夜間飛行

茂木賛からスモールビジネスを目指す人への熱いメッセージ


江戸時代のベストセラー

2017年09月18日 [ アート&レジャー ]@sanmotegiをフォローする

 必要あって江戸時代に関する文献を各種読んでいる。最近読んだ『江戸のベストセラー』清水惠三郎著(洋泉社)という本は、江戸時代に流行った書物12冊を取り上げて、著者の略歴や本の内容、出版の背景や出版社の事情などを記したもの。その12冊を目次順(出版年順)にみると、

『嵯峨本』角倉素庵 <慶長9(1604)年頃>
『塵劫記』吉田光由 <寛永4(1627)年頃>
『好色一代男』井原西鶴 <天和2(1682)年>
『武監』松会三四郎 <貞享2(1685)年>
『曽根崎心中』近松門左衛門 <元禄16(1703)年>
『養生訓』貝原益軒 <正徳3(1731)年>
『解体新書』杉田玄白 <安永3(1774)年>
『吉原細見』蔦屋重三郎 <天明3(1783)年>
『東海道中膝栗毛』十返舎一九 <享和2(1803)年>
『南総里見八犬伝』滝沢馬琴 <文化11〜天保12(1814〜41)年>
『東海道四谷怪談』鶴屋南北 <文政8(1825)年>
『江戸繁昌記』寺門静軒 <天保3(1832)年>

ということで、有名どころが並んでいる。

 著者の清水氏は雑誌プレジデントの元編集長。ジャーナリスティックな目で江戸時代の出版活動を概観しているところがユニーク。本帯表紙には、“武家名鑑、算術指南書、健康読本、江戸タウンガイド、ファンタジー小説、ホラー小説、生活実用書、遊郭風俗ガイド……、発禁処分続出!現代に通じるヒットの秘密!!”とある。

 それぞれ章の巻頭には、『嵯峨本』:洛中有数の素封家にして知識人が創り出した「豪華本」への憧憬、『塵劫記』:技術大国ニッポンへの道を拓いた和算入門のバイブル、『好色一代男』:稀代の好色男を狂言回しに江戸の享楽を活写したベストセラーの嚆矢、といったキャッチが掲げられている。『武監』:幕府体制の実用書、代表的な江戸土産でもあった江戸の武家名鑑、『養生訓』:読み継がれること300年!「健康書」の超ロングセラーはいかにして生まれたか、『解体新書』:近代医学の曙となった江戸のプロジェクトX、『ターヘル=アナトミヤ』翻訳、『東海道中膝栗毛』:衆道の凸凹コンビが繰り広げる珍道中が大ヒットした理由、『南総里見八犬伝』:終われないのは江戸の昔も同じ!元祖ドラゴンボールの憂鬱、『東海道四谷怪談』:200年の時空を超えて、「平成の夏」を戦慄させる江戸のモダン・ホラー、『江戸繁昌記』:貧乏儒者のコンプレックスが生んだ漢文専門書のベストセラー、と続く。他の文献と併せ江戸社会を知る手掛かりとしたい。

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荷風を読む

2017年08月28日 [ アート&レジャー ]@sanmotegiをフォローする

 この夏、『老いの荷風』川本三郎著(白水社)という本を読んだ。川本氏は永井壮吉(ペンネーム永井荷風)の研究家としてよく知られていて、『荷風と東京』(都市出版)、『荷風好日』(岩波書店)などの著書がある。本書は荷風の晩年の暮らしと作品に焦点を当てた評論集。本帯表紙には「第一人者の視点と筆さばき。『墨東綺譚』以降の作品を中心に、老いを生きる孤独な姿を描く」とある。まず新聞の書評を引用しよう。

(引用開始)

戦争に粘り強く否をとなえる文学

 明治・大正・昭和にわたり活躍した文学者の永井荷風は、太平洋戦争後の一九五九年、七九才で亡くなった。
 近代の作家としてずばぬけて長寿である。老いをゆたかに多彩に描いた。
 不思議な人で、若い頃から老いに魅せられていた。フランス遊学から帰国した三十代の頃より、特徴的に老いをテーマとした。作品にぞくぞくと個性的な老人を登場させた。
 たとえば『すみだ川』では、老いた遊び人がからだを張り、甥の純愛を守る。社会批判のエッセイにも、世相や政府に毒舌をふるう塩辛じいさんたちがいきいきと活躍する。
 明らかに荷風は、老いを戦略的に活用した。その荷風が自身、真に老いたとき。さあ、どうなるか。いかに老いを生きるか。著者は注目する。
 本書は、「昭和十九年(一九四四)、戦局が悪化してゆくなか、この年に六十五才になる荷風の偏奇館での独居生活は厳しさを増していた」とのことばで始まる。
 荷風の老年には戦争が重くのしかかる。「独居高齢者」の少ない当時、配給はじめ全てがシングルの荷風には不利だった。加えて自宅の偏奇館は、昭和二十年三月の東京大空襲で燃えた。以来、各地をさまよう。
 ここで荷風はダメになったとされる。戦後の文壇に復活したとはいえ、作品の実態は虚しいと酷評される。
 著者はその文学史に待ったをかける。老後に四度も空襲に遭った荷風。PTSDを患っていたかもしれない。しかしなお現実の風速に食らいつく。空襲で焼け出された庶民を描く。つよい作家魂ではないか。
 『問はずがたり』をはじめ「羊羹」「買出し」「にぎり飯」など戦後に発表された作品群は、なるほどかつてのエネルギーはないが、戦争の不条理にこづき回されて生きる庶民の生を無情に乾いた筆致でえぐる。その試みを評価する。
 荷風への愛情がある。こまやかな目配りがある。何しろ著者は自身の人生の信念をこめ、長く荷風文学とともに生きてきた人。全編に、批評の神髄の愛情があたたかく薫る。
 老荷風を支える人もいた。その群像劇も興味深い。戦下、荷風をつれて明石・岡山へと逃げた音楽家。荷風の暮らしを助けた鉄工所重役、男性ダンサー。荷風の死を発見した家政婦の「とよさん」。おかげで死体は腐らなかった。
「荷風のひかげのような小説」が、出征する若者に愛されたという事実はかくべつに感動的だ。
 安岡章太郎は中国戦線で病み、病院にあった『墨東綺譚』をしみじみ読んだ。田村隆一が学徒出陣するさい、祖父は苦心して『墨東綺譚』を手に入れ、愛する孫に贈った。
 胸を突かれる。老いた男がどぶの匂う場末の遊び場で、掃き溜めに鶴のごとき娼婦と出会い、たがいに一瞬の夢をみるはかない物語が、そんなにも深く戦いにおもむく若者の魂と触れ合っていたとは。
 このくだりにも明らかだ。軟弱・退嬰的とされる荷風文学は、じつは戦争に滅法つよい。荷風の老いは、人間がくり返す戦いに、しずかに粘り強く否をとなえる。
 老いと死を知る人間が、なぜ戦おうか。争おうか。代わりにつかの間の生の美しさ、楽しさを愛するのみ。戦いの虚無を笑うのみ。
 荷風はまじめに自分の文学と人生を合致させようとした。自身も、人生のさいごの美を楽しむ老人として歩こうとした。うまくいかず、頭も足ももつれたが、死の前日まで務めた。そして独りで倒れた。
 荷風文学と戦争。本書が提起するテーマは、これからの世紀にいよいよ切実である。

(引用終了)
<毎日新聞 6/25/2017(フリガナ省略)>

書評は近代文学研究者持田叙子さんによるもの。持田さんにも『朝寝の荷風』(人文書院)、『荷風へ、ようこそ』(慶應義塾大学出版社)といった著書がある。

 『老いの荷風』には、荷風の「問わずがたり」「来訪者」「浮沈」「羊羹」「或夜」「にぎり飯」「心づくし」「買出し」「吾妻橋」といった、晩年の小説が紹介されている。あまり読む機会が得られないこれらの作品とその背景について知ることが出来るのは有難い。この本にはまた、『文人荷風抄』(高橋英雄著)、『荷風余話』(相磯凌霜著)、『わが荷風』(野口富士夫著)など、荷風に関した評論・随筆の書評もある。『文人荷風抄』については、以前「日本語の勁(つよ)さと弱さ」の項で触れたことがある。フランス語の弟子の話が印象的。書評には『荷風へ、ようこそ』(持田叙子著)も含まれている。持田さんの『朝寝の荷風』は既に読んでいたが、『荷風へ、ようこそ』(2009年出版)の方は読み逃していたのでさっそく入手した。

 荷風は、複眼主義の対比、

A Resource Planning−英語的発想−主格中心
a 脳(大脳新皮質)の働き−「公(Public)」−「都市」
A 男性性=「空間重視」「所有原理」

B Process Technology−日本語的発想−環境中心
b 身体(大脳旧皮質及び脳幹)の働き−「私(Private)」−「自然」
B 女性性=「時間重視」「関係原理」

でいうと、A側発想の強い人だ。西洋語(英語・フランス語)に堪能で、作品には漢文脈の文体を駆使した(西洋と出会うまで日本のA側は長く漢文的発想が担っていた)。

 「レトリックについて II」で述べたように、明治以降日本は、漢文を減らし平仮名を増やすことと、わかりやすい口語文で書くことを推進した。「漢文脈からの離脱」と「言文一致」である。その結果、日本語から漢文的発想が失われ、(英語的発想も上手く取り込めなかったから)日本語によるA側発想そのものが弱くなった。

 そういう中、荷風は最後まで漢文的発想に拘った。その端正な文章を私は愛惜する。しかし、荷風は「公(Public)」としての発言を避け、芸事や花柳界といった「私(Private)」の世界に耽溺した。作家として、自らの身体の要求、感性に率直に耳を傾けることを優先した。A側の眼でB側を愛でることに力を注いだ。『百花深処』で言えば<隠者の系譜>に連なるが<反転同居の悟り>も会得していただろう。まさに書評にある“荷風はまじめに自分の文学と人生を合致させようとした。自身も、人生のさいごの美を楽しむ老人として歩こうとした。うまくいかず、頭も足ももつれたが、死の前日まで務めた。そして独りで倒れた”ということなのだが、何が彼をしてそのような生き方を選ばせたのか。さらに考えてみたい。

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東のケルト

2017年08月02日 [ アート&レジャー ]@sanmotegiをフォローする

 前回に引き続き『縄文とケルト』松本武彦著(ちくま新書)の話をしたい。まず前回引用した文章(「おわりに」)の先をさらに引用する。

(引用開始)

 大陸中央部の平原で芽生えて根を張った、この文明の知識体系やそれに沿った行動様式は、環境の悪化と資源の低落による危機を肥やしにして、その実利的な結実率の高さゆえに周辺の地域にも急速にはびこっていった。ケルトとは、ユーラシア大陸の中央部から主として西方へと進んだこの動きを、一つの人間集団の移動拡散というドラマになぞらえて、後世の人びとが自らのアイデンティティと重ねながらロマン豊かに叙述したものである。
 いっぽう、ユーラシア大陸中央部から東方にも同様の動きが進んだ。克明な一国史の叙述を大の得意とするわが国の歴史学や考古学では、この島国にしっかりと足をつけて西の海の向こうをにらむ姿勢をもとに、このような動きを、弥生時代に水田稲作をもたらした「渡来人」、古墳時代に先進的な知識をもってやってきた「渡来人」(古くは「帰化人」)に集約して描こうとしてきた。後者は一時、東のケルトとでもいうべき「騎馬民族」に含めて描かれようとしたが、島国日本の伝統と純粋さを信じたい心根と、日本考古学一流の実証主義とがあいまったところから大きな反発を受け、その時点では不成功の試みに終わった。
 ともあれ、西と東のケルトは、ともにその最後の到達地であるブリテン島と日本列島とにそれぞれ歴史的な影響を及ぼし、環濠集落のような戦いと守りの記念物や、不平等や抑圧を正当化する働きをもった王や王族の豪華な墓をそこに作り出した。紀元前三〇〇〇年を過ぎたころから紀元前後くらいまでの動きである。

(引用終了)
<同書「おわりに」 237-238ページ>

 ここに「東のケルト」という言葉が出てくる。ケルトとは何か。同書によってその定義を見てみよう。

(引用開始)

 ケルトとは、古い時代に中央アジアから西進してきた集団の一派で、言語や文化のうえでヨーロッパの基層を形成したと考えられてきた人びとのことをいう。考古学では、青銅器時代の後半から鉄器時代にかけて、すなわち紀元前一〇〇〇年を過ぎてからの数百年のあいだ、現在のフランス、ドイツ、オーストリア、チェコなどのヨーロッパ大陸中央部で栄えた文化の担い手が、ケルトに当たるとみなされてきた。馬を駆り、丘の上に城砦を築き、地中海や北海の地方と広く交易をし、戦車などを副葬する大きな墳丘墓を築いた人びとである。さらに時期が下がってローマ時代になると、その支配にときに立ち向かい、ときに傭兵や商売相手ともなる辺境民の雄として、歴史記録に登場することになる。

(引用終了)
<同書 170ページ>

 ここのところ『百花深処』の方で、父性(国家統治能力)の系譜を探る作業を続けていることは「かぐや姫考」でも書いた。そのなかで、「北方アジア経由の遊牧民族」を中世武士思想のルーツたる「騎馬文化」の一翼と措定したのだが、「北方アジア経由の遊牧民族」はこの「東のケルト」と重なる。

 これまで日本人の歴史学者や考古学者は、なかなかこのような大きなスケールでものを見ようとしなかった。ものごとを大きく上から俯瞰すること。

(引用開始)

 このように、大陸の辺境に浮かぶ島々に国を作った外からの力を、英国史では「ケルト」というグローバルな動きの一翼としてとらえ、日本史ではあくまでも島民としての立場からみた「渡来人」の受け入れとして理解してきた。大陸からの営力が外縁の島々に及ぶさまを、英国では宇宙の高いところから眺めているのに比べ、日本では島の地面に足をつけ、目の高さで海の向こうを見つめている。いうなれば、同じ動きを、英国史ではヨーロッパ史の一部としてみているのに対し、日本史ではどこまでも日本史としてにらんでいるのである。

(引用終了)
<同書 223ページ>

これは、以前から「現場のビジネス英語“Resource PlanningとProcess Technology” 」や「鳥瞰的な視野の大切さ」などの項で強調してきた、複眼主義の対比、

A Resource Planning−英語的発想−主格中心
a 脳(大脳新皮質)の働き−「公(Public)」−「都市」
A 男性性=「空間重視」「所有原理」

B Process Technology−日本語的発想−環境中心
b 身体(大脳旧皮質及び脳幹)の働き−「私(Private)」−「自然」
B 女性性=「時間重視」「関係原理」

におけるA側の視点である。複眼主義ではAとBのバランスを大切に考える。さらに「おわりに」の引用を続けよう。

(引用開始)

 しかし、東西ケルトの動きの最終的帰結ともいえる大陸の古代帝国――漢とローマ――が日本列島とブリテン島とに関わった程度と方向性は大きく異なり、そのことは、両地域がたどったその後の歴史の歩みの違いと、そこから来る相互の個性を作り出すに至る。大陸との間を隔てる海が狭かったがゆえにローマの支配にほぼ完全に飲み込まれたブリテン島では、文字や貨幣制度など、抽象的な記号を媒介とする知財や情報の交換システム――人類第三次の知識体系――に根ざした新しいヨーロッパ社会の一翼としてその後の歴史の歩みに入っていった。
 これに対し、もっと広い海で大陸から隔てられていた日本列島は、漢の直接支配下に入ることなく、王族たちが独自の政権を作り、前方後円墳という固有の記念物を生み出し、独自のアイデンティティを固める時期がイギリスよりもはるかに長かった。私たち現代日本人は、このような感性や世界観を受け継いでいる。「縄文時代」「弥生時代」「古墳時代」と、同じ島国のイギリスの歴史ではほとんど用いられない一国史的な時代区分を守り、東のケルト史観たる騎馬民族説に反発する日本人の歴史学者や考古学者の観念もまた、そこに由来するのかもしれない。

(引用終了)
<同書「おわりに」 238−239ページ>

 モノコト・シフトでB側に注目が集まるのはいいが、思考は常にA側とB側の視点のバランスを取る必要がある。日本語的発想はそもそもB側だから、日本人はA側をより意識しなければならない。複眼的視野を持つ松本氏のこれからの仕事に注目したい。そういえば「かぐや姫考」で紹介した孫崎紀子さんも俯瞰してペルシャと日本列島との関係を見ておられた。松本氏や孫崎さんのような人がもっと出てくると、歴史の真相がより見えてくるのだが。

 最後に、本書第四章にある文章の間違いを指摘しておきたい。

(引用開始)

 つまり、青銅器時代の記念物は、新石器時代のそれに比べて、集団よりも個人を、平等性よりも階層性を表現した記念物と言ってよいだろう。このような記念物による、個人や階層を前面に押し出したまつりが、支配的な思潮を表す世の中になってきた。これが、新石器時代から青銅器時代へ、ひいては「文明」から「非文明」へという時代の移り変わりの、歴史的本質だったのである。

(引用終了)
<同書 164ページ>

この最後の“「文明」から「非文明」へ”は、“「非文明」から「文明」へ”の間違いだと思う。

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文明と非文明の社会

2017年08月01日 [ アート&レジャー ]@sanmotegiをフォローする

 『縄文とケルト』松本武彦著(ちくま新書)という本が出た。日本列島とイギリスの古代遺跡を比較検討する内容で、副題に「辺境の比較考古学」とある。まず本カバー表紙裏の紹介文を引用しよう。

(引用開始)

 ユーラシア大陸の正反対の位置にある日本とイギリス。新石器時代、大陸では四大文明の地域のような「文明型」の社会が広まっていくなか、その果てにあった両地域は、「非文明型」の社会へと発展していった。直接的な交流がないこの二つの地域になぜ共通性が生まれたのか? また、同じホモ・サピエンスなのに、なぜ大陸とは異なる方向へ進んだのか? ストーンサークルや巨大な墓など、それぞれの遺跡を訪れることで、いままで見えてこなかった知られざる歴史に迫る。

(引用終了)

 去年「観光業について II」の項で、観光客には日本語(文化)のユニークさをアピールするべきだとし、特にこれからはユーラシアからの観光客が増えるだろうから、“日本の歴史を振り返り、古代からのユーラシアとの接点をいろいろと探り出すのも面白いかもしれない。ユーラシア大陸の西端にある英国と組んで、二つの島国の似ているところ、違っているところを大陸の文化と関連付けて研究するのも楽しいかもしれない”と書いたが、そのままの内容の本がこうして出版されたことはとても嬉しい。

 両国の古代遺跡の類似性・違いは、地図などと併せて整理すれば観光資源として大いに役立つだろう。新聞の紹介文も引用しておこう。

(引用開始)

 太陽の運行に生死を重ねたり、斧を振り上げた時の重みと遠心力に破壊力を想起したり。「文明」以前、人類が共有した感覚が、先史時代の遺跡のかたちに投影されている。英国と日本、それぞれの遺跡を探訪して比較。大陸の東西の果てで、金属器の伝播とともに変わってゆく「非文明」の世界を生きた人々の精神世界を読み解く。

(引用終了)
<朝日新聞 6/11/2017(フリガナ省略>

 最初の引用のなかに、「文明型」と「非文明型」の社会という言葉が出てくる。約一万年前、氷河期が終わって温暖化した中緯度地帯の平原や森林で、人びとは多人数で定住するようになる。やがて約五千年前ごろ、太陽の活動に変化が起こり、地位緯度地帯の多くの地域は、冷涼化と資源の減少に直面した。この危機の中で、大陸中央部の平原では農耕を強化し、それを取り仕切る王や都市を核とする「文明」の社会が出来た。そこから離れた辺境の島々では、集団のきずなを強化し、資源がもたらす太陽や季節の順調なめぐりに精神的な働きかけを行う「非文明」の社会が発展したという。

(引用開始)

 非文明の社会。それは、人間が「科学」という思考と行為にたどりつくより前に生み出していた高度な知の体系の上に構築されたシステムだった。自らの生と死を軸としたさまざまな現象をアナロジー(類似やたとえ)の網でつむぎ合わせ、万象のしくみを説明しようとした。アナロジーは、ホモ・サピエンスのすべての個体が長い進化の結果として普遍的に共有した心の働きであるために、この段階での記念物は、地球上のどこへ行ってもよく似ている。たとえばストーン・サークルは、日本列島やブリテン島だけではなく、この段階に属するすべての大陸や海洋の社会で認められる形である。定住して大きな社会を作り始めたヒトが、初めて発展させた第一次の知識体系。人類学の巨人クロード・レヴィ=ストロースが「野生の思考」と呼んだものと、それは重なるところがあるのだろう。
 これに対して文明とは、非文明のさまざまな知的試行や積み重ねの中から生み出されて広まった、人類第二次の知識体系である。さまざまな出来事の見かけや外見をそぎ落とし、内側にあってそれを動かす原理と構造をえぐり出すことを旨とするこの知の威力は強大で、成功率は飛躍的に高く、広まった先々でさまざまな革新や発展をもたらした。だが、実利的な合理性がきわめて強いがゆえに、この知の体系は、周囲の万物や万象を統制して収奪する志向が強く、自然に対しては集約的農業にみられる環境の改変、牧畜を端緒とする生命への干渉などを、人間に対しては戦争や抑圧、不平等や階層化などを導いた。

(引用終了)
<同書「おわりに」 236−237ページ>

 このブログでは、21世紀はモノコト・シフトの時代だと書いている。モノコト・シフトとは、「“モノからコトへ”のパラダイム・シフト」の略で、二十世紀の大量生産システムと人の過剰な財欲による「行き過ぎた資本主義」への反省として、また、科学の還元主義的思考による「モノ信仰」の行き詰まりに対する新しい枠組みとして生まれた、(動きの見えないモノよりも)動きのあるコトを大切にする生き方、考え方への関心の高まりを指す。動きのない「モノ」は、複眼主義の対比、

A Resource Planning−英語的発想−主格中心
a 脳(大脳新皮質)の働き−「公(Public)」−「都市」
A 男性性=「空間重視」「所有原理」

B Process Technology−日本語的発想−環境中心
b 身体(大脳旧皮質及び脳幹)の働き−「私(Private)」−「自然」
B 女性性=「時間重視」「関係原理」

におけるAと親和性が強く、動きのある「コト」はBと親和性が強い。複眼主義ではAとBのバランスを大切に考える。

 これに「文明型」と「非文明型」の社会を重ねると、「非文明型」、つまり引用にある「第一次知識体系」はBと親和性が強く、「文明型」、つまり「第二次知識体系」はAと親和性が強い(Aの英語的発想は勿論今の英語)。「文明型」の社会が行き詰まる中、「非文明型」社会から学べることは多いと思う。

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かぐや姫考

2017年07月23日 [ アート&レジャー ]@sanmotegiをフォローする

 『「かぐや姫」誕生の謎』孫崎紀子著(現代書館)という本を読んだ。ここのところ『百花深処』の方で父性(国家統治能力)の系譜を探る作業を続けているのだが、その中で、古代民族文化を辿る資料の一つとしてこの本と出合った。父性の系譜とは直接関係しないが、かぐや姫の出自についての面白い仮説なので、こちらで紹介したい。著者は元外交官孫崎享氏の奥様。

 本書の副題は「渡来の王女と“道真の祟り”」とある。まず本書帯(裏)から紹介文を引用しよう。

(引用開始)

『日本書紀』の記述を手がかりに、中世ペルシャと日本の暦や祭礼のつながり、飛鳥の遺跡や地形を調査分析。さらに神社の祭神から竹取物語最古の写本まで読み解き、飛鳥〜平安〜現代と時空を超えて「かぐや姫」誕生の謎に迫る。

(引用終了)

 この本で著者は、『竹取物語』の作者が、菅原道真の直孫文時(ふみとき)であること、かぐや姫のモデルが、ササン朝ペルシャ王・ヤズデギルド三世の娘舎衛女(シャー女)とその夫ダラとの間に生まれた娘(ダラ女)であること、竹取の翁とは、オータル(大建)という名の同じくペルシャ人(の長老)であることなどを、様々な史料から解き明かしてゆく。執筆動機などを述べた「あとがき」を引用する。

(引用開始)

 この十年余り、日本書紀に記載されているトカラ人(実はペルシャ人)たちを追いかけてきました。最後の記述、六七五年に舎衛女(シャー女)と十五歳の堕羅女(ダラ女)が天武天皇に新年の拝謁をしたところまできた時です。何気なく思ったことは、十五歳はペルシャにおける成人であるので、それまでは人質の母親と一緒であったとしても、堕羅女はもう宮中にはいられないのでないか。そうすると、ペルシャ人のいる村に行くよりほか、行く所はない。おそらく本邦初の存在であるアーリア人の両親から生まれた少女、しかも、深窓で育った十五歳のアーリア人の少女はどんなにきれいだったであろう。金髪だったかもしれない、それを見た飛鳥の人々はどんなに驚いただろう、人垣ができたかもしれない……と想像したとき、ふと思い出したのが、竹取物語でした。突然現れた、輝くばかりに美しい少女……、一目見ようとする人垣……。
 すぐに古典文学の『竹取物語』を読み、啞然としました。『竹取物語』の時代設定は、まさしく堕羅女の時代である飛鳥時代、場所も飛鳥地方での出来事でした。しかも、飛鳥には「竹取物語」ゆかりの神社、讃岐神社までありました。この神社の不思議なことは、何者かが、その名前を「散吉神の社」から「讃岐神社」に変えたことでした。また、この神社付近からは、二上山が見えます。二上山は春分にはその峰の間に陽が沈むとされ、春分が新年であるゾロアスター暦に沿って生活した当時のペルシャ人にとっては、そこはまさに格好の土地でした。
 一方、『竹取物語』の作者として、どうして「文時」が浮上したかといえば、全く違うなりゆきでした。
 日本書紀に現れるペルシャ人と日本との接点についてまとめようとした時、作者不明であることをよいことに、作者になりすまし、語らせて、「竹取物語」につなげようと決めました。そのために、作者の時代背景を調べていました。作者は、学者か僧侶。なぜならば、「竹取物語」には浄土思想が反映されています。そして富士山の噴火。
 もう一つの時代背景は、『源氏物語』の中にある「絵合わせ」の場面に登場する「竹取翁物語」です。文章を書いたのは紀貫之で、紀貫之は九四五年に没しているので、「竹取物語」の製作はこれ以前でなければなりません。
 これらを考慮すると、まず僧侶は消えます。なぜなら、この頃の浄土教の僧侶は、念仏を唱えて諸国を巡る空也の時代です。その後現れる源信は、紀貫之の没年にはまだ三歳です。
 では、この頃の貴族はどうでしょう。上流階級、学識があり、熱心な浄土思想の持ち主といえば、慶滋保胤か、その師である菅原文時が浮上しました。しかし保胤も、紀貫之の没年にはまだ十一歳です。では、文時は? といえば、なんと、すべての条件に合致します。しかも「竹取物語」についてはよく言われる藤原家に恨みを持つ者、菅原家の人物でもあります。紀貫之の没年には文時四十六歳。宮中で内記として「神社の訛りと神祇を正す仕事」をして二年が過ぎていました。ここで、神社名の「散吉」を「讃岐」にしたのは、文時だとわかったのです。思いがけず、作者が捕まってしまいました。もし神祇を正すのが文時以外の人物だったとしたら、「竹取物語」は生まれていなかったと思います。道真の孫であり、祟りの恐ろしさを誰よりも身近に体験している文時であったからこそ、お鎮まりいただくために「竹取翁物語」を書き、その中に、散吉神の社の名前であり、ご祭神の名前の一部である「さるき」とその由来を残したのだと思います。(後略)

(引用終了)
<同書 243−245ページ(フリガナ省略)>

学者にはない斬新な発想である。外交官の妻としてロンドン、モスクワ、ボストン、バグダード、オタワ、タシケント、テヘランなどで暮らした経歴が生きている。こういう研究者がもっと出てくると古代史の真相がより見えてくるのだが。

 上記に「散吉神の社」という名前がある。そこには、散吉大建命神(サルキオオタツノミコトノカミ)、散吉伊能城神(サルキイノジノカミ)という二柱の神が祀られていた。この神々はいった誰なのか。そもそも散吉(サルキ)とはどういう意味なのか。孫崎氏はその謎に果敢に挑む。「まえがき」も引用しよう。

(引用開始)

 竹取物語は、伝説ではなく、知識豊かな貴族により書かれました。これは定説です。
 ではその作者が誰かとなると、候補者は多くいながら、未だ定説はありません。
 ところが、ここにどうしても「竹取物語」を書かねばならない人物がいたのです。それは、菅原文時、つまり菅原道真の孫です。文章博士であり、和漢の文章にも和歌にも特に優れていました。
 文時は、内記の職にあった時、十年間にわたり全国の神社の神祇の乱れと神社の訛りを正しくする仕事に携わりました。六五〇〇社以上の神社にあたりましたが、そのうち半分は自分の手になるものと自ら記しています。
 その中に、大和国広瀬郡「さるき(散吉)神の社」がありました。文時はこれを「さぬき(讃岐)神社」と変えました。「さるき」から「さぬき」へ、訛りを正したのです。しかし、同時に文時は大きな悩みを抱えることになってしまいました。これにより『日本三代実録』中の二柱の散吉神をも、消してしまうことになったのです。三大実録には、散吉大建命神、散吉伊能城神の神階について書かれていました。三大実録は祖父道真の仕事で、実質、道真が編纂したものであるにかかわらず、左遷と同時に、道真の名は編者から削られています。
 文時は二柱のご祭神の祟りを畏れ、また、道真の祟りをも畏れました。道真は祟り神で知られています。そこで、文時は、散吉神の名「さるき」を別の形で残そうとしました。その方策として「さるきのみやつこ」を主人公とする物語『竹取の翁の物語』を書いたのです。
 実際に、『源氏物語』では、竹取物語は「竹取のの物語」ですし、『竹取物語』の最古の写本を含め現存する手書き写本のほとんどが、翁の名は「さるきのみやつこ」となっています。「さぬき」ではありません。
 しかし現在では、江戸時代の木版本による誤り“さぬきのみやつこ”と、「讃岐(さぬき)神社」の実在のために、すべてが「さぬき」となってしまいました。江戸時代には「散吉郷」まで「さぬきごう」と読まれました。しかし、「さきごう」と読むという資料もあり、「さき」の存在は「さるき」という音を示唆しています。
 では、いったい「さるき」とは何でしょう。『日本書紀』の斉明天皇の項にはペルシャ人たちが登場します。彼らの「長老」は「sarkar」と呼ばれました。この音が、日本人には「さるき」ととらえられたのだと思います。散吉の散は「さる」、当時、散楽は「さるごう」と読まれていました。「き」に吉があてられています。古代の日本人にはペルシャ人たちが話すサルカルという音は「さるき」と聞こえ「散吉」と音訳したのでしょう。
 これらのペルシャ人は期せずして、今につながる私たちの伝統文化に結果として関わることとなりました。このお話は、これらペルシャ人たちと謎の多い飛鳥時代の日本とのかかわりから始まります。

(引用終了)
<同書 1−3ページ(フリガナ省略、太字は傍点)>

いかがだろう、列島の古代史に興味がある方なら一読したくなるのではないか。夏休みに丁度良い読み物だとおもう。ペルシャ文化と古代日本との関係については、『ペルシャ文化渡来考』伊藤義教著(ちくま学芸文庫)にさらに詳しい。
 
 かぐや姫に関しては、以前「日本アニメの先進性」の項で、『かぐや姫の物語』高畑勲監督(スタジオジブリ)について書いたことがある。併せてお読みいただければ嬉しい。

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早苗饗−SANABURI−

2017年06月27日 [ アート&レジャー ]@sanmotegiをフォローする

 ときどき書店で買う雑誌に、以前「日本海側の魅力」の項で紹介した『自遊人』がある。編集長岩佐十良氏の思い入れが濃い、充実したライフスタイル誌だ。裏表紙に“地方のことは地方だからこそわかる。地方で考えて地方から発信する。日本で唯一の全国誌。さぁ地方の未来を地方からつくろう。”とある。同誌編集部は今から10年以上前に、東京から新潟県南魚沼市へ移転した。2017年5月号の特集は「移住」。同市にある(株)自遊人運営の旅館「里山十帖」で働く従業員たちが、自ら移住についてインタビューに答えている。

 その記事を読んだこともあって、先日「里山十帖」に一泊してきた。12室しかない小規模旅館だが、古民家を改造した建物が重厚で素晴らしい。チェックインしてすぐ、山の見える露天温泉風呂へ行った。正面に見えるのは日本百名山の一つ、巻機山。その左右にも山々が連なっている。雪の残った峰々が午後の陽に輝き、木々に覆われた裾野が温泉の足元にまで広がって眺望は抜群だ。景色を独り占めしながらゆったり風呂につかっていると、東洋系の顔立ちをした30歳代の男性が湯船に入ってきた。日本語で話しかけると英語しかできないという。そこで英語でいろいろ聞いてみると、彼(名前はディロン)はアメリカ、ロス・アンジェルスからはるばるやってきたことが分かった。職業はフード・カメラマン、この旅館がとても気に入って、夫婦でたびたび訪れているとのこと。以前「観光業について」、「観光業について II」で述べたことが実現しているようで嬉しかった。私が考える日本の観光戦略の基本は、

(1)日本語(文化)のユニークさをアピールする
(2)パーソナルな人と人との繋がりをつくる
(3)街の景観を整える(庭園都市

というものだ。「里山十帖」の場合、(1)と(3)は充分。これから先、どのように(2)を世界に広げてゆくかが課題であろうか。

 夜の山菜料理も素敵だった。日本には、こうした美しい景色、温泉、そして美味しい料理がある。メニューに書かれた「オーガニック&デトックス 早苗饗−SANABURI−」という文章を引用したい。

(引用開始)

 田植えが終わったあと、その年の豊作を祈るのと同時に、田植えに協力してくれた人々をもてなす「饗応」のことを「さなぶり」と言います。

 「早苗饗」(さなぶり)のテーマは、そんな日本の伝統を大切にしながら、新しい食の喜びを追及すること。ミシュランガイド関西の三ッ星店で修業した日本料理の技術と、アーユルヴェーダの思想を融合させて、どこにもない、里山十帖ならではの料理をご提供しています。

 無農薬&有機栽培の野菜を中心に、肉と野菜を少しずつ。繊細な味わいを活かすために、調味料はすべて天然醸造&無添加、味噌や漬け物は自家製です。なおデザートを除いて砂糖は使っておりません。素材のもつ“甘み”をお楽しみください。

 山持ちの旦那衆の蔵に大切に保管されていた骨董や、私たちが好きな作家さんの器とともにお楽しみいただければ幸いです。

(引用終了)
<句読点・改行などを追加変更(フリガナ省略)>

 翌朝温泉でディロンに会うと、彼はスマートフォンで山の写真を撮っていた。朝日に輝く山々の写真を拡大し、ロスにある自宅のバスルームの壁に貼るのだそうだ。「そうすればいつでもここにいる気分になれる」ディロンは笑いながらそういった。写真は朝食後、散歩道から撮ったその景色。

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古代史の表と裏

2017年01月03日 [ アート&レジャー ]@sanmotegiをフォローする

 『古代史の謎は「鉄」で解ける』長野正孝著(PHP新書)という本を面白く読んだ。副題に“前方後円墳や「倭国大乱」の実像”とある。以前「歴史の表と裏」の項で、日本の戦後を例にその外史(裏史)を辿ったが、今回はこの本に沿って、日本古代の外史を探ってみたい。尚、この本は2015年10月の出版。長野氏には同年1月に出た『古代史の謎は「海路」で解ける』(PHP新書)という本もある。併せて手掛かりとしたい。こちらの副題は“卑弥呼や「倭の五王」の海に漕ぎ出す”。本カバー裏表紙の著者紹介によると、長野氏は工学博士、元国土交通省湾岸技術研究所部長。ライフワークは海洋史、土木史研究という。

 概要把握のためにまずその紹介文を、帯表紙、カバー表紙裏、帯裏表紙の順で引用しておく。勿論詳細は両書をお読みいただきたい。

(引用開始)

『古代史の謎は「鉄」で解ける』

<「船の専門家」だから語れる、交易が支えた古代史>
鉄資源の流れから、「前方後円墳は実利を得る「『公設市場』」と看破。価値ある論説だ。(ベストセラー『日本史の謎は「地形」で解ける』著者竹村公太郎)

船をつくるための鉄斧や武器となる刀の材料になるなど、鉄は古来きわめて重要な資源であった。紀元前から倭人は鉄を朝鮮半島から輸入していたが、1〜2世紀に、『後漢書』などが伝える「倭国大乱」が起こる。著者はこれを、高句麗の南下によって起こった「鉄の爆発」を伴う社会変革だと考える。それ以降、日本に遊牧民の文化である「光る塚」がつくられ、「鉄の集落」が全国で形成された。やがて前方後円墳が大量に築造されるが、あの不思議な形状は鉄の交易に関わる秀逸なアイデアの賜であった――。船と港の専門家が、鉄の交易に着目し日本の原像を探る。

〇 鉄を運ぶために生まれてきた海洋民族「倭人」
〇 黒曜石と土笛が語る草創期の「鉄の路」
〇 高句麗の南下によって生まれた「倭国大乱」
〇 日本海を渡る知恵――準構造船の技術革新
〇 突然できた日本海の鉄の集落
〇 鉄から見た卑弥呼の国――倭国と大和は別の国
〇 敦賀王国をつくった応神天皇
〇 倭国が朝鮮半島で戦った理由――「鉄の路」の維持
〇 前方後円墳はなぜ普及し、なぜ巨大化したのか
〇 埴輪の役割


『古代史の謎は「海路」で解ける』

<技術者の「知」が文献学の壁を破る>
船や海への分析から、邪馬台国が日本海側にあることが見えてくる。深く納得。(ベストセラー『日本史の謎は「地形」で解ける』著者竹村公太郎)

「魏志倭人伝」によると、卑弥呼の特使である難升米が洛陽まで約2000kmの航海を行ったという。邪馬台国が畿内の内陸にあった場合、彼らは本当に対馬海峡を渡ることができただろうか。またこの時代、瀬戸内海は航路が未開発であったため通ることができず、交易は主に日本海側で行われていたと考えられる。当時の航海技術や地形に基づき、海人(かいじん)の身になって丹後半島の遺跡に身を置けば、鉄と翡翠で繫栄する「王国」の姿が見えてくる……。さらに応神帝の「海運業」や「大化の改新」などの謎を、港湾や運河の建造に長年従事してきた著者が技術者の「知」で解き明かす。

〇 丹後王国をつくった半島横断船曳道
〇 丹後王国の繁栄をつくった日本最古の「製鉄・玉造りコンビナート」
〇 「神武東征」は当時の刳り船では不可能だった
〇 卑弥呼の特使難升米も瀬戸内海を通れなかった
〇 敦賀王国をつくった応神帝と氣比神
〇 雄略帝の瀬戸内海啓開作戦
〇 継体王朝が拓いた「近畿水回廊」とは?
〇 奈良の都の出勤風景と「無文銀銭」・「富本銭」の謎
〇 難しかった孝徳天皇の難波津プロジェクト
〇 「大化の改新」の陰に消された日本海洋民族の都「倭京」
〇 解けた「音戸の瀬戸開削」の謎――厳島詣の道

(引用終了)
<引用者によって括弧などを追加(フリガナ省略)>

 日本古代外史を考える際の鍵は、正史であるところの『日本書紀』からどれだけ離れて真実を探ることができるかだ(長野氏は正史を「中央史観」と呼ぶ)。このブログではこれまでその点で共通する小林惠子氏(「繰り返し読書法」)と栗本慎一郎氏(「関連読書法」)、関裕二氏(「時系列読書法」)の諸本を紹介してきた。小林氏は大陸史書の読み込み、栗本氏は経済人類学的所見、関氏は作家的ひらめきと地形・考古学的視点といった特長を持っている。

 長野氏は『古代史の謎は「鉄」で解ける』の第一章を次のような文章で始める。

(引用開始)

 大昔、朝鮮半島には、遊牧民族、農耕民族と一握りの海洋民族が静かに暮らしていた。鉄が朝鮮半島でつくられ始め、隣の大国中国が侵略したのをきっかけに、ここの民族は存亡をかけた大きな戦いの渦に巻き込まれた。それが千年近く続き、日本まで巻き込まれた。

(引用終了)
<同書 16ページ>

始まりは紀元前三世紀のことという。

 この遊牧、農耕、海洋といった民族概念が重要だ。民族によってその文化や言語、宗教や歴史、さらにはその居場所と統治機構の在り方が違う。当初日本列島には、海岸地域に暮らす海洋民族(おそらく朝鮮半島のそれと同類)、内陸に暮らす狩猟民族がいただろう。それが半島と交易するなかで、農耕民族、遊牧民族が移入し、彼らの文化、居場所が形成される。その後、各民族が棲み分け、共生、あるいは戦いながら各々の文化を熟成、列島で鉄がつくられ始める紀元七世紀ごろより、日本は半島・大陸から離れて独自の民族的発展を遂げてゆく。各民族文化のブレンド具合が今に繋がってくるわけだ。

 長野氏は、鉄の伝播・生産に基づいた時代区分を次のように分ける。第一段階は鉄の使用段階、二番目は鉄器を製作(鍛造)した段階、三番目は鉄器を鋳造した段階。この三段階と、手漕ぎ丸木舟、準構造船、帆船といった船(と航海技術)の発展三段階を組み合わせ、さらに地形や気象の変化を加味し、長野氏は各民族の進展を跡付ける。

 それが紹介文にあるような内容で、正史において隠された倭人の実態、船曳道、丹後や敦賀の繁栄、瀬戸内海海路の開通時期、関東地方の底力、交易市場としての前方後円墳、などが解明される。他の外史や新発見と突き合わせることでさらに興味深い仮説が見出されるだろう。例えば先日、青谷横木遺跡(鳥取市)から出土した七世紀末〜八世紀初めの板から、奈良県明日香村の高松塚古墳国宝壁画(同時期)と似た複数の女性を描いた図(女子群像)が見つかった。こういった女子群像を含む人物像は中国や北朝鮮の墓に描かれているから、そういう大陸・半島の葬送文化が都の奈良以外に直接普及していた証拠になるのではないか。

 「日本海側の魅力」の項で述べたように、私は日本列島への文化の流入ルートとしていわゆる「時計回り」、シベリアから北海道を経て東北、北陸へと伝わった筈のヒトとモノのトレースに興味を持っている。長野氏も、

(引用開始)

 鉄の歴史を追うとき、高句麗の歴史に踏み込み、中央史観が中心地と見なす近畿以外の信州、群馬、埼玉の高麗の国の歴史をさらに詳しく調べてみる必要がある。それによって、全く違う日本史が見えてくる。
 三世紀の宗教祭祀の実際、たとえば、高句麗から鬼神の思想と信仰にもとづいた魔よけ思想が、二世紀頃に日本に渡来している。また、その時代の道教の神仙思想や牽牛と織女を中心とする七夕の儀式、中国東北部の原野を家畜と旅する放牧民の祭祀、状況を想像すれば、その時代の日本人の精神構造がわかるような気がする。

(引用終了)
<同書 209ページ>

と書いておられる。高句麗、その周辺の扶余、沃祖、挹婁、粛慎、靺鞨、さらには背後にあった鮮卑、柔然、突厥、高車といった国々の動きに注目すべきだ。これからも研究を続けたい。

 尚、本の帯表紙にコメントを寄せている竹村公太郎氏は、長野氏と同じ元国土交通省職員(河川局長)、二人は実務家という点で共通している。このブログでは「地形と気象から見る歴史」、「中小水力発電」の項などで竹村氏の著書も紹介してきた。併せてお読みいただきたい。

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女性による父性代行

2016年10月11日 [ アート&レジャー ]@sanmotegiをフォローする

 先日TVのWOWOWチャンネルで、『さいはてにて やさしい香りと待ちながら』(チャン・ショウチョン監督)という映画を観た。プロムラム・ガイドから紹介文を引用しよう。

(引用開始)

行方不明の父の船小屋を改修して珈琲店を始めた岬と、幼い2人の子供を抱えるシングルマザーの絵里子。石川県能登半島の珠洲市を舞台に、2人の女性の交流を温かく綴る。

(引用終了)

2015年の作品で、岬を演じるのは永作博美、絵里子を演じるのは佐々木希。

 この作品は、以前「何も起こらない映画」の項で書いた、「場所と人との関係が中心テーマで、ドラマチックなストーリー展開がなく、淡々とその時空が描かれるような映画、場所と登場人物たちの魅力だけでもっているような作品」の範疇に入るだろう。

 主人公岬は独身、幼い時に別れた漁師の父の帰りを待つために海辺で珈琲店を始める。もう一人の絵里子もシングルマザーだから、どちらも父性とは縁遠く、映画は「日米の映画対比」の項でみた複眼主義のB側、

------------------------------------------
B Process Technology−日本語的発想−環境中心
b 身体(大脳旧皮質及び脳幹)の働き−「私(Private)」−「自然」
B 女性性=「時間重視」「関係原理」
------------------------------------------

の考え方で進んでゆく。しかし最後が少し違った。

 父親らしき遺骨が海で見つかったことにより、岬は父を待ち続けることの虚しさから海辺を去る。だが最後、岬は海辺の珈琲店に戻ってくる。絵里子が岬を「おかえり」と迎え、岬が「ただいま」というところで映画は幕を閉じる。そのときの岬は、これまで(父をただ待っていた時)と違い、自らが父性を代行するという決意に満ちた表情のように見えた。

 <日本の戦後の父性不在>の問題は、女性による父性代行によって補われ得る。そのことをこのラストは示唆しているように思えた。外国(台湾)の女性が監督を務めたことで一味違った出来栄えとなったのだろうか。

 それにしても日本海の映像が美しい。まさに「日本海側の魅力」である。其処ここに使われる「青」の小道具(衣服や椅子など)も印象に残った。

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庄内弁の小説

2016年08月16日 [ アート&レジャー ]@sanmotegiをフォローする

 先日「庄内平野の在来野菜」の項で庄内弁について触れたが、庄内弁を多用した小説といえば、『春秋山伏記』藤沢周平著(新潮文庫)を挙げることが出来る。周知のように、藤沢周平(本名小菅留治)は山形県鶴岡(庄内地方)の出身の作家である。

 この『春秋山伏記』は、羽黒山の山伏(修験者)と庄内地方の村人たちを描いた物語である。著者の「あとがき」にもあるが、どちらかというと山伏よりも村人の生活に焦点が当てられている。その「あとがき」から一部引用しよう。

(引用開始)

 庄内平野に霰が降りしきるころ、山伏装束をつけ、高足駄を履いた山伏が、村の家々を一軒ずつ回ってきたことをおぼえている。(中略)
 こういう子供のころの記憶と、病気をなおし、卦を立て、寺子屋を開き、つまり村のインテリとして定住した里山伏に対する興味が、この小説の母体になっている。
 とは言っても、山伏に対する子供のころの畏怖は、まだ私の中に残っているようだ。彼らは普通人と同じように、村の中で暮らすことも出来たが、修験によって体得した特殊な精神世界を所有することで、彼らは一点やはり普通の村びとと違っていただろうと考える。そこは、ただの人間である私には、のぞき見ることが出来ない世界である。畏怖はそこからくる。
 そういうわけで、この小説は山伏が主人公のようでありながら、じつは江戸後期の村びとの誰かれが主人公である物語になっている。
 またこの小説で、私はほとんど恣意的なまでに、方言(庄内弁)にこだわって書いている。およみくださる読者は閉口されるに違いないが、私には、方言は急速に衰弱にむかっているという考えがあるので、あまりいい加減な言葉も書きたくなかったである。ご諒承いただきたいものである。

(引用終了)
<同書 306-308ページ(フリガナ省略)>

閉口するどころか、私は大いに庄内弁を楽しんだ。村人たちが遣う日常の言葉は物語にリアリティを与えている。土地の言葉は歴史(時空の集積)そのものだからだ。

 同書の解説によると、「庄内弁とは恐らく、京都の言葉が海岸沿いに北進してこの地方に定着し、東北訛(なま)りと融合したものであろう」とのことである。その一端を同書から抜書きしてみよう。物語の最初に、村人「おとし」が、山伏・大鷲坊となって帰ってきた「鷲蔵」と出会うときの会話。

(引用開始)

「お前(め)、鷲蔵さんでねえろが?」
「ンだ」
 と大男の山伏は言った。
「あいや、肝消(きもげ)だ(驚いた)ごど」
 おとしは本当に驚いて言った。
「せば、おらっさけだ(さっき)、鷲蔵さんから助けらえだなだがや」
「お前(め)は誰(だえ)だっけの?」
 大鷲坊は首をひねってじっとおとしの顔を見た。
「おら、重右ェ門(じようえむ)のおとしだども」
「重右ェ門? ああ、おとし……」(中略)「思い出した。お前(め)は泣き味噌(みそ)の女子(おなんこ)での。俺がわぎさ行(え)っただけで、泣き出したもんだった」
「ンだがものう。鷲蔵さんはおっかなかったもの」
「しかし、あの泣き味噌が、きれいなあねさまになったもんだの」
「やんだ、おら」
 おとしは顔を隠して言い、手を離すと赤い顔になって大鷲坊をみ、小さな笑い声を立てた。眼の前の怖い山伏が、あの鼻つまみの鷲蔵だとわかった気楽さと、きれいなあねさまというひと言に誘われて、思わず若い身振りになっていた。(中略)
「おとし、さっけだ(さっき)がら、その……」
 大鷲坊がおとしの抱えている笊(ざる)を指さした。
「笊かっつめ(抱え)でいるども、それは何だ?」
「あ、これ」
 おとしはあわてて笊の青物をさしだした。
「これ、さっけあだのお礼に持ってきたなだもの。だべでくらへ」

(引用終了)
<同書 24−25ページ>

 「庄内平野の在来野菜」でも書いたように、これからはこういうlocalな価値がものを云う時代だと思う。『春秋山伏記』は、昭和53年(1978年)に書かれた。戦後の高度成長期(1955年−1973年)と、その後のバブル期(1985年−1991年)との中間時点である(各期の年代は諸説ある内の一つ)。多くの日本人が経済成長に舞い上がっていたこの時期、将来を見据えてこういう作品を残してくれた作家もいたのである。

 修験道については、以前『百花深処』<修験道について>の項で書いたことがある。併せてお読みいただきたい。写真は先日旅行時に撮った羽黒山五重の塔。

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日本の美術館

2016年08月12日 [ アート&レジャー ]@sanmotegiをフォローする

 このブログでは、日本の街づくりに必要なコンセプトとして、「庭園・芸術都市」(庭園や里山、邸宅美術館や芸術劇場を持つ流域都市)を提唱しているが、その提唱者としては、最近出版された『フランス人がときめいた日本の美術館』ソフィー・リチャード著(集英社インターナショナル)を紹介しないわけにゆかない。ソフィーさんの写真が添えられた本の帯表紙から、紹介文を引用しよう。

(引用開始)

フランスの美術史家が、10年かけて日本各地を旅し、選りすぐった「本当に価値のある」美術館。英語圏で大評判のガイドブック待望の翻訳!
朽木ゆり子氏推薦!「私も知らない美術館がこんなに!ソフィーさんの眼力に脱帽」

(引用終了)

ということで、この本には日本全国、50箇所ほどの美術館・博物館が、綺麗な写真と共に、基本見開き一ページ/一箇所で紹介されている。それ以外に追加情報として言及された美術館もある。

 彼女の「日本の読者の皆さんへ」という巻頭にある文章を一部紹介する。

(引用開始)

 世界中どこへ行っても美術館めぐりをするのが好きなので、日本でも美術館を訪ねてまわりました。ほどなく、この国には信じられないほど多くの美術館があること、その一方で、日本語のできない者が美術館情報を見つけるのは容易でないことがわかりました。美術館への好奇心が高まるままに、もともとリストづくりが好きだったわたしは、訪ねてみたい美術館の一覧表をつくりはじめました。
 そんなある日、美術館をテーマにして本を書こうと思い立ったのです。日本文化を知るにはそれがいちばんだと思いました。伝統美術から最先端をいく現代アート。写真から民藝。芸術家の住まいを改装した瀟洒な美術館から堂々たる大型美術館……。日本の美術館はバラエティに富んでいます。わたしはこうした美術館を通じて過去と現代の日本のすばらしさを知り、日本を体験することができました。

(引用終了)
<同書 2−3ページ(フリガナ省略)>

 このブログでは、「観光業について」や「観光業について II」の項などで、海外観光客向けになすべきこととして、

(1)日本語(文化)のユニークさをアピールする
(2)パーソナルな人と人との繋がりをつくる
(3)街の景観を整える(庭園都市)

という三点を挙げているが、この本の原著は、海外の人々に(1)の日本文化のユニークさをアピールする役割を果たしてくれているわけだ。そして日本語のこの本は、我々日本人に、日本がこれから「庭園・芸術都市」としてやってゆく自信を与えてくれる。

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モランディと中川一政

2016年05月03日 [ アート&レジャー ]@sanmotegiをフォローする

 東京ステーションギャラリーで、「ジョルジョ・モランディ 終わりなき変奏」展を観た。ジョルジョ・モランディ(1890−1964)はイタリアの画家。瓶や器、ボローニャの街角風景などを繰り返し描いた。展覧会の新聞広告から引用しよう。

(引用開始)

 生没年を見ればわかる通り、モランディが生きた時代は20世紀の幕開け、芸術上の革命が次から次へと起った激動期です。その中で、モランディは、前衛的な絵画動向を横目で見つつ、故郷のボローニャのアトリエにこもって、静物画という限定された主題に取り組みました。簡素な生活スタイル、簡素な画題、簡素な色彩、簡素な形。しかしその簡素さは、全く逆に、絵画というものを攻め、突き詰めるためにあえて選ばれた冒険の結果でした。
 パッと見で上品な絵と判断されがちなモランディは、「静か」「静謐」などお定まりの形容で語られることがしばしば。が、実際には、ふらつくような筆の運動、微妙な器の配置、ぎりぎりのラインで呼応し合う色調の組み合わせなど、画面はじつに饒舌です。
 線・色・形・空間の手に汗握る展開を目の当たりに出来るモランディの絵画。その面白さを圧縮させているのが、器やテーブルの境界に現れる輪郭線です。周囲に溶け込んでいたり境目をがっちり切り分けたり、一本の瓶の周囲でさえ多様な変化を見せる輪郭線は、それだけで見る目を飽きさせません。目で辿ると、モランディの絵の密度(詰まった感じ)の秘密もわかるでしょう。輪郭の部分こそ、色と形が押し合いへし合いし、絵の空間を決定する要のポイントだからです。ゆらゆら揺れるモランディの線はおそらく、その押し合いへし合いの結果なのです。(東京ステーションギャラリー 学芸員・成相肇)

(引用終了)
<東京新聞 2/2016掲載(抜粋)>

モランディの絵の特徴は、造形のミニマム化、色彩の旋律、テーマ性の排除、といった言葉に纏めることができるだろう。

 20世紀は、大量生産・輸送・消費システムと人のgreed(過剰な財欲と名声欲)による“行き過ぎた資本主義”が跋扈し、科学の「還元主義思考」によって生まれた“モノ信仰”が蔓延する時代だった。世界は今もその残滓に苦しんでいるが、20世紀の画家たちは、主に二つの方法でこれに立ち向かった。一つは“モノ信仰”を逆手にとって、要素還元的な絵画で時代を批判・揶揄する方法。フォービズム、キュビズムなどの画家たちだ。もう一つは時代に背を向けてひたすら「コト」の孤高を守る方法。モランディはこちら側の画家だったと思う。勿論二つの方法を使い分けた画家もいるし、時代に妥協してしまった画家たちも多くいただろう。

 東京ステーションギャラリーでモランディを堪能した後日、旅行中、偶々湯河原にある「真鶴町立中川一政美術館」で中川一政(1893−1991)の絵を観た。モランディはボローニャで、瓶や器、街角の風景を描いたが、中川も真鶴に居を定め、壷の薔薇や箱根駒ケ岳、福浦突堤の風景などを繰り返し描いた。中川の絵にも、造形のミニマム化、色彩の旋律、テーマ性の排除といった特徴がある。これは面白い発見だった。

 20世紀の西洋絵画の主流は、フォービズム、キュビズム、抽象絵画、シュルレアリズム、表現主義へと変化してゆくが、モランディも中川も、それらを横目で見ながら、終始一貫して同じ絵を描き続けた(風土と対象は違うけれど)。生年月日をみると、二人は同世代であり、物心付いたのは共に20世紀初頭であることがわかる。

 二人は共にセザンヌ(1839−1906)から影響を受けたという。セザンヌについては、「20世紀を前にした絵画変革」の項で、「周辺的なモティーフによる造形と色彩表現」と纏めたが、20世紀に入り、モランディと中川はこの試みをさらに持続展開させたともいえるだろう。

 テーマ性の排除と色彩の旋律だけならば、抽象画でも表現できる。しかし「造形」が加わると、アフォーダンス的な知覚が刺戟される。アフォーダンス理論では、世界はミーディアム(空気や水などの媒体物質)とサブスタンス(土や木などの個体的物質)、そしてその二つが出会うところのサーフェス(表面)からなっていて、人は自らの知覚システム(基礎的定位、聴覚、触覚、味覚、嗅覚、視覚)によって、運動を通してこの世界を日々発見するとされる。絵を観るのも視覚による運動である。二人は「造形」を捨てなかったことで、そしてそれを瓶や器、街角の風景、壷の薔薇や箱根駒ケ岳といった形に「ミニマム化」することで、観る人の知覚システムをより強く喚起することに成功した。

 これまで、21世紀の絵画表現について、

●動きそのものを描こうとする絵画(「21世紀の絵画表現」)
●汎神論的、自然崇拝的な絵画(「ラファエル前派の絵画」)
●豊な時間を内包する絵画(「写実絵画について」) 

と書いてきたが、モランディや中川の、

○造形のミニマム化
○色彩の旋律
○テーマ性の排除

といった特徴は、今世紀どのように引き継がれるのだろう。最後の「テーマ性の排除」が、「豊な時間を内包する絵画(写実絵画)」へと引き継がれることは想像できる。他二つの特徴の行方についてはどうか。この辺りまた項を改めて考えてみよう。

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象徴主義絵画

2016年04月26日 [ アート&レジャー ]@sanmotegiをフォローする

 19世紀後半の象徴主義絵画についても触れておきたい。象徴主義について、『西洋美術史』高階秀爾監修(美術出版社)から引用する。

(引用開始)

 象徴主義は、19世紀後半の(印象主義と並ぶ)もう一つの重要な芸術の流れである。科学と機械万能の時代の実利的なブルジョワ精神、芸術の卑俗化を嫌悪した文学者や芸術家は、人間存在とその運命に関する深い苦悩、精神性への欲求から、内的な思考や精神の状態、夢の世界などを表現しようとした。それゆえに象徴主義は、主題や表現手段の上できわめて多様な形を取った国際的な潮流となった。
 イギリスに現れたラファエル前派は、最初の象徴主義の運動の一つにかぞえられる。

(引用終了)
<同書 147ページ(括弧内は引用者による補注)>

先日取り上げた「ラファエル前派の絵画」は、象徴主義の表れのひとつでもあったわけだ。

 象徴主義絵画といえば、去年(2015年)4月、ブリジストン美術館の(新築工事のために長期休館する直前に開かれた)「ベスト・オブ・ザ・ベスト」展で、ギュスターヴ・モローの『化粧』という小品(33.0cm x 19.3cm)を観た。

(引用開始)

あでやかな東方風の装いの女性が、柱あるいは衝立に物憂げにもたれかかっています。その身にまとった鮮やかな色彩の豪奢な織物と美しい宝石類は、彼女が権力者の寵愛を受ける立場であることを想起させます。非常に繊細なデッサン、そして水彩絵具の即興的な性質を生かし、色彩の濃淡や、質感を描き分けて完成させた魅力溢れる作品です。モローは旧約聖書の時代と空間、すなわち古代とオリエントから着想を得て多くの作品を描きました。堅固で暗い建築空間の中に、人物の衣装や装身具のあざやかで豊な色彩を合わせ、固さと柔らかさ、あるいは明暗などの絶妙なコントラストを表すことによって、ドラマティックで演劇性に富んだ絵画を制作しました。

(引用終了)
<カタログ「ブリジストン美術館名作選」より>

 休館となったブリジストン美術館の良さは、19世紀以降のフランスを中心とした西洋近代美術が系統だって揃えられていることだった。印象派、ポスト印象派、フォービズム、キュビズム、抽象画などなど。残念だが、数年後、新たに生まれ変わった姿が見られるということなので期待して待つとしよう。

 ギュスターヴ・モローについて『西洋美術史』には次のようにある。

(引用開始)

モローは聖書や異教的な神話を題材にしながら抽象的な概念を描き出した画家で、「オルフェウスの首を抱くトラキアの娘」《IX-21》は彼のデビュー時代の代表作である。モローが作り出した驚くべきイメージ、とりわけサロメのような邪悪で魅惑的な女性像は、ビアズリー《IX-22》、クリムトなどの画家や世紀末の文学、音楽全般に大きな影響を与えた。

(引用終了)
<同書 149ページ(図版省略)>

 オーブリー・ビアズリーの作品は、『百花深処』<エレガントな女性美>の項で紹介した「ザ・ビューティフル 英国唯美主義 1860−1900」で、『クライマックス―サロメ』(素描)など7点を観ることができた。『クライマックス―サロメ』と他の2点は、作家オスカー・ワイルドの戯曲本『サロメ』の挿絵として描かれたもので、それらは、今でも1880年代のデカダンスの縮図と見做されているという。

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写実絵画について

2016年04月19日 [ アート&レジャー ]@sanmotegiをフォローする

 先日、千葉市郊外(あすみが丘)にある「ホキ美術館」で、五味文彦氏や大畑稔浩氏などの写実絵画を観てきた。写実絵画とは、対象を見たまま詳細に描く絵画で、ホキ美術館には主に日本の現代作家約50人による400点以上のコレクションが集められている。

 数年前(2010年)にオープンしたばかり、交通の便もあまり良くないロケーションにも拘らず、美術館は多くの人で賑わっていた。何故このような絵画がいま人気なのだろうか。

 写実絵画が写真と異なるところは、写真が「一焦点」であるのに対し、写実絵画は「多焦点」であることだろう。絵のどの部分にも焦点が合っているから、観ているうちに、画家が描いた長い長い時間と、自分の生命の時間とがシンクロする。絵のテーマにではなく、描かれた対象(と自分との関係性)に心地よさを感じ始める。「何も起らない映画」の項で書いた、「観客としての自分の生命の時空と、映画の中の時空とがシンクロする」のと似たようなことが起るのだ。

 写真は、額縁フレームという背景時空の中に主題が納まるが、写実絵画は、額縁に収まった絵が鑑賞者の前で動き出す。「額縁のゆらぎ」の項で紹介したスーラの絵とは違い、堅牢な額縁中の絵そのものが時間を内包しているのだ。そこに写実絵画の人気の秘密があるような気がする。素朴な鑑賞者でも「すご〜い、写真みたい!」といいながら美術館を巡るうちに、だんだん絵の時空と自分の時空とがシンクロして、全点見終わる頃には、不思議な満足感に涵(ひた)されるという次第。

 写実絵画を描く画家の一人青木敏郎氏は、フェルメールの『デルフトの眺望』を見て仰天しこの道に入ったという。「21世紀の絵画表現」で千住博氏の滝の絵について、「フェルメールからモネの睡蓮を通って、主題を持たず動き(時間)そのものを描こうとする筋があり、その線上に、21世紀の絵画表現の一つがあるのかもしれない」と書いたが、それに即して写実絵画についていえば、フェルメールから写実絵画に繋がる、時間を豊に内包した絵画という別の筋があり、その線上にも、21世紀の絵画表現の一つがあるのかもしれない。

 ここまで、21世紀の絵画表現について、

●動きそのものを描こうとする絵画(「21世紀の絵画表現」)
●汎神論的、自然崇拝的な絵画(「ラファエル前派の絵画」)
●豊な時間を内包する絵画(「写実絵画について」) 

と書いてきた。この三つは21世紀の映画における、

○背景時空そのものが動くアニメ(「21世紀の絵画表現」)
○汎神論的、自然崇拝的な映画(『指輪物語』など)
○何もドラマが起らない映画(「何も起らない映画」)

と対応するように思うがいかがだろう。

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何も起らない映画

2016年04月12日 [ アート&レジャー ]@sanmotegiをフォローする

 現代の日本映画には「何も(ドラマが)起らない映画」という筋がある。場所と人との関係が中心テーマで、ドラマチックなストーリー展開がなく、淡々とその時空が描かれるような映画、場所と登場人物たちの魅力だけでもっているような作品。私が辿った範囲では、2006年の『かもめ食堂』(荻上直子監督)がその劈頭を飾るようだ。

『かもめ食堂』(荻上直子監督)2006年
『めがね』(荻上直子監督)2007年
『食堂かたつむり』(富永まい監督)2008年
『プール』(大森美香監督)2009年
『マザーウォーター』(松本佳奈監督)2010年
『レンタネコ』(荻上直子監督)2012年
『しあわせのパン』(三島有紀子監督)2012年
『パンとスープとネコ日和』(松本佳奈監督)2013年

と続く。「ファッションについて II」の項で触れた2015年の『縫い裁つ人』(三島有紀子監督)や、「日米の映画対比」の項で紹介した2014/2015年『リトル・フォレスト(春・秋/冬・春)』(森淳一監督)なども、この筋に重なると思う。これらの作品は、自然描写、食べ物、丁寧に描かれる日々の暮らし、四季の移り変わり、人々の関係性など、複眼主義でいうところのB側、

------------------------------------------
B Process Technology−日本語的発想−環境中心
b 身体(大脳旧皮質及び脳幹)の働き−「私(Private)」−「自然」
B 女性性=「時間重視」「関係原理」
------------------------------------------

の考え方が横溢している。原作や企画、監督(上記)や出演者には女性が多い。原作者では群ようこさん、企画としては霞澤花子さん、出演者では小林聡美さんやもたいまさこさん、市川実日子さんなどなど。

 B側の映画(B級映画ではない!)は観ていていつもホンワカとした気分になる。なんとなく懐かしい気分になる。それは、観客としての自分の生命の時空と、映画の中の時空とがシンクロするからではないだろうか。だから見終わった後も心地よさが残る。元気になる。皆さんはいかがだろう。

 普通映画では、上映1時間半なりの中に、起承転結を踏まえた枠組み(フレーム)があり、そこで恋愛や戦争、社会問題といった各種ストーリーが展開するわけだが、その枠組みは、「背景時空について」の項でみた「人の脳が認識しようとする主役を、単体として浮かび上がらせる為のもの」である。観客は脳の働きでストーリーを追う。複眼主義でいうA側の作用だ。

------------------------------------------
A Resource Planning−英語的発想−主格中心
a 脳(大脳新皮質)の働き−「公(Public)」−「都市」
A 男性性=「空間重視」「所有原理」
------------------------------------------

だから普通の映画の場合、場所や登場人物の魅力は勿論大切だが、ストーリーが駄目だと映画自体面白くない。例えば、最近DVDで観た『ソロモンの偽証(前編・事件/後編・裁判)』(成島出監督)は、登場人物・柏木卓也のキャラクターが弱いこともあって、ラストがいまひとつだった。

 ストーリーが存在しない「何も(ドラマが)起らない映画」においては、起承転結といった枠組みもない。あるのは場所と登場人物の魅力だけである。いってみれば場所そのものが「フレーム」となる。あとは全て「シークエンス」。こういう映画は、日本以外にはあまりないのではないか。先日イギリス・イタリア合作の『おみおくりの作法』(ウンベルト・パゾリーニ監督)を観ていてそうなる(何も起らない)かと思ったら、最後にドラマが待っていた。他にはあるだろうか。すこし調べてみよう。いずれにしても、日本の女性監督は世界へ出て行って、どんどん「何も(ドラマが)起らない映画」を作ったらどうだろう。そっち(B側)だけを強調した映画。『かもめ食堂』や『プール』の発展形として、場所だけでなく出演者もその地域の人々を中心としたもの。

 たとえば「日米映画の対比」で紹介した『警察署長ジェッシイ・ストーン』をベースにしてそれを作る。警察署長ジェッシイ(トム・セレック)の住む海辺の小さな家、彼はいつもウィスキーを飲みながらブラームスのピアノ協奏曲を聴いている。となりのソファには大きな犬が寝そべっている。夜の海、月の光、朝の日差し、田舎町パラダイスに住む人たちの日々の暮らし、寄せる荒波、漁師たちの生活、太平洋という自然。そこへジェッシイの元妻がロス・アンジェルスから移り住んでくる。彼女は町で何か店を開く。そんな、場所と人との関係だけをテーマにした『パラダイス』。事件は何も起らない。そんな映画はどうだろう。

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ラファエル前派の絵画

2016年04月05日 [ アート&レジャー ]@sanmotegiをフォローする

 20世紀を前にしたイギリスの絵画も見ておこう。先日、渋谷の「Bunkamuraザ・ミュージアム」で、ヴィクトリア朝時代に華開いた、ラファエル前派の作品展を観た。「英国の夢 ラファエル前派展」がそれで、作品はリバプール国立美術館所属のコレクションの中から選ばれたとカタログにあった。同館プロデューサー木島俊介氏の新聞紹介記事を引用しよう。

(引用開始)

革新の中の夢想

 一八四八年、イギリスに誕生した「ラファエル前派」グループの活動は、現代という時代に向かって旧い社会構造を変容させることとなる産業革命が、ヨーロッパ全域に波及しようとしていたまさにその直中において、夢想され、かつまた実践された、はかなく切実な美しさの追求であった。それは旧弊に陥っていたアカデミズムに反抗したことにおいては切実な革新運動であったが、ラファエロ的古典主義以前に回帰すべきとしたところにおいては、大いに夢想的であって、この困難な矛盾を実践に移そうとするものであった。ミレイ、ハント、ロセッティという画家たちは、ダンテ、ボッカチョといったイタリア文学や、アーサー王伝説といった中世物語に題材をとったことにおいて反時代的であったが、その彼らも、彼らの時代の現実に体験される苦悩、愛、希望の表明は避けられない。この断層が、繊細優美な表現と謎めいた象徴主義とによって、実に見事に埋めあわされたのである。むしろ、表現の新しさが現実の欲望を旧い主題のなかに生きさせたというべきだろう。今回の展覧会では、既に著名な前期の画家たちに加えて、バーン=ジョーンズ、ストラウィック、ウォーターハウスといった「ラファエル前派」第二第世代ともいうべき画家たちの魅力的な作品も多く見られる。美しさのなか込められている彼らの希求をぜひ見いだしていただきたい。

(引用終了)
<東京新聞 12/19/2015(フリガナ省略)>

 ラファエル前派の革新性は、フランス印象派のように実験的な方向へは行かなかったけれど、絵画の枠を超えて、ウィリアム・モリス(1834−1896)のアーツ&クラフツ運動に引き継がれた。これは、手工芸の革新を通して芸術を再生させるという運動で、壁紙、刺繍、タペストリー、テキスタイル、ステンドグラス、家具、装飾、本の装丁、印刷など生活工芸品のデザイン及び生産を主とした。
 
 『百花深処』<イギリスの庭>で触れた20世紀の造園家ガートルード・ジェキル(1843-1932)は、このアーツ&クラフツ運動と縁が深い。同項で紹介した『旅するイングリッシュガーデン』横明美著(八坂書房)には、

(引用開始)

 彼女の最初のキャリアは、クラフトウーマンだった。アーツ&クラフツ運動を始めたウィリアム・モリスに1869年に出会い、テキスタイル・デザインを師事した。間もなく刺繍やタペストリー、銀製品、木彫、インテリア・デザインなどの仕事を始め、勢力的にこなすが、40代になると視力の衰えが激しく、目を酷使する仕事を諦めるよう医師に宣告された。
 一方で、1875年にはウィリアム・ロビンソンの雑誌『ガーデン』の女流ライターとして連載を始めるが、あくまでもガーデニングは趣味だった。ところが華麗な転身が待っていた。1889年、友人宅のお茶会でアーツ&クラフツ運動に造詣の深いエドワード・ラッチェンスに出会ったのだ。ラッチェンスはニューデリーの都市計画など、多くの公共事業を手がけた、新進気鋭の建築家だった。25歳の年齢差だったが、二人はすぐ意気投合し、田園を廻りながらコッテージの石組みやティンバーフレームについて熱く語り合う。こうして年齢も性別も越えた、世紀のコラボレーションが始まった。屋外での作業が主であるガーデニングは、彼女の目にとって負担が軽く、一石二鳥だった。

(引用終了)
<同書 140ページ(文中「勢力的」は「精力的」の間違いか)>

とある。ラファエル前派の革新性は、アーツ&クラフツ運動を経由して20世紀の造園にまで引き継がれたといえるだろう。

 <イギリスの庭>の項で、イギリス庭園の非整形性には、古いケルト文化の影響があるのではないかと私見を述べたが、ラファエル前派やアーツ&クラフツ運動にも、スコットランドやアイルランド文化の影響を窺うことができると思う。ミレイはスコットランドで「春(林檎の花咲く頃)」を描いた。アーサー王伝説もキリスト教以前からある古い物語だ。横明美さんの文章に出て来るイングリッシュ・フラワーガーデンの父、園芸家、ガーデンライター(園芸作家)のウィリアム・ロビンソン(1838−1935)はアイルランド出身。そういえば今回の作品展はアイルランドに近いリバプール国立美術館所属のコレクションである。

 20世紀を席巻した大量生産の時代、キリスト教文化圏絵画の主流は、点描画、フォービズム、キュビズムを経て抽象絵画、シュルレアリスム、表現主義へと変化してゆくが、ラファエル前派に底流した古いケルト的精神は、絵画の枠を超え、生活芸術や造園へと流れ込んだと考えられる。それもやがて二つの世界大戦とアメリカ文化全盛によって、地下に潜ってしまうのではあるが。アーツ&クラフツ運動の意義とその失敗については、「場所の力」の項で紹介した『場所原論』隈研吾著(市ヶ谷出版社)でも取り上げられている。

 これからの絵画表現として、「21世紀の絵画表現」「額縁のゆらぎ」の項などで「主題を持たず動き(時間)そのものを描こうとする筋」について考えてきたが、もう一つ、この「汎神論的、自然崇拝的な絵画」という筋もあるのではないか。今のラファエル前派の人気はその辺りにあると思われる。

 ラファエル前派については、2014年にも、六本木の森アーツセンターギャラリーで「テート美術館の至宝 ラファエル前派展」が開かれた。そのときはミレイの「オフィーリア」も来ていた。自然豊な川に浮かぶ死せる少女をそこで見たときの不思議な印象が忘れられない。それは、高層ビルの天辺という20世紀の頂点的場所で、19世紀と21世紀とを結ぶ回路(の一つ)を体感したせいなのかもしれない。

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額縁のゆらぎ

2016年03月29日 [ アート&レジャー ]@sanmotegiをフォローする

 以前「21世紀の絵画表現」の項で、

(引用開始)

 去年の11月、国立新美術館で、ゴッホ、スーラーからモンドリアンまでの点描画を集めた「印象派を越えて 点描の画家たち」を観た。19世紀後半に生まれたこれらの点描画は、思考におけるアナログからデジタルへのシステム転換であり、それは、20世紀の現代人の孤立した実存を支える「新しいパラダイム」の到来を告げるものであったとされる。(中略)
 20世紀の西洋絵画は、フォービズム、キュビズムを経て抽象絵画、シュルレアリスム、表現主義へと変化してゆくわけだが、その過程は、点描画のデジタル・システムをさらに推し進めて、形態それ自体をも解体してゆく、還元主義的な精神運動として捉えることが出来るように思う。

(引用終了)

と書いたことがある。前々回「20世紀を前にした絵画変革」の項で、『名画に隠された「二重の謎」』(三浦篤著)という本を紹介し、その中にあるスーラ(スーラー)の試みについて、「絵画の枠取りに対する固執と多様な手法」と書いたが、今回、再びスーラに焦点を当て、その「新しいパラダイム」へ向けた改革を追ってみたい。

 スーラの絵画の特徴はその点描画手法にある。三浦氏は『名画に隠された「二重の謎」』のなかで、スーラが「グランド・ジャッド島の日曜日の午後」の絵の端の部分に、点描によって細い帯状の縁取りが施していることを指摘する。それは額縁の内側に書かれた点描による額縁なのである。スーラはまた、「シャユの踊り」では点描で描いた枠の形態を内側にカールさせる。「夕方、オンフルール」では額縁そのものに点描による彩色を施す。さらに「サーカス」では、内側に書かれた縁取りと額縁の彩色を併用する。まさに「絵画の枠取りに対する固執と多様な手法」なのだが、そのことについて三浦氏は、

(引用開始)

 以上のように、《グランド・ジャッド》(P147上)の「縁取り」をきっかけとして、スーラの絵の「枠」に関して調べてみると、思わぬ視野を得ることになった。スーラの作品においては、「額縁」は「絵」に従属する「装飾」で周囲との「境界」を画するという単純な捉(とら)え方は、もはや崩れてしまっている。「額縁」そのものが「彩色」されたり、「額縁」の内側に、点描の「縁取り」が加えられたり、額縁に似た枠が描き込まれたりしていた。こうした多様な枠取りを見ていくと、スーラは「絵」と「額縁」を別個のものとして捉えるのではなく、「額縁」を含めて絵画作品を構想していたという見方が可能になってくる。
 特に「彩色された額縁」の場合は、その方向が明確に出ている。しかし、「縁取り」や「内側に描かれた額縁」の場合も、それらは「絵」から「額縁」への唐突な以降を和らげるための単なる緩衝(かんしょう)地帯ではなく、あくまでも絵の一部として機能しているのではなかろうか。ただし、それらは絵の内側と外側の間に位置する中間領域であり、内にも外にも属さない曖昧(ああいまい)さを示している。
 西洋絵画は、現実の擬似(ぎじ)的なイメージを表すときは、絵画を囲む現実との間に明確な線引きを必要とし、その役目を額縁が担っていた。しかし絵画が現実から独立した造形物に変化すると、額縁本来の役割が希薄になり、さまざまな形で絵画に取り込まれる現象が出現したように思われる。つまりところ、「枠」や「額縁」の存在に豊なゆらぎを与え、それらを絵画に吸収しよう試みたのがスーラであったと言ってよかろう。

(引用終了)
<同書 162−163ページ>

と書く。「印象派を越えて 点描の画家たち」展を観たときは本書未読だったので、残念ながらこの重要な点に気付かなかった。

 先日「背景時空について」の項で、背景時空とは、人の脳が認識しようとする主役を単体として浮かび上がらせる為のものであるとし、絵画の額縁(フレーム)もその一つであると指適した。スーラは、この背景時空そのものに揺らぎを与えたのであった。正に「新しいパラダイム」へ向けた改革というべきであろう。

 このあと西洋近代絵画は、点描画のコンセプトをさらに推し進めて形態それ自体をも解体してゆくわけだが、スーラはまだそこまで行っていない。

(引用開始)

 スーラにとって芸術のキーワードは「調和」であったという。《グランド・ジャッド》を見ても、そこにはパリ郊外の島で余暇を楽しむさまざまな階級、職業の人々の調和があり、斬新な主題を古典的な構図でまとめあげた伝統と近代の調和もあり、さらには色彩理論、光学理論を絵画に適用するという意味で芸術と科学の調和もあると言えよう。そこにはまた、内側と外側の関係を捉え直すような、絵と枠との調和もまた見出すことができるのである。

(引用終了)
<同書 163ページ>

と三浦氏は述べる。

 これからの絵画は、この「調和」をどのように取り戻すのか。「21世紀の絵画表現」では、「フェルメールからモネの睡蓮を通って、主題を持たず動き(時間)そのものを描こうとする筋があり、その線上に、21世紀の絵画表現の一つがあるのかもしれない」と書いたけれど、また時をみてこの辺りのことを考えてみたい。

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小説『古い校舎に陽が昇る』について

2016年03月22日 [ アート&レジャー ]@sanmotegiをフォローする

 電子書籍サイト「茂木賛の世界」で、小説『古い校舎に陽が昇る』の集中連載を終えた。本作は「綾木孝二郎」シリーズの二作目で、一作目『蔦の館』を同サイトにアップしたのが2014年の9月だから、1年半ぶりのこととなる。140枚程度の拙いものだが時間があればお読みいただきたい。

 本作は、2014年の12月に書いた「後継者づくり」のスキームをそのまま使ってストーリーを展開させた。登場人物たちの名前もそのまま用いている。

 「後継者づくり」の項で、「なんだか小説みたいになってきた」と書いたのは、当時から、この地方自治と街づくりの話が小説に発展する予感があったからかもしれない。

 小説に発展したのは、2015年2月に「地方の時代 III」で紹介した『脱・談合知事』チームニッポン特命取材班著/田中康夫監修(扶桑社新書)と『日本を MNIMA JAPONIA』田中康夫著(講談社)を読んだからである。これらの本によって地方自治の様々な問題に眼を開かされた。田中氏に感謝したい。

 このテーマが「綾木孝二郎」シリーズと合体したのは、『百花深処』<二冊の本について>でも書いたように、同シリーズが「主人公の趣味や信条を通して、現代社会の一面を描くこと」を目的としている一種のビヘイビア小説だからだ。

 地方自治と街づくりは当ブログでもメイン・テーマの一つだが、小説の形でこれを展開できたのは良かった。そういえば他の『あなたの中にあなたはいない』などの作品も当ブログ記事と連動している。読者の皆さんも興味あるテーマがあったらお寄せいただきたい。感想もお待ちしている。

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20世紀を前にした絵画変革

2016年03月15日 [ アート&レジャー ]@sanmotegiをフォローする

 映画の話の次は絵画について書こう。『名画に隠された「二重の謎」』三浦篤著(小学館101ビジュアル新書)という本が面白かった。本カバー表紙裏の紹介文には、

(引用開始)

「見ることの専門家」である「わたし」が美術館でみつけた、名画に残された「事件」の痕跡。
その小さな痕跡を探ってゆくと、
大きな謎の存在が明らかになる……。
19世紀末、芸術の都パリを震撼させた「二重の謎」が、
いま白日の下にさらされる。
共謀したのはゴッホやマネ、ドガ、セザンヌなどの巨匠たち。
西洋近代絵画に起った一連の「変革」の意味について、
推理小説仕立てで描き出す、新しいスタイルの美術入門書。
美麗な図版と貴重な部分図、満載!

(引用終了)

とある。目次にある「事件」とは以下の通り。

第一章 謎は細部に宿る
1 マネのためらい――「残された二つの署名」
2 アングルの予言――「ヴィーナスの二本の右腕」
3 クールベの告白――「二人の少年の冒険」

第二章 映し出された謎
1 ドガの情念――「見捨てられた人形」
2 ボナールの幻視――「鏡の間の裸婦」
3 マティスの緊張――「闇に向かって開かれた窓」

第三章 名画の周辺に隠された謎
1 ゴッホの日本語――「右側と左側」
2 スーラの額縁――「内側と外側」
3 セザンヌの椅子――「右側と左側」再び

 著者はこれらの作品について次のように書く。

(引用開始)

 結局のところ、19世紀フランスとは、絵画が絵画を意識した時代であったと思う。優れた画家は皆、絵画を構成する形式的な要素に敏感に反応した。絵が何でできていて、どのように描かれ、何を目指すのかという問題に、各々の画家が各々の観点から取り組んだ成果が作品にほかならない。19世紀後半のフランスにおいて、絵画は、自らが作られたイメージであることを鋭く意識したのである。

(引用終了)
<同書 185ページ>

 写真の出現などによって、絵画とは何かということが意識された時代。この本は、当時の画家たちの次のような興味深い試みを明らかにする。

マネ:絵の平面性を確信した画家における空間と平面の葛藤。
アングル:形態を自由にデフォルメ、コラージュする先駆的な造形意識。
クールベ:伝統的絵画を揺るがす無垢や素朴さといった新しい美意識。
ドガ:画中画にこだわる画家の芸術家という存在への認識や問いかけ。
ボナール:鏡を偏愛する画家における虚構性と多層性の表現。
マティス:戦争という非人間的な状況への反応。
ゴッホ:絵と文字の合成による異文化への興味、画家としての感性。
スーラ:絵画の枠取りに対する固執と多様な手法。
セザンヌ:周辺的なモティーフによる造形と色彩表現。

引用を続けよう。

(引用開始)

 ある主題を三次元空間に展開する物語的、逸話的な場面として、写実的に描写する伝統的な絵画が、徐々に崩壊への道を歩んでいた。現実再現性が皆無(かいむ)になったわけではないが、そのレベルは確実に低下しつつあった。
 奥行きが浅くなり、表面が浮上した絵画においては、空間がゆがみ、人体が変形し、筆触の効果が露(あらわ)になった。書名も額縁も絵の一部と化し、絵の中の文字が自己主張を始めた。もはや絵画はイリュージョンではなく、絵の具を塗られた表面でしかなかった。絵画は虚構のイメージとして構成され描かれという認識が行きわたり、そのための手段に対する意識が浸透していった。その結果、イメージは単純ではなく複層的になる。絵の中に絵が挿入され、絵画の比喩(ひゆ)でもある鏡や窓のモティーフが意味を担い、存在感をもった。
 まさに、絵画とは何かという諸条件が意識された時代。絵は平面であり、構図や形態は自由にしてよく、アカデミックな価値観に縛られる必要などなくなった。デフォルメもコラージュも問題ないし、上手(うま)い下手(へた)という技術は異なる、子供のような新鮮な感受性が必要とされた。現実再現ではなく、自由な感性を媒介(ばいかい)にして色彩と形態で作られるものこそが絵画であることが、次第に明瞭になっていったのである。(中略)
 19世紀後半から20世紀初頭のパリにおいて、絵画が絵画であることに目覚めた。その結果、それまでの常識、基準、枠組みが覆(くつがえ)され、斬新な試みが実践される状況が生まれた。フランス近代絵画史とはそのような歩みであったと、私の眼には映るのである。

(引用終了)
<同書 185-187ページ>

20世紀を前にしたこれらの変革はなかなか奥が深い。

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日米の映画対比

2016年03月08日 [ アート&レジャー ]@sanmotegiをフォローする

 前回「ファッションについて II」の項で、最近DVDで観た映画を幾つか挙げたので、今回は映画続きで、最近WOWOWチャンネルで観た映画シリーズを二つ紹介したい。どちらも少し前の作品だから御覧になった人も多いだろうし、今さら紹介でもないだろうが、例の複眼主義の、

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A Resource Planning−英語的発想−主格中心
a 脳(大脳新皮質)の働き−「公(Public)」−「都市」
A 男性性=「空間重視」「所有原理」
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B Process Technology−日本語的発想−環境中心
b 身体(大脳旧皮質及び脳幹)の働き−「私(Private)」−「自然」
B 女性性=「時間重視」「関係原理」
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という対比によくマッチするので書いてみたい。

 一つは日本の『リトル・フォレスト』(森淳一監督)である。五十嵐大介の人気漫画を橋本愛主演で実写映像化したもので、東北の小さな集落に移り住んだ主人公が、自給自足に近い暮らしを通して自分を見つめ直すというもの。シリーズは、

「夏・秋」(2014年)
「冬・春」(2015年)

の二作(括弧内は発表年)。この作品にはBの側の考え方が横溢している。特に、「冬・春」の最後に主人公が踊る郷土の舞いが素晴らしい。以前「複眼主義美学」の項において、

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日本古来の女性性の思考は、時間原理に基づく円的な求心運動であり、自然と一体化することで、「見立て」などの連想的具象化能力に優れる。例としては日本舞踊における扇の見立てなど。その美意識は、生命感に溢れた交感神経優位の反重力美学(華やかさ)を主とする。副交感神経優位の強い感情は、女々しさとしてあまり好まれない。
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と書いたけれど、橋本愛の姿・表情は、まさに「生命感に溢れた交感神経優位の反重力美学(華やかさ)」そのもので、観る者をつよく惹き付ける。この交感神経優位の女性美については、『百花深処』<華やかなもの>の項も参照していただきたい。

 もう一つはトム・セレック主演のアメリカ映画シリーズ『警察署長ジェッシイ・ストーン』だ。ロバート・B・パーカーの推理小説を映像化したもので、ボストン郊外の田舎町パラダイスで発生する様々な事件に、警察署長ジェッシイ(トム・セレック)が挑むというもの。シリーズは、

「影に潜む」(2005年)
「闇夜を渉る」(2006年)
「湖水に消える」(2006年)
「訣別の海」(2007年)
「薄氷を漂う」(2009年)
「非情の影」(2010年)
「奪われた純真」(2011年)
「消された疑惑」(2012年)

とこれまで八作品ある(括弧内は同じく発表年)。監督は2011年の「奪われた純真」以外ロバート・ハモン監督、「奪われた純真」はディック・ローリー監督。こちらの作品はAの側の考え方を軸にストーリーが展開する。「複眼主義美学」の項において、

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西洋の男性性の思考は、空間原理に基づく螺旋的な遠心運動であり、都市(人工的なモノとコト全般)に偏していて、高みに飛翔し続ける抽象的思考に優れている。例としては神学や哲学など。その美意識は、交感神経優位の反重力美学(高揚感)を主とする。副交感神経優位のノスタルジアは、ともすると軟弱さとして扱われる。
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と書いたが、主人公は離婚を機に酒におぼれ、ロス・アンジェルスの刑事を辞めて田舎町の警察署長になったくらいだから、決して勇ましいヒーローではない。推理小説系は、概ねAの側が強い。ジェッシイも、事件解決に至る最後では「交感神経優位の反重力美学(高揚感)」を演じる。しかしいつもの彼は、海辺の小さな家に住み、ウィスキーを飲みながらブラームスのピアノ協奏曲を聴く。となりのソファには大きな犬が寝そべっている。この感じが「副交感神経優位のノスタルジアは、ともすると軟弱さとして扱われる」そのもので、このアンチ・ヒーロー振り(と田舎町パラダイスの零落ぶり)が、西洋近代文明の黄昏を表現しているようで観る者の郷愁を誘う。トム・セレックの熟練した演技が、反重力とノスタルジアの間を揺れ動く今のアメリカ(の男性性)を上手く描き出している。尚、西洋近代文明の黄昏については「21世紀の文明様式」の項などを参照されたい。

 いかがだろう、以上、日米の映画を複眼主義の対比で読み解いてみた。これからもときどき面白いと思った映画を紹介してみたい。この年末年始には『スター・ウォーズ フォースの覚醒』(J・J・エイブラムス監督)や『007スペクター』(サム・メンデス監督)も見た。これらの長く続くシリーズについては、いづれ別の角度から書く機会があるかもしれない。

 この複眼主義対比のマッチングは、以前「21世紀の絵画表現」の項でみた、『かぐや姫の物語』(高畑勲監督)と『ゼロ・グラビティ』(A・キュアロン監督)という二つの映画にも当て嵌まる。Aが『ゼロ・グラビティ』(特にマット・コワルスキー役=ジョージ・クルーニー)、Bが『かぐや姫の物語』だ。併せてそちらもお読みいただければ嬉しい。

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posted by 茂木賛 at 11:23 | Permalink | Comment(0) | アート&レジャー

ファッションについて II

2016年03月01日 [ アート&レジャー ]@sanmotegiをフォローする

 ファッションに関する話を続けよう。まず、ファッションと他のアート表現との違いについて。前回、ファッションは、模倣と差異化の「両価性」を持つという説を紹介したが、差異化は「脳の働き」であり、相手の視線を自分に集めさせ、自分のあり方に知覚者を服従させるという意味において、絵画や音楽など他のアート表現とあまり違わないと思われる。しかし、ファッションは身体と外界との物理境界における視覚的表現だから、他のアートよりも人に模倣されやすい。それが他のアートとの一番の違いだろう。「両価性」といわれる所以だ。

 そう考えると、アート表現としてファッションから一番遠いのは、小説や詩などの言語表現であろう。頭のなかで推敲された言語表現の模倣は難しい。難しさの度合いとしては、そのあと絵画や映画、音楽ときて、ファッションの次に模倣されやすいアート表現は何だろう、演技だろうか。演技はファッション同様、身体表現だから、その中身はともかく、外面は比較的模倣されやすい。昔、高倉健のヤクザ映画を見終わった客はみな彼を真似て歩いていた。

 その他を考えてみると、ダンスは演技に近いだろう。マンガは絵画、アニメは映画の一種。肌に直接描く化粧、刺青、さらに整形などもあるが、そのpopularityは模倣しやすい順に並ぶ筈だ。言語表現の中でも、キャッチコピーなどは、誰でも真似(口ずさむことが)できるからファッションに近いといえる。

 以前「文庫読書法(2014)」の項で、『キャラクター精神分析』斎藤環著(ちくま文庫)を紹介したが、この中にある、ヤンキーやオタクといった「キャラ」、すなわち、「人間という主格=固有性と同一性(一般性)の混沌から、同一性部分だけを拡大強調、主格もどきとして複製し、与えられた環境=場において、相手とのコミュニケーションするときに使う道具(tool)」も、演技の道具として模倣されやすい。「キャラ」は仮面と同じ役割を果たすわけだ。

 ファッション・ブランドを身に纏う人は、その「両価性」(模倣と差異化)を楽しむ。前回、創造することとは神の世界創造のごとく無根拠であるという説も紹介したが、新しいブランドは、どのような理由で成功したり失敗したりするのだろう。勿論資金的な問題やマネジメントの上手い下手はある。しかしそういったことのほかに、そのブランドの差異化の位相が、時代の流行よりも「少しだけ」先を行っていることに成功の秘訣があるように思う。

 説明してみよう。どうして「少しだけ」流行の先を行ったファッションが良いのか。遥か先を行ったファッションはなぜ駄目なのか。流行や時代精神は、「流行について」の項で書いたような感性変化の7年周期や28年周期、文明のあり方を巡る時代のパラダイム・シフト、素材や技術革命、景気の循環、気象の変化といった様々な要因の組み合わせによって移り変わる。暗黙知によって人はその兆しを察知するわけだが、その小さな差異を追確認するのに、一番手っ取り早いアート表現は何か。

 そう、模倣しやすいファッションが一番手っ取り早いのだ。言語表現や絵画、映画や音楽なども、やがて流行に追随してくるだろうけれど、それを待っていては時間がかかりすぎる。しかもそれらは模倣しにくい。人々は、変化の兆しを体現したファッションを纏うことで、その変化の兆しを互いに確認しあうのだ。次に化粧やキャッチコピー、そして先端的なダンスや演劇によって、さらに音楽や映画、絵画、そして最後に言語表現によって、新しい流行や時代精神が追認されていくのだと思う。

 時代の遠い先を行くファッションを創る人もいる。そういう音楽や絵画、言語表現もある。しかしそういう作品はなかなか売れない。多くの人にすぐには受入れられないからだ。それが流行や時代精神に敏感な目利きによって発掘され、時代の少しばかり先を行く形にプロデュースされると、一気に流行の最先端に躍り出ることがある。しかし模倣されやすい表現順に、大衆化、質の低下といった問題が生じる。だから、売れないものを作っている方が幸せかもしれない。時代の先を行く精神だけを気高く保持しながら。最近DVDで観た映画『はじまりのうた』(ジョン・カーニー監督)や『繕い裁つ人』(三島有紀子監督)、『バードマン あるいは(無知がもたらす予期せぬ奇跡)』(アレハンドロ・G・イニャリトゥ監督)などは、この辺りの事情を描きたかったのだと思う。時代の先を行く精神をどれだけ保持できるかが勝負の分かれ目なのだ。

 ファッションに関して次のような人々がいる。

(1)なるべく目立たないようにする。個性を出さない。
(2)目立つ恰好をする。
(3)伝統的であろうとする。
(4)無頓着である。

(1)は環境にブレンド・インすることを優先する人たち。日本人に多い。(2)は主格中心に考える人たち。ファッショナブルな人たちもこの括りに入る。日本社会ではときどき浮いてしまう。(3)はファッショナブルなのだけれど歴史性を重んじる人々。ただ新しいものが面倒くさいだけの人もこの括りに入る。(4)はあまりファッションに頭を使わない人々。家にいるときは誰でも普段着だからこの括りに入る。あなたはどういう人だろうか。勿論時と場合(TPO)による複数回答もありだ。

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posted by 茂木賛 at 10:36 | Permalink | Comment(0) | アート&レジャー

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