夜間飛行

茂木賛からスモールビジネスを目指す人への熱いメッセージ


これからの起業マインド

2016年07月05日 [ 起業論 ]@sanmotegiをフォローする

 このブログでは最近ここまで、『和の国富論』藻谷浩介著(新潮社)に拠って、

里山システムと国づくり III
個業の時代
営業生活権
日本流ディベート

さらに加えて『宗教消滅』島田裕巳著(SB新書)と『芸術立国論』平田オリザ著(集英社新書)、『下り坂をそろそろと下りる』平田オリザ著(講談社現代新書)によって、

宗教から芸術へ
庭園・芸術都市

と書き進めてきた。これらの話を総括するような宣言(Statement)が『和の国富論』の中にある。今回は(これらの項の)中締めとして、藻谷氏のその文章を引用しておきたい。

(引用開始)

 採算性を追求する事業マインドと、公益を追求するパブリックマインドと、美を追求する感性。これらが別々に存在していたのが日本の二〇世紀後半であるとすれば、共にあるのが二一世紀だろう。
 生産者と、流通業者と、消費者。生産地と、流通市場と消費地。彼らが分立していたのが日本の二〇世紀後半であるとすれば、消費者が生産者となり、消費地が生産地となって融合していくのが二一世紀だろう。
 コンテンツがあって立地条件が良ければ事業が成り立ったのが日本の二〇世紀後半であるとすれば、コンテンツも立地条件もそれを活かす経営人材次第というのが二一世紀だろう。
 生業にいそしむ自営業者と、雇用を与えられたサラリーマン。生業が年々破壊される中「雇用される権利」が強調されたのが日本の二〇世紀後半であるとすれば、雇用が破壊される中で「営業生活権」が再発見されるのが二一世紀だろう。

(引用終了)
<同書 84ページ>

21世紀日本の(一味違う)豊かさと楽しさはここにあると強く思う。皆さんはいかがだろう。

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営業生活権

2016年06月07日 [ 起業論 ]@sanmotegiをフォローする

 引き続き『和の国富論』藻谷浩介著(新潮社)に拠って、起業論を深めていこう。今回は「里山システムと国づくり III」で引用した氏の文章(や目次)にある「営業生活権」について。この言葉は、「個業」と同じ<第三章:「空き家」活用で日本中が甦る……清水義次(都市・建築再生プロデューサー)>の中に出てくる。その対話部分を引用しよう。藻谷氏の、今の日本にはまだ会社を辞めて食べていくためには特別な能力が必要なのではないかと信じ込んでいる人が多い、というコメントを受けて清水氏がいう。

(引用開始)

清水 実際は全然そんなことないのに(笑)。僕は人間が生まれながらに持っている権利に「営業生活権」というものがあると思っているんです。
藻谷 それはいわゆる生業権みたいなものですか?
清水 関東大震災からの復興の際に、東京商科大学(今の一橋大学)の福田徳三という経済学者が唱えた概念です。
 当時、帝都復興院総裁の後藤新平は、インフラ投資で機能分化した都市を築くのが復興だと考えた。郊外に住宅地を造って、道路や鉄道を引いて、都心にビルを建てて、大企業が人々に仕事を用意してやればよいと考えたわけです。
 これに対して福田は、「人間には自分で営業して生活を営む権利があるはずだ」と反対しました。僕はこの考えにとても共感しています。だから東日本大震災の時も、「営業生活権の復活こそが復興だ」と言って回りました。
藻谷 なんで日本では、営業生活権を捨てて、大企業の部品になるしかないと勘違いする人が多いのでしょうか?
清水 わかりませんが、おそらく明治以降の国策として、組織の中でよく働く人間を育成することに一生懸命になった結果じゃないでしょうか。国の教育方針に問題があると感じています。

(引用終了)
<同書 113−114ページ>

関東大震災は1923年(大正12年)の出来事だから、福田徳三が「営業生活権」を唱えたのは、今からおよそ百年も前のことだ。当時日本は近代社会づくりを目指していた。その家族の枠組みは、

1. 家内領域と公共領域の分離
2. 家族構成員相互の強い情緒的関係
3. 子供中心主義
4. 男は公共領域・女は家内領域という性別分業
5. 家族の団体性の強化
6. 社交の衰退
7. 非親族の排除
8. 核家族

を目標にしていただろう。後藤新平の復興策は概ねこの路線に沿うと思われる。

 それに対して福田の「営業生活権」という概念は、本人がどういう家族を想定したのか分からないが、今の新しい家族の枠組み、

1. 家内領域と公共領域の近接
2. 家族構成員相互の理性的関係
3. 価値中心主義
4. 資質と時間による分業
5. 家族の自立性の強化
6. 社交の復活
7. 非親族への寛容
8. 大家族

に(特に項目1.に)フィットする。清水氏の言うとおり、今の時代に甦るべき考え方に違いない。

 さらに付け加えれば、これからの起業は、「営業生活権」「個業」「スモールビジネス」といったキーワードと共に、社会のベースとなる新しい家族の枠組み8項目全てを十分考慮に入れたものであるべきだろう。それは、以前論じた「ヴァージンの流儀」的経営とオーバーラップする筈だ。

 藻谷氏は「営業生活権」を「雇用とは一味違う豊かさと楽しさ」と表現しておられる。その「豊かさと楽しさ」感は、新しい家族の枠組み8項目全体に亘って(21世紀的生き方そのものに対して)いえると思う。

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個業の時代

2016年05月31日 [ 起業論 ]@sanmotegiをフォローする

 前回紹介した『和の国富論』藻谷浩介著(新潮社)、<第三章:「空き家」活用で日本中が甦る……清水義次(都市・建築再生プロデューサー)>の中に、今の時代、若い人の方が(年寄りよりも)公的精神を持っているタイプが多い、という話がある。清水氏の「いまの若い人たちとの方が話が合いますね」というコメントを受けて始まる、その対話部分を引用しよう。

(引用開始)

藻谷 すごくわかります。私より数年下、だいたい今の四五歳ぐらいから、量的な拡大よりも質的な面白さを求める人が、ぼつぼつと出始めていて、三〇代、二〇代と若くなると、急に増えている気がします。
清水 先ほど申し上げた通り、僕の大もとの仕事は、社会風俗を観察して潜在意識の変化を読み取ることですが、いま日本社会にものすごく大きな変化が起きていると感じます。生まれながらにパブリックマインド(公共精神)を持っているタイプの、二〇代・三〇代がすごい勢いで増えている。地方でリノベーションスクールを開いてみると、やはり四〇代以上の人たちと、それ以下の人たちとの間には圧倒的な意識の差がある。
 ちょっと真面目な話をすると、ついに市民社会が成熟し始めたのかなという印象です。イギリスなどは長い時間をかけてゆっくりと市民社会が成熟を遂げてきたわけですが、日本社会は今ものすごい勢いで変化している。
藻谷 ついに日本が……ちょっと感動を禁じえませんね。それなのに、一方で「日本を、取り戻す。」なんてのがウケているらしい。いったい何を取り戻したいのか。
清水 あまりに時代感覚がズレている。二段階ぐらい断絶している。
藻谷 大企業に入って闇雲なグローバル競争で消耗するのでもない。かと言って、補助金・福祉依存で食わせてもらうのでもない。地域社会の中でささやかに自立し協業しながら、楽しく生きようとする若者が増えてきた。前時代的な「家業」から「企業」の時代が来て、ようやく「個業」の時代へと変化しようとしている。
清水 僕の仮説では、そうやって自立して生きる人の比率が増えれば、街がどんどん面白くなる。それを実地で証明していくのが「現代版家守」のテーマです。

(引用終了)
<同書 91−93ページ>

このブログでは、「若者の力」や「女子力」、「心ここに在らずの大人たち」や「フルサトをつくる若者たち」などの項で、若い世代の台頭に期待を寄せてきた。「組織は“理念と目的”が大事」の項で紹介した『PTA、やらなきゃダメですか?』の著者山本浩資氏も1975年生まれとあるから41歳だ。こういう世代の地域社会への関与は心強い。

 またこのブログでは当初から、これからはフレキシブルで、判断が早く、地域に密着した「スモールビジネス」の時代だ言い続けてきた。詳細はカテゴリ「起業論」をお読みいただきたいが、それは藻谷氏のいう「個業」の概念に近いと思う。

 若い世代による「個業」の増大。この現象の背景には、家族組織の変化があると思う。なぜなら、働く形態は、そのベースとなる(それを支える)家族組織の変化と対応する筈だからだ。「家業」から「企業」、そして「個業」への変化は、家族組織の変化、「家父長制」から「近代家族」、そして「新しい家族の枠組み」への変化と同期しているはずだ。「近代家族」の枠組みは、

1. 家内領域と公共領域の分離
2. 家族構成員相互の強い情緒的関係
3. 子供中心主義
4. 男は公共領域・女は家内領域という性別分業
5. 家族の団体性の強化
6. 社交の衰退
7. 非親族の排除
8. 核家族

であり、新しい家族の枠組みは、

1. 家内領域と公共領域の近接
2. 家族構成員相互の理性的関係
3. 価値中心主義
4. 資質と時間による分業
5. 家族の自立性の強化
6. 社交の復活
7. 非親族への寛容
8. 大家族

というものだ。若い世代の「個業」ないし「スモールビジネス」は、この新しい家族の枠組み各項目と親和性を持ちつつ展開すると考えられる。だからこれからの市民社会の成熟は、これらの価値観が社会に行き渡ることと同義であるとも言える。逆にいうと、これらの価値観が行き渡るまでは、「日本を、取り戻す。」といった勘違い感覚が(旧世代を中心として)なくならないわけだ。

 若い世代でも、新しい価値体系に全面的に移行できない人たちもいるだろう。たとえば、「個業」に惹かれながらも「男は公共領域・女は家内領域という性別分業」にこだわっていたり、「子供中心主義」を捨てられなかったり、「地元」に残りたいけれど「家内領域と公共領域の分離」が刷り込まれているから近所には仕事がないと思い込んだり、「家族構成員相互の理性的関係」を築くことが出来ずに親の宗教やしがらみに引き摺られたり。こういった混乱はしばらく続くのではないか。この辺について、項を改めてもう少し探ってみたい。

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里山システムと国づくり III

2016年05月24日 [ 起業論 ]@sanmotegiをフォローする

 藻谷浩介氏の著書については、これまで「里山システムと国づくり」の項で『里山資本主義』(共著・角川oneテーマ21)、「里山システムと国づくり II」の項で『しなやかな日本列島のつくりかた』(対談集・新潮社)、と書いてきたが、先日『和の国富論』(新潮社)が出版されたので紹介したい。これは『しなやかな日本列島のつくりかた』の続編とでもいうべき内容で、対談の相手は現場に腰を据えた各分野の専門家5人と、このブログでも度々その著書を論じている養老孟司氏。

第一章:「林業」に学ぶ超長期思考……速水亨(速水林業代表)企業統治は「ガバナンス強化」より「家業化」せよ。
第二章:「漁業」は豊かさを測るモノサシである……濱田武士(漁業経済学者)農林漁業は「効率化」より「需要高度化」を目指せ。
第三章:「空き家」活用で日本中が甦る……清水義次(都市・建築再生プロデューサー)地方創生は「雇用」よりも「営業生活権」を確保せよ。
第四章:「崩壊学級」でリーダーが育つ……菊池省三(元小学校教師)リーダーは「進学校」より「崩壊学級」で練成せよ。
第五章:「超高齢社会」は怖くない……水田惠(株式会社ふるさと代表取締役社長)老後不安は「特養増設」より「看取り合い」で解消。
第六章:「参勤交代」で身体性を取り戻す……養老孟司(解剖学者)日本国民は「参勤交代」で都会と田舎を往還せよ。

ということで、林業、漁業、空き家、学級崩壊、超高齢社会、都市と田舎について、前回同様、現状を踏まえた上で将来の展望を語る内容となっている。本書の「はじめに」から藻谷氏の文章を引用しよう。

(引用開始)

 林業の対話で描かれる、五〇年以上のサイクルで物事を考える「林業時間」の重要性。漁業の対話の中から浮かび上がる、「質」と「多様性」を何よりも重視する新たな市場原理。街区再生の対話で語られる「営業生活権」という言葉が内包する、「雇用」とは一味違う豊かさと楽しさ。教育の対話は、「コミュニケーション」を通じ相互を高めあう経験こそが、(市場経済を含む)人間社会を維持する必須条件なのではないかと考えさせる。福祉の対話は、認知症を発症したホームレスという厳しい状況に置かれた人間にも、普通の経済生活を営む人間とまったく同様の尊厳のあること、それを認めることから、経済社会の基盤づくりが始まることを示す。そしてそれらの諸要素は、最後の養老孟司氏との公開対談の中に再び登場し、脳の肥大化した特殊な生物、とはいっても自然の中におかれた生き物の一種にすぎない人類、さらにはその片割れに過ぎない自分たち個人の、社会的生物としてのあるべき生き方が示唆される。人が仕事を選ぶのではなく、仕事が人を選ぶのだ、といった両面からの考察が、心に刺さる。

(引用終了)
<同書 5ページ)

このブログでは経済を「自然の諸々の循環を含めて、人間を養う、社会の根本の理法・摂理」と捉え、マネー増減だけに囚われない起業家精神を説いているが、藻谷氏もそのように経済を考えておられるようで、氏の著書にはいつも元気付けられる。

 前著『しなやかな日本列島のつくりかた』が扱った分野は、商店街、限界集落、観光地、農業、医療、鉄道、街づくり。今回のものと併せ、いづれも難しい問題を抱えた領域ではあるが、困っておられる方は、これらの対談を繰り返し読むことで、解決のヒントが見えてくると思う。

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組織は“理念と目的”が大事

2016年05月17日 [ 起業論 ]@sanmotegiをフォローする

 『PTA、やらなきゃダメですか?』山本浩資著(小学館新書)という本を楽しく読んだ。まず新聞の紹介文を引用しよう。

(引用開始)

 仕事一辺倒の新聞記者が、地域の人々からPTA会長就任を求められ、しぶしぶ引き受けてから、PTAを改革していくまでの過程をドキュメンタリータッチで描く。タイトル通り、誰もやりたくないが、仕方なく参加しているPTAを、やりたい人が地域のために参加する組織に変えるにはどうしたらいいか。著者は理論的に思考して進めていく。
 経営学者ドラッカーの著書を元に、PTAにとって顧客とは誰かを見極める。それは「子ども」であり、「学校にかかわるすべての人」だ。アンケート調査で会員の本音を探り、委員会を全廃し、全活動をボランティアで行なうことを提案。役員たちは唖然とするが、<活動が強制されたものではなく、楽しいもの、必要なものならば、輪が広がっていく>という信念は揺るがない。
 最終的にはPTAを解体し、すべての活動を自発性にゆだねる組織へと発展させる。そこには、従来の「PTAに保護者が従う」という縦の関係ではなく、「保護者たちが横の関係で手を携えながら、地域の子どものためにできることを無理のない範囲で行なう」という成熟した地域社会への提言が含まれている。

(引用終了)
<毎日新聞 3/27/2016(フリガナ省略)>

 山本氏の成功の秘訣は、PTAの「理念と目的」を明確化したことだと思う。このブログでいう理念とは、なぜその活動を始めようとしたのか、ということであり、目的とは、具体的に何を達成したいのか、ということを指す。PTO(ボランティア精神を強調するために名称をPTAからPTOに変更)の入会申込書(抜粋)を本書から引用したい。

(引用開始)

 A小学校のPTOボランティアセンターでは、お子さまのご入学にあわせて保護者の皆様にPTOへの入会を任意でお願いしております。
 PTOの目的は、「子どもたちの健やかな成長をはかる」ことです。PTO活動には、学校・地域と協力して親子で楽しめる活動の企画・運営、安全・防災に関する活動、会員が望む子どもに体験させたい「夢」を実現するための資金作りなどさまざまなものがあります。活動は「できるときに、できる人が、できることをやる」が基本です。このような趣旨をご理解いただき、皆様のPTOへの参加をお願いいたします。
 また、PTOの活動には皆様一人ひとりのご協力が不可欠です。お仕事をお持ちの方、小さいお子さまがいらっしゃる方も、ご無理のない範囲で、できるときに自分の気に入ったボランティア活動にご協力をお願いいたします。
 皆様のご理解とご協力を得てPTO活動を行い、学校や地域と協力しながら子どもたちの健全な成長の一助になるような活動を、続けていきたいと思います。

(引用終了)
<同書 64−65ページ>

PTOの理念(なぜその活動を始めようとしたのか)は、「親としての愛情を学校の子どもと大人たちのために役立てる」ことであり、目的(具体的に何を達成したいのか)は、「子どもたちの健やかな成長をはかる」ということになるだろう。

 理念の基が「愛情」だから、活動は任意ボランティア・ベースでと言い切ることができた。目的が「健やかな成長」だから、楽しい活動をいろいろと企画することができる。詳細は本書をお読みいただきたいが、校庭で『逃走中』(テレビの人気番組)をやったときの話は感動的だ。これが従来のPTAによくあるような「義務」と「強制」だけ(の組織)だったらこんな自由な発想は出てこなかっただろう。PTOのキャッチフレーズは、「そうだ、学校に行こう。子どもたちに笑顔を!大人たちに感動を!」というものだという(99ページ)。素晴らしいフレーズではないか。

 理念と目的を明確化して組織の運営することの大切さは、PTAなどの非営利組織だけでなく、一般の企業活動においても言えることだ。その意味で起業家のみなさんにも参考になると思う。

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歴史の表と裏

2016年02月16日 [ 起業論 ]@sanmotegiをフォローする

 前回「物事の表と裏 II」の項で、歴史について、

(引用開始)

正史と外史、すなわち時の権力勝者が綴った表史と、敗者が綴った裏史の両方を知ることは、歴史を学ぶ際の基本であるが、裏は確かさの見極めが難しい。いろいろな仮説が生まれる所以だ。玉石混交で面倒くさがりには敬遠されるが、暇を惜しまず吟味していくと、思わぬ繋がりが見えてくることもある。

(引用終了)

と書いたけれど、今回はその一例を示してみたい。

 先日、『下山事件 暗殺者たちの夏』柴田哲考著(祥伝社)という本を読んだ。これは占領時代の日本で起きた事件をフィクションの形で追いかけたものだ。内容は勿論「いろいろな仮説の一つ」だが、当時歴史の裏で暗躍した政財界の大物、日米諜報員、特務機関員、検察・警察などのことが詳しく描かれている。

 この本と、以前「国家理念の実現」の項で紹介した『日本はなぜ、「基地」と「原発」を止められないのか』矢部宏治著(集英社インターナショナル)にある日本の国家権力構造の変遷、

戦前(昭和初期):天皇+日本軍+内務官僚
戦後@(昭和後期):天皇米軍+財務・経済・外務・法務官僚+自民党
戦後A(平成期):米軍+外務・法務官僚

とを繋げて考えると、権力中枢と一般国民との間の層(中間層)がより鮮明に見えてきた。

 先日『百花深処』<平岡公威の冒険 5>において、その大枠を、

(引用開始)

 戦後日本の姿を今一度振り返ってみよう。戦争に破れると、国(state)は主に以下の人々よって形作られた。

〔1〕
@ 一人の占領軍司令長官(米国軍人)
A 一握りの理想家米国軍人
B 多くのゴロツキ米国軍人

〔2〕
@ 一人の敗戦国君主
A 一握りの生き残り官僚
B 多くの生き残り軍人
C 無数のその日暮らしの庶民たち

 多大な影響を齎したのは勿論〔1〕の人々だ。戦犯を裁き情報を検閲し、米軍が末永く支配するための体制を作り必要な資金を投入した。〔1〕Aの人々は特に憲法作成と文化保全に力を注ぎ、Bはそれ以外全てを担った。〔2〕は皆そのために利用された。

 数年後日本国はサンフランシスコ講和条約によって独立を回復したが、「米軍が末永く支配するための体制」は日米安全保障条約などによって継続。〔1〕の人々の多くは帰国し、体制は〔2〕によって担われることとなった。

 ここで〔2〕の取りうる選択肢は二つあった筈だ。一つは「米軍が末永く支配するための体制」から脱却し真の独立を勝ち取る道。もう一つは独立よりも資金的(狭い意味の経済的)繁栄のみを選ぶ道。

 国家統治を任された〔2〕@、A、およびBの一部の人々は後者を選んだ。その方が自分達のためになると考えたからだろう。その下で、Bの大半の男たちは復興のために挺身し、Cの人々はそれを支えた。冷戦の時代を経て、確かに日本は資金的に復興した。しかし独立国となる道は閉ざされたまま、文化的繁栄は細々としたものに留まった。平成の今、『日本はなぜ、「基地」と「原発」を止められないのか』にあるように、日本国は依然として米軍と官僚とに国家統治能力を奪われている。 

(引用終了)

と纏めた。他の関連本と照らし合わせても、この結論はいまのところかなり確かだと思っている。当然「いろいろな仮説の一つ」としてではあるが。

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物事の表と裏 II 

2016年02月10日 [ 起業論 ]@sanmotegiをフォローする

 前回「物事の表と裏」の項で、裏を見つけるのは分析派Aの得意技、奥に気付くのは直観派Bの方と書いたけれど、今回はその辺りをさらに敷衍してみたい。AとBというのは勿論、複眼主義の考え方の対比、

------------------------------------------
A Resource Planning−英語的発想−主格中心
a 脳(大脳新皮質)の働き−「公(Public)」−「都市」
A 男性性=「空間重視」「所有原理」

A、a系:デジタル回路思考主体
世界をモノ(凍結した時空)の集積体としてみる(線形科学)
------------------------------------------

------------------------------------------
B Process Technology−日本語的発想−環境中心
b 身体(大脳旧皮質及び脳幹)の働き−「私(Private)」−「自然」
B 女性性=「時間重視」「関係原理」

B、b系:アナログ回路思考主体
世界をコト(動きのある時空)の入れ子構造としてみる(非線形科学)
------------------------------------------

を指している。

 物事には表・奥・裏とあるわけだが、Aの考え方は物事をどちらかというと構造的に理解しようとする。学問で言えば理論科学、ビジネスでいえばメリット・デメリット、pros and cons分析など。一方のBは物事を機能的に体感しようとする。学問で言えば実験科学、ビジネスでいえばサントリーの「やってみなはれ」、英語で言えばjust do itなどがそれだ。Aは物事を静止させてその物(モノ)の構造を見る。Bは物事の動き(コト)に身を投じてそのダイナミズムを観る。これは「背景時空について」の話に繋がる論点でもある。どちらの役割も大切なのは言うまでもない。そういえば以前「ホームズとワトソン」の項で、あの有名な探偵小説にAとBの対比を当て嵌めたことがある。

 物事を「変化」という点から見ると、物(モノ)は静止しているわけだから、変化は、物と物との間で起る歪みやひび割れなどの構造的な変形、ということになる。一方、事(コト)の変化は、内側に秘められたエネルギーによる質の変化、卵の孵化、蛹から蝶へのメタモルフォーゼといった奥からの変化である。変形が変質を促し、変質が変形を齎すという相互作用もある。たとえば「エッジエフェクト」というのは、異なるモノが接する界面から新たなコトが生成する作用をいう。

 表と裏の話に戻ると、正史と外史と呼ばれる歴史についての表・裏もある。歴史書は誰かが書いたものだからAの範疇だ。正史と外史、すなわち時の権力勝者が綴った表史と、敗者が綴った裏史の両方を知ることは、歴史を学ぶ際の基本であるが、裏は確かさの見極めが難しい。いろいろな仮説が生まれる所以だ。玉石混交で面倒くさがりには敬遠されるが、暇を惜しまず吟味していくと、思わぬ繋がりが見えてくることもある。Bの力を借りるために、現地へ足を運んだり、内なる直感に耳を傾けることも必要である。

 文明の発展に寄与する二元論もA領域の話だ。仮想としての宗教や律法、理論科学などを背景時空として、善と悪、正統と異端、正と否(right and wrong)などと分けてゆく二元論は、西洋近代文明を作った弁証法の基でもある。その時、B側の考え方を忘れるとえらいことになる。A側の暴走、特に過激な一神教と結びついたそれは環境を破壊し、作られた武器は人類を滅亡させかねない。21世紀のモノコト・シフトは、A側のロジックに、どれだけB側のハートが寄り添えるかのチャレンジである、という見方も出来るだろう。

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物事の表と裏

2016年02月02日 [ 起業論 ]@sanmotegiをフォローする

 物事には表もあれば裏もある。「3の構造」でいえば表・奥・裏の3つだろうか。表と裏はたとえば、光と影、天と地、南側と北側などで、それ自体は価値中立的だ。しかし(奥もそうだが)裏は往々にして人の目から隠れている。都市のインフラでいえば下水やゴミ処理場など、裏は概ね人目に付かないところにある。そこで、物事の良し悪しを表と裏で表現することが起る。たとえば世間と裏世間、表の仕事と裏の仕事などなど。

 複眼主義の対比、

------------------------------------------
A Resource Planning−英語的発想−主格中心
a 脳(大脳新皮質)の働き−「公(Public)」−「都市」
A 男性性=「空間重視」「所有原理」

A、a系:デジタル回路思考主体
世界をモノ(凍結した時空)の集積体としてみる(線形科学)
------------------------------------------

------------------------------------------
B Process Technology−日本語的発想−環境中心
b 身体(大脳旧皮質及び脳幹)の働き−「私(Private)」−「自然」
B 女性性=「時間重視」「関係原理」

B、b系:アナログ回路思考主体
世界をコト(動きのある時空)の入れ子構造としてみる(非線形科学)
------------------------------------------

でいえば、A、Bそれぞれの行き過ぎが裏=悪しとなる。Aは過度の分析的・理知的な考え方、Bは過度の直感的・感情的な考え方が裏=悪しとなる。個体においてAとBは拮抗的だから、Aの行き過ぎはBの過小、Bの行き過ぎはAの過小となる。このバランスが上手く取れないと、人は「三つの宿啞」のどれかに陥りやすくなる。

(1)過剰な財欲と名声欲(greed)
(2)官僚主義(bureaucracy)
(3)認知の歪み(cognitive distortions)

このことはこれまでも縷々述べてきた。

 物事は、片側ばかり見ていたのでは全体は掴めない。表で活躍するためにも裏を知ることが重要だ。表と裏、良し悪し、両方を均等に見ること。それはビジネスの第一歩でもあるがこれがなかなか難しい。習慣や経験、好みなどが邪魔をして見方を偏らせる。光が当る表ばかりに目が行く。縁の下の力持ちに目が届かない。話の裏が読めない。裏で蠢く共謀が見抜けない。

 裏を見つけるのは分析派Aの得意技だ。直観派Bの方は裏よりも奥に気付く。日本語を母語とする人はもともとBが強い。世界の先進国を中心にAへの偏りが強かった20世紀、日本人の多くはその行き過ぎた物質主義や拝金主義に随分と感化されたけれど、国家の統治に関してはAを他人任せにしてきた。政治の裏が見えなかったからかもしれない。いや、見たくなかったのか。それが統治に関して<日本の戦後の父性不在>を生み出してきた。これからの世界はモノコト・シフトで全体にBに偏ってくるから、様々な分野で我々は先頭を走っていることになるが、政治に関しては逆にAを強化し、「アナロジー的思考法」の佐藤優氏を見習ってもっと見えない裏を知る必要がある。

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大きな物語

2016年01月26日 [ 起業論 ]@sanmotegiをフォローする

 前回「アナロジー的思考法」の項で、佐藤優氏の『世界史の極意』という本を紹介したが、その中に「大きな物語」という言葉が出てくる。その部分を引用したい。

(引用開始)

 「大きな物語」とは、社会全体で共有できるような価値や思想体系のこと。「長い十九世紀」の時代であれば、「人類は無限に進歩する」とか、「民主主義や科学技術の発展が人々を幸せにする」というお話が「大きな物語」です。
 ところが民主主義からナチズムが生まれ、科学技術が原爆をつくるようになると、人々は「大きな物語」を素直に信じることができなくなります。
 とくに、私の世代以降の日本の知識人は、「大きな物語」の批判ばかりを繰り返し、「大きな物語」をつくる作業を怠ってきてしまいました。
 歴史研究でも、細かい各論の実証は手堅くおこないますが、歴史をアナロジカルにとらえ、「大きな物語」を提出することにはきわめて禁欲的でした。
 その結果、何が起きたか。排外主義的な書籍やヘトスピーチの氾濫です。
 人間は本質的に物語を好みます。ですから、知識人が「大きな物語」をつくって提示しなければ、その間隙をグロテスクな物語が埋めてしまうのです。
 具体的にはこういうことです。知識人が「大きな物語」をつくらないと、人々の物語を読み取る能力は著しく低下する。だから、「在日外国人の特権によって、日本国民の生命と財産がおびやかされている」というような稚拙でグロテスクな物語であっても、多くの人々が簡単に信じ込んでしまうようになるわけです。

(引用終了)
<同書 22ページ(フリガナ省略)>

「大きな物語」とは、「社会全体で共有できる価値、思想体系」ということである。佐藤氏は、人々がこんなに簡単に稚拙でグロテスクな物語を「大きな物語」と勘違いして信じ込むとは思わなかったとし、次のように書く。

(引用開始)

 そこで自覚的に日本の「大きな物語」を再構築する必要を感じました。それを踏まえて、帝国主義的な傾向を強めていく国際社会のなかで、日本国家と日本民族が生き延びる知恵を見出していくことを意図していたわけです。
 しかし現在の私は、そういった作業の必要性を感じていません。というよりも、グロテスクな「大きな物語」の氾濫をせき止める物語を構築するほうが急務の課題だと認識しています。
 以上のような個人的な反省も踏まえて、本書では、アナロジーによって歴史を理解するという方法論を採ることにしました。これが実利的にも有益であることは、ここまで述べたとおりです。

(引用終了)
<同書 23−24ページ>

グロテスクな物語の氾濫をせき止めるため、そしてグロテスクな物語によって起りうる戦争を阻止するため、佐藤氏は「アナロジー的思考」という手法を使って、いまの世界の問題を解説しようとするわけだ。それはそれで宜しい。

 では、21世紀の「大きな物語」をどう作るか。前回、アナロジー的思考は複眼主義の対比、

------------------------------------------
A Resource Planning−英語的発想−主格中心
a 脳(大脳新皮質)の働き−「公(Public)」−「都市」
A 男性性=「空間重視」「所有原理」

A、a系:デジタル回路思考主体
世界をモノ(凍結した時空)の集積体としてみる(線形科学)
------------------------------------------

------------------------------------------
B Process Technology−日本語的発想−環境中心
b 身体(大脳旧皮質及び脳幹)の働き−「私(Private)」−「自然」
B 女性性=「時間重視」「関係原理」

B、b系:アナログ回路思考主体
世界をコト(動きのある時空)の入れ子構造としてみる(非線形科学)
------------------------------------------

でいうA側の考え方だと書いたが、私の考えでは、「大きな物語」は、A側の考え方だけでは作れない。「背景時空について」の項で述べたように、B側のキーワードは「連続」だ。「分析」と「連続」、両方揃わなければ新しいアイデアはなかなか創発しない。21世紀の「大きな物語」は、A側だけでなく、B側の考え方との対話のなかから生まれるはずだ。

 このブログでは、21世紀はモノコト・シフトの時代だと述べている。モノコト・シフトとは、「“モノからコトへ”のパラダイム・シフト」の略で、二十世紀の大量生産システムと人の過剰な財欲による「行き過ぎた資本主義」への反省として、また、科学の還元主義的思考による「モノ信仰」の行き詰まりに対する新しい枠組みとして生まれた、(動きの見えないモノよりも)動きのあるコトを大切にする生き方、考え方への関心の高まりを指す。それは、A側に偏った20世紀から、B側の復権によってA、B両者のバランスを回復しようとする21世紀の動きといえる。「揺り戻しの諸相」で書いたように、振り子はA側とB側の間を行ったり来たりしながら、A、B両者のバランスが回復したところでモノコト・シフトは終わるだろう。「大きな物語」はその先にある。これからA側に必要なのは、Bの考え方と対話しながら、柔軟な理論を組み立てることだと思う。やがてそれが「大きな物語」へとつながるに違いない。

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アナロジー的思考法

2016年01月19日 [ 起業論 ]@sanmotegiをフォローする

 先日「階層間のあつれき」の項で、『官僚階級論』佐藤優著(モナド新書)を紹介したが、『世界史の極意』(NHK出版新書)という本は、佐藤氏が「アナロジー的思考」という手法を使って、現在世界で起きている様々な問題を解説したものだ。アナロジー的思考とは、

(引用開始)

 本書では、<いま>を読み解くために必須の歴史的出来事を整理して解説します。世界史の通史を解説する本ではありません。世界史を通して、アナロジー的なものの見方を訓練する本です。
 いま、「アナロジー(類比)」と書きました。これは、似ている事物を結びつけて考えることです。アナロジー的思考はなぜ重要なのか。未知の出来事に遭遇したときでも、この思考法が身についていれば、「この状況は、過去に経験したあの状況とそっくりだ」と、対象を冷静に分析できるからです。

(引用終了)
<同書 10−11ページ(フリガナ省略)>

ということで、これは「背景時空について」の項でいうところのA側の考え方、「分ける」発想法、分けたものを固定・類比し整理する思考である。複眼主義の対比、

------------------------------------------
A Resource Planning−英語的発想−主格中心
a 脳(大脳新皮質)の働き−「公(Public)」−「都市」
A 男性性=「空間重視」「所有原理」

A、a系:デジタル回路思考主体
世界をモノ(凍結した時空)の集積体としてみる(線形科学)
------------------------------------------

------------------------------------------
B Process Technology−日本語的発想−環境中心
b 身体(大脳旧皮質及び脳幹)の働き−「私(Private)」−「自然」
B 女性性=「時間重視」「関係原理」

B、b系:アナログ回路思考主体
世界をコト(動きのある時空)の入れ子構造としてみる(非線形科学)
------------------------------------------

でいうA側の考え方である。

 なぜアナロジー的思考法なのか。氏は、今の世界は「戦争の時代」が再燃しようとしている状況だとし、

(引用開始)

 このような状況にあって、知識人の焦眉の課題は「戦争を阻止すること」です。そして、戦争を阻止するためには、アナロジカルに歴史を見る必要があります。
 なぜか。
 すでにお話したとおり、アナロジカルに歴史を見るとは、いま自分が置かれている状況を、別の時代に生じた別の状況との類比にもとづいて理解するということです。こうしたアナロジー的思考は、論理では読み解けない、非常に複雑な出来事を前にどう行動するかを考えることに役立つからです。(中略)
 第一章でくわしく見るように、現代は十九世紀末から二〇世紀初頭の帝国主義を繰り返そうとしている。帝国主義の時代には、西欧諸国が「力」をむきだしにして、勢力を拡大しました。現代もまた中国、そしてロシアが帝国主義的な傾向を強めている。これが、アナロジカルに歴史を見ることの一例です。 

(引用終了)
<同書 17−18ページ(フリガナ省略)>

と書く。本の目次を紹介しよう。

序 章 歴史は悲劇を繰り返すのか?
――世界史をアナロジカルに読み解く
第一章 多極化する世界を読み解く極意
――「新・帝国主義」を歴史的にとらえる
第二章 民族問題を読み解く極意
――「ナショナリズム」を歴史的にとらえる
第三章 宗教紛争を読み解く極意
――「イスラム国」「EU」を歴史的にとらえる

 今の世界を氏は「新・帝国主義」の時代と分析し、それを「資本主義と帝国主義」「民族とナショナリズム」「キリスト教とイスラム」という三つの背景時空からアナロジカルに読み解いてゆく。

(引用開始)

 資本主義、ナショナリズム、宗教――私の見立てでは、この三点の掛け算で「新・帝国主義の時代」は動いている。その実相をアナロジカルに把握することが本書の最終目標です。

(引用終了)
<同書 28ページ>

 私も、「熱狂の時代」の項で述べたように、モノコト・シフトの時代、人々の考え方がB側に偏りすぎると、熱狂による戦争が起りかねないと考える。我々はA側の考え方をもっと学ぶべきだし、そのためにこの本の知見が役立つと思う。

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階層間のあつれき

2015年12月29日 [ 起業論 ]@sanmotegiをフォローする

 前回「揺り戻しの諸相」の項で、モノコト・シフトを巡る様々な力関係における守旧派と新興勢力間の「せめぎあい」に関して、

(引用開始)

 20世紀を担ったのは(当然ながら)21世紀の老年層であり、主導したのは欧米諸国の富裕層による覇権主義である。従って、「様々な力関係」のうち、世代間では「老年層の守旧と若年層の新興」、男女間では「男性性の守旧と女性性の新興」、階層間では「富裕層の守旧と貧困層の新興」、といった大まかな対立軸を描くことができる。宗教間や地域間、国家間における対立や分裂は、「覇権主義=守旧、多極主義=新興」といった軸で見るのがいいだろう。

(引用終了)

と書いたけれど、今回はそのうちの「階層間のあつれき」に焦点を当ててみたい。

 富裕層には、人類の三つの宿啞、

(1)社会の自由を抑圧する人の過剰な財欲と名声欲
(2)それが作り出すシステムとその自己増幅を担う官僚主義
(3)官僚主義を助長する我々の認知の歪みの放置

のうち、(1)の過剰な財欲と名声欲(greed)を持つ人が少なくない。彼らは(2)の官僚主義(bureaucracy)を利用して、中間層や貧困層を(3)の認知の歪み(cognitive distortions)に陥れながら自らの財を増やしてきた。だから彼らの守旧運動は概ねこのスキーム上で繰り広げられる。

 彼らが富を成す有力手段の一つは「経済の三層構造」でいう「マネー経済」b:「利潤を生み出す会計システム」上の株式や債券投資だ。それらの富は財といっても、信用創造と金利だけが頼りのペーパーマネーだから、モノコト・シフトによって「“モノ”余りの時代」が到来すると、それと同期して収縮せざるを得ない。守旧運動はその実態を隠しながら行なわれる。しかし所詮は悪足掻きに過ぎない。『再発する世界連鎖暴落』副島隆彦著(祥伝社)には、greedを持つ人々のそういう悪足掻きが、数字を伴って暴かれている。2015年11月発行の本だ。参考になると思う。恐ろしいのは彼らが戦争をも利用しようとすることである。大きな戦争となるともはや地球環境が持たないかもしれない。

 参考までに経済の三層構造とは、

「コト経済」

a: 生命の営みそのもの
b: それ以外、人と外部との相互作用全般

「モノ経済」

a: 生活必需品
b: それ以外、商品の交通全般

「マネー経済」

a: 社会にモノを循環させる潤滑剤
b: 利潤を生み出す会計システム

であり、モノコト・シフトの時代には、特にa領域(生命の営み、生活必需品、モノの循環)への求心力と、「コト経済」(a、b両領域)に対する親近感が増す。尚、ここでいう「経済」とは、「自然の諸々の循環を含めて、人間を養う社会の根本理法・理念」を指す。

 官僚主義(bureaucracy)を体現する人々を、一つの「階級」として扱おうというのが『官僚階級論』佐藤優著(モナド新書)だ。2015年10月発行の本。官僚は(1)のgreedに取り入るだけでなく、集合的無意識によって自らを守るとする、ユニークな視点の本だ。官僚は「nationとstate」の項で述べた「state」の今を裏から牛耳る。greedの後ろで蠢く官僚を、「階級」として扱うことで表に引き摺り出そういう意図があるらしい。副題に「霞ヶ関(リヴァイアサン)といかに闘うか」とある。本の帯にある紹介文には、

(引用開始)

官僚はこう信じている。「有象無象(うぞうむぞう)の国民を支配するのは自分たち偏差値エリートだ」と。

(引用終了)

とある。これも読むと面白い。

 階層間の「富裕層の守旧と貧困層の新興」。これからの時代、地球環境を守りつつ貧困層を新興させるには、富裕層が溜め込んだ、あるいは官僚が隠し持つ「マネー経済」b:「利潤を生み出す会計システム」上のペーパーマネーを、「マネー経済」a:「社会のモノを循環させる潤滑油」の方に活用して、必要な産業基盤(インフラ)への投資を行なうことだと思う。

 日本でいえば観光インフラ投資、とくに日本海側への投資、海外でいえばユーラシア大陸への投資(「観光業について」「観光業について II」「日本海側の魅力」各項参照のこと)。福祉への投資も大切だ。副島氏は『再発する世界連鎖暴落』の中で、ユーラシア大陸のど真ん中に沢山都市をつくり、中国だけでなくユーラシア全体の職のない若者たちのために、新しい雇用を生み出すべきだという。そして日本の汚水処理技術と海水から真水をつくる技術を惜しみなく導入する。

(引用開始)

 もう日本人は東シナ海ばかりを見ている時代ではない。これからの世界は、ユーラシア大陸が世界の中心となる“陸の時代”なのだ。水さえ十分つくれれば、人類は生きてゆける。巨大な有効需要もつくることができる。そうすれば、大きな戦争=第3次世界大戦をしないですむのである。

(引用終了)
<同書 239ページ(フリガナ省略)>

 尚、副島氏と佐藤氏には『崩れゆく世界 生き延びる知恵』(日本文芸社)という共著もある。2015年6月発行。副題には「国家と権力のウソに騙されない21世紀の読み解き方」とある。併せて読むとよいと思う。

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揺り戻しの諸相

2015年12月22日 [ 起業論 ]@sanmotegiをフォローする

 前回「時代の地殻変動」の項で、『物欲なき世界』という本を紹介し、モノコト・シフト時代の地殻変動の様子を見たが、当然のことながら、変化には「揺り戻し」が付き物だ。同書からそのことを指適する部分を引用しよう。

(引用開始)

 現在進行中の、そしてさらに顕在化されるであろう「物欲なき世界」は、貧しいわけでも愚かなわけでもない。むしろ今まで以上に本質的な豊かさを感じられる世界になるはずだ。ただ、「何をもって幸せとするか」を巡る価値観の対立は今まで以上に激しくなるだろう。これまでの見える価値=経済的価値を信奉する守旧派と、見えない価値=非経済的価値を提唱する新興勢力とのせめぎあいはあらゆる局面で顕在化してくるに違いない。

(引用終了)
<同書 247ページ>

 守旧派と新興勢力との「せめぎあい」は、社会の様々な力関係における対立、あるいは分裂として立ち現れてくる筈だ。「様々な力関係」とは、世代間、男女間、階層間、宗教間、地域間、国家間などのそれを指す。

 モノコト・シフトは、複眼主義の、

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A Resource Planning−英語的発想−主格中心
a 脳(大脳新皮質)の働き−「公(Public)」−「都市」
A 男性性=「空間重視」「所有原理」

A、a系:デジタル回路思考主体
世界をモノ(凍結した時空)の集積体としてみる(線形科学)
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B Process Technology−日本語的発想−環境中心
b 身体(大脳旧皮質及び脳幹)の働き−「私(Private)」−「自然」
B 女性性=「時間重視」「関係原理」

B、b系:アナログ回路思考主体
世界をコト(動きのある時空)の入れ子構造としてみる(非線形科学)
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という対比において、A側に偏った20世紀から、B側の復権によってA、B両者のバランスを回復しようとする21世紀の動きだから、揺り戻しの諸相は、その逆の(A側の守旧)運動として捉えることができるだろう。

 20世紀を担ったのは(当然ながら)21世紀の老年層であり、主導したのは欧米諸国の富裕層による覇権主義である。従って、「様々な力関係」のうち、世代間では「老年層の守旧と若年層の新興」、男女間では「男性性の守旧と女性性の新興」、階層間では「富裕層の守旧と貧困層の新興」、といった大まかな対立軸を描くことができる。宗教間や地域間、国家間における対立や分裂は、「覇権主義=守旧、多極主義=新興」といった軸で見るのがいいだろう。

 ただし、これらはあくまでも大枠であって、それぞれの内部では別の動きもある。振り子はA側とB側の間を行ったり来たりしながら、A、B両者のバランスが回復したところでモノコト・シフトは終わるだろう。その先の新しい時代の実相を今から見通すことは難しいが、“コト”(“固有の時空”)の相互作用を十分踏まえたものとなることだけは間違いないと思う。

 揺り戻しは、「熱狂の時代」の項でみたように、人類の三つの宿啞、

(1)社会の自由を抑圧する人の過剰な財欲と名声欲
(2)それが作り出すシステムとその自己増幅を担う官僚主義
(3)官僚主義を助長する我々の認知の歪みの放置

によって動機付けられるだろう。人は本来「理性を持ち、感情を抑え、他人を敬い、優しさを持った責任感のある、決断力に富んだ、思考能力を持つ哺乳類」だと私は考えている。だから性悪説は採らないが、この三つの宿啞を上手くコントロールしないと、人類はその先の新しい時代どころかモノコト・シフトすら達成せずに滅ぶかもしれない。地球環境が持たないからだ。改めて「三つの宿啞」の項をお読みいただきたい。

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時代の地殻変動

2015年12月15日 [ 起業論 ]@sanmotegiをフォローする

 前回「“コト”のシェアと“サービス”」の項で、

(引用終了)

 シェア・サービス(の提供と享受)を通して、自分自身がどう変るか、それがモノコト・シフト時代の本質ではないだろうか。(中略)
 “コト”は双方向、相互作用なのだ。商品を通して“コト”をシェアする、そしてその先に「変った自分」を発見する。それがこれからの起業家に求められる資質であり、ビジネスのあり方だと思う。

(引用終了)

と書いたけれど、『物欲なき世界』菅付雅信著(平凡社)は、世界各地の先駆者たちへのインタビューを通して、こういった時代の実相に迫ろうとする労作だ。本の構成は次のようになっている。

-----------------------------------------------
<まえがき> 欲しいものがない世界の時代精神を探して

<1> 「生き方」が最後の商品となった
<2> ふたつの超大国の物欲の行方
<3> モノとの新しい関係
<4> 共有を前提とした社会の到来
<5> 幸福はお金で買えるか
<6> 資本主義の先にある幸福へ

<あとがき> 経済の問題が終わった後に
-----------------------------------------------

新聞に載った著者の言葉を引用しよう。

(引用開始)

 「今、何が欲しい?」と聞かれて、「特別欲しいモノはないかも」と感じるようになったことから、この本の構想は始まった。そのころ私は、ツイッターやフェイスブックなどのソーシャルメディアの普及によって、人々の行動や人格がかなり可視化できる状況になっていることについて新書でまとめていた。書き終わるころ、もう見栄を張る必要がない社会になった、つまり見栄のための消費が意味をなさなくなるので、物欲が減るのではと思うようになった。
 実際にさまざまな消費者調査を見てみると、そのような結果がいくつも出て来る。また自分も含め、人々のモノに対する執着がかなり落ちている感覚もある。では、欲しいモノがない世界というのは、どういう状況か。そこでは何を持てば幸せと呼ばれるのだろうか。そういう漠とした疑問から、本書の取材をスタートした。
 衣服だけではなく雑貨や食を取り入れた「ライフスタイル・ショップ」と呼ばれる新しいお店が人気を集め、生活提案型の雑誌「ライフスタイル・マガジン」が台頭するなど「生き方」が商品となった消費の終着点的状況。買うよりも「共有=シェア」し、自分たちによるモノ作りを優先する潮流。ほとんどが電子情報となった「お金」の新しい定義。そしてモノを買い続け、お金を使い続けることを強いる資本主義の制度疲労。さまざまな異なる楽器が奏でるノイズが、まとまるとひとつの大きなハーモニーとなって聞こえてきた。
 また日本だけでなく、中国の上海、アメリカのポートランドで生まれている新しい消費意識を取材し、さらに内外の膨大な資料をあさって、モノと幸せと資本主義の行方を探る旅を続けた二年間の結果がこの本となった。
 「自分が本当に欲しいモノは何か?」。その答えはまだ定かではないが、この旅には確かな手応えがあった。それは物欲の行き先には、多くの賢人たちの知恵と数多くの希望があることだ。

(引用終了)
<東京新聞 11/16/2015(フリガナ省略)>

 この本は、モノコト・シフト時代の地殻変動の様子を上手く捉えている。一読してみていただきたい。たとえば<5>章の最後に次のような指摘がある。

(引用開始)

 人はなぜ働くのか。それはお金のため。ではお金を稼ぐのは何のためにあるのか。それは幸せになるため。人々はそう信じ込んできた。それは資本主義のセントラルドグマ(基本原理)だったのだ。でも、それはひょっとすると、人類の長い歴史の中では、二〇世紀後半の数十年間の特殊なドグマだったのではないか。元来、働くことはお金のためだけではないし、お金を稼ぐことが幸福につながることとも限らない。むしろお金を稼ぐことを人生の第一義にしていくと、さまざまなストレスや支障を生むことがある。もちろんお金は強力な交換装置であり、信用の尺度でもあり続けるだろうが、お金で買えないモノや信用もたくさんあることがわかってきた。いや、もともとお金で買えないものの方がたくさんあったし、これからもそうなのだ。
 では、たくさん働き、たくさんお金を稼ぎ、たくさんモノを買って、より幸せになるという資本主義のセントラルドグマが信じられなくなったとしたら?幸せになるための方法としての消費であり、その交換装置としてのお金が一番大事だと思わされてきた社会から、消費ともお金ともあまり結びつかない幸福のカタチがますます露見するようになった社会に移行しつつある中で、資本主義そのものが機能不全となりつつある様子が浮かび上がってきた。社会を動かす原動力として、資本主義はもはや人々に幸福をもたらすエンジンにならなくなっているのではないだろうか(かつてもそうであったかといえば疑問だが、今よりも祖の幻想は抗力があったはずだ)。二一世紀には、新しいカタチの幸福を実現するための新しいエンジン、新しい動燃機関が必要なのではないか。

(引用終了)
<同書 206−207ページ>

 この本に描かれた生活面の変化に加え、「皮膚とシステム」の項でみた新しい非要素還元主義科学の世界観を併せると、21世紀の方向がよく見えてくると思う。

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“コト”のシェアと“サービス”

2015年12月08日 [ 起業論 ]@sanmotegiをフォローする

 前回「所有について」の項で、

(引用開始)


 “モノ”は所有できるが、“コト”は所有できない。だから“コト”を大切に考える人は、「所有」や「私有」に固執しない筈だ。“モノ”を供給するだけのビジネスは縮小してゆくだろう。“モノ”を売るのではなく、商品を通して“コト”をシェアする。そんな商売がこれからは伸びるだろう。ただし、“コト”のシェアは“サービス”とは違う。サービスは一方向だが“コト”は双方向、相互作用だ。

(引用終了)

と書いたけれど、今回は、この“コト”のシェアと“サービス”の違いについてさらに考えてみたい。

 シェアリング・エコノミー(共有経済)という言葉がある。「共有の社会関係によって統御される経済」といったほどの意味だが、「モノコト・シフトの研究」の項でも触れたように、最近この比率が高まっているという。

 このブログで使う「経済」という言葉は、単にマネーのやり取りだけでなく「自然の諸々の循環を含め、人間を養う、社会の根本理法・摂理」を意味するから、共有も私有も包摂するが、普通使われる経済=マネー経済という意味範囲では、私有制を強く必要としない活動領域をそれ以外と区別するために、共有経済という言葉が使われるのだろう。

 『シェアリング・エコノミー』宮崎康二著(日本経済新聞社)には、最近増えてきたP2P宿泊、ライドシェア、カーシェアなどの「シェア・サービス」の実態と仕組みが手際よく纏められている。しかし、それらはあくまでも業者から顧客への一方向のサービスであり、メリットはマネー経済において生産効率や資産効率が上がることだという。これまでの“モノ”の販売よりは“コト”に近づいているが、それだけでは“コト”のシェアとはいい難い。“コト”はあくまでも双方向、相互作用なのだから。

 確かに、IT技術の進化と共に発達したこれらのシェア・サービスは、これまでの“モノ”の販売よりは“コト”に近づいている。しかしモノコト・シフト時代の本質は、その先にあるはずだ。このレベルでしかシェア・サービスが語られないのであれば、次に出てくるのは政府による「規制緩和」の話になってしまう。東京オリンピックに向けてどの法律をどう変えて「民泊」を進めるかなどなど。どこまで許可するか、しないか、それが官僚の手の上で弄ばれるだけだ。あるいは、どのサービスをどこが買収するか。所謂“サービス事業”は所有の対象としてしか扱われない。

 シェア・サービス(の提供と享受)を通して、自分自身がどう変るか、それがモノコト・シフト時代の本質ではないだろうか。

 なぜシェア・サービスを使うのか。使いやすい(手軽)、安い、早い、だけではなく、普通のサービスと違う(新規性)、楽しい、考え方が変った、自分でも何か始めてみよう、というところまでいってはじめて“コト”らしくなる。

 サービスを提供する側からいえば、簡単に始められる、意外に儲かる、だけでは詰まらない。顧客の声を聴いてやり方を変える、一律ではなくパーソナルな対応もする、別のことと関連付けてみる、といったところまでいって“コト”らしくなる。物販との違いがでてくる。

 “コト”は双方向、相互作用なのだ。商品を通して“コト”をシェアする、そしてその先に「変った自分」を発見する。それがこれからの起業家に求められる資質であり、ビジネスのあり方だと思う。

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ヴァージンの流儀

2015年11月18日 [ 起業論 ]@sanmotegiをフォローする

 「自分と外界との<あいだ>を設計せよ」の項で、自分という渦(vortex)とそれを取り巻く外界との間をうまく設計することが人生には重要だとし、

(引用開始)

 この設計図は起業家にも欠かせない。モノコト・シフト時代の産業システムは大量生産・輸送・消費から、多品種少量生産、食品の地産地消、資源循環、新技術といったものに変わっていく。朝昼晩、どのように自分と外界(この場合は身近な顧客、従業員、家族など)との間合いを取るか、それが遠隔操作で外界との話を済ませてきたこれまでと違って重要な課題となるだろう。

(引用終了)

と書いたけれど、そのことをよく心得た起業家の一人が、ヴァージン・グループ創業者のリチャード・ブランソン氏だと思う。最近出版された『ヴァージン・ウェイ』リチャード・ブランソン著(日経BP)は、彼が、過去から今に至るまでの自らの「外界との設計」を縦横に語った本である。副題に「R・ブランソンのリーダーシップを磨く教室」とある。まず本書の帯(表)から紹介文を引用しよう。

(引用開始)

航空業から宇宙旅行まで世界で事業展開するヴァージン・グループの総師、R・ブランソンが明かすリスクをチャンスに変えるリーダーシップの極意。

<ヴァージン流リーダーの心得>

○ どんな意見にも黙って耳を「傾ける」。
○ 互いから、市場から、失敗から「学ぶ」。
○ メンバー全員で大いに「笑う」。
○ 周到に準備し、リスクを「楽しむ」。

(引用終了)

 ヴァージン・グループは、従業員5万人、売上高2兆円、世界50カ国以上で事業を展開する企業だが、そのビジネスは航空、鉄道、金融、携帯電話、飲料、通信、放送、出版、宇宙旅行などのユニットに分かれている。本帯(裏)の彼のメッセージも引用しておこう。

(引用開始)

私は本書で、自分のこれまでの生き方を包み隠さず紹介したい。しっかりと聴き、生き、笑い、リーダーシップをとるということについて、私自身の(おそらくはあまりトラディショナルとは言えない)考え方を紹介したい。私はちょっとクレイジーなこと、寿命を縮めかねないことにもいろいろ挑戦してきた。(略)過去の多くの冒険は「家でまねしないでください」というたぐいのものであることは確かだ。しかし、とりわけ起業を志す人にとって不可欠なのは、自らの直感を信じ、たとえ崖っぷちに立たされそうな気がするときでも信念を曲げない、独立独歩の心意気だと私は思う。(本書「はじめに」より)

(引用終了)

 この本の中でリチャードは、「聴く(listen)」「学ぶ(learn)」「笑う(laugh)」「率いる(lead)」という四つのキーワードの下、これまでのビジネスにおける様々なチャレンジを語っていく。その中から、自分と外界との設計に関する文章を幾つか拾ってみたい。

(引用開始)

 好むと好まざるとにかかわらず、顧客、従業員、友人など、相手が誰であれ、その人の見たものが現実である。昔から言うように、「アヒルのように歩くなら、それはたいていアヒルである」。個人であれ企業であれ、他人の目を通して自分の行動を見られるようになるには練習がいる。(55ページ)

 私の経験では、人の「地位を知る」ことを重視しすぎる企業文化は、人間関係の妨げになる問題を引き起こし、恨みつらみの原因となり、その結果、進歩やイノベーションを阻みかねない。(121ページ)

 ヴァージン・マネーには「EBO」と呼ばれる社是のようなものがある。「Everybody Better Off(みんなが豊に)」の略だ。同社の業務はまぎれもなくこの社是を体現するものだった。(186ページ)

 採用候補者の過去の実績を見るのは重要だけれども、一番考慮すべき重要なことは「性格が合う」かどうかと私は思う。つまり、その人の生き方、ユーモアのセンス、立ち居振る舞いがあなたの会社のカルチャーにぴったりとはまりやすいかどうか。(203ページ)

 この40年余りのヴァージンの成功の秘訣は何かというなら、答えは簡単である。「私の先見性に富む優れたリーダーシップ」――もちろん冗談だ。本当の答えは、われわれが20世紀に築いてきた「ヒト優先の文化」にすべて行き着くだろう。(222−223ページ)

 人生で本当に価値があるものは、たいていある程度のリスクをともなう。ヴァージンはいつも安全策や及び腰とは無縁で、一見不可能に思えることに喜んでチャレンジしてきた。(248ページ)

 いまから40年以上前に、のちのヴァージンにつながる仕事を始めたとき、私は人々の人生をもっと良くしたいと思っていた。虫のいいたわごとに聞こえるかもしれないのは重々承知である。でも本当にそうだった。
 当時はこう考えていた(いまもそう考えている)。ビジネスは(どんなビジネスも)世のため人のためになる大きな可能性を秘めている、と。新しいやり方を模索し、成長、(企業の存在理由としての)利益とともに、従業員と地球環境を最優先すれば、その可能性を花開かせることができる。そして驚いたことに、一般の認識とは逆で、これらはN極とS極のように反発しあう関係ではなく、むしろ互いを補強しあう。ビジネスは必ずしも、誰かが勝てば誰かが負けるというゼロサムゲームではない。正しくやりさえすれば、企業、地域社会、そしてこの美しい地球、すべてが勝者になれる。(270ページ)

 「部分の総和は全体より大きい」。単なる共同作業ではなく、本当の意味のコラボレーションから生まれる効果がいかに大きいかは、この言葉に要約されている。(318ページ)

 われわれはみんな生涯を通じて、大きなものから小さなものまで、たくさんの意思決定をする。優れた決断だとほめられることもあれば、誤った決定だと非難されることもある。だが、会社が関係する大きな事故など、いざというときは、信頼できる最新の情報をできるかぎり集め、怖れずに立ち向かう――それがリーダーの仕事である。どんな状況でも、「決めない」という選択肢はありえない。そして、ミッキー・アリソンもいまは賛同してくれると思うけれど、人生の90%は顔を見せることである(訳注*ウッディ・アレンが「人生の80%は顔を見せることである」と言ったのが知られている)。(341−342ページ)

(引用終了)

いかがだろう、彼の設計図が少し見えてきただろうか。

 詳細は本書をお読みいただきたいが、リチャードは航空、鉄道、金融、携帯電話、飲料、通信、放送、出版、宇宙旅行といったそれぞれのビジネス・ユニットを、「スモールビジネス」の要諦で運営している。それが彼のやり方の新しいところだ。彼は自分の渦に周りを巻き込んでいくのが上手い。そして脳(大脳新皮質)と身体(大脳旧皮質+脳幹)をバランスよく働かせている。ヴァージン・グループの総師であると同時に、気球に乗ったりウィンド・サーフィンに熱をあげたり、一方で様々な社会貢献にも力を注ぐ。「スモールワールド・ネットワーク」「ハブ(Hub)の役割」「モチベーションの分布」「リーダーの役割」といったことをよく弁えているのだと思う。

 本書の著者プロフィールによると、彼は1950年にイギリスで生まれ、16歳で高校中退、雑誌『ストューデント』を創刊、70年にレコードの通信販売事業を始め、73年に「ヴァージン・レコード」を立ち上げた。84年、ヴァージン・アトランティック航空を創業し、その後ヴァージン・ブランドで様々な分野に進出している。最後に本書の「おわりに」から、彼が選んだヴァージン流儀「トップ10」を掲載しておく。

1. 夢を追いかけて一歩踏み出す
2. プラスの変化を生み、人のためになることをする
3. 己のアイデアを信じ、ナンバー1をめざす
4. 楽しんで働き、チームに目配りする
5. あきらめない
6. 耳を傾け、ノートをとり、常に新たな目標を立てる
7. 権限委譲し、家族との時間を増やす
8. PCやスマートフォンの電源を切り、外へ出る
9. もっとコミュニケーションをとり、協力しあう
10.好きなことをやり、キッチンにカウチを置く。

 ところでヴァージンといえば、今年2月のヴァージン航空:成田―ロンドン線の廃止が惜しまれる。いつか復活して欲しいものだ。

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里海とはなにか

2015年10月06日 [ 起業論 ]@sanmotegiをフォローする

 「里海」という耳新しい言葉がある。『里海資本主義』井上恭介/NHK「里海」取材班共著(角川新書)という本のタイトルになっている。新聞紹介文を引用しよう。

(引用開始)

 海の健康を保持し、より豊かにするメカニズムが<里海の思想>だ。それは水質悪化で悲鳴をあげていた瀬戸内海の再生のために、猟師や過疎の島の住人たちによる取り組みから始まった。自然と対話し、適切に手を加え、本来の命のサイクルを取り戻すにはどうすればよいのか。市民に身近な里山・里海の拓(ひら)く未来を展望し、生命の無限の可能性を考える。

(引用終了)
<東京新聞 9/13/2015>

ということで、どうやら「里山」と対になるコンセプトのようだ。「里山システムと国づくり II」などの項で紹介した『里山資本主義』(角川oneテーマ21)の共著者、藻谷浩介氏が本書の解説文を書いている。以下、藻谷氏の解説を引用しながら、「里海の思想」に迫ってみたい。まず里海と里山とはどこが違うのか。

(引用開始)

 そもそも「里海」とは何か。「人間の暮らしの営みの中で多年の間、多用に利用されていながら、逆にそのことによって自然の循環・再生が保たれ、しかも生物多様性が増しているような海」のことであろうと、筆者はこの本を読んで理解した。(中略)
 そのような「里海」と、「里山」は似たようなものなのか、あるいは何か決定的に違うのか。「里山」も、「人間の暮らしの営みの中で多年の間、多用に利用されていながら、逆にそのことによって自然の循環・再生が保たれ、しかも生物多様性が増しているような樹林地・農用地」であると理解できるが、違うのは、「里山」は無数に存在可能な「入り口」であり、「里海」は一つしかない「ゴール」であるということだ。

(引用開始)
<同書211−212ページ>

里山は入り口であり、里海はゴール。このブログでは「流域思想」(山岳と海洋とを繋ぐ河川を中心にその流域を一つの纏まりとして考える発想)を提唱しているが、「里海の思想」はこの流域思想(もしくは流域思考)と親和性のある考え方のようだ。読んでいて納得することが多かった。

 このブログではまた、

A Resource Planning−英語的発想−主格中心
B Process Technology−日本語的発想−環境中心

という対比を掲げ、日本語的発想は自然環境破壊に対して強いはずだと述べてきた(「自然の捉え方」やカテゴリ「言葉について」の各項参照)。環境破壊が進む21世紀の世界を救うのは、日本語的発想というわけだ。この里海の思想も日本語的発想が基になっているという。藻谷氏の解説引用を続けよう。


(引用開始)

 この解説の序盤に書いたとおり、「里海」というのは、「人間の暮らしの営みの中で多年の間、多用に利用されていながら、逆にそのことによって自然の循環・再生が保たれ、しかも生物多様性が増しているような海」である。だがこのような発想は、本書に書かれているように、欧米の自然科学者の間に最初は広範な反発を呼んだという。彼らは、「自然に均衡や多様性をもたらすのは自然であって、人間ではない」という、自然を裁定者とした「一神教的」発想に囚われており、「人為も自然の中に均衡や多様性を生むことができる」という「人間も八百万の神の端くれ」というような発想を理解できなかったのだ。しかしそこは自然科学者の集団、客観的に計測され検証された証拠があれば、考えを改めざるを得ない。時を経て、いまや「SATOUMI」は「SATOYAMA」と並んで世界の生態学者の常用句となった。
 「人間も自然の中の一部であり、人為も自然の循環の中の一要素と位置付けて評価できる場合がある、だから人間にできる努力をあきらめてはいけない」という、一神教的な発想から言えば革命的な日本発の考え方が、少しずつ生態学の世界を変えていっているのである。

(引用開始)
<同書 222−223ページ>

これからの生態学には日本語的発想が欠かせなくなってくる筈だ。

 このブログではさらに、21世紀はモノよりも動きのあるコトを大切に考える「モノコト・シフト時代」であり、これからは経済三層構造、

「コト経済」

a: 生命の営みそのもの
b: それ以外、人と外部との相互作用全般

「モノ経済」

a: 生活必需品
b: それ以外、商品の交通全般

「マネー経済」

a: 社会にモノを循環させる潤滑剤
b: 利潤を生み出す会計システム

において、特にa領域(生命の営み、生活必需品、モノの循環)への求心力と、「コト経済」(a、b両領域)に対する親近感が増すと考えてきた。藻谷氏の解説をさらに引用する。

(引用開始)

 『里山資本主義』を学ぶことは、「金融緩和」に代表されるような怪しい「唯一神」への丸投げをやめ、社会の中での再生・循環・均衡の回復に向けて自分にも何かできることはないかと考える画期となる。元祖『資本論』は、「神の見えざる手」の絶対化を押しとどめ、資本主義社会を是正する大きな原動力となったが、「労働者のよる自己決定」を新たな「唯一神」と祭り上げるイデオロギーを生むことにもなって、流血の二○世紀にさらなる状況悪化をもたらした面もあった。しかしこの『里山資本主義』は、何か新しい「唯一神」を掲げるのではなく、八百万の神のささやかな力の結集に信を置くものである。
 一つ一つは微力な主体の相互作用だけが、均衡を回復する道筋である。そのことを理解していれば、あなたも微力な存在の一つとして、そのプロセスに恐る恐る関与してよい。まさに、新たな唯一神を掲げ押し付けるのではない、「しなやかな二一世紀の資本論」がここにある。

(引用開始)
<同書 225ページ>

人々の微力な主体の相互作用(コト)の連なりが「しなやかな二一世紀」をつくる。「里海の思想」はそういう未来の可能性を拓く考え方だ。皆さんも是非本書を手に取って里海、里山、流域の可能性に気付いていただきたい。

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観光業について II 

2015年09月22日 [ 起業論 ]@sanmotegiをフォローする

 前回の「観光業について」の項に引き続き、これからの観光業にとって大切だと思われることを検討してみたい。前回の復習になるが、モノコト・シフト時代は、経済三層構造、

「コト経済」

a: 生命の営みそのもの
b: それ以外、人と外部との相互作用全般

「モノ経済」

a: 生活必需品
b: それ以外、商品の交通全般

「マネー経済」

a: 社会にモノを循環させる潤滑剤
b: 利潤を生み出す会計システム

において、特にa領域(生命の営み、生活必需品、モノの循環)への求心力と、「コト経済」(a、b両領域)に対する親近感が増す。観光業は「コト経済」(b領域)がベースだから、ヨーロッパなど先進諸国における、後者(「コト経済」への親近感)の増大を追い風にすべきである。「コト経済」の真価は、別の層「マネー経済」の指標では捉えきれない、むしろ、

(1)日本語(文化)のユニークさをアピールする
(2)パーソナルな人と人との繋がりをつくる
(3)街の景観を整える(庭園都市)

といったGDPに表われない部分に磨きを掛けることが大切になる、という話だった。

 21世紀は、モノコト・シフトの時代であるとともに、ユーラシア大陸の発展が期待される世紀でもある。ユーラシア大陸とは、ヨーロッパとアジアとを合わせた地形的に独立した地域を指す。最近(2015年8月に)出た『中国、アラブ、欧州が手を結びユーラシアの時代が勃興する』副島隆彦著(ビジネス社)は、これからはアメリカの時代が終わり、中国を中心としたユーラシアの時代が来ることを予言する内容の本だ。「あとがき」から一部引用しよう。

(引用開始)

 いちばん新しい中国の話題は、AIIBアジアインフラ投資銀行の設立である。そして中国政府が4月に打ち出した「一帯一路」構想は、これからの世界に向かって中国が示した大きなヴィジョンだ。ユーラシア大陸のド真ん中に、10億人の新たな需要が生まれる、中国とロシアと、アラブ世界とヨーロッパ(インドも加わる)が組んで、新たなユーラシアの時代が始まるのだ。

(引用終了)
<同書 231ページ(フリガナ省略)>

詳しくは本書をお読みいただきたいが、一帯一路の「一帯(ワンベルト)」とはユーラシア大陸を貫通する幾本もの鉄道と幹線道路のであり、「一路(ワンルート)」とは南米諸国にも繋がる世界横断航路を示しているという。規模の大きな話である。

 英国と日本は、ちょうど西と東からユーラシア大陸を挟むような位置にある。この大陸の発展を観光業の観点でみれば、西欧諸国を西の端として、中欧と北欧、中近東、インド、中国、ロシアを含む大陸全土から、多くの人が日本を訪れるということである。前回、「日本海側の魅力」の項で論じた関心事、と書いたのはこのことだ。

 今の時点では、モノコト・シフトの波を早く被った地域(先進国)と、まださざなみ程度の地域(開発途上国)の違いがあるから、ユーラシアから日本へ来る人々の多くは、単純にモノを買い求めることが興味の中心かもしれない。しかしやがてモノコト・シフトが進めば、彼らの間でも「コト経済」(b領域)への親近感が高まるに違いない。そのとき、日本が大陸と同じではつまらないではないか。だから、

(1)日本語(文化)のユニークさをアピールする
(2)パーソナルな人と人との繋がりをつくる
(3)街の景観を整える(庭園都市)

といった話になるわけだ。「日本の森」の項などで見たとおり、日本列島は南北に長く山が多い。世界のどこにも見られないような多様な森、山、海岸線が広がっている。そういう自然環境(で起る様々なコト)も訪れる人々を魅了するだろう。

 日本の歴史を振り返り、古代からのユーラシアとの接点をいろいろと探り出すのも面白いかもしれない。ユーラシア大陸の西端にある英国と組んで、二つの島国の似ているところ、違っているところを大陸の文化と関連付けて研究するのも楽しいかもしれない。

 その他の地域、南北アメリカ大陸、オセアニア、東南アジア、アフリカ大陸からの観光客に対しても、同様のことがいえる。「コト経済」の最先端を実践する国としての日本、そういう魅力が世界の人々をこの地へ引き寄せる筈だ。

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観光業について

2015年09月15日 [ 起業論 ]@sanmotegiをフォローする

 「環境中心の日本語」の項で引用した『新・観光立国論』デービッド・アトキンソン著(東洋経済新報社)について改めて紹介したい。まず新聞の書評を引用しよう。

(引用開始)

 東京五輪開催決定のIOC総会での「お・も・て・な・し」のプレゼン。日本では好評だが、欧州では一つ一つ区切った話し方は相手を見下す態度にとられ、「否定的意見が多い」との記述に一瞬、目が点に。
 在日25年。敏腕証券アナリストから創業300年超の文化財修繕会社の社長に。茶道に通じ、京町家に住むイギリス人が、日本の外国人観光客誘致戦略に「勘違い」はないかただすべく、日本語で書いた辛口提案書だ。
 「世界に誇るおもてなしの心」も、外国人にとっては旅の途中での「人との触れ合い」程度の話で第一目的にはならない。そこには「自分たちが世界でも特別な存在」との「自画自賛」の「上から目線」を感じるという。
 気候、自然、文化、食事の「観光立国の4条件」を満たす希有な国なのに、お金を落としてもらうための、外国人目線に立ったサービスが不足した「観光後進国」との指適も耳が痛い。
 人口減少社会でGDPを増やすには、外国人観光客を「短期移民」と位置づける戦略が必要との論法が面白い。だから、「おもてなし」の精神以上にサービスとインフラを整備せよと。
 観光支出の多い欧州などの「上客」を呼び込む方法も披露。特に文化財の意味を伝える見せ方の提案は傾聴すべきだ。

(引用終了)
<朝日新聞 7/5/2015>

 複眼主義では、

A Resource Planning−英語的発想−主格中心
B Process Technology−日本語的発想−環境中心

という対比を論じているが、この本は特にAの観点から、日本の観光業の足りないところを論じたものだ。たとえば、ゴールデンウィークは無くしたほうが良いなど、日本語的発想とは一味違った指適が多い。観光関連で起業を目指す人にお勧めの本である。

 このブログでは、21世紀はモノコト・シフトの時代だと述べている。モノコト・シフトとは、「“モノからコトへ”のパラダイム・シフト」の略で、二十世紀の大量生産システムと人の過剰な財欲による「行き過ぎた資本主義」への反省として、また、科学の還元主義的思考による「モノ信仰」の行き詰まりに対する新しい枠組みとして生まれた、(動きの見えないモノよりも)動きのあるコトを大切にする生き方、考え方への関心の高まりを指す。

 「経済の三層構造」や「“モノ”余りの時代」の項で論じたように、モノコト・シフトの時代には、経済の三層構造、

「コト経済」

a: 生命の営みそのもの
b: それ以外、人と外部との相互作用全般

「モノ経済」

a: 生活必需品
b: それ以外、商品の交通全般

「マネー経済」

a: 社会にモノを循環させる潤滑剤
b: 利潤を生み出す会計システム

において、特にa領域(生命の営み、生活必需品、モノの循環)への求心力と、「コト経済」(a、b両領域)に対する親近感が増す。尚、ここでいう「経済」とは、自然の諸々の循環を含め人間を養う社会の根本理念・摂理(人間存在システムそのもの)をいう。

 開発途上国の国民の間では、前者<a領域(生命の営み、生活必需品、モノの循環)への求心力>の方が、後者<「コト経済」(a、b両領域)に対する親近感>よりも重要だろうが、生活必需品が行き渡っている先進諸国の上層国民の間においては、後者の方が重視されるはずだ。観光業はそもそも「コト経済」(b領域)をベースにしたビジネスだから、これからの観光業は、この後者の増大を最大限に追い風とすべきなのであろう。この本でアトキンソン氏は、観光支出の多い欧州などの「上客」をより重点的に呼び込むべきだとしているが、それはこういった背景を踏まえているのだと思われる。

 世界的に見て今の時点では、モノコト・シフトの波を早く被った地域(先進国)と、まださざなみ程度の地域(開発途上国)の違いはある。開発途上国の国民が日本へ買出しに来るのは、モノ信仰の故かもしれない。しかしモノコト・シフトが進めば、彼らの間でも「コト経済」(b領域)への親近感が高まるだろう。

 モノコト・シフトの時代、この本に付け加えて我々のなすべきことは、

(1)日本語(文化)のユニークさをアピールする
(2)パーソナルな人と人との繋がりをつくる
(3)街の景観を整える(庭園都市

など、GDPに表われない部分に磨きを掛けることだと思う。ITを活用するのもいいだろう。「コト経済」の真価は、「マネー経済」の指標では捉えきれない。この件、「日本海側の魅力」の項で論じた関心事と併せ、さらに別途検討してみよう。

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日本海側の魅力

2015年07月14日 [ 起業論 ]@sanmotegiをフォローする

 先日青森の奥入瀬へ旅行したついでに、津軽まで足を伸ばしてその先の日本海を見てきた。今回は日本海側について書いてみたい。

 最近日本海や日本海側について書いた本が多い。北陸新幹線開通の影響かもしれないが、それ以上に、モノコト・シフトの時代、人々の関心が大量生産時代に発展した太平洋側から、発展の遅れた日本海側へ向いてきているせいではないだろうか。

 モノコト・シフトとは、「“モノからコトへ”のパラダイム・シフト」の略で、二十世紀の大量生産システムと人の過剰な財欲による「行き過ぎた資本主義」への反省として、また、科学の還元主義的思考による「モノ信仰」の行き詰まりに対する新しい枠組みとして生まれた、(動きの見えないモノよりも)動きのあるコトを大切にする生き方、考え方への関心の高まりを指す。

 発展が遅れると(それでもなんとか持ちこたえていると)一周遅れで時代の先端に立つことがある。日本海側もその一例に違いない。こちら側にはまだ自然が多く残されている。

 日本海や日本海側について書かれた本のうち目に留まったものをざっと挙げるだけで、

『裏が、幸せ。』酒井順子著(小学館、3/2/2015)
『北陸から見た日本史』読売新聞北陸支局編(洋泉社、3/5/2015)
『日本海ものがたり』中野美代子著(岩波書店、4/22/2015)

がある。単行本が出たのは少し前だが最近文庫になった『奇跡のレストラン アル・ケッチャーノ』一志治夫著(文春文庫、3/10/2015)もある。これは山形の庄内平野にあるレストランの物語だ。

 私自身、青森や秋田、北陸など、最近日本海側へ行く機会が増えた。増えたというより意図的に日本海側への旅を増やしているというべきかもしれない。まあ、京都や奈良、四国や瀬戸内海、長野や福島、北海道などへも行っているから実際の比率はそうでもないかもしれないが、気持ちの上で日本海側への旅は格別なものがある。『裏が、幸せ。』の書評を引用しよう。

(引用開始)

日本海側から価値の転回迫る

 近代日本は国民国家として統合されると同時に「表」と「裏」の分断を経験した。重工業中心の国土開発から取り残されがちだった日本海側、いわゆる裏日本は雪に閉ざされる冬の厳しさもあり、過疎化を深めた地域も多い。
 しかし、そんな日本海沿岸を旅行して現地の人々と交わり、それぞれの地に縁のある人物の生きざまや文学作品に触れた著者は、改めて「裏」の魅力に惹かれ始める。
 それは弱者に同情する「判官びいき」ではない。たとえば輪島塗の漆器には暗さの中でこそ浮かび上がる美がある。光よりも陰翳を味わおうとするその感性は、輝かしい未来を無邪気に夢見た経済成長を終え、限りある条件の中での成熟を目指すことにあるこれからの日本に必要なものだろうと著者は指適する。
 折しも北陸新幹線開通とタイミングが一致。親しみやすい文体も相まって観光指南書として楽しく読めるが、実は価値観の本質的な転回を迫る野心的な一冊でもある。武田徹(評論家)

(引用終了)
<朝日新聞 4/12/2015(フリガナ省略)>

本の帯には、<これからの日本で輝くのは「控えめだけれど、豊かで強靭な」日本海側です。>とある。開発が遅れた日本海側は起業チャンスとして、将来有望だと思う。

 この本でも紹介されているけれど、雑誌『自遊人』の編集部は、新潟にある(東京から新潟に移した)という。このブログでは「心ここに在らずの大人たち」「フルサトをつくる若者たち」「限界集落は将来有望」「高度成長という幻想」などの項で、これからは「地方の時代」だと述べてきた。雑誌『ソトコト』が最近「地方で起業するローカルベンチャー」という特集を組んだ(7/2015号)のもその表れだろう。中でも「日本海側」は、これから発展が期待されるユーラシア大陸への玄関口でもある。だからそれを視野に入れた発想のビジネスも展開できる。

 私にとって日本海側への旅が格別な理由がもう一つある。それは古代史に関わる関心事で、日本列島への文化の流入ルートとしていわゆる「時計回り」、シベリアから北海道をへて東北、北陸へと伝わった筈のヒトとモノのトレースに興味を持っている。今回青森では三内丸山遺跡も見てきた。

 ビジネス的な関心と古代史的な興味、それがあるからこれからも日本海側への旅を続けようと思う。尚、金沢のことは「金沢の魅力」の項をどうぞお読み下さい。

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posted by 茂木賛 at 13:20 | Permalink | Comment(0) | 起業論

“モノ”余りの時代

2015年04月20日 [ 起業論 ]@sanmotegiをフォローする

 このブログでは、21世紀はモノコト・シフトの時代だと述べている。モノコト・シフトとは、「“モノからコトへ”のパラダイム・シフト」の略で、二十世紀の大量生産システムと人の過剰な財欲による「行き過ぎた資本主義」への反省として、また、科学の還元主義的思考による「モノ信仰」の行き詰まりに対する新しい枠組みとして生まれた、(動きの見えないモノよりも)動きのあるコトを大切にする生き方、考え方への関心の高まりを指す。

 『余剰の時代』副島隆彦著(ベスト新書)は、この時代、余るのはモノばかりではなくヒトも余るということを正面から取り上げた本だ。本カバー裏の紹介文を引用しよう。

(引用開始)

この厳しい時代を生き延びるための本当の知恵

 21世紀の現代を生きる私たちは今、途方もなく厳しい時代を生きている。「余剰・過剰」問題という怪物が世界を徘徊している。モノを作っても売れない。どんなに値段を下げても売れない。だから、人間が余ってしまう。従業員を「喰(く)わせてやる」ことができない。社会は失業者予備軍で溢(あふ)れている。とりわけ若者が就職できない。
 実は百年前のヨーロッパで始まった、この解決不能の問題を、人類の中の最も精鋭な人たちがすでに真剣に悩みぬいていた。
 ヴォルテール、ニーチェ、ケインズに導かれ、政治思想家であり、かつ金融・経済予測本のトップランナーである著者が、この難問に挑む。

(引用終了)

 このブログではまた、経済というものを、自然の諸々の循環を含め人間を養う社会の根本理念・摂理(人間集団の存在システムそのもの)とし、その全体を三つの層で捉えている。

「コト経済」

a: 生命の営みそのもの
b: それ以外、人と外部との相互作用全般

「モノ経済」

a: 生活必需品
b: それ以外、商品の交通全般

「マネー経済」

a: 社会にモノを循環させる潤滑剤
b: 利潤を生み出す会計システム

という三層で、モノコト・シフトの時代においては、経済の各層において、a領域(生命の営み、生活必需品、モノの循環)への求心力が高まると共に、特に「コト経済」(a、b両領域含めて)に対する親近感が強くなってくるだろうと予測している。

 この時代、「モノ経済」bは基本的に余ってくる。ヒトも頭数(あたまかず)として捉えれば「モノ経済」bに含まれるから余るわけだ。社会生活全体に「マネー経済」bが強く絡んでいる先進国においては、生産効率が重視されるからヒトが余る。生産効率の悪い後進国においては労働力を得るためにヒトが増える。しかしやがて効率は上がる。だがすぐにヒトは減らない。だから(「マネー経済」bを縮小させない限り)21世紀は当面これまで以上にヒトが余ってくるのだ。

 昔戦争は領土を増やすために行なわれたが、大量生産の時代に入り砲弾や戦車などの「モノ経済」bが余ってくると、その消費の為にも戦争が行なわれるようになった。21世紀の戦争はさらに余ったヒトも含めて消費してしまおうという恐ろしい側面を持つ。モノコト・シフトの時代は「三つの宿啞」との戦いでもある。だから副島氏はこの本で「生き延びる思想10カ条」を説く。

(引用開始)

1 夢・希望で生きない
2 自分を冷酷に見つめる
3 自分のことは自分でする
4 綺麗事をいわない
5 国家に頼らない
6 ズルい世間に騙されない
7 ある程度臆病でいる
8 世の中のウソを見抜く
9 疑う力を身につける
10 いつまでもダラダラと生きない

(引用終了)
<同書 202−203ページ>

最後の「いつまでもダラダラと生きない」というのがいい。私も以前ビジネスに関連して「騙されるな!」という項を書いたことがある。併せてお読みいただければ嬉しい。

 この本で扱う政治思想の射程距離は長い。副島氏の主著の一つに1995年に出版された『現代アメリカ政治思想の大研究』(筑摩書房)という本がある。今は講談社α文庫に『世界覇権国アメリカを動かす政治家と知識人たち』として収められている。私は1998年に読んで大いに勉強になった。最も大切なのは『余剰の時代』(89ページ)にも掲げられている「ヨーロッパ政治思想の全体像」という一枚の表だ。

 西洋政治思想の根本には、アリストテレス/エドマンド・バークの「自然法(Natural Law)派」と、ジョン・ロックやヴォルテールの「自然権(Natural Rights)派」との対立がある。自然権派からルソーなどの「人権(Human Rights)派」が生まれた。「自然法(Natural Law)派」と、ジェレミー・ベンサ(タ)ムの「人定法(Positive Law)派」との対立もある。くわしくは本書や『世界覇権国アメリカを動かす政治家と知識人たち』をお読みいただきたいが、一言でいえば、

「自然法派」:
人間も自然界の法則で生きているのだからあまり激しいことはするな
「自然権派」:
人間には本来自然に生きていくだけの権利がある
「人権派」:
貧困者でも生き延びる権利がある
「人定法派」:
法律は人間がきめたことであって自然界の法則とは違う

ということになる。副島氏はこれらの政治思想を解説した後、

保守本流:自然法派
官僚:自然権派
多数派:人権派

という現代の西洋政治地図を提示する。いまの官僚は「人間には本来自然に生きていくだけの権利がある」とする自然権派を標榜しながら、福祉国家を運営できるのは我々とばかり、楽観主義的な「貧困者でも生き延びる権利がある」とする人権派を押さえ込む。保守本流は「人間も自然界の法則で生きているのだからあまり激しいことはするな」という自然法派だが上品だから官僚支配になかなか勝てない。本来ジョン・ロックやヴォルテールの「自然権派」は王権からの民主独立派だったのだが、楽観的であるが故に過激なルソーらの「人権派」との内部争いに敗れた。

 「人定法派」からは「リバータリアニズム」が生まれた。「自分のことは自分でやれ。自分の力で自分の生活を守れ」という思想だ。副島氏の「生き延びる思想10カ条」はこの思想から来ている。複眼主義的にいえば、

「都市の働き」:人定法
「自然の働き」:自然法

という複眼的な考え方が正しい。各種の権利は人定法内の諸規定として考えるべきだ。だから「都市」で身を守るにはこの「生き延びる思想10カ条」が相応しいといえるだろう。
img006.jpg
人と世界は円を斜め上から見たところとして表現。世界は斜線によって「都市の働き」=「公」、「自然の働き」=「私」に分けられる。人は斜線によって「脳の働き」=「公」、「身体の働き」=「私」に分けられる。詳しくは前項「複眼主義の時間論」なども参照のこと。

 この本によって西洋政治思想の基本を学び、騙されないようにしてモノコト・シフトの時代を生き延びようではないか。

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