夜間飛行

茂木賛からスモールビジネスを目指す人への熱いメッセージ


暗号の手紙

2025年12月10日 [ アート&レジャー ]@sanmotegiをフォローする

 『秘密諜報員ベートーヴェン』古山和男著(新潮新書2010年)という興味深い本を読んだ。まず内容の概略を本の帯裏表紙から引用しよう。

(引用開始)

「わが不滅の恋人よ」と呼びかける、ベートーヴェンの熱烈な「ラヴレター」。宛名がないため、200年近くたった今でも、その相手は分かっていない。だが、ここに驚くべき仰天新説登場!この手紙はナポレオンのロシア遠征にからむ「暗号密書」だった!?「闘う男」ベートーヴェンの真の姿を描き出す壮大な歴史絵巻、ここに開幕!

(引用終了)

本書の章立ては次の通り。
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第一章 <不滅の恋人>への手紙とは
第二章 ナポレオンの大陸制度
第三章 ベートーヴェンとブレンターノ家の人々
第四章 一八一二年七月、テプリッツ
第五章 「手紙」の再検証
第六章 大崩壊
第七章 <不滅の恋人>の去ったヨーロッパ
第八章 結論
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 古山氏の主張は、この手紙は恋文を装った密書であり、反ナポレオン陣営(=守旧派)のエステルハージの動向を、改革派の親友フランツ・ブレンターノに伝えるために書かれたとするもの。ベートーヴェンは改革派に与していた。手紙はナポレオンがロシア遠征に出た時期、1812年7月にボヘミアのテプリッツで書かれた。恋文を装って情報を伝えたのは、当時のオーストリア帝国では秘密警察が手紙を検閲していたから。「不滅の恋人」とは「自由」の暗喩ではないか。

 フランス革命からナポレオン支配のこの時期、大陸では守旧派の貴族と改革派の実業家たちが権力のつばぜり合いを演じていた。ナポレオンの大陸封鎖(イギリス締め出し)が成功すれば実業家たちに有利、ナポレオンが失脚すれば貴族たちが復権する、という緊迫した状況下で手紙は書かれた。

 封鎖を搔い潜ってイギリスと密貿易を重ねるロシアに遠征したナポレオンが敗退すると、守旧派が大陸の権力を握る(1814-1815年のウイーン会議)。その後、ベートーヴェンはウイーンで長く幽閉状態に置かれた。かの交響曲第九番が発表されたのは守旧派の力が弱まったおよそ10年後の1824年。テーマは改革派が追い求めた不滅の恋人=自由。

 古山氏の主張はおよそこのようなものだが、本書はベートーヴェンの後援者・支持者たち(=改革派)と反ナポレオン陣営(=守旧派)の動向が詳細に描かれており、当時の歴史の勉強にもなった(ベートーヴェンをめぐる女性たちについても)。興味を持った方は是非本書をお読み戴きたい。

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『鳥居龍蔵伝』を読む

2025年01月30日 [ アート&レジャー ]@sanmotegiをフォローする

 『秋田…環日本海文明への扉』伊藤俊治=文/石川直樹=写真(亜紀書房)という本を読んでいたら、その第二章「北海の彼方へ」に『鳥居龍蔵伝』中薗英助著(岩波現代文庫)の紹介があった。『秋田…環日本海文明への扉』は、

(引用開始)

北限の秋田。先は魑魅魍魎が跋扈する未開の地……
しかし、「文明」の行き止まりとされたその地こそ、日本海以北の海を挟んで、大陸や島々の人々が行き交う北方民族たちの文化ネットワークへの玄関口であった。異国から来訪する「マレビト」が起動する文化変容。厳寒の雪国で洗練されていく精神と美意識。従来の枠を超えて美術/写真史を論じてきた美術史家が、故郷・秋田を歩きながら、その風土の深層へと分け入り、日本文化の底流にある異形の風景を鮮やかに現前させる。日本のもうひとつのルーツを解き明かす「裏日本史」。

(引用終了)
<本カバー裏表紙>

といった内容で、登場する人物は、芭蕉、西行(第一章)、鳥居龍蔵、小林多喜二(第二章)、藤田嗣治(第三章)、岡本太郎(第四章)、白井晟一(第五章)、ブルーノ・タウト、黒澤明(第六章)、平賀源内、宮沢賢治(第七章)、ニコライ・ネフスキー、岡正雄(第八章)、折口信夫(第九章)、土方巽、細江英公(第十章)など。みな秋田と特別な関りを持つ。

 『鳥居龍蔵伝』は、

(引用開始)

日本文化の源流と歴史の古層を求め、戦時下の東アジアを走破した人類学者・鳥居龍蔵。自由な学風を許さない時代、大学の要職を辞し、家族とともにフィールド・ワークを続けた鳥居は膨大な記録と写真資料を残したが、他民族への深い文化理解はいかに可能となったのか。その壮絶なる全生涯に挑んだ、大佛次郎賞受賞の大作。

(引用終了)
<<本カバー裏表紙>

というもので、副題は「アジアを走破した人類学者」。その目次は、

第一章 ドルメンじゃ!
第二章 新高山の白雪を踏む
第三章 「コロボックル」の謎を追って
第四章 妻きみ子との出会い
第五章 貴州苗族に「日本民族」を求めて
第六章 伊波普猷と沖縄調査
第七章 わがライフワーク「満蒙」
第八章 砂漠に契丹の都を追う
第九章 遼帝国の版図に遺るシャーマン
第十章 朝鮮に楽浪漢墓を発見
第十一章 シベリアに先住民を求めて
第十二章 人類学教室主任の椅子へ
第十三章 東大理学部を辞職
第十四章 長男パリに客死す
第十五章 ワール・マンハに藤原美術を見る
第十六章 戦火に耐えた家族探検隊
第十七章 インカ遺跡を訪ねて
第十八章 日米「北京原人」争奪戦
第十九章 侵略は空しく学芸は永し

となっている。鳥居龍蔵(1870-1953)のライフワークは契丹の遼代の研究だが、そのフィールド・ワークの足跡は、千島列島からシベリア、樺太、満蒙、朝鮮、台湾、西南中国、南米に及ぶ。本には彼の旅程を辿った地図も載っているので分かり易い。戦後よりも戦前の方が大陸へ行きやすかったことを差し引いても、その調査範囲の広さと調査回数の多さに驚く。

 鳥居龍蔵の著書『武蔵野及其周辺』(磯部甲陽堂、大正十三年)に収録された「武蔵野の高麗人(高句麗)」の内容について、以前「関東学」の項で森浩一と網野善彦共著『日本史への挑戦』を紹介した際に触れたことがある。

(引用開始)

網野 狩猟はもちろん中世でも全国でやっていますし、九州も盛んだったと思いますが、関東の狩猟は非常に長く深い伝統があるのでしょうね。ですから頼朝が政権を樹立すると、まず最初に関東の原野で大規模な巻狩をやって大デモンストレーションをします。(中略)
 馬に乗って弓を射るということから考えると、明治や大正の時代に書かれた関東についての諸論文についての評価というか注目度が弱いといえます。たとえば、大正七年(一九一八)に鳥居龍蔵先生が雑誌『武蔵野』にお書きになった「武蔵野の高麗人(高句麗人)」、あれは短い文章ですが、みごとに問題提起をした論文ですね。武蔵野には高句麗系の高麗氏が住んでいる、そしてそれが武蔵野の武人になるという流れで書いています。そういう発想はその後あまりないのですね。十年ほど前に埼玉県行田市の酒巻一四号墳で、馬のおしりに旗を立てた埴輪、まるで高句麗の壁画に描かれている馬を埴輪にしたようなものが、初めて出ました。埴輪の旗ですから一センチぐらい分厚いものですけど、あのときに「大和に出ればおかしくないけれど、なぜ埼玉に出たのだろう」という新聞談話がありましたが、なぜ鳥居先生の有名な論文を読まずに発言したのかと。鳥居論文を読んでいれば、「鳥居龍蔵先生が大正時代に見通されたとおりのものが出ました」でよいわけでしょう。

(引用終了)

私は古代史に関わる関心事として、日本列島への文化流入ルートとして、シベリアから北海道を経て東北や北陸へ、あるいは半島東側からリマン寒流と対馬暖流を使って船で日本海側各地へ伝わった筈のヒトとモノのトレースに興味を持っている。『秋田…環日本海文明への扉』にもいろいろと触発された。これからも研究したい。


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<少女党>としての三島由紀夫

2024年03月02日 [ アート&レジャー ]@sanmotegiをフォローする

 前回「荷風を読む IV」の項で紹介した『おとめ座の荷風』持田叙子著(慶応義塾大学出版会)に、荷風の『帰朝者の日記』という小説の登場人物春子に関して、次のような文章がある。

(引用開始)

 春子は音楽会に和服の最たる正装、美々しい三枚重ねで現われる。それでいて、アメリカの青年と英語で楽しく語らう。欧米の高官貴婦人に囲まれてまったく物怖じしない。この輝かな奇跡に自分(主人公)は打たれる。ちなみにこの春子登場にひそかに深く感動した読者がいる。三島由紀夫である。三島は春子の悠然としたおもかげを、あきらかに自作『春の雪』のヒロイン聡子に映した。
 聡子は、三島のいたく愛して手のとどかなかった高貴な女性を描くと伝わる。作者の至上のヒロインであることは間違いない。その聡子が恋人に招かれ、劇場へ歌舞伎を見にゆく場面に注目したい。荷風文学を敬愛する三島は、ここで歴然と『帰朝者の日記』における春子登場のイメージを活用する。
 シャンデリアきらめくロビーで聡子は、幼なじみの恋人・清顕がその留学を世話するシャムの王子たちに紹介される。聡子は英語を話さない。しかしいささかも悪びれず、「京風の三枚重ねを」ゆるゆると着こなした姿で王子たちに挨拶する。黙って花のように立つだけで、彼らを圧倒する。
 その高貴な態度に異国の貴公子ふたりは魅せられ、彼女は日本で会ったもっともうつくしい人だ、君はなんと幸せな男かと清顕にささやく。清顕は聡子を新鮮に見直し、身を捨ててもの恋に落ちる。聡子は世界のどこにも通ずる社交性を自ずとわきまえる。荷風と三島は共通し、こうした和洋の段差をものともしない豪胆な貴種女性と恋に流される夢想を持つ。

(引用終了)
<同書 151−152ページ(括弧内は引用者註)>

私もかねてから三島由紀夫(本名平岡公威)には、こうした知的な若い日本女性を主人公にした作品が少なからずあることに気づいていたので、持田さんの「荷風と三島の共通性」の指摘に我が意を得たりと思った。そういう作品を辿ると、三島にも女性党作家としての資格があるように思う。今回はそれらを幾つか紹介してみたい。女性党作家とは「女性性を敬愛し、日本女性の自立を支持・応援する作家」といったほどの意味で、平和と女性(おとめ)のイノセンスを愛するという意味で「少女党」とも。

(1)『夏子の冒険』(角川文庫)

藝術家志望の若者も、大学の助手も、社長の御曹司も、誰一人夏子を満足させるだけの情熱を持っていなかった。若者たちの退屈さに愛想をつかし、函館の修道院に入ると言い出した夏子。嘆き悲しむ家族を尻目に涼しい顔だったが、函館に向かう列車の中で見知らぬ青年・毅の目に情熱的な輝きを見つけ、一転、彼について行こうと決める。魅力的なわがまま娘が北海道に展開する、奇想天外な冒険物語! 文字の読みやすい新装版で登場。(文庫本のカバー裏表紙より。解説は千野帽子さん)
初版:1951年

三島は永井荷風と同じように、優しい母親に育てられた。しかし三島には幼い彼を溺愛した祖母がいて、そのころは母親からも離され遊ぶのに外にも出してもらえなかったという。その祖母の名前が夏子だった。荷風にも幼い頃祖母に育てられた時期があるけれど、それはむしろ徳川日本の遺風を享受する楽しい時間だったようだ。溺愛され鬱陶しくもあったけれどそれなりに敬愛した祖母を、魅力的なわがまま娘に仕立てて遊ぶ三島の悪戯心が面白い。

(2)『恋の都』(ちくま文庫)

26歳、才色兼備の朝比奈まゆみはジャズバンドのマネージャーだが、根っからのアメリカ嫌い。彼女の恋人五郎は過激な右翼団体の塾生だったが、敗戦と共に切腹したという。ジャズバンドに打ち込むことで辛さをまぎらわそうとしていたまゆみの下へ届けられた、一本の白檀の扇が運命を変える。敗戦後の復興著しい東京を舞台に、戦争に翻弄される男女の運命を描く。(文庫本のカバー裏表紙より。解説は千野帽子さん)
初版:1954年

1951年から52年にかけて三島は、北米、南米、ヨーロッパを巡る世界旅行をしている。この作品は帰国後に書かれたもの。

(3)『幸福号出帆』(ちくま文庫)

「私たちは幸福号という船(この船の名は誰にも秘密にして下さい。そうしないと私たちの身が危険になります)に乗って、日本を離れます。……」密輸に手を染め、外国へ高飛びせざるを得なくなった敏夫と義理の妹三津子。二人の幸福号とは? 恋とスリルとサスペンスに満ちたエンターテインメント。フランス伝統の物語形式を取り入れた実験小説でもある。(文庫本のカバー裏表紙より。解説は鹿島茂氏)
初版:1956年

三島は戦後すぐの混乱期に三歳年下の妹をチフスで亡くす。どこかで彼は妹の死の方が日本の敗戦よりもショックだったと書いていた。その妹の名前が主人公の女性と一字違う美津子。そういえは兄の敏夫も由紀夫と音が似ている。

(4)『お嬢さん』(角川文庫)

大海電機取締役の長女・藤沢かずみは20歳の女子大生、健全で幸福な家庭のお嬢さま。休日になると藤沢家を訪れる父の部下の青年たちは花婿候補だ。かすみはその中の一人、沢井に興味を抱く。が、彼はなかなかのプレイボーイで、そんな裏の顔を知り、ますます沢井を意識する。かすみは「何一つ隠し立てしないこと」を条件に、沢井と結婚するが…。結婚をめぐる騒動を描く、三島由紀夫エンターテインメントの真骨頂、初文庫化!(文庫本のカバー裏表紙より。解説は市川眞人氏)
初版:1960年

 以上四冊、どれもエンターテイメント系の小説だが、知的で行動的な日本女性の美徳を描いており、三島の女性党作家としての資格は充分にあると思う。少女党としての荷風の原点が、優しい母や祖母、鷗外・一葉といった先達作家達、西洋体験などとすれば、三島のそれは、優しい母親、早世した妹、鷗外・荷風などの先行作家、世界旅行といったところだろうか。

 女性党作家であることの裏付けとして、女性による三島由紀夫の解題(解説や評論・評伝)が多くあることもここに指摘しておきたい(勿論男性によるそれも無数にあるけれど)。例としては、上に挙げた『夏子の冒険』や『恋の都』の解説者千野帽子さん、『三島由紀夫 神の影法師』(新潮社)の著者田中美代子さん、『三島由紀夫の来た夏』(扶桑社)の横山郁代さん、『三島由紀夫 悪の華へ』(アーツアンドクラフツ)の鈴木ふさ子さん、『三島あるいは空虚のヴィジョン』(河出書房新社)のマルグリッド・ユルスナール、『三島由紀夫と檀一雄』(構想社)の小島千加子さんなどなど。

 さて、ここでは触れないけれど、三島の本格小説にも「女性党作家」面目躍如の小説はある。それはまた別の機会に論じることとしたい。

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荷風を読む IV 

2024年02月20日 [ アート&レジャー ]@sanmotegiをフォローする

 以前「荷風を読む III」の項で、永井荷風(本名永井壮吉)について「近代不在の明治以降をよく知るために、彼の文学と人生をさらに研究したい」と書いたけれど、最近その目的に相応しい『おとめ座の荷風』持田叙子著(慶応義塾大学出版会)という本が出版された。読後さっそくX(旧Twitter)に感想をアップしたが、こちらでも改めて感想を整理しておきたい。

 まずは先月17日Xに上げた文章の転載から。
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『おとめ座の荷風』持田叙子著(慶応義塾大学出版会、2023年)を納得しながら読んだ。持田さんはこれまで『朝寝の荷風』や『荷風へ、ようこそ』などで、永井荷風のフェミニンな要素を様々辿ってきたけれど、今回それらを統合し、一気に荷風を「女性党作家」として定立したその手並みに感じ入った。

『おとめ座の荷風』A 女性党作家とは「女性性を敬愛し、日本女性の自立を支持・応援する作家」といったほどの意味だろうか。平和と女性(おとめ)のイノセンスを愛するという意味で「少女党」とも。

『おとめ座の荷風』B 第I部でたっぷりと荷風を語ったあと、第II部では森鷗外、上田敏、与謝野晶子、森茉莉といった作家たちを荷風と並ぶ「少女党作家」と認定し、最後は「時代をひきいる少女党」という章を設けて、これからの時代を担うのは平和とおとめのイノセンスを愛する女性の力であると宣言。

『おとめ座の荷風』C 複眼主義で言えば、もともと日本語は女性性に偏したところがあるから、この言葉(日本語)を用いる作家はすべからく「女性党」であって不思議はない。しかし皆がそうでないのは、各種男性性優位の思想や妙な思い込みが素直な感性の表出を邪魔してしまうからであろう。

『おとめ座の荷風』D 「女性党」の作家の中でも、他言語(漢語や英語など)によって理知的な構成力や洞察力(男性性)を兼ね備えた人だけが、女性性と男性性のバランスを適度に保つことが可能で、優れた作品を残すことが出来るのだと思う。

『おとめ座の荷風』E さっそく荷風の『地獄の花』(岩波文庫)を取り寄せて読み始めた。そのあとは既読の『浮沈』(岩波文庫)や、読みさしの『よみがえる与謝野晶子の源氏物語』神野藤昭夫著(花鳥社、没後80年記念出版)も。『地獄の花』は1954年版のリクエスト復刊で旧かなの儘なのが嬉しい。
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以上のような次第だが、『おとめ座の荷風』Cで述べた複眼主義とは、このブログで提唱しているものの見方・考え方。複眼主義では、

A Resource Planning−英語的発想−主格中心
a 脳(大脳新皮質)の働き−「公(Public)」
A 男性性=「空間重視」「所有原理」

B Process Technology−日本語的発想−環境中心
b 身体(大脳旧皮質及び脳幹)の働き−「私(Private)」
B 女性性=「時間重視」「関係原理」

という対比を掲げ、AとBのバランスを大切に考える。ただし、
・各々の特徴は「どちらかと云うと」という冗長性あり。
・感性の強い影響下にある思考は「身体の働き」に含む。
・男女とも男性性と女性性の両方をある比率で併せ持つ。
・列島におけるA側は中世まで漢文的発想が担っていた。
・今でも日本語の語彙のうち漢語はA側の発想を支える。

だから、もともと日本語は女性性に偏したところがあり、この言葉を用いる作家はすべからく「女性党」であって不思議はないとした。しかし皆がそうでないのは、特に男性作家の場合、A側の思考特有の各種イデオロギーが、B側の感性の表出を邪魔してしまうからだろうと推察したわけだ。

『おとめ座の荷風』Dで書いたのは、各種イデオロギーに邪魔されることのない「女性党」作家であっても、考え方がAとBのバランスを欠いている(考え方全体がB側に傾斜している)と、次第に環境に阿(おもね)った作品しか書けなくなってしまうだろうという話。外国語を知らない作家に多い筈。

 今『地獄の花』を読み終えて、『浮沈』(正確な岩波文庫のタイトルは『浮沈・踊子 他三篇』)の再読に入ったところだが、この本のカバー表紙に「時代をするどく批判した文学者・荷風による抵抗の文学」という紹介の言葉がある。明治維新以降、薩長主体の政府は、個の自立、機会平等といった「西洋近代」を充分消化できず、次第に「軍国主義」に嵌ってゆく。敗戦後も、米軍の支配に甘んじている現政府は、「西洋近代」の諸価値を充分咀嚼しているとは言えない。東京で徳川日本の遺風の下に育ち、長く西洋に滞在した荷風は、そういう「近代不在の明治以降」を批判し、それに抵抗する作家だった。

 抵抗するに当り荷風は、そもそも日本語的発想が女性性に傾斜していることを踏まえ、日本女性の自立を支持・応援することで、抵抗の「橋頭保」を築こうとしたのではないだろうか。家族制度の影響もあっただろうが「近代不在の明治以降」には、戦前も戦後も、女性の公(Public)の世界への進出が決定的に足りないのだ。

 『後期近代』の項で書いたように、いま時代は「近代」から「後期近代」へと移り変わってきている。このブログではまた、今の時代の傾向を「モノコト・シフト」と呼んでいる。「モノコト・シフト」とは、“モノからコトへ”のパラダイム・シフトの略で、20世紀の大量生産・輸送・消費システムと、人のgreed(過剰な財欲と名声欲)が生んだ、“行き過ぎた資本主義”に対する反省として、また、科学の「還元主義的思考」によって生まれた“モノ”信仰の行き詰まりに対する新しい枠組みとして、(動きの見えないモノよりも)動きのあるコトを大切にする生き方・考え方への関心の高まりを指す。動きのあるコトは、複眼主義でいうA側の「空間重視」「所有原理」よりも、B側の「時間重視」「関係原理」との親和性が強い。後期近代をうまく乗り越えるには、複眼主義でいうB側の力がこれまで以上に重要になってくる筈。「これからの時代を担うのは平和とおとめのイノセンスを愛する女性の力である」という持田さんの宣言は、このような時代認識とも整合的なのである。

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ビートルズの新曲

2023年11月12日 [ アート&レジャー ]@sanmotegiをフォローする

 この11月にビートルズの新曲「Now And Then」がリリースされた。ジョンの元歌(デモレベル)から彼のボーカルとメロディを使って、ポールとリンゴ他がビートルズの曲として完成させたもの。スライドギターはポールだというがリズムギターがジョージか。リンゴのドラムスはいかにも。

 この曲、四人が参画しているというだけで貴重だけれど、元歌との比較で違いが二つある。ジョンの元歌ではI miss youの「you」の意味はYokoもしくは母親のJuliaと思われるが、Now And Thenでは元歌にあったI don’t want to lose you〜以下の部分がカットされ、youの意味がビートルズの四人、さらにはリスナーにとっての大切な人などに変っている。このことで「you」という言葉の意味に広がりが生まれた。それが一つ。二つ目は、「now and then」の意味がオリジナルの「時々」という意味から「今と昔」という意味に変化したこと。オフィシャル・ミュージックビデオを見るとそのことが解る。ビートルズ自身や、リスナー一人一人にとっての「今と昔」。このことで曲の時空も広くなった。

 新曲は、ジョンの声がクリアーになり、ストリングス、バックコーラスが入ってビートルズの最後の曲らしい出来に仕上がったと思う。YouTubeなどでの再生回数は初日だけで一千万を超えたという。音楽は人々の心を繋ぐ。近づくWWIIIの危機を音楽の力で回避させるべく、何かがこのタイミングでビートルズの最後の曲をリリースさせたようにも感じる。

 私がビートルズを聴き始めたのは、1963年から64年にかけてアメリカ・ニューヨークに住んでいた子供の頃のこと。それ以来ずっと彼らの音楽を聴いてきた。それから60年、様々な事があったけれど、いま(AIの力を借りて)こうして彼らの新曲を聴くことが出来るのを率直に喜びたい。

 ビートルズの主な年譜は以下の通り。

1962年10月 イギリスにて『Love Me Do』でデビュー
1964年02月 アメリカでエド・サリヴァン・ショーに出演
1966年06月 東京・日本武道館で公演
1969年01月 ロンドン・アップル社でルーフ・トップ・コンサート
1971年03月 解散
1980年12月 ジョン・レノン、ニューヨーク自宅前で射殺される
1995年11月 『The Beatles Anthology』発売開始
2001年11月 ジョージ・ハリソン病死
2021年11月 『The Beatles: Get Back』配信開始
2023年11月 『Now And Then』発表

 1962年、ビートルズがリバプールで活動を開始した頃、私は東京西郊に住む野球好きの少年(9歳)だった。それが銀行員だった父親のアメリカ転勤によって63年からニューヨークで暮らすことになった。エド・サリヴァン・ショーに出演するビートルズをテレビで観たのは、ラーチモントにある自宅近くの中華料理店でのこと。それ以来ビートルズとの長い付き合いが始まった。今、私はこの新曲を聴きながら、ビートルズの「今と昔」を自分の「今と昔」に重ねて回想している。

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江藤淳と石原慎太郎

2022年07月23日 [ アート&レジャー ]@sanmotegiをフォローする

 「集団の無意識」の項でみた戦後日本の無意識。同項では、戦後日本の無意識→国家統治能力(父性)の不在、と纏めた。それにチャレンジした二人の文学者について、文芸評論『百花深処』の方で論じたのでこちらにも紹介しておきたい。

江頭淳夫の迷走
石原慎太郎の焦燥

 詳細は上記に譲るが、この課題に対する二人の挑戦はどちらも失敗に終わる。尤もこれまで成功した人が居ないから、今も(日米安保と日米合同会議などによって)米軍支配が続いているわけだが。失敗から学ぶことは多い筈。敗戦を湘南で迎えた二人の少年(当時十二歳)。彼らのチャレンジとその方法を我々は記憶しておくべきだろう。

 尚、江藤と石原より七歳年上で、同じくこの問題に挑戦した文学者に三島由紀夫(本名:平岡公威)がいる。『百花深処』では、<平岡公威の冒険>と題して彼の自決の動機解明を連載している。併せてお読みいただければ嬉しい。

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北陸旅行

2022年06月05日 [ アート&レジャー ]@sanmotegiをフォローする

 先日来Twitterにアップしてきた北陸旅行に関する記事を、備忘録的にこちらにも載せておこう。今回の旅行は好天にも恵まれ、特に記憶に残るものとなった。

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北陸を旅行してきた。前回は金沢(2014)、今回は富山と能登半島を車で。天気も良く景色、宿、食事を堪能した。最近日本海側に魅かれる。以前書いたブログ記事「日本海側の魅力」はこちらからどうぞ。

能登半島@和倉温泉泊。翌日能登島から海沿いを北上し、九十九湾から飛騨山脈の眺望を楽しむ。珠洲を経て半島先端の禄剛崎灯台へ。そのあと海沿いを南下して映画「さいはてにて」のロケ地木ノ浦海岸へ。映画は永作博美主演の素敵な作品。その評論記事「女性による父性代行」はこちらから。

能登半島A木ノ浦海岸には映画でも使われた小さなカフェがあったという(いまあるカフェとは違うようだが)。安曇野の「ギャラリー・シュタイネ」では、そこで焙煎された豆を使って美味しい珈琲を淹れてくれていた。ご主人と映画の話をしていたときにお聴きした話。

能登半島B車の場合、能登半島・富山から松本・安曇野へは飛騨街道を南下して乗鞍岳と穂高岳の間にある安房トンネルを抜けるのが早い。今回の旅で帰路に利用した。安曇野ギャラリー・シュタイネでインスピレーションを得た小説「あなたの中にあなたはいない」はこちらからどうぞ。

能登半島C木ノ浦海岸から輪島方面へ。途中海岸沿いに連なる千枚田を見る。ねぶた温泉泊。沖合に遠く七ツ島が見える。予約顧客特典で旅館から輪島塗のお箸を頂く。翌朝輪島市の中心部を抜けて海岸沿いを南下。途中板壁と黒瓦の街並みを縫うように走る。昼頃羽咋市の氣多大社に到着。

能登半島D以前紹介した『古代史の謎は「海路」で解ける』長野正孝著(PHP文庫)には、能登一の宮・氣多大社(本殿の神は大己貴命)は、倭の五王の時代、出雲から丹後半島沖を経由して敦賀を漕ぎ進み羽咋海岸に到着した、交易舟の宿場だった筈とある(出雲神話に出てくる北門)。

能登半島E同書によると、当時邑知潟は10キロメートルほど深く湾入していて、潟が切れた場所から七尾市まで舟をひく陸路が整備されていた筈という。これにより羽咋に到着した舟は、能登半島をぐるりと回らずとも富山湾に出ることができた。そこからさらに富山、東北方面へ向けて交易舟が出発した。

能登半島F「能登半島の古代の海岸線と横断運河」地図(137ページ)に基づいて、氣多大社から2号線を七尾方面に向かう。右手は昔いかにも入江だったと思しき風景が続く。氣多大社のパンフレットによると、今でも三月には、七尾市所口町にある気多本宮まで、神輿が渡御する大規模な神幸祭があるという。

能登半島G2号線を七尾方面に向かう途中、史跡・雨の宮古墳群を見学。パンフレットによると、36基からなる古墳群は眉丈山(標高188m)の山頂を中心に、4世紀中ごろから5世紀初めにかけて作られた。1号墳は全長64mの前方後方墳で県内最大の規模、2号墳は全長65.5mの前方後円墳。それ以外は円墳。

能登半島H4世紀中ごろから5世紀といえば倭の五王の時代。以前紹介したブログ記事「古代史の表と裏 III」の古墳時代前期(250AC~400AC)と古墳時代中期(400AC~500AC)に当る。

能登半島I1号墳と2号墳は前方部を向かい合わせるように位置しており、ともに墳丘は2段に築かれ表面は葺石に覆われている。1号墳の埋葬施設からは銅鏡や短甲や腕飾りなど豊富な副葬品が出土した。2号墳は未調査。1号墳の上から南方向を眺めると昔入江だったと思しき風景が一望できる。

能登半島J「能登半島の古代の海岸線と横断運河」地図を見ると、この山頂古墳群は羽咋海岸から湾入した邑知潟の最深部に位置する。古墳は墓としてだけでなく、行き来する舟をガイドする灯台の役割、舟乗りたちの饗応の場などとして活用されていたのではないだろうか。

能登半島K古墳の足元に、天日陰比羽盗_社の小さな洞を見つけた。今神社そのものは古墳から離れた旧潟の南側にある。『古代史の謎は「海路」で解ける』に、「近世において潟の北側から移された能登国二宮天日陰比羽盗_社」(137ページ)とあるから、当時神社はこの山頂付近にあったのだろうか。

能登半島L神社の主祭神は天日陰比羽淘蜷_、屋船久久能智命、大己貴命、そして応神天皇。屋船久久能智命は木材と船の神。交易する舟と関係が深そうだ。山頂に築かれた大きな古墳、これだけの構造物を古代人が墓としてしか利用しなかったと考えるのは想像力が足りないと思う。

能登半M倭の五王については、2018年に出た『倭の五王』河内春人著(中公新書)が良書。著者は1970年生まれ。「倭王武は雄略天皇のことである」といった日本書紀偏重の史観から離れ、大陸と半島の歴史を丁寧に辿り列島の王たちの動きを推察する。『古代史の謎は「海路」で解ける』の内容とも整合する。

能登半島N七尾市に戻り石川県七尾美術館で「長谷川等伯展」を観る。等伯は桃山時代に活躍した七尾出身の画家。副題は「水墨・濃淡の妙vs着色・彩りの美」。水墨画では「松竹図屏風」、着色画では「四季花鳥図屏風」等。個人的には風に靡く柳の枝を軽快に描いた「四季柳図屏風」(右隻)が気に入った。

能登半島O今回は訪れることができなかったが、『イングリッシュハーブガーデン』(八坂書房)の著者横明美さんの素敵なコッテージガーデンが能登半島・穴水町鹿波にあるという。横さんはハーブス庭園史研究家。イギリスに庭園留学し、英国の庭園史やハーブガーデンに詳しい。

能登半島P横明美さんの『旅するイングリッシュガーデン 図説英国庭園史』(八坂書房)は400点もの美しい写真と絵画が載った魅力的な本。同書を参照させて貰ったブログ記事「ラファエル前派の絵画」はこちらからどうぞ。

富山@七尾市から湾沿いを走って富山市内泊。家内の父方の曽祖父が同市千石町の出ということで市内各所を歩く。曽祖父は明治のころ東京へ出てきたから当地の縁者等はわからない。千石町は市の中心部にある城址公園の南側にあった。街は緑が多く路面電車が四通していてとても暮らしやすそう。

富山A神通川沿いを南下して神通峡春日温泉泊。途中「おわら風の盆」で有名な八尾町へ寄った。八尾旧町は江戸時代から続く町人文化の町。曳山展示館で豪華な曳山三基、盆踊りのビデオなどを見学。蕎麦屋でざるそばを食した後、日本の道百選にも選ばれたという諏訪町通りを散策。

富山Bおわら風の盆は毎年9月1日から三日間行われる。「日本海側の魅力」の項で紹介した『裏が、幸せ。』酒井順子著(小学館)には、元禄時代に端を発する盂蘭盆会の行事だが、台風の頃に風を鎮める祈りを込めて行われることから「風の盆」と言われるようになったとある。

富山C神通峡春日温泉のホテルは建築家・内藤廣氏の設計。泊まった部屋は色調が上品な「イギリスの間」。館内の露天風呂からは神通峡のゆったりと流れる碧の川を眺めることが出来る。食事はレストラン「レヴォ」にて。同ホテルは『感動の温泉宿100』石井宏子著(文春新書)77ページに紹介文あり。

富山D同書には「この宿に滞在することはすべてがアートだ。建築家・内藤廣氏はリトリートであることにこだわって設計した。斬新な発想も取り入れた空間は挑戦的であるが、すっきりとしていて癒される。一つとして同じ部屋がないのも泊まる愉しみが増える」とある。

富山E内藤廣氏は早世した瀧脇庸一郎氏と早稲田大学理工学部建築科の同期。瀧脇氏は武蔵高校のバスケット部で私の一年先輩、惜しくも1993年腰肉腫で亡くなった(42歳)。切れ味の良いドリブルと正確なシュートが持ち味だった。内藤氏が彼と同期だったことは瀧脇氏への『追悼文集』の文章で知った。

新潟@東京から富山に向かう途中、妙高高原のホテルに一泊した。ここも『感動の温泉宿100』(18ページ)に紹介文あり。この場所から眺める絶景について「正面には斑尾(まだらお)山を中心に連なる山々、右手には神秘的な野尻湖や黒姫山、左は遥か遠くの佐渡島まで見渡せる」とある。

新潟A妙高のホテルから眺めた山や高原での記憶が蘇る。以前斑尾(まだらお)山で過ごした週末について書いたブログ記事「贅沢な週末」はこちらからどうぞ。
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以上、今回は5/8/2022から5/13/2022まで、五泊六日の旅だった。

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古代史の表と裏 III

2021年07月27日 [ アート&レジャー ]@sanmotegiをフォローする

 このブログでは最近、「古代史の表と裏 II」(5/23/2018)という記事がよく読まれているようだ。その内容理解の助けになるよう、『百花深処』の方でアップした古代史年表、<古代史の骨格>(7/20/2020)を以下に掲載しておきたい。

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「百花深処」 <古代史の骨格>

 古代史の本は色々とあるが、元国土交通省湾岸技術研究所部長・長野正孝氏の三冊の本(PHP新書)、

『古代史の謎は「海路」で解ける』(1/30/2015初版)
『古代史の謎は「鉄」で解ける』(10/30/2015初版)
『古代の技術を知れば、『日本書紀』の謎が解ける』(10/27/2017初版)

は、これまでの常識にとらわれない実務家目線の内容でとても興味深い。

 同書(三冊)のエッセンスの幾つかは、

●二世紀の倭国大乱とは、半島から押し寄せた大量難民による社会変革をいう。
●倭国大乱の後、倭人とは別の遊牧民族系の交易路が日本海にできていた。
●卑弥呼は、海峡を渡る指導力を備えた巫女ではなかったか。
●四世紀末から五世紀の頭、初めて瀬戸内海航路が開通した。
●巨大古墳とは、治水・灌漑・交易を考えた公設市場であった。

といったもので、正史『日本書紀』とは大きく異なる見解となっている。

 これまで、この「百花深処」やブログ『夜間飛行』でその内容に触れてきたが、全体を分かり易く把握するために、以下、氏の知見を編年体に纏めてみた。

〇弥生中期前半(400BC〜200BC)
<燕から列島に鉄が渡来し始めた時代>

燕が朝鮮半島周辺を治めている時代、朝鮮半島で鉄が作られ始め、倭人(半島南部と九州、日本海沿岸の海洋民族)の手によって、列島に鉄器が流れ始めた。彼らは丸木舟で対馬海峡(九州北岸−壱岐−対島−半島南岸)を渡った。列島には倭人の他、狩猟民族としての縄文人、農耕民族としての弥生人がそれぞれ居住していた。

〇弥生中期中葉(200BC〜100BC)
<半島に漢の楽浪郡ができ、倭人の定期的な鉄の国内交易が始まる時代>

倭人は、列島各地から勾玉、翡翠、黒曜石を集め、九州で船団を組み、対馬海峡を横断、交易により定期的に半島から様々な鉄器を持ち帰った。

〇弥生中期後半(100BC〜100AC)
<前漢が滅び、新の時代を経て後漢ができる時代>

この時代、船は刳り船から縫合船(準構造船)へと進化。倭人の拠点が豊岡に出来、そこから彼らは大船団を組んで渡航、半島から鉄鋌(てつてい)を持ち帰った。鉄鋌は列島内で鉄器として加工された(鍛造と鋳鉄が行われた)。

〇弥生後期前半(100AC〜200AC)
<高句麗が半島を南下、「倭国大乱」が起きた時代>

高句麗が半島を南下し楽浪郡を侵略、大量の鉄が北や東に馬の背で運ばれた。高句麗の侵略で、夫余(ふよ)、東沃沮(よくそ)、濊(わい)、挹婁(ゆうろう)といった国々から大量の難民が列島に押し寄せ、社会変革が起きた。これを漢人は「倭国大乱」と捉えた。難民は、サハリンから南下するリマン海流と、対馬海峡から日本列島沿いを北上する対馬海流とを掴み、列島日本海側沿岸各地に辿り着いた。渡航には筏や丸木舟を平行に複数結わいた幅広の舟が使われた。 

〇弥生後期後半(200AC〜350AC)
<卑弥呼の時代>

半島南部で鉄生産始まった。魏の支配が半島に及び、倭人の国々(丹後や出雲、敦賀など)は、魏に半島での交易を認めてもらうために、洛陽まで使者(難升米)を送った。卑弥呼(場所は丹後か)は、天気を占い、船を選び、組織で「海峡を渡る」指導力を備えた巫女ではなかったか。

〇古墳時代前期(250AC〜400AC)

「倭国大乱」で大型の準構造船(木材を棚のように組んで波除板を設けた、幅広の少し大型の外航船)の技術が列島に齎された。これで半島東海岸から潮(リマン海流と対馬海流)に乗ってゆっくり流れ着くような航法が一般化し、馬が運ばれるようになった。遊牧民族系の渡来が引き続き、倭人ルートとは異なる、日本海ルートの交易路が新たに開かれた。列島には、

@ 海洋民族としての倭人(九州・日本海沿岸)
A 狩猟民族としての縄文人(東日本)
B 農耕民族としての弥生人(西日本)
C 北方アジア由来の遊牧民族(信州・関東)

が揃うこととなった(括弧内は主な居住地)。

〇古墳時代中期(400AC〜500AC)
<倭の五王の時代>

倭の王(場所は出雲か)は、半島での交易路を確保するために高句麗と戦い、歴代中国王朝に朝貢した。航海には帆船が用いられるようになった。戦の敗退と共に高句麗系文化が、特に出雲やCの地域に浸透した。この時代初頭、瀬戸内海航路が開通し、伽耶と百済の救済(難民受け入れ)が行われた。

〇古墳時代後期(500AC〜650AC)

瀬戸内海を交易船や軍隊が通るようになった。列島でも製鉄が出来るようになった。近畿水回廊(敦賀‐琵琶湖‐大坂)も整備された。ヤマトの地に各民族による共同都市(都)が形成された。水路が四通し、治水、灌漑、交易を考えた巨大公設市場(巨大古墳)が各地に作られるようになった。

 以上だが、@が活躍する時代から、Cが列島に地歩を固めた時代、ヤマトに都が形成されるまでの画期が、船と航路、鉄と交易、戦いと難民・移民の動きと併せて、分かり易く追えるようになったのではないだろうか。
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 『百花深処』ではその後も、

遊牧民族の足跡>(7/28/2020)
遊牧民族の足跡 II>(9/5/2020)
ミヌシンスク文明>(10/22/2020)
蘇我氏について>(11/7/2020)

と古代史関連記事をアップしてきた。併せてお読みいただければと思う。

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荷風を読む III

2021年05月28日 [ アート&レジャー ]@sanmotegiをフォローする

 荷風の話を続けよう。前回「荷風を読む II」で紹介した岩波文庫三冊、

『浮沈・踊子 他三篇』
『花火・来訪者 他十一篇』
『問はずがたり・吾妻橋 他十六篇』

の他、同文庫から出ている荷風の作品を以下、列記・紹介したい(括弧内は第一刷発行年月、新版・改版がある場合はその第一刷発行年月)。

『夢の女』(1993年4月)

『あめりか物語』(2002年11月)
『ふらんす物語』(2002年11月)

『すみだ川・新橋夜話 他一篇』(1987年9月)

『江戸芸術論』(2000年1月)
『下谷叢話』(2000年9月)

『腕くらべ』(1987年2月)
『おかめ笹』(1987年4月)

『つゆのあとさき』(1987年3月)
『墨東綺譚』(1991年7月)

『荷風随筆集(上) 日和下駄他十六篇』(1986年9月)
『荷風随筆集(下) 妾宅他十八篇』(1986年11月)

『摘録 断腸亭日乗(上)』(1987年7月)
『摘録 断腸亭日乗(下)』(1987年8月)

以上十四冊だが、岩波のサイトによると他に品切れとして『珊瑚集 仏蘭西近代抒情詩選』『地獄の花』『雨瀟瀟・雪解』がある。

 荷風は明治36年(1903)9月から明治41年(1908)7月まで、アメリカ・フランスに滞在した。『夢の女』と『地獄の花』はそれ以前に出版された小説。エミール・ゾラの影響が強いという。

 『あめりか物語』と『ふらんす物語』は、滞米滞欧中に執筆した短編を纏めたもの。『すみだ川・新橋夜話 他一篇』は帰朝後数年のうちに書かれた小説集。他一篇とあるのは明治42年に発表された短篇「深川の唄」で、『永井荷風巡歴』菅野昭正著(岩波現代文庫)はこれを荷風の小説の《始まり》としている。

 『江戸芸術論』は浮世絵などを論じた評論集。『下谷叢話』は母方の祖父鷲津毅堂やその周辺の幕末維新漢詩壇の人々を描いた史伝。師と仰ぐ森鴎外の史伝に触発されたという。『腕くらべ』『おかめ笹』『つゆのあとさき』『墨東綺譚』は言わずと知れた荷風中期の小説群。

 『荷風随筆集(上) 日和下駄他十六篇』『荷風随筆集(下) 妾宅他十八篇』は随筆を集めたもの。『摘録 断腸亭日乗(上)』『摘録 断腸亭日乗(下)』は38歳(1917)から79歳(1959)まで42年間に亘って書き続けられた日記の摘録。

 「荷風を読む II」で見たように、荷風が自分の文学と合致させようとした人生の一面は“正しい言葉があり得ない場所を生きる人生”というものだった。若くして西洋に滞在した荷風は、「近代」を生きる作家として、明治以降の日本を近代不在(疑似近代)と捉え、「正しい言葉があり得ない場所」としてそこを小説に描き、日記に書き綴った。日本の近代不在に対する荷風の悲嘆については、「社会と国民」の項で紹介した『「社会」のない国』(菊谷和宏著)などに詳しい。もう一つの面は、“戦争に否をとなえ、生の美しさ、楽しさを愛する人生”。荷風は生まれ育った環境から日本の「近世」を身近にとらえ『江戸芸術論』や『下谷叢話』、『荷風随筆集(上)(下)』などにそれを理想郷として描いた。

 去年、文芸評論「百花深処」の方で、「古代」と「中世」の結節点に立つ人として西行を論じた(<西行考>)が、明治・大正・昭和を生きた荷風は、「近世」と「近代」の結節点に立つ人として重要だと思う。その結節点は、

(1) 江戸と西洋
(2) 儒教とキリスト教
(3) 下町と山の手
(4) 江戸幕府と明治政府以降

といったいくつかの軸で分析できよう。江戸、儒教、下町が「近世」の、西洋、キリスト教が「近代」、山の手と明治政府以降が「疑似近代」の諸要素。近代不在の明治以降をよく知るために、彼の文学と人生をさらに研究したい。

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荷風を読む II

2021年04月30日 [ アート&レジャー ]@sanmotegiをフォローする

 以前「荷風を読む」という項をアップしたのは4年前、2017年8月のこと。『老いの荷風』川本三郎著(白水社)に拠って永井壮吉(ペンネーム永井荷風)の晩年の作品背景を知ることができるのは有難いと書いたのだが、その後、手頃な文庫形式によってそれらの作品が相次いで出版された。

『浮沈・踊子 他三篇』(2019年4月)
『花火・来訪者 他十一篇』(2019年6月)
『問はずがたり・吾妻橋 他十六篇』(2019年8月)

いずれも岩波文庫。それぞれの紹介文を本カバー表紙から引用しよう。

(引用開始)

『浮沈・踊子 他三篇』

昭和10年代の東京を舞台にして、ヒロインの起伏にとんだ日々を描いた『浮沈』,浅草の若い女性が逞しく生きる姿を活写した『踊子』。「蟲の声」「冬の夜がたり」「枯葉の記」は,散文詩の如き小品。戦時下に執筆され、終戦直後に発表,文豪の復活を告げた。時代をするどく批判した文学者・荷風による抵抗の文学。(解説=持田叙子)

『花火・来訪者 他十一篇』

祭典と騒乱の記憶から奇妙な国の歴史を浮かび上がらせる「花火」,エロスの果てに超現実を垣間見せる「夏すがた」,江戸情調を文章に醇化した戦前の小説,随筆を精選した。「来訪者」は,戦中に執筆,終戦直後,発表の実験小説。贋作問題と凄愴の趣を込めた男女の交情に、「四谷怪談」や夢の世界が虚実相半ばして交響する問題作。(解説=多田蔵人)

『問はずがたり・吾妻橋 他十六篇』

荷風の戦後は「問はずがたり」とともに始まる。一人の画家の眼を通して,戦中戦後の情景が映し出される。若い女性の心象を掬いとる「吾妻橋」「或る夜」「心づくし」「裸体」。下町を舞台とした戯曲「渡鳥いつかえる」。戦禍を生き抜き,新たな生を受けとめる人々への哀感と愛惜のまなざし。戦後の荷風文学がよみがえる。(解説=岸川俊太郎)

(引用終了)

 昭和16年(1942)12月8日に書き始められた「浮沈」は、解説者の持田さんによると、1936年にアメリカで出版された『風と共に去りぬ』(マーガレット・ミッチェル著)と構図がよく似ているという。

(引用開始)

 日米開戦の日に書き始められた荷風晩年のもっとも大きな長編小説「浮沈」とは、かつて留学したアメリカへの思いも濃密にこめて、山の手の優しい母なる旧世界の滅亡にあらためて愛をささげる、荷風版<風と共に去りぬ>でもあるのではないだろうか。
 その問題もふくめ、戦下に書かれたこの作品には、荷風らしい反骨精神の表れとして、西洋の文化がかぐわしく薫る。

(引用終了)
<同書 285ページ(解説)>

 昭和19年(1944)4月に脱稿した「来訪者」は、きわめて複層的な実験小説だ。作中に出てくる「怪夢録」という短篇は偽書なのだが、よく似た「夢」という作品が後日公刊されている。解説者多田氏の文章を引用したい。

(引用開始)

 「わたくし」が書いたという「怪夢録」の筋書きは、贋作者である白井の艶物語とあちらこちらで呼応する。「怪夢録」では女が金の蛇を漬けた酒を持ってあらわれるのに対し、白井と交渉をもつ未亡人は「蛇屋の娘」。「怪夢録」で夢中の夢に女に会う前には夕陽が「火の海」のように見えたとされるが、白井は未亡人の風貌にダヌンツィオの「火焔(イルフォコ)」を思い起こす。白井は「新四谷怪談」なる小説を構想するが、「東京近郊のひらけなかった頃の追憶」にもとづく「怪夢録」の叙景には四谷怪談の舞台が含まれていた。おまけに「わたくし」の原稿を体裁や書体、印まで本物そっくりに仕立てた白井は、ふと旧友を思い起こすほど「わたくし」の好みにかなった人物であるとされる。「わたくし」にある意味でよく似た白井が「わたくし」の自筆を贋作し、贋作者である白井の話を、かつてよく似た話を書いた「わたくし」が虚構にしている。贋作者事件以来白井を見ていない「わたくし」の行文がリアリティをもつのは、文学の好みが白井と同じで、白井が感じるはずのことを筆にできるという、いわば偽者による保証があるからだ。
 『来訪者』はこうしたしかけをもとに、実物と贋作との関係を鏡合わせのようにくりひろげてゆく。自筆と贋作、実作者の旧稿と贋作者の体験、探偵の報告書と木場による白井の話、「わたくし」が現在書いている小説、などなどの伝聞や文書はたがいちがいに重なりあっていて、白井の話と「わたくし」の話を腑分けするどころか、本物とフェイクを見分けることさえむずかしい。極端にいえばこの小説はすべて白井が作り上げた話を「わたくし」に書かせているのだといった荒誕さえゆるしかねないような情報の網を、荷風はしたたかに張り巡らせているのである。(中略)
 複数の確からしい物語によって、正しい言葉がありえない場所の輪郭を描くこと。作品が公刊された後の昭和二七年(一九五二)には、「怪夢録」とほぼ同じだが少し違う内容を持つ『夢』(昭和五年稿)の原稿が、しかも複製によって公開されている(原本は阪本龍門文庫所蔵)。『夢』の公表をゆるす行為が『来訪者』の見え方をどう変えているか、ぜひ読者に確かめていただければと思う。奇妙な映像や言行を世間にふりまき、何か複製めいた作品をさかんに書いている戦後の荷風の姿も、この論理をたどった先にあるのではないかと、今は考えている。

(引用終了)
<同書 276−278ページ(解説)傍点省略>

興味深い分析だ。

 これら岩波文庫と前後して、中公文庫からも、

『麻布襍記―附・自選荷風百句』(2018年7月)
『葛飾土産』(2019年3月)
『鷗外先生―荷風随筆集』(2019年11月)

の三冊が出た。それぞれの紹介文を本カバー裏表紙から引用する。

(引用開始)

『麻布襍記―附・自選荷風百句』

永井荷風は大正九年五月、東京・麻布市兵衛町に居を移し、以来、洋館「偏奇館」に二十五年暮らした。本書は彼の地で執筆した短篇小説「雨瀟瀟」「雪解」、随筆「花火」「偏奇館漫録」「隠居のこごと」など全十四編を収める。抒情的散文の美しさを伝える作品集。「自選荷風百句」を併録する。
巻末エッセイ・須賀敦子

『葛飾土産』

麻布・偏奇館から終の棲家となる市川へ。「戦後はただこの一篇」と石川淳が評した表題作ほか、「東京風俗ばなし」などの随筆、短篇小説「にぎり飯」「畦道」、戯曲「停電の夜の出来事」など十九編を収めた戦後最初の作品集。巻末に久保田万太郎翻案による戯曲「葛飾土産」、石川淳「敗荷落日」を併録する。
<巻末エッセイ>石川美子

『鷗外先生―荷風随筆集』

森鷗外を生涯師と仰いだ荷風。「森先生の伊沢蘭軒を読む」「鷗外記念館のこと」などの随筆、大正十一年〜昭和三十三年の鷗外忌の日録を収める。そのほか向島・浅草をめぐる文章と、自伝的作品を併せた文庫オリジナル随筆集。巻末に谷崎潤一郎・正宗白鳥の批評を付す。
<解説>森まゆみ

(引用終了)

 そして去年(2020年)1月、『花火・来訪者 他十一篇』の解説者多田蔵人氏の編集による『荷風追想』が岩波文庫から出版された。本カバー表紙裏の紹介文には、

(引用開始)

明治・大正・昭和にわたる文豪、永井荷風。近代文学に深い刻印を残した荷風は、時代ごと、また場所ごとに、実に様々な面影を残した人でもある。荷風と遭遇し、遠くから荷風を慕った同時代人の回想五九篇を選んだ。荷風と近代を歩くための、最良の道案内。

(引用終了)

とある。

 明治・大正・昭和を生きた荷風の著作は、小説、日記、随筆、訳詩、戯曲、俳句など多岐に亘り、その数も多い。「荷風を読む」の項の最後に、“荷風は自分の文学と人生を合致させようとした”という持田さんの書評文章を引き、何が彼をしてそのような生き方を選ばせたのか考えてみたいと書いたが、これらの文庫を読みながら、それと併せ、“荷風が自分の文学と合致させようとした人生とは何か”についても考えたい。

 持田さんの書評には“戦争に否をとなえ、生の美しさ、楽しさを愛する人生”とあったが、多田氏のいう“複数の確からしい物語によって、正しい言葉がありえない場所の輪郭を描くこと”が荷風の論理だったとすると、合致させるべき人生は、不穏で敗北的なものということになる。生の美しさと楽しさを愛する人生と、正しい言葉があり得ない場所を生きる人生。合わせ鏡のような二つの人生を一身に負うたがゆえに、それと合致せし荷風の文学はかくも味わい深いのだろうか。

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春の宵に

2021年03月08日 [ アート&レジャー ]@sanmotegiをフォローする

 少しづつ春めいてきた今日この頃。友人(K-Kodama君)とのバンド「HUSHBYRD」のサイト上にある、「This Month’s Recommendation」というコーナーに、春の曲を2曲載せたので暇なときに聴いてみて頂ければと思う(サイトをクリックしてホームページ画面に入り、下にスクロールしてもらうと「This Month’s Recommendation」のコーナーがある)。

 とくに「Haru-no-Ame(春の雨)」という曲は、今日のような春雨の宵に聴くとちょうどよいかもしれない。歌詞を引用しておこう。

宵待ち軒をいま   辿る春の雨
忘れられし雪を   濡らすように

そんなひとりの夜は 過ぎし日の声が
時のすきまから   聞こえてくるような

桜まだ遠き     空に描く春は
おぼろに霞の中を  あ〜漂う

淡く濡れた夜の   映すその影が
時のしじまから   心呼び戻して

もう一度 もう一度 やさしい微笑みを
春の光が      暖かな手で包むまで

宵待ち軒をいま   辿る春の雨
忘れられし雪を   濡らすように

そんなひとりの夜は 過ぎし日の声が
時のすきまから   聞こえてくるような

曲のところにある♪記号をクリックするとそこでも歌詞がよめる。

 もう一つの「Haru-wa-Sokomade(春はそこまで)」という曲は、病にある旧友に向けて「春はそこまで来てる」と歌ったもの。併せてどうぞ。

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“世間”の研究

2020年12月27日 [ アート&レジャー ]@sanmotegiをフォローする

 「日本語を鍛える」の項などで書いてきた日本の“世間”というものを、推理小説の形で描き続けているのが、作家横山秀夫氏だ。1957年東京生まれ、国際商科大学(現・東京国際大学)卒業、上毛新聞記者(12年間)を経て作家として独立、とウィキペディアにある。2005年に単行本が出た氏の5作目の長編小説『震度0(ゼロ)』(朝日文庫)は、N県警察本部で起こる警務部警務課長の失踪がテーマ。本カバー裏表紙の紹介文には、

(引用開始)

阪神大震災の前日、N県警警務課長・不破義仁が姿を消した。県警の内部事情に通じ、人望も厚い不破が、なぜいなくなったのか? 本部長をはじめ、キャリア組、準キャリア組、叩き上げ、それぞれの県警幹部たちの思惑が複雑に交差する……。組織と個人の本質を鋭くえぐる本格サスペンス!

(引用終了)

とある。警察という組織は、階級や先輩・後輩関係がものをいう閉鎖的な世界だから、“世間”の特徴を描き出すのにうってつけだし、仕事上常に共同体のリアルと対峙しているからドラマが作りやすい。

 作品は県警の幹部公舎と本部庁舎を舞台に、震災発生の朝から3日間(約53時間)の出来事として、警務課長失踪の謎が(65の章に分けて)描かれる。震災発生当日AM5:48本部長公舎が1の章、3日目AM10:35県警警備部長室が65番目最後の章。場面は全部で15か所、

《N県警幹部公舎》
・本部長公舎
・警務部長公舎
・刑事部長公舎
・警備部長公舎
・交通部長公舎
・生活安全部公舎
・総務課長公舎

《N県警本部庁舎》
・県警本部庁舎
・2F本部長室
・2F 警務部長室
・5F刑事部長室
・別館2F警備部長室
・別館2F警備第二課
・3F交通部長室
・4F生活安全部長室

話は時間を追ってこれらの場面を巡り、そこでの登場人物の思惑、会話や電話、背景説明や会議の模様などを通して、事件の全貌が少しづつ見えてくる仕掛けになっている。主な登場人物は、

〇本部長・椎野勝巳、46歳、警視長。警察庁キャリア
〇警務部長・冬木優一、35歳、警視正。警察庁キャリア
〇刑事部長・藤巻昭宣、58歳、警視正。地元ノンキャリア
〇警備部長・堀川公雄、51歳、警視正。警察庁準キャリア
〇交通部長・間宮民男、57歳、警視正。地元ノンキャリア
〇生活安全部長・蔵本忠、57歳、警視正。地元ノンキャリア

とその妻たち。勿論失踪した警務課長・不破義仁とその妻、さらには地元の商工会議所や闇金融業者、新聞記者といった面々もストーリーに関わる。

 県警幹部公舎と本部庁舎という閉じた空間における、同調圧力や妬み嫉みなどの「情」に支配された男女の振舞いを、試験管の中の化学変化を観察する科学者のような目で横山氏は綿密に描き出す。そこにはまた、「三つの宿痾」の項で述べた、人の過剰な財欲と名声欲、官僚主義や認知の歪みが絡んできて、ドラマが複雑になり謎が深まる。

 小説タイトルの『震度0(ゼロ)』とは、警務課長失踪という不測の事態に直面したN県警幹部たちの慌てふためき振り、県警という狭い“世間”での激震を、震度7ともいわれる阪神・淡路大震災の実際と比べた著者の皮肉なのだろう。この作品に限らず横山氏の小説は、人間観察の深さとその描写力において他の類似する推理小説を凌ぐと思う。“世間”を研究する上でも一読をお勧めしたい。

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Merry Christmas! 2020

2020年12月08日 [ アート&レジャー ]@sanmotegiをフォローする

 友人(K-Kodama君)とのバンド「HUSHBYRD」のサイトに、2020年クリスマスのための新曲をアップしたのでどうぞ(サイトをクリック)。

 曲名は「Proof Of Life」。イソップ寓話の「金の斧」を下敷きにしたもので、Beatlesの「Norwegian Wood (This Bird Has Flown)」と同じ3拍子の作品。

 数えてみたら、この曲を含めて今年に入ってからすでに14曲をアップしている。曲ほとんど相棒K-Kodama君主導で作るのだが私の作詞や作曲もある。曲名とアップした月を順番に書き出してみると、

1.「Without You」(2月)
2.「Be Right There」(2月)
3.「ジェニーはご機嫌ななめ」(2月)
4.「桜の川岸で」(7月)
5.「春の雨」(7月)
6.「La Sceine」(7月)
7.「Glory Air」(7月)
8.「君はボクのStarlight」(7月)
9.「Gallop」(8月)
10.「Flower Never Bends」(8月)
11.「Night In Prague」(10月)
12.「On My Way」(10月)
13.「Proof Of Life」(11月)
14.「Chicago」(11月)

2月から7月の間にアップがないのは、コロナ禍の影響で原村のスタジオに出かけられなかったせい。

 下手な歌唱力ではあるが楽しんでやっている。暇があって昔っぽい曲の好きな人は、サイト内にある「To The Albums」というボタンをクリックして聴いてみて欲しい。

1.から3.までの曲は7枚目のアルバム『CEDER BREEZE』に収録。
4.から13.までの10曲は8枚目のアルバム『AIR TWISTER』に収録。
14.は9枚目の新アルバム『DOTS & BOWLS』に収録。

一つか二つ気に入ってもらえる曲があるかもしれない。サイトへの投稿も歓迎!

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Merry Christmas! 2019

2019年12月20日 [ アート&レジャー ]@sanmotegiをフォローする

 友人(K-Kodama君)とのバンド「HUSHBYRD」のサイトに、2019年クリスマスのための新曲をアップしたのでどうぞ(サイトをクリック)。

 曲名は「For Yor Day」。去年の「Red Umbrella」の続編で、北極の教会で結婚式を挙げるトナカイ・カップルへ、サンタが訓戒の言葉を贈る。歌詞にはそう書いていないけれど、まじめな言葉が、実はいつも橇を引っ張てくれているトナカイ・カップルのためのものと知って聴くと、可笑しみが湧くと思う。プレゼントを配りに出かけるサンタの橇の鈴音が最後にかすかに聴こえる。

 そのあとにアップした曲「Sultan」も紹介しておこう。Dire Straitsの影響を受けて作られた構想一年の労作。ストーリーは『十字軍物語』塩野七生著(新潮文庫)を下敷きに、ロンドンの地下鉄で歌うArabの青年と、貴族の男から逃避行を企てるBlondeとの恋の物語。メロディラインが4つも5つもあって纏めるのが大変だったし、歌詞を乗せるのにも苦労した。少々長いが、音符マークをクリックして歌詞を読みながら聴いてもらうと、より楽しんでいただけると思う。

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幕末史の表と裏

2019年06月11日 [ アート&レジャー ]@sanmotegiをフォローする

 「戦国史の表と裏」の項で、“明治政府が作り出した国体(天皇の国民)は、秀吉と家康の裏史があってはじめて成立し得たのではないか”と書いたが、幕末史の表と裏について、『百花深処』<幕末の国家統治>と<「神国日本」論 III>の二項にまとめた。裏史としては「薩長の中間(ちゅうげん)・下級武士、京都の下級公家たちが将軍家茂と孝明天皇を暗殺し明治天皇をすり替えた」というもの。<幕末の国家統治>の項で、

(引用開始)

 科学発展、交易促進、武力誇示、資本主義、政教分離、民主政治、平等、個の自立、といった今に通ずる西洋近代の価値観は、徳川幕府が<代議制>の項などで論じた近世のあらまほしき統治形態、

〇 中央政治(外交・防衛・交易)は預治思想による集権化
〇 地方政治(産業・開拓・利害調整)は天道思想による分権化
〇 文化政策(宗教・芸術)は政治とは切り離して自由化

「預治思想」=「天命(民意)を預かり治める(代議制)」
「天道思想」=「自然を敬う考え方」

を取っていれば、なんとかその中で対応・吸収できたかもしれない。しかしそうでなかったため幕府は崩壊せざるを得なかった。

(引用終了)

と書いたが、幕末、遅ればせながら上記統治形態を考え得たとすれば、それは14代将軍家茂ではなかったか。12代家慶は黒船来航の混乱のなかで死去、13代家定は健康面に不安を抱えていたし、15代慶喜は大政奉還を行った当人である。

 家茂は、安政5年(1858)の将軍就任以来、3回も上洛している。文久3年(1863)の初回上洛は、徳川家光以来229年ぶりのものだった。家茂は本来江戸にいて朝廷から距離を置き、西洋に学びながら衆知を集め、まず民意に基づく統治正当性の確立を目指すべきだったと思う。

 そうして国内を一致団結させた後、「父性の系譜」でみた、

(1) 騎馬文化(中世武士思想のルーツ)
(2) 乗船文化(武士思想の一側面)
(3) 漢字文化(律令体制の確立)
(4) 西洋文化(キリスト教と合理思想)

というこの4つのA側の国家統治能力(父性)と、「反転法」という国家統治には向かないが文化・芸術面で効力を発揮するA側の力を、

〇 中央政治(外交・防衛・交易)
〇 地方政治(産業・開拓・利害調整)
〇 文化政策(宗教・芸術)

に上手く割りふってゆく。そうして国力を高める。

 そもそも幕末に公武合体の動きが生じたのは、幕府における(1)が弱体化し、政策決定に関して、幕府が京都朝廷に奏聞するようになってしまったからだ。背景には、尊王思想(国学・水戸学)の広まりがあり、その要因には、幕府統治正当性の理論付けが弱かったことが挙げられる。その遠因として、「戦国史の表と裏」でみた、家康の出自の問題があっただろう。「近世のあらまほしき統治形態」は、尊王思想とは相いれない。

 暗殺やすり替えはどこの国でもある。このブログでは複眼主義と称して、

A Resource Planning−英語的発想−主格中心
a 脳(大脳新皮質)の働き−「公(Public)」

B Process Technology−日本語的発想−環境中心
b 身体(大脳旧皮質及び脳幹)の働き−「私(Private)」

という対比を述べている(A側は長く漢文的発想が担っていたが、戦国時代以降、漢文的発想と英語的発想とは共存、その後長い時間をかけて前者は後者に置き換わってゆく)。統治に関して、A側はその正当性を常に問うから、社会のABバランスが取れていれば、悪事はいつか(権力が移ったとき)公(おおやけ)になる筈だ。

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小説『記号のような男』

2019年05月04日 [ アート&レジャー ]@sanmotegiをフォローする

 電子書籍サイト「茂木賛の世界」で小説『記号のような男』をアップ連載中だ。以前別のところに書いた作品だが、続編を書こうと思って読み返したら、いろいろと書き足したくなったので加筆修正、今度は自分のサイトに載せることにした。四百字詰め原稿用換算で200枚ほどの予定。作品の感想など当コメント欄へもお寄せいただければと思う。

 小説の舞台は埼玉県・桑富市という架空の町、時代は2010年代に設定。この町にある、放射光研究所・データ処理センターの経理部に、「記号ような男(キーオ)」とあだ名される男が勤めていた。歳は三十代後半、妻と二歳になる息子との三人暮らし。キーオはある日、神社の参道の桜並木が所々歯が抜けたように無くなっているのを見て、「並木の緑をつなぎたい」というへんなアイデアを思いついく。作品のテーマは「形のあるものをつなぐと、形のないことのつながりが見えてくる」。

 有前町、柿本町、桑富町、新桑富町、有先町から成る桑富市の地形は以下の通り。市の北側に有水(ゆうすい)山系という東西に走る低い山脈があり、その東側は関東平野、西側はそのまま埼玉の山々へと続いている。有水山系の一角に有前山という単独の小さな山があり、その麓から有前川という河川が桑富市を斜めに縦断して流れている。その昔、有前山の頂に有前神社の奥宮があった……。どうぞお楽しみください。

p.s. 小説の連載が終了した(今後同サイトトップページに別の記事が載った場合、「作品リスト」→「オリジナル作品」からアクセスできる)。以前のバージョンについては『百花深処』<小説『記号のような男』について>の項で紹介したことがある。小説の骨子は変わらないので併せてお読みください。(5/26/2019)

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All Alone

2019年04月13日 [ アート&レジャー ]@sanmotegiをフォローする

 『辻邦生のために』辻佐保子著(新潮社)という本を読んでいたら、辻夫妻がパリで借りていたデカルト街三七番地のアパートの話が出ていた。作家・辻邦生は1999年7月、軽井沢の自宅近くで突然亡くなった。享年73歳。妻の西洋美術史家・佐保子さんは、その後、夫のいないアパートの整理の為にパリに赴く。離れたときのままになっている部屋で知人たちが作業を進めるあいだ、佐保子さんは茫然自失、何も手が付けられなかったという。

(引用開始)

 そのあいだ、私は何を捨てて何を持ち帰るのかも決められないほど呆然としていた。東京の書斎ほどではないにしろ、いつ着いてもすぐ仕事ができるように、沢山の本やさまざまな道具類が四年前に離れた時のまま残っていたからである。食卓のテーブルにのせておいた木製の蟹の飾りものには、開くようになった背中のなかに「またくるまで留守番しててね」と書いた紙切れが入っており、ノルマンディーの海岸から拾ってきたまんまるい白い石をオニギリに見立てて置いてあった。

(引用終了)
<同書 23ページ>

私はこれを読んで切ない想いに胸を打たれた。

 その佐保子さんも、2011年12月に亡くなってしまう。デカルト街の部屋には、邦生と佐保子さん、二人の在りし日の思いが二重になって残されているように感じた。パリは私も好きな街だ。そこで二人を偲び、「All Alone」という曲を作ってみた。

 友人(K-Kodama君)とのバンド「HUSHBYRD」のサイトに、曲をアップしたのでお聴きいただければと思う(アルバム「MOON WAVES」収蔵)。歌唱は相変わらず下手だが偲ぶ気持ちがうまく伝わるだろうか。

 尚先日、辻邦生の小説『安土往還記』について、文芸評論『百花深処』に<信長の雄姿>という文章を載せたので、併せてお読みいただけると嬉しい。

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戦国史の表と裏

2019年04月06日 [ アート&レジャー ]@sanmotegiをフォローする

 歴史には正史と外史とがある。時の権力勝者の綴ったものが正史(表史)、敗者の綴ったものが外史(裏史)である。このブログでは、

歴史の表と裏
古代史の表と裏
古代史の表と裏 II

などの項で、とくに裏史を論じた書物に光を当ててきた。現代社会を考えるとき、外史を探ることで、正史だけだと分からない事の繋がりが見えてくることが多いからだ。

 去年「田沼意次の時代」の項で、徳川幕府崩壊の内的理由、

〔1〕武士のサラリーマン化
〔2〕「家(イエ)」システムの形骸化
〔3〕幕府正当性の理論付けが弱かった
〔4〕鎖国により海外情報や交易が限定的
〔5〕AとBのバランス悪し

について、田沼の開明政策によって〔4〕に変化が生じた(海外情報が増えた)にもかかわらず、それが〔1〕から〔3〕、〔5〕に影響を与えなかったのは何故かと問い、“変化のボリュームが小さすぎて転移点に達しなかったということなのだろうが、この時代のことをもうすこし微細に研究してみたい”と書いた。しかしこのとき私の念頭には、田沼時代だけではなく、〔3〕の根本理由について、さらに時代を遡って考えてみたいという気持ちがあった。

 〔3〕については、「内的要因と外的要因」の項で、幕府による泰平が盤石だったから理論付けが必要とされなかった、という説を紹介したものの、家康が儒教と神道両方を統治思想に導入した(天命と天皇の両方を正当性の根拠に組み込んだ)ことは、やがて、崎門学と国学において「至高」=「天皇」の一点においてシンクロし、幕末の尊王倒幕思想として結実、明治維新以降さらに「国家神道」に利用された(そしてやがて日本を破滅に導いた)わけだから、その理由をもっとよく研究する必要があると考えたのだ。

 家康はなぜ、儒教と神道両方を統治思想に導入したのか、「天命」と「天皇」の両方を正当性の根拠に組み込んでしまったのか。その前の秀吉はなぜ、鎌倉・室町時代とは明らかに一線を画す信長の「預治思想」を後退させ、朝廷と融和の道を選んだのか。秀吉が唱えた(そして家康も追従した)「神国日本」論は、キリスト教圧力回避のためだったというが、本当にそれだけの理由で、直前まで仕えていた天下人(信長)の統治思想を捨て去ることができただろうか。

 このような疑問について様々な本を読み、その結果を『百花深処』<本能寺の変>と<「神国日本」論 II>の二項にまとめた。内容はそちらをお読みいただきたいが、今のところこの仮説が答えとして一番しっくりくる。このテーマは、『国体論』白井聡著(集英社新書)などが扱う現代社会の問題と、遠く時を隔てて繋がっていると思う。明治政府が作り出した国体(天皇の国民)は、秀吉と家康の裏史があってはじめて成立し得たのではないか。正史だけで考えると、天皇と政治権力との連結は、列島古代から戦前まで(強弱はあれ)連綿と続いたように錯覚するが、外史を辿るとそうではないことが解ってくる。「プライムアーティストとしての天皇」という考え方は、そういう新しい歴史認識と整合的である。さらに研究を進めたい。

 教科書に載っているのは今の権力者(学問的権威者)が認める正史(通説ともいう)。それを他人に押し付けようとする人がいる。一方、在野で外史を訴え続ける人がいる。我々は、両方を冷静に見比べ、自分で最も合理的だと思う解釈(事の繋がり)を選択すべきだ。そして常に新しい知見によって修正をかけてゆくこと。裏史を扱う書物は玉成混交で見当違いも多い。視野の先がどこまで届いているかが判断基準。一般論として最新刊の方が良いが、古い本の方がより遠くまで視線を届かせている場合もある。

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Merry Christmas!

2018年12月19日 [ アート&レジャー ]@sanmotegiをフォローする

 友人(K-Kodama君)とのバンド「HUSHBYRD」のサイトに、2018年クリスマスのための新曲をアップしたのでお聴きください。

 曲名は「Red Umbrella」。雪のクリスマス・イヴに、サンタを待つ少女が赤い傘を(サンタに)プレゼントする情景を歌ったもの。歌詞の1番と2番は少女の側から、3番はサンタの側からの台詞、そしてエンディングはサンタと少女との掛け合いとなる。街にしんしんと降り積もる雪の描写も。

 その前の曲「Song Of Rain」も紹介しておこう。場所はロンドンの風情。雨が降っている。過去を懐かしむ女性に、男がやさしく歌いかける。男の職業は樹木医(見習い)で、以前、公園で木の梢を寂しげに見上げるその女性と知り合った。雨のしずくを表すピアノの音が印象的。歌とともに風が吹き、雨が上がると陽が差し込んでくる。ビートルズの「She’s Leaving Home」の後日談として聴いていただくのも良いかと。

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田沼意次の時代

2018年07月29日 [ アート&レジャー ]@sanmotegiをフォローする

 この間「評伝小説二作」の項で、新井白石と荻生徂徠は反目し合っていたとし、“駄目な組織は、バカが仲良く連(つる)んでいるかリコウが反目しあっているかだというけれど、徳川幕府の衰退(「内的要因と外的要因」)は、すでにこの時期にその萌芽があったのかもしれない。二人が膝を突き合わせて徳川幕府の正当性などを論じてくれていたらその後の列島の歴史も変わっていただろうに”と書いたが、その後の歴史を眺めると、十代将軍家治に仕えた田沼意次(1719−1788)の時代、幕府は力を取り戻す最後のチャンスを手にしていたように思える。

 「内的要因と外的要因」の項で、徳川幕府崩壊の内的理由を、

〔1〕武士のサラリーマン化
〔2〕「家(イエ)」システムの形骸化
〔3〕幕府正当性の理論付けが弱かった
〔4〕鎖国により海外情報や交易が限定的
〔5〕AとBのバランス悪し

としたが、『百花深処』<蘭学について>の項でも書いたように、田沼意次の時代、彼が採った(蝦夷地開発やロシア交易までもを射程に入れようとする)積極的な開明政策により、蘭学の知識を背景とした多彩な思想家が活躍、その結果海外の情報が国内に多く入るようになった。たとえば『解体新書』が刊行されたのは安永三年(1774)、平賀源内がエキテルを完成させたのは同五年(1776)。〔4〕が変われば〔1〕から〔3〕や〔5〕にも変化が生じたかもしれない。〔5〕の「AとB」とは、複眼主義の対比、

A Resource Planning−英語的発想−主格中心
a 脳(大脳新皮質)の働き−「公(Public)」−「都市」
A 男性性=「空間重視」「所有原理」

B Process Technology−日本語的発想−環境中心 
b 身体(大脳旧皮質及び脳幹)の働き−「私(Private)」−「自然」
B 女性性=「時間重視」「関係原理」

を指す。「反転法」の項でみたように、この時代は社会のB側への傾斜が強かった。列島のA側は長く漢文的発想が担っていたが、戦国時代以降、漢文的発想と西洋語的発想とは共存、その後長い時間をかけて漢文的発想は英語的発想に置き換わってゆく。複眼主義では両者のバランスを大切に考える。

 「評伝小説二作」で読みたいと記した『漆の実のみのる国(上)(下)』藤沢周平著(文春文庫)。上杉鷹山(1751−1822)の米沢藩改革を書いた著者の絶筆だが、この本(下)の中に田沼時代への言及があった。武士階級と商人階級との間に一線を引いた八代将軍吉宗の諸政策を記した後、藤沢は次のように書いている。

(引用開始)

 しかしつぎの時代の実力者老中田沼意次は、吉宗がこだわったようには商人階級にへだてをおかなかった。むしろかれらが持つ財力を積極的に政治に利用しようとした。
 意次が九代家重の時代を経て、十代将軍家治治政下の老中として行政的な手腕をふるうようになっても、やったことは吉宗時代の政策の踏襲とみられるものも少なくない。たとえば倹約令の発布、荒地開発、貨幣改鋳といったようなことだが、しかしこれらの政策は、この時代に政策をすすめるためには誰がやってもある程度は同じようなことにならざるを得なかったことであろう。
 だが意次は、吉宗がやらなかったことにも手をつけた。下総国の印旛沼、手賀沼の干拓は、吉宗が手をつけ、財政事情が行きづまって放棄した事業である。意次は行きづまりが幕府の出費でやったがために起こったことを見抜き、これを町人請負の形で再度とり上げた。干拓を請け負ったのは大坂の富商天王寺屋藤八郎、江戸の長谷川新五郎である。
 事業そのものは、このあと天明六年に起きた大洪水による利根川決潰で挫折するけれども、町人の財力を利用した請負い開発は、意次の体面にこだわらない柔軟な行政ぶりを物語るものであったろう。
 また意次の時代に株仲間(株によって同業者の数を制限するためにつくった組合)の公認が急増し、株仲間の公認は商人の利益保護につながる制度であるために、意次と商人たちとの癒着、ひいては収賄がうわさされたけれども、意次は意次で株仲間から上がる運上金、冥加金を、幕府財政をささえる重要な経済政策のひとつとして考えていたのであろう。意次は経済政策にあかるく、政策の実行にあたっては果断なところがあった。
 運上金の吸い上げだけにあきたらず、のちに意次は貸金会所というものまでつくろうとした。全国の寺社、百姓、町人から出資金をつのり、これに幕府の出資金も加えて官制の金貸し機関をつくり、大名に貸し付けようとしたもので、意次が失脚したための日の目を見なかったが、目のつけどころは卓抜で、またきわめて商人的でもある。
 同じく失脚によって実現しなかったが、意次は蝦夷地の大開発とここを足場にした開国貿易を考えていたとも言われ、政権末期にはその調査に着手していた。長崎貿易にも力をいれ、俵物輸出の増加で成功をおさめていただけに、田沼意次の積極的な経済政策は、政権が持続すれば以降のわが国の経済、外交に特筆すべき展開をもたらした可能性がある。
 
(引用終了)
<同書 151−152ページ>

鷹山は地道で堅実だが意次は大胆で山師的だったという評価もある中、藤沢の晩年のこの高評価は興味深い。意次は将軍家治の死とともに失脚、つぎの十一代将軍家斉の治政下、老中松平定信による寛政の改革が始まる。これはしかし意次の政策と違い緊縮財政に偏したものに終わった。

 田沼意次の開明政策によって〔4〕に変化が生じたのに、それが〔1〕から〔3〕、〔5〕に影響を与えなかったのは、変化のボリュームが小さすぎて転移点に達しなかったということなのだろうが、この時代のことをもうすこし微細に研究してみたい。

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