夜間飛行

茂木賛からスモールビジネスを目指す人への熱いメッセージ


跳ねるボール

2009年12月08日 [ 非線形科学 ]@sanmotegiをフォローする

 「興味の横展開」を仕事に活かすということで「個人事業主」の項を書いたけれど、「興味の横展開」という考え方は、勿論、勉強・学習にも活かすこともできる。ただし、ここで云う勉強・学習とは、自らの興味に基づく能動的な知的活動のことであり、お仕着せの受験勉強のことではない。

 最近私の興味を惹いた、熱力学に関する新聞記事を紹介しよう。この記事から、皆さんの興味がどのように展開するか楽しみだ。全文引用する。

(引用開始)

「跳ねて速度アップ 常識覆すボール」熱力学の根本に迫る

 ぶつけた速度よりも速く跳ね返る“常識破り”のボールを作れる可能性があることを、中央大学の国仲寛人助教らが計算機シミュレーションで示した。ボールの持つ熱がボールの運動エネルギーに変わって速度を増す。熱力学の根本に迫る現象という。米物理学会誌に発表し、注目論文として取り上げられるなど話題になっている。
 ゴルフボールも野球にボールも、ぶつけた速度よりも跳ね返ってくるときの速度の方が小さくなる。床で弾むスーパーボールも、跳ね上がる高さがだんだん小さくなる。
 理想的な反発力を持つ物体ならぶつけた速度と跳ね返る速度が等しくなるが、それでも超えることはない、というのが高校の教科書にも書かれた常識だ。
 跳ね返ると速度が落ちるのは、衝突の際に運動エネルギーの一部が熱に変わって逃げてしまうからだ。
 国仲さんは、原子が七百個集まった直径約百万分の三ミリの小さなボールを想定。このボール同士が正面衝突する様子をコンピューターで繰り返し調べた。実際の分子に働くような引力も考慮した。
 その結果、ボールを秒速十メートル前後でゆっくりぶつけたとき、反発の速度が増す現象が二十回に一回程度起きることが分った。速度は最大で一割程度増えた。
 この不思議な現象が起きる主な理由として国仲さんは「ボールの中の個々の原子は熱によって振動している。二つのボールがゆっくり接するとき、原子がちょうど相手をはじき飛ばす方向に振動していれば反発のスピードが増す」と考える。
 つまり、ボールの原子が持っている熱が、ボール全体の運動エネルギーに変わったということになる。熱力学第二法則では、外から手を加えずに熱が運動エネルギーなどの仕事に変わることを禁じている。熱から仕事が取り出せれば永久機関も実現できるからだ。
 計算結果はこの法則を破るように見えるが「反発のスピードが増すのは衝突の5%。全体を平均すれば反発のスピードの方が低くなり熱力学第二法則に反しない」という。
 共同研究者の早川尚男・京都大教授は「ナノサイズのボールをレーザー光で捕まえて衝突させれば、計算だけではなく実際に確かめられる可能性もある」としている。

(引用終了)
<東京新聞4/28/09>

熱力学第二法則を習ったことのある人ならば、誰でも興味を覚える記事だと思うが、いかがだろうか。

 この現象は「ゆらぎ」の一種なのだろうか。シミュレーションということであれば、パラメターの「初期状態」をどのように設定したのか、という点が特に私の興味を惹く。また、「計算だけではなく実際に確かめられる」というけれど、その根拠と方法についても知りたいと思う。

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パラダイム・シフト II 

2009年11月23日 [ 非線形科学 ]@sanmotegiをフォローする

 先回に引き続き「パラダイム・シフト」の話を続けたい。そもそもパラダイム・シフトのきっかけをつくる人はどういう人たちなのだろうか。なぜ夏井睦氏が「湿潤治療」を思いついたのか、“傷はぜったい消毒するな”夏井睦著(光文社新書)から引用する。

(引用開始)

 これまで説明してきたように、パラダイムの内部にいる人間は、それがパラダイムだということに気付かない。それが単なるパラダイムではないかと気付くのは、外側にいる人間だけである。
 筆者は十〇年ほど前まで従来の熱傷治療を熱心に行なってきた一人である。前にも書いたが筆者は形成外科の専門医であり、大学の形成外科局に十五年ほど所属し、この間、多数の熱傷患者を治療し、数え切れないほどの手術を行なってきた。(中略)
 そしてその後、湿潤治療を始めたので、いわば熱傷治療を内側と外側両方から眺めてきたことになる。その結果、大学病院時代には見えてこなかった熱傷治療の問題点が見えてくるようになった。

(引用終了)
<同書170ページ>

「熱傷治療を内側と外側両方から眺めてきた」という部分に注目してもらいたい。そして、以前「エッジ・エフェクト」で紹介した、「マージナル・マン」という概念を思い起こしてほしい。「部落問題・人権辞典ウェブ版」から、再度その部分を引用しよう。

(引用開始)

 異質な諸社会集団のマージン(境域・限界)に立ち、既成のいかなる社会集団にも十分帰属していない人間。境界人、限界人、周辺人などと訳される。マージナル・マンの性格構造や精神構造、その置かれている状況や位置や文化を総称して、マージナリティーと呼ぶ。マージナル・マンの概念は、1920年代の終わり頃に、アメリカの社会学者バークが、ジンメルの<異邦人>の概念(潜在的な放浪者、自分の土地を持たぬ者)の示唆を受けて構築した。(中略)

 マージナル・マンは、自己の内にある文化的・社会的境界性を生かして、生まれ育った社会の自明の理とされている世界観に対して、ある種の距離を置くことが可能である。それゆえにマージナル・マンは、人生や現実に対して創造的に働きかける契機をもっている。

(引用終了)

「熱傷治療を内側と外側両方から眺めてきた」夏井氏は、学会の「自明の理とされている世界観に対して、ある種の距離を置くこと」が可能だった。勿論マージン(境域・限界)に立っているからといって、それだけでパラダイム・シフトのきっかけを生み出せる訳ではないけれど、それは生み出すための必要条件なのだろうと思う。

 そういえば、「皮膚感覚」で紹介した傳田光洋氏も、大学では科学熱力学を学んでおられて、皮膚の研究を始めたのは三十歳を過ぎてからとのこと。夏井睦氏ともども、それぞれの研究領域におけるマージナル・マンなのであった。お二人の更なる飛躍に期待したい。

 ところで、夏井氏は「湿潤治療」に関して、インターネットを活用されている。その理由について氏は“傷はぜったい消毒するな”の中で、

(引用開始)

 こういう経験(ネットを通して貴重な楽譜をやりとりした経験)から私は、情報を全て公開し共有することで、より多くの情報が得られることを学んだ。苦労して手に入れた楽譜だからタダでは見せられない、と考えるか、苦労して手に入れたものだから皆で共有しよう、と考えるかの違いである。だから治療法を全て公開したのだが、治療例は学会発表するか論文にしなければ意味がなく、インターネットでの公開は無意味だという批判もあった。だが、全く気にしなかった。私にとって学会も論文もどうでもよかったからだ。また治療失敗症例は多くのことを教えてくれるし、治療上のトラブルについて皆で分析して解決法が考案されることで、治療法はより完全なものになっていく。だから、失敗例ほど公開しようと考えたわけだ。

(引用終了)
<同書66−67ページ。カッコ内は引用者による注。>

と書いておられる。インターネットを活用した「知のオープン化」については、これまで「ハブ(Hub)の役割」や「盤上の自由」などで論じてきた。併せてお読みいただければ嬉しい。

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posted by 茂木賛 at 12:23 | Permalink | Comment(0) | 非線形科学

パラダイム・シフト

2009年11月17日 [ 非線形科学 ]@sanmotegiをフォローする

 先日「皮膚感覚」の項で述べたように、皮膚についていろいろと勉強しているのだが、最近、“傷はぜったい消毒するな”夏井睦著(光文社新書)という本を読んだ。本カバー裏の紹介文を引用しよう。

(引用開始)

ケガをしたら、消毒して乾かす、が世間の常識。しかし著者によれば、消毒は「傷口に熱湯をかけるような行為」だという。傷は消毒せず、乾燥させなければ、痛まず、速く、しかもきれいに治るのである。
著者は、今注目の「湿潤治療」を確立した形成外科医である。その治癒効果に驚いた医師らにより、湿潤治療は各地で広まっている。しかし肝心の大学病院などでは相変わらず、傷やヤケドを悪化させ、直りを遅らせ、患者に痛みと後遺症を強いる旧来の治療が行なわれている。なぜ、医学において生物学や科学の新しい成果は取り入れられないのか。本書では医学会の問題点も鋭く検証。さらに、生物進化の過程をたどりつつ見直した、皮膚という臓器の驚くべき能力について、意欲的な仮説を展開しながら解説する。

(引用終了)

この紹介文の最後にある「意欲的な仮説」とは、皮膚の力を見直す思考実験なのだが、それは、「皮膚感覚」で紹介した傳田光洋氏の“皮膚は考える”(岩波書店)に触発されてのことだという。

 本書の中に、「パラダイム・シフト」について触れた箇所がある。湿潤治療や皮膚の思考実験についてはまた別の機会に譲るとして、今回はこのパラダイム・シフトについて考えてみたい。パラダイムやパラダイム・シフトについて書かれたものは他にもいろいろあるけれど、夏井氏はこの本で、パラダイム・シフトが起る動的プロセスについて説明しておられる。まず本書によって「パラダイム・シフト」とは何かについて確認しておこう。

(引用開始)

 パラダイムシフトは「その時代や分野において当然のことと考えられていた認識(パラダイム)が、革命的かつ非連続的に変化(シフト)すること」と定義されている。ここで重要なのは「非連続に変化」という部分だ。つまり、旧パラダイムから新パラダイムへの変化(シフト)は連続的に起るのではなく、二つのパラダイムは完全に断絶しているのだ。新しい考え方は旧いパラダイムを完全否定することで生まれるからだ。

(引用終了)
<本書164ページ>

ではこの「パラダイム・シフト」はどういうプロセスで起るのか。少し長くなるが夏井氏の文章をさらに引用する。

(引用開始)

 先入観を一番捨てにくいのは誰だろうか。それは専門家だ。専門家は自分の専門知識が正しいことを前提に考えるから、もしかしたらそれが間違っているかも、とはなかなか考えられない。(中略)
 素人はそもそも先入観もなければその分野についての知識もない。(中略)
 つまり、新しいパラダイムを素人は受け入れやすく、専門家は専門家としての自分の地位を守るために懸命になって拒否するわけだ。このためパラダイムシフトの真っ只中では、素人が専門家より知識の面で先を行って最新の知識を享受し、専門家は古い知識(=旧パラダイム)にしがみつくことになる。
 このような「専門家集団と素人の間での知識の逆転現象」は、パラダイムシフトの渦中では常に起きていたはずだ。そしてこの逆転現象こそがパラダイムシフトを完成させる駆動力となり、パラダイムシフトの本質なのである。
 なぜそれが駆動力になるかと言えば、専門家は生まれながらにして専門家だったわけではないからだ。彼らはもともとは素人であり、勉強して専門家になった。つまり、専門家集団の背景には膨大な数の「知識のない素人」が必要である。
 一般大衆(=素人)の間に新しい考えが広まってくると、次世代の旧パラダイムの専門家の予備軍(=知識のない素人)がいなくなってしまう。その結果、旧パラダイムの専門家集団への新規加入者が減り、やがて新規加入者より集団内の死者の方が多くなり、そのうち専門家集団は老衰死・自然死を迎える。その時パラダイムシフトは完了する。
 繰り返しになるが、パラダイムが信じられている時代では専門家が指導的立場にあるが、そのパラダイムが崩れようとしている時には、素人の方が最新の知識を持つのだ。


(引用終了)
<同書167−169ページ>

いかがだろう。このブログではこれまで、「モチベーションの分布」や「興味の横展開」、「日記をつけるということ」などで、個人的興味が変化する動的プロセスについて考えてきた。ここで分析されているのは、(個人の集合であるところの)社会的認識が変化する動的プロセスである。個人においては、モチベーションの正規分布と情報のベキ則分布、社会においては、常識の正規分布と専門知識のベキ則分布、どちらも、正規分布とベキ則分布とが絡み合う、面白い、非線形的な世界である。

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皮膚感覚

2009年10月19日 [ 非線形科学 ]@sanmotegiをフォローする

 “賢い皮膚”傳田光洋著(ちくま新書)を読む。本書は、同氏の“皮膚は考える”(岩波書店)、“第三の脳”(朝日出版社)における知見を総合的により詳しく纏めたものだ。傳田氏は資生堂研究所の主任研究員である。本のカバー裏の紹介文を引用しよう。

(引用開始)

 今、皮膚科学が長足の進歩を遂げている。医療や美容からのアプローチだけではうかがいしれない、皮膚メカニズムが次々に解明されつつあるのだ。「年をとるとしわができるのはどうして」、「お肌に良い物質はなにか」といった身近なトピックから、「皮膚が脳と同じ機能を担っているとしたら」というにわかには信じられない働きにまで本書は迫っていく。薄皮に秘められた世界をとくと堪能していただきたい。

(引用終了)

皮膚は生体と外界の境界である。以前「エッジ・エフェクト」のなかで「境界」の重要性を指摘したけれど、外環境との間で皮膚に何がどう起っているのか、とても興味深いテーマである。

 ここで私の「皮膚」に関する興味視点を整理しておきたい。勿論、傳田氏の著書に導かれてのことである。

 一つは、皮膚の自律システム(イオン濃度変化と電場の形成、バリア層、免疫の働きなど)についてである。以前「免疫について」で述べたと同じく、身体の健康を保つためには皮膚に対する様々な知識が欠かせない。

 二つは、体表と経絡ネットワークについてである。傳田氏は、自らの体験なども踏まえて、体表(表皮)そのものに、神経系・循環器系とは別の「経絡ネットワーク」とでもいうべき情報経路が存在するのではないか、と推察されている。以前「脳について」のなかで、脳内の情報伝達の仕組みについて、ニューロン・ネットワークの他にもう一つ高電子密度層があり、その仕組みが人の「内因性の賦活」を支えているという説に言及したけれど、体表そのものに神経系・循環器系とは別の情報経路が存在するという説は、人の脳と身体を考える上で大変興味深い。

 三つは、肌と五感(視覚・聴覚・嗅覚・味覚・触覚)との関係である。傳田氏は、いろいろな実験から、肌には通常考えられている「触覚」としての働き以上のものがあるのではないか、と推察されている。以前「視覚と聴覚」のなかで、第三の目としての「松果体」について言及したけれど、肌と視覚、肌と聴覚の関係は奥が深いと思う。

 ところで、「サラサーテのことなど」で引用した平岡公威(ペンネーム三島由紀夫)の、「蘭陵王」という短編小説の中に次のような一文がある。

(引用開始)

 私は全身の汗と泥を、石鹸の泡を存分に立てて洗いながら、皮膚というものの不思議な不可侵に思いいたった。もし皮膚が粗鬆(そしょう)であったら、汗や埃はそこにしみ入って、時を経たあとは、洗い落とそうにも落とせなくなるに違いない。皮膚のよみがえりとその清さは、その円滑で光沢ある不可侵性によって保証されているのだ。それがなければ、私たちは一つの悪い夢から覚めることもならず、汚濁も疲労も癒さず、すべてはたちまち累積して、私たちを泥土に帰せしてめであろう。

(引用終了)
<「蘭陵王」三島由紀夫著(新潮社)252ページより。本文は旧かな。引用者が新かなに変換した>

平岡公威は、「精神と肉体」という二元論を身をもって追求した人だが、同時に、皮膚という「表面それ自体の深み」にも強い関心を寄せていた。“太陽と鉄”三島由紀夫著(講談社文庫)からも引用しよう。

(引用開始)

 人間の造形的な存在を保証する皮膚の領域が、ただ閑静に委ねられて放置されるままに、もっとも軽んぜられ、思考は一旦深みを目ざすと不可視の深淵へはまり込もうとし、一旦高みを目指すと、折角の肉体の形をさしおいて、同じく不可視の無限の天空の光へ飛び去ろうとする、その運動法則が私には理解できなかった。もし思考が上方であれ下方であれ、深淵を目ざすのがその原則であるなら、われわれの固体と形態を保証し、われわれの内界と外界をわかつところの、その重要な境界である「表面」そのものに、一種の深淵を発見して、「表面それ自体の深み」に惹かれないのは、不合理きわまることに思われた。

(引用終了)
<同書22ページより>

自決によってその追求は叶わなかったけれど、日本と西洋文明との間を行き来するマージナル・マンとして、平岡氏は皮膚という「肉体と外界との境界性」にも敏感だったのだろう。

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マップラバーとは

2009年10月06日 [ 非線形科学 ]@sanmotegiをフォローする

 マップラバーとは何か。この楽しい言葉が出てくるのは、今年の夏休みに読んだ“世界は分けてもわからない”福岡伸一著(講談社現代新書)の中である。まずはその部分を引用してみよう。

(引用開始)

 おおよそ世の中の人間の性向は、マップラバーとマップヘイターに二分類することができる。(中略)
 マップラバー(map lover)はその名のとおり、地図が大好き。百貨店に行けばまず売り場案内板(フロアプラン)に直行する。自分の位置と目的の店の位置を定めないと行動が始まらない。マップラバーは起点、終点、上流、下流、東西南北をこよなく愛する。(中略)
 対するマップヘイター(map hater)。自分の行きたいところに行くのに地図や案内板など全くたよりにしない。むしろ地図など面倒くさいものは見ない。百貨店に入ると勘だけでやみくもに歩き出し、それでいてちゃんと目的場所を見つけられる。二度目なら確実に最短距離で直行できる。(後略)

(引用終了)
<同書88−89ページ>

 分子生物学者で青山学院大学教授の福岡伸一氏は、ロハス(Lifestyles of Health And Sustainability)な生き方の提唱者として有名だ。ロハス的生き方とは、健康と持続可能性に配慮した生き方のことで、私が提唱している「21世紀型スモールビジネス」の価値観とも共通するところが多い。21世紀型スモールビジネスとは、多品種少量生産、食品の地産地消、資源循環、新技術といった、安定成長時代の産業システムを牽引する、組織規模の小さいビジネス形態のことである(「スモールビジネスの時代」)。尚、福岡氏のご著書は、すでに「アートビジネス」、「エッジ・エフェクト」、「シグモイド・カーブ」などでも引用したので、お読みいただけると嬉しい。

 さて上の文章、なにやら福岡先生ご夫婦のことのようにも読めるけれど、そうではなく、この性向(特にマップヘイター)は、生物学的に重要な概念であるという。

(引用開始)

 実は、マップヘイターが採用しているこの分散的な行動原理は、全体像をあらかじめ知った上でないと自分を定位できず行動も出来ないマップラバーのそれに比べて、生物学的に見てとても重要な原理なのである。そして、私たちの身体が六十兆個の細胞からなっていることを考えるとき、それぞれの細胞が行なっているふるまい方はまさにこういうことなのである。鳥瞰的な全体像を知るマップラバーはどこにもいない。細胞はそれぞれ究極のマップヘイターなのだ。

(引用終了)
<同書93ページ>

この先、話はES細胞やがん細胞へと繋がり、やがて「世界は分けてもわからない」という本書のメイン・テーマへと展開されていくのだが、私はこの「マップラバー」という言葉から、「ホームズとワトソン」の話を思い出した。

 名探偵シャーロック・ホームズは、常に事件全体を大局的に俯瞰し、複雑な事件の謎を解いていく。一方、医者のジョン・ワトソンは、事件環境に入り込んで、身体を張ってホームズを助ける。マップラバーは、地図を俯瞰して、自分の居場所や目的地を論理的に考えていく。マップヘイターは、環境に入り込み、場所を肌で感じながら目的地に到達する。つまり、ホームズは福岡氏のいうマップラバーとその特徴が重なり、ワトソンは、マップヘイターとその特徴が重なるのである。

 これまで「公と私論」などで展開してきたホームズとワトソンの対比に、このマップラバーとマップヘイターを追加すると、

A Resource Planning−英語的発想−主格中心
a 脳の働き−「公(public)」−マップラバー

B Process Technology−日本語的発想−環境中心
b 身体の働き−「私(private)」−マップヘイター

となる。そもそも身体は(六十兆個の)細胞からできているのだから、細胞が究極のマップヘイターだとする福岡氏の説は、この対比とうまく整合するわけだ。ちなみに、ここでいう「脳の働き」とは、大脳新皮質主体の思考であり、「身体の働き」とは、身体機能を司る脳幹・大脳旧皮質主体の思考のことであるから念のため(詳しくは「脳と身体」の項を参照のこと)。

 すでに「ホームズとワトソン」などで見てきたように、ビジネスの成功には、Resource Planningの得意な前者と、Process Technologyに長けた後者との協力が欠かせない。皆さんも、マップラバーとマップヘイターという新鮮な視点で社内を見回して、両者の協力・非協力関係を観察してみては如何だろう。案外、身近なところに業績不振の元(ネタ)が見つかるかもしれない。

 ところで、福岡氏のこの著書には、もう一つ「イームズのトリック」という面白い話題がある。それについてはまた後日触れてみたい。

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3の構造 II

2009年09月08日 [ 非線形科学 ]@sanmotegiをフォローする

 先日書いた「3の構造」について考えを進めよう。まず「3の構造」の特徴を以下に整理する。

(イ)多数のなかでの頂点を示す

多くのものの中における頂点。先回の例では、「オリンピック・メダルの金・銀・銅」や「いろは」、「ABC」などがこれに当たる。

(ロ)安定性

三脚椅子の例のように、不安定さの無い状態を表す。多すぎず少なすぎないという特徴も、この「安定性」の内に含めて良いだろう。先回列記した例では、「上中下」や「三権分立」、「神話の三種の神器」、「三位一体」、「朝昼晩」、「大中小」など、多くがこれに該当すると思われる。

(ハ)発展性

何かと何かが作用しあって新しい何かが生まれる、という発展構造を示す。先回列記した例では、「弁証法のテーゼ・アンチテーゼ・ジンテーゼ」や「武道の守・破・離」、「第三の波」などがこれに該当するだろう。

 以上、特徴の整理自体が「3の構造」になってしまったが、なるほど、多すぎず少なすぎない。そういえばこれまでも、「アフォーダンスについて」、「免疫について」、「脳について」など、この「3の構造」で整理してきた。

 さて、これまでこのブログでは、「生産と消費論」、「公と私論」、「競争か協調か」、「モチベーションの分布」など、いくつかの双極、あるいは対立軸と、そのバランスの重要性についてみてきた。また、「里山ビジネス」、「エッジ・エフェクト」、「庭園について」などで、境界の重要性についても注目してきた。

 ある双極や対称性が、運動によって融合・崩壊し、新しい何かが生まれるというダイナミズムは、“何かと何かが作用しあって新しい何かが生まれる”という意味で、「3の構造」における(ハ)の発展性そのものである。

 以前「相転移と同期現象」の中で、

(引用開始)

「1+1=2」というのが線形的な、比例法則の基本的考え方だとすれば、「1+1=1」、もしくは「1+1=多数」というのが非線形的な考え方である。

(引用終了)

と書いたけれど、「1+1」が「別の1(もしくは多数)」になるという考えは、この運動の構図であり、「生産と消費論」などの双極・対立軸は、「エッジ・エフェクト」の境界性を通して、初めからこの「3の構造」を内包しているのであった。これからも「3の構造」とその周辺に注目していこう。

 ところで、「3の構造」で引用させていただいた“3つに分けて人生がうまくいくイギリス人の習慣”の著者井形慶子さんに、掲示板を通じて連絡したところ、嬉しい以下のご返事をいただいた。

(引用開始)

茂木さま、
こんにちは。
「3つに分けて人生がうまくいく
イギリスの習慣」を紹介してくださって
ありがとうございます。
ブログを拝見して、非常に感心することが多く、
とても興味深くよませていただきました。
茂木さんが紹介されていたいくつかの著書にも
惹かれるものがあります。
今後の活躍を応援しています。

(引用終了)
<「井形慶子’s Room」掲示板(8/23/09)より>

私が井形さんの本を最初に読んだのは、“イギリスの家を1000万円で建てた!”(新潮OH文庫)である。その行動力に脱帽し、それ以来彼女の本の愛読者になった。井形さんの最新著書“英語のおかげ”(中経の文庫)は、どのようにしたら英語を実用的に使えるようになるかということについて、ご自分の経験を通して自伝的に書いておられる。これから英語を勉強しようという人にはとても参考になると思う。

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3の構造

2009年08月17日 [ 非線形科学 ]@sanmotegiをフォローする

 「3」という数に興味がある。「3」は、弁証法のテーゼ・アンチテーゼ・ジンテーゼ、時間の過去・現在・未来、音楽のソナタ形式、武道の守・破・離、神話の三種の神器、数学の三角関数、その他、いろは、上中下、松竹梅、序破急、心技体、朝昼晩、ABC、大中小などなど、さまざまな場面に顔を出す。また「3」は、「コッホ曲線」と呼ばれるフラクタル図形の基本数でもある。「アフォーダンスについて」で述べた、ミーディアム・サブスタンス・サーフェスという世界構造も「3」である。フラクタルやアフォーダンスという非線形科学の根本に、「3」という数があるわけだ。これらをまとめて「3の構造」と命名したい。

 「3の構造」に関連して、“3つに分けて人生がうまくいくイギリス人の習慣”井形慶子著(新潮文庫)から引用しよう。

(引用開始)

「数」は万物の根元であり、数字のひとつひとつに隠された真実がある」と説いたのはギリシャの数学者ピタゴラスです。彼の理論をもとに体系立てた数秘学には、3の持つ意味がこう記されていました。
「3には2つの対立するバラバラな働きから、新しい展開やパワーを生み出し、物事をさらに発展させる創造的な力がある」(中略)
 2つの点からはただの直線しか生まれませんが、3つにすると三角形が出来上がり、面積が誕生します。「線が細い人」とたとえても「面が薄い人」とはいいません。しかも線を面に変えるだけで、イメージはたちまち安定します。たとえば椅子は二本脚では成り立ちませんが、三本にすると腰掛けても倒れない家具になるのです。
 
(引用終了)
<同書24−25ページ>

「3」は、「発展性」と同時に「安定性」を表す特別な構造である。次に、東京新聞「筆洗」(4/10/08)から引用しよう。

(引用開始)

 例えば「話したいことが三つあります」と言われると、聞いてみようかという気になる。一つや二つでは何となく物足りない。四つや五つでは多すぎるし、全部覚えることが難しそうである。
 オリンピックのメダルも金・銀・銅と三つあるので、一層盛り上がるのかもしれない。スポーツに限らず上位の「三」という数字は、多数の中で頂点を人々に感じさせる効果があるという(飯田朝子著『アイドルのウエストはなぜ58センチなのか』)。

(引用終了)

「3」は、多すぎず少なすぎず、さらに「多数の中で頂点を感じさせる」構造でもある。以前「ホームズとワトソン II」の中で、企業における資産と市場とのマッチングに関して、戦略の独創性が必要であると指摘し、

(引用開始)

独創性は、組織・商品・店舗・流通など合わせて少なくとも三つ以上欲しいところだ。

(引用終了)

と書いたのは、この「3の構造」を意識したものだった。

 「3の構造」は、冒頭に挙げた以外にも、物質の固体・液体・気体状態、一流・二流・三流、三位一体、三権分立、第三の男、第三の推論、第三の波、第三の道、3点測法、左中右、外中内、じゃんけんのグー・チョキ・パー、第3のビールなど、まだまだ色々ある。これからも「3の構造」について様々な角度から考えていきたい。

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シグモイド・カーブ

2009年06月09日 [ 非線形科学 ]@sanmotegiをフォローする

 先回「興味の横展開」のなかで、

(引用開始)

 自転車を買ってしばらく乗り回してからでないと、なぜ自分が興味を持ったのか本当のところは分からないから、自分が裾野の何処にいるかを知るには少し時間がかかるけれど、しばらくしてもやはり「身体を動かしながら風に当たるのが気持ちよい」ということに熱心な人は、類似性のある「ジョギングやマラソンなどのスポーツ」への興味が展開するわけだ。

(引用終了)

と書いたけれど、何かの意図が頭にひらめいてから、なぜそう思ったのかが本当に分かるまではどうしても時間がかかる。

 多くの人は、何かに興味を持っても、そのことを充分長く続ける辛抱強さが無い。すぐに飽きて他のことに目が行ってしまう。だから何が本当に好きなのかわからない。頭の中に密度の低い情報がただなんとなく散らばっている状態のままになってしまう。興味の横展開は、その興味の理由と度合いを自覚するところから始まるのである。

 「アートビジネス」や「エッジ・エフェクト」で紹介した分子生物学者の福岡伸一氏は、近著「動的平衡」(木楽舎)のなかで、自然現象におけるインプットとアウトプットの関係について、

(引用開始)

 生命現象を含む自然界の仕組みの多くは、比例関係=線形性を保っていない。非線形性を取っている。自然界のインプットとアウトプットの関係の多くの場合、Sの字を左右に引き伸ばしたような、シグモイド・カーブという非線形性をとるのである。
 非線形性は、たとえば音楽を聴くときにボリュームのダイヤルの回し具合(インプット)と聞こえ方(アウトプット)の関係を考えてみるとよくわかる。
 ボリューム・ダイヤルをだんだん右にひねっていくと、ボリュームは大きくなっているはずなのに、音はなかなか大きく聞こえてこない。つまり最初の段階では、インプットに対する応答性は鈍い。
 ところが、ボリューム・ダイヤルがある位置を越えると、音は急にガーンと大きくなって聞こえてくる。ここで応答は鋭く立ち上がるのである。しかし、ボリュームのダイヤルをかなり大きくひねった位置では、それ以上にダイヤルを回しても、大きな音は大きな音としか聞こえなくて、ダイヤルの回転に応じて大きくは聞こえない。
 つまり、シグモンド・カーブにおいて、インプットとアウトプットの関係は、鈍―敏―鈍という変化をするのである。

(引用終了)
<同書95ページより>

と書いておられる。脳のニューロン・ネットワークにおいて、例えば、自転車に乗りたいという興味のインプット(ひらめき)から、なぜ乗りたいのかという理由を見つけるアウトプットまでの関係は、この「シグモイド・カーブ」のような非線形性があるのだろう。この非線形性の故に、自転車を買ってから暫く乗り回してからでないと、なぜ自分が興味を持ったのか本当のところが分からないのだろう。皆さんも、ひとつのことに興味を持ったら、すぐ飽きることなく、ゆっくり時間をかけて自分が何になぜ興味を持つのかを分析し、興味の横展開に繋げていって欲しい。

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興味の横展開

2009年06月02日 [ 非線形科学 ]@sanmotegiをフォローする

 以前「モチベーションの分布」の中で、

(引用開始)

 釣鐘型の「正規分布」は、人の身長やみかんの大きさなど、自然界に広く見られる現象だ。モチベーションとは「やる気」である。人が興味を持つ対象はそもそも千差万別で、ある目的に対する「やる気」は、その人の興味の度合いに比例するだろうから、無作為にある目的を定めると、どうしても「全体のうち2割の人はよく働き、6割はふつうに働き、そして残りの2割はあまり働かない」という分布が出現してしまうのだろう。

(引用終了)

と書いたけれど、ある意図や行為に関する人々の興味を理由別に捉えると、360度の広がりを持つ富士山型分布曲線を描くことが出来る。

 例えば「自転車を買いたい」という意図に関して、人がなぜそれに興味を持つかという理由をいくつか考えてみよう。

1. 身体を動かしながら風に当たるのが気持ちよい
2. 普段あまり訪れないところへ行ってみたい
3. お金が掛からず通勤にも便利
4. エコロジカルなところが良い
5. 自転車のメカニズムが好き

などなど。これらの理由別に人々の興味の度合いを統計に取れば、「モチベーションの分布」で見たようにそれぞれ釣鐘型の「正規分布」になる筈だから、その正規分布を立体的に御椀のように並べれば、(頂上付近はもっとなだらかな形になるが)富士山型分布曲線になるというわけだ。

 「リーダーの役割」で考察したように、情報は、興味に関する「正規分布」のうち度合いの強い2割に集中するから、この富士山型分布曲線の裾野の何処に自分がいるかによって、集まってくる情報量が違ってくる。皆さんも経験があると思うが、好きなことに関しては努力しなくても何でも目に入ってくるのに、興味のないことであれば目の前にあってもまったくその存在に気付かない。興味の度合いに応じて、人の情報収集率は増減するわけだ。

 勿論、興味の理由は一つだけではないだろうから、裾野のあちこちに自分がいるわけだが、例えば「自転車を買いたい」という意図について考えてみると、それぞれの「正規分布」上度合いが強い方の2割の人は、興味の横展開として次のようなことが考えられるはずだ。以下の1.から5.は、それぞれ上の1.から5.に対応する。

1. ジョギングやマラソンなどのスポーツ
2. 地域の歴史や地図などへの興味
3. 節約全般
4. ヨットやカヌーなど
5. バイクや車など他のメカニックな乗物

 自転車を買ってしばらく乗り回してからでないと、なぜ自分が興味を持ったのか本当のところは分からないから、自分が裾野の何処にいるかを知るには少し時間がかかるけれど、しばらくしてもやはり「身体を動かしながら風に当たるのが気持ちよい」ということに熱心な人は、類似性のある「ジョギングやマラソンなどのスポーツ」への興味が、自然に横展開するわけだ。

 そこから先は、「立体的読書法」の要領で、次々に自分の興味の対象を広げていくことも出来るし、「繰り返し読書法」の要領で、一つのことをじっくりと掘り下げることも出来る。この「興味の横展開」を自覚することによって、自分の中に眠っている様々な可能性を見出して欲しい。

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自然の時間

2009年03月31日 [ 非線形科学 ]@sanmotegiをフォローする

 前回「都市の時間」について見たところで、集団を構成するもう一方「自然の時間(t = ∞)」についても触れておこう。まずは「集団の時間」から引用する。

(引用開始)

 身体は自然から生まれ自然へと還るものだ。だから自然 (t = ∞)は、「個」における身体(t = life)の時間と対応する。自然においては全てのものが循環する。循環する時間には果てがない。t = ∞というのは、自然の時間は無限大という意味である。厳密に言えば自然にも寿命があるのだろうが、人知の及ばない範囲の問題なのでここでは無限大としておいてよいだろう。

(引用終了)

ここで時間とは、長短様々な個物の寿命を集積した無限大の時間である。次に前回同様「効率と効用」から引用する。

(引用開始)

 「効率」には値段がつけられるが、「効用」には値段がつけられない。新幹線チケットに値段はつくが、親しい友人と楽しむ旅に値段はつかない。

(引用終了)

「効用」は、市場を介して流通させることが出来ず、便利さの度合いを比較することが出来ない。利益率という比率(ratio)で計算することが出来ない。「効用」は利益という余剰を生まず、生産と消費の等価性そのものとして自然と共にある。

 以前「アートビジネス」のなかで、

(引用開始)

 アートとは、自然 (t = ∞)の中から幾つか個別な時間を切り出してきてコラージュ(組み合わせ)し、他人の脳(t = 0)の前へ提示することだ。

(引用終了)

と書いたけれど、「効用」を齎すサービスは、自然 (t = ∞)の中から幾つか個別な時間を切り出してきてコラージュ(組み合わせ)し、人の身体(t = life)を癒すことだといえるだろう。山奥の温泉に浸かってゆったりと身体を伸ばしたとき、人は、幾ら儲かったかでは無く、幾日寿命が延びたかを体感する筈だ。

 その伝で「効率」を求める商品を定義すると、それは、自然 (t = ∞)の中から幾つか個別な時間を切り出してきてそのスピードを加速し、人の生産活動に役立てることだといえるだろう。原始的な手斧から原子力発電まで、あらゆる道具は、自然 (t = ∞)の中から幾つか個別な時間を切り出してきて、そのスピードを加速することによって作られる。

 時間の加速は人々に数多くの生活上の便益を与えた。しかし、度を越した加速は自然環境を悪化させる。これからの安定成長時代は、自然の環境負荷を増大させない「資源循環」が求められるのだ。

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都市の時間

2009年03月24日 [ 非線形科学 ]@sanmotegiをフォローする

 「集団の時間」で述べた、都市の時間について敷衍しておこう。都市(人が便利さを求めて作り出したもの全般)の時間原理はなぜ金利(=interest)なのか。まずは「集団の時間」から引用する。

(引用開始)

 集団においては、人の脳が作り出したものに、何らかの公共的な序列をつける必要が出てくる。公共的な序列に組み入れられたもの(値段が付けられたもの)は、市場を介して流通させることが出来る。その値段を決める市場の時間原理が金利(=interest)なのである。

(引用終了)

ここでいう時間とは、人が考え出した時計で測ることができる均一な時間である。次に前回の「効率と効用」から引用する。

(引用開始)

 「効率」には値段がつけられるが、「効用」には値段がつけられない。新幹線チケットに値段はつくが、親しい友人と楽しむ旅に値段はつかない。

(引用終了)

市場を介して流通させることが出来るのは「効率」、すなわち便利さの度合いを比較できるものである。

 市場における商品の値段の高低は、数値化された便利さ度合いの比較である。数値化された便利さは、利益率という比率(ratio)で計算することが可能になる。数値化して比率(ratio)で表すわけだ。あるものを使うと、他のものを使う場合に比べてどれだけ余剰利益を生むかということである。

 生産と消費の等価性からいえば、利益という余剰は計算上の架空ものだが、その金を銀行に預けておくと金利が付く。人は、市場で、銀行金利とその商品の利益率を比較して、銀行に預金するか商品に投資するかを決定する。市場における商品価値の計算基準は金利なのである。

 市場における商品の値段は金利との比較で成り立っている。ではなぜそれが「時間」という単位で表されなければならないのか。再び前回の「効率と効用」から引用しよう。

(引用開始)

 「効率」には尺度としての時間が関わっている。「効用」に共通の尺度は存在しない。

(引用終了)

 新幹線がなぜ高いかというと、ローカル線よりも速く目的地へ着くからであり、それは時間の関数である。勿論ここでいう時間とは、時計で測ることができる均一な時間である。貴重品がなぜ高いかといえば、それを入手するのにどれだけ手間隙をかけたかということであり、即ち時間の関数である。「効率」が良いということはより速いということ、即ち加速度がより大きいということなのである。金利も勿論均一な時間の関数である。

 金利の増減を基準にして、人が便利さを求めて作り出したもの全般の値段が高下する。市場における商品の値段は金利との比較で成り立っており、比較に用いられる唯一の尺度は、時計で測ることができる均一な「時間」なのである。

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モチベーションの分布

2009年03月03日 [ 非線形科学 ]@sanmotegiをフォローする

 以前「ハブ(Hub)の役割」で紹介した「渋滞学」の著者西成活裕氏の最新本のなかに、

(引用開始)

 これ(アリの行動)に関連して、企業や組織において「2対6対2の法則」といわれているものがある。これは、全体のうち2割の人はよく働き、6割はふつうに働き、そして残りの2割はあまり働かない、ということを表したものだ。そしてこのトップ2割の人が企業の利益の8割を稼ぎ、残りの8割の人は利益の2割しか貢献していない、という意味で、「8対2の法則」ともいわれる。しかしこの働かない集団が将来の生存のために大きな役割を果たす可能性があるのがアリの社会なのだ。働かない人を抱え込むのは短期的には無駄と考えられるが、長期間で見れば何か別の角度から大きな貢献をしてくれるかもしれない。

(引用終了)
<「無駄学」西成活裕著(新潮選書)39ページより。カッコ内は引用者による補足。>

という話がある。

 これは私が組織で働いていたときの経験から云える事なのだが、いろいろな集団の「よく働く2割の人」だけを集めてきて、別の目的を与えて働いてもらうと、なぜか再び「全体のうち2割の人はよく働き、6割はふつうに働き、そして残りの2割はあまり働かない」という現象が起こる。

 西成氏の論点は、一見無駄と思われる中にも将来役に立つものもあるから、無駄かどうか判断するにはまず目的を定めることが重要だということなのだが、私の経験則から云えるのは、目的を変えると再び無駄が生まれるということなのである。

 この「よく働く、ふつうに働く、あまり働かない」人たちの分布を「モチベーションの分布」と呼ぼう。「2対6対2の法則」は、「全体のうち2割の人はよく働き、6割はふつうに働き、そして残りの2割はあまり働かない」ということだから、この分布は概ね釣鐘型の「正規分布」に従うと思われる。

 釣鐘型の「正規分布」は、人の身長やみかんの大きさなど、自然界に広く見られる現象だ。モチベーションとは「やる気」である。人が興味を持つ対象はそもそも千差万別で、ある目的に対する「やる気」は、その人の興味の度合いに比例するだろうから、無作為にある目的を定めると、どうしても「全体のうち2割の人はよく働き、6割はふつうに働き、そして残りの2割はあまり働かない」という分布が出現してしまうのだろう。

 ある目的集団では皆の足を引っ張っている人が、別の目的集団ではリーダーシップを発揮したり、会社でバリバリ働くやり手の男性が、家ではなにもしないグータラ亭主だったりするのは、概ねこの法則に従っているわけだ。

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エッジ・エフェクト

2009年02月10日 [ 非線形科学 ]@sanmotegiをフォローする

 先日「相転移と同期現象」のなかで、“生産と消費の連鎖が同期すると、相転移現象としての社会の活性化が生まれる”と書いたけれど、社会の活性化に役立つもう一つの効果が「エッジ・エフェクト」である。

 エッジ・エフェクトとは、異なるモノが接する界面から新たなコトが生成(融合)するダイナミズムのことを云う。相転移を熱力学的な現象とすれば、エッジ・エフェクトは化学反応的な現象と言えるだろう。チェロ奏者のヨーヨー・マ氏は、「アートビジネス」で紹介した分子生物学者の福岡伸一氏との会談のなかで、

(引用開始)

M (前略)生物学にも、確か2つの生態系が出会う場所で生成される現象を呼ぶ熟語として、「エッジ・エフェクト」という言葉があるよね。
F エッジ・エフェクト……界面作用ですね。
M 生態学的にいうと、森林と砂漠の界面にあるサバンナ、あるいは地政学的(に)いうと、フランスとドイツの界面にあるアルザス・ロレーヌ地方。そういう場所では、何か激しい、そしてすばらしいことが起こる。

(引用終わり)
<「ロハスの思考」福岡伸一著(ソトコト新書)224−225ページより。Mはマ氏、Fは福岡氏。カッコ内は引用者による補足。>

と語っておられる。マ氏自身中国人を両親としてパリで生まれ、間もなく一家でニューヨークへ移り住んだ経歴の人だから、経験的にもエッジ・エフェクトやフュージョン(融合)という概念に触発されるのだろう。

 「マージナル・マン」という言葉がある。「部落問題・人権辞典ウェブ版」から一部引用しよう。

(引用開始)

 異質な諸社会集団のマージン(境域・限界)に立ち、既成のいかなる社会集団にも十分帰属していない人間。境界人、限界人、周辺人などと訳される。マージナル・マンの性格構造や精神構造、その置かれている状況や位置や文化を総称して、マージナリティーと呼ぶ。マージナル・マンの概念は、1920年代の終わり頃に、アメリカの社会学者バークが、ジンメルの<異邦人>の概念(潜在的な放浪者、自分の土地を持たぬ者)の示唆を受けて構築した。(中略)

 マージナル・マンは、自己の内にある文化的・社会的境界性を生かして、生まれ育った社会の自明の理とされている世界観に対して、ある種の距離を置くことが可能である。それゆえにマージナル・マンは、人生や現実に対して創造的に働きかける契機をもっている。

(引用終わり)

 マ氏は、正にこのマージナル・マンとして、「シルクロード・プロジェクト」など、様々な分野で活躍されている。マージナル・マンは、エッジ・エフェクトに敏感だ。私も小学生のときに1年半ニューヨークで暮らし、成人してからも仕事で13年間アメリカに居た経験があるから、マージナル・マンとしての素地があると思う。起業支援などを通して様々な人と知り合うことに意義を感じているのは、きっとそのせいに違いない。今度のフラクターマン氏の講演のお手伝いも楽しみだ。これからもいろいろな「場」でエッジ・エフェクトを機能させていきたい。

 ところでマ氏と福岡氏との会談は、日本におけるマ氏のチェロ演奏会のときに行なわれたものらしく、冒頭、福岡氏が当日の演奏曲目を紹介している。その中に、J・S・バッハ「サラバンド(無伴奏チェロ組曲第5番ハ短調)」があった。バッハの無伴奏チェロ組曲は全6曲あって、スペインのチェロ奏者パブロ・カザルスの演奏が有名だが、そのビデオの一部が先日NHK・BSの「名曲探偵アマデウス」で紹介されていた。

 「名曲探偵アマデウス」は、元天才指揮者で探偵の天出臼夫と、音感だけは抜群の助手響カノンの二人が、数々のクラシック名曲の謎に挑むという愉快な番組だ。チェリスト古川展生氏の演奏を聴きながら、バッハの特徴とされる三つの旋律の流れ(ポリフォニー)、重音(複数の弦を同時に弾くこと)や開放弦の効果、五弦のチェロなど、曲の特徴やこの曲に纏わる作曲家の想いについて、天出臼夫探偵が(依頼人に対する謎解きの形で)次々に説明していく。

 バッハの無伴奏組曲は勿論ヨーヨー・マ氏も録音している。私の持っているCDは、”Inspired by Bach・The Cello Suites, Yo-Yo Ma”(Sony Records)という題名で、様々なアーティストとのコラボレーションをフィルムにしたときのものだ。”From the Six-Part Film Series”という副題が付いている。そのうち第5番は「希望への苦闘」というタイトルで、歌舞伎俳優・坂東玉三郎の舞踏との共同作品である。

 そういえば、「ホームズとワトソン」で述べた探偵(Resource Planning)と助手(Process Technology)の役割分担は、全体を大局的に俯瞰して事件の謎を解いていく探偵天出臼夫と、与えられた事件の環境に入り込んで天出を助ける役割の助手響カノン、ということで、(だいぶコメディー・タッチだが)この名曲探偵コンビでも見事に描き分けられていて興味深い。

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進化のアナロジー

2009年01月06日 [ 非線形科学 ]@sanmotegiをフォローする

 これまで「アフォーダンスについて」「免疫について」「アフォーダンスと多様性」などで、生態心理学(アフォーダンス)と生命情報学(免疫など)の社会科学への応用を提唱してきたが、以前「カーブアウト」で紹介した「細胞の文化、ヒトの社会」(北大路書房)の著者で生物学者の池田清彦氏は、以前より生物学の社会科学への応用を考えてこられた。

 氏はその「細胞の文化、ヒトの社会」のなかで、「人間の文化と伝統が人間という個人を要素とするコミュニケーションによって伝承されるように、細胞の文化と伝統は高分子間のコミュニケーションによって伝承される」(同書142ページ)と書かれている。

 進化について氏は、「生物は突然変異と自然選択で進化した」とするネオダーウィニズムへのアンチテーゼとして、DNAと細胞に関連して「情報系=DNA」と「反応系=細胞質」という区分を設けた上で、「生物の進化とは、反応系を中心として情報系をまき込む、細胞内の高分子間のコミュニケーションシステムの変化と考えねばならない。」(同書135ページ)と指摘されている。

 「免疫について」で指摘したように、個体内部のエネルギー循環(免疫系−自律神経)と、個体間のエネルギー循環(知覚系−脳神経)とが相似的構造を持つと考えれば、上の文章の「生物」を「社会」、「反応系」を「集団組織」、「情報系」を「言語」、「細胞内の高分子間」を「個体間」と置き換え、「社会の進化とは、集団組織を中心として言語をまき込む、個体間のコミュニケーションの変化と考えられる」と言い直すことができるだろう。

 社会の進化には「言葉」の果たす役割が大きいのだ。池田氏も、「柴谷篤弘と私は一九八〇年代の半ばすぎから、ソシュールの構造主義言語学を枕に、生物の『構造』と言語構造の同型性を強く主張してきた」(同書127ページ)と書いておられる。

 「視覚と聴覚」で紹介した解剖学者の養老孟司氏も、「養老孟司の人間科学講義」(ちくま学芸文庫)のなかで、言葉と脳(社会)、遺伝子と細胞との関係について、「情報系1」、「情報系2」といった分類を用いてその「同型性」を指摘されている。(同書50ページ)

 池田清彦氏と養老孟司氏、それに仏文学者で「ファーブル昆虫記(全10巻)」ジャン・アンリ・ファーブル著(集英社)の訳者奥本大三郎氏を加えた三人は、虫捕りのお仲間としても知られている。三人の最新共著「虫捕る子だけが生き残る」(小学館101新書)では、皆さんで子どもにとって言葉以前のリアルな感覚(虫捕り)の重要性を説いておられる。

 さて、池田氏は「細胞の文化、ヒトの社会」のなかで、時間について、「我々が存在しなくとも多分、自然は自存するだろう。少なくともそのことを疑う根拠はない。しかし我々が存在しなければ、いかなる時間も存在しない。」(同書52ページ)と書かれている。

 私が「集団の時間」のなかで述べた、

「個人」: 脳(t = 0)と身体(t = life)
「集団」: 都市(t = interest)と自然(t = ∞)

という4種類の時間構造は、池田氏のこの時間論の延長上にある。

 これからも、生物学や免疫学などを学びながら、個体内部のエネルギー循環(免疫系−自律神経)と、個体間のエネルギー循環(知覚系−脳神経)とが相似的構造であるとする「個体内部と個体間との相似構造論」を深化・発展させ、社会科学や企業経営への応用について考えていきたい。

 尚、池田清彦氏の著作では、生物学全般については「新しい生物学の教科書」(新潮文庫)、構造主義科学については「構造主義科学論の冒険」(講談社学術文庫)が良い入門書である。

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視覚と聴覚

2008年12月23日 [ 非線形科学 ]@sanmotegiをフォローする

 これまで「集団の時間」や「公(public)と私(private)」などでみた脳と身体、都市と自然について、徹底的に論じてきたのが解剖学者の養老孟司氏である。私の考察は多く氏の著書に啓発されてきた。最近、初期の「唯脳論」に並ぶ論考「人間科学」養老孟司著(筑摩書房)がちくま学芸文庫に収録された(「養老孟司の人間科学講義」)ので、興味のある方は是非お読みいただきたい。

 「養老孟司の人間科学講義」の中に、言葉に関して、視覚と聴覚の観点から論じた部分がある。一部引用してみよう。

『もっとも重要な点は、言語が聴覚と視覚に共通な情報処理過程として成立していることである。(中略)ところが言語が視聴覚という、まったく異質な二つの感覚を「結合する」からこそ、音声言語はたとえば擬音語をしだいに排除し、文字言語は象形文字の「象形性」を消していくのである。(中略)こうして近代言語は、聴覚に特有、および視覚に特有の性質を、言語の記号系から排除しつつ成立する。』(同書196−198ページ)

近代化が都市化=脳化のことであるとすれば、英語的発想と日本語的発想の対比、

A Resource Planning−英語的発想−主格中心
a 脳の働き−「公(public)」

B Process Technology−日本語的発想−環境中心
b 身体の働き−「私(private)」

から、日本語に擬音語や擬態語が多い(「日本語について」)理由が納得できる。脳の働きによって排除されるべきオノマトペ(擬音語や擬態語)が未だ多く見られる事実は、象形文字としての漢字が使われていることとも相俟って、日本語に身体性が色濃く残っている(身体の働きが重視される)証拠だろう。

 視覚と聴覚の関係については、「カミとヒトの解剖学」養老孟司著(ちくま学芸文庫)にも面白い指摘がある。解剖学的にいうと、もともと脊椎動物には「第三の目」とでもいうべき光受容細胞があり、ヒトを含む哺乳類ではそれが「松果体」と呼ばれる器官に転化しているらしい。

『そういうわけで、視覚系というものを、目だけではなく、松果体を含めた広義のものと考えるならば、脊椎動物は、脳の下位中枢と深く関連する光受容器すなわち「第三の目」を、いまわれわれが持っている通常の「目」と独立に持っていた、あるいはいまでも持っているのである。そこに、われわれの現在持つ「目」が、耳と異なって、下位の脳と関連が薄い理由があるのではないか。ここでは視覚系は、一種の「二重構造」を示すことになる。耳であれば「陶酔」に関連するような、生に対してより「根源的」な部分を、視覚系では、もともと松果体が受け持つ。ところが、哺乳類では、なぜかそれが脳との直接の関連を絶ってしまう。それによって、深いところで我々を支配する「根源的なもの」と視覚との連関が絶たれ、単純で透明で明晰な「アポロ世界」のみが、現にわれわれが目として知っている構造によって構成される。他方、耳では両者がおそらく相変わらず渾然一体となっているのである。』

いかがだろう、これが、なぜ視覚がより明晰なプラトン的世界に親和性をもち、聴覚が混沌としたアリストテレス的世界に親和性があるかということに対する養老氏の推論なのである。

 これからも養老孟司の数々の知見を参考にしながら、脳と身体、都市と自然、言葉などについて考えて行きたい。

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相転移と同期現象

2008年12月16日 [ 非線形科学 ]@sanmotegiをフォローする

 先日「競争か協調か II」のなかで、「競争を選ぶか協調を選ぶかは、資源全体の多寡・増減に依る」という原則に関連して、コイン・パーキングの例で、需要供給のバランスに応じて値段を上げたり下げたりするのではなく、他のビジネスとの協調・連携によって新しいサービスを作り出していくことの重要性を指摘した。これは、非線形科学でいう「相転移」の考え方を応用したものだ。

 「非線形科学」蔵本由起著(集英社新書)によると、「相転移」とは、「氷、水、水蒸気のような物質のマクロな姿は、相とよばれています。個体、液体、気体は、物質の代表的な相です。温度を変えていくと、一般に相は突如変化しますが、これを相転移とよびます。」(38ページ)と定義される。

 「全体の性質が要素の性質の単純な合成からわかるというのが線形システムの特徴」(同書16ページ)であるから、需要供給のバランスに応じて値段を上げたり下げたりするのは、水の温度を上げたり下げたりしているのと同じ線形的な考え方である。しかし、それだけでは地域社会の活性化には繋がらない。地域社会の活性化とは、水がお湯になる程度の話ではなく、お湯が激しく沸騰するような「相転移」現象だからである。

 勿論、コイン・パーキング場の「棲み分け戦略」や「付加価値戦略」だけで地域社会が活性化するわけではない。しかしそういった店舗・産業を巻き込んだチームワークが、やがて大きなうねりとなって地域全体に波及していくのだ。

 非線形科学といえば、以前「スモールワールド・ネットワーク」や「ハブ(Hub)の役割」で論じた複雑系ネットワーク理論も、非線形科学のひとつだった。非線形科学には、これら以外にも興味深い現象を扱った分野が多い。そのひとつに「同期現象」というものがある。

 同期現象とは、「二つのリズムが相互作用すると、周期がピタリと一致して歩調関係は少しも乱れない、ということが起こるのです。」(同書129ページ)ということだが、「並行読書法」や「脳について」で述べた「ニューロンの同時発火」もその一例だろう。

 同期現象はリズムの相互作用だが、リズムは振動であり、振動はさらに様々な波動を生み出していく。「相転移としての集団同期」(同書148ページ)の項によると、二つの現象(相転移と同期現象)には密接な関連があるという。「生産と消費の等価性」のなかで、「生産と消費の連鎖は波のようなものだ。波は増幅したり減衰したりしながら、社会を縦横に駆け巡る。振幅が大きいほど活気のある豊かな社会だといえる。」と書いたが、これを二つの現象に関連付けて、(コイン・パーキング場のサービスなどの)生産と消費の連鎖が同期すると、相転移現象としての社会の活性化が生まれる、と考えてもよいのかもしれない。

 同期現象については、「SYNC−なぜ自然はシンクロしたがるのか−」スティーヴン・ストロガッツ著(早川書房)などにさらに詳しい。

 非線形科学とは、「生きた自然に格別の関心を寄せる数理的な科学」(「非線形科学」18ページ)といわれる。「1+1=2」というのが線形的な、比例法則の基本的考え方だとすれば、「1+1=1」、もしくは「1+1=多数」というのが非線形的な考え方である。ビジネスも人という「生きた自然」を相手にしているのだから、このような「数理的な科学」が必要なのだ。今後も、非線形科学のビジネスへの応用についていろいろと考えていこう。

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脳と身体

2008年09月30日 [ 非線形科学 ]@sanmotegiをフォローする

 これまで「現場の英語」シリーズや「ホームズとワトソン」などで、

A Resource Planning(R.P.)−英語的発想−主格中心
B Process Technology(P.T.)−日本語的発想−環境中心

という対比をみてきた。ビジネスを行っていく上での重要ファクターだった訳だが、今回はこの対比についてさらに踏み込んで考えてみたい。

 まずAとBの違いをもう一度整理しておこう。英語的発想は思考の原点に自分という「主格」を置くのに対して、日本語的発想はそれを置かず「環境」を主体にして思考する。「主格中心」の発想法はものごとを分析的に考えるR.P.的思考に優れ、「環境中心」の発想法は自ら動きの中に飛び込んでものごとの改善を図るP.T.的活動に優れている。企業経営には、この二つを同時に備えた包容力が必要である。

 「脳について」で紹介した「日本人の脳に主語はいらない」(講談社選書メチエ)の著者月本洋氏は、ご専門の人工知能やデーターマイニング、最近の脳科学の実験などから、日本語と英語の特徴をそれぞれ摘出し、

「日本語は、空間の論理が多く、主体の論理が少ない。これに対して、英語は、主体の論理が多く、空間の論理が少ない」(同書235−236ページ)

と述べておられる。「空間」を「環境」という言葉に置き換えれば、私の指摘と重なると思う。

 さて、以前「アフォーダンスと多様性」で脳と身体の話をした。

「人は、常に現在進行形としての脳と、一定の寿命を持つ身体とを抱えて、この社会に(一過性的に)関わっている」(「アフォーダンスと多様性」より)

a 現在進行形としての脳の働き(t = 0)
b 限りある寿命をもつ身体(t = life)

ここでAとB、aとb二種類の対比をじっくり眺めてみると、「主格」は脳の働きによって生じ、「環境」は身体によって支えられるから、

A R.P.−英語的発想−主格中心
a 脳の働き

B P.T.−日本語的発想−環境中心
b 身体の働き

という連動がみえてくる。勿論後者(B – b)は脳を使わないということではなく、脳を身体機能と一体化させて使うという意味だ。医学博士ア谷博征氏は、その著書「グズな大脳思考、デキる内臓思考」(明日香出版社)のなかで脳と身体について次のように指摘しておられる。

『 さて、ここでもう一度、脳の階層を整理しましょう。

第一の脳:内臓
生命の根源的な欲求をつかさどります。

第二の脳:脳幹・大脳旧皮質
内臓の動きと強い関係を持つ「内臓」脳です。

第三の脳:大脳新皮質
土台である第一の脳(内臓)の欲求を満たすために、第二の脳の感情・情動を利用して発達していく部分です。

 私たちの内臓が、全てのベースになっているわけです。
 さて、私が命名した「内臓思考」。これは、内臓そしてそれに密接につながっている脳幹・大脳旧皮質から出てくるものです。階層でいうと、第一と第二の脳です。
 解剖学的には内臓−脳幹・大脳旧皮質に存在する力です。ここが、自然を感知できるところです。
大脳新皮質に頼る「大脳思考」では、自然を細かく分析することはできても、自然全体を把握することはできません。(後略)』(同書105−107ページ)

「脳を身体機能と一体化させて使う」ことは、ア谷氏の指摘する「内臓思考」に対応する。「第二の脳の感情と情動」という表現は、「第二の脳の感性」とした方が正確かもしれないが、感性の強い影響下にある言語思考をも含めて、第二の脳の働きと理解しておきたい。

 文化人類学者の川田順造氏は、その著書「もうひとつの日本への旅」(中央公論新社)の中で、技術文化の嗜好性において、日本人には「二重の意味での人間依存性」があり、西洋人には「二重の意味での人間非依存性」があると指摘されている。少し長くなるがその部分を引用しよう。

『 技術文化の嗜好性に見る日本と西洋
 ここで、すこし道草になるが、日本の「二重の意味での人間依存性」に対する、西洋の「二重の意味での人間非依存性」について、簡単に述べておこう。
 「二重の意味での人間依存性」というときの「二重」の第一は、複雑な道具立てや装置に頼らず、人間の巧みさによって、道具なしか、簡単な道具を多様に使って作業することだ。素足で鞴を漕いだり作業対象を固定するとか、二本の棒切れに過ぎない箸を、使う人の巧みさで、多機能に使い分けるとか、三十六ページにも触れた、フランスのものに比べて道具としてははるかに簡単で、着脱自在な天秤棒とかは、その例だ。
 日本の技術文化の志向性に見られる「二重の意味での人間依存性」の第二は、より良い結果を得るために、尽力を惜しみなく投入することだ。朝は霜を踏んで野良に行き、夕べは星をいただいて帰るといわれた日本農民の勤勉ぶり、残業をものともしない現代の産業戦士の勤勉にもその異端が窺えるだろう。
 これに対して、西洋の「二重の意味での人間非依存性」はどうか。いま述べた日本の例と対比させていえば、第一の人間非依存性は、個人の巧みさに頼らず、誰がやっても同じようなよい結果が得られるように道具ないし装置を工夫すること、第二の人間非依存性は、できるだけ人力を省き、畜力や風水力など人間以外のエネルギーを利用して、より大きな結果を得ることだ。(後略)」(同書74ページ)

 川田氏が指摘される日本の「二重の意味での人間依存性」は、私の指摘する、日本語的発想が身体の働きを通してP.T.的活動に優れているということに対応し、西洋の「二重の意味での人間非依存性」は、英語的発想が脳(特に大脳新皮質)の働きを通してR.P.的活動に優れていることに対応すると思われる。

A R.P.−英語的発想−主格中心
a 脳の働き

B P.T.−日本語的発想−環境中心
b 身体の働き

という図式は、会社経営が何故AとBを同時に備えていなければならないかということに対する、別の視点からの傍証でもある。それは、人の集まりであるところの会社も一つの有機体であれば、組織には脳と身体機能の両方が必要ということなのだ。

 この、「主格中心」=脳の働き、「環境中心」=身体の働きという対比から、今後また様々な考察を展開していきたい。しかし今回のところは、「ホームズとワトソン」に登場した杉山右京がしばしば「頭脳派」と呼ばれ、亀山薫が「体力派」と呼ばれることを思い出しておくに留めよう。

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脳について

2008年08月28日 [ 非線形科学 ]@sanmotegiをフォローする

 「人を褒めるということ」のなかで脳の研究について触れたが、ここで私の脳についての興味を整理しておこう。

 一つ目は脳と身体機能との関係である。脳がどのように臓器をコントロールし、また臓器がどのように脳へフィードバックをかけるのか、感覚器官と臓器とを結ぶ神経やホルモンの役割、遺伝子と行動様式との関係などなど。ヒトが進化と共にどのような能力を獲得し、また失ったのかということにも興味がある。「内臓が生みだす心」西原克成著(NHKブックス)によると、脊椎動物の進化には大きく分けて三つの段階があったという。第一段階は、海中移動による「口肛分離」、第二段階は、上陸劇による「造血の骨髄腔への移動」、第三段階は、哺乳類の誕生による「歯の発達」。いずれの段階も重力が強く影響を及ぼしているという。

 二つ目は、脳と言語について。知覚システムと環境との相互作用については以前「アフォーダンスについて」で述べたが、人は言葉(含数字)によって世界を理解し、自ら思考し、また他人と意思を通じ合う。知覚システムと脳と言葉との関係はさらに興味深いテーマである。人はどのように言葉を獲得し、使いこなし、また逆にそれに縛られるのか。「日本人の脳に主語はいらない」月本洋著(講談社選書メチエ)によると、「人間は言葉を理解する時に、仮想的に身体を動かすことでイメージを作って、言葉を理解している」(4ページ)という。

 三つ目は、脳内の情報伝達の仕組みについてである。以前「並行読書法」のなかで、「並行読書法の効用は、脳のニューロン・ネットワークから見ると、まるでスモールワールドのような話だが、ニューロンの同時発火という同期現象から考えると、むしろ熱力学や波動理論と関係がありそうだ。」と書いたが、「脳のなかの水分子」(紀伊國屋書店)の著者中田力氏によると、脳にはニューロン・ネットワークの他にもう一つ高電子密度層があり、その仕組みが人の「内因性の賦活(自由意志や創造力、ひらめき)」を支えているという。

 以上挙げた三つ、脳と身体、脳と言語、脳内の情報伝達の仕組みを、これまでの時間論(「アフォーダンスと多様性」、「集団の時間」)に沿ってそれぞれ積分すると、都市と自然、都市と言語、都市の情報伝達の仕組み、となる。脳の研究は即ち社会(都市と自然)の研究に直結している。

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集団の時間

2008年07月01日 [ 非線形科学 ]@sanmotegiをフォローする

 以前「アフォーダンスと多様性」の中で、「個」における、脳(t = 0)と身体(t = life)という2種類の時間について述べ、この2種類に対応する「集団」の時間とはどのようなものなのかと疑問を投げかけておいた。今回はそれについて考えてみよう。

 その前に、もう一度「個」の時間について振り返ってみる。「個」には、脳(t = 0)と身体(t = life)の2種類の時間があった。脳(t = 0)とは、脳が常に「現在進行形」であることを指している。以前の議論を思い出して欲しい。

 『さて、アフォーダンス理論の重要な点の三つ目は、「知覚システム」には終わりがないということだ。どういうことかというと、我々は、世界の何処で何をしていようが、常に世界全体を(一挙に)把握しているということである。知覚システムは常に環境からの情報をそれまでの情報に重ね合わせて修正を加え続ける。たとえば、今あなたはPCの画面を覗いているが、画面の後ろにある壁、部屋全体、家や街、そして世界全体を(一挙に)把握している筈だ。あなたの頭の中にはあなたがこれまで体験してきた世界の全てが同時にある。アフォーダンスではこれを「異所同時性」と呼ぶ。つまり、脳は常に「現在進行形」なのだ。』(「アフォーダンスについて」)

 脳が常に「現在進行形」であるのに対して、(脳を含む)身体には人それぞれ「寿命」がある。身体(t = life)とは、限りある自分の身体時間(寿命)のことであった。生き物は人に限らず全て固有の寿命を持つ。「ゾウの時間 ネズミの時間」本川達雄著(中公新書)の紹介文を引用しよう。

 「動物のサイズが違うと機敏さが違い、寿命が違い、総じて時間の流れる速さが違ってくる。行動圏も生息密度も、サイズと一定の関係がある。ところが一生の間に心臓が打つ総数や体重あたりのそうエネルギー使用量は、サイズによらず同じなのである。本書はサイズからの発想によって動物のデザインを発見し、その動物のよって立つ論理を人間に理解可能なものにする新しい生物学入門書であり、かつ人類の将来に貴重なヒントを提供する。」(本のカバーの紹介文)

 ここまでは良いだろう。「個」には、脳(t = 0)という「現在進行形」の時間(自己言及性)と、身体(t = life)という「寿命」時間(一過性)の2種類の時間があるわけだ。それではそれが「集団」の時間とどう切り結ぶのか。

 結論からいうと、「集団」(=社会)にも2種類の時間があるのである。ひとつは都市 (t = interest)の時間であり、もう一つは自然 (t = ∞)の時間である。ここでいう「都市」とは人が便利さを求めて作り出したもの全般を指す。「個」に2種類の時間があるのならば、その集合体であるところの「集団」にもそれに対応する2種類の時間があるのだ。

 都市の時間は人間の脳(t = 0)の時間に対応し、自然の時間は人の身体(t = life)の時間に対応する。皆さんは、「集団」の時間はこの世にただ一つと教えられてきただろう。過去から未来へ滔々と流れる均一の時間。しかしよく考えてみれば、そのことを証明した人はいないし、「集団」の時間が一つでなくてはならない理由はなにもない。

 集団においては、人の脳が作り出したものに、何らかの公共的な序列をつける必要が出てくる。公共的な序列に組み入れられたもの(値段が付けられたもの)は、市場を介して流通させることが出来る。その値段を決める市場の時間原理が金利(=interest)なのである。利率は社会によって異なる。

 身体は自然から生まれ自然へと還るものだ。だから自然 (t = ∞)は、「個」における身体(t = life)の時間と対応する。自然においては全てのものが循環する。循環する時間には果てがない。t = ∞というのは、自然の時間は無限大という意味である。厳密に言えば自然にも寿命があるのだろうが、人知の及ばない範囲の問題なのでここでは無限大としておいてよいだろう。

 都市は個々人の「主格」が作り出すものであり、自然は「環境」が主役だ。「アフォーダンスと多様性」の最後に、集団の時間を考えるには『思考の原点に自分という「主格」を置く英語的発想と、「環境」を主体にして思考する日本語的発想の違いが補助線となる』と書いたのはそういう意味である。社会にとって重要なのは両者(都市と自然)のバランスである。

 さて、社会問題の多くは、この2種類の時間の混同から起こる。たとえば政治と宗教。政治は自然(t = ∞)の時間には関与できないし、逆に宗教は都市 (t = interest)の時間に関与すべきではない。なぜなら、政治とは人が作り出したシステムであり、宗教とは人知を超えた自然の力の別名だからだ。前者は効率が重要であり、後者は効率とは無関係だ。それを混同し、ある政治体制が永遠に続くと幻想したり、逆に宗教が人間社会すべてに超越すると妄想したりするのは間違っている。それはあたかも「個」において、脳が自分を唯一の存在だと思い込んだり、逆に何も考えずに全てを感情に任せて暮らせば万事上手くいくと考えるのと同じレベルの間違いだ。イエスの福音書を待つまでもなく、「カエサルのものはカエサルへ、神のものは神へ」ということなのである。

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アフォーダンスと多様性

2008年04月14日 [ 非線形科学 ]@sanmotegiをフォローする

 以前まとめたアフォーダンスの考え方(「アフォーダンスについて」)と、先々回「免疫について」で述べたことを、「個」と「集団」という二つのレベルに分けて整理しておこう。このブログを初めて見る人は、まずこれらの記事に目を通していただけれればと思う。

 「個」におけるアフォーダンスで重要な点は、常に思考や行動の枠組みから「自分」というものを外さないこと(自己言及性)と、脳は常に「現在進行形」(time = 0)であるということだった。一方、免疫で重要なのは、限りある自分の身体時間(t = life)における自律神経(交感神経と副交感神経)のバランスである。

 「個」におけるアフォーダンスと免疫との考え方を整理してみると、人は生きている限りこの2種類の時間から逃れられないことがわかる。人は、常に現在進行形としての脳と、一定の寿命を持つ身体とを抱えて、この社会に(一過性的に)関わっているわけだ。

 「集団」におけるアフォーダンスで大切なことは、環境と知覚とが、運動を通して表裏一体とされる点であった。私はこれを「生産と消費との相補性」と呼び、お互いの交換価値が等しいことを指摘した。一方、免疫から導かれたのは、「生産−理性的活動−交感神経優位」vs.「消費−感性的活動−副交感神経優位」という循環式だった。

 「集団」におけるアフォーダンスと免疫との考え方を整理してみると、人間社会の基本構造が、生産と消費の相補性、理性的活動と感性的活動の循環にあることがわかる。

 個体内部のエネルギー循環(免疫系‐自律神経)と、個体間のエネルギー循環(知覚系−脳神経)とは、それぞれの環境におけるエネルギー循環システムとして、相似的構造を持つのだろうとも指摘した。「個」における身体が、様々な運動や栄養を必要とするように、現在進行形としての脳と、一定の寿命を持つ身体とを抱えた個人同士が豊かな日々を送り、その資産が社会に還元されるためには、「集団」のスモールワールド性、多様性が重要なわけだ。

 最近私は、親しかった従兄の一人を病で亡くした。彼は長年の会社勤めのあと、「樹木・環境ネットワーク協会」という特定非営利活動法人で、ボランティア活動に力を入れていた。友人を大切にする笑顔の素敵な人だったが、彼はこれからも樹木を愛する多くの人たちの中に生き続けるに違いない。

 さて、「集団」における相補性と循環性とは、「個」における自己言及性と一過性と対になっている。とすると、脳(t = 0)と身体(t = life)という2種類の時間に対応する、「集団」の時間とはどのようなものであろうか?

 それを解くには、『現場のビジネス英語「Resource PlanningとProcess Technology」』で述べた、思考の原点に自分という「主格」を置く英語的発想と、「環境」を主体にして思考する日本語的発想の違いが補助線となる筈だが、この項、また日を改めて考えてみよう。

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