシップ」――もちろん冗談だ。本当の答えは、われわれが20世紀に築いてきた「ヒト優先の文化」にすべて行き着くだろう。(222−223ページ)

 人生で本当に価値があるものは、たいていある程度のリスクをともなう。ヴァージンはいつも安全策や及び腰とは無縁で、一見不可能に思えることに喜んでチャレンジしてきた。(248ページ)

 いまから40年以上前に、のちのヴァージンにつながる仕事を始めたとき、私は人々の人生をもっと良くしたいと思っていた。虫のいいたわごとに聞こえるかもしれないのは重々承知である。でも本当にそうだった。
 当時はこう考えていた(いまもそう考えている)。ビジネスは(どんなビジネスも)世のため人のためになる大きな可能性を秘めている、と。新しいやり方を模索し、成長、(企業の存在理由としての)利益とともに、従業員と地球環境を最優先すれば、その可能性を花開かせることができる。そして驚いたことに、一般の認識とは逆で、これらはN極とS極のように反発しあう関係ではなく、むしろ互いを補強しあう。ビジネスは必ずしも、誰かが勝てば誰かが負けるというゼロサムゲームではない。正しくやりさえすれば、企業、地域社会、そしてこの美しい地球、すべてが勝者になれる。(270ページ)

 「部分の総和は全体より大きい」。単なる共同作業ではなく、本当の意味のコラボレーションから生まれる効果がいかに大きいかは、この言葉に要約されている。(318ページ)

 われわれはみんな生涯を通じて、大きなものから小さなものまで、たくさんの意思決定をする。優れた決断だとほめられることもあれば、誤った決定だと非難されることもある。だが、会社が関係する大きな事故など、いざというときは、信頼できる最新の情報をできるかぎり集め、怖れずに立ち向かう――それがリーダーの仕事である。どんな状況でも、「決めない」という選択肢はありえない。そして、ミッキー・アリソンもいまは賛同してくれると思うけれど、人生の90%は顔を見せることである(訳注*ウッディ・アレンが「人生の80%は顔を見せることである」と言ったのが知られている)。(341−342ページ)

(引用終了)

いかがだろう、彼の設計図が少し見えてきただろうか。

 詳細は本書をお読みいただきたいが、リチャードは航空、鉄道、金融、携帯電話、飲料、通信、放送、出版、宇宙旅行といったそれぞれのビジネス・ユニットを、「スモールビジネス」の要諦で運営している。それが彼のやり方の新しいところだ。彼は自分の渦に周りを巻き込んでいくのが上手い。そして脳(大脳新皮質)と身体(大脳旧皮質+脳幹)をバランスよく働かせている。ヴァージン・グループの総師であると同時に、気球に乗ったりウィンド・サーフィンに熱をあげたり、一方で様々な社会貢献にも力を注ぐ。「スモールワールド・ネットワーク」「ハブ(Hub)の役割」「モチベーションの分布」「リーダーの役割」といったことをよく弁えているのだと思う。

 本書の著者プロフィールによると、彼は1950年にイギリスで生まれ、16歳で高校中退、雑誌『ストューデント』を創刊、70年にレコードの通信販売事業を始め、73年に「ヴァージン・レコード」を立ち上げた。84年、ヴァージン・アトランティック航空を創業し、その後ヴァージン・ブランドで様々な分野に進出している。最後に本書の「おわりに」から、彼が選んだヴァージン流儀「トップ10」を掲載しておく。

1. 夢を追いかけて一歩踏み出す
2. プラスの変化を生み、人のためになることをする
3. 己のアイデアを信じ、ナンバー1をめざす
4. 楽しんで働き、チームに目配りする
5. あきらめない
6. 耳を傾け、ノートをとり、常に新たな目標を立てる
7. 権限委譲し、家族との時間を増やす
8. PCやスマートフォンの電源を切り、外へ出る
9. もっとコミュニケーションをとり、協力しあう
10.好きなことをやり、キッチンにカウチを置く。

 ところでヴァージンといえば、今年2月のヴァージン航空:成田―ロンドン線の廃止が惜しまれる。いつか復活して欲しいものだ。

TwitterやFacebookもやっています。
こちらにもお気軽にコメントなどお寄せください。

posted by 茂木賛 at 12:35 | Permalink | Comment(0) | 起業論

里海とはなにか

2015年10月06日 [ 起業論 ]@sanmotegiをフォローする

 「里海」という耳新しい言葉がある。『里海資本主義』井上恭介/NHK「里海」取材班共著(角川新書)という本のタイトルになっている。新聞紹介文を引用しよう。

(引用開始)

 海の健康を保持し、より豊かにするメカニズムが<里海の思想>だ。それは水質悪化で悲鳴をあげていた瀬戸内海の再生のために、猟師や過疎の島の住人たちによる取り組みから始まった。自然と対話し、適切に手を加え、本来の命のサイクルを取り戻すにはどうすればよいのか。市民に身近な里山・里海の拓(ひら)く未来を展望し、生命の無限の可能性を考える。

(引用終了)
<東京新聞 9/13/2015>

ということで、どうやら「里山」と対になるコンセプトのようだ。「里山システムと国づくり II」などの項で紹介した『里山資本主義』(角川oneテーマ21)の共著者、藻谷浩介氏が本書の解説文を書いている。以下、藻谷氏の解説を引用しながら、「里海の思想」に迫ってみたい。まず里海と里山とはどこが違うのか。

(引用開始)

 そもそも「里海」とは何か。「人間の暮らしの営みの中で多年の間、多用に利用されていながら、逆にそのことによって自然の循環・再生が保たれ、しかも生物多様性が増しているような海」のことであろうと、筆者はこの本を読んで理解した。(中略)
 そのような「里海」と、「里山」は似たようなものなのか、あるいは何か決定的に違うのか。「里山」も、「人間の暮らしの営みの中で多年の間、多用に利用されていながら、逆にそのことによって自然の循環・再生が保たれ、しかも生物多様性が増しているような樹林地・農用地」であると理解できるが、違うのは、「里山」は無数に存在可能な「入り口」であり、「里海」は一つしかない「ゴール」であるということだ。

(引用開始)
<同書211−212ページ>

里山は入り口であり、里海はゴール。このブログでは「流域思想」(山岳と海洋とを繋ぐ河川を中心にその流域を一つの纏まりとして考える発想)を提唱しているが、「里海の思想」はこの流域思想(もしくは流域思考)と親和性のある考え方のようだ。読んでいて納得することが多かった。

 このブログではまた、

A Resource Planning−英語的発想−主格中心
B Process Technology−日本語的発想−環境中心

という対比を掲げ、日本語的発想は自然環境破壊に対して強いはずだと述べてきた(「自然の捉え方」やカテゴリ「言葉について」の各項参照)。環境破壊が進む21世紀の世界を救うのは、日本語的発想というわけだ。この里海の思想も日本語的発想が基になっているという。藻谷氏の解説引用を続けよう。


(引用開始)

 この解説の序盤に書いたとおり、「里海」というのは、「人間の暮らしの営みの中で多年の間、多用に利用されていながら、逆にそのことによって自然の循環・再生が保たれ、しかも生物多様性が増しているような海」である。だがこのような発想は、本書に書かれているように、欧米の自然科学者の間に最初は広範な反発を呼んだという。彼らは、「自然に均衡や多様性をもたらすのは自然であって、人間ではない」という、自然を裁定者とした「一神教的」発想に囚われており、「人為も自然の中に均衡や多様性を生むことができる」という「人間も八百万の神の端くれ」というような発想を理解できなかったのだ。しかしそこは自然科学者の集団、客観的に計測され検証された証拠があれば、考えを改めざるを得ない。時を経て、いまや「SATOUMI」は「SATOYAMA」と並んで世界の生態学者の常用句となった。
 「人間も自然の中の一部であり、人為も自然の循環の中の一要素と位置付けて評価できる場合がある、だから人間にできる努力をあきらめてはいけない」という、一神教的な発想から言えば革命的な日本発の考え方が、少しずつ生態学の世界を変えていっているのである。

(引用開始)
<同書 222−223ページ>

これからの生態学には日本語的発想が欠かせなくなってくる筈だ。

 このブログではさらに、21世紀はモノよりも動きのあるコトを大切に考える「モノコト・シフト時代」であり、これからは経済三層構造、

「コト経済」

a: 生命の営みそのもの
b: それ以外、人と外部との相互作用全般

「モノ経済」

a: 生活必需品
b: それ以外、商品の交通全般

「マネー経済」

a: 社会にモノを循環させる潤滑剤
b: 利潤を生み出す会計システム

において、特にa領域(生命の営み、生活必需品、モノの循環)への求心力と、「コト経済」(a、b両領域)に対する親近感が増すと考えてきた。藻谷氏の解説をさらに引用する。

(引用開始)

 『里山資本主義』を学ぶことは、「金融緩和」に代表されるような怪しい「唯一神」への丸投げをやめ、社会の中での再生・循環・均衡の回復に向けて自分にも何かできることはないかと考える画期となる。元祖『資本論』は、「神の見えざる手」の絶対化を押しとどめ、資本主義社会を是正する大きな原動力となったが、「労働者のよる自己決定」を新たな「唯一神」と祭り上げるイデオロギーを生むことにもなって、流血の二○世紀にさらなる状況悪化をもたらした面もあった。しかしこの『里山資本主義』は、何か新しい「唯一神」を掲げるのではなく、八百万の神のささやかな力の結集に信を置くものである。
 一つ一つは微力な主体の相互作用だけが、均衡を回復する道筋である。そのことを理解していれば、あなたも微力な存在の一つとして、そのプロセスに恐る恐る関与してよい。まさに、新たな唯一神を掲げ押し付けるのではない、「しなやかな二一世紀の資本論」がここにある。

(引用開始)
<同書 225ページ>

人々の微力な主体の相互作用(コト)の連なりが「しなやかな二一世紀」をつくる。「里海の思想」はそういう未来の可能性を拓く考え方だ。皆さんも是非本書を手に取って里海、里山、流域の可能性に気付いていただきたい。

TwitterやFacebookもやっています。
こちらにもお気軽にコメントなどお寄せください。

posted by 茂木賛 at 13:17 | Permalink | Comment(0) | 起業論

観光業について II 

2015年09月22日 [ 起業論 ]@sanmotegiをフォローする

 前回の「観光業について」の項に引き続き、これからの観光業にとって大切だと思われることを検討してみたい。前回の復習になるが、モノコト・シフト時代は、経済三層構造、

「コト経済」

a: 生命の営みそのもの
b: それ以外、人と外部との相互作用全般

「モノ経済」

a: 生活必需品
b: それ以外、商品の交通全般

「マネー経済」

a: 社会にモノを循環させる潤滑剤
b: 利潤を生み出す会計システム

において、特にa領域(生命の営み、生活必需品、モノの循環)への求心力と、「コト経済」(a、b両領域)に対する親近感が増す。観光業は「コト経済」(b領域)がベースだから、ヨーロッパなど先進諸国における、後者(「コト経済」への親近感)の増大を追い風にすべきである。「コト経済」の真価は、別の層「マネー経済」の指標では捉えきれない、むしろ、

(1)日本語(文化)のユニークさをアピールする
(2)パーソナルな人と人との繋がりをつくる
(3)街の景観を整える(庭園都市)

といったGDPに表われない部分に磨きを掛けることが大切になる、という話だった。

 21世紀は、モノコト・シフトの時代であるとともに、ユーラシア大陸の発展が期待される世紀でもある。ユーラシア大陸とは、ヨーロッパとアジアとを合わせた地形的に独立した地域を指す。最近(2015年8月に)出た『中国、アラブ、欧州が手を結びユーラシアの時代が勃興する』副島隆彦著(ビジネス社)は、これからはアメリカの時代が終わり、中国を中心としたユーラシアの時代が来ることを予言する内容の本だ。「あとがき」から一部引用しよう。

(引用開始)

 いちばん新しい中国の話題は、AIIBアジアインフラ投資銀行の設立である。そして中国政府が4月に打ち出した「一帯一路」構想は、これからの世界に向かって中国が示した大きなヴィジョンだ。ユーラシア大陸のド真ん中に、10億人の新たな需要が生まれる、中国とロシアと、アラブ世界とヨーロッパ(インドも加わる)が組んで、新たなユーラシアの時代が始まるのだ。

(引用終了)
<同書 231ページ(フリガナ省略)>

詳しくは本書をお読みいただきたいが、一帯一路の「一帯(ワンベルト)」とはユーラシア大陸を貫通する幾本もの鉄道と幹線道路のであり、「一路(ワンルート)」とは南米諸国にも繋がる世界横断航路を示しているという。規模の大きな話である。

 英国と日本は、ちょうど西と東からユーラシア大陸を挟むような位置にある。この大陸の発展を観光業の観点でみれば、西欧諸国を西の端として、中欧と北欧、中近東、インド、中国、ロシアを含む大陸全土から、多くの人が日本を訪れるということである。前回、「日本海側の魅力」の項で論じた関心事、と書いたのはこのことだ。

 今の時点では、モノコト・シフトの波を早く被った地域(先進国)と、まださざなみ程度の地域(開発途上国)の違いがあるから、ユーラシアから日本へ来る人々の多くは、単純にモノを買い求めることが興味の中心かもしれない。しかしやがてモノコト・シフトが進めば、彼らの間でも「コト経済」(b領域)への親近感が高まるに違いない。そのとき、日本が大陸と同じではつまらないではないか。だから、

(1)日本語(文化)のユニークさをアピールする
(2)パーソナルな人と人との繋がりをつくる
(3)街の景観を整える(庭園都市)

といった話になるわけだ。「日本の森」の項などで見たとおり、日本列島は南北に長く山が多い。世界のどこにも見られないような多様な森、山、海岸線が広がっている。そういう自然環境(で起る様々なコト)も訪れる人々を魅了するだろう。

 日本の歴史を振り返り、古代からのユーラシアとの接点をいろいろと探り出すのも面白いかもしれない。ユーラシア大陸の西端にある英国と組んで、二つの島国の似ているところ、違っているところを大陸の文化と関連付けて研究するのも楽しいかもしれない。

 その他の地域、南北アメリカ大陸、オセアニア、東南アジア、アフリカ大陸からの観光客に対しても、同様のことがいえる。「コト経済」の最先端を実践する国としての日本、そういう魅力が世界の人々をこの地へ引き寄せる筈だ。

TwitterやFacebookもやっています。
こちらにもお気軽にコメントなどお寄せください。

posted by 茂木賛 at 11:20 | Permalink | Comment(0) | 起業論

観光業について

2015年09月15日 [ 起業論 ]@sanmotegiをフォローする

 「環境中心の日本語」の項で引用した『新・観光立国論』デービッド・アトキンソン著(東洋経済新報社)について改めて紹介したい。まず新聞の書評を引用しよう。

(引用開始)

 東京五輪開催決定のIOC総会での「お・も・て・な・し」のプレゼン。日本では好評だが、欧州では一つ一つ区切った話し方は相手を見下す態度にとられ、「否定的意見が多い」との記述に一瞬、目が点に。
 在日25年。敏腕証券アナリストから創業300年超の文化財修繕会社の社長に。茶道に通じ、京町家に住むイギリス人が、日本の外国人観光客誘致戦略に「勘違い」はないかただすべく、日本語で書いた辛口提案書だ。
 「世界に誇るおもてなしの心」も、外国人にとっては旅の途中での「人との触れ合い」程度の話で第一目的にはならない。そこには「自分たちが世界でも特別な存在」との「自画自賛」の「上から目線」を感じるという。
 気候、自然、文化、食事の「観光立国の4条件」を満たす希有な国なのに、お金を落としてもらうための、外国人目線に立ったサービスが不足した「観光後進国」との指適も耳が痛い。
 人口減少社会でGDPを増やすには、外国人観光客を「短期移民」と位置づける戦略が必要との論法が面白い。だから、「おもてなし」の精神以上にサービスとインフラを整備せよと。
 観光支出の多い欧州などの「上客」を呼び込む方法も披露。特に文化財の意味を伝える見せ方の提案は傾聴すべきだ。

(引用終了)
<朝日新聞 7/5/2015>

 複眼主義では、

A Resource Planning−英語的発想−主格中心
B Process Technology−日本語的発想−環境中心

という対比を論じているが、この本は特にAの観点から、日本の観光業の足りないところを論じたものだ。たとえば、ゴールデンウィークは無くしたほうが良いなど、日本語的発想とは一味違った指適が多い。観光関連で起業を目指す人にお勧めの本である。

 このブログでは、21世紀はモノコト・シフトの時代だと述べている。モノコト・シフトとは、「“モノからコトへ”のパラダイム・シフト」の略で、二十世紀の大量生産システムと人の過剰な財欲による「行き過ぎた資本主義」への反省として、また、科学の還元主義的思考による「モノ信仰」の行き詰まりに対する新しい枠組みとして生まれた、(動きの見えないモノよりも)動きのあるコトを大切にする生き方、考え方への関心の高まりを指す。

 「経済の三層構造」や「“モノ”余りの時代」の項で論じたように、モノコト・シフトの時代には、経済の三層構造、

「コト経済」

a: 生命の営みそのもの
b: それ以外、人と外部との相互作用全般

「モノ経済」

a: 生活必需品
b: それ以外、商品の交通全般

「マネー経済」

a: 社会にモノを循環させる潤滑剤
b: 利潤を生み出す会計システム

において、特にa領域(生命の営み、生活必需品、モノの循環)への求心力と、「コト経済」(a、b両領域)に対する親近感が増す。尚、ここでいう「経済」とは、自然の諸々の循環を含め人間を養う社会の根本理念・摂理(人間存在システムそのもの)をいう。

 開発途上国の国民の間では、前者<a領域(生命の営み、生活必需品、モノの循環)への求心力>の方が、後者<「コト経済」(a、b両領域)に対する親近感>よりも重要だろうが、生活必需品が行き渡っている先進諸国の上層国民の間においては、後者の方が重視されるはずだ。観光業はそもそも「コト経済」(b領域)をベースにしたビジネスだから、これからの観光業は、この後者の増大を最大限に追い風とすべきなのであろう。この本でアトキンソン氏は、観光支出の多い欧州などの「上客」をより重点的に呼び込むべきだとしているが、それはこういった背景を踏まえているのだと思われる。

 世界的に見て今の時点では、モノコト・シフトの波を早く被った地域(先進国)と、まださざなみ程度の地域(開発途上国)の違いはある。開発途上国の国民が日本へ買出しに来るのは、モノ信仰の故かもしれない。しかしモノコト・シフトが進めば、彼らの間でも「コト経済」(b領域)への親近感が高まるだろう。

 モノコト・シフトの時代、この本に付け加えて我々のなすべきことは、

(1)日本語(文化)のユニークさをアピールする
(2)パーソナルな人と人との繋がりをつくる
(3)街の景観を整える(庭園都市

など、GDPに表われない部分に磨きを掛けることだと思う。ITを活用するのもいいだろう。「コト経済」の真価は、「マネー経済」の指標では捉えきれない。この件、「日本海側の魅力」の項で論じた関心事と併せ、さらに別途検討してみよう。

TwitterやFacebookもやっています。
こちらにもお気軽にコメントなどお寄せください。

posted by 茂木賛 at 12:27 | Permalink | Comment(0) | 起業論

日本海側の魅力

2015年07月14日 [ 起業論 ]@sanmotegiをフォローする

 先日青森の奥入瀬へ旅行したついでに、津軽まで足を伸ばしてその先の日本海を見てきた。今回は日本海側について書いてみたい。

 最近日本海や日本海側について書いた本が多い。北陸新幹線開通の影響かもしれないが、それ以上に、モノコト・シフトの時代、人々の関心が大量生産時代に発展した太平洋側から、発展の遅れた日本海側へ向いてきているせいではないだろうか。

 モノコト・シフトとは、「“モノからコトへ”のパラダイム・シフト」の略で、二十世紀の大量生産システムと人の過剰な財欲による「行き過ぎた資本主義」への反省として、また、科学の還元主義的思考による「モノ信仰」の行き詰まりに対する新しい枠組みとして生まれた、(動きの見えないモノよりも)動きのあるコトを大切にする生き方、考え方への関心の高まりを指す。

 発展が遅れると(それでもなんとか持ちこたえていると)一周遅れで時代の先端に立つことがある。日本海側もその一例に違いない。こちら側にはまだ自然が多く残されている。

 日本海や日本海側について書かれた本のうち目に留まったものをざっと挙げるだけで、

『裏が、幸せ。』酒井順子著(小学館、3/2/2015)
『北陸から見た日本史』読売新聞北陸支局編(洋泉社、3/5/2015)
『日本海ものがたり』中野美代子著(岩波書店、4/22/2015)

がある。単行本が出たのは少し前だが最近文庫になった『奇跡のレストラン アル・ケッチャーノ』一志治夫著(文春文庫、3/10/2015)もある。これは山形の庄内平野にあるレストランの物語だ。

 私自身、青森や秋田、北陸など、最近日本海側へ行く機会が増えた。増えたというより意図的に日本海側への旅を増やしているというべきかもしれない。まあ、京都や奈良、四国や瀬戸内海、長野や福島、北海道などへも行っているから実際の比率はそうでもないかもしれないが、気持ちの上で日本海側への旅は格別なものがある。『裏が、幸せ。』の書評を引用しよう。

(引用開始)

日本海側から価値の転回迫る

 近代日本は国民国家として統合されると同時に「表」と「裏」の分断を経験した。重工業中心の国土開発から取り残されがちだった日本海側、いわゆる裏日本は雪に閉ざされる冬の厳しさもあり、過疎化を深めた地域も多い。
 しかし、そんな日本海沿岸を旅行して現地の人々と交わり、それぞれの地に縁のある人物の生きざまや文学作品に触れた著者は、改めて「裏」の魅力に惹かれ始める。
 それは弱者に同情する「判官びいき」ではない。たとえば輪島塗の漆器には暗さの中でこそ浮かび上がる美がある。光よりも陰翳を味わおうとするその感性は、輝かしい未来を無邪気に夢見た経済成長を終え、限りある条件の中での成熟を目指すことにあるこれからの日本に必要なものだろうと著者は指適する。
 折しも北陸新幹線開通とタイミングが一致。親しみやすい文体も相まって観光指南書として楽しく読めるが、実は価値観の本質的な転回を迫る野心的な一冊でもある。武田徹(評論家)

(引用終了)
<朝日新聞 4/12/2015(フリガナ省略)>

本の帯には、<これからの日本で輝くのは「控えめだけれど、豊かで強靭な」日本海側です。>とある。開発が遅れた日本海側は起業チャンスとして、将来有望だと思う。

 この本でも紹介されているけれど、雑誌『自遊人』の編集部は、新潟にある(東京から新潟に移した)という。このブログでは「心ここに在らずの大人たち」「フルサトをつくる若者たち」「限界集落は将来有望」「高度成長という幻想」などの項で、これからは「地方の時代」だと述べてきた。雑誌『ソトコト』が最近「地方で起業するローカルベンチャー」という特集を組んだ(7/2015号)のもその表れだろう。中でも「日本海側」は、これから発展が期待されるユーラシア大陸への玄関口でもある。だからそれを視野に入れた発想のビジネスも展開できる。

 私にとって日本海側への旅が格別な理由がもう一つある。それは古代史に関わる関心事で、日本列島への文化の流入ルートとしていわゆる「時計回り」、シベリアから北海道をへて東北、北陸へと伝わった筈のヒトとモノのトレースに興味を持っている。今回青森では三内丸山遺跡も見てきた。

 ビジネス的な関心と古代史的な興味、それがあるからこれからも日本海側への旅を続けようと思う。尚、金沢のことは「金沢の魅力」の項をどうぞお読み下さい。

TwitterやFacebookもやっています。
こちらにもお気軽にコメントなどお寄せください。

posted by 茂木賛 at 13:20 | Permalink | Comment(0) | 起業論

“モノ”余りの時代

2015年04月20日 [ 起業論 ]@sanmotegiをフォローする

 このブログでは、21世紀はモノコト・シフトの時代だと述べている。モノコト・シフトとは、「“モノからコトへ”のパラダイム・シフト」の略で、二十世紀の大量生産システムと人の過剰な財欲による「行き過ぎた資本主義」への反省として、また、科学の還元主義的思考による「モノ信仰」の行き詰まりに対する新しい枠組みとして生まれた、(動きの見えないモノよりも)動きのあるコトを大切にする生き方、考え方への関心の高まりを指す。

 『余剰の時代』副島隆彦著(ベスト新書)は、この時代、余るのはモノばかりではなくヒトも余るということを正面から取り上げた本だ。本カバー裏の紹介文を引用しよう。

(引用開始)

この厳しい時代を生き延びるための本当の知恵

 21世紀の現代を生きる私たちは今、途方もなく厳しい時代を生きている。「余剰・過剰」問題という怪物が世界を徘徊している。モノを作っても売れない。どんなに値段を下げても売れない。だから、人間が余ってしまう。従業員を「喰(く)わせてやる」ことができない。社会は失業者予備軍で溢(あふ)れている。とりわけ若者が就職できない。
 実は百年前のヨーロッパで始まった、この解決不能の問題を、人類の中の最も精鋭な人たちがすでに真剣に悩みぬいていた。
 ヴォルテール、ニーチェ、ケインズに導かれ、政治思想家であり、かつ金融・経済予測本のトップランナーである著者が、この難問に挑む。

(引用終了)

 このブログではまた、経済というものを、自然の諸々の循環を含め人間を養う社会の根本理念・摂理(人間集団の存在システムそのもの)とし、その全体を三つの層で捉えている。

「コト経済」

a: 生命の営みそのもの
b: それ以外、人と外部との相互作用全般

「モノ経済」

a: 生活必需品
b: それ以外、商品の交通全般

「マネー経済」

a: 社会にモノを循環させる潤滑剤
b: 利潤を生み出す会計システム

という三層で、モノコト・シフトの時代においては、経済の各層において、a領域(生命の営み、生活必需品、モノの循環)への求心力が高まると共に、特に「コト経済」(a、b両領域含めて)に対する親近感が強くなってくるだろうと予測している。

 この時代、「モノ経済」bは基本的に余ってくる。ヒトも頭数(あたまかず)として捉えれば「モノ経済」bに含まれるから余るわけだ。社会生活全体に「マネー経済」bが強く絡んでいる先進国においては、生産効率が重視されるからヒトが余る。生産効率の悪い後進国においては労働力を得るためにヒトが増える。しかしやがて効率は上がる。だがすぐにヒトは減らない。だから(「マネー経済」bを縮小させない限り)21世紀は当面これまで以上にヒトが余ってくるのだ。

 昔戦争は領土を増やすために行なわれたが、大量生産の時代に入り砲弾や戦車などの「モノ経済」bが余ってくると、その消費の為にも戦争が行なわれるようになった。21世紀の戦争はさらに余ったヒトも含めて消費してしまおうという恐ろしい側面を持つ。モノコト・シフトの時代は「三つの宿啞」との戦いでもある。だから副島氏はこの本で「生き延びる思想10カ条」を説く。

(引用開始)

1 夢・希望で生きない
2 自分を冷酷に見つめる
3 自分のことは自分でする
4 綺麗事をいわない
5 国家に頼らない
6 ズルい世間に騙されない
7 ある程度臆病でいる
8 世の中のウソを見抜く
9 疑う力を身につける
10 いつまでもダラダラと生きない

(引用終了)
<同書 202−203ページ>

最後の「いつまでもダラダラと生きない」というのがいい。私も以前ビジネスに関連して「騙されるな!」という項を書いたことがある。併せてお読みいただければ嬉しい。

 この本で扱う政治思想の射程距離は長い。副島氏の主著の一つに1995年に出版された『現代アメリカ政治思想の大研究』(筑摩書房)という本がある。今は講談社α文庫に『世界覇権国アメリカを動かす政治家と知識人たち』として収められている。私は1998年に読んで大いに勉強になった。最も大切なのは『余剰の時代』(89ページ)にも掲げられている「ヨーロッパ政治思想の全体像」という一枚の表だ。

 西洋政治思想の根本には、アリストテレス/エドマンド・バークの「自然法(Natural Law)派」と、ジョン・ロックやヴォルテールの「自然権(Natural Rights)派」との対立がある。自然権派からルソーなどの「人権(Human Rights)派」が生まれた。「自然法(Natural Law)派」と、ジェレミー・ベンサ(タ)ムの「人定法(Positive Law)派」との対立もある。くわしくは本書や『世界覇権国アメリカを動かす政治家と知識人たち』をお読みいただきたいが、一言でいえば、

「自然法派」:
人間も自然界の法則で生きているのだからあまり激しいことはするな
「自然権派」:
人間には本来自然に生きていくだけの権利がある
「人権派」:
貧困者でも生き延びる権利がある
「人定法派」:
法律は人間がきめたことであって自然界の法則とは違う

ということになる。副島氏はこれらの政治思想を解説した後、

保守本流:自然法派
官僚:自然権派
多数派:人権派

という現代の西洋政治地図を提示する。いまの官僚は「人間には本来自然に生きていくだけの権利がある」とする自然権派を標榜しながら、福祉国家を運営できるのは我々とばかり、楽観主義的な「貧困者でも生き延びる権利がある」とする人権派を押さえ込む。保守本流は「人間も自然界の法則で生きているのだからあまり激しいことはするな」という自然法派だが上品だから官僚支配になかなか勝てない。本来ジョン・ロックやヴォルテールの「自然権派」は王権からの民主独立派だったのだが、楽観的であるが故に過激なルソーらの「人権派」との内部争いに敗れた。

 「人定法派」からは「リバータリアニズム」が生まれた。「自分のことは自分でやれ。自分の力で自分の生活を守れ」という思想だ。副島氏の「生き延びる思想10カ条」はこの思想から来ている。複眼主義的にいえば、

「都市の働き」:人定法
「自然の働き」:自然法

という複眼的な考え方が正しい。各種の権利は人定法内の諸規定として考えるべきだ。だから「都市」で身を守るにはこの「生き延びる思想10カ条」が相応しいといえるだろう。
img006.jpg
人と世界は円を斜め上から見たところとして表現。世界は斜線によって「都市の働き」=「公」、「自然の働き」=「私」に分けられる。人は斜線によって「脳の働き」=「公」、「身体の働き」=「私」に分けられる。詳しくは前項「複眼主義の時間論」なども参照のこと。

 この本によって西洋政治思想の基本を学び、騙されないようにしてモノコト・シフトの時代を生き延びようではないか。

TwitterやFacebookもやっています。
こちらにもお気軽にコメントなどお寄せください。

posted by 茂木賛 at 14:43 | Permalink | Comment(0) | 起業論

限界集落は将来有望

2015年03月17日 [ 起業論 ]@sanmotegiをフォローする

 ここまで、前々回の「心ここに在らずの大人たち」や前回「フルサトをつくる若者たち」の項で、限界集落に近い田舎に拠点を構え、「生きる」と「楽しむ」を自給するのは、モノコト・シフト時代の確かな暮らし方でありそこにスモールビジネスの活躍の場も大いにある筈だ、と述べてきたが、その主張を小説の形で表現したものが、『限界集落株式会社』黒野信一著(小学館文庫)とその続編『脱・限界集落株式会社』同著(小学館)という二冊の本だ。前者『限界集落株式会社』は最近TVドラマ化されたから知っている人もおられると思う。内容について、本のカバーや帯にある文章を紹介しよう。 

(引用開始)

 起業のためにIT企業を辞職した多岐川優が、人生の休息で訪れた故郷は、限界集落と言われる過疎・高齢化のため社会的な共同生活の維持が困難な土地だった。優は、村の人たちと交流するうちに、集落の農業経営を担うことになった。現代の農業や地方集落が抱える様々な課題、抵抗と格闘し、限界集落を再生しようとするのだが……。
 集落の消滅を憂う老人達、零細農業の父親と娘、田舎に逃げてきた若者。かつての負け組みが立ち上がる!過疎・高齢化・雇用問題・食糧自給率、日本に山積する社会不安を一掃する逆転満塁ホームランの地域活性エンタテインメント。(『限界集落株式会社』カバー裏表紙)

 東京から来た多岐川優の活躍で、消滅の危機を脱した止村。あれから4年――。駅前のシャッター通り商店街、再開発か、現状維持か!?優との行き違いから家を出ていた美穂は、劣勢側の駅前商店街保存に奮闘するが……。地方が直面する問題に切り込む、地域活性エンタテインメント!人口減少社会の希望がここにある!!(『脱・限界集落株式会社』帯裏表紙)

(引用終了)

 『限界集落株式会社』は農業による地域の活性化であり、『脱・限界集落株式会社』は駅前商店街再生による地域の活性化だ。どちらも小説ではあるけれど、現実的で、起業を目指す人にとっていろいろと参考になると思う。

 ストーリーは本を読んでのお楽しみとして、ここでは『限界集落株式会社』の解説から、「フルサトをつくる若者たち」の項でも述べたマネー経済について書かれた部分を引用しておこう。

(引用開始)

 本書を読み進めていくと頭に浮かぶ疑問がる。
 はたして人が生きていくうえで必要なのはお金だろうか、それとも水や食糧だろうか。いわゆるマネー資本主義とよばれる思想が、いつの頃からか隆盛を極めるようになった。自分の存在価値は稼いだお金の額で決まると、大なり小なり皆が思っている。それどころか、他人の価値までをも、稼いだ金の多寡で判断しようとしてはいないだろうか。
 本来は、必要な何かと交換するための手段であったはずの通貨が、それ自体を集めることが目的化してしまう矛盾。
 いくら人里離れた農村といえども、現代社会においてはマネー経済と無縁ではいられない。それは「限界集落」と「株式会社」という一見相反するような、前近代と近代との融合を感じさせるタイトルにも表れているのだろう。

(引用終了)
<同書466ページ>

こういった問題提起を含みながら、多岐川優と美穂を中心とした個性あるれる面々の愉快な物語が展開していくわけだ。本とTVドラマとではストーリーが少し違っているようだから、ドラマだけ見た人は本も読むことをお勧めする。

 これからの日本のあるべき姿や将来展望を、ここまで、政治・政策の視点から(「地方の時代 III」)、識者の対談から(「心ここに在らずの大人たち」)、体験的エッセイとして(「フルサトをつくる若者たち」)追いかけてきたわけだが、こうしたエンタテインメント小説を通して考えるのも面白い。

TwitterやFacebookもやっています。
こちらにもお気軽にコメントなどお寄せください。

posted by 茂木賛 at 13:03 | Permalink | Comment(0) | 起業論

後継者づくり

2014年12月30日 [ 起業論 ]@sanmotegiをフォローする

 よく経営者の最大の仕事は適任後継者を選ぶことだというが、前回の「現場のビジネス英語“dispositions”」から引き続いて考えれば、それは会社の「理念と目的」を自らのdispositionsとして習得し得た者の中から最適任者を選ぶという話になる。

 事業経験者の中から後継者を選ぶという人がいるが、「事業(Buisness)」は「理念と目的」の下位に位置付くものであってみれば、「理念と目的」をdispositionsとして習得していない者はいくら事業に精通していても後継者にはならない。

 逆に、事業経験は全くないが「理念と目的」だけならよく理解しているという人があった場合どうするか。これは、

skills(スキル)
dispositions(資質)
responsibilities(責任)
self-assessment(自己評価)

のうち、事業運営というskillsがない場合に当る。

 少し具体的な例で考えてみよう。先日の「空き家問題をポジティブに考える」に因んで、次のようなケースを想定しよう。架空の話だからその積もりで。

「石田商店(経営者:石田肇)」:

「理念」:土地や建物の有効利用を促進し、地元社会・文化の活性化を計る
「目的」:町の空き家率を下げる

「ビジネスモデル」:

「事業」:不動産の紹介
「目標」:@町の空き家率を全国平均以下にする A通年での黒字化

(背景)石田肇は都心の大手不動産会社に勤めていたが定年退職を機に、地元で小さな不動産会社を開業した。

 さて、石田はそろそろ引退したいと考えて後継者について考え始めた。候補者は以下のとおり。

石田みどり:肇の娘。都内の美術館でキュレーターの仕事をしている。父の会社の理念には共鳴するものの、地元に帰る意思は今のところなし。

石田健:肇の息子。都内の病院で医師をしている。そろそろ地元に帰って開業したいと考えている。

石田優紀子:肇の妻。ガーデニングが趣味。夫の仕事を手伝っているので不動産の実務には詳しい。

高見賢治:石田が仕事の片腕として頼りにしている不動産業のプロ。しかし経営者タイプではない。

五反田裕太:地元へ戻ってきた若者で石田の仕事を手伝ってくれている。農業がやりたくて今研修中。

五反田沙織:裕太の妻でネックレスなどのアクセサリー作家。

 なんだか小説みたいになってきたが、この中から石田肇氏は後継者を選ぼうと思っている。実際は、他にも地元の商工会議所や前の職場の友人などにコンタクトして適任者を探すなどするのだろうが、話が長くなるのでここではこの6人の中から選ぶという設定にする。

 事業経験者の中から選ぶというのであれば、高見賢治、石田優紀子、五反田裕太ということになろう。一番の経験者は高見賢治だが、彼は実務屋で「理念と目的」をdispositionsとして習得してない。

 逆に、事業経験は全くないが「理念と目的」を理解しているということであれば、石田みどりということになる。息子の石田健も候補者ではあるが医者だからその道を歩ませた方がいいだろう。五反田裕太も候補だが、彼には農業というやりたい事がある。

 ここで石田肇は、高見を教育して「理念と目的」を自らの資質にするまで待つか、石田みどりを説得して地元へ帰って来させるか、という二つの選択肢を持つことになった。

 結果として、石田は後者を選んだ。その背景には、事業の目標だった「町の空き家率を全国平均以下にする」ことにある程度目処が立ったことと、もう一つの目標だった「年度での黒字化」も去年達成したという事実がある。石田は、娘と話し合い、利害関係者の合意を取り付けた上で、「理念と目的」と「ビジネスモデル」を次のように改めた。

「石田商店(経営者:石田みどり)」:

「理念」:地域社会・文化の活性化を計る
「目的」:@町の空き家率を下げる A文化活動の支援

「ビジネスモデル」:

「事業」:@不動産の紹介 A個人美術館の設立
「目標」:@人材の活用 A個人美術館運営を軌道に乗せる

みどりと話し合う中で、石田は、彼女の夢が小さな美術館を持つことだと知り、それなら自宅の一部を改築して小さな美術館にしようと思い立ち、彼女と合意の上、それを軸に「理念と目的」を書き直し、「ビジネスモデル」を再編した。

「目標」:A個人美術館運営を軌道に乗せる

はすこし曖昧だが、明確化(たとえば「5年以内に通年での黒字化を果たす」など)はもう少し後になってから決める旨を註に書き込んだ。これは「現場のビジネス英語“crossing the bridge”」の要領。目標設定如何で(自宅の一部から)もっと大きな建物にすることも出来る。

 ここでいえることは、もし「理念と目的」と「ビジネスモデル」、特に「事業」の「最終目標」が設定されていなかったら、石田にこのような判断ができたかどうか疑問だということだ。もしかすると、(後継者選びの際)高見賢治の教育の方に行ったかもしれない。結果は分らないが、石田は「理念と目的」、「ビジネスモデル」を当初からはっきりさせておいたことで、納得できる後継者づくりが出来たわけだ。

 もし当初の最終目標、@町の空き家率を全国平均以下にする、A通年での黒字化、に両方とも目処が立っていなかったとしたらどうだろう。その場合、娘みどりの夢である個人美術館は先延ばしせざるを得ないだろう。地域の活性化はまだ道半ばであり、資金的にも個人美術館を設立できるような状況にはないのだから。石田はもっと別のことを考える必要がある。しかし「理念と目的」と「ビジネスモデル」が当初設定されていたからこそ、安易に個人美術館設立に動いてはいけないということが分るわけで、その重要性に変わりはない。

TwitterやFacebookもやっています。
こちらにもお気軽にコメントなどお寄せください。

posted by 茂木賛 at 10:53 | Permalink | Comment(0) | 起業論

里山システムと国づくり II 

2014年04月22日 [ 起業論 ]@sanmotegiをフォローする

 『しなやかな日本列島のつくり方』藻谷浩介著(新潮社)は、『里山資本主義』(角川oneテーマ21)の共著者藻谷氏による、日本再生へ向けた対談集だ。対談の相手は、現場に腰を据えた各分野の専門家7人。

第一章「商店街」は起業家精神を取り戻せるか――新雅史(社会学者)
第二章「限界集落」と効率化の罠――山下裕介(社会学者)
第三章「観光地」は脱・B級志向で強くなる――山田桂一郎(地域経営プランナー)
第四章「農業」再生の鍵は技能にあり――神門善久(農業経済学者)
第五章「医療」は激増する高齢者に対応できるか――村上智彦(医師)
第六章「赤字鉄道」はなぜ廃止してはいけないか――宇都宮浄人(経済学者)
第七章「ユーカリが丘」の奇跡――嶋田哲夫(不動産会社社長)

ということで、商店街、限界集落、観光地、農業、医療、鉄道、街づくりについて、現状を踏まえた上で、21世紀の展望を語る内容となっている。

 『里山資本主義』については、以前「里山システムと国づくり」の項でも紹介したことがあるが、藻谷氏は、最近の新聞インタビュー記事の中で次のように語っている。

(引用開始)

 「日本には偶然にも自然環境に恵まれた住みやすい場所にある。その結果、金銭換算できない資源が多く、経済成長していない田舎でも生きていける。そのことを計算に入れないで日本はダメだダメだと言っているのを見直しましょうという話です」
 「マネー資本主義の最大の問題は、お金をもうけるのに未来から奪い取るやりかたをすること。簿外資産を消費して蓄財している。簿外資産は地下資源や水、大気、そして子どもです」
 「未来から子どもを奪い取り、未来に汚染物質の借金を残している。里山資本主義では資源の循環、再生が可能な範囲でほどほどに稼ぐ」。

(引用終了)
<東京新聞 3/30/2014>

 この対談集において、藻谷氏はこういったご自分の考えを、分野別に専門家と共に検討し、具体的な解決策を見出そうとする。その意味でこの本は、『里山資本主義』の続編、実践編といっても良いだろう。地域密着型スモールビジネスの起業を目指す人にとっても、大切なヒントが詰まっていると思うので、是非手にしてみていただきたい。

 尚、新雅史氏の著書『商店街はなぜ滅びるのか』(光文社新書)については「近代家族」の項で、神門善久氏の著書『日本農業への正しい絶望法』(新潮新書)については「日本の農業」の項で、それぞれ紹介したことがある。併せてお読みいただければ嬉しい。


TwitterやFacebookもやっています。
こちらにもお気軽にコメントなどお寄せください。

posted by 茂木賛 at 09:30 | Permalink | Comment(0) | 起業論

地形と気象から見る歴史

2014年04月15日 [ 起業論 ]@sanmotegiをフォローする

 『日本史の謎は「地形」で解ける』竹村公太郎著(PHP文庫)、その続編『日本史の謎は「地形」で解ける 〔文明・文化篇〕』同著(同文庫)という2冊の本を面白く読んだ。著者の竹村氏は、元建設省河川局長で現在は日本水フォーラム事務局長。新聞の書評によってまず後者の内容を紹介しよう。

(引用開始)

風土から知る意外な事実

 地形と気象の考察を根幹として、歴史の意外な事柄が推論により解き明かされてゆく。幕末、欧米が日本を植民地化しなかったのは、地震の多発とコレラを恐れたことによるという。一九二一(大正十)年を境に乳児死亡率が減少したのは、化学兵器として考えていた塩素をシベリア出兵撤退で水道の殺菌に回したからで、それを行なったのは、細菌学専門の後藤新平(元外務大臣・東京市長)であったと述べる。
 過去、通常では考え得なかった歴史読解の鍵や事柄が随所に示される。徳川家康の鷹狩りは実は地形調査であり、江戸の発展は森林エネルギーに拠るとする。江戸の消費生活を支えたのは参勤交代で出てくる地方の大名たちで、いま東京に出て来て消費生活を送る学生と仕送りをする地方の親は「現代版の参勤交代」であると指摘。
 著者は海外にも目を向け、約百基のピラミッドはナイル川の堤防治水事業で、台地の三基のピラミッドは灯台であったと論じる。一方、日本は既存のダムを利用すべきだと説くなど、河川技術の専門家である著者ならではの立論も示す。歴史の謎に風土に即した工学の光を当て、新しい推理のプロセスが楽しめるオリジナル文庫だ。気温の温暖化に関連して、広大な北海道が百年後の「食料自給のための切り札」となると予測するなど、未来の光明を見る思いがする。「文化は消費である」「弱者のベンチャー企業こそが、新しい工夫をして未知の世界に挑戦していける」と説く。心に残る文章だ。
 地形や地質や災害に悩むのではなくそれを巧みに利用する大切さも学ぶ。民族の性格はその土地の気象や地形が決めるという説も傾聴に値する。古地図や写真など図版も豊富だ。
 なお、同じ著者による『日本史の謎は「地形」で解ける』(同文庫、昨年十月刊)も、京都が千年以上都であり続けた理由を陸路・海路の起点という地形の上から説明するなど、独自の論を展開していて興味深い。

(引用終了)
<東京新聞 3/16/2014(フリガナは省略)>

内容には勿論異論もあるだろうが、竹村氏は河川技術の専門家として、現場に足を運び、データを集め、異なる事象間の関係を推理して、歴史の常識にチャレンジする。だから面白い。

 竹村氏の文明構造モデルについて、『日本史の謎は「地形」で解ける 〔文明・文化篇〕』から引用しておこう。

(引用開始)

 文明は、上部構造と下部構造で構成されている。文明の下部構造は、上部構造を支えている。その下部構造は、地形と気象に立脚している。下部構造がしっかりしていれば、上部構造は花開いていく。下部構造が衰退すれば、上部構造も衰退していく。
 社会の下部構造とは、単なる土木構造物ではない。
 下部構造は「安全」「食糧」「エネルギー」「交流」という4個の機能で構成されている。

(引用終了)
<同書 6ページより>

上部構造(文化)は、「産業」「商業」「金融」「医療」「教育」「芸術」「スポーツ」と分類されている。「地形と気象から見る歴史」とは、このような考えに基づく仮説形成なのである。私が特に面白いと思った章は以下の通り。

『日本史の謎は「地形」で解ける』

第3章 なぜ頼朝は鎌倉に幕府を開いたか
源頼朝が幼少の頃配流になった「伊豆の小島」とは、伊豆半島の中央にある「韮山町蛭ヶ小島」だったとは知らなかった。それだから、彼は少年時代湘南地方を縦横に駆け巡り、やがて土地勘のある鎌倉に幕府を開設したのだという。

第5章 半蔵門は本当に裏門だったのか
江戸城の地形から推理した結論は、西側の半蔵門が江戸城の正門だったとのこと。そこから話は第6章 赤穂浪士の討ち入りはなぜ成功したか、へと繋がっていく。家康と徳川幕府の話は、ほかでもいろいろと分析されている。利根川東遷、参勤交代が果たした役割、江戸への集積システムなどなど。

『日本史の謎は「地形」で解ける 〔文明・文化篇〕』

第3章 日本人の平均寿命をV字回復させたのは誰か
上の新聞書評にもある通り、なぜ日本が世界一の長寿命国になれたかは、大正10年に東京市長だった後藤新平に拠るところが大きいという。改めて後藤新平の伝記を読みたくなる話だ。

第16章 日本文明は生き残れるか
その地形の特色から、日本では分散型の水力発電において、新しいダムを作らずに、全国の既存ダムの運用変更やダムの嵩上げによって、試算上、新たに出力930万kW(100万kWの原子力発電所9基分!)の水力発電が可能という。

 2冊の本には、この他、地形から来る日本人の縮み志向、小型化志向、もったいない精神などについての分析や、気象からくる日本人の気性、将棋誕生の秘密などなど、盛り沢山の内容となっている。皆さんも是非目を通してみていただきたい。

 尚、竹村氏と養老孟司氏との共著『本質を見抜く力』(PHP新書)について、以前「流域思想 II」の項などで紹介したことがある。併せてお読みいただけると嬉しい。養老孟司氏もそうだが、科学技術者の一般書には、新鮮な発想が多く、起業のアイデアとしても様々参考になると思う。

TwitterやFacebookもやっています。
こちらにもお気軽にコメントなどお寄せください。

posted by 茂木賛 at 09:58 | Permalink | Comment(0) | 起業論

儲からない経営

2013年12月31日 [ 起業論 ]@sanmotegiをフォローする

 今回は、最近読んで面白かった『田舎のパン屋が見つけた「腐る経済」』渡邉格著(講談社)という本を紹介しよう。いつものようにまず新聞書評によってその内容を紹介する。

(引用開始)

 おいしいと評判の岡山のパン屋さんは“21世紀のマルクス”であるらしい。江戸時代の風情が残る人口8千人の山あいの町。著者はここで、地元の素材と天然菌にこだわったパン屋を営む。規模は小さくとも地域内で富を循環させて、自然や生態系を守りながら心豊かに暮らす――その生き方の背景には、効率や利潤第一の資本主義経済に対する強烈な違和感がある。
 天然酵母パンの奥深き風味にも似て、本書の内容も重層的だ。元フリーターの起業物語であると同時に、食の安全や地域経済再生の提言でもある。瞠目すべきはマルクスの『資本論』をパンづくりの観点から読み解いていること。自然栽培の作物に比べ、無理やり栄養を与えられたものは生命力に乏しく腐敗しやすい(つまり財政出動などの「肥料」で経済を太らせてもダメ)など、菌と発酵の話もめっぽうおもしろく、考えさせられる。
 菌とマルクスに導かれ、著者は「腐る経済」なる理想にたどり着く。やがては土に還る自然の摂理に反して増え続けるお金。「腐らない」お金が問題を引き起こしているからだ。ネーミングは目を引くが、少々腑に落ちない部分も。だが前代未聞の菌が主役のビジネス書ゆえ、そこは大目に見よう。静かなる革命の書は、読むほどにライ麦パンの酸っぱい香りが漂う気がする。

(引用終了)
<朝日新聞 11/3/2013 フリガナは省略>

どこが「少々腑に落ちない部分」なのかは不明だが、だいたいの内容はお分かりいただけると思う。このブログでは、モノコト・シフト時代の産業システムとして、多品種少量生産、食品の地産地消、資源循環、新技術の四つを挙げ、それを牽引するのは、理念濃厚なスモールビジネスであるとしているが、このパン屋さんは、正にこれからの時代の代表選手だろう。

 この本には少なくとも三つのポイントがある。一つは天然酵母によるパン作りの話し、二つは食材の地産地消活動、そして、三つ目が「儲からない経営」。前の二つの詳細は本をお読みいただくとして、ここでは第三の儲からない経営について、「経済の三層構造」の観点から論じてみたい。経済の三層構造とは、

「コト経済」

a: 生命の営みそのもの
b: それ以外、人と外部との相互作用全般

「モノ経済」

a: 生活必需品
b: それ以外、商品の交通全般

「マネー経済」

a: 社会にモノを循環させる潤滑剤
b: 利潤を生み出す会計システム

であり、モノコト・シフトの時代には、特にa領域(生命の営み、生活必需品、モノの循環)への求心力と、「コト経済」(a、b両領域)に対する親近感が増す。尚、ここでいう「経済」とは、「自然の諸々の循環を含めて、人間を養う社会の根本理法・理念」を指す。

 この構造で見えてくるのは、儲け(利潤)というものが、「マネー経済」の

b: 利潤を生み出す会計システム

からしか生まれないという事実だ。それ以外の経済における生産と消費は、互いに等価である。事業には再投資の為の資金が必要だが、それは「マネー経済」の

a: 社会にモノを循環させる潤滑剤

によって(商品の価格に上乗せされる形で)ストックされ捻出される。この上乗せ分は、

b: 利潤を生み出す会計システム

から発した余剰マネーではなく、ビジネスの「理念と目的」を達成するために必要な蓄え(コストの先取り)だ。身体にたとえれば、運動のための体脂肪のようなものである。

 だから、モノコト・シフト時代のビジネスは、「儲からない経営」で一向に構わない。むしろ、その方が経済合理的だと思う。皆さんはいかがだろう、是非この本を読んでご一緒に考えていただきたい。

 この本にはもう一つ、地方都市の魅力というポイントがある。著者が移り住んだのは、岡山県の真庭市という山あいの小さな町だ。しかしそこには、草木染で暖簾をつくる職人、200年以上の歴史を誇る造り酒屋、豊な水、江戸の風情を残す町並みがあり、活き活きと暮らす人々の姿がある。「地方の時代」の項で述べたように、モノコト・シフトの時代の革命は、大規模都市からではなく、このような魅力溢れる地方都市(や「都市の中のムラ」)から始まってゆく。

TwitterやFacebookもやっています。
こちらにもお気軽にコメントなどお寄せください。

posted by 茂木賛 at 11:07 | Permalink | Comment(0) | 起業論

夜間飛行について

運営者茂木賛の写真
スモールビジネス・サポートセンター(通称SBSC)主宰の茂木賛です。世の中には間違った常識がいっぱい転がっています。「夜間飛行」は、私が本当だと思うことを世の常識にとらわれずに書いていきます。共感していただけることなどありましたら、どうぞお気軽にコメントをお寄せください。

Facebookページ:SMR
Twitter:@sanmotegi


アーカイブ

スモールビジネス・サポートセンターのバナー

スモールビジネス・サポートセンター

スモールビジネス・サポートセンター(通称SBSC)は、茂木賛が主宰する、自分の力でスモールビジネスを立ち上げたい人の為の支援サービスです。

茂木賛の小説

僕のH2O

大学生の勉が始めた「まだ名前のついていないこと」って何?

Kindleストア
パブーストア

茂木賛の世界

茂木賛が代表取締役を務めるサンモテギ・リサーチ・インク(通称SMR)が提供する電子書籍コンテンツ・サイト(無償)。
茂木賛が自ら書き下ろす「オリジナル作品集」、古今東西の優れた短編小説を掲載する「短編小説館」、の二つから構成されています。

サンモテギ・リサーチ・インク

Copyright © San Motegi Research Inc. All rights reserved.
Powered by さくらのブログ