夜間飛行

茂木賛からスモールビジネスを目指す人への熱いメッセージ


竜神伝説

2014年02月04日 [ アート&レジャー ]@sanmotegiをフォローする

 以前「両端の奥の物語」の項で、流域の両端(奥山と奥座敷)を言葉で繋ぐ梨木香歩さんのエッセイを紹介したけれど、去年の秋出版された梨木さんの『冬虫夏草』(新潮社)は、小説の形で流域の両端を結ぶ味わい深い物語だ。初めに、本カバーの帯(表、裏)から案内文を引用しておこう。

(引用開始)

ここはすでに、天に近い場所(ところ)なのだ――。
『家守綺譚』の主人公にして新米精神労働者たる綿貫征四郎が、鈴鹿山中で繰り広げる心の冒険の旅。それはついこのあいだ、ほんの百年すこしまえの物語。

疎水に近い亡友の生家の守(もり)を託されている、駆け出しもの書き綿貫征四郎。行方知れずになって半年あまりが経つ愛犬ゴローの目撃情報に加え、イワナの夫婦者が営むという宿屋に泊まってみたい誘惑に勝てず、家も原稿もほっぽり出して分け入った秋色いや増す鈴鹿の山襞深くで、綿貫がしみじみと瞠目させられたもの。それは、自然の猛威に抗いはせぬが心の背筋はすくっと伸ばし、冬なら冬を、夏なら夏を生き抜こうとする真摯な姿だった。人びとも、人間(ひと)にあらざる者たちも……。

(引用終了)
<傍点省略>

どこか漱石『草枕』の語り手を髣髴させる本書の主人公綿貫征四郎は、愛知川流域を遡る道中、村びとや友人の細菌学者、河童や天狗、赤竜の化身などと巡り会い、最後に瀑声轟く滝の下で愛犬ゴローと再会する。

 この小説は、以前に出版された『家守綺譚』(新潮文庫)の続編であり、ほぼ同時に出版された『村田エフェンディ滞土録』(角川文庫)とも話が繋がっている。その繋がりを演出するのが、いづれの書にも登場する「竜神」だ。『家守綺譚』の白竜、『村田エフェンディ滞土録』に登場する火の竜サラマンドラ、そして『冬虫夏草』の赤竜の化身である。

 村人たちの言い伝えによると、奥山竜ヶ岳から四方へ流れ出る宇賀川、青川、田光川、そして愛知川は、それぞれ白竜、青竜、黒竜、赤竜に守られているという。そのなかで、愛知川を管轄する赤竜が、長いことその地を留守にしていた。征四郎は道中、愛知川に戻る赤竜の化身と出会う。赤竜が愛知川に戻れば川は守られる。しかし、征四郎の亡友高堂は、宿に泊まる征四郎の枕頭で、「この地は将来、巨大な河桁によって水の底に沈む」と不吉な予言を残す。巨大な河桁とは、おそらく昭和に入って出来た永源寺ダムのことのようだが、この小説ではそこまで詳らかではない。

 鈴鹿地方の竜神伝説は、以前「“タテとヨコ”のつながり」の項で述べた『オオカミの護符』の「オイヌさま」同様、流域の奥山と奥座敷とを結ぶ山岳信仰の神秘の象徴である。各地の流域には、このような奥山と奥座敷との間を結ぶ「魂の通う道」があった。しかし、大量生産・輸送・消費の時代に(ダムなどによって)寸断され、その多くが忘れ去られてしまった。「ついこのあいだ、ほんの百年すこしまえ」まで頻繁な行き来があったのに。

 21世紀のモノコト・シフトの時代、これら山岳信仰の神秘は、流域を繋ぐ“コト”の象徴として、再び見直され始めている。梨木さんは、その辺りのことについて雑誌のインタビューの中で次のように述べておられる。

(引用開始)

 ここ数年来、私自身意識する自分の「志向」として、匂い立つようなローカリティが書きたい、ということがあります。車で国道を走っていてもどうかすると北海道も鹿児島も同じような郊外型大型店やショッピングモールばかりで、方言も、もう昔のような方言は今の若い人には使えない、という話は全国至るところで聞きます。それはすなわち、噛み応えのある「その土地らしさ」が消え失せつつあるということ。おっしゃるような、土地の歴史、神話、地勢、習俗ひっくるめたローカリティというものを、せめて作品の中に、微(かす)かにでも残したい、という思いはあります。

(引用終了)
<小説現代1月号 581−582ページ>

 この小説は、村人たちが豊な方言で語る土地の伝承や風習、各章を彩る草木の名前、最後に泊まる竜の眷属イワナの宿、愛犬ゴローが見つかる暴たる竜など、愛知川流域の人や天地自然の気を描いて余すところがない。完成させた梨木さんの筆力を称えたい。また、綿貫征四郎物語は今後も書き続けられるだろうからそれも楽しみだ。

 本書を読んで興味を覚えた人は、『家守綺譚』と『村田エフェンディ滞土録』にも当って戴きたい。世界が広がり、感興が増すに違いない。

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日本語の勁(つよ)さと弱さ

2013年10月08日 [ アート&レジャー ]@sanmotegiをフォローする

 今年も夏休みを蓼科にある兄の山荘で過ごすことができた。今回山へ持っていった本は、

“(株)貧困大国アメリカ”堤未果著(岩波新書)
“ピスタチオ”梨木香歩著(筑摩書房)
“アマン伝説”山口由美著(文藝春秋)
“占領史追跡”青木富貴子著(新潮文庫)
“文人荷風抄”高橋英夫著(岩波書店)
“福島原発の真実”佐藤栄佐久著(平凡社新書)

など。去年(「長野から草津へ」)同様、平行読書法の要領でこれらの本を読み進めた。

 “(株)貧困大国アメリカ”については、前回「地方の時代 II」の項で紹介、引用した。“ピスタチオ”は、「両端の奥の物語」の項で紹介した梨木香歩さんのエッセイ“水辺にて”(文庫本)と同時に出版された小説。日本とアフリカを精霊が繋ぐ不思議な物語だ。「ヨーロッパ人が最初にアフリカと出会ったとき、もっと互いの深いレベルで働いている何かを補完し合うような形の接触の仕方があったはずなのに、結局それはなされなかった。」(17ページ)という一文がある。彼女は、日本とアフリカの出会いを、「精霊」という互いの深いレベルで繋ごうと試みたのだろう。最後の“ピスタチオ―死者の眠りのために”という短編が味わい深い。

 “アマン伝説”は、ホテルや旅をテーマにしたノンフィクション作家による新作。取材が行き届いていて、アマンリゾーツなど、東南アジアのリゾート地図に私もだいぶ詳しくなった。“占領史追跡”は、ニューズウィーク東京支局長パケナムの日記を通して日本の戦後政治の貴重な一面を描く。

 “文人荷風抄”は、永井荷風とフランス語の弟子阿部雪子との交流を描いた評論。章立ては「文人の曝書」「フランス語の弟子」「晩年の交友」となっているけれど、眼目は真ん中のフランス語の弟子だろう。雪子(と荷風)の写真が本の絶妙な場所に載せてあるのが秀逸。

 “福島原発の真実”は、「アッパーグラウンド II」で検証した原発事故の発端となる、福島原発そのもの(特に3号機のプルサーマル導入)に対する前福島県知事による告発だ。「原発全体主義政策」という、日本の「過剰な財欲と名声欲、そしてそれが作り出すシステムの自己増幅」に対する告発書である。こういう優れた政治家の抹殺を許す土壌が今の日本(語)にはある。本書から一節を引用しておきたい。

(引用開始)

 日本では、使用済み核廃棄物――つまり、使用済み核燃料の処分方法について、歴史の批判に耐える具体案を持っている人は誰もいないのである。責任者の顔が見えず、誰も責任を取らない日本型の社会の中で、お互いの顔を見合わせながら、レミングのように破局に向かって全力で走っていく、という決意でも固めているように私には見える。大義も勝ち目もない戦争で、最後の破局、そして敗戦を私たち日本人が迎えてからまだ七〇年たっていない。
 これこそが「日本病」なのだと私は思う。

(引用終了)
<同書 205−206ページ>

 「両端の奥の物語」と「原発全体主義政策」。この両方を生み出す日本語の勁(つよ)さと弱さについて、改めて考えさせられる夏休みの読書だった。また、日本とアフリカ、フランス、アメリカ、東南アジアなど、地域間に起こるさまざまな“コト”の連携を思う読書ともなった。

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1963年

2013年02月12日 [ アート&レジャー ]@sanmotegiをフォローする

 遅ればせながら、“1Q84”村上春樹著(新潮文庫)を読んだ。文庫になったのを機に、1冊目から6冊目まで、主に電車やバスの中で読み継いだのだけれど、この間ずっと、車中や車窓の現実が、リトル・ピープルの支配する“1Q84”の「ズレた世界」と重なって見えるというシュールな体験が楽しめた。そして読み終えると、この身は現実(1984年の延長としての21世紀)に戻ったはずなのに、周りは依然として“1Q84”の延長のように見える。作者は小説を終わらせる都合上、青豆と天吾を1984年に戻したけれど、「現実は1984年以降、暗澹たる“1Q84”の世界に迷い込んだままだ」と言いたいのかもしれない。そうでなければ、“1Q84”の世界をあれだけ(文庫本6冊分も!)描く筈がない。

 その後、“1Q84”に関する書評や村上春樹についての評論をいろいろと読んでみた。その中の一冊、“空想読解 なるほど、村上春樹”小山鉄郎著(共同通信社)という本に、「村上春樹は1963年という年にことのほか思い入れがある」と書いてあった。1963年は、アメリカのケネディ大統領が暗殺された年であり、当時12歳の私がニューヨークで子供時代を過ごしていた年でもある。1949年生まれの村上春樹はそのとき14歳だった筈だ。小山氏は同書で次のように書いておられる。

(引用開始)

 話を簡単にするために、私の考えを先に書いてしまうと、このケネディへの記述の繰り返し、ケネディが暗殺された「1963年」の頻出は、ヴェトナム戦争への村上春樹のこだわりの表明ではないか。私はそう思うのです。

(引用終了)
<同書 55ページ>

 ケネディ大統領暗殺当時、私はニューヨーク郊外の公立の小学校に通っていた。その日学校にいた我々生徒は、何も知らされぬまま、全員構内の体育館に集められた。

 当時その小学校では、教室から教室へ授業に応じて移動する際、生徒全員が隊列を組んで廊下を歩いた。その日も我々は、教室から体育館までの暗い廊下を行進し、体育館に着くと、クラスごと纏まって木の床に座して次に起こることを待った。

 やがて体育館に入ってきた教師たちが、それぞれのクラスに対して、たった今現職の大統領がダラスで暗殺されたことを告げ、老年の教頭が即刻の休校を宣した。我々のクラスの担任は男性教師だったが、彼は目に涙を浮かべ、若く希望に溢れた大統領の不慮の死を悼んだ。そのあと、私は家のTVで暗殺当日の報道を見た。

 1963年に村上春樹がことのほか思い入れのあるという話に興味を覚えたのは、今私がその年の紐育(ニューヨーク)を舞台にした小説“太陽の飛沫”を書いているところだからである。電子書籍サイト「茂木賛の世界」で連載している。連載はもうすぐ終わるところだ。

 現実が「暗澹たる“1Q84”の世界」だとしたら、いずれ「“1Q84”の世界をどうするか」ということが書かれねばならない。私が思うところ、その戦いは、青豆と天吾が手を取り合ったように、一人ひとりの精神的「自立」と、信頼するもの同士の「共生」によってなされる筈だ。そしてその戦法は、敵と無闇に刃を交える決戦主義ばかりではない筈だ。

 私の小説“太陽の飛沫”は、1963年の夏、主人公がその辺りのことに気付くところで終わる。勿論“1Q84”などという言葉は出てこないけれど、世界が強大な「システム」によってコントロールされているという認識は共通している。思えば村上春樹は、1979年のデビュー作“風の歌を聴け”(講談社文庫)以来、戦術をいろいろと変えながらもずっとその“1Q84”的世界と戦い続けてきたのではなかったか。暗澹たる世界との戦いを始めるという意味で、私の“太陽の飛沫”は、彼の出発点となった“風の歌を聴け”に相当するといっても良いかもしれない。戦いは続編として続くことになる。

 ところで、生物学者の福岡伸一氏は、その著書“福岡ハカセの本棚”(メディアファクトリー新書)の中で、リトル・ピープルとは、あの悪名高い「利己的遺伝子」のメタファーではないかと書いておられる。勿論小説だから多義的な解釈が可能だけれど、私は、それは人の大脳新皮質に棲み着く「無限の欲望」の象徴なのではないかと思う。人の無限の欲望が「空気さなぎ」などという、一見自然な姿に擬態しているところが恐ろしい。皆さんはがいかがだろう。

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評論集“複眼主義”について

2013年02月04日 [ アート&レジャー ]@sanmotegiをフォローする

 電子書籍販売サイト「Paboo(パブー)」にて、評論集“複眼主義”茂木賛著(サンモテギ・リサーチ・インク)の販売を行なっている。表紙イラストは、友人でイラストレーターの山本峰規子さんにお願いした。本の紹介を兼ね、複眼主義とは何かについて、その前書きから引用したい。

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前書き: 複眼主義とは何か

 私は2004年まで、日本のエレクトロニクス企業に勤めておりました。思うところがあってその年に早期退職し、ビジネスコンサルタントとして「サンモテギ・リサーチ・インク」という会社を立ち上げました。会社では、企業のコンサルティング、起業のサポート、さらには書籍やブログの執筆などを行なっています。

 起業サポートの一環としてブログ「夜間飛行」を書き始めたのは、2007年の暮れのことです。今年で5年目を迎え、いまも書き続けています。そのなかで、この本のタイトルとなった「複眼主義」という考え方について、いろいろな角度から論じてきました。そして最近、この考え方について、本としてまとめておきたいと思うようになりました。

 ブログ記事は、テーマもさまざまですし、週一回仕事の合間に書いていることもあって説明が不十分なところもあります。とくに「複眼主義」のような系統だった話を理解してもらうには、過去のエントリーをいろいろと探して読んでいただかなくてはならず、月日が重なってエントリーが多くなってくると、とても手間が掛かります。それが、この考え方を本にまとめておきたいと思うようになった理由です。

 さて、複眼主義とは簡単に言うとどのような考え方でしょうか。世の中には、男と女、理性と感性、効率と効用などなど、様々な二項対比や双極性があります。複眼主義とは、

(一) 世の中の二項対比・双極性の性質を、的確に抽出すること
(二) どちらかに偏らないバランスの取れた考え方を実践すること
(三) 特質を様々な角度から関連付け、発展させていくこと 

と纏めることができます。

 ものごとを多面的に見ると、表面だけでなくいろいろなことが分かってきます。そこで、二項対比や双極性を踏まえた上でどちらか片方に偏らないバランスの取れた考え方を実践することを、「複眼主義」と名付けました。三つのポイントを一つずつ説明しましょう。

(一) 世の中の二項対比や双極性の性質を、的確に抽出すること

 複眼主義においては、世の中の二項対比や双極性の中から、対象を程よく絞り込み、その性質を的確に抽出することが大切です。たとえば、日本語に「心(こころ)」という言葉があります。二項対比をうまく引き出すためには、これを、「大脳新皮質主体の思考」と、「脳幹・大脳旧皮質主体の思考」とに分けて考えます。大脳新皮質は、進化の過程で大きくなった脳の部分で、理性や合理的な判断を司っており、脳幹・大脳旧皮質は、感情や情動、身体の本能的な機能(自律神経系)を担っています。男と女についても、男性・女性という性別ではなく、二項対比をうまく引き出すために、「男性性」と「女性性」という、人がそれぞれ一定の比率で持っている認識の形式として考えます。

(二) どちらかに偏らないバランスの取れた考え方を実践すること

 次に、絞り込んだ二項対比や双極性を大局から眺め、どちらかだけに肩入れするのではなく、バランスの取れた考え方を実践します。どういう場面でどちらの要素が主導的になるかを分析し、実際の場面でどちらの要素を強く打ち出していくべきかを考えるわけです。ただし、「どちらかだけ」というのではなく、「どちらかというと」という曖昧さを残しておくのが複眼主義の実践面での要諦です。

(三) 特質を様々な角度から関連付け、発展させていくこと

 複眼主義では次に、ある特定の二項対比・双極性に対して、他の二項対比・双極性の特質を関連付け、項目同士の繋がりをさらに発展させていきます。ここが「複眼主義」のユニークなところかもしれません。「大脳新皮質主体の思考と脳幹・大脳旧皮質主体の思考」という二項対比・双極性(この本では「脳と身体」と呼んでいます)は、時間軸や言語システムなどと繋がりながら、「都市と自然」というもう一つの主要な二項対比・双極性と関連付いていきます。

 このような考え方は前から持っていましたが、「複眼主義」という名前を付けて系統立てて考えるようになったのは去年あたりからのことです。ブログというツールは、考えを整理していくのにとても良いメディアだと改めて感じています。それではどうぞ本文をお楽しみ下さい。
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 この本で論じられる二項対比・双極性は、主要な「脳と身体」及び「都市と自然」と、その周辺11項目。本の値段は105円。このブログの常連の方々は、すでに「複眼主義」の考え方に親しんでおられることと思うけれど、ご興味をお持ちの方は、是非販売サイトを訪れてみていただきたい。本の内容はさておき、表紙のイラストが可愛いとの評判だ。また、今年からFacebookも始めたので、そちらへもコメントをお寄せいただければ嬉しい。いろいろとお話をいたしましょう。

fukugan01r.jpg
http://p.booklog.jp/book/58461

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海と心月

2012年10月09日 [ アート&レジャー ]@sanmotegiをフォローする

 先日新宿の「朝日カルチャーセンター」で、「密息と倍音」と「音響空間」の項で紹介した中村明一氏の講演を聴く機会を得た。中村氏とは中高(私立武蔵中学・高校)が同窓だったことがわかりご招待いただいた次第。当日は、中村氏による倍音に関する講義のあと、「鶴の巣籠」と「薩慈(さじ)」の独奏、深海さとみ氏と黒川真理氏による箏や三絃、唄もあり、久々に日本独自の音楽を堪能した。

 日本独自の音楽といえば雅楽もそうだ。私は尺八を聴きながら、三島由紀夫(本名平岡公威)の短編「蘭陵王」の一節を想起した。富士の裾野の営舎で、Sの横笛を学生達と聴いている場面だ。

(引用開始)

 私は、横笛の音楽が、何一つ発展せずに流れるのを知った。何ら発展しないこと、これが重要だ。音楽が真に生の持続に忠実であるならば、(笛がこれほど人間の息に忠実であるように!)、決して発展しないということ以上に純粋なことがあるだろうか。

(引用終了)
<「蘭陵王」(新潮社)258ページより(新かな・新字体に変更した)>

 中村氏の尺八演奏には「循環呼吸法」が使われる。循環呼吸法とは、吹きながら同時に息を吸い、まったく息継ぎをしないで吹き続ける呼吸法のことで、この部分を聴いていると、音楽が発展しないというよりも、さらに、一瞬時が止まったような感覚に襲われた。

 時の流れは環境変化によって知覚されるから、どこか山奥の静かなところでじっとしていると時が止まったように感じられる。しかし、耳を澄ませばせせらぎの音や鳥の声が聞こえたりして、人は改めて時の流れを知覚するわけだ。循環呼吸法によって奏でられる音は、ときにそのまま変化なく持続するから、時が止まったように感じられるのだろう。

 尺八を聴いた翌日、私は講演会場で買い求めた中村氏のCD“虚無僧尺八の世界 薩慈”(DENON)をかけながら、数日前に京橋で観た“ドビュッシー、音楽と美術”という美術展のカタログを見ていた。そういえば、三島由紀夫にはドビュッシーの“沈める寺院”を思わせる“沈める瀧”という題名の小説があった。“沈める瀧”のことは、「長野から草津へ」の項で触れた岩下尚史著“ヒタメン”にも出てくる。

 美術展のカタログの中に、ドビュッシーの音楽と浮世絵の影響について書かれた文章があったので、ふと思いついて(このような聴き方はあまりしないのだろうが)、ドビュッシーの交響詩“海”のあとに、中村氏のCDにある“心月”という静かな曲をかけてみた。このブログでは、

A Resource Planning−英語的発想−主格中心
a 脳の働き

B Process Technology−日本語的発想−環境中心
b 身体の働き

という二項対比を論じているが、ドビュッシーの音楽が、Aの観点から「海」という自然を、五線譜によって知的(印象的)に描いているのに対し、中村氏の音楽は、Bの観点から「月」という自然を、息を通して身体の内側から描き出している。“海”が終わり“心月”が始まると、海のざわめきの上に、静かな月が煌々と照る様を観ているようで、尺八の音がことのほか深く心に染み入ってきた。

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長野から草津へ

2012年09月03日 [ アート&レジャー ]@sanmotegiをフォローする

 今年も夏休みを長野蓼科の山荘をベースにして過ごすことができた。この山荘、もともと父が建てたものだが三年前母が亡くなったあと兄が相続し管理してくれている。山荘では相変わらずの読書三昧。今年山へ持っていった本は、

“利休にたずねよ”山本兼一著(PHP研究所)
“惜櫟荘だより”佐伯泰英著(岩波書店)
“戦後史の正体 1945-2012”孫崎享著(創元社)
“隠された歴史”副島隆彦著(PHP研究所)
“楽園のカンヴァス”原田マハ著(新潮社)
“ヒタメン”岩下尚史著(雄山閣)

の六冊。いつもの平行読書法の要領でこれらの本を読み進めた。

 “利休にたずねよ”は、千利休と秀吉との確執を茶の道を通して描く。以前「都市計画の不在」の項で紹介した“対談集 つなぐ建築”(隈研吾著)のなかに、西洋への対抗軸として茶室建築の話がでてくるが、利休の茶室は、その後日本独特の数寄屋造りという建築様式を生み出す。近代建築に数奇屋を復活させたのが建築家吉田五十八であり、“惜櫟荘だより”は、その吉田が手がけた熱海の岩波茂雄の別荘を修復する物語だ。

 “戦後史の正体 1945-2012”は、元外交官が敗戦後の首相たちを評価する。評価基準は、自主派(積極的に現状を変えようと米国に働きかけた人たち)、対米追従派(米国に従い、その信頼を得ることで国益を最大化しようとした人たち)、一部抵抗派(特定の問題について米国からの圧力に抵抗した人たち)の三つ。主流を占める対米追従派の欺瞞性がよく描かれている。この研究は、“さらば吉田茂”片岡鉄哉著(文芸春秋)や“属国・日本論”副島隆彦著(五月書房)の系譜に連なるものだ。“隠された歴史”は、その副島隆彦氏による、仏陀と菩薩信仰、キリストとマリア信仰を巡る文明史的考察。本物の思想家はものごとをここまでシンプルに整理できるものなのだなと感心する。

 “楽園のカンヴァス”は、ルソーの「夢」という作品と西洋の美術界を巡る良質なミステリー。“ヒタメン”は、サブタイトルに“三島由紀夫が女に逢う時…”とあるように、平岡公威(ペンネーム・三島由紀夫)の若き日の恋人と生涯の親友二人の女性による証言である。

 直面(ヒタメン)とは、能で面を用いず素顔のままのことを指す。平岡は、素顔を隠し「三島由紀夫」という仮面を被って戦後の日本社会を生きた。そして、「平岡公威の冒険」で書いたように、最後はその(孫崎氏が分析するところの)欺瞞的な政治体制に身をぶつけて死んでしまった。その死の背景にある、流行作家という職業の過酷さが二人の女性の証言から伝わってくる。平岡にとって生計を立てることとは、すなわち仮面を付けて舞台で流行作家を演ずることであった。同書によると、平岡にとって、仮面を外して生きる可能性が一瞬あったという。彼が後日、若き日の恋人と偶然店で出会ったときのことだ。当時彼女は他の男と婚約しており、平岡も既に瑤子夫人と結婚していた。その部分を“ヒタメン”から引用しよう。

(引用開始)

 そのうち、公威さんが眼を見据えて、わたくしの前に立ちはだかったかと思うと、何の挨拶もなしに、いきなり、
「僕といっしょに、行こうよ――」
と、たった一ト言、投げつけたきり、そのほかは何も言わず、あの澄んだ眼で、熟(じっ)と、わたくしを見つめましてね……。

(引用終了)
<同書 224ページ>

その場に婚約者がいたこともあって、二人はそのまま分かれてしまう。もし彼女が平岡とあとで待ち合わせるなどしていたら、彼は三島由紀夫という流行作家の仮面を外し、「平岡公威」としていまも生きていたかもしれない。

 この六冊を同時並行に読み進めることで、千利休から吉田五十八、吉田茂から西洋グローバリズム、キリストから仏教、西洋美術から戦後の日本社会まで、広い時空を縦横に楽しむことができた。

 さて夏休み期間中、山荘をベースに草津温泉まで足を伸ばしたので、ここで温泉について纏めておこう。まずはその効用について旅行案内書から引用する。

(引用開始)

 「地中から湧出する25℃以上の温水、または19種類の物質のいずれかを含む温水」と定義される温泉。
 日本人なら誰もが愛してやまないが、なぜ温泉に入ると体の芯から温まり、疲れが取れるのか。
 <総合的に体に働く温泉5大効果>
 温泉で広々とした浴槽に入り、体を伸ばしてつかれば、以下のような5つの効果が総合的に働き、体が温まり、疲れがとれ、免疫力もアップする。
@  温熱効果
交感神経と副交感神経のバランスを整える
A  水圧効果
心肺機能を向上させるとともに、むくみや疲労回復に役立つ
B  浮力効果
浮力と水の抵抗で効果的にエネルギーを消費させる
C  転地効果
遠く離れた温泉地に行って環境が変わることにより気分をリフレッシュさせる
D  成分効果
温泉に含まれている塩分や硫黄などが肌荒れや胃腸病、冷え性、神経痛などの症状を改善する

(引用終了)
<“楽楽 軽井沢・草津”(JTBパブリッシング)142ページより>

とのことで、温泉には、呼吸法笑いなどと同様、自律神経(交感神経と副交感神経)のバランスを整える効用があるという。

 温泉の成分効果は、温泉に含まれている塩分や硫黄などの鉱物(ミネラル)によって次のように分類できる。

1.  塩化物泉
2.  炭酸水素泉
3.  硫酸塩泉
4.  単純温泉
5.  硫黄泉
6.  二酸化炭素泉
7.  含アルミニウム温泉
8.  含鉄泉
9.  含銅・鉄泉
10. 酸性泉
11. 放射能泉

泉質によってそれぞれ違った効能があるという。たとえば塩化物泉は、殺菌効果があり外傷や皮膚病、関節痛などに効く。炭酸水素泉、なかでも重曹泉は肌に潤いを与える。二酸化炭素泉は、肌に炭酸ガスがつき保温効果が高いなどなど。今回訪れた草津の温泉は、酸性・含硫黄‐アルミニウム‐硫黄塩・塩化物泉で、神経痛や筋肉痛などに効くとのこと。朝入った西の河原露天風呂は広々としていてとても気持ちが良かった。

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小説“僕のH2O”について

2012年05月13日 [ アート&レジャー ]@sanmotegiをフォローする

 先日、以前より販売していた電子書籍小説“僕のH2O”と、電子書籍コンテンツ・サイト「茂木賛の世界」で連載完結した“僕のH2O ブログ編”を一冊に纏め、電子書籍販売サイト「パブー」から新規に出版した。値段は以前と同じ315円。表紙イラストはイラストレーターのタナハシヒロ氏にお願いした。このページ右にある“僕のH2O”と題された本のタイトル(又は表紙)をクリックいただくと、パブーのサイトに遷移するので、興味のある方はお読みいただければと思う。

 ちょうど良い機会なので、本の紹介方々、この小説ができた背景などについて書いてみたい。“僕のH2O”はストーリー小説、“僕のH2O ブログ編”は対談小説の形をとっているが、どちらもこの「夜間飛行」のブログで綴ってきた「生産と消費論」をベースとしている。「生産と消費論」の要旨は、

1. 人は社会の中で生産(他人のための行為)と消費(自分のための行為)を繰り返していく。人は自分のために生まれるのではなく、社会のために生まれてくる。

2. ある人の生産は他のある人の消費であり二つは等価である。生産は主に理性(交感神経)的活動であり消費は主に感性(副交感神経)的活動である。

というものだ(詳しくはカテゴリ「生産と消費論」の記事を順にお読みいただきたい)。

 人生そのものが他人の為などというと、宗教かボランティア活動と誤解されかねないが、この考え方は、自分の為のことをしてはいけないのではなく、「それが回りまわって人の為になる」というところに力点を置いている。贅沢をしてはいけないのではなく、それをばねに人が(仕事などに)より力を発揮するところに注目している。経済人類学、構造主義生物学、重力進化学、アフォーダンス理論などによって、人の利他的行為の源泉や贈与の意味を探ろうとしている。これまで、人の生産活動と消費活動とをこのように定義し、論理展開した考え方は(私の知る限り)ないと思う。そのせいもあって、この論旨はなかなか理解して貰いにくい。“僕のH2O”は、この考え方を、ストーリーと対談の形で出来るだけ具体的に表現しようとしたものである。

 以下、パブーのサイトに載せた小説紹介文を引用しておこう。

(引用開始)

 僕らは朝起きてから夜寝るまで毎日「名前のついていること」ばかりしている。この世界の「まだ名前のついていないこと」というものはほとんど存在していないに等しい。大学生勉はそんなことを考えて、あるとき自らその「まだ名前のついていないこと」を始める。「僕は毎日大学に通うことに退屈している。君のようになにか目的を持って勉強することが出来たら良いと思うけれど、今の僕にはそれが見つからないんだ」ニースにいる恋人の洋子に、勉が語るその「まだ名前がついていないこと」とは?

(引用終了)

ここでいう「まだ名前のついていないこと」が、生産(人のための行為)と消費(自分のための行為)を区別していくことなのである。“ブログ編”のプロローグの一部も引用ておきたい。

(引用開始)

 これは、僕が手がけている「僕のH2O」というネット上のコミュニティー・サイトで、新しく会員になってくれたAさんと行なった対談の記録である。
 「僕のH2O」というサイトは、会員が「人のために成した行為」と「自分のために成した行為」とを日記風に書き込んで、それに点数をつけたり、コメントを寄せ合ったりするコミュニティーなのだが、最近会員が増えてきたので、コンセプトをより深く理解してもらおうと、この対談を企画した。

 「僕のH2O」のことは知っているけれど、いまひとつコンセプトが腑に落ちない、という方はこれを読んで欲しい。きっと活動の真意が分かっていただけると思う。僕にとっても、年長者で人生経験の豊富なAさんとの対話は、自分の考えを整理するのにとても役に立った。

(引用終了)

ということで、ここでは、人と社会とのかかわり(行為の波動性、利他的行為と神経経済学、自己とは何か、貨幣の意味、時間とは何か、理性と感性、行為の三態、言葉の偏り等々)について、「生産と消費論」の観点から総合的に分かりやすく解説を試みている。人が自由であるべき根拠や行動の契機も、生産と消費活動のダイナミズムに内在されていることを論証しようとしている。本編のストーリーを読んだあと、この対談を読んでいただくと理解がより深まるものと思う。

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1969年

2012年04月10日 [ アート&レジャー ]@sanmotegiをフォローする

 先回、寅さんの映画シリーズの始まりが1969年ということで、当時のことをいろいろと想い出した。考えてみれば、いまの若い人は1969年という年をリアルタイムで知らないわけだ。私は1969年のとき18歳だったから、当時のことは今でもよく覚えている。

 1969年は、1月に東大安田講堂陥落、5月に東名高速道路が全線開通している。映画「男はつらいよ」の封切はこの年の8月27日、第二作目「続・男はつらいよ」は同じ年の11月15日である。当時のことを、“『男はつらいよ』の世界”吉村英夫著(集英社文庫)から引用しよう。

(引用開始)

 要するに、人間性を置き去りにした「高度成長」下、社会的矛盾がいやおうなく激化する時代を迎えている。むろんバブルがその彼方ではじけてしまうなど思いもよらぬ時点に、時代錯誤の落ちこぼれとでもいうべき「姓は車、名は寅次郎」のフーテンが、四角いトランクをぶら下げた雪駄ばきで、下総の国から矢切の渡しを船に乗って、混沌のるつぼ東京は江戸川べりの葛飾柴又に戻ってきたのである。
 放蕩児寅次郎の二十年ぶりの故郷への帰還である。何かが起こらないわけがない。

(引用終了)
<同書 21ページより(フリガナは省略)>

ということで、そのあと26年間も生き長らえる時代のアンチ・ヒーローは、1969年という高度成長後半期にひょっこりと登場したわけだ。

 当時私は高校三年生、世界のことなど何も知らないくせに、受験勉強の振りをしながら吉本隆明の“共同幻想論”(河出書房)などを読む、生意気盛りの若者だった。その夏封切られた寅さんの映画を私は観に行かなかった。寅さんの映画などダサいと思っていたのだろう。

 1969年といえば、去年、由紀さおり&ピンク・マリティーニによる“1969”というアルバムが発売された。佐藤利明氏(オトナの歌謡曲/娯楽映画研究家)の解説には、

(引用開始)

 1969年という年は、由紀さおりが「夜明けのスキャット」でデビューを果たしただけでなく、日本の、そして世界の音楽シーン、ポップカルチャー、政治、モラル、あらゆるコトやモノが大きく変革を遂げた年でもある。その1969年に日本でラジオから流れていた歌をセレクトして、「1969」というタイトルのアルバム企画が進んでいくなかで、由紀さおりはスタッフとともに10数曲を選曲、アレンジとプロデュースをPink Martiniに依頼することとなった。こうして両者の本格的なコラボレーションが実現に近づいた。

(引用終了)
<「1969」CDアルバムの解説より>

とある。ちなみに、Pink Martini編曲による「夜明けのスキャット」はとても佳い出来だと思う。

 思えば、1960年代というのは面白い時代だった。戦後の日本の高度成長は、復興期(1946年−54年)、前半期(55年−65年)、後半期(66年−75年)に分けられるが、1960年代は、その前半期半ばから、後半期の半ばまでに相当する。和暦でいえば昭和35年から44年である。

 東京タワーの完成が1958年、東京オリンピックの開幕が1964年、ザ・ビートルズの来日は1966年だ。世界的に見ると、ケネディ大統領の暗殺が1963年、ビートルズのアメリカ上陸1964年、ベトナムでアメリカの北爆が始まったのが1965年である。時代のパラダイムは、まさに「大量生産・輸送・消費システム」が中心だった。ベトナムでアメリカが敗北したのは、下って1975年のことである。

 1969年が終わり1970年に入ると、3月に万国博覧会が開会し、11月に三島由紀夫(ペンネーム平岡公威)が割腹自殺する。寅さんの映画は、第三作「男はつらいよ フーテンの寅」が1970年1月15日、第四作目「新・男はつらいよ」が同年2月27日、第五作目「男はつらいよ 望郷篇」が同年の8月26日、と立て続けに封切られている。三島由紀夫については以前「平岡公威の冒険」の項で書いたけれど、死に急ぐ晩年、彼はこの遠い将来のヒーロー寅さんを映画館で観る余裕があっただろうか。

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寅さん考

2012年04月02日 [ アート&レジャー ]@sanmotegiをフォローする

 「“モノからコトへ”のパラダイム・シフト」(略してモノコト・シフト)についてあれこれ考えているうち、ふと、ある映画シリーズのことが頭に浮かんだ。ご存知、フーテンの寅さんこと車寅次郎が活躍する、映画「男はつらいよ」シリーズである。

 「モノコト・シフト」は、

私有    → 共同利用
独占、格差 → 分配
ただ乗り  → 分担
孤独    → 共感

世間    → 社会
もたれあい → 自立
所有    → 関係
モノ    → コト

ということであるが、寅さんの行動パターンは、左側ではなく、右側の新しいパラダイム項目に概ね当て嵌まるのである(この新旧パラダイム項目については、「“シェア”という考え方」「“シェア”という考え方 II」を参照のこと)。

 寅さんは、トランク一つ以外何も私有していない。もともと縁のない金銭的なもの以外、出来ることはすべて分担しようとする。何も独占せず、唯々、まわりの人々に分け与える。孤独に陥った人々に寄り添って共感し、勇気を与える。世間を気にしながらも最後は社会正義を貫く。過度のもたれあいを拒否して自立している。所有することよりも関係性を重んじ、まったくモノに拘らない。そしていつもまわりに新しいコトを引き起こす。

 いかがだろう、勿論寅さんはあくまで放浪者であり、定着して日常生活を送る我々とは違うけれど、こうして見ると、彼の行動パターンは今の時代のパラダイムにぴったりとフィットしているではないか。

 重要なことは、この映画シリーズが、高度成長後半期の1969年に始まり、バブル崩壊後、まだ新しいパラダイムが見えてこない1995年に終わったということである。これらの作品は、時代を映す華やかな光に対する陰画として描き続けられ、寅さんは、時代錯誤的なアンチ・ヒーローとして人気を博した。そして今になってようやく、時代(のパラダイム)の方が寅さんに追いついてきたのである。

 葛飾柴又の人情味溢れる商店街や家族愛、お寺や町工場などは、いま再び見直されつつある。寅さんが旅する日本各地の今は失われた風景を懐かしむ声も多い。我々は「男はつらいよ」シリーズというこの国民的資産を繰り返し観ることで、これからの「モノコト・シフト」の時代に備えよう。そして今からでも遅くはないから、寅さんが愛した日本の流域風景や下町情緒といったものを、もう一度取り戻したいものだ。

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贅沢な週末

2011年10月31日 [ アート&レジャー ]@sanmotegiをフォローする

 先々週の週末、私は友人が主催する「斑尾国際音楽村ライブ」のお手伝いを兼ねて、二泊三日で信州・斑尾を訪れた。地域の活性化を目指した「斑尾国際音楽村」については、これまで「競争か協調か II」や「元気なリーダー」の項でも紹介したことがある。

 土曜日、飯山駅からタクシーで斑尾高原ホテルに着いたのは、まだ午後の早い時間だった。さっそくホテルの温泉で汗を流し、ちょうど近くの希望湖のハイキング・イベントを終えたはずの友人、内ヶ崎さんに電話する。彼女はペンション“ぶーわん”でこの関連イベントに参加した皆さんとランチ・パーティーのさ中だった。

 ホテルから歩いて5分の“ぶーわん”で内ヶ崎さんや皆さんと合流し、そこで今回の「斑尾国際音楽村ライブ」で演奏するノルウェーのデュオ“PICIDAE”にお会いした。“PICIDAE”のTaraとErikのお二人も、そのハイキング・イベントに参加していたのだ。そこで美味しい北欧紅茶をいただく。

 土曜日の公演は、これもホテルから歩いて5分ほどのところにある斑尾高原絵本美術館で、夜の7時半から行なわれることになっていた。私のお手伝いは、公演中Taraが英語で曲を紹介するのを日本語に訳すことなので、その段取りを二人と相談する。“PICIDAE”は、竪琴やオートハープ、音量を絞ったトランペットなどをバックに、主にTaraが静かな歌声を響かせる新感覚のデュオだ。パンフレットには“ノルウェーの森の吟遊詩人”とある。

 絵本美術館で公演の準備を皆で始めたのは午後5時からだった。オランダのミイッフィーのシルクスクリーン作品などが展示されているメイン・フロアーに40人ほどの席を設置、ショップ・エリアにソフト・ドリンクやスナックのバーを開設、照明やステージの準備も整って、予定通り7時半から、こじんまりとした、しかし暖かい雰囲気のコンサートが始まった。

 曲数はアンコールを含めて全18曲。曲の前にTaraが語る短い英語を私が日本語にするのだが、うまく伝えることが出来たかどうか。彼女の心の優しさやユーモアは観ているだけで充分わかるので、私は内容をできるだけ短く的確に伝えることを心掛けた。それでも皆さん笑うところで笑ってくれたから、まあまあだったのではないかな。

 コンサートのあとはショップ・エリアでのお客様を交えた懇親会、そのあと関係者だけでの遅い夕食。夕食は近くのレストラン・バーJazzyにて。Jazzyの壁には、斑尾ジャズフェスティバル時代の貴重な海外音楽家たちのサインや写真が所狭しと飾ってあった。

 翌日曜日の公演は、ホテルから徒歩10分ほどのところにある斑尾高原紫音ハープミュージアムで、昼の1時半から行なわれた。世界各地から集められたハープが展示されているフロアーの真中に席を設置、別棟にソフト・ドリンクやスナックのバーを開設、照明やステージ、地元ネット放送局のカメラなどの準備を整えて、予定通り1時半からコンサートが始まった。

 拍手に包まれてアンコール曲が終わると、別棟でお客様を交えた懇親会が開かれた。歓談のあと、“PICIDAE”の二人は次の公演のために斑尾高原を後にした。私と内ヶ崎さんは、ミュージアム館長の坂田さんのご好意でそのままそこで夕食をご馳走になった。関係者の皆さんと地域活性化の話などをしながら酒を飲み交わし、私がホテルに戻ったのはすっかり夜が更けた頃だった。

 その晩、一度眠ってから深夜に起きて本を読む。読み始めたのは“フェルメール 光の王国”福岡伸一著(木楽舎)というとっておきの本。これは生物学者の福岡氏が、フェルメール作品の置かれた美術館を巡る紀行文で、以前ANAの機内誌「翼の王国」に連載されていたものだ。私は一部機上で読んだことがあり、その後まとまって単行本になるのを楽しみにしていた。

 福岡氏の文章は鮮やかで、小林廉宣氏の写真も美しい。その夜私はちょうど“旋回のエネルギー―――アイルランド”の項に差し掛かっていた。見えないけれど、部屋の窓正面に、夜霧を纏った晩秋の斑尾山が聳えているのがわかる。北信の山奥で、深夜、フェルメールの絵とアイルランドの海に想いを馳せる。そういえばTaraの母親はスコットランド出身で、彼女の歌には当地の民謡の趣があった。

 “PICIDAE”の音楽、絵本美術館、ハープミュージアム、高原と温泉、親切な友人たち、美味しい食事、それにフェルメールの本、とまあ今回はなんと贅沢な週末なことだろう!

 ちなみに、この小旅行に持参した本は、“フェルメール 光の王国”のほか、“DNAでたどる日本人10万年の旅”崎谷満著(昭和堂)と“熱とはなんだろう”竹内薫著(講談社ブルーバックス)の二冊。そのうち“DNAでたどる日本人10万年の旅”は、帰路の新幹線のなかで読了した。

 内ヶ崎さんや地元の皆さんが努力しておられる地域の継続的な活性化は、けっして容易ではない。しかし、多品種少量生産、食の地産池消、資源循環、新技術といった安定成長時代の産業システムにとって、このような自然と風光に恵まれた土地は正に理想的な筈だ。知恵と努力と人の繋がりで、賑わいの水車はきっとまた上手く回り始めるだろう。以前「贅沢の意味」の項で、贅沢な経験をした者はその分を別のかたちで社会に還元するだろうと書いたけれど、自分がこの地にさらに貢献ができることを願いつつ、私はベッドサイドの明かりを落とした。

 翌朝私は温泉に浸かり、朝食のあと近くを散歩した。あいにくの曇り空だったけれど、山道から東側をみると、遥か下を流れる千曲川を挟んで、対岸に北志賀の山々が遠望できた。そのあと、私は内ヶ崎さんの見送りを受けてバスで山を下りた。

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上を向いて歩こう

2011年10月04日 [ アート&レジャー ]@sanmotegiをフォローする

 この夏の終わりに、“上を向いて歩こう”佐藤剛著(岩波書店)という本を面白く読んだ。この本は、中村八大作曲、永六輔作詞で坂本九が歌った「上を向いて歩こう」の評伝である。

 本を読むきっかけは、新聞の書評に、坂本九の歌い方が世界的ヒットを生んだ、と書いてあったことだ。日本語と西洋のリズムについては、このブログでもこれまで「リズムと間」や「一拍子の音楽」、「クワタの傑作」などの項でいろいろと見てきた。「上を向いて歩こう」という曲において、坂本九のどのような歌い方が世界に認められたのだろうか。

 吉祥寺のジュンク堂の本棚に一冊だけあったこの本を手にしたとき、その厚さに一瞬気後れしたけれど、読み終わってみると買って良かったと思う。曲の評伝だけでなく、中村八大や永六輔、坂本九らその時代の音楽に携わった人々のこともよく描かれている。

 さてその歌い方だが、本書によると、

(引用開始)

 母音の響きが続く言語であるが故に、細かいリズムやサウンドに言葉がノリにくいのは、良くも悪しくも日本語の特徴である。
 だが坂本九は、ロックンロールの持つビート感を、日本語で表現できる歌唱法を、独自に発明した。歌声の響かせ方、母音の繰り返しから繰り出される、弾むようなリズムの感覚がひときわ新鮮だった。口を横に大きく開いた笑顔の状態で声を出すと、通常よりももれる空気が多くなり、その分だけ音としてなるタイミングが微妙に遅れる。それがビートを誘発するのだ。独特の歌い方は、前例のない新しい表現だった。

(引用終了)
<同書123ページ>

ということで、母音の「発音体感」を微妙にずらすことで、本来の日本語にないリズム感を出すことに成功しているらしい。

 坂本の歌い方にはそれ以外、ヒートカップと呼ばれる歌唱法や裏声、休符の巧みな使い方などがあるという。詳しくは本書をお読みいただきたいが、「クワタの傑作」で述べた桑田佳祐の歌唱法などと比べるとさらに興味深い。

 「上を向いて歩こう」は、1961年に日本で、1963年にアメリカでヒットした。私が10歳から12歳頃のことだ。私は1963年2月に日本からアメリカへ渡ったから、日本とアメリカ両方でこの曲を(ヒット時に)耳にする機会に恵まれた。そういう意味でもこの曲はとても懐かしい。

 ところで本の“あとがき”に、この作品はもともとスタジオジブリの月刊誌「熱風」に連載されたとある。この初夏に公開されたスタジオジブリ作品“コクリコ坂から”(企画・脚本宮崎駿、監督宮崎吾朗)にこの曲が挿入歌として使われたのは、そういう繋がりがあったからだろうか。

 “コクリコ坂から”の時代背景は1963年、舞台は春の横浜だという。今年の春、映画のことはまだ知らなかったが、私は親しい友人と横浜中華街から山下公園のあたりを散策した。今年の横浜、映画のスクリーンに描かれた63年当時の横浜、スクリーンから流れる坂本九の歌声、63年当時アメリカで聴いた坂本九の歌声、それらが頭のなかで交錯する。

 それにしてもこの夏、楽しい映画と懐かしい音楽、それにためになる優れた本を用意してくれた、スタジオジブリに感謝したい。

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平岡公威の冒険

2011年09月27日 [ アート&レジャー ]@sanmotegiをフォローする

 以前「“わたし”とは何か」の項で、

(引用開始)

 人は無数の「非至高的(日常的)存在」に取り囲まれて、生き抜くためにいつも四苦八苦している。お金のことや身体の健康のこと、その身に降りかかるあらゆる不条理。しかしそのなかでも人は、日々「至高的存在」に近づこうと努力する。その姿が、別の人から「至高的存在」に見えることがある。“見る者”と“見られる者”とは別々の存在だ。

(引用終了)

と書いたけれど、“見る者”と“見られる者”との同一化を願ったのが、作家の平岡公威(ペンネーム三島由紀夫)である。

 平岡は、その著書“太陽と鉄”(講談社文庫)のなかで、「見ること」と「存在すること」(見られること)とは背反するけれど、その二つを同一化することが自身の人生の目標であるとし、人を林檎に例えながら、

(引用開始)

ふつう赤い不透明の果皮におおわれた林檎の外側を、いかにして林檎の芯が見得るかという問題であり、又一方、そのような紅いつややかな林檎を外側から見る目が、いかにしてそのまま林檎の中へもぐり込んで、その芯となり得るかという問題である。

(引用終了)
<同書58ページ>

と提起した。そして、

(引用開始)

林檎はたしかに存在している筈であるが、芯にとっては、まだその存在は不十分に思われ、言葉がそれを保証しないならば、目が保障する他はないと思っている。事実、芯にとって確実な存在様態とは、存在し、且、見ることなのだ。しかしこの矛盾を解決する方法は一つしかない。外からナイフが深く入れられて、林檎が割(さ)かれ、芯が光りの中に、すなわち半分に切られてころがった林檎の赤い表皮と同等に享ける光りの中に、さらされることなのだ。

(引用終了)
<同書58−59ページ>

と論を続けた。すなわち、見る者と見られる者とは背反するけれど、死によってそれは同一化されるとしたわけだ。その後彼が林檎の運命を身に負ったことは周知の如くである。

 私は当時平岡の熱心な読者だったから、「見る者と見られる者とは背反するけれど、死によってそれは同一化される」というドグマに長く悩まされた。愛読する作家にこのようなことを書き残されたら誰でも悩むだろう。そのドグマから開放されたのは、ずっと後、アフォーダンス理論と免疫学とによって、脳と身体がそれぞれ別々の「時間」に属していることに気付いた時だった。どういうことか説明しよう。

 アフォーダンス理論によると、脳、すなわち“見る者”の知覚には終わりがない。“見る者”にとって時間は常に「現在進行形」である。我々は、世界の何処で何をしていようが、常に世界全体を(一挙に)把握している。知覚システムは常に環境からの情報をそれまでの情報に重ね合わせて修正を加え続ける。たとえば、今あなたはPCの画面を覗いているが、画面の後ろにある壁、部屋全体、家や街、そして世界全体を(一挙に)把握している筈だ。あなたの頭の中にはあなたがこれまで体験してきた世界の全てが同時にある。

 一方、多細胞生物の身体、すなわち“見られる者”には寿命がある。免疫学の教えるところによれば、細胞にはアポトーシスと呼ばれる細胞死がプログラムされており、60兆個の細胞の塊である人間の身体システムには、老化という身体死があらかじめ組み込まれているという。あなたがいくら長生きしようと考えても、今のところ生きられるのはせいぜい120歳ぐらいまでだろう。

 現在進行形としての“見る者”と、寿命を抱えた“見られる者”とは、そもそも異なる「時間」に属している。このことを私は以前「アフォーダンスと多様性」の項で、

(引用開始)

 「個」におけるアフォーダンスで重要な点は、常に思考や行動の枠組みから「自分」というものを外さないこと(自己言及性)と、脳は常に「現在進行形」(time = 0)であるということだった。一方、免疫で重要なのは、限りある自分の身体時間(t = life)における自律神経(交感神経と副交感神経)のバランスである。

 「個」におけるアフォーダンスと免疫との考え方を整理してみると、人は生きている限りこの2種類の時間から逃れられないことがわかる。人は、常に現在進行形としての脳と、一定の寿命を持つ身体とを抱えて、この社会に(一過性的に)関わっているわけだ。

(引用終了)

と纏めたことがある。

 勿論脳も身体の一部だから、身体が死を迎えるとき、その知覚も同時に消滅する。しかしそれは“見る者”と“見られる者”との同一化などではなく、単に二つの異なる「時間」が同時消滅するに過ぎない。二つの異なる「時間」はけっして同一座標軸上で交わることはない。そして、個体は死ぬけれど、脳の成した仕事は社会の誰かによって、身体の遺伝子は子孫によってそれぞれ継承されていく。

 平岡は、西洋近代が発明した均一時間と均一空間という座標軸の上に、“見る者”と“見られる者”とを並べて置いてしまった。そしてその同一化という果たせぬ夢を追求し、“認識と行為”、“精神と肉体”などといった対立項を措定しながら、“文武両道”から“知行合一”へとその信条を進めていった。そして最後は自ら措定した二項対立を止揚すべく、戦後日本の欺瞞的な政治体制に身体をぶつけて死んでしまった。

 かれは死ななくても良かったと思う。なぜなら、“見る者と見られる者”、“認識と行為”、“精神と肉体”といった対比は、「脳と身体」の対比であり、それは同一化されるものではなく、互いに影響を与え合う性質のものだからだ。平岡は優れた作家だったから、彼が生きていればいまの日本社会はもっとましになっていただろう。彼の死は、この二項対立止揚の他にも要因はあっただろうが、もったいないことだったと思う。

 しかし考えてみれば、彼のそのような向こう見ずで一途な冒険がなければ、我々が“見る者”と“見られる者”について徹底的に考えることもなかったかもしれない。その意味で、彼の一連の思考と行動は、「平岡公威の冒険」とでも呼ぶべき貴重な試みだったのだろうと今にして思う。

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音楽の楽しみ方

2011年09月20日 [ アート&レジャー ]@sanmotegiをフォローする

 皆さんは音楽をどのように楽しんでおられるだろうか。以下、私の日々の楽しみ方をご披露しよう。

 朝、オフィスではたいていお気に入りのピアノジャズを流している。コーヒーを淹れてテーブルに就き、CDのスイッチを入れる。ジャズ、しかもピアノ曲は私の仕事のリズムにぴったりするようだ。交感神経や脳波のリズムと合うのだろう。

 午後、仕事の合間スポーツ・クラブなどでジョギングするときにiPodで聴くのは桑田佳祐(クワタ)やそのほかのポップス系だ。なつかしいビートルズなどを聴くのもこういうとき。運動にはとくにボーカル(声楽)が合うように思う。これらの曲はまた掃除などの労働時にもよく合う。歌が心臓と同期して疲れを忘れさせてくれるからだろうか。走りながらオペラを聴くのも、同じボーカルだからなかな佳い。

 夕方、仕事が一段落して聴くのは映画音楽やイージーリスニング系。気持ちを開放し副交感神経優位を作り出すのにうってつけだ。休日や休暇先で聴く音楽も同じリラックス系統の曲が多い。

 車で外出するときに聴くのは主にクラシック。クラシックの曲は長いので、まとめて聴くには車の運転中が良い。ここのところかけるのはマーラーやブルックナーの交響曲が多い。

 車の運転とクラシックといえば、忘れられない思い出がある。昔まだニュージャージーに住んでいた頃のことだ。早春の休日の朝、妻と一緒にドライブに出かけた時に聴いたモーツアルトの交響曲39番が忘れられない。その日は前の晩に降った季節はずれの大雪で一面銀世界だった。よく晴れた朝だったので、木々の梢が陽射しにきらきらと輝いていた。その光景に39番第四楽章のリフレイン(繰り返し)が完璧に調和(harmonize)したのだ。今でも39番を聴くとあの時のことを思い出す。

 クラシックのコンサートへ行くのは年数回程度。忙しいことと、日本ではチケットの値段が高いことが理由だ。先日友人たちと東京オペラシティのヴォーチェ・ローザ演奏会へ行ったが、チケットは全席3千円だったからこれくらいならばもう少し頻繁に出かけることができる。ロンドンに住む私の知人で、ロンドン・オペラ・ハウスなどへ頻繁に出かけてクラシックを楽しんでいる方がいるがとてもうらやましい。彼の情報豊富なブログでときどきコンサート内容を読ませて貰っている。

 良い音楽は、メロディーの美しさのみならず、音の強弱や周波数変動が「1/fのゆらぎ」を示し、それが聴く人に心地よさをもたらすという。「人生系と生命系」の項で、
 
(引用開始)

人生の達人と呼ばれる人々は、「交わりにくいふたつの物語」をそよ風にでも準(なぞら)え、振幅が小さい呼吸や脈拍、脳波といった振動から、振幅が中位の昼と夜、気圧と気温、仕事と休息といったリズム、さらには幼年期、青年期、壮年期、老年期といった人生の大きな波動を、「1/f のゆらぎ」の要領で上手く同期(synchronize)させているのかもしれない。

(引用終了)

と書いたけれど、生活のリズムに音楽を取り入れることで、人生をさらに豊かに過ごしたいものだ。

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長野から銀座へ

2011年08月30日 [ アート&レジャー ]@sanmotegiをフォローする

 今年も短い夏休みを長野の山荘で過ごすことができた。相変わらずの読書三昧。今年山へ持っていった本は、

“不可能”松浦寿輝著(講談社)
“さもなければ夕焼けがこんなに美しいはずはない”丸山健二著(求龍堂)
“きれいな風貌 西村伊作伝”黒川創著(新潮社)
“ハウス・オブ・ヤマナカ 東洋の至宝を欧米に売った美術商”朽木ゆり子著(新潮社)
“意識は実在しない 心・知覚・自由”河野哲也著(講談社選書メチエ)
“銀座の喫茶店ものがたり”松村友視著(白水社)

の六冊。いつもの平行読書法の要領でこれらの本を読み進めた。

 “不可能”松浦寿輝著(講談社)は、平岡公威(ペンネーム三島由紀夫)が生きていたらどういう老人になっているだろうか、という思考実験的小説。最後に日本を脱出してのんびりし、また小説を書こうかと思うところがなかなか佳い。私は以前から、三島由紀夫を論ずるのならば「三島由紀夫論」ではなく「平岡公威論」でなければならないと考えていた。著者も同じように考えて主人公の名前を「平岡」にしたのだろう。「三島由紀夫論」では、知らず知らずのうちに作家の作った「三島由紀夫」という舞台(フィクション)の上で踊らされてしまう。ペンネームも作家のひとつの創作なのだ。

 “さもなければ夕焼けがこんなに美しいはずはない”丸山健二著(求龍堂)は、安曇野に居を構える孤高の作家の庭に関するエッセイ。以前「容器の比喩と擬人の比喩」の項で、日本語の論理は容器の比喩(空間の内と外や容器の上と下といった論理形式)が多く、英語の論理は擬人の比喩(主体―対象―動作という論理形式)が多いという説を紹介したが、丸山健二の文章には擬人の比喩が多い。例えば、

(引用開始)

 夏の到来を告げる雷雨がまるで告発の声のように激しく庭を鞭打ち、あれほどまでにわが世の春を謳歌したさしものバラたちも、泣きに泣いたやもめのように、さもなければ、陵辱の落とし子であることをとうとう知ってしまった少年のように、今はすっかりしおたれている。

(引用終了)
<同書58ページ>

など。そういえば平岡公威も擬人の比喩が多い作家だった。例えば、

(引用開始)

 芝のはずれに楓を主とした庭木があり、裏山へみちびく枝折戸(しおりど)も見える。夏というのに紅葉している楓もあって、青葉のなかに炎を点じている。庭石もあちこちにのびやかに配され、石の際(きわ)に咲いた撫子(なでしこ)がつつましい。左方の一角に古い車井戸が見え、又、見るからに日に熱して、腰かければ肌を灼きそうな青緑の陶(すえ)の榻(とう)が、芝生の中程に据えられている。そして裏山の頂の青空には、夏雲がまばゆい肩を聳(そび)やかしている。

(引用終了)
<“天人五衰 豊饒の海(四)”(新潮文庫)302ページ>

など。平岡は丸山健二の処女作“夏の流れ”を評価したと記憶しているが、二人の作家に共通する文章スタイルについて、いずれじっくりと考えてみたい。

 “きれいな風貌 西村伊作伝”黒川創著(新潮社)は、神田駿河台にある文化学院の創設者である西村伊作の伝記。西村は自由を重んじるしなやかな思想の持ち主だったようだ。24才で米国に渡ったとき、現地の人に宗教や信条を聞かれ、”I am only a freethinker”と答えたという。明治・大正時代にはさまざまな個性が活躍したと改めて思う。と同時に、日本の近代化における“大逆事件”の影響の大きさを再確認させられる。

 “ハウス・オブ・ヤマナカ 東洋の至宝を欧米に売った美術商”朽木ゆり子著(新潮社)は、欧米を相手に東洋の美術品を商った山中商会の興亡を描くノンフィクション。今書いている小説の主人公の父親がマンハッタンに店を開く骨董屋という設定なので、資料取材としてこの本を読む。ところで、著者の朽木さんは私の大学時代の少林寺拳法部の先輩。三鷹のキャンパスでよくご一緒に練習したものだ。

 “意識は実在しない 心・知覚・自由”河野哲也著(講談社選書メチエ)は、アフォーダンス理論の社会学的応用。社会的な事象をさまざまなアクターが参加しているネットワークとして理解する「アクターネットワーク理論」が面白い。ここでいうアクターは人だけに限らない。自然や人工物、組織体なども含まれるという。

 “銀座の喫茶店ものがたり”松村友視著(白水社)は、以前「銀座から日比谷へ」の項で、“銀座百点”という冊子の連載エッセイとして紹介した。今回書籍化されたのを期に購入。新聞の紹介文を引用しておこう。

(引用開始)

 飛び切りの名店カフェ・ド・ランブル、芝居の舞台のように新橋演舞場前に立つ茶房李花、ワンダーランドさながらの文具店伊東屋のティーラウンジ…。銀座の歴史と空気に育まれた瀟洒(しょうしゃ)で個性豊かな四十五の喫茶店と店主の<ものがたり>を訪ね歩く。外資系チェーン店の進出で数は減ったが、著者の思い出やあこがれがつまった銀座の喫茶店文化に対するオマージュがつづられる。

(引用終了)
<東京新聞 8/14/11>

松村氏の味のある文章によってどの店も宝石のような輝きを発している。銀座に出たら一度打ち合わせや待ち合わせに使ってみよう。

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両端の奥の物語

2011年03月01日 [ アート&レジャー ]@sanmotegiをフォローする

 先日「継承の文化」の項で、

(引用開始)

 流域の一番外側の奥山と、家の一番内側の奥座敷とを繋ぐ円環があるとすれば、それは勿論物理的なものではなく、「奥」という言葉を使う人々の脳の中に存在するはずだ。

(引用終了)

と述べ、「継承の文化 II」の項で、

(引用開始)

 流域両端の「奥」は、過去の記憶と現在とをつなぐ。(中略)皆さんの流域にも、小布施と同じように、独自の「奥」が存在するはずだ。過去の歴史と現在とを結ぶ「継承の文化」があるはずだ。それが未来への糧となる。

(引用終了)

と書いたけれど、この“両端の奥”を、「物語」によって結ぶ努力を続けておられるのが作家の梨木香歩氏だ。

 そもそも「物語」とは、“両端の奥”を言葉で結ぶArtフォームに違いない。この冬休み、私は梨木さんの以下のエッセイを立て続けに読むことができた。

2002年“春になったら苺を摘みに”(新潮文庫)
2004年“ぐるりのこと”(新潮文庫)
2006年“水辺にて”(ちくま文庫)
2010年“渡りの足跡”(新潮社)
<西暦は単行本の出版年>

 “春になったら苺を摘みに”は、著者が英国で暮らしたときに世話になった「ウェスト夫人」と、彼女をめぐる人々との交友記。“ぐるりのこと”は、著者の身辺で起こる様々な出来事を綴った作品。

 “水辺にて”は、著者がカヤックで各地の川や湖を巡るエッセイ。水辺は、流域の境界でもある。美しい水辺をカヤックで進むことによって、著者の心にもたらされたエッジ・エフェクトの数々。副題に“on the water / off the water”とある。本のカバー裏の紹介文を引用しよう。

(引用開始)

水辺の遊びに、こんなにも心惹かれてしまうのは、これは絶対、アーサー・ランサムのせいだ――そう語り始められる本書は、カヤックで湖や川に漕ぎ出して感じた世界を、たゆたうように描いたエッセイ。土の匂いや風のそよぎ、虫たちの音。様々な生き物の気配が、発信され受信され、互いに影響しあって流れてゆく。その豊かで孤独な世界を垣間見せる。
解説 酒井秀夫

(引用終了)
<本のカバー裏の紹介文>

 そして“渡りの足跡”は、知床や新潟などの奥山に飛来する渡り鳥と、里に住む人々の心とを結ぶ紀行文だ。本の帯裏の紹介文を引用する。

(引用開始)

オオワシ、ワタリガラス、ヒヨドリ……。鳥の渡りの先の大地にはいったい何があるのだろうか。住み慣れた場所を離れる決意をするときのエネルギーは、何処から沸き起こってくるのか。渡りは、一つ一つの個性が目の前に広がる景色と関りながら自分の進路を切り開いていく、旅の物語の集合体。ときに案内人に導かれ、知床、諏訪湖、カムチャッカへ、渡り鳥の足跡を辿り、綴ったエッセイ。

(引用終了)
<本の帯裏の紹介文>

この作品こそ、まさに渡り鳥と里の人々という「流域両端の奥」を結ぶ物語である。皆さんも一度是非読んでみていただきたい。心の「奥」につながる何かが見つかると思う。

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銀座から日比谷へ

2011年02月08日 [ アート&レジャー ]@sanmotegiをフォローする

 先日「宝石のような言葉」の項を書いていたら、「宝石」という単語からの連想で、“珠玉”と題された開高健氏の短編集のことを思いだした。いま手元にあるのは1993年発刊の文春文庫版だが、私はこの作品を初出の「文學界」1990年新年号で読んだ記憶がある。アクアマリンやガーネット、ムーン・ストーンといった宝石類が印象深い。

 開高氏には“ロマネ・コンティ・一九三五年”という名の短編集もあり、どちらの作品にも女と酒場が出てくる。酒場といえば、“愉楽の銀座酒場”太田和彦著(文藝春秋)という本がある。銀座の酒場73軒を紹介した本で、“銀座百点”(銀座百店会発刊)という冊子に連載された文章を纏めたものだ。本文の一部を本の帯から引用してみよう。

(引用開始)

 銀座は日本一、いやもしかすると世界一のバーの街かもしれない。その中でも私にとって「テンダー」は別格だ。旧資生堂ロオジエの壁に貼られていた緑の大理石を薄く切り、背後から光を透かせた優雅な店内に、クリーム色のジャケットを着たバーテンダー五人がきびきびと動く光景は、まことに銀座らしい華やかさとプロの世界がある。(本文より)

(引用終了)
<同書帯裏の紹介文>

いかにも行ってみたくなるではないか。本のカバーには「テンダー」のバーカウンターの写真があしらわれている。“珠玉”「掌(て)のなかの海」の冒頭に出てくる酒場は“汐留の貨車駅の近く”とあるから、その店も銀座のはずれと云えなくはない。

 “銀座百点”という冊子は百店会の越後屋さんから戴くことが多いのだが、その2009年2月号を見ると、その前の月に連載を終えた太田氏と、切り絵作家の成田一徹氏の対談が載っている。その号には「切り絵でつづる銀座のバー」という成田氏の作品もある。成田氏の切り絵は繊細かつ重厚で、バーカウンターの鋭い直線が美しい。一丁目の「バー・オーパ」の絵もあるが、この店名は開高健氏のノンフィクション“オーパ!”から取ったものかどうか。

 成田氏の近作は、昨年刊行された“東京シルエット”(創森社)という本に纏められている。本の帯から引用しよう。

(引用開始)

首都の風貌
いきなり超高層ビルが林立したり、下町情緒たっぷりの路地裏が残っていたり……
東京の情景、様相を122枚のシャープなモノクロ切り絵で鮮烈に映し出す

(引用終了)
<同書帯表の紹介文>

ここに収められた切り絵は、朝日新聞の日曜版に連載されていた。

 “銀座百点”では、太田氏が連載を終えた2009年1月号から、こんどは村松友視氏が“一杯の珈琲から 銀座の喫茶店ものがたり”と題したエッセイを連載し始めた。楽しく読んでいたけれど、その連載が昨年の12月号で終わった。この地域密着型の情報誌は、小振りながら内容がとても充実している。12月号には、10月に亡くなった池部良氏の連載エッセイの最終回も載っている。毎月発行で2010年12月号が673号とあるから、かれこれ50年以上続いてきたわけだ。

 村松友視氏といえば、昨年の暮れに書き下ろしで発刊された“帝国ホテルの不思議”(日本経済新聞出版社)という本が面白い。本の帯から紹介文を引用しよう。

(引用開始)

虚と実が溶け合った職人芸が花開く舞台
誰でも知っている帝国ホテル、誰も知らない帝国ホテル……
現場の仕事人から炙り出される、一二〇年の歴史と伝統が生んだ、摩訶不思議な文化の砦

(引用終了)
<同書帯表の紹介文>

こちらもいかにも行って泊まって見たい。本のカバーには、ホテル内のオールドインペリアルバーの写真が使われている。そういえば以前何かの打ち合わせでエレベーター・ホールを通ったとき、車椅子に座った今は亡き森繁久弥氏を見かけたことがある。晩年帝国ホテルを定宿にしておられたのだろうか。

 帝国ホテルといえば、“帝国ホテル・ライト館の謎”山口由美著(集英社新書)という本も去年出た。“「帝国ホテル」から見た現代史”犬丸一郎著(東京新聞出版局)と三冊併せて読めば、日本の玄関といわれる老舗ホテルの歴史と今がよく分かるだろう。

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反重力美学

2010年10月12日 [ アート&レジャー ]@sanmotegiをフォローする

 人はなぜスピードに憧れるのか。高い山に登りたがるのか。螺旋階段に魅力を感じるのか。このことに関して、以前私は「Before the Flight」の項で、

(引用開始)

 人間は、常に重力によって大地に引き寄せられているので、それに逆らうものへ強い憧れを抱くようだ。走る男、空へ舞い上がる鳥、天を向いた植物の穂先、スポーツ・カーの流線型など、重力から逃れようとする運動や形態に対して、人間は本能的に美を感じ取る。

(引用終了)

と述べたことがある。

 先日「重力進化学」の項で、

(引用開始)

 交感神経と副交感神経のバランスによって我々の健康が保たれていることは免疫学のよく教えるところだが、全身に広がった交感神経によって、人間文化の発生の基となる「食べること以外」の調節が行われるようになったということであれば、改めて、人間の進化における「重力の影響の大きさ」について考えさせられる。

(引用終了)

と書いたけれど、この二つ(「重力に逆らうものへの憧れ」と「人間の進化における重力の影響」)は、互いに大いに関係があるのではないだろうか。すなわち、人は日々重力の影響を受け続けるが故に、重力に逆らう運動に美を感ずるのではないだろうか。

 とすると、「交感神経と副交感神経」の項で考察したように、交感神経の働きは<闘争か逃走か>ということであるから、重力に逆らうものに対する人の憧れの根底には、「交感神経の働き」がある筈だ。

 この交感神経由来の美学を、「重力進化学」に因んで、「反重力美学」と名付けることとしたい。

 以前「黄金比と白銀比」の項で、

(引用開始)

 英語の「リズム」の建築的代表例として相応しいのは、「螺旋階段」ではないだろうか。特に裾広がりの螺旋階段は、動的なリズム感に溢れている。

(引用終了)

と書いたけれど、「反重力美学」はまた、西洋的なリズム感を伴っている。速さや跳躍力を競う「オリンピック・ゲーム」の発祥地は、そもそもギリシャである。

 前回「三拍子の音楽」の項で、映画“2001年宇宙の旅”とワルツ“美しく青きドナウ”に関して、

(引用開始)

 この映画のなかで、“美しく青きドナウ”は、地球と月とを往復する宇宙船の背景音楽として使用された。西洋合理主義の行き着く先をHALの反乱によって暗示したキューブリック監督は、崩壊前の調和的な世界観を、この三拍子の優雅なワルツによって表現したかったのだろう。

(引用終了)

と書いたけれど、「反重力美学」の観点からも、このリズム感あふれるワルツは、無重力空間を行く宇宙船の背景音楽として相応しい訳だ。

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三拍子の音楽

2010年10月05日 [ アート&レジャー ]@sanmotegiをフォローする

 先日のNHK-BS「名曲探偵アマデウス」では、ヨハン・シトラウス2世の“美しく青きドナウ”を取り上げて、1867年に発表されたこの傑作の謎に迫っていた。なぜこの曲は人の心を浮き立たせるのか。

 まず旋律が美しい。また三拍子のワルツは安定していて心地良いということがある。さらにこの曲で使われるニ長調は、バイオリンの開放弦が共鳴する“レ”と“ラ”の音を含む調性なので、弦楽器の音が響きやすい。ニ長調は特に祝祭などで使われる調性だという。曲全体を構成する五つのワルツの繋ぎの妙、木管楽器とトロンボーンの音色の対比、旋律を支える合いの手の入れ方などなど、この曲は、確かに聴けば気分が高揚し、自然に体が動き出すような音楽である。日本の「一拍子の音楽」とは別様の、躍動感あふれる世界である。

 番組でも触れていたが、“美しく青きドナウ”といえば、映画“2001年宇宙の旅”(スタンリー・キューブリック監督)で使われた音楽としても有名だ。映画がリリースされたのは1968年だから、曲が発表されてから凡そ100年後のことである。

 私は1968年17歳の時に、この映画を観た。太古の地球に訪れる夜明け、猿の振り上げた動物の骨が宇宙船に変わる場面、宇宙船の内部描写、月面に隠されていたモノリス、HALの反乱、最後に現れる白い部屋と胎児の映像などなど、今でも私はこの映画の各シーンを鮮明に思い出すことが出来る。もっとも、その後70年代のパリを皮切りに、幾度もこの映画を観ているから、記憶は順次補強されてきているけれど。

 この映画のなかで、“美しく青きドナウ”は、地球と月とを往復する宇宙船の背景音楽として使用された。西洋合理主義の行き着く先をHALの反乱によって暗示したキューブリック監督は、崩壊前の調和的な世界観を、この三拍子の優雅なワルツによって表現したかったのだろう。

 そもそも“美しく青きドナウ”は、ハプスブルグ帝国が普墺戦争に破れ崩壊への道を歩み始める時期に、宮廷舞踏会指揮者だったヨハン・シトラウスが、祖国へのノスタルジアを込めて書いた曲だという。曲のタイトルは、ハンガリー詩人カール・ベックの、“美しく青きドナウのほとりに”という詩から取られた。「名曲探偵アマデウス」によると、この曲は初め合唱曲として書かれたらしい。番組から(日本語に訳された)合唱のナレーション部分を引用しよう。

(引用開始)

なんと青きドナウよ
谷と緑野を縫いながら
お前は静かに波打ち流れ
我らウィーンはお前に挨拶する
銀に輝くお前の帯は
国と国とを結びつけ
お前の美しい岸辺では
喜びの心が高鳴っている

(引用終了)

この郷愁を誘うワルツは、それから100年後、鬼才の映画監督によって、西洋合理主義への挽歌として使われたことになる。

 三拍子の音楽といえば、1968年から2年後の1970年5月に、ビートルズの最後のアルバム“Let It Be”が発表された。その中にある、ジョージ・ハリソン作曲の“I Me Mine”も三拍子のワルツである。私は1970年の夏、映画“Let It Be”を観た。ビルの屋上でのライブ演奏と並び、この曲に合わせてジョンとヨーコがワルツを踊っているシーンが想い出される。

 この曲がレコーディングされたのは、1970年1月3日のことだという。アルバム・バージョンは、プロデューサーのフィル・スペクターによってだいぶ加工されているけれど、1月3日のオリジナル音源が、1996年10月に発売された、ビートルズの“ANTHOROGY 3”に収録されている。以前「五つ星」で紹介した中山康樹氏の“ビートルズ全曲制覇”(笊カ庫)から、このオリジナル音源についてのコメントを引用しておきたい。

(引用開始)

 この《アイ・ミー・マイン》はすばらしい。3人がオーヴァーダビングをくり返してわずか1日で完成させたオリジナル・バージョン、短いながらも緊張感に富み、途中でテンポが変わるパートも違和感なく流れる。エンディングでうっすらとハーモニー(ジョージによるオーヴァーダビング)が聴こえる瞬間のなまなましさもこのヴァージョンならでは。

(引用終了)
<同書155ページ>

ここで3人というのは、ポールとジョージ、リンゴのことで、ジョンは休暇を取っていてこのセッションには参加していなかった。

 ポールとジョージ、リンゴの3人での録音といえば、1990年代の中ごろ、ジョンのオリジナル音源に3人がオーヴァーダビングした、“Free As A Bird”と“Real Love”のことを思い出す。中山康樹氏もそのことに触れておられる。

(引用開始)

『アビー・ロード』が最後になるはずだったが、1970年1月3日と4日、映画用に追加のレコーディングを行うためスタジオに集まる。ただしジョンは休暇中で、ポール、ジョージ、リンゴの3人となる。これがビートルズとして最後のレコーディングとなるが、その後“新曲”としてレコーディングした《フリー・アズ・ア・バード》もジョン不在、残る3人によって行われたことは、なにやら暗示的ではある。

(引用終了)
<同書24ページ>

ビートルズは、当初ジョン・レノン中心のロック・バンドだったけれど、次第に他の3人が力をつけていく。曲も多様化し複雑性を増す。やがてジョンがグループからフェードアウトすることで、バンドとしては「解散」に至るわけだが、その後の各人の活躍を考えれば、それは解散というよりも、むしろグループの「発展的解消」だったといえるだろう。

 それにしても、映画“2001年宇宙の旅”が発表された1968年当時、2001年は遥か先のSFの世界だった。今はなんと、それからさらに9年後の2010年である。光陰矢の如し。今年17歳の若者は、42年後の2052年、今の映画や音楽の何を、どう思い出すのだろうか。

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借りぐらしのArrietty

2010年09月07日 [ アート&レジャー ]@sanmotegiをフォローする

 2008年の「崖の上のポニョ」に続いて、今年の夏、スタジオジブリ製作「借りぐらしのアリエッティ」を観た。監督は米林宏昌氏、1996年にスタジオジブリに入社したアニメーターで、今回初めて抜擢されたという。

 東京西郊の洋館と、庭の草木を舞台にした、主人公の表情や躍動感が素晴らしい。物の大小、(大きくて小さな)生きものたち、英国製のドールハウス、小人たちの住む家の中のディテールなども素敵だ。セシル・コルベルさんの主題歌も良い。アリエッティと少年の心の交流、とくに最後の「アリエッティ、君は僕の心臓の一部だ」という少年の台詞が長く記憶に残る。

 以前の「崖の上のPonyo」の項で、

(引用開始)

 宮崎駿監督は、自然描写と、自然と共生する主人公を描くのが上手い。なかでも、「となりのトトロ」や「千と千尋の神隠し」、「もののけ姫」や「耳をすませば」(脚本・絵コンテ・製作プロデューサー担当)など、日本の自然と女の子を主人公とした作品はどれも素晴らしい。

(引用終了)

と書いたけれど、米林宏昌監督も、このジブリの伝統の一端を見事に守り発展させたと思う。今後さらに同氏の監督で、アリエッティとスピラーを主人公にした冒険物語なども見てみたいと思う。

 さて、「崖の上のPonyo」の項では、

(引用開始)

先回「公(public)と私(private)」のなかで、日本語的発想には、豊かな自然環境を守る力が育まれていると書いたけれど、その意味で、宮崎氏は日本語的発想に優れた監督である。

(引用終了)

とも書いた。このブログではこれまで、

A Resource Planning(R.P.)−英語的発想−主格中心
a 脳の働き−「公(public)」

B Process Technology(P.T.)−日本語的発想−環境中心
b 身体の働き−「私(private)」

という対比を見てきたが、「スタジオジブリ」のプロデューサー鈴木敏夫氏が、新聞に面白い記事を書いておられるので紹介しておきたい。

(引用開始)

 あるとき、加藤周一さんから直接教えられたことがある。
 江戸屋敷には設計図が無い。西洋の人が江戸屋敷を見学すると、その建築構造の複雑さに、これをどうやって設計したのか、大概の人が驚嘆するそうだ。回答は、日本の建物は部分から始める。まず第一に、床柱をどうするのか。つぎに床柱に見合う床板を探す。そして、天井板。その部屋が完成してはじめて、隣の部屋のことを考える。その後、“建て増し”を繰り返し全体が出来上がる。これとは真逆に、西洋ではまず全体を考える。教会がいい例だ。ほぼ例外なく、天空から見ると十字架になっている。で、真正面から見ると左右対称。その後、部分に及び祭壇や懺悔(ざんげ)室の場所や装飾などを考える。
 目から鱗が落ちた。長年連れ添った宮崎駿について本能で思っていたことが理屈で理解できた。彼の映画「ハウルの動く城」を思い出して欲しい。「鈴木さん、これ、お城に見える?」。そう言われた日のことを印象深く憶(おぼ)えている。宮崎駿は、まず、大砲を描き始めた。これが、生き物の大きな目に見えた。つぎに、西洋風の小屋とかバルコニーを、さらに大きな口めいたモノを、あげくは舌まで付け加えた。そして、最後に悩んだ。足をどうするのか。足軽の足か、ニワトリか。ぼくは「ニワトリがいい」と答えた。
 これが、宮崎駿が西洋で喝采(かっさい)を浴びる原因だ。西洋人には何が何だか訳が分からない、理解不能のデザインなのだ。だから、現地での反応も、豊かなイマジネーションだ、まるでピカソの再来だ、になる。(後略)

(引用終了)
<毎日新聞2/21/10より>

全体の構想(R.P.)よりも細部の積み重ね(P.T.)に力があるというのが日本語的発想の特徴だ。「スタジオジブリ」は、鈴木氏と宮崎氏の「ホームズとワトソン」的運営によって、また保育園設立などの「高度な経営」によって、これまで次々と優れた作品を生み出してきた。今後も、宮崎駿監督とその遺伝子を引き継ぐ若いスタッフ達の活躍に期待したい。

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黄金比と白銀比

2010年07月20日 [ アート&レジャー ]@sanmotegiをフォローする

 前回「一拍子の音楽」の項で、

(引用開始)

この英語の「リズム」と日本語の「間」との違いは、ことばの特徴(母音語と子音語)に根ざしているだけに、歌だけに止まらず、絵画や文学、デザイン、彫刻や建築、その他生活文化全般にまで及んでいるように思われる。

(引用終了)

と書いたけれど、今回は、建築面からこの違いについて考えてみたい。

 英語の「リズム」の建築的代表例として相応しいのは、「螺旋階段」ではないだろうか。特に裾広がりの螺旋階段は、動的なリズム感に溢れている。一方、日本語の「間」の建築的代表例として相応しいのは、「茶室」であろう。四畳半の茶室には、静的な緊張感が漲っている。

 以前私は「螺旋階段」の項で、箱根ポーラ美術館にある謎の螺旋階段について詮索し、そのあと以下のように書いた。


(引用開始)

 さて、螺旋というかたちで有名なのはDNAの二重構造だが、もうひとつ思い浮かぶのが「音階」である。螺旋と音階の関係については、「音律と音階の科学」小方厚著(講談社ブルーバックス)に詳しい。また、ポーラ美術館の螺旋階段は円柱状だが、純正律で音階を極座標上に表現すると、裾広がりの渦になるという。そういえば洋館の螺旋階段の多くは、そのような裾広がりの優雅な形をしている。

(引用終了)

裾広がりの螺旋、とくにフィボナッチ数列から生まれる螺旋には、「黄金比」と呼ばれる比率が潜んでいることがよく知られている。黄金比とは、クレジット・カードなどによく使われている約1対1.6の縦横比のことで、フィボナッチ数列の2項間の比は、その黄金比に近づいていく。螺旋階段以外でも、西洋の建築にはこの「黄金比」が多く使われている。黄金比について、“雪月花の数学”桜井進著(祥伝社黄金文庫)から引用しよう。

(引用開始)

 「黄金比」という言葉自体は、よくお聞きのことと思う。人間が美と調和を感じる、最も美しい比率としての数のことだ。「黄金律」とも言う。
 エジプト・ギザにあるクフ王のピラミッドや、アテネのパルテノン神殿、ミロのヴィーナス、ドミニク・アングルの絵画「泉」など、古来、建築物や芸術作品にこの黄金比が取り入れられてきたことは有名で、あの『ダヴィンチ・コード』の冒頭でもレオナルド・ダ・ヴィンチの「ヴィトルウィウス的人体図」が登場する。

(引用終了)
<同書16ページ>

 一方の茶室には、「白銀比」と呼ばれる比率が潜んでいる。「白銀比」とは、正方形における一辺と対角線との比(約1対1.4)のことで、茶室以外でも、日本の建築には「白銀比」が多く使われている。古いところでは、あの法隆寺(五重塔の庇・金堂の正面の幅・西院伽藍の回廊)にもこの白銀比が使われているという。

 黄金比と白銀比との対比について、再び“雪月花の数学”桜井進著(祥伝社黄金文庫)から引用しよう。

(引用開始)

 円に内接した正方形に対角線を引き、導き出されたのが「白銀比=√2」だった。第1章で紹介したように、日本人は大切なものに白銀比を使い、正方形を使う。それが日本人の気質を表している。実用的で、同時に無駄を省き、いたずらな華美を慎(つつし)み、質素倹約を旨とする、日本人本来の気質である。
 そして同時に、円の中の正方形は、それ自体で完結している。言い換えれば、形として閉じている。それゆえ、あくまでも静謐(せいひつ)にたたずんでいる。決して外へ出てゆこうとはしない。
 ひるがえって、黄金比が描き出す螺旋は、あからさまに西洋的なダイナミズムを表現する。外へ向かって拡大し、収束することを知らない。それが帝国主義的植民地政策につながるとまでは言わないが、螺旋の持つ外への発展性は、円と正方形の完結性とは、まったく対照的だ。螺旋は華美な装飾を生み、正方形は質素な静けさを呼ぶ。
 その意味では、黄金比と白銀比は正反対の数と言ってよい。すなわち黄金比は「動」であり、白銀比は「静」である。さらにその躍動感において、黄金比を「生」、白銀比を「死」になぞらえることもできる。
 ただし忘れてならないのは、両者は顔をそむけあっているわけではないということだ。人智を超えた存在――宇宙、大自然、生命、紙を解き明かす一つの鍵として、黄金比も白銀比もある。
 万物を動的に捉えるのが黄金比とするならば、白銀比はその一瞬を切り取って、静的に表現する。「死」を語れば語るほど、「生」を語ることになる。

(引用終了)
<同書90−92ページ>

 英語の「リズム」と日本語の「間」との違いは、「動」と「静」の対比として、それぞれ「黄金比(約1対1.6)」と「白銀比(約1対1.4)」をもって(視覚的に)表現されるのであろうか。

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