夜間飛行

茂木賛からスモールビジネスを目指す人への熱いメッセージ


新しい都市計画

2017年03月01日 [ 起業論 ]@sanmotegiをフォローする

 『白熱講義 これからの日本に都市計画は必要ですか』蓑原敬他共著(学芸出版社)という本を読み終えた。初版は2014年(平成26年)。共著者は若手の研究者たちで、「空き家問題 II」の項でその著書を紹介した野澤千絵さんも名を連ねている。本帯には「都市計画の現実、矛盾と展望/1930年代生まれの都市プランナーと、70年代生まれの若手による、問いと議論の応酬」とある。

 本書前半(1部)は、蓑原氏がこれまでの歴史を振り返る「講義編」、後半(2部)は「演習編」、若手が蓑原氏に「都市計画にマスタープランは必要ですか?」などといろいろ質問し全員でディスカッションを行う形式。知識が増え、私のなかで空き家への関心は都市計画全般へと発展してきた。

 これからの都市計画はどうあるべきか。「結」と題された(若手による)あとがきから引用したい。

(引用開始)

 本書の1部の多くは、近代都市計画の発展過程のレビューに費やされている。ピーター・ホールの『明日の都市』などを導き手として、欧米における20世紀の近代都市計画の展開を理解し、かつ21世紀の現代都市計画がいかなる方向に走り出しているのかを見てきた。
 このレビューは、第一に、本場の近代都市計画と日本の都市計画との距離をどう見るか、という問いを投げかけてくる。蓑原先生は、「日本の都市計画の歪みを歪みとしてみる」ことの重要性を常に強調されていた。近代都市計画の出発点が欧州では市場経済への危惧から来る協同組合主義であるのに対し、日本(をはじめ後進都市計画国)では、国家権力への集権化の流れの中でそれを強化するかたちで導入されたこと、1950年代以降にアメリカを中心に始まった地域科学や1960年代の政府の都市計画に対する市民からの問題提起であった民衆都市計画論などの社会科学の知見を取り込んだ都市計画の理論化は日本ではほとんどフォローされなかったことなど、日本の都市計画の歴史的な展開を冷静に見つめ直してみたのである。この世界標準の都市計画に対する日本の都市計画の歪みを矯正し、近代都市計画を完成させようというのが、こうしたレビューの一つのメッセージである。
 しかし一方で、蓑原先生は歪みを矯正するという構図自体が有効性を失っているとも言う。本場の近代都市計画を支えてきたのは、都市社会の未来ビジョンとその実現に向けた合理的な道筋をデザインできるという信念に基づく設計主義であったが、その設計主義自体がすでに歴史的産物となっている。今や「計画」の理念を大きく転換し、現代都市計画へと脱皮させなければならないのである。

(引用終了)
<同書 251−252ページ>

これからの都市計画はこれまでのものとは一線を画する必要があるという。しかし、どう変えてゆくのか。

 本書「演習編」において様々な問題提起がなされてはいるが、まだ明快な答えはないようだ。あとがきには「おそらく本書に明快な答えはない。それぞれの現場での具体的な課題への取り組みに答えを見つけ出していきたい」(252ページ)とある。ちなみに「演習編」の問題提起(とディスカッション)は、

問1<都市計画にマスタープランは必要ですか?>
問2<都市はなぜ面で計画するのですか?>
問3<コンパクトシティは暮らしやすい街になりますか?>
問4<都市はどのように縮小していくのでしょうか?>
問5<都市計画はなぜ人と自然の関係性から出発しないのですか?>
問6<計画よりもシミュレーションに徹すべきではないですか?>
問7<都市計画は「時間」にどう向き合っていくのでしょうか?>

といった内容である。

 このブログでは、21世紀は「モノコト・シフト」の時代であると主張してきた。モノコト・シフトとは、「“モノからコトへ”のパラダイム・シフト」の略で、20世紀の大量生産システムと人の過剰な財欲(greed)による「行き過ぎた資本主義」への反省として、また、科学の還元主義的思考による「モノ信仰」の行き詰まりに対する新しい枠組みとして生まれた、(動きの見えないモノよりも)動きのあるコトを大切にする生き方、考え方への関心の高まりを指す。

 このブログで提唱している複眼主義の対比、

A Resource Planning−英語的発想−主格中心
a 脳(大脳新皮質)の働き−「公(Public)」−「都市」
A 男性性=「空間重視」「所有原理」

B Process Technology−日本語的発想−環境中心
b 身体(大脳旧皮質及び脳幹)の働き−「私(Private)」−「自然」
B 女性性=「時間重視」「関係原理」

でいえば、人々の気持ちがB側へ傾斜する時代といえる。複眼主義ではAとBのバランスを大切に考える。

 上の引用にある「本場の近代都市計画を支えてきたのは、都市社会の未来ビジョンとその実現に向けた合理的な道筋をデザインできるという信念に基づく設計主義であったが、その設計主義自体がすでに歴史的産物となっている」という論理。モノコト・シフトを前提とすると、ここはもうすこし丁寧な分析が必要だと思う。

 21世紀を迎え「歴史的産物」になったのは、設計主義そのものではなく、20世紀の大量生産システムを前提とした「本場の近代都市計画」であって、「都市社会の未来ビジョンとその実現に向けた合理的な道筋をデザインできるという信念」そのものではないのではないか。つまり、21世紀には、モノコト・シフトを前提とした、「合理的な道筋」が求められるということではないだろうか。それを「新しい都市計画」と呼びたい。

 都市計画は複眼主義でいうA側の仕事である。人々の気持ちがB側へ傾斜するからといって、理念や政策、計画といったA側の仕事が不必要になるわけではない。それでは、新しい都市計画の「合理的な道筋」は何を基礎に置いたら良いのだろう。

 このブログでは以前、「新しい家族の枠組み」の項で、「モノコト・シフト」時代の家族の枠組みについて、

1. 家内領域と公共領域の近接
2. 家族構成員相互の理性的関係
3. 価値中心主義
4. 資質と時間による分業
5. 家族の自立性の強化
6. 社交の復活
7. 非親族への寛容
8. 大家族

と纏めたことがある。参考までに、それ以前の「近代家族」の特徴は、

1. 家内領域と公共領域の分離
2. 家族構成員相互の強い情緒的関係
3. 子供中心主義
4. 男は公共領域・女は家内領域という性別分業
5. 家族の団体性の強化
6. 社交の衰退
7. 非親族への排除
8. 核家族

というものだった。
 
 モノコト・シフト以前の近代都市計画は、「近代家族」の特徴を踏まえたものだった。それが歴史的遺物となった。とすると、新しい都市計画は、少なくとも「新しい家族の枠組み」を踏まえたものでなければならないと思う(勿論、「流域思想」、「庭園・芸術都市」といった理念も必要だ)。これは「空き家問題」「空き家問題 II」「空き家問題 III」で見てきた内容とも整合すると思うがいかがだろう。新しい家族の枠組みを基礎に据えた新しい都市計画、B側を大切にする都市計画。その具体化についてこれからも研究を続けたい。

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新しい会社概念

2017年01月10日 [ 起業論 ]@sanmotegiをフォローする

 『株式会社の終焉』水野和夫著(ディスカヴァー・トゥエンティワン)という本を興味深く読んだ。水野氏には『資本主義の終焉と歴史の危機』(集英社新書)というベストセラーがあるが、この本はそれをさらに先へ進めた論考で、資本の増殖ができなくなった資本主義社会において、その主役である株式会社に未来があるのかどうかを問う内容となっている。

 資本の増殖は、中心と周辺という二重構造から(中心が周辺に侵食する形で)利潤として作り出される。西洋近代は、中心としての欧米が周辺としての植民地に侵食することで繁栄、現代のグローバリズムは、中心としての先進諸国が周辺としての後進国、さらには電子・金融空間というバーチャルな市場に侵食して繁昌きたが、21世紀に至り、(長期ゼロ金利状況が示すように)資本はこれまでのように利潤が生みだせなくなってきた。そのことをもって「資本主義の終焉」と水野氏は(前著で)論じたわけだが、今回は、その終焉した資本主義下における株式会社の在り方について、

第1章 「株高、マイナス利子率は何を意味しているのか」
<「資本帝国」の株高vs.「国民国家」のマイナス金利>
第2章 「株式会社とは何か」
<「無限空間」の株式会社vs.「有限空間」のパートナーシップ>
第3章 「21世紀に株式会社の未来はあるのか」
<より多くの現金配当vs.より充実したサービス配当>

という章立てで考察、最終的に、これまでの株式会社が「より速く、より遠くに、より合理的に」という近代資本主義の原理に基づいていたのに対して、これからの会社組織は、「よりゆっくり、より近くに、より寛容に」という中世的原理に立ち返るべきだと結論付ける。裏表紙の紹介文を引用しよう。

(引用開始)

「より速く、より遠くに、より合理的に」から、「よりゆっくり、より近くに、より寛容に」に。これを株式会社に当てはめれば、減益計画で十分だということ。現金配当をやめること。過剰な内部留保金を国庫に戻すこと。おそらく2020年の東京五輪までは、「成長がすべての怪我を直す」と考える、近代勢力が力を増すでしょうが、それも、向こう100年間という長期でみれば、ほんのさざ波にすぎません。

(引用終了)

 第1章の「資本帝国」とは、これまでの株式会社(の資本家たち)が目指したグローバルな市場空間を指し、「国民国家」とは、国境によって区切られた(一般人の)居住空間を指している。株高とマイナス金利は、資本帝国の優位を示す。資本帝国とは、第2章にある「無限空間」であり、一方の国民国家は、「有限空間」である。前者は<より多くの現金配当>を要求するが、後者は<より充実したサービス配当>を求める。資本主義終焉下の会社は、資本家のための<より多くの現金配当>ではなく、一般人のための<より充実したサービス配当>を第一義とすべきである。そのために会社は、それまでの「より速く、より遠く、より合理的に」という原理から、「よりゆっくり、より近く、より寛容に」なることが求められるというわけだ。

 第1章では、「ROEと家計の純資産蓄積率」や「実質賃金指数」、「限界労働分配率」や「日米欧の資本生産性分解」といった指標によって現状を分析、第2章は株式会社の歴史を振り返り、第3章では再び各種の経済指標によって将来の会社の在り方を探る。本の帯表紙に<大ベストセラー『資本主義の終焉と歴史の危機』を継ぐ著者渾身の書き下ろし>、裏表紙に<水野史観、炸裂!>とあるが、確かにとても読み応えがあった。

 ご存知のように、このブログでは、「モノコト・シフト」というキーワードによって21世紀を見通そうとしてきた。モノコト・シフトとは、「“モノからコトへ”のパラダイム・シフト」の略で、20世紀の大量生産システムと人の過剰な財欲(greed)による「行き過ぎた資本主義」への反省として、また、科学の還元主義的思考による「モノ信仰」の行き詰まりに対する新しい枠組みとして生まれた、(動きの見えないモノよりも)動きのあるコトを大切にする生き方、考え方への関心の高まりを指す。水野氏のいう「より速く、より遠くに、より合理的に」という近代資本主義の原理は、モノコト・シフトでいう「モノ」への執着と重なる。時間が凍結された「モノ」は数として捉えることができ、いつでもどこへでも運ぶことができる。一方の「よりゆっくり、より近くに、より寛容に」は、「コト」を大切にする態度と重なる。「コト」はその場において(時間の流れとともに)生起しどこへも運ぶことができない。

 「モノ」は複眼主義の対比、

A Resource Planning−英語的発想−主格中心
a 脳(大脳新皮質)の働き−「公(Public)」−「都市」
A 男性性=「空間重視」「所有原理」

B Process Technology−日本語的発想−環境中心
b 身体(大脳旧皮質及び脳幹)の働き−「私(Private)」−「自然」
B 女性性=「時間重視」「関係原理」

におけるA側と親和性があり、「コト」はB側と親和性がある。「より速く、より遠くに、より合理的に」というのは主に脳(大脳新皮質)の働きからくる思考であり、「よりゆっくり、より近くに、より寛容に」という思考は主に身体(大脳旧皮質及び脳幹)の働きからくる。複眼主義では両者のバランスを大切に考えるが、21世紀社会は「コト」、つまりB側に傾くというのがモノコト・シフトの見立てで、それは水野氏の結論と同じ方向性を持つ。

 さて、これから先の問題は、

1.新しい組織概念を裏付ける宇宙論
2.state(国家)の政策舵取り
3.B側に傾斜する社会においてAとBのバランスをどう保つか

といったことだろうか。

 1.に関して、水野氏は同書第2章で、近代は、コペルニクスの宇宙論(地動説)から始まったと述べておられる。氏は、コペルニクスからニュートン、ホッブスまでの近代西洋諸理論を概観した上で、

(引用開始)

 このように、コペルニクスは、100年後の「ウェストファリア秩序体制」のいわば産婆役でした。したがって、近代の始まりは、コペルニクスが『天球の回転について』を著した1543年ということになるのです。

(引用終了)
<同書 96ページ>

と書く。宇宙論が一変したときに組織の概念も変わるということだ。そうだとすると、「よりゆっくり、より近くに、より寛容に」という思考原理に基づいた組織概念が世界規模で浸透するには、新たな宇宙論が必要だということになる。私は、「重力進化学 II」や「時間と空間」の項で述べた日本人科学者による理論がその候補だと思うがどうだろう。

 2.の問題は、3.と密接に関係する。state(国家)の政策舵取りによって地域におけるAとBのバランスが保たれるからだ。政策舵取りの大枠については「経済の三層構造」や「nationとstate」、「ヒト・モノ・カネの複合統治」の項などで言及してきたのでお読みいただきたい。これからの政策は、複眼的かつ精巧・繊細なものでなければならないと思う。

 2017年は特にアメリカ新大統領の政策が注目される。政策舵取りは主にA側の仕事だ。「鳥瞰的な視野の大切さ」の項で触れたように、トランプ大統領はビジネスライクにA側の仕事を進めていくだろうが、人には「三つの宿啞」、つまり、

(1)社会の自由を抑圧する人の過剰な財欲と名声欲
(2)それが作り出すシステムとその自己増幅を担う官僚主義
(3)官僚主義を助長する我々の認知の歪みの放置

という三つの治らない病気がある。トランプ政策チームが、社会におけるAとBのバランスを保とうとする限り問題はないが、彼らが三つの宿啞のうちのどれか(あるいは複数)に深く陥ると、アメリカの影響力は大きいだけに世界は崩壊の危機に立たされることとなる。資本主義終焉下、それまで会社(ビジネス界)で発揮されていたA側の英知を内閣に集めたトランプ大統領、まずはお手並み拝見。彼は複眼的かつ精巧・繊細に事を運べるだろうか。

 トランプ大統領の政策を手短にまとめた新聞記事(「私の相場観」証券アナリスト・久保寺寛治氏)があったので引用しておく。

(引用開始)

「米国は本格世直し政策へ」

 米大統領選挙でトランプ氏が勝利したのを機に、内外株式市況は急反騰局面に転じて一カ月半が通過した。この間、新政策「トランプノミクス」への議論も深まってきた。
 新政策は以下の5項目を柱とする。@各般の規制緩和A超大規模な減税Bインフラの本格整備C通商協定の見直しD移民制度の厳格化。CとDの対外政策は荒削りで、先行きは不透明とされる。この一方、@〜Bの経済政策への評価は高い。
 近年、米国など先進国の経済は、長期停滞に陥る傾向が明白だ。この原因については諸説あるが、トランプ氏は生産拠点の海外流失が主因とみて、その是正による本格的世直しを目指す。その前途は容易ではないものの、その意気をよしとする向きも少なくはあるまい。
 対して経済政策の前途は明るい。議会が引き続き共和党優位であるからだ。これらの施策は後半から寄与する。自律回復局面にある米国経済にこの追い風が加わるため、明後2018年の成長率は3%に接近する公算が強くなった(本年は1.6%の見込み)。これにより金融当局は、年1回も抑えていた政策金利の引き上げを3回に増やす方針に転じた。
 ただ、この大型スキームには盲点がある。一般的には長期停滞の主因とされている生産性低落に対処する姿勢がほとんど見られないことで、金融当局もこの点を強く懸念している。新体制が早期にこの問題に取り組むことを期待したい。

(引用終了)
<東京新聞 12/27/2016>

 このブログは近々終わるが、これからも引き続き3点の問題、

1.新しい組織概念を裏付ける宇宙論
2.state(国家)の政策舵取り
3.B側に傾斜する社会においてAとBのバランスをどう保つか

について詳細を考えたい。

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3つの判断基準

2016年12月28日 [ 起業論 ]@sanmotegiをフォローする

 新聞の夕刊に「3つの判断基準」というショート・エッセイがあった。著者は種村均氏(ノリタケカンパニーリミテッド会長)。

(引用開始)

 私は日頃、自分の考えを善悪、正誤、適否という三つの判断基準で吟味している。善悪は人道に反していないかどうかであり、正誤は規範やルールに反していないか、適否はそれが最適な選択肢であるかどうかである。
 善悪の判断を誤ると、一生を台無しにしかねない。自分の人生を振り返ると今でも冷や汗が出る思いをすることがある。致命傷にならなかったのが幸運である。
 人道に反しない行為でも、手順や手続きを誤ると社会や組織に迷惑をかける。必要な届けや許可を受けて行えば褒められることでも、怠れば非難されてしまう。国には法律、社会には規範、会社には規則がある。知らなかったでは済まされない。
 三つめの適否の判断は一口では言い表せない。会社では経営者と社員の適否の判断力を高めるために苦心している。判断に必要な情報の収集と分析、判断の土台となる見識やノウハウの蓄積、判断に影響する将来変化の推定、こうした知識や能力を育てることは組織の維持発展に不可欠である。
 正誤や適否の判断において優れた能力を持ち合わせながら、善悪の判断力に問題があって人生を台無しにする人もいる。社内でも善悪についての教育に一層努力しなければなるまい。

(引用終了)
<東京新聞夕刊「紙つぶて」11/10/2016>

善悪、正誤、適否、いかにも組織の長らしい判断基準といえる。

 私の場合「3つの判断基準」は、以前「三つの宿啞」の項で書いた内容と照らし合わせたものになると思う。つまり、

(1)社会の自由を抑圧する人の過剰な財欲と名声欲
(2)それが作り出すシステムとその自己増幅を担う官僚主義
(3)官僚主義を助長する我々の認知の歪みの放置

という人類の三つの宿啞(治らない病気)からできるだけ遠いところにあることを判断基準にするわけだ。(1)はその判断が「過剰な財欲と名声欲」(greed)から来ていないかどうかであり、種村氏の善悪と重なるかもしれない。(2)はその判断が惰性に流されたものでないか、革新性があるかどうか、(3)はその判断が偏見や思い込みから自由であるかどうか。

 皆さんの「3つの判断基準」はどういうものだろう。種村氏や私のそれと似通ったものだろうか。組織のポジション、年齢や性別によって違ってくるかもしれない。「パーソナリティの分類いろいろ」の項で記した性格の各要素によっても違ってきそうだ。

(1)リアクター:感情・フィーリングを重要視する人。
(2)ワーカホリック:思考・論理、合理性を重要視する人。
(3)パシスター:自分の価値観や信念に基づいて行動する人。
(4)ドリーマー:内省、創造性に生きる静かな人。
(5)プロモーター:行動の人。チャレンジ精神が旺盛。
(6)レベル:反応・ユーモアの人。好きか嫌いかという反応重視。

これは6つのパーソナリティ分類だが、これを眺めると、人によっては快・不快、合理・不合理、信・不信、好き嫌いなどが基準に入ってくるのかもしれない。

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クラフトビールの研究 III

2016年12月20日 [ 起業論 ]@sanmotegiをフォローする

 『究極にうまいクラフトビールを作る』永井隆著(新潮社)という本を読んだ。副題に“キリンビール「異端児」たちの挑戦”とある。本帯裏表紙にある紹介文を引用しよう。

(引用開始)

クラフトビールの聖地「スプリングバレーブルワリー」はこうして代官山に誕生した

大量生産に背を向けた型破りの挑戦は、最悪の業績にあえぐ巨大メーカーの片隅で始まった。個人の嗜好に合わせたビールを、つくったその場で飲んでもらう店を出す!ビールこそ最高の酒と信じる者たちが始めたプロジェクトは、やがて最先端のクラフト専門店として結実する。開店以来超満員の続く店の奇跡を描く最高のビジネス・ノンフィクション。

(引用終了)

私もときどき行くが代官山店は天井が高く気持ちの良い空間だ。

 このブログでは、21世紀の潮流としての「モノコト・シフト」に特徴的な、“「皆と同じ」から「それぞれのこだわり」へ”というトレンドに関して、クラフトビールの流行を追いかけてきた。

ビール経済学
クラフトビールの研究
クラフトビールの研究 II

この本もそういう中の一冊として紹介したい。

(引用開始)

 日本を筆頭に先進国はどこも、少子高齢化が進む。市場はどうしても小さくなっていく。「一番搾り」や「スーパードライ」といったナショナルブランドがなくなることは当分ないだろう。しかし、大量生産を前提としたものづくりは、いずれ限界が来るのではないか。社会のあり方が大量生産とは合わなくなってきているのだから。メーカーは新しい価値に通じるものづくりを創造していくべきだろう。一つの切り口は、「地域」ではないか。ワインやチーズなどの一部は、商品の規模は小さくとも、地域を切り口に人気を博している。バイクにしても、イタリアの中小メーカーはクラフト的なものづくりで生き残っているじゃないか。経済がグローバル化していくほど、個性的なモノが求められるはずだ――。

(引用終了)
<同書 45−46ページ>

和田徹氏(スプリングバレーブルワリー代表)の考えだという。

 この本は、キリンビールという大手が立ち上げたクラフトビールということで、企業内起業プロセスを覗くという面白さもある。企業内起業の成功と失敗については、以前「カーブアウト」、「カーブアウトII」の両項で論じたことがある。「カーブアウト III」では出口戦略について書いた。併せてお読みいただきたい。

 最後に新聞の書評も載せておこう。

(引用開始)

巨大設備で単品製造されるビール。規模をいかす生産が一般的だが、本書はその正反対の小規模、多品種少量に挑戦したキリンビールの異端児たちの奮闘記だ。当然、社内では衝突が起きるが突き詰めればキリンが目指している、うまいビール造りの「あるべき姿」に集約されて、彼らは次第に理解を得る。社内に“よい化学反応”を起こし、組織が活性化していく過程の描写は心地いい。

(引用終了)
<日経新聞 12/4/2016>

 このブログを始めた2007年の暮れ、その初稿「スモールビジネスの時代」の中で、これから産業界を牽引するのは、フレキシブルで判断が早く、地域に密着したスモールビジネスだろうと書いた。9年後の今、それがビール業界でも形となって現れてきたわけだ。頼もしいと思う。開始から9年、このブログもそろそろ役割を終えたようだ。私も次のステージへ進もうと思う。

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鳥瞰的な視野の大切さ

2016年12月06日 [ 起業論 ]@sanmotegiをフォローする

 前回「物事の繋がりの重要性」の項で引用した『電車をデザインする仕事』水戸岡鋭治著(新潮文庫)の文章に、「それ(物事の繋がりの重要性)を理解するには、先ほど述べた鳥瞰という視点が大切です。(中略)鳥瞰的な視野で総合的に物事を進めることができれば、創造的な人間が増えていく土壌が生まれます。それが、バランスの良い社会をつくりだすのです」という部分があった(括弧内引用者)。今回はこの「鳥瞰的な視野の大切さ」について敷衍してみたい。

 まず『電車をデザインする仕事』から「鳥瞰的な視野の大切さ」について書かれた部分を引用しよう。

(引用開始)

 ヨーロッパでは政治によって文化や都市がデザインされるといわれているのですが、それに比べると日本のデザインは非常に表面的で狭いものに限定されます。その意識の違いがデザインの幅の違いに関わってきます。
 この「全体を見渡す」とは鳥瞰(ちょうかん)の視点、つまり広い視野で見る、考えるということです。多角的に大きな観点で全体を見渡すことによって「正しいデザイン」のガイドラインが描けるようになるのです。
 さらに付け加えれば、デザインにおいてこの鳥瞰という言葉のなかには「パブリック・デザイン」という意味があります。このパブリック・デザインの対極にあるのがプライベート・デザインで、自分自身のデザインを自分のやりたいように進めていっても誰からも文句を言われません。ところが、パブリック・デザインとなると公共デザインなので、多くの人が集まって生活をする公共空間を鳥瞰することが必要不可欠になるのです。

(引用終了)
<同書 23−24ページ>

 このブログで提唱している複眼主義の対比、

A Resource Planning−英語的発想−主格中心
a 脳(大脳新皮質)の働き−「公(Public)」−「都市」
A 男性性=「空間重視」「所有原理」

B Process Technology−日本語的発想−環境中心
b 身体(大脳旧皮質及び脳幹)の働き−「私(Private)」−「自然」
B 女性性=「時間重視」「関係原理」

に引き寄せて言えば、「鳥瞰」とは空間重視でありAの視点である。「パブリック・デザイン」もAの視点だ。

 「物事の繋がりの重要性」はB側で、21世紀は世界的にこちら側が強まるだろうというのがモノコト・シフトの見立てだが、複眼主義ではAとBのバランスを大切に考える。日本人(日本語的発想)はもともとBの側に偏っているから、それを知る水戸岡氏は、ここで敢てAの大切さを強調しておられるのだろう。

 ちなみにモノコト・シフトとは、「“モノからコトへ”のパラダイム・シフト」の略で、二十世紀の大量生産システムと人の過剰な財欲(greed)による「行き過ぎた資本主義」への反省として、また、科学の還元主義的思考による「モノ信仰」の行き詰まりに対する新しい枠組みとして生まれた、(動きの見えないモノよりも)動きのあるコトを大切にする生き方、考え方への関心の高まりを指す。

モノコト・シフトの研究
モノコト・シフトの研究 II
モノコト・シフトの研究 III
モノコト・シフトの研究 IV

 話は変わるが、ここで、モノコト・シフトの観点から、先の米大統領選挙の結果を説明してみたい。選挙旋風(という「コト」)の一部が、モノコト・シフトでいうBの「イベントへの熱狂」であることは間違いない。動きのある「コト」はBと親和性が強い。その線上でBの女性性を代表するヒラリー氏が選ばれてもおかしくなかったが、(1)ヒラリーが「行き過ぎた資本主義」のインサイダーと見做されたこと(メール問題やクリントン財団など)、(2)アメリカ人(英語的発想)はもともとA側に偏っていること、(3)国民の大半は(熱狂はしても)greedが操るマスコミのプロパガンダに乗らなかったこと、(4)stateの統治はそもそもA側領域の仕事であること、などの理由によって、Aの男性性の代表トランプ氏が選ばれることとなった。

 これからアメリカのB側志向(モノコト・シフト)は、政治を離れてビジネス領域で花開くのではないか。「行き過ぎた資本主義」ではない地方発の起業、「コト」を支えるインフラ整備、スポーツ・イベントやアートビジネスなどなど。一方、トランプ大統領はビジネスライクにA側の仕事をこなしてゆくことだろう。そのとき日本のアメリカとの政治交渉は、B側に偏った日本的発想の政治家たちでは歯が立たない。水戸岡氏のような、A側の大切さが解り尚且つBの重要性に気付いている人が、日本stateに必要となってくるに違いない。

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物事の繋がりの重要性

2016年11月29日 [ 起業論 ]@sanmotegiをフォローする

 『電車をデザインする仕事』水戸岡鋭治著(新潮文庫)という本を読んだ。水戸岡氏は「ななつ星in九州」などの豪華列車デザイナーとして有名。副題には「ななつ星。九州新幹線はこうして生まれた!」とある。本の帯(表紙)とカバー裏表紙の紹介文を引用しよう。

(引用開始)

「JR九州」大躍進の秘密は、乗客をワクワクさせる「物語力」にあった!
未だかつて無いものを生み出す発想術・仕事術

豪華寝台列車なのに予約はいつも満員の「ななつ星in九州」。「縦長の目」が印象的な800系新幹線「つばめ」。斬新で魅力的なデザインはどのようにして生み出されたのか。「最高レベルのものを提供し、お客様に圧倒的な感動を五感で味わってもらう」というコンセプトを軸に、JR九州のD&S(デザイン&ストーリー)列車が大成功した経緯と今後について語る、プロデザイナーの発想術。

(引用終了)

本書には、水戸岡氏のイラストレーター・デザイナーとしての哲学や、鉄道デザインや公共デザインにおける現場の実際が、具体的にかつ余すところなく描かれている。デザイン系で起業を目指す人にお勧めの一冊だ。

 このブログで書いているモノコト・シフトでいえば、「ななつ星in九州」による旅は、“「皆と同じ」から「それぞれのこだわり」へ”というトレンドの究極的体験といえるだろう。水戸岡氏もこのトレンドを敏感に感じ取っおられるようだ。前回「モノコト・シフトの研究 IV」で、

(引用開始)

 思考から、自己の身体や自分がいる場所の力を外さないこと。対象を数としてではなくエネルギーとして捉えること。さまざまなコトを通してそのエネルギーを感じること。そういうモノコト・シフトの本質を理解した人が、これからのビジネスをリードしてゆく筈だ。

 事象は固有時空層を成してすべて繋がっている。モノ(物質)に対しても、人はその中に潜むエネルギーを感じ取ろうとするだろう。効率よりも効用。近代以前、人々はずっとそうしてきた。日本人の「もったいない精神」もそういう気持ちの表れだ。しかし近代以降、とくに二十世紀の大量生産システムが世の中を席巻して以来、人はモノの効用よりも利用効率を優先するようになった。モノコト・シフトが進む地域・階層では、人は効率よりもまた効用を優先するようになるに違いない。

(引用終了)

と書いたけれど、水戸岡氏もそのデザイン哲学の項で、「素晴らしいデザインは素晴らしいビジネスを生み、素晴らしいビジネスを生むことで素晴らしい暮らしを生み出す」という言葉を紹介しそれがデザインというものの在り方を示していると述べたあと、「事象の繋がりへの気付き」に言及しておられる。

(引用開始)

 さらに、この言葉から学べる教訓は、世の中のはすべての物事が繋がっていて、繋がっていないものはひとつもないということです。それを理解するには、先ほど述べた鳥瞰という視点が必要です。
 ところが多くの人間はデザインを含め、すべての仕事を繋げてしまうと厄介だからといって切り離してしまう傾向にあります。その代表例がまさに私たちが生きている縦割り社会であり、縦割り企業ということです。国家も政治家も専門に分けてしまいますが、意識レベルの高い国においては、専門に分ける必要がないので、総合的かつ創造的な社会や企業をデザインすることができます。鳥瞰的な視野で総合的に物事を進めることができれば、創造的な人間が増えていく土壌が生まれます。それが、バランスの良い社会をつくりだすのです。

(引用終了)
<同書 34−35ページ>

JR九州は今年の10月に東京証券取引所第一部へ上場し、国鉄分割30年目にして完全民営化を果たした。水戸岡氏の貢献も大きかったに違いない。本書の解説にはJR九州会長の文章が載っている。

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パーソナリティの分類いろいろ

2016年10月18日 [ 起業論 ]@sanmotegiをフォローする

 以前「6つのパーソナリティ」の項で、

(1)リアクター:感情・フィーリングを重要視する人。(女性性)
(2)ワーカホリック:思考・論理、合理性を重要視する人。(男性性)
(3)パシスター:自分の価値観や信念に基づいて行動する人。(男性性)
(4)ドリーマー:内省、創造性に生きる静かな人。(女性性)
(5)プロモーター:行動の人。チャレンジ精神が旺盛。(男性性)
(6)レベル:反応・ユーモアの人。好きか嫌いかという反応重視。(女性性)

というパーソナリティ・タイプ(性格の要素)を紹介した(男性性と女性性は「ヤンキーとオタク II」の項で追加)が、最近、それを9つに分類する『人間は9タイプ』坪田信貴著(KADOKAWA)という本を見つけた。子供の教育に関する本で、その分類は、

@ 完璧主義者タイプ:「なんとかなるさ」という人って信用できない。
A 献身家タイプ:「自分のために」と言われるとやる気が出ない。
B 達成者タイプ:「そんなの簡単でしょ」と言われると萎える。
C 芸術家タイプ:みんなが使っている教材?そんなの使いたくないね。
D 研究者タイプ:チームプレーなんてしたくない。
E 堅実家タイプ:「自分で考えなさい」言われると頭が真っ白。
F 楽天家タイプ:「世の中そんなに甘くない」とかウゼーんだよ。
G 統率者タイプ:親がそう命じるなら絶対逆をしてやる。
H 調停者タイプ:人と競争とかさせないで。

とある。それぞれのタイプに最適な声がけをして子供のやる気を引き出そうというのが本の趣旨だが、子供の教育だけでなく、仕事(関係者への対応など)でも役立つと思うので、起業家の皆さんも一度目を通してみては如何だろう。

 さて、この9つの分類は上の6つとどう整合するのか。本書には、著者がそれぞれのタイプに相応しいと考える子供の性別イラストがある。

@ 完璧主義者タイプ(男の子)
A 献身家タイプ(女の子)
B 達成者タイプ(男の子)
C 芸術家タイプ(女の子)
D 研究者タイプ(女の子)
E 堅実家タイプ(男の子)
F 楽天家タイプ(女の子)
G 統率者タイプ(男の子)
H 調停者タイプ(男の子)

これを補助線にして考えてみると、たとえば、

(1)リアクター(女性性):A 献身家(女)、H 調停者(男)
(2)ワーカホリック(男性性):@ 完璧主義者(男)、E 堅実家(男)
(3)パシスター(男性性):B 達成者(男)
(4)ドリーマー(女性性):C 芸術家(女)、D 研究者(女)
(5)プロモーター(男性性):G 統率者(男)
(6)レベル(女性性):F 楽天家(女)

といった対応が考えられる。そもそも男性性・女性性は男女どちらも持っている。本のイラストは男の子だが、Hの「調停者タイプ」は、男性性と女性性との比率が半々くらい(5:5)なのだと考えればよい。

 このほかの対応のさせ方もあるだろう。皆さんも思考実験として、職場などで観察してみると面白いと思う。

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クラフトビールの研究 II

2016年09月13日 [ 起業論 ]@sanmotegiをフォローする

 前回「クラフトビールの研究」の項で、クラフトビール(小規模のローカルな醸造所で職人がこだわりをもって造るビール)における各地のブルワリー(や酒店)を十幾つ列記したけれど、ビール造りを事業として考えた場合、大事なのは、どういう「ストーリー(物語)」紡いでいくかだと思う。

 このブログで再三論じている「理念(Mission)と目的(Objective)」からそれは導かれるわけだが、『美味しいクラフトビールの本』エイムック3424(別冊Discover Japan)を参考にしながら、いくつかパターンを考えてみたい。尚、このブログでは会社の理念(Mission)と目的(Objective)について、

「理念(Mission)」:その会社がどのような分野で、どのように社会へ貢献しようとするのかを表現した声明文。

「目的(Objective)」:その会社が具体的に何を達成したいのかをまとめた文章で、理念の次に大切なもの。

と定義している。「ストーリー(物語)」とは、この「理念(Mission)と目的(Objective)」をわかりやすく顧客に伝えるものと捉えてよいだろう。

パターン(1):日本のクラフトビールの特質(品質だったり材料だったりテイストだったり)を広く世界にアピールするストーリー。→「常陸野ネストビール」など。

パターン(2):都会的なライフスタイルの一部として陽気でカーニバル的な「場」をつくりクラフトビールの魅力を訴求するストーリー。→「スプリングバレーブルワリー」など。

パターン(3):ローカル食材とのマッチングや生活文化との接点を考えてクラフトビールと共にその地方の魅力を発信するストーリー。→「ベアレンビール醸造所」など。

パターン(4):地域コミュニティとのつながりを大切にして(商店街の一角などに)交流の「場」を設け日々新鮮なビールを提供するストーリー。→「西荻ビール工房」など。

 もちろん物語はどれか一つである必要はなく、パターンの組み合わせ技もあるし、これ以外のパターンもあるだろう。上記はあくまでも『美味しいクラフトビールの本』から拾い上げたもの。例として挙げたブルワリーも記事からの印象に過ぎない。だが「クラフトビール」という特性を考えると、ストーリーは概ねこれら4つのパターンに集約されるのではないだろうか。

 パターン(1)は、輸出産業としてのクラフトビールである。日本の独自価値追求型といえる。このパターンの逆もあって「カピオンエール」では「日本でイギリスのクラフトビールのおいしさを伝えたい」ということで、麦芽やホップといった素材はすべてイギリス産を使っているという(『美味しいクラフトビールの本』140ページ)。

 パターン(2)は、都会的なライフスタイルにおけるクラフトビールの魅力を探るもので、都市的「モノコト・シフト」追求型といえる。例として挙げた「スプリングバレーブルワリー」の経営元はキリンビール。クラフトビールとビール市場全体の活性化を目指しているという(同誌134−135ページ)。代官山と横浜に専門の店舗があり、そこでは音楽とのコラボやビールセミナーなども行われる。

 パターン(3)は、観光業も視野に入れた地域起こし追求型。他業種とのシナジー追求型でもある。例に挙げた「ベアレンビール醸造所」について、『美味しいクラフトビールの本』には、

(引用開始)

「僕らは『クラフトビール』という言葉はあまり使いません。あくまで『地ビール』なんです」と話すのは、「ベアレンビール醸造所」の専務・嶌田(しまだ)洋一さん。地域の人たちと一緒に岩手のビール文化をつくっていきたいという思いを「地ビール」という言葉に込める。

(引用終了)
<同誌 041ページ>

とある。

 パターン(4)は、地域コミュニティ密着型。クラフトビールの新鮮さが売りで、例に挙げた「西荻ビール工房」の店の写真には、200リットルが醸造可能なタンクの上に「ただ今、発酵中。」という札が置いてある(同誌141ページ)。

 以上、4つのパターンをみたが、事業が軌道に乗って次のステップを考えるとき、同じパターン内でストーリーを広げるのか、別のパターンとの追加統合か、まったく新しいパターンを考えるのかは、企業戦略(持てる資産と市場の分析に基づく最適なビジネスモデルの構築)に拠る。

 その際、留意すべきポイントを一つ。このブログでは会社の「理念(Mission)と目的(Objective)」の重要性を説いているが、その存在を忘れると、物語としての一貫性が失われて失敗する。地域密着型でやってきたのに売り上げを伸ばしたいから他所で委託販売を始める、いろいろな活動で「場」を盛り上げてきたのに予算が減ったから活動を抑える、地道な活動で地域文化に貢献してきたのに儲かりそうだからインバウンド向けの地ビール量産に走る、などなど。成功しかけた会社が往々にして陥る落とし穴だ。

 以上、クラフトビールのストーリー(物語)について考えたが、こういったことは他の業種でも参考になると思う。

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クラフトビールの研究

2016年09月06日 [ 起業論 ]@sanmotegiをフォローする

 「皆と同じ」から「それぞれのこだわり」へ、という21世紀のトレンドについて、クラフトビール(小規模のローカルな醸造所で職人がこだわりをもって造るビール)を例に「ビール経済学」を書いたのは、今から2年前(2014年9月)のこと。その後も、このトレンド「モノコト・シフト」を背景に、クラフトビールは特に先進国で順調に売り上げを伸ばしているようだ。

 今年の7月に出版された『日本クラフトビール紀行』友清哲著(イースト新書Q)は、そういったクラフトビールの醸造所(ブルワリー)や酒店を日本各地に訪ねる本だ。カバー裏表紙の紹介文を引用しよう。

(引用開始)

 クラフトビールの登場により、ビールは「とりあえず」で注文するものから、メニューを熟読して好みの銘柄を選択するものへと変わりました。本書は、日本全国、北は北海道から南は沖縄まで、15のブルワリーを巡って出会ったビールの物語。背景を知ることでビールはより一層旨くなり、また、訪れた旅先の景色を楽しむように土地のビールを堪能することは、現代ならではの醍醐味と言えるのではないでしょうか。ビール党も、そうでない人も、最高の一杯と出会う旅に出ましょう。

(引用終了)

ということで、同書には以下のブルワリーや酒店が登場する。クラフトビール製造は、1994年の酒税法改正によって可能になった事業だからまだ日が浅く、その分若い人の起業が目立つ。

● 神奈川県厚木市・サンクトガーレン有限会社
● 滋賀県長浜市・長濱浪漫ビール株式会社
● 岡山県岡山市・宮下酒造株式会社
● 北海道江別市・SOCブルーイング株式会社
● 東京都品川区・品川懸株式会社
● 福島県いわき市・浜田屋本店
● 青森県南津軽郡・そうま屋米酒店
● 京都市左京区・一乗寺ブリュワリー
● 静岡県伊豆の国市・株式会社蔵屋鳴沢
● 北海道小樽市・小樽倉庫No.1
● 東京都墨田区・ミヤタビール
● 東京都西多摩郡・VERTERE
● 沖縄県沖縄市・コザ麦酒工房
● 沖縄県南城市・株式会社南都
● 沖縄県名護市・ヘリオス酒造株式会社
● 埼玉県飯能市・株式会社FAR EAST

何処にもユニークな経営者がいて、それぞれの起業物語を持っている。分野は違っても、起業の際の参考になると思うので一読をお勧めしたい。

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庄内地方の在来野菜

2016年07月17日 [ 起業論 ]@sanmotegiをフォローする

 『奇跡のレストラン アル・ケッチャーノ』一志治夫著(文春文庫)という本がある。副題は「食と農の都・庄内パラディーゾ」。山形県の庄内地方には、外内島(とのじま)キュウリ、だだちゃ豆、藤沢カブ、平田赤ネギ、民田ナス、宝谷カブ、ズイキイモといった在来野菜が多い。口細カレイや岩牡蠣などの魚介類、肉類も豊富だ。この本は、そういった食材の生産者たち、地元でその食材を料理するイタリアン・レストランのシェフにスポットを当てたノン・フィクションである。本カバー裏表紙の紹介文を引用しよう。

(引用開始)

 山形県は庄内地方。日本海にほど近い小さな町に、全国から予約が引きもきらないレストランがある。海の幸にも山の幸にも恵まれたこの地には、地方再生への豊なヒントが含まれている。天才シェフ・奥田政行と優秀なスタッフ、そして彼らを支える多彩な篤農家、生産者たち。本書であなたの人生も変る! 解説・今野楊子

(引用終了)

 同書のプロローグからも引用したい。

(引用開始)

 山形県の庄内地方はかつて陸の孤島と言われていた。内陸部の山形市方面に抜けるには、最上川を遡るコースか、修験者が通る月山越えルートをとるしかない。陸上交通の便が極めて悪い土地だった。もっとも海上交通は中世より盛んで。最上川河口に位置する酒田港は北前船貿易で栄えた。
 つまり日本という島国の中のもうひとつの島国だったのだ。
ゆえに、三十万石ともいわれるほどに米作に優れた絶景の地の純度は落ちることなく、そして古(いにしえ)から伝わるさまざまな文化は弱まることなく、残った。
 その文化のひとつが、在来作物だった。長い間かけてその土地だけで育ってきた野菜である。
オセロの白黒があっという間に反転するかのごとく、日本中の作物は、戦後わずか半世紀で一変した。戦前に食べていた野菜といま私たちが口にする野菜はまるで別の食物である。
 しかし、庄内には、孤島ゆえ、戦前から、いや中には江戸時代以前から継承されてきた野菜が数多く残った。庄内の在来作物は、何百年も前から自家採種を繰り返しながら同じように作られ続けてきた。
 むしろ変ったのは、その在来野菜の食べ方ということになるのかもしれない。ひとりのシェフと在来野菜が出会ったことで、庄内の野菜はまた新たな息吹を吹き込まれることになったのである。

(引用終了)
<同書 8−9ページ>

 前々回「庭園・芸術都市」の項で、これからの日本の街づくりに必要なコンセプトとして「庭園・芸術都市」を提唱したが、当然のことながら、そこには外から来る人の観光(宿泊・食事・買物・見物といった活動)が付随する。付随するというか、そういう人たちがその都市に活気を齎(もたら)すわけだから、観光の重要性はいうまでもない。以前「観光業について」の項で、海外観光客向けになすべきこととして、

(1)日本語(文化)のユニークさをアピールする
(2)パーソナルな人と人との繋がりをつくる
(3)街の景観を整える(庭園都市)

という三点を挙げが、(1)の「日本語(文化)」をさらにbreakdownすれば、「地元の言葉と文化」ということになる。その意味で、庄内のユニークな作物にフォーカスした『奇跡のレストラン アル・ケッチャーノ』という本は、localで起業しようとする人にとって大いに参考になる筈だ。

 先日私も庄内地方で、孟宗竹や細口カレイなどの食材や、「……ども」「……のう」といった庄内弁を楽しむことができた。アル・ケッチャーノにこそ行けなかったけれど、米、酒、温泉も素晴らしく、鳥海山や出羽三山、最上川や日本海の景色は奥深く雄大だった。写真は旅行時に撮った庄内平野。

庄内平野

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これからの起業マインド

2016年07月05日 [ 起業論 ]@sanmotegiをフォローする

 このブログでは最近ここまで、『和の国富論』藻谷浩介著(新潮社)に拠って、

里山システムと国づくり III
個業の時代
営業生活権
日本流ディベート

さらに加えて『宗教消滅』島田裕巳著(SB新書)と『芸術立国論』平田オリザ著(集英社新書)、『下り坂をそろそろと下りる』平田オリザ著(講談社現代新書)によって、

宗教から芸術へ
庭園・芸術都市

と書き進めてきた。これらの話を総括するような宣言(Statement)が『和の国富論』の中にある。今回は(これらの項の)中締めとして、藻谷氏のその文章を引用しておきたい。

(引用開始)

 採算性を追求する事業マインドと、公益を追求するパブリックマインドと、美を追求する感性。これらが別々に存在していたのが日本の二〇世紀後半であるとすれば、共にあるのが二一世紀だろう。
 生産者と、流通業者と、消費者。生産地と、流通市場と消費地。彼らが分立していたのが日本の二〇世紀後半であるとすれば、消費者が生産者となり、消費地が生産地となって融合していくのが二一世紀だろう。
 コンテンツがあって立地条件が良ければ事業が成り立ったのが日本の二〇世紀後半であるとすれば、コンテンツも立地条件もそれを活かす経営人材次第というのが二一世紀だろう。
 生業にいそしむ自営業者と、雇用を与えられたサラリーマン。生業が年々破壊される中「雇用される権利」が強調されたのが日本の二〇世紀後半であるとすれば、雇用が破壊される中で「営業生活権」が再発見されるのが二一世紀だろう。

(引用終了)
<同書 84ページ>

21世紀日本の(一味違う)豊かさと楽しさはここにあると強く思う。皆さんはいかがだろう。

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営業生活権

2016年06月07日 [ 起業論 ]@sanmotegiをフォローする

 引き続き『和の国富論』藻谷浩介著(新潮社)に拠って、起業論を深めていこう。今回は「里山システムと国づくり III」で引用した氏の文章(や目次)にある「営業生活権」について。この言葉は、「個業」と同じ<第三章:「空き家」活用で日本中が甦る……清水義次(都市・建築再生プロデューサー)>の中に出てくる。その対話部分を引用しよう。藻谷氏の、今の日本にはまだ会社を辞めて食べていくためには特別な能力が必要なのではないかと信じ込んでいる人が多い、というコメントを受けて清水氏がいう。

(引用開始)

清水 実際は全然そんなことないのに(笑)。僕は人間が生まれながらに持っている権利に「営業生活権」というものがあると思っているんです。
藻谷 それはいわゆる生業権みたいなものですか?
清水 関東大震災からの復興の際に、東京商科大学(今の一橋大学)の福田徳三という経済学者が唱えた概念です。
 当時、帝都復興院総裁の後藤新平は、インフラ投資で機能分化した都市を築くのが復興だと考えた。郊外に住宅地を造って、道路や鉄道を引いて、都心にビルを建てて、大企業が人々に仕事を用意してやればよいと考えたわけです。
 これに対して福田は、「人間には自分で営業して生活を営む権利があるはずだ」と反対しました。僕はこの考えにとても共感しています。だから東日本大震災の時も、「営業生活権の復活こそが復興だ」と言って回りました。
藻谷 なんで日本では、営業生活権を捨てて、大企業の部品になるしかないと勘違いする人が多いのでしょうか?
清水 わかりませんが、おそらく明治以降の国策として、組織の中でよく働く人間を育成することに一生懸命になった結果じゃないでしょうか。国の教育方針に問題があると感じています。

(引用終了)
<同書 113−114ページ>

関東大震災は1923年(大正12年)の出来事だから、福田徳三が「営業生活権」を唱えたのは、今からおよそ百年も前のことだ。当時日本は近代社会づくりを目指していた。その家族の枠組みは、

1. 家内領域と公共領域の分離
2. 家族構成員相互の強い情緒的関係
3. 子供中心主義
4. 男は公共領域・女は家内領域という性別分業
5. 家族の団体性の強化
6. 社交の衰退
7. 非親族の排除
8. 核家族

を目標にしていただろう。後藤新平の復興策は概ねこの路線に沿うと思われる。

 それに対して福田の「営業生活権」という概念は、本人がどういう家族を想定したのか分からないが、今の新しい家族の枠組み、

1. 家内領域と公共領域の近接
2. 家族構成員相互の理性的関係
3. 価値中心主義
4. 資質と時間による分業
5. 家族の自立性の強化
6. 社交の復活
7. 非親族への寛容
8. 大家族

に(特に項目1.に)フィットする。清水氏の言うとおり、今の時代に甦るべき考え方に違いない。

 さらに付け加えれば、これからの起業は、「営業生活権」「個業」「スモールビジネス」といったキーワードと共に、社会のベースとなる新しい家族の枠組み8項目全てを十分考慮に入れたものであるべきだろう。それは、以前論じた「ヴァージンの流儀」的経営とオーバーラップする筈だ。

 藻谷氏は「営業生活権」を「雇用とは一味違う豊かさと楽しさ」と表現しておられる。その「豊かさと楽しさ」感は、新しい家族の枠組み8項目全体に亘って(21世紀的生き方そのものに対して)いえると思う。

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個業の時代

2016年05月31日 [ 起業論 ]@sanmotegiをフォローする

 前回紹介した『和の国富論』藻谷浩介著(新潮社)、<第三章:「空き家」活用で日本中が甦る……清水義次(都市・建築再生プロデューサー)>の中に、今の時代、若い人の方が(年寄りよりも)公的精神を持っているタイプが多い、という話がある。清水氏の「いまの若い人たちとの方が話が合いますね」というコメントを受けて始まる、その対話部分を引用しよう。

(引用開始)

藻谷 すごくわかります。私より数年下、だいたい今の四五歳ぐらいから、量的な拡大よりも質的な面白さを求める人が、ぼつぼつと出始めていて、三〇代、二〇代と若くなると、急に増えている気がします。
清水 先ほど申し上げた通り、僕の大もとの仕事は、社会風俗を観察して潜在意識の変化を読み取ることですが、いま日本社会にものすごく大きな変化が起きていると感じます。生まれながらにパブリックマインド(公共精神)を持っているタイプの、二〇代・三〇代がすごい勢いで増えている。地方でリノベーションスクールを開いてみると、やはり四〇代以上の人たちと、それ以下の人たちとの間には圧倒的な意識の差がある。
 ちょっと真面目な話をすると、ついに市民社会が成熟し始めたのかなという印象です。イギリスなどは長い時間をかけてゆっくりと市民社会が成熟を遂げてきたわけですが、日本社会は今ものすごい勢いで変化している。
藻谷 ついに日本が……ちょっと感動を禁じえませんね。それなのに、一方で「日本を、取り戻す。」なんてのがウケているらしい。いったい何を取り戻したいのか。
清水 あまりに時代感覚がズレている。二段階ぐらい断絶している。
藻谷 大企業に入って闇雲なグローバル競争で消耗するのでもない。かと言って、補助金・福祉依存で食わせてもらうのでもない。地域社会の中でささやかに自立し協業しながら、楽しく生きようとする若者が増えてきた。前時代的な「家業」から「企業」の時代が来て、ようやく「個業」の時代へと変化しようとしている。
清水 僕の仮説では、そうやって自立して生きる人の比率が増えれば、街がどんどん面白くなる。それを実地で証明していくのが「現代版家守」のテーマです。

(引用終了)
<同書 91−93ページ>

このブログでは、「若者の力」や「女子力」、「心ここに在らずの大人たち」や「フルサトをつくる若者たち」などの項で、若い世代の台頭に期待を寄せてきた。「組織は“理念と目的”が大事」の項で紹介した『PTA、やらなきゃダメですか?』の著者山本浩資氏も1975年生まれとあるから41歳だ。こういう世代の地域社会への関与は心強い。

 またこのブログでは当初から、これからはフレキシブルで、判断が早く、地域に密着した「スモールビジネス」の時代だ言い続けてきた。詳細はカテゴリ「起業論」をお読みいただきたいが、それは藻谷氏のいう「個業」の概念に近いと思う。

 若い世代による「個業」の増大。この現象の背景には、家族組織の変化があると思う。なぜなら、働く形態は、そのベースとなる(それを支える)家族組織の変化と対応する筈だからだ。「家業」から「企業」、そして「個業」への変化は、家族組織の変化、「家父長制」から「近代家族」、そして「新しい家族の枠組み」への変化と同期しているはずだ。「近代家族」の枠組みは、

1. 家内領域と公共領域の分離
2. 家族構成員相互の強い情緒的関係
3. 子供中心主義
4. 男は公共領域・女は家内領域という性別分業
5. 家族の団体性の強化
6. 社交の衰退
7. 非親族の排除
8. 核家族

であり、新しい家族の枠組みは、

1. 家内領域と公共領域の近接
2. 家族構成員相互の理性的関係
3. 価値中心主義
4. 資質と時間による分業
5. 家族の自立性の強化
6. 社交の復活
7. 非親族への寛容
8. 大家族

というものだ。若い世代の「個業」ないし「スモールビジネス」は、この新しい家族の枠組み各項目と親和性を持ちつつ展開すると考えられる。だからこれからの市民社会の成熟は、これらの価値観が社会に行き渡ることと同義であるとも言える。逆にいうと、これらの価値観が行き渡るまでは、「日本を、取り戻す。」といった勘違い感覚が(旧世代を中心として)なくならないわけだ。

 若い世代でも、新しい価値体系に全面的に移行できない人たちもいるだろう。たとえば、「個業」に惹かれながらも「男は公共領域・女は家内領域という性別分業」にこだわっていたり、「子供中心主義」を捨てられなかったり、「地元」に残りたいけれど「家内領域と公共領域の分離」が刷り込まれているから近所には仕事がないと思い込んだり、「家族構成員相互の理性的関係」を築くことが出来ずに親の宗教やしがらみに引き摺られたり。こういった混乱はしばらく続くのではないか。この辺について、項を改めてもう少し探ってみたい。

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里山システムと国づくり III

2016年05月24日 [ 起業論 ]@sanmotegiをフォローする

 藻谷浩介氏の著書については、これまで「里山システムと国づくり」の項で『里山資本主義』(共著・角川oneテーマ21)、「里山システムと国づくり II」の項で『しなやかな日本列島のつくりかた』(対談集・新潮社)、と書いてきたが、先日『和の国富論』(新潮社)が出版されたので紹介したい。これは『しなやかな日本列島のつくりかた』の続編とでもいうべき内容で、対談の相手は現場に腰を据えた各分野の専門家5人と、このブログでも度々その著書を論じている養老孟司氏。

第一章:「林業」に学ぶ超長期思考……速水亨(速水林業代表)企業統治は「ガバナンス強化」より「家業化」せよ。
第二章:「漁業」は豊かさを測るモノサシである……濱田武士(漁業経済学者)農林漁業は「効率化」より「需要高度化」を目指せ。
第三章:「空き家」活用で日本中が甦る……清水義次(都市・建築再生プロデューサー)地方創生は「雇用」よりも「営業生活権」を確保せよ。
第四章:「崩壊学級」でリーダーが育つ……菊池省三(元小学校教師)リーダーは「進学校」より「崩壊学級」で練成せよ。
第五章:「超高齢社会」は怖くない……水田惠(株式会社ふるさと代表取締役社長)老後不安は「特養増設」より「看取り合い」で解消。
第六章:「参勤交代」で身体性を取り戻す……養老孟司(解剖学者)日本国民は「参勤交代」で都会と田舎を往還せよ。

ということで、林業、漁業、空き家、学級崩壊、超高齢社会、都市と田舎について、前回同様、現状を踏まえた上で将来の展望を語る内容となっている。本書の「はじめに」から藻谷氏の文章を引用しよう。

(引用開始)

 林業の対話で描かれる、五〇年以上のサイクルで物事を考える「林業時間」の重要性。漁業の対話の中から浮かび上がる、「質」と「多様性」を何よりも重視する新たな市場原理。街区再生の対話で語られる「営業生活権」という言葉が内包する、「雇用」とは一味違う豊かさと楽しさ。教育の対話は、「コミュニケーション」を通じ相互を高めあう経験こそが、(市場経済を含む)人間社会を維持する必須条件なのではないかと考えさせる。福祉の対話は、認知症を発症したホームレスという厳しい状況に置かれた人間にも、普通の経済生活を営む人間とまったく同様の尊厳のあること、それを認めることから、経済社会の基盤づくりが始まることを示す。そしてそれらの諸要素は、最後の養老孟司氏との公開対談の中に再び登場し、脳の肥大化した特殊な生物、とはいっても自然の中におかれた生き物の一種にすぎない人類、さらにはその片割れに過ぎない自分たち個人の、社会的生物としてのあるべき生き方が示唆される。人が仕事を選ぶのではなく、仕事が人を選ぶのだ、といった両面からの考察が、心に刺さる。

(引用終了)
<同書 5ページ)

このブログでは経済を「自然の諸々の循環を含めて、人間を養う、社会の根本の理法・摂理」と捉え、マネー増減だけに囚われない起業家精神を説いているが、藻谷氏もそのように経済を考えておられるようで、氏の著書にはいつも元気付けられる。

 前著『しなやかな日本列島のつくりかた』が扱った分野は、商店街、限界集落、観光地、農業、医療、鉄道、街づくり。今回のものと併せ、いづれも難しい問題を抱えた領域ではあるが、困っておられる方は、これらの対談を繰り返し読むことで、解決のヒントが見えてくると思う。

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組織は“理念と目的”が大事

2016年05月17日 [ 起業論 ]@sanmotegiをフォローする

 『PTA、やらなきゃダメですか?』山本浩資著(小学館新書)という本を楽しく読んだ。まず新聞の紹介文を引用しよう。

(引用開始)

 仕事一辺倒の新聞記者が、地域の人々からPTA会長就任を求められ、しぶしぶ引き受けてから、PTAを改革していくまでの過程をドキュメンタリータッチで描く。タイトル通り、誰もやりたくないが、仕方なく参加しているPTAを、やりたい人が地域のために参加する組織に変えるにはどうしたらいいか。著者は理論的に思考して進めていく。
 経営学者ドラッカーの著書を元に、PTAにとって顧客とは誰かを見極める。それは「子ども」であり、「学校にかかわるすべての人」だ。アンケート調査で会員の本音を探り、委員会を全廃し、全活動をボランティアで行なうことを提案。役員たちは唖然とするが、<活動が強制されたものではなく、楽しいもの、必要なものならば、輪が広がっていく>という信念は揺るがない。
 最終的にはPTAを解体し、すべての活動を自発性にゆだねる組織へと発展させる。そこには、従来の「PTAに保護者が従う」という縦の関係ではなく、「保護者たちが横の関係で手を携えながら、地域の子どものためにできることを無理のない範囲で行なう」という成熟した地域社会への提言が含まれている。

(引用終了)
<毎日新聞 3/27/2016(フリガナ省略)>

 山本氏の成功の秘訣は、PTAの「理念と目的」を明確化したことだと思う。このブログでいう理念とは、なぜその活動を始めようとしたのか、ということであり、目的とは、具体的に何を達成したいのか、ということを指す。PTO(ボランティア精神を強調するために名称をPTAからPTOに変更)の入会申込書(抜粋)を本書から引用したい。

(引用開始)

 A小学校のPTOボランティアセンターでは、お子さまのご入学にあわせて保護者の皆様にPTOへの入会を任意でお願いしております。
 PTOの目的は、「子どもたちの健やかな成長をはかる」ことです。PTO活動には、学校・地域と協力して親子で楽しめる活動の企画・運営、安全・防災に関する活動、会員が望む子どもに体験させたい「夢」を実現するための資金作りなどさまざまなものがあります。活動は「できるときに、できる人が、できることをやる」が基本です。このような趣旨をご理解いただき、皆様のPTOへの参加をお願いいたします。
 また、PTOの活動には皆様一人ひとりのご協力が不可欠です。お仕事をお持ちの方、小さいお子さまがいらっしゃる方も、ご無理のない範囲で、できるときに自分の気に入ったボランティア活動にご協力をお願いいたします。
 皆様のご理解とご協力を得てPTO活動を行い、学校や地域と協力しながら子どもたちの健全な成長の一助になるような活動を、続けていきたいと思います。

(引用終了)
<同書 64−65ページ>

PTOの理念(なぜその活動を始めようとしたのか)は、「親としての愛情を学校の子どもと大人たちのために役立てる」ことであり、目的(具体的に何を達成したいのか)は、「子どもたちの健やかな成長をはかる」ということになるだろう。

 理念の基が「愛情」だから、活動は任意ボランティア・ベースでと言い切ることができた。目的が「健やかな成長」だから、楽しい活動をいろいろと企画することができる。詳細は本書をお読みいただきたいが、校庭で『逃走中』(テレビの人気番組)をやったときの話は感動的だ。これが従来のPTAによくあるような「義務」と「強制」だけ(の組織)だったらこんな自由な発想は出てこなかっただろう。PTOのキャッチフレーズは、「そうだ、学校に行こう。子どもたちに笑顔を!大人たちに感動を!」というものだという(99ページ)。素晴らしいフレーズではないか。

 理念と目的を明確化して組織の運営することの大切さは、PTAなどの非営利組織だけでなく、一般の企業活動においても言えることだ。その意味で起業家のみなさんにも参考になると思う。

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歴史の表と裏

2016年02月16日 [ 起業論 ]@sanmotegiをフォローする

 前回「物事の表と裏 II」の項で、歴史について、

(引用開始)

正史と外史、すなわち時の権力勝者が綴った表史と、敗者が綴った裏史の両方を知ることは、歴史を学ぶ際の基本であるが、裏は確かさの見極めが難しい。いろいろな仮説が生まれる所以だ。玉石混交で面倒くさがりには敬遠されるが、暇を惜しまず吟味していくと、思わぬ繋がりが見えてくることもある。

(引用終了)

と書いたけれど、今回はその一例を示してみたい。

 先日、『下山事件 暗殺者たちの夏』柴田哲考著(祥伝社)という本を読んだ。これは占領時代の日本で起きた事件をフィクションの形で追いかけたものだ。内容は勿論「いろいろな仮説の一つ」だが、当時歴史の裏で暗躍した政財界の大物、日米諜報員、特務機関員、検察・警察などのことが詳しく描かれている。

 この本と、以前「国家理念の実現」の項で紹介した『日本はなぜ、「基地」と「原発」を止められないのか』矢部宏治著(集英社インターナショナル)にある日本の国家権力構造の変遷、

戦前(昭和初期):天皇+日本軍+内務官僚
戦後@(昭和後期):天皇米軍+財務・経済・外務・法務官僚+自民党
戦後A(平成期):米軍+外務・法務官僚

とを繋げて考えると、権力中枢と一般国民との間の層(中間層)がより鮮明に見えてきた。

 先日『百花深処』<平岡公威の冒険 5>において、その大枠を、

(引用開始)

 戦後日本の姿を今一度振り返ってみよう。戦争に破れると、国(state)は主に以下の人々よって形作られた。

〔1〕
@ 一人の占領軍司令長官(米国軍人)
A 一握りの理想家米国軍人
B 多くのゴロツキ米国軍人

〔2〕
@ 一人の敗戦国君主
A 一握りの生き残り官僚
B 多くの生き残り軍人
C 無数のその日暮らしの庶民たち

 多大な影響を齎したのは勿論〔1〕の人々だ。戦犯を裁き情報を検閲し、米軍が末永く支配するための体制を作り必要な資金を投入した。〔1〕Aの人々は特に憲法作成と文化保全に力を注ぎ、Bはそれ以外全てを担った。〔2〕は皆そのために利用された。

 数年後日本国はサンフランシスコ講和条約によって独立を回復したが、「米軍が末永く支配するための体制」は日米安全保障条約などによって継続。〔1〕の人々の多くは帰国し、体制は〔2〕によって担われることとなった。

 ここで〔2〕の取りうる選択肢は二つあった筈だ。一つは「米軍が末永く支配するための体制」から脱却し真の独立を勝ち取る道。もう一つは独立よりも資金的(狭い意味の経済的)繁栄のみを選ぶ道。

 国家統治を任された〔2〕@、A、およびBの一部の人々は後者を選んだ。その方が自分達のためになると考えたからだろう。その下で、Bの大半の男たちは復興のために挺身し、Cの人々はそれを支えた。冷戦の時代を経て、確かに日本は資金的に復興した。しかし独立国となる道は閉ざされたまま、文化的繁栄は細々としたものに留まった。平成の今、『日本はなぜ、「基地」と「原発」を止められないのか』にあるように、日本国は依然として米軍と官僚とに国家統治能力を奪われている。 

(引用終了)

と纏めた。他の関連本と照らし合わせても、この結論はいまのところかなり確かだと思っている。当然「いろいろな仮説の一つ」としてではあるが。

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物事の表と裏 II 

2016年02月10日 [ 起業論 ]@sanmotegiをフォローする

 前回「物事の表と裏」の項で、裏を見つけるのは分析派Aの得意技、奥に気付くのは直観派Bの方と書いたけれど、今回はその辺りをさらに敷衍してみたい。AとBというのは勿論、複眼主義の考え方の対比、

------------------------------------------
A Resource Planning−英語的発想−主格中心
a 脳(大脳新皮質)の働き−「公(Public)」−「都市」
A 男性性=「空間重視」「所有原理」

A、a系:デジタル回路思考主体
世界をモノ(凍結した時空)の集積体としてみる(線形科学)
------------------------------------------

------------------------------------------
B Process Technology−日本語的発想−環境中心
b 身体(大脳旧皮質及び脳幹)の働き−「私(Private)」−「自然」
B 女性性=「時間重視」「関係原理」

B、b系:アナログ回路思考主体
世界をコト(動きのある時空)の入れ子構造としてみる(非線形科学)
------------------------------------------

を指している。

 物事には表・奥・裏とあるわけだが、Aの考え方は物事をどちらかというと構造的に理解しようとする。学問で言えば理論科学、ビジネスでいえばメリット・デメリット、pros and cons分析など。一方のBは物事を機能的に体感しようとする。学問で言えば実験科学、ビジネスでいえばサントリーの「やってみなはれ」、英語で言えばjust do itなどがそれだ。Aは物事を静止させてその物(モノ)の構造を見る。Bは物事の動き(コト)に身を投じてそのダイナミズムを観る。これは「背景時空について」の話に繋がる論点でもある。どちらの役割も大切なのは言うまでもない。そういえば以前「ホームズとワトソン」の項で、あの有名な探偵小説にAとBの対比を当て嵌めたことがある。

 物事を「変化」という点から見ると、物(モノ)は静止しているわけだから、変化は、物と物との間で起る歪みやひび割れなどの構造的な変形、ということになる。一方、事(コト)の変化は、内側に秘められたエネルギーによる質の変化、卵の孵化、蛹から蝶へのメタモルフォーゼといった奥からの変化である。変形が変質を促し、変質が変形を齎すという相互作用もある。たとえば「エッジエフェクト」というのは、異なるモノが接する界面から新たなコトが生成する作用をいう。

 表と裏の話に戻ると、正史と外史と呼ばれる歴史についての表・裏もある。歴史書は誰かが書いたものだからAの範疇だ。正史と外史、すなわち時の権力勝者が綴った表史と、敗者が綴った裏史の両方を知ることは、歴史を学ぶ際の基本であるが、裏は確かさの見極めが難しい。いろいろな仮説が生まれる所以だ。玉石混交で面倒くさがりには敬遠されるが、暇を惜しまず吟味していくと、思わぬ繋がりが見えてくることもある。Bの力を借りるために、現地へ足を運んだり、内なる直感に耳を傾けることも必要である。

 文明の発展に寄与する二元論もA領域の話だ。仮想としての宗教や律法、理論科学などを背景時空として、善と悪、正統と異端、正と否(right and wrong)などと分けてゆく二元論は、西洋近代文明を作った弁証法の基でもある。その時、B側の考え方を忘れるとえらいことになる。A側の暴走、特に過激な一神教と結びついたそれは環境を破壊し、作られた武器は人類を滅亡させかねない。21世紀のモノコト・シフトは、A側のロジックに、どれだけB側のハートが寄り添えるかのチャレンジである、という見方も出来るだろう。

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物事の表と裏

2016年02月02日 [ 起業論 ]@sanmotegiをフォローする

 物事には表もあれば裏もある。「3の構造」でいえば表・奥・裏の3つだろうか。表と裏はたとえば、光と影、天と地、南側と北側などで、それ自体は価値中立的だ。しかし(奥もそうだが)裏は往々にして人の目から隠れている。都市のインフラでいえば下水やゴミ処理場など、裏は概ね人目に付かないところにある。そこで、物事の良し悪しを表と裏で表現することが起る。たとえば世間と裏世間、表の仕事と裏の仕事などなど。

 複眼主義の対比、

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A Resource Planning−英語的発想−主格中心
a 脳(大脳新皮質)の働き−「公(Public)」−「都市」
A 男性性=「空間重視」「所有原理」

A、a系:デジタル回路思考主体
世界をモノ(凍結した時空)の集積体としてみる(線形科学)
------------------------------------------

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B Process Technology−日本語的発想−環境中心
b 身体(大脳旧皮質及び脳幹)の働き−「私(Private)」−「自然」
B 女性性=「時間重視」「関係原理」

B、b系:アナログ回路思考主体
世界をコト(動きのある時空)の入れ子構造としてみる(非線形科学)
------------------------------------------

でいえば、A、Bそれぞれの行き過ぎが裏=悪しとなる。Aは過度の分析的・理知的な考え方、Bは過度の直感的・感情的な考え方が裏=悪しとなる。個体においてAとBは拮抗的だから、Aの行き過ぎはBの過小、Bの行き過ぎはAの過小となる。このバランスが上手く取れないと、人は「三つの宿啞」のどれかに陥りやすくなる。

(1)過剰な財欲と名声欲(greed)
(2)官僚主義(bureaucracy)
(3)認知の歪み(cognitive distortions)

このことはこれまでも縷々述べてきた。

 物事は、片側ばかり見ていたのでは全体は掴めない。表で活躍するためにも裏を知ることが重要だ。表と裏、良し悪し、両方を均等に見ること。それはビジネスの第一歩でもあるがこれがなかなか難しい。習慣や経験、好みなどが邪魔をして見方を偏らせる。光が当る表ばかりに目が行く。縁の下の力持ちに目が届かない。話の裏が読めない。裏で蠢く共謀が見抜けない。

 裏を見つけるのは分析派Aの得意技だ。直観派Bの方は裏よりも奥に気付く。日本語を母語とする人はもともとBが強い。世界の先進国を中心にAへの偏りが強かった20世紀、日本人の多くはその行き過ぎた物質主義や拝金主義に随分と感化されたけれど、国家の統治に関してはAを他人任せにしてきた。政治の裏が見えなかったからかもしれない。いや、見たくなかったのか。それが統治に関して<日本の戦後の父性不在>を生み出してきた。これからの世界はモノコト・シフトで全体にBに偏ってくるから、様々な分野で我々は先頭を走っていることになるが、政治に関しては逆にAを強化し、「アナロジー的思考法」の佐藤優氏を見習ってもっと見えない裏を知る必要がある。

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大きな物語

2016年01月26日 [ 起業論 ]@sanmotegiをフォローする

 前回「アナロジー的思考法」の項で、佐藤優氏の『世界史の極意』という本を紹介したが、その中に「大きな物語」という言葉が出てくる。その部分を引用したい。

(引用開始)

 「大きな物語」とは、社会全体で共有できるような価値や思想体系のこと。「長い十九世紀」の時代であれば、「人類は無限に進歩する」とか、「民主主義や科学技術の発展が人々を幸せにする」というお話が「大きな物語」です。
 ところが民主主義からナチズムが生まれ、科学技術が原爆をつくるようになると、人々は「大きな物語」を素直に信じることができなくなります。
 とくに、私の世代以降の日本の知識人は、「大きな物語」の批判ばかりを繰り返し、「大きな物語」をつくる作業を怠ってきてしまいました。
 歴史研究でも、細かい各論の実証は手堅くおこないますが、歴史をアナロジカルにとらえ、「大きな物語」を提出することにはきわめて禁欲的でした。
 その結果、何が起きたか。排外主義的な書籍やヘトスピーチの氾濫です。
 人間は本質的に物語を好みます。ですから、知識人が「大きな物語」をつくって提示しなければ、その間隙をグロテスクな物語が埋めてしまうのです。
 具体的にはこういうことです。知識人が「大きな物語」をつくらないと、人々の物語を読み取る能力は著しく低下する。だから、「在日外国人の特権によって、日本国民の生命と財産がおびやかされている」というような稚拙でグロテスクな物語であっても、多くの人々が簡単に信じ込んでしまうようになるわけです。

(引用終了)
<同書 22ページ(フリガナ省略)>

「大きな物語」とは、「社会全体で共有できる価値、思想体系」ということである。佐藤氏は、人々がこんなに簡単に稚拙でグロテスクな物語を「大きな物語」と勘違いして信じ込むとは思わなかったとし、次のように書く。

(引用開始)

 そこで自覚的に日本の「大きな物語」を再構築する必要を感じました。それを踏まえて、帝国主義的な傾向を強めていく国際社会のなかで、日本国家と日本民族が生き延びる知恵を見出していくことを意図していたわけです。
 しかし現在の私は、そういった作業の必要性を感じていません。というよりも、グロテスクな「大きな物語」の氾濫をせき止める物語を構築するほうが急務の課題だと認識しています。
 以上のような個人的な反省も踏まえて、本書では、アナロジーによって歴史を理解するという方法論を採ることにしました。これが実利的にも有益であることは、ここまで述べたとおりです。

(引用終了)
<同書 23−24ページ>

グロテスクな物語の氾濫をせき止めるため、そしてグロテスクな物語によって起りうる戦争を阻止するため、佐藤氏は「アナロジー的思考」という手法を使って、いまの世界の問題を解説しようとするわけだ。それはそれで宜しい。

 では、21世紀の「大きな物語」をどう作るか。前回、アナロジー的思考は複眼主義の対比、

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A Resource Planning−英語的発想−主格中心
a 脳(大脳新皮質)の働き−「公(Public)」−「都市」
A 男性性=「空間重視」「所有原理」

A、a系:デジタル回路思考主体
世界をモノ(凍結した時空)の集積体としてみる(線形科学)
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B Process Technology−日本語的発想−環境中心
b 身体(大脳旧皮質及び脳幹)の働き−「私(Private)」−「自然」
B 女性性=「時間重視」「関係原理」

B、b系:アナログ回路思考主体
世界をコト(動きのある時空)の入れ子構造としてみる(非線形科学)
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でいうA側の考え方だと書いたが、私の考えでは、「大きな物語」は、A側の考え方だけでは作れない。「背景時空について」の項で述べたように、B側のキーワードは「連続」だ。「分析」と「連続」、両方揃わなければ新しいアイデアはなかなか創発しない。21世紀の「大きな物語」は、A側だけでなく、B側の考え方との対話のなかから生まれるはずだ。

 このブログでは、21世紀はモノコト・シフトの時代だと述べている。モノコト・シフトとは、「“モノからコトへ”のパラダイム・シフト」の略で、二十世紀の大量生産システムと人の過剰な財欲による「行き過ぎた資本主義」への反省として、また、科学の還元主義的思考による「モノ信仰」の行き詰まりに対する新しい枠組みとして生まれた、(動きの見えないモノよりも)動きのあるコトを大切にする生き方、考え方への関心の高まりを指す。それは、A側に偏った20世紀から、B側の復権によってA、B両者のバランスを回復しようとする21世紀の動きといえる。「揺り戻しの諸相」で書いたように、振り子はA側とB側の間を行ったり来たりしながら、A、B両者のバランスが回復したところでモノコト・シフトは終わるだろう。「大きな物語」はその先にある。これからA側に必要なのは、Bの考え方と対話しながら、柔軟な理論を組み立てることだと思う。やがてそれが「大きな物語」へとつながるに違いない。

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アナロジー的思考法

2016年01月19日 [ 起業論 ]@sanmotegiをフォローする

 先日「階層間のあつれき」の項で、『官僚階級論』佐藤優著(モナド新書)を紹介したが、『世界史の極意』(NHK出版新書)という本は、佐藤氏が「アナロジー的思考」という手法を使って、現在世界で起きている様々な問題を解説したものだ。アナロジー的思考とは、

(引用開始)

 本書では、<いま>を読み解くために必須の歴史的出来事を整理して解説します。世界史の通史を解説する本ではありません。世界史を通して、アナロジー的なものの見方を訓練する本です。
 いま、「アナロジー(類比)」と書きました。これは、似ている事物を結びつけて考えることです。アナロジー的思考はなぜ重要なのか。未知の出来事に遭遇したときでも、この思考法が身についていれば、「この状況は、過去に経験したあの状況とそっくりだ」と、対象を冷静に分析できるからです。

(引用終了)
<同書 10−11ページ(フリガナ省略)>

ということで、これは「背景時空について」の項でいうところのA側の考え方、「分ける」発想法、分けたものを固定・類比し整理する思考である。複眼主義の対比、

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A Resource Planning−英語的発想−主格中心
a 脳(大脳新皮質)の働き−「公(Public)」−「都市」
A 男性性=「空間重視」「所有原理」

A、a系:デジタル回路思考主体
世界をモノ(凍結した時空)の集積体としてみる(線形科学)
------------------------------------------

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B Process Technology−日本語的発想−環境中心
b 身体(大脳旧皮質及び脳幹)の働き−「私(Private)」−「自然」
B 女性性=「時間重視」「関係原理」

B、b系:アナログ回路思考主体
世界をコト(動きのある時空)の入れ子構造としてみる(非線形科学)
------------------------------------------

でいうA側の考え方である。

 なぜアナロジー的思考法なのか。氏は、今の世界は「戦争の時代」が再燃しようとしている状況だとし、

(引用開始)

 このような状況にあって、知識人の焦眉の課題は「戦争を阻止すること」です。そして、戦争を阻止するためには、アナロジカルに歴史を見る必要があります。
 なぜか。
 すでにお話したとおり、アナロジカルに歴史を見るとは、いま自分が置かれている状況を、別の時代に生じた別の状況との類比にもとづいて理解するということです。こうしたアナロジー的思考は、論理では読み解けない、非常に複雑な出来事を前にどう行動するかを考えることに役立つからです。(中略)
 第一章でくわしく見るように、現代は十九世紀末から二〇世紀初頭の帝国主義を繰り返そうとしている。帝国主義の時代には、西欧諸国が「力」をむきだしにして、勢力を拡大しました。現代もまた中国、そしてロシアが帝国主義的な傾向を強めている。これが、アナロジカルに歴史を見ることの一例です。 

(引用終了)
<同書 17−18ページ(フリガナ省略)>

と書く。本の目次を紹介しよう。

序 章 歴史は悲劇を繰り返すのか?
――世界史をアナロジカルに読み解く
第一章 多極化する世界を読み解く極意
――「新・帝国主義」を歴史的にとらえる
第二章 民族問題を読み解く極意
――「ナショナリズム」を歴史的にとらえる
第三章 宗教紛争を読み解く極意
――「イスラム国」「EU」を歴史的にとらえる

 今の世界を氏は「新・帝国主義」の時代と分析し、それを「資本主義と帝国主義」「民族とナショナリズム」「キリスト教とイスラム」という三つの背景時空からアナロジカルに読み解いてゆく。

(引用開始)

 資本主義、ナショナリズム、宗教――私の見立てでは、この三点の掛け算で「新・帝国主義の時代」は動いている。その実相をアナロジカルに把握することが本書の最終目標です。

(引用終了)
<同書 28ページ>

 私も、「熱狂の時代」の項で述べたように、モノコト・シフトの時代、人々の考え方がB側に偏りすぎると、熱狂による戦争が起りかねないと考える。我々はA側の考え方をもっと学ぶべきだし、そのためにこの本の知見が役立つと思う。

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posted by 茂木賛 at 13:14 | Permalink | Comment(0) | 起業論

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