ここまで「
容器の比喩と擬人の比喩」「
容器の比喩と擬人の比喩 II」「
存在としてのbeについて」「
言語技術」と書き綴ってきたのは、「
内需主導と環境技術」で述べた、鳩山首相の所信表明演説にある「自立と共生」、特にその「自立」のコンセプトについて、日本語の本質にまで碇を下し「
社会の力」の根本から考えてみたかったからだ。「自立」のコンセプトについて考えることは、前回「言語技術」の最後で触れた、「日本の縦型社会の見直し」とも重なる作業になる筈だ。何故ならば、これまでの日本の縦型社会は「自立」を必要としない共同体だったからである。
結論めいた話の前に、まず去年10月の鳩山首相の所信表明演説から「自立と共生」に関する部分を引用しよう。
(引用開始)
働くこと、生活の糧を得ることは容易なことではありません。しかし、同時に、働くことによって人を支え、人の役に立つことは、人間にとって大きな喜びとなります。
私が目指したいのは、人と人が支え合い、役に立ち合う「新しい公共」の概念です。「新しい公共」とは、人を支えるという役割を、「官」と言われる人たちだけが担うのではなく、教育や子育て、街づくり、防犯や防災、医療や福祉などに地域でかかわっておられる方々一人ひとりにも参加していただき、それを社会全体として応援しようという新しい価値観です。(中略)
新たな国づくりは、決して誰かに与えられるものではありません。政治や行政が予算を増やしさえすれば、すべての問題が解決するというものではありません。国民一人ひとりが「自立と共生」の理念を育(はぐく)み発展させてこそ、社会の「絆」を再生し、人と人との信頼関係を取り戻すことが出来るのです。
私は、国、地方、そして国民が一体となり、すべての人々が互いの存在をかけがえのないものだと感じあえる日本を実現するために、また、一人ひとりが「居場所と出番」を見いだすことのできる「支えあって生きていく日本」を実現するために、その先頭に立って、全力で取り組んでまいります。
(引用終了)
<10/27/09 東京新聞より>
ここで、私なりに「自立」のコンセプトについて整理する。例の「
3の構造」によって「自立」のコンセプトを分析すれば、
1. 身体的自立
2. 精神的自立
3. 経済的自立
の三つに分けることが出来るだろう。定義はそれぞれ、
1. 身体的自立
健康で他人の手を借りずに呼吸、歩行、食事などができること
2. 精神的自立
他人に騙されることなく自分で物事の本質を見抜くことができること
3. 経済的自立
自力で生計が立てられること
といったところだろうか。鳩山首相のいう「自立と共生」の理念を実現させるためには、「教育や子育て、街づくり、防犯や防災、医療や福祉などに地域でかかわっておられる方々一人ひとりにも参加して」もらうことが重要で、そのためには、出来るだけ多くの人が経済的に自立している必要がある。
経済的に自立するためには、親の遺産でもない限り、働かなければならないから、その為にまず身体的に自立していなければならない。また、精神的に自立していなければ、すぐに他人に騙されてしまい、経済的自立を保つことが出来ない。鳩山首相のいう「自立と共生」のためには、出来るだけ多くの人が、
1. 身体的自立
2. 精神的自立
3. 経済的自立
の三つを果たすことが重要なのである。
しかし一方、皆がみんな経済的自立を果たすことは難しい。だから、まず三つの自立を果たした人たちが、それぞれの地域で1.と2.の自立を果たした人々を支えることが必要になってくる。これが「共生(その一)」である。次に、1.と2.の自立を果たした人たちが、教育を通して1.の身体的自立だけを果たしている人たちを2.の精神的自立に導かなければならない。これが「共生(その二)」である。そして、これらの人たちが力を合わせて1.の身体的自立を果たせなくなった人々を支える。これが「共生(その三)」である。鳩山首相のいう「支えあって生きていく日本」は、これらの活動の総体なのである。
尚、1.の身体的自立を果たせなくなった人でも、2.の精神的自立さえ果たしていれば、社会に「出番」はある。障害を乗り越え懸命に生きることは、まわりの人々に生きる勇気を与える。そのことだけでも立派な「出番」である。
これから3.の経済的自立を目指す人は、このブログの「
起業論」を初めから順にお読みいただきたい。何かヒントが見つかるかもしれない。安定成長時代と助け合う社会の必要性については「
チームプレイ」の項をお読みいただきたい。
これまでの日本の縦型社会は、人を支えるという役割を、「官」と言われる人たちが担ってきた。その結果、個人の経済的自立は社会にとって必要条件ではなかった。そして精神的自立はむしろ障害であった。「官」が効率よく社会を回していくには税金が必要で、税金を効率よく集めるには、個人は精神的に自立せず騙されやすい方がよい。つまり、身体的自立さえ果たしていれば、あとは「官」がうまく社会をコントロールするというわけだ。日本社会は律令国家時代から一貫して「官」が支配する社会であった。「お上」と呼ばれる人たちが民衆を支配する社会であった。それを鳩山首相は、「民」が互いに支え合う民主社会に変えようというのである。
この歴史的な偉業(!)を成し遂げるためには、小手先の改革ではすぐに行き詰まってしまうだろう。日本の過去を振り返ってみれば、鳩山首相のいう「自立と共生」がいかに大変なことかが分るはずだ。日本の歴史的・社会学的分析は、“失敗の本質”戸部良一他著(中公文庫)、“空気の研究”山本七平著(文春文庫)などに詳しい。この「自立と共生」がいかに大変かという認識が、「自立」のコンセプトについて、日本語の本質にまで碇を下して「社会の力」の根本から考えてみたかった所以である。
ここまでの考察で、鳩山首相のいう「自立と共生」を実現させるためには、個人の「精神的自立」が最も大切であることが分った。「経済的自立」は身体的自立と精神的自立がなければ果たせない。「身体的自立」がなくとも精神的自立があれば社会に出番を見つけることが出来る。社会に貢献することが出来る。「精神的自立」さえ果たしていれば、地域社会に必ず自分の「居場所と出番」があるのだ。それでは「精神的自立」と「日本語」との間にどのような関連があるのか。以下見ていこう。
日本語の本質については、これまで「
広場の思想と縁側の思想」の項で、
(引用開始)
日本語的発想には豊かな自然を守る力はあるけれど、都市計画などを纏める力が足りない。これからの日本社会にとって大切なのは、日本語のなかに「公的表現」を構築する力を蓄えて、自然(身体)と都市(脳)とのバランスを回復することである。
(引用終了)
<「広場の思想と縁側の思想」より>
という課題を提出し、「容器の比喩と擬人の比喩」などで、
A R.P.−英語的発想−主格中心
a 脳の働き−「公(public)」
B P.T.−日本語的発想−環境中心
b 身体の働き−「私(private)」
という対比を見てきた。「精神的自立」とは、他人に騙されることなく自分で物事の本質を見抜くことである。そのためには、自らの立ち位置を主体的にしっかりと把握しなければならない。上の対比でいえば、
A R.P.−英語的発想−主格中心
a 脳の働き−「公(public)」
を強化し、まわりの空気や環境に左右されない主体的な自己を確立することなのである。勿論Aばかりだと逆に自然環境を守ることが難しくなる。日本語でともすると疎かになる「主体的な自己」を強化し、その上で、AとBのバランス、身体と脳とのバランスを回復することが、「自立と共生」社会を実現させるための必要条件である。
ここまで「容器の比喩と擬人の比喩」「容器の比喩と擬人の比喩 II」「存在としてのbeについて」「言語技術」で見てきたのも、AとBのバランス、身体と脳とのバランスを回復することの重要性であった。
鳩山首相のいう「支えあって生きていく日本」を実現するためには、政府による経済政策だけではなく、我々一人ひとりが言葉の本質にまで碇を下し、曖昧さの無い「主体の論理」を日本語のなかに構築し、日本語のなかに「公的表現」を構築する力を蓄えることが必要とされるのである。最後にもういちど首相の所信表明演説から同箇所を引用しておこう。
(引用開始)
新たな国づくりは、決して誰かに与えられるものではありません。政治や行政が予算を増やしさえすれば、すべての問題が解決するというものではありません。国民一人ひとりが「自立と共生」の理念を育(はぐく)み発展させてこそ、社会の「絆」を再生し、人と人との信頼関係を取り戻すことが出来るのです。
(引用終了)