夜間飛行

茂木賛からスモールビジネスを目指す人への熱いメッセージ


階層性の生物学

2010年12月14日 [ 非線形科学 ]@sanmotegiをフォローする

 “性と進化の秘密”団まりな著(角川ソフィア文庫)を面白く読んだ。「重力進化学」で紹介した“生きもの上陸作戦”同様、この本の内容も多岐に渡っているから、さまざまな「興味の横展開」が可能だけれど、ここでは「階層性の生物学」というテーマについて考えてみたい。まず同書カバーより紹介文を引用する。

(引用開始)

今から38億年前、とてつもない偶然が重なり、地球上に誕生した、たった1つの細胞。この細胞が人間のような複雑な生命へと進化した生命の仕組みとは?原核細胞から真核細胞、そして21億年もの間生き続ける不死の細胞を経て、有性生殖によって死を克服する細胞へ――。「階層性の生物学」という独自の観点から、“思考する細胞”と進化の秘密にせまる。いのちと性の不思議をやさしく解きあかす、独創的な生物学入門。解説・養老孟司

(引用終了)

 生物学における階層性とは何か。同書から引用しよう。

(引用開始)

 ある単純で、小さな単位が集まって、より大きく複雑な単位を作り出す、というのは、自然界の物質の一般的な性質なのです。この性質を、階層性と言います。そして、酸素の毒に立ち向かった「原核細胞」の一部が、苦し紛れに融合し、さらに酸素を利用できる種類の細胞と協力して生きのびた現場は、「真核細胞」という一段と複雑な細胞、つまり生物、を生み出す現場でもあったのです。
 階層性には、もう一つ大切な法則があります。一般に、より単純な「下位の単位」が集まって「上位の単位」を作ったとはっきりというためには、新しく生まれた「上位の単位」が、それを作った「下位の単位」にはなかったより高度な機能・作用をそなえていなければなりません。

(引用終了)
<同書30ページ>

階層関係について、団まりな氏の別の著書“生物のからだはどう複雑化したか”(岩波書店)には次のようにある。

(引用開始)

 以上のように、階層関係というものは、何がしかの複雑さのあるところなら、どこにも見つけることができます。そして、その内容のいかんにかかわらず、二つのもののあいだには、「包含関係」と「新機能の付加」という一般的な性質が成立しています。

(引用終了)
<同書15ページ>

 階層性とは、下位の単位を上位の単位に含む「包含関係」と、上位の単位にのみ与えられた「新機能の付加」という、二つの要素を備えた概念である。動物の階層的進化を考えると、ハプロイド体制→ディプロイド体制→上皮体制→胚葉分化→間充組織体制→上皮体腔体制→脳・中枢神経系ということで、それぞれの段階で「包含関係」と「新機能の付加」が成立しているという。

 階層性は、多様性とは異なる概念である。多様性とは、たとえば同じ脳・中枢神経系の動物に、キリンもいればライオンもいてゾウもいるという状態を指すのだろう。「包含関係」と「新機能の付加」が成立していない段階である。

 生物を含む自然環境が、「多様性」と共に「階層性」を持っているとすると、ある段階の「多様性」はどうようにして次の「階層性」へ分岐するのかという疑問が沸く。下位の単位から上位の単位への進化は長い長い時間がかかるので、実証は難しいだろうが。個体発生と系統発生、外胚葉・中胚葉・内胚葉からなる3の構造、機能と形態の生成、有糸分裂と減数分裂などなど。興味は尽きない。

 さて、階層性について、“性と進化の秘密”の解説のなかで養老孟司氏が面白い指摘をしておられるので紹介しよう。

(引用開始)

 階層性については、団さんとの間に、個人的な思い出があります。私が最初に書いた本『形を読む』(培風館)のなかで、欧米の学問は階層性を重視するけれど、私にはそれはわからないという趣旨のことを書きました。そうしたら、団さんからお手紙をいただいたんです。生物学では階層性はとても大切なことですよ、もっと考えてくださいな、と。
 こういう嬉しいというか、ありがたい指摘をしてくれる人は、本当に少ないんです。私はわかっていなかったから、すなおにそう書いたんですが、団さんの指摘以来、階層性のことをなにかと考えるようになりました。私の頭のなかの混乱を、読者に伝える必要はないでしょう。でも結局私は、階層性という問題は、日本の伝統的な思考のなかにあまり含まれていないのではないか、と思うようになりました。だから階層性は意味がないということではありません。大切なことなのに、ピンと理解できない。大げさですが、ひょっとすると、それは日本語、あるいは日本の文化と関連していないだろうか。そう思ったのです。べつに私が日本人を代表しているわけじゃない。でも私だって大学院まで教育を受けてきたのに、階層性が話題になる場面に出会わなかったんです。
 この話題の端的な例は、たとえば英語で学ぶ関係節です。一つの文章のなかに、入れ子構造の文章が入っています。文法的には主文と副文といいます。ここにもある「階層」がありますね。でも日本語にはこれがないんです。欧米人なら、ふだん使う言葉のなかに、階層がたえず顔を出す。これが思考の構造に影響を与えないはずがないでしょう。
 じゃあなぜ団さんは階層性を重視できたのでしょうか。育ちが関係あるかもしれません。「あとがき」で書いておられるように、団さんのお母さんはアメリカ人だったし、お父さんも日本人ではあるけれど、ひょっとすると奥さんの故郷の社会のほうが性に合っていたのかもしれません。

(引用終了)
<同書179−181ページ>

 同書の「あとがき」によると団まりな氏は、母親がアメリカ人であるだけではなく、小学五年生のときから一年半ほどアメリカで過ごしたとある。先日「バイリンガルについて」の項で見たように、バイリンガルは“マージナル・マン”たる資格がある。日本語と英語のバイリンガルとして、団氏も優れたマージナル・マン(woman)なのであろう。今後の更なるご活躍を期待したい。

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赤筋と白筋

2010年10月19日 [ 非線形科学 ]@sanmotegiをフォローする

 先日「解糖系とミトコンドリア系」の項で、人には解糖系とミトコンドリア系という二つのエネルギー生成システムがあるという説を紹介したが、その説によると、人の筋肉にも解糖系とミトコンドリア系があるという。「解糖系とミトコンドリア系」の項で紹介した“やはり、「免疫力」だ!”安保徹著(ワック出版)から、その部分を引用してみよう。

(引用開始)

 私たちの体には約四百種類の骨格筋がありますが、骨格筋は細胞の集合である筋繊維(きんせんい)からできています。この筋繊維には、ミトコンドリアが多い筋繊維と少ない筋繊維があります。
 筋繊維は、その見かけから赤筋と白筋に分けられます。赤筋は赤い筋繊維でできていて、白筋は白い筋繊維でできています。この色の違いはミオグロビン(筋肉中にあって酸素分子を代謝に必要な時まで貯蔵する)という色素タンパクの量の違いによるのです。この酸素を蓄える赤いミオグロビンが多いので赤筋といわれ、赤筋にはミトコンドリアが多く、白筋は逆にミオグロビンが少なくミトコンドリアが少ないのです。
 赤筋は、収縮は遅いのですが、繰り返し収縮しても疲労しにくいという特性を持っているので、遅筋(ちきん)とも呼ばれます。赤筋(=遅筋)は、長い間収縮し続けることができるので、長時間の持続的な運動に適しています。
 それに対して、白筋は速く収縮し発揮する張力も大きいので、速筋(そっきん)と呼ばれます。白筋(=速筋)は、素早く大きな力を発揮することができ、瞬発的な運動を行うときに活躍します。
 百メートル、二百メートルなど短距離走は、ほとんど無呼吸で疾走する瞬発力の世界ですが、そのときに使っている筋肉はミトコンドリアが少ない白筋(=速筋)です。白筋は酸素なしでエネルギーをつくることができる解糖系の細胞です。
 それに対して、ジョギング、マラソンなどの長距離走やバイク漕ぎ、エアロビクスなど持久力を必要とする運動は、有酸素運動といわれます。これらの運動で使うのは、酸素を使うミトコンドリア生成系の赤筋なのです。(中略)
 私たちの体の骨格筋は、ほぼ一対一の割合です。つまり、解糖系の瞬発力とミトコンドリア系の持久力をバランスよく使って、生活しているのです。

(引用終了)
<同書191−192ページ>

 さて、人類は、10万年から20万年前に起こったアフリカの地殻変動によって、アフリカ大陸から出てゆくことになるわけだが、安保教授は、その後の移動距離によって、民族の間で、赤筋と白筋に比率の微妙な偏りが生まれたとのではないかと推察しておられる。“かたよらない生き方 病気にならない免疫生活のススメ”安保徹著(海竜社)から引用しよう。

(引用開始)

 地殻変動後、人間はアフリカを離れていきます。ヨーロッパ、アジア、北米、南米まで放浪の旅に出ました。旅を重ねているうちに、だんだん赤筋が多くなったのです。日本人のように、西欧から見るとFar East(極東)の果ての果てまでたどり着いた民族は、ますます赤筋が優位になって、マラソンのような持久力を必要とする競技が強いのではないかと考えられます。(中略)
 体全体からみれば、解糖系とミトコンドリア系の比率はほぼ一対一となっているけれど、民族によって微妙なかたよりがあります。
 私たちは長い旅をして、極東といわれる、その果てにたどり着いた民族ですから、瞬発力、いいかえれば興奮や怒りよりも、忍耐力の世界で生きるようになったわけです。

(引用終了)
<同書157−161ページ>

 いかがだろう。“ミトコンドリア不老術”日置正人著(幻冬社)によると、老化とは、ミトコンドリアの数の減少によるものとのことである。日本人が長寿なのは、そもそも民族として、ミトコンドリア系に偏っているからなのかもしれない。

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解糖系とミトコンドリア系

2010年09月28日 [ 非線形科学 ]@sanmotegiをフォローする

 前回の自律神経(「交感神経と副交感神経」)の話に関連して、人のエネルギー生成についても書いておこう。これまで「免疫について」「重力進化学」などで紹介してきた安保徹教授(新潟大学大学院)は、人には「解糖系」と「ミトコンドリア系」という、二種類の「エネルギー生成方法」が備わっていると述べておられる。氏の著書“かたよらない生き方 病気にならない免疫生活のススメ”(海竜社)から引用する。

(引用開始)

 真核生物である動物、つまり多細胞生物は解糖系とミトコンドリア系という二つの生命体を、つまり細胞を使い分けて生きています。
 解糖系は、酸素なしでぶどう糖をピルビン酸と乳酸にする形のエネルギー生成系ですが、これは瞬発力と分裂に優れています。一方、ミトコンドリアは酸素を使って効率よくエネルギーをつくり持続力があるけれど、分裂のない世界です。
 この二つの使い道はまったく違っています。おそらく、解糖系とミトコンドリアの比率は一対一と考えられますが、年齢と生き方によって多少変化があります。現在でも解糖系は分裂と瞬発力、ミトコンドリアは持続力という性質を持っていて、私たちは状況に応じて使い分けているのです。

(引用終了)
<同書23−24ページ>

陸上競技でいえば、解糖系は短距離の瞬発力に、ミトコンドリア系はマラソンなどの持久力に使われるということだ。安保氏の最新著書“やはり、「免疫力」だ!”(ワック出版)からさらに詳しく見てみたい。

(引用開始)

 解糖系の瞬発力とミトコンドリア系の持続力の違いは、エネルギー系の効率と関係しています。
 酸素を使うミトコンドリア系はたんぱく質、脂肪、糖など何でも取り込みます。それをアセチルCoA(アセチルコエンザイムエー)という物質にして、クエン酸回路を回します。クエン酸回路とは、食事からの糖質、疲労の原因物質である乳酸や体脂肪などを分解して、エネルギーに変換する回路です。
 また、ミトコンドリア系は、解糖系とクエン酸回路で生じた水素を電気現象にして回します。これがミトコンドリアの内臓で起こる電子伝達系です。
 つまり、ミトコンドリア系のエネルギー生成はクエン酸回路と電子伝達系の二本立てでATP(アデノシン三リン酸)という「エネルギー通貨」(生物体内の物質代謝で使われる重要性から「生体のエネルギー通貨」と呼ばれています)をつくります。
 一方、解糖系は、エネルギー源はグルコース(ブドウ糖)で、糖しか使いません。米、小麦、イモ類など炭水化物を多く含む食物をとることで、グルコースとピルビン酸に分解して、ATPをつくります。そして最後には乳酸ができますが、筋力運動をしたり全力疾走したりすると、疲れるのは疲労物質である乳酸ができるからです。

(引用終了)
<同書193−194ページ>

 それでは、この二つのエネルギー生成系と、前回の交感神経と副交感神経との関係はどのようになっているのだろうか。“かたよらない生き方 病気にならない免疫生活のススメ”安保徹著(海竜社)から再び引用しよう。

(引用開始)

 では、自律神経とエネルギー生成系はどうつながっているかというと、エネルギーを解糖系でつくろうが、ミトコンドリア系でつくろうが、エネルギーをつくり、使っているときは交感神経が働いているのです。ですから、瞬発力で活動するときも、持久力で活動するときも交感神経の活性化です。
 その反対に、エネルギーの消費を抑え、休んだときは副交感神経です。解糖系でもミトコンドリア系でもエネルギーの産生を極限まで抑制して、たとえば眠っているような状態のとき、あるいは、エネルギーをつくったり、放出したりするの止めて、ものを食べてエネルギーを溜める材料を取り込み、エネルギーを貯蓄しているときなどが副交感神経です。
 つまり、二つのエネルギー生成系のどちらを使っても、交感神経です。逆にどっちも極限まで休ませて、ものを食べたり、休んだり、呼吸をしているときが副交感神経という関係なのです。

(引用終了)
<同書92−93ページ>

 人は二つのエネルギー生成系を使い、さらに自律神経のアクセル(交感神経)とブレーキ(副交感神経)とを使って環境に対処している。我々の健康の秘訣は、この二つのシステムのバランスを上手く図ることなのである。

 ところで、我々の体の中に酸素を好むミトコンドリアと酸素を嫌う解糖系の細胞があるのは、生物の上陸劇とは密接な関係があるらしい。一説によると、太古、シノアバクテリアの出す酸素が空気中に満ちていたとき、解糖系の細胞にミトコンドリアが共生したという。「カーブアウト」「進化のアナロジー」などで紹介した、生物学者の池田清彦氏の“38億年 生物進化の旅”(新潮社)から引用しよう。

(引用開始)

 多くの真核生物は、ミトコンドリアを取り込んだことによって、酸素を使ってエネルギーを得るようになった。それまでの無酸素呼吸に比べると酸素呼吸の効率は非常に高い。それによって真核生物のエネルギー効率は飛躍的に高まったのだった。

(引用終了)
<同書36−37ページ>

 ミトコンドリアが解糖系の細胞に共生したことで、生物は水の中から酸素濃度の高い空気のなかで生きることが出来るようになった。そのあと脊椎動物は「重力進化学」で述べたような進化を遂げ、とくに「交感神経」を発達させる。全身に広がった交感神経によって、「食べること以外」の調整が行われるようになり、その食べること以外の活動が、やがて「人間の文化」を発祥させたのである。

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交感神経と副交感神経

2010年09月21日 [ 非線形科学 ]@sanmotegiをフォローする

 前回「重力進化学」の項で、「交感神経と副交感神経のバランスによって我々の健康が保たれていることは免疫学のよく教えるところ」と書いたけれど、今回は、その交感神経と副交感神経について整理しておきたい。

 松丸本舗で買った“オキシトシン”シャスティン・モベリ著(晶文社)から引用しよう。

(引用開始)

 交感神経系と副交感神経系は、ある意味で正反対の働きをしており、お互いとの均衡を保っている。交感神経系は<闘争か逃走か>反応に関わっていて、心拍数と血圧を上昇させる。一方、副交感神経系は消化や栄養の蓄積に関与する。消化や栄養の蓄積は、<闘争か逃走か>状態ではペースが落ちるが、<安らぎと結びつき>状態では活発化する。健康で幸福であるには、この二つのシステムのバランスがとれていることが重要だ。

(引用終了)
<同書61−64ページ>

ここでいう<闘争か逃走か>、<安らぎと結びつき>とは、環境に対する人の相反する生理学的反応を指す。この二つについてさらに同書から引用しよう。

(引用開始)

正反対の反応

<闘争か逃走か>反応では、次のような特徴が見られる。
・心拍数の増加と、心拍出量(一回の拍動で押し出される血液量)の増加
・血圧上昇
・筋肉での血液循環の増大
・肝臓からのグルコース放出による余分の燃料補給
・ストレスホルモンの血中濃度の上昇

<安らぎと結びつき>反応では、次のような特徴が見られる。
・血圧の低下と心拍数の減少
・皮膚と粘膜での血液循環の増大(たとえば、顔や体のほかの部分がばら色になる)
・ストレスホルモンの血中濃度の低下
・消化、栄養の吸収と貯蔵が効率的になる(長期にわたれば体重が増える)

(引用終了)
<同書45ページ>

ついでに自律神経系そのものの説明についても同書から引用しておこう。

(引用開始)

自律神経系

1 心臓、血管、消化管、肺などの活動を制御する。
2 交感神経系と副交感神経系から成る。
3 求心性の感覚神経を含む。
交感神経は
・運動時に活性化している。
・<闘争か逃走か>反応の身体的反応を司る。
・脊髄から出ている。
・ノルアドレナリンを主要な神経伝達物質として用いる。
副交感神経は
・消化が行われているとき、活性化している
・<安らぎと結びつき>作用による身体的適応に関連している
・脳幹から出ているものと脊髄下部から出ているものがある。
・アセチルコリンを主要な神経伝達物質として用いる。

(引用終了)
<同書60ページ>

 いかがだろう。身体における交感神経と副交感神経のバランスは、環境に対する人の相反する反応、すなわち<闘争か逃走か>と<安らぎと結びつき>とのバランスそのものなのである。

 交感神経と副交感神経については、以前「免疫について」の項でも触れたことがある。

(引用開始)

 私の興味は今のところ少なくとも三つの視点から成り立っている。一つは自分の健康管理だ。体の健康を保つためには免疫の知識が欠かせない。参考になるのは「これだけで病気にならない」西原克成著(祥伝社新書)や「自分ですぐできる免疫革命」安保徹著(だいわ文庫)などなど。

 もうひとつは、上の安保徹教授(新潟大学大学院)がその重要性を説かれている、自律神経(交感神経と副交感神経)のバランスと、私が『「理性」と「感性」』の中で書いたこととの関連だ。

 安保教授は、交感神経優位が興奮する体調を生み、副交感神経優位がリラックスする体調を生むと述べておられる。一方、私が指摘したのは、「生産」は「理性的」活動を中心とし、「消費」は「感性的」活動を中心としているということだ。

 多くの場合、理性的活動が仕事の緊張を生み、感性的活動が余暇のリラックスした心理状態を支えているから、交感神経優位の体調が「生産活動」には必要で、その逆に、副交感神経優位の体調が「消費活動」を支えている、という対比が可能となる。「生産−理性的活動−交感神経優位」、「消費−感性的活動−副交感神経優位」というわけだ。(後略)

(引用終了)

 この「自律神経系」と「生産と消費論」のアナロジーについては、また項を改めて考えてみよう。

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重力進化学

2010年09月14日 [ 非線形科学 ]@sanmotegiをフォローする

 “生きもの上陸作戦”中村桂子・板橋涼子共著(PHPサイエンス・ワールド新書)を楽しく読んだ。サブタイトルに“絶滅と進化の5億年”とある。

(引用開始)

絶滅が大きな進化をうながす

今日、私たちが地上で目にするさまざまな樹木、美しい草花、周りを飛びかう虫たち、そして動物たち。こうした豊かな生態系の出発点はいまから5億年前――地球に生物が誕生して33億年、生き物たちが住み慣れた「水圏」を離れ、陸に上がることを決意したときのこと。まずは植物、そして昆虫、脊椎動物が上陸。5億年で5度の大きな絶滅を乗り越え、たくましく進化する生物の一大イベントを活き活きと描く。

(引用終了)
<同書カバーより>

ということで、この本は、胞子体の大型化、維管束の登場、花づくり遺伝子、翅ができる仕組み、植物と昆虫の共進化、魚類と顎の誕生、鰭から足へ、手はどうやって出来たのか、ゲノム重複、五回の絶滅、マントルプルーム、恐竜から鳥へなどなど、興味深いテーマについてわかりやすく説明してある。巻頭の「生きもの上陸大作戦絵巻」も楽しい。

 本書のテーマは多岐に亘っているから、さまざまな「興味の横展開」が可能だけれど、ここでは、脊椎動物の進化における「重力」の影響について考えてみたい。このテーマについては以前「脳について」の項のなかで、

(引用開始)

「内臓が生みだす心」西原克成著(NHKブックス)によると、脊椎動物の進化には大きく分けて三つの段階があったという。第一段階は、海中移動による「口肛分離」、第二段階は、上陸劇による「造血の骨髄腔への移動」、第三段階は、哺乳類の誕生による「歯の発達」。いずれの段階も重力が強く影響を及ぼしているという。

(引用終了)

と書いたことがある。西原克成医学博士については「免疫について」の項でもその著書を紹介したけれど、氏は、「脊椎動物の進化が重力を中心とした物理的・化学的要因によって起こる」ことを発見、以降これを「重力進化学」と名づけ、提唱しておられる。氏の重力進化学については“生物は重力が進化させた” 西原克成著(講談社ブルーバックス)に詳しいが、ここでは、“究極の免疫学”西原克成著(講談社インターナショナル)から、関連箇所を引用しよう。

(引用開始)

 生物の上陸にともなって、その身体には劇的な十二の変化が発生しました。それは、1.骨髄造血の発生 2.硬骨の発生 3.心臓脈管系の冠動脈の発生 4.鰓から肺への変容 5.赤血球・白血球の分化 6.リンパシステムの発生 7.大脳新皮質の錐体路運動神経の発生 8.毛細血管の発生 9.交感神経の発生 10.恒温性の発生 11.主要組織適合抗体の発生 12.楯鱗(皮歯)の獣毛への変化です。
 これらの変化は、重力作用が六倍になり、酸素の濃度が三十倍になり、生活媒体が比熱一の水から零に近い空気へと変わり、比重の面でも一から八百分の一へと変わったことで、もたらされました。

(引用終了)
<同書119ページ。引用者により一部漢字を数字に置換>

免疫学で重視される自律神経(交感神経と副交感神経)のうち、交感神経そのものが「重力」によって発生したという指摘はとても興味深い。西原氏は、この本のなかで重力と免疫の関係について、「水中から陸上への生物の進化が免疫系を進化させた」、「重力が細胞消化システムとしての免疫系をつくった」とさらに指摘しておられる。

 免疫系、なかでも交感神経の発生・発達が「重力」の影響であることについては、以前同じく「免疫について」の項でその著書を紹介した、新潟大学大学院の安保徹教授も指摘しておられる。同氏の“50歳からの病気にならない生き方革命”(だいわ文庫)から引用しよう。

(引用開始)

 自律神経は交感神経と副交感神経のバランスで調節しています。血液の循環を調節しているのは交感神経です。交感神経は脊髄から出て、血管のまわりをとりまいて全身に行き渡っています。
 脊椎動物になってから血管が生まれ、そのあたりで交感神経ができ始め、血管とともに進化して上陸した時点で全身に一気に広がっていったと考えられます。
 単細胞生物から多細胞生物へ進化するときに、すべての細胞を調節する自律神経ができたのですが、初めから交感神経と副交感神経があったわけではありません。生物は食べると一応生きられるので、消化器官を動かす副交感神経から始まったと考えられています。(中略)
 ところが、上陸するとじっとしていては食べられないし、危険が迫ると逃げたり、あるいは攻撃するようになって、食べること以外の調節がとりわけ必要になったので、交感神経ができたと考えられます。(中略)
 前からあった副交感神経は、生きる環境が水中から陸上に変わり、活動量が飛躍的に増えたので、頸部と仙骨に追いやられ、交感神経が全身に広がったと考えられます。

(引用終了)
<同書109−111ページ>

 交感神経と副交感神経のバランスによって我々の健康が保たれていることは免疫学のよく教えるところだが、全身に広がった交感神経によって、人間文化の発生の基となる「食べること以外」の調節が行われるようになったということであれば、改めて、人間の進化における「重力の影響の大きさ」について考えさせられる。

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3の構造 III

2009年12月28日 [ 非線形科学 ]@sanmotegiをフォローする

 「3の構造」の項を書いたのが今年の8月、その後10月に、“「3」の発想”芳沢光雄著(新潮選書)という本が出版された。その偶然に驚いたけれど、3の重要性について考えている人が他にもいたということで、己の意を強くした。まず同書の裏表紙の紹介文を引用しよう。

(引用開始)

 思考力や応用力は、計算ドリルの繰り返しでは身につかない!数学の世界では、「3」の発想を会得すれば、それ以上の数の事象についても応用によって解けるケースが多い。ティッシュペーパーやドミノ倒しの原理、オモリを使った計測法、3項計算、三段論法、作況指数とジニ係数など、分りやすい例を挙げ、いかに「3」を学ぶことが重要かを説く。「ゆとり教育」で損なわれた「考える数学」が本書で身につく。

(引用終了)

 本のサブタイトルが“数学教育に欠けているもの”とあるように、芳沢氏は、数学教育の見地から3の重要性を説いておられる。詳しくは本書をお読みいただくとして、以下、その骨子を同書の4つの章に沿って纏めてみよう。

第1章 つながっていく性質を持つ「3」

 ドミノ倒しのようにつながっていく現象を理解するのは、「2」ではなく「3」の発想が大切である。

第2章 「3」が要(かなめ)となる世界

 机の脚やカメラの三脚は「3」が特に安定している例だが、ジャンケンなどの「3すくみ」や「三角測量」なども、同じように「3」が重要な意味を持つ。

第3章 関係を定める時に必要な「3」

 「三段論法」などに見られるように、相互に関係する作用を一つずつ整理する上で、3つの関係の仕組みが礎となる場合が多い。

第4章 現象の特徴を表わすことができる「3」

 「3K」などのように、私たちはものごとの現象を3つの要因や特徴で表現することが多い。

 以上だが、この4つの特徴を、以前「3の構造 II」において纏めた三項目と照らし合わせると、

(イ)頂点性
第4章 現象の特徴を表わすことができる「3」

(ロ)安定性
第2章 「3」が要(かなめ)となる世界

(ハ)発展性
第1章 つながっていく性質を持つ「3」
第3章 関係を定める時に必要な「3」

ということになるだろうか。芳沢氏は、本書の最後に以下のように書いておられる。

(引用開始)

「ちえ」には2通りの書き方がある。「知恵」と「智慧」。前者は説明の必要がないだろう。後者は仏教で使われる言葉である。意味は、相対世界に向かう働きの智と、悟りを導く精神作用の慧。物事をありのままに把握し、真理を見極める認識力(『大辞泉』より)。そして、それは「聞慧」「思慧」「修慧」の三つ、「三慧(さんえ)」から成り立つ。
 聞慧とは、授業で聞いたり本を読んだりして、聞いたことや書いてあることを事実として知ることである。
 思慧とは、聞慧として身に付いたものごとに関して、自分なりにそれらの間の繋がりを組み立てたり、それらの背景を理解できるように考えることである。
 最後の修慧は、思慧として身に付いたものごとに関して、きちんと説明できるように書いたり、それらを応用して実践できるようにすることである。
(中略)
 ドミノ倒しのように、次々とつながっていく性質を理解するときの「3番目」、3すくみのように「3」が要となる世界、計算規則の理解で必要な「3」項の計算、3Kや三慧のように物事を説明する上で必要な「3つ」の立場など、それらの中には、日本人を古くから支えてきた「もう1つの選択」というべき「3という発想」に通低するものがあると私は思っている。その忘れかけている大切な発想を意識して毎日を過ごすことが、行き過ぎた合理主義に取り囲まれた現在の日本に、強く求められているのではないだろうか。

(引用終了)
<同書165−173ページ>

我々も、「三慧」を用いて、日々の生活をバランスよく過ごしたいものだ。

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跳ねるボール

2009年12月08日 [ 非線形科学 ]@sanmotegiをフォローする

 「興味の横展開」を仕事に活かすということで「個人事業主」の項を書いたけれど、「興味の横展開」という考え方は、勿論、勉強・学習にも活かすこともできる。ただし、ここで云う勉強・学習とは、自らの興味に基づく能動的な知的活動のことであり、お仕着せの受験勉強のことではない。

 最近私の興味を惹いた、熱力学に関する新聞記事を紹介しよう。この記事から、皆さんの興味がどのように展開するか楽しみだ。全文引用する。

(引用開始)

「跳ねて速度アップ 常識覆すボール」熱力学の根本に迫る

 ぶつけた速度よりも速く跳ね返る“常識破り”のボールを作れる可能性があることを、中央大学の国仲寛人助教らが計算機シミュレーションで示した。ボールの持つ熱がボールの運動エネルギーに変わって速度を増す。熱力学の根本に迫る現象という。米物理学会誌に発表し、注目論文として取り上げられるなど話題になっている。
 ゴルフボールも野球にボールも、ぶつけた速度よりも跳ね返ってくるときの速度の方が小さくなる。床で弾むスーパーボールも、跳ね上がる高さがだんだん小さくなる。
 理想的な反発力を持つ物体ならぶつけた速度と跳ね返る速度が等しくなるが、それでも超えることはない、というのが高校の教科書にも書かれた常識だ。
 跳ね返ると速度が落ちるのは、衝突の際に運動エネルギーの一部が熱に変わって逃げてしまうからだ。
 国仲さんは、原子が七百個集まった直径約百万分の三ミリの小さなボールを想定。このボール同士が正面衝突する様子をコンピューターで繰り返し調べた。実際の分子に働くような引力も考慮した。
 その結果、ボールを秒速十メートル前後でゆっくりぶつけたとき、反発の速度が増す現象が二十回に一回程度起きることが分った。速度は最大で一割程度増えた。
 この不思議な現象が起きる主な理由として国仲さんは「ボールの中の個々の原子は熱によって振動している。二つのボールがゆっくり接するとき、原子がちょうど相手をはじき飛ばす方向に振動していれば反発のスピードが増す」と考える。
 つまり、ボールの原子が持っている熱が、ボール全体の運動エネルギーに変わったということになる。熱力学第二法則では、外から手を加えずに熱が運動エネルギーなどの仕事に変わることを禁じている。熱から仕事が取り出せれば永久機関も実現できるからだ。
 計算結果はこの法則を破るように見えるが「反発のスピードが増すのは衝突の5%。全体を平均すれば反発のスピードの方が低くなり熱力学第二法則に反しない」という。
 共同研究者の早川尚男・京都大教授は「ナノサイズのボールをレーザー光で捕まえて衝突させれば、計算だけではなく実際に確かめられる可能性もある」としている。

(引用終了)
<東京新聞4/28/09>

熱力学第二法則を習ったことのある人ならば、誰でも興味を覚える記事だと思うが、いかがだろうか。

 この現象は「ゆらぎ」の一種なのだろうか。シミュレーションということであれば、パラメターの「初期状態」をどのように設定したのか、という点が特に私の興味を惹く。また、「計算だけではなく実際に確かめられる」というけれど、その根拠と方法についても知りたいと思う。

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パラダイム・シフト II 

2009年11月23日 [ 非線形科学 ]@sanmotegiをフォローする

 先回に引き続き「パラダイム・シフト」の話を続けたい。そもそもパラダイム・シフトのきっかけをつくる人はどういう人たちなのだろうか。なぜ夏井睦氏が「湿潤治療」を思いついたのか、“傷はぜったい消毒するな”夏井睦著(光文社新書)から引用する。

(引用開始)

 これまで説明してきたように、パラダイムの内部にいる人間は、それがパラダイムだということに気付かない。それが単なるパラダイムではないかと気付くのは、外側にいる人間だけである。
 筆者は十〇年ほど前まで従来の熱傷治療を熱心に行なってきた一人である。前にも書いたが筆者は形成外科の専門医であり、大学の形成外科局に十五年ほど所属し、この間、多数の熱傷患者を治療し、数え切れないほどの手術を行なってきた。(中略)
 そしてその後、湿潤治療を始めたので、いわば熱傷治療を内側と外側両方から眺めてきたことになる。その結果、大学病院時代には見えてこなかった熱傷治療の問題点が見えてくるようになった。

(引用終了)
<同書170ページ>

「熱傷治療を内側と外側両方から眺めてきた」という部分に注目してもらいたい。そして、以前「エッジ・エフェクト」で紹介した、「マージナル・マン」という概念を思い起こしてほしい。「部落問題・人権辞典ウェブ版」から、再度その部分を引用しよう。

(引用開始)

 異質な諸社会集団のマージン(境域・限界)に立ち、既成のいかなる社会集団にも十分帰属していない人間。境界人、限界人、周辺人などと訳される。マージナル・マンの性格構造や精神構造、その置かれている状況や位置や文化を総称して、マージナリティーと呼ぶ。マージナル・マンの概念は、1920年代の終わり頃に、アメリカの社会学者バークが、ジンメルの<異邦人>の概念(潜在的な放浪者、自分の土地を持たぬ者)の示唆を受けて構築した。(中略)

 マージナル・マンは、自己の内にある文化的・社会的境界性を生かして、生まれ育った社会の自明の理とされている世界観に対して、ある種の距離を置くことが可能である。それゆえにマージナル・マンは、人生や現実に対して創造的に働きかける契機をもっている。

(引用終了)

「熱傷治療を内側と外側両方から眺めてきた」夏井氏は、学会の「自明の理とされている世界観に対して、ある種の距離を置くこと」が可能だった。勿論マージン(境域・限界)に立っているからといって、それだけでパラダイム・シフトのきっかけを生み出せる訳ではないけれど、それは生み出すための必要条件なのだろうと思う。

 そういえば、「皮膚感覚」で紹介した傳田光洋氏も、大学では科学熱力学を学んでおられて、皮膚の研究を始めたのは三十歳を過ぎてからとのこと。夏井睦氏ともども、それぞれの研究領域におけるマージナル・マンなのであった。お二人の更なる飛躍に期待したい。

 ところで、夏井氏は「湿潤治療」に関して、インターネットを活用されている。その理由について氏は“傷はぜったい消毒するな”の中で、

(引用開始)

 こういう経験(ネットを通して貴重な楽譜をやりとりした経験)から私は、情報を全て公開し共有することで、より多くの情報が得られることを学んだ。苦労して手に入れた楽譜だからタダでは見せられない、と考えるか、苦労して手に入れたものだから皆で共有しよう、と考えるかの違いである。だから治療法を全て公開したのだが、治療例は学会発表するか論文にしなければ意味がなく、インターネットでの公開は無意味だという批判もあった。だが、全く気にしなかった。私にとって学会も論文もどうでもよかったからだ。また治療失敗症例は多くのことを教えてくれるし、治療上のトラブルについて皆で分析して解決法が考案されることで、治療法はより完全なものになっていく。だから、失敗例ほど公開しようと考えたわけだ。

(引用終了)
<同書66−67ページ。カッコ内は引用者による注。>

と書いておられる。インターネットを活用した「知のオープン化」については、これまで「ハブ(Hub)の役割」や「盤上の自由」などで論じてきた。併せてお読みいただければ嬉しい。

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パラダイム・シフト

2009年11月17日 [ 非線形科学 ]@sanmotegiをフォローする

 先日「皮膚感覚」の項で述べたように、皮膚についていろいろと勉強しているのだが、最近、“傷はぜったい消毒するな”夏井睦著(光文社新書)という本を読んだ。本カバー裏の紹介文を引用しよう。

(引用開始)

ケガをしたら、消毒して乾かす、が世間の常識。しかし著者によれば、消毒は「傷口に熱湯をかけるような行為」だという。傷は消毒せず、乾燥させなければ、痛まず、速く、しかもきれいに治るのである。
著者は、今注目の「湿潤治療」を確立した形成外科医である。その治癒効果に驚いた医師らにより、湿潤治療は各地で広まっている。しかし肝心の大学病院などでは相変わらず、傷やヤケドを悪化させ、直りを遅らせ、患者に痛みと後遺症を強いる旧来の治療が行なわれている。なぜ、医学において生物学や科学の新しい成果は取り入れられないのか。本書では医学会の問題点も鋭く検証。さらに、生物進化の過程をたどりつつ見直した、皮膚という臓器の驚くべき能力について、意欲的な仮説を展開しながら解説する。

(引用終了)

この紹介文の最後にある「意欲的な仮説」とは、皮膚の力を見直す思考実験なのだが、それは、「皮膚感覚」で紹介した傳田光洋氏の“皮膚は考える”(岩波書店)に触発されてのことだという。

 本書の中に、「パラダイム・シフト」について触れた箇所がある。湿潤治療や皮膚の思考実験についてはまた別の機会に譲るとして、今回はこのパラダイム・シフトについて考えてみたい。パラダイムやパラダイム・シフトについて書かれたものは他にもいろいろあるけれど、夏井氏はこの本で、パラダイム・シフトが起る動的プロセスについて説明しておられる。まず本書によって「パラダイム・シフト」とは何かについて確認しておこう。

(引用開始)

 パラダイムシフトは「その時代や分野において当然のことと考えられていた認識(パラダイム)が、革命的かつ非連続的に変化(シフト)すること」と定義されている。ここで重要なのは「非連続に変化」という部分だ。つまり、旧パラダイムから新パラダイムへの変化(シフト)は連続的に起るのではなく、二つのパラダイムは完全に断絶しているのだ。新しい考え方は旧いパラダイムを完全否定することで生まれるからだ。

(引用終了)
<本書164ページ>

ではこの「パラダイム・シフト」はどういうプロセスで起るのか。少し長くなるが夏井氏の文章をさらに引用する。

(引用開始)

 先入観を一番捨てにくいのは誰だろうか。それは専門家だ。専門家は自分の専門知識が正しいことを前提に考えるから、もしかしたらそれが間違っているかも、とはなかなか考えられない。(中略)
 素人はそもそも先入観もなければその分野についての知識もない。(中略)
 つまり、新しいパラダイムを素人は受け入れやすく、専門家は専門家としての自分の地位を守るために懸命になって拒否するわけだ。このためパラダイムシフトの真っ只中では、素人が専門家より知識の面で先を行って最新の知識を享受し、専門家は古い知識(=旧パラダイム)にしがみつくことになる。
 このような「専門家集団と素人の間での知識の逆転現象」は、パラダイムシフトの渦中では常に起きていたはずだ。そしてこの逆転現象こそがパラダイムシフトを完成させる駆動力となり、パラダイムシフトの本質なのである。
 なぜそれが駆動力になるかと言えば、専門家は生まれながらにして専門家だったわけではないからだ。彼らはもともとは素人であり、勉強して専門家になった。つまり、専門家集団の背景には膨大な数の「知識のない素人」が必要である。
 一般大衆(=素人)の間に新しい考えが広まってくると、次世代の旧パラダイムの専門家の予備軍(=知識のない素人)がいなくなってしまう。その結果、旧パラダイムの専門家集団への新規加入者が減り、やがて新規加入者より集団内の死者の方が多くなり、そのうち専門家集団は老衰死・自然死を迎える。その時パラダイムシフトは完了する。
 繰り返しになるが、パラダイムが信じられている時代では専門家が指導的立場にあるが、そのパラダイムが崩れようとしている時には、素人の方が最新の知識を持つのだ。


(引用終了)
<同書167−169ページ>

いかがだろう。このブログではこれまで、「モチベーションの分布」や「興味の横展開」、「日記をつけるということ」などで、個人的興味が変化する動的プロセスについて考えてきた。ここで分析されているのは、(個人の集合であるところの)社会的認識が変化する動的プロセスである。個人においては、モチベーションの正規分布と情報のベキ則分布、社会においては、常識の正規分布と専門知識のベキ則分布、どちらも、正規分布とベキ則分布とが絡み合う、面白い、非線形的な世界である。

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皮膚感覚

2009年10月19日 [ 非線形科学 ]@sanmotegiをフォローする

 “賢い皮膚”傳田光洋著(ちくま新書)を読む。本書は、同氏の“皮膚は考える”(岩波書店)、“第三の脳”(朝日出版社)における知見を総合的により詳しく纏めたものだ。傳田氏は資生堂研究所の主任研究員である。本のカバー裏の紹介文を引用しよう。

(引用開始)

 今、皮膚科学が長足の進歩を遂げている。医療や美容からのアプローチだけではうかがいしれない、皮膚メカニズムが次々に解明されつつあるのだ。「年をとるとしわができるのはどうして」、「お肌に良い物質はなにか」といった身近なトピックから、「皮膚が脳と同じ機能を担っているとしたら」というにわかには信じられない働きにまで本書は迫っていく。薄皮に秘められた世界をとくと堪能していただきたい。

(引用終了)

皮膚は生体と外界の境界である。以前「エッジ・エフェクト」のなかで「境界」の重要性を指摘したけれど、外環境との間で皮膚に何がどう起っているのか、とても興味深いテーマである。

 ここで私の「皮膚」に関する興味視点を整理しておきたい。勿論、傳田氏の著書に導かれてのことである。

 一つは、皮膚の自律システム(イオン濃度変化と電場の形成、バリア層、免疫の働きなど)についてである。以前「免疫について」で述べたと同じく、身体の健康を保つためには皮膚に対する様々な知識が欠かせない。

 二つは、体表と経絡ネットワークについてである。傳田氏は、自らの体験なども踏まえて、体表(表皮)そのものに、神経系・循環器系とは別の「経絡ネットワーク」とでもいうべき情報経路が存在するのではないか、と推察されている。以前「脳について」のなかで、脳内の情報伝達の仕組みについて、ニューロン・ネットワークの他にもう一つ高電子密度層があり、その仕組みが人の「内因性の賦活」を支えているという説に言及したけれど、体表そのものに神経系・循環器系とは別の情報経路が存在するという説は、人の脳と身体を考える上で大変興味深い。

 三つは、肌と五感(視覚・聴覚・嗅覚・味覚・触覚)との関係である。傳田氏は、いろいろな実験から、肌には通常考えられている「触覚」としての働き以上のものがあるのではないか、と推察されている。以前「視覚と聴覚」のなかで、第三の目としての「松果体」について言及したけれど、肌と視覚、肌と聴覚の関係は奥が深いと思う。

 ところで、「サラサーテのことなど」で引用した平岡公威(ペンネーム三島由紀夫)の、「蘭陵王」という短編小説の中に次のような一文がある。

(引用開始)

 私は全身の汗と泥を、石鹸の泡を存分に立てて洗いながら、皮膚というものの不思議な不可侵に思いいたった。もし皮膚が粗鬆(そしょう)であったら、汗や埃はそこにしみ入って、時を経たあとは、洗い落とそうにも落とせなくなるに違いない。皮膚のよみがえりとその清さは、その円滑で光沢ある不可侵性によって保証されているのだ。それがなければ、私たちは一つの悪い夢から覚めることもならず、汚濁も疲労も癒さず、すべてはたちまち累積して、私たちを泥土に帰せしてめであろう。

(引用終了)
<「蘭陵王」三島由紀夫著(新潮社)252ページより。本文は旧かな。引用者が新かなに変換した>

平岡公威は、「精神と肉体」という二元論を身をもって追求した人だが、同時に、皮膚という「表面それ自体の深み」にも強い関心を寄せていた。“太陽と鉄”三島由紀夫著(講談社文庫)からも引用しよう。

(引用開始)

 人間の造形的な存在を保証する皮膚の領域が、ただ閑静に委ねられて放置されるままに、もっとも軽んぜられ、思考は一旦深みを目ざすと不可視の深淵へはまり込もうとし、一旦高みを目指すと、折角の肉体の形をさしおいて、同じく不可視の無限の天空の光へ飛び去ろうとする、その運動法則が私には理解できなかった。もし思考が上方であれ下方であれ、深淵を目ざすのがその原則であるなら、われわれの固体と形態を保証し、われわれの内界と外界をわかつところの、その重要な境界である「表面」そのものに、一種の深淵を発見して、「表面それ自体の深み」に惹かれないのは、不合理きわまることに思われた。

(引用終了)
<同書22ページより>

自決によってその追求は叶わなかったけれど、日本と西洋文明との間を行き来するマージナル・マンとして、平岡氏は皮膚という「肉体と外界との境界性」にも敏感だったのだろう。

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マップラバーとは

2009年10月06日 [ 非線形科学 ]@sanmotegiをフォローする

 マップラバーとは何か。この楽しい言葉が出てくるのは、今年の夏休みに読んだ“世界は分けてもわからない”福岡伸一著(講談社現代新書)の中である。まずはその部分を引用してみよう。

(引用開始)

 おおよそ世の中の人間の性向は、マップラバーとマップヘイターに二分類することができる。(中略)
 マップラバー(map lover)はその名のとおり、地図が大好き。百貨店に行けばまず売り場案内板(フロアプラン)に直行する。自分の位置と目的の店の位置を定めないと行動が始まらない。マップラバーは起点、終点、上流、下流、東西南北をこよなく愛する。(中略)
 対するマップヘイター(map hater)。自分の行きたいところに行くのに地図や案内板など全くたよりにしない。むしろ地図など面倒くさいものは見ない。百貨店に入ると勘だけでやみくもに歩き出し、それでいてちゃんと目的場所を見つけられる。二度目なら確実に最短距離で直行できる。(後略)

(引用終了)
<同書88−89ページ>

 分子生物学者で青山学院大学教授の福岡伸一氏は、ロハス(Lifestyles of Health And Sustainability)な生き方の提唱者として有名だ。ロハス的生き方とは、健康と持続可能性に配慮した生き方のことで、私が提唱している「21世紀型スモールビジネス」の価値観とも共通するところが多い。21世紀型スモールビジネスとは、多品種少量生産、食品の地産地消、資源循環、新技術といった、安定成長時代の産業システムを牽引する、組織規模の小さいビジネス形態のことである(「スモールビジネスの時代」)。尚、福岡氏のご著書は、すでに「アートビジネス」、「エッジ・エフェクト」、「シグモイド・カーブ」などでも引用したので、お読みいただけると嬉しい。

 さて上の文章、なにやら福岡先生ご夫婦のことのようにも読めるけれど、そうではなく、この性向(特にマップヘイター)は、生物学的に重要な概念であるという。

(引用開始)

 実は、マップヘイターが採用しているこの分散的な行動原理は、全体像をあらかじめ知った上でないと自分を定位できず行動も出来ないマップラバーのそれに比べて、生物学的に見てとても重要な原理なのである。そして、私たちの身体が六十兆個の細胞からなっていることを考えるとき、それぞれの細胞が行なっているふるまい方はまさにこういうことなのである。鳥瞰的な全体像を知るマップラバーはどこにもいない。細胞はそれぞれ究極のマップヘイターなのだ。

(引用終了)
<同書93ページ>

この先、話はES細胞やがん細胞へと繋がり、やがて「世界は分けてもわからない」という本書のメイン・テーマへと展開されていくのだが、私はこの「マップラバー」という言葉から、「ホームズとワトソン」の話を思い出した。

 名探偵シャーロック・ホームズは、常に事件全体を大局的に俯瞰し、複雑な事件の謎を解いていく。一方、医者のジョン・ワトソンは、事件環境に入り込んで、身体を張ってホームズを助ける。マップラバーは、地図を俯瞰して、自分の居場所や目的地を論理的に考えていく。マップヘイターは、環境に入り込み、場所を肌で感じながら目的地に到達する。つまり、ホームズは福岡氏のいうマップラバーとその特徴が重なり、ワトソンは、マップヘイターとその特徴が重なるのである。

 これまで「公と私論」などで展開してきたホームズとワトソンの対比に、このマップラバーとマップヘイターを追加すると、

A Resource Planning−英語的発想−主格中心
a 脳の働き−「公(public)」−マップラバー

B Process Technology−日本語的発想−環境中心
b 身体の働き−「私(private)」−マップヘイター

となる。そもそも身体は(六十兆個の)細胞からできているのだから、細胞が究極のマップヘイターだとする福岡氏の説は、この対比とうまく整合するわけだ。ちなみに、ここでいう「脳の働き」とは、大脳新皮質主体の思考であり、「身体の働き」とは、身体機能を司る脳幹・大脳旧皮質主体の思考のことであるから念のため(詳しくは「脳と身体」の項を参照のこと)。

 すでに「ホームズとワトソン」などで見てきたように、ビジネスの成功には、Resource Planningの得意な前者と、Process Technologyに長けた後者との協力が欠かせない。皆さんも、マップラバーとマップヘイターという新鮮な視点で社内を見回して、両者の協力・非協力関係を観察してみては如何だろう。案外、身近なところに業績不振の元(ネタ)が見つかるかもしれない。

 ところで、福岡氏のこの著書には、もう一つ「イームズのトリック」という面白い話題がある。それについてはまた後日触れてみたい。

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3の構造 II

2009年09月08日 [ 非線形科学 ]@sanmotegiをフォローする

 先日書いた「3の構造」について考えを進めよう。まず「3の構造」の特徴を以下に整理する。

(イ)多数のなかでの頂点を示す

多くのものの中における頂点。先回の例では、「オリンピック・メダルの金・銀・銅」や「いろは」、「ABC」などがこれに当たる。

(ロ)安定性

三脚椅子の例のように、不安定さの無い状態を表す。多すぎず少なすぎないという特徴も、この「安定性」の内に含めて良いだろう。先回列記した例では、「上中下」や「三権分立」、「神話の三種の神器」、「三位一体」、「朝昼晩」、「大中小」など、多くがこれに該当すると思われる。

(ハ)発展性

何かと何かが作用しあって新しい何かが生まれる、という発展構造を示す。先回列記した例では、「弁証法のテーゼ・アンチテーゼ・ジンテーゼ」や「武道の守・破・離」、「第三の波」などがこれに該当するだろう。

 以上、特徴の整理自体が「3の構造」になってしまったが、なるほど、多すぎず少なすぎない。そういえばこれまでも、「アフォーダンスについて」、「免疫について」、「脳について」など、この「3の構造」で整理してきた。

 さて、これまでこのブログでは、「生産と消費論」、「公と私論」、「競争か協調か」、「モチベーションの分布」など、いくつかの双極、あるいは対立軸と、そのバランスの重要性についてみてきた。また、「里山ビジネス」、「エッジ・エフェクト」、「庭園について」などで、境界の重要性についても注目してきた。

 ある双極や対称性が、運動によって融合・崩壊し、新しい何かが生まれるというダイナミズムは、“何かと何かが作用しあって新しい何かが生まれる”という意味で、「3の構造」における(ハ)の発展性そのものである。

 以前「相転移と同期現象」の中で、

(引用開始)

「1+1=2」というのが線形的な、比例法則の基本的考え方だとすれば、「1+1=1」、もしくは「1+1=多数」というのが非線形的な考え方である。

(引用終了)

と書いたけれど、「1+1」が「別の1(もしくは多数)」になるという考えは、この運動の構図であり、「生産と消費論」などの双極・対立軸は、「エッジ・エフェクト」の境界性を通して、初めからこの「3の構造」を内包しているのであった。これからも「3の構造」とその周辺に注目していこう。

 ところで、「3の構造」で引用させていただいた“3つに分けて人生がうまくいくイギリス人の習慣”の著者井形慶子さんに、掲示板を通じて連絡したところ、嬉しい以下のご返事をいただいた。

(引用開始)

茂木さま、
こんにちは。
「3つに分けて人生がうまくいく
イギリスの習慣」を紹介してくださって
ありがとうございます。
ブログを拝見して、非常に感心することが多く、
とても興味深くよませていただきました。
茂木さんが紹介されていたいくつかの著書にも
惹かれるものがあります。
今後の活躍を応援しています。

(引用終了)
<「井形慶子’s Room」掲示板(8/23/09)より>

私が井形さんの本を最初に読んだのは、“イギリスの家を1000万円で建てた!”(新潮OH文庫)である。その行動力に脱帽し、それ以来彼女の本の愛読者になった。井形さんの最新著書“英語のおかげ”(中経の文庫)は、どのようにしたら英語を実用的に使えるようになるかということについて、ご自分の経験を通して自伝的に書いておられる。これから英語を勉強しようという人にはとても参考になると思う。

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3の構造

2009年08月17日 [ 非線形科学 ]@sanmotegiをフォローする

 「3」という数に興味がある。「3」は、弁証法のテーゼ・アンチテーゼ・ジンテーゼ、時間の過去・現在・未来、音楽のソナタ形式、武道の守・破・離、神話の三種の神器、数学の三角関数、その他、いろは、上中下、松竹梅、序破急、心技体、朝昼晩、ABC、大中小などなど、さまざまな場面に顔を出す。また「3」は、「コッホ曲線」と呼ばれるフラクタル図形の基本数でもある。「アフォーダンスについて」で述べた、ミーディアム・サブスタンス・サーフェスという世界構造も「3」である。フラクタルやアフォーダンスという非線形科学の根本に、「3」という数があるわけだ。これらをまとめて「3の構造」と命名したい。

 「3の構造」に関連して、“3つに分けて人生がうまくいくイギリス人の習慣”井形慶子著(新潮文庫)から引用しよう。

(引用開始)

「数」は万物の根元であり、数字のひとつひとつに隠された真実がある」と説いたのはギリシャの数学者ピタゴラスです。彼の理論をもとに体系立てた数秘学には、3の持つ意味がこう記されていました。
「3には2つの対立するバラバラな働きから、新しい展開やパワーを生み出し、物事をさらに発展させる創造的な力がある」(中略)
 2つの点からはただの直線しか生まれませんが、3つにすると三角形が出来上がり、面積が誕生します。「線が細い人」とたとえても「面が薄い人」とはいいません。しかも線を面に変えるだけで、イメージはたちまち安定します。たとえば椅子は二本脚では成り立ちませんが、三本にすると腰掛けても倒れない家具になるのです。
 
(引用終了)
<同書24−25ページ>

「3」は、「発展性」と同時に「安定性」を表す特別な構造である。次に、東京新聞「筆洗」(4/10/08)から引用しよう。

(引用開始)

 例えば「話したいことが三つあります」と言われると、聞いてみようかという気になる。一つや二つでは何となく物足りない。四つや五つでは多すぎるし、全部覚えることが難しそうである。
 オリンピックのメダルも金・銀・銅と三つあるので、一層盛り上がるのかもしれない。スポーツに限らず上位の「三」という数字は、多数の中で頂点を人々に感じさせる効果があるという(飯田朝子著『アイドルのウエストはなぜ58センチなのか』)。

(引用終了)

「3」は、多すぎず少なすぎず、さらに「多数の中で頂点を感じさせる」構造でもある。以前「ホームズとワトソン II」の中で、企業における資産と市場とのマッチングに関して、戦略の独創性が必要であると指摘し、

(引用開始)

独創性は、組織・商品・店舗・流通など合わせて少なくとも三つ以上欲しいところだ。

(引用終了)

と書いたのは、この「3の構造」を意識したものだった。

 「3の構造」は、冒頭に挙げた以外にも、物質の固体・液体・気体状態、一流・二流・三流、三位一体、三権分立、第三の男、第三の推論、第三の波、第三の道、3点測法、左中右、外中内、じゃんけんのグー・チョキ・パー、第3のビールなど、まだまだ色々ある。これからも「3の構造」について様々な角度から考えていきたい。

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シグモイド・カーブ

2009年06月09日 [ 非線形科学 ]@sanmotegiをフォローする

 先回「興味の横展開」のなかで、

(引用開始)

 自転車を買ってしばらく乗り回してからでないと、なぜ自分が興味を持ったのか本当のところは分からないから、自分が裾野の何処にいるかを知るには少し時間がかかるけれど、しばらくしてもやはり「身体を動かしながら風に当たるのが気持ちよい」ということに熱心な人は、類似性のある「ジョギングやマラソンなどのスポーツ」への興味が展開するわけだ。

(引用終了)

と書いたけれど、何かの意図が頭にひらめいてから、なぜそう思ったのかが本当に分かるまではどうしても時間がかかる。

 多くの人は、何かに興味を持っても、そのことを充分長く続ける辛抱強さが無い。すぐに飽きて他のことに目が行ってしまう。だから何が本当に好きなのかわからない。頭の中に密度の低い情報がただなんとなく散らばっている状態のままになってしまう。興味の横展開は、その興味の理由と度合いを自覚するところから始まるのである。

 「アートビジネス」や「エッジ・エフェクト」で紹介した分子生物学者の福岡伸一氏は、近著「動的平衡」(木楽舎)のなかで、自然現象におけるインプットとアウトプットの関係について、

(引用開始)

 生命現象を含む自然界の仕組みの多くは、比例関係=線形性を保っていない。非線形性を取っている。自然界のインプットとアウトプットの関係の多くの場合、Sの字を左右に引き伸ばしたような、シグモイド・カーブという非線形性をとるのである。
 非線形性は、たとえば音楽を聴くときにボリュームのダイヤルの回し具合(インプット)と聞こえ方(アウトプット)の関係を考えてみるとよくわかる。
 ボリューム・ダイヤルをだんだん右にひねっていくと、ボリュームは大きくなっているはずなのに、音はなかなか大きく聞こえてこない。つまり最初の段階では、インプットに対する応答性は鈍い。
 ところが、ボリューム・ダイヤルがある位置を越えると、音は急にガーンと大きくなって聞こえてくる。ここで応答は鋭く立ち上がるのである。しかし、ボリュームのダイヤルをかなり大きくひねった位置では、それ以上にダイヤルを回しても、大きな音は大きな音としか聞こえなくて、ダイヤルの回転に応じて大きくは聞こえない。
 つまり、シグモンド・カーブにおいて、インプットとアウトプットの関係は、鈍―敏―鈍という変化をするのである。

(引用終了)
<同書95ページより>

と書いておられる。脳のニューロン・ネットワークにおいて、例えば、自転車に乗りたいという興味のインプット(ひらめき)から、なぜ乗りたいのかという理由を見つけるアウトプットまでの関係は、この「シグモイド・カーブ」のような非線形性があるのだろう。この非線形性の故に、自転車を買ってから暫く乗り回してからでないと、なぜ自分が興味を持ったのか本当のところが分からないのだろう。皆さんも、ひとつのことに興味を持ったら、すぐ飽きることなく、ゆっくり時間をかけて自分が何になぜ興味を持つのかを分析し、興味の横展開に繋げていって欲しい。

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興味の横展開

2009年06月02日 [ 非線形科学 ]@sanmotegiをフォローする

 以前「モチベーションの分布」の中で、

(引用開始)

 釣鐘型の「正規分布」は、人の身長やみかんの大きさなど、自然界に広く見られる現象だ。モチベーションとは「やる気」である。人が興味を持つ対象はそもそも千差万別で、ある目的に対する「やる気」は、その人の興味の度合いに比例するだろうから、無作為にある目的を定めると、どうしても「全体のうち2割の人はよく働き、6割はふつうに働き、そして残りの2割はあまり働かない」という分布が出現してしまうのだろう。

(引用終了)

と書いたけれど、ある意図や行為に関する人々の興味を理由別に捉えると、360度の広がりを持つ富士山型分布曲線を描くことが出来る。

 例えば「自転車を買いたい」という意図に関して、人がなぜそれに興味を持つかという理由をいくつか考えてみよう。

1. 身体を動かしながら風に当たるのが気持ちよい
2. 普段あまり訪れないところへ行ってみたい
3. お金が掛からず通勤にも便利
4. エコロジカルなところが良い
5. 自転車のメカニズムが好き

などなど。これらの理由別に人々の興味の度合いを統計に取れば、「モチベーションの分布」で見たようにそれぞれ釣鐘型の「正規分布」になる筈だから、その正規分布を立体的に御椀のように並べれば、(頂上付近はもっとなだらかな形になるが)富士山型分布曲線になるというわけだ。

 「リーダーの役割」で考察したように、情報は、興味に関する「正規分布」のうち度合いの強い2割に集中するから、この富士山型分布曲線の裾野の何処に自分がいるかによって、集まってくる情報量が違ってくる。皆さんも経験があると思うが、好きなことに関しては努力しなくても何でも目に入ってくるのに、興味のないことであれば目の前にあってもまったくその存在に気付かない。興味の度合いに応じて、人の情報収集率は増減するわけだ。

 勿論、興味の理由は一つだけではないだろうから、裾野のあちこちに自分がいるわけだが、例えば「自転車を買いたい」という意図について考えてみると、それぞれの「正規分布」上度合いが強い方の2割の人は、興味の横展開として次のようなことが考えられるはずだ。以下の1.から5.は、それぞれ上の1.から5.に対応する。

1. ジョギングやマラソンなどのスポーツ
2. 地域の歴史や地図などへの興味
3. 節約全般
4. ヨットやカヌーなど
5. バイクや車など他のメカニックな乗物

 自転車を買ってしばらく乗り回してからでないと、なぜ自分が興味を持ったのか本当のところは分からないから、自分が裾野の何処にいるかを知るには少し時間がかかるけれど、しばらくしてもやはり「身体を動かしながら風に当たるのが気持ちよい」ということに熱心な人は、類似性のある「ジョギングやマラソンなどのスポーツ」への興味が、自然に横展開するわけだ。

 そこから先は、「立体的読書法」の要領で、次々に自分の興味の対象を広げていくことも出来るし、「繰り返し読書法」の要領で、一つのことをじっくりと掘り下げることも出来る。この「興味の横展開」を自覚することによって、自分の中に眠っている様々な可能性を見出して欲しい。

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自然の時間

2009年03月31日 [ 非線形科学 ]@sanmotegiをフォローする

 前回「都市の時間」について見たところで、集団を構成するもう一方「自然の時間(t = ∞)」についても触れておこう。まずは「集団の時間」から引用する。

(引用開始)

 身体は自然から生まれ自然へと還るものだ。だから自然 (t = ∞)は、「個」における身体(t = life)の時間と対応する。自然においては全てのものが循環する。循環する時間には果てがない。t = ∞というのは、自然の時間は無限大という意味である。厳密に言えば自然にも寿命があるのだろうが、人知の及ばない範囲の問題なのでここでは無限大としておいてよいだろう。

(引用終了)

ここで時間とは、長短様々な個物の寿命を集積した無限大の時間である。次に前回同様「効率と効用」から引用する。

(引用開始)

 「効率」には値段がつけられるが、「効用」には値段がつけられない。新幹線チケットに値段はつくが、親しい友人と楽しむ旅に値段はつかない。

(引用終了)

「効用」は、市場を介して流通させることが出来ず、便利さの度合いを比較することが出来ない。利益率という比率(ratio)で計算することが出来ない。「効用」は利益という余剰を生まず、生産と消費の等価性そのものとして自然と共にある。

 以前「アートビジネス」のなかで、

(引用開始)

 アートとは、自然 (t = ∞)の中から幾つか個別な時間を切り出してきてコラージュ(組み合わせ)し、他人の脳(t = 0)の前へ提示することだ。

(引用終了)

と書いたけれど、「効用」を齎すサービスは、自然 (t = ∞)の中から幾つか個別な時間を切り出してきてコラージュ(組み合わせ)し、人の身体(t = life)を癒すことだといえるだろう。山奥の温泉に浸かってゆったりと身体を伸ばしたとき、人は、幾ら儲かったかでは無く、幾日寿命が延びたかを体感する筈だ。

 その伝で「効率」を求める商品を定義すると、それは、自然 (t = ∞)の中から幾つか個別な時間を切り出してきてそのスピードを加速し、人の生産活動に役立てることだといえるだろう。原始的な手斧から原子力発電まで、あらゆる道具は、自然 (t = ∞)の中から幾つか個別な時間を切り出してきて、そのスピードを加速することによって作られる。

 時間の加速は人々に数多くの生活上の便益を与えた。しかし、度を越した加速は自然環境を悪化させる。これからの安定成長時代は、自然の環境負荷を増大させない「資源循環」が求められるのだ。

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都市の時間

2009年03月24日 [ 非線形科学 ]@sanmotegiをフォローする

 「集団の時間」で述べた、都市の時間について敷衍しておこう。都市(人が便利さを求めて作り出したもの全般)の時間原理はなぜ金利(=interest)なのか。まずは「集団の時間」から引用する。

(引用開始)

 集団においては、人の脳が作り出したものに、何らかの公共的な序列をつける必要が出てくる。公共的な序列に組み入れられたもの(値段が付けられたもの)は、市場を介して流通させることが出来る。その値段を決める市場の時間原理が金利(=interest)なのである。

(引用終了)

ここでいう時間とは、人が考え出した時計で測ることができる均一な時間である。次に前回の「効率と効用」から引用する。

(引用開始)

 「効率」には値段がつけられるが、「効用」には値段がつけられない。新幹線チケットに値段はつくが、親しい友人と楽しむ旅に値段はつかない。

(引用終了)

市場を介して流通させることが出来るのは「効率」、すなわち便利さの度合いを比較できるものである。

 市場における商品の値段の高低は、数値化された便利さ度合いの比較である。数値化された便利さは、利益率という比率(ratio)で計算することが可能になる。数値化して比率(ratio)で表すわけだ。あるものを使うと、他のものを使う場合に比べてどれだけ余剰利益を生むかということである。

 生産と消費の等価性からいえば、利益という余剰は計算上の架空ものだが、その金を銀行に預けておくと金利が付く。人は、市場で、銀行金利とその商品の利益率を比較して、銀行に預金するか商品に投資するかを決定する。市場における商品価値の計算基準は金利なのである。

 市場における商品の値段は金利との比較で成り立っている。ではなぜそれが「時間」という単位で表されなければならないのか。再び前回の「効率と効用」から引用しよう。

(引用開始)

 「効率」には尺度としての時間が関わっている。「効用」に共通の尺度は存在しない。

(引用終了)

 新幹線がなぜ高いかというと、ローカル線よりも速く目的地へ着くからであり、それは時間の関数である。勿論ここでいう時間とは、時計で測ることができる均一な時間である。貴重品がなぜ高いかといえば、それを入手するのにどれだけ手間隙をかけたかということであり、即ち時間の関数である。「効率」が良いということはより速いということ、即ち加速度がより大きいということなのである。金利も勿論均一な時間の関数である。

 金利の増減を基準にして、人が便利さを求めて作り出したもの全般の値段が高下する。市場における商品の値段は金利との比較で成り立っており、比較に用いられる唯一の尺度は、時計で測ることができる均一な「時間」なのである。

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モチベーションの分布

2009年03月03日 [ 非線形科学 ]@sanmotegiをフォローする

 以前「ハブ(Hub)の役割」で紹介した「渋滞学」の著者西成活裕氏の最新本のなかに、

(引用開始)

 これ(アリの行動)に関連して、企業や組織において「2対6対2の法則」といわれているものがある。これは、全体のうち2割の人はよく働き、6割はふつうに働き、そして残りの2割はあまり働かない、ということを表したものだ。そしてこのトップ2割の人が企業の利益の8割を稼ぎ、残りの8割の人は利益の2割しか貢献していない、という意味で、「8対2の法則」ともいわれる。しかしこの働かない集団が将来の生存のために大きな役割を果たす可能性があるのがアリの社会なのだ。働かない人を抱え込むのは短期的には無駄と考えられるが、長期間で見れば何か別の角度から大きな貢献をしてくれるかもしれない。

(引用終了)
<「無駄学」西成活裕著(新潮選書)39ページより。カッコ内は引用者による補足。>

という話がある。

 これは私が組織で働いていたときの経験から云える事なのだが、いろいろな集団の「よく働く2割の人」だけを集めてきて、別の目的を与えて働いてもらうと、なぜか再び「全体のうち2割の人はよく働き、6割はふつうに働き、そして残りの2割はあまり働かない」という現象が起こる。

 西成氏の論点は、一見無駄と思われる中にも将来役に立つものもあるから、無駄かどうか判断するにはまず目的を定めることが重要だということなのだが、私の経験則から云えるのは、目的を変えると再び無駄が生まれるということなのである。

 この「よく働く、ふつうに働く、あまり働かない」人たちの分布を「モチベーションの分布」と呼ぼう。「2対6対2の法則」は、「全体のうち2割の人はよく働き、6割はふつうに働き、そして残りの2割はあまり働かない」ということだから、この分布は概ね釣鐘型の「正規分布」に従うと思われる。

 釣鐘型の「正規分布」は、人の身長やみかんの大きさなど、自然界に広く見られる現象だ。モチベーションとは「やる気」である。人が興味を持つ対象はそもそも千差万別で、ある目的に対する「やる気」は、その人の興味の度合いに比例するだろうから、無作為にある目的を定めると、どうしても「全体のうち2割の人はよく働き、6割はふつうに働き、そして残りの2割はあまり働かない」という分布が出現してしまうのだろう。

 ある目的集団では皆の足を引っ張っている人が、別の目的集団ではリーダーシップを発揮したり、会社でバリバリ働くやり手の男性が、家ではなにもしないグータラ亭主だったりするのは、概ねこの法則に従っているわけだ。

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エッジ・エフェクト

2009年02月10日 [ 非線形科学 ]@sanmotegiをフォローする

 先日「相転移と同期現象」のなかで、“生産と消費の連鎖が同期すると、相転移現象としての社会の活性化が生まれる”と書いたけれど、社会の活性化に役立つもう一つの効果が「エッジ・エフェクト」である。

 エッジ・エフェクトとは、異なるモノが接する界面から新たなコトが生成(融合)するダイナミズムのことを云う。相転移を熱力学的な現象とすれば、エッジ・エフェクトは化学反応的な現象と言えるだろう。チェロ奏者のヨーヨー・マ氏は、「アートビジネス」で紹介した分子生物学者の福岡伸一氏との会談のなかで、

(引用開始)

M (前略)生物学にも、確か2つの生態系が出会う場所で生成される現象を呼ぶ熟語として、「エッジ・エフェクト」という言葉があるよね。
F エッジ・エフェクト……界面作用ですね。
M 生態学的にいうと、森林と砂漠の界面にあるサバンナ、あるいは地政学的(に)いうと、フランスとドイツの界面にあるアルザス・ロレーヌ地方。そういう場所では、何か激しい、そしてすばらしいことが起こる。

(引用終わり)
<「ロハスの思考」福岡伸一著(ソトコト新書)224−225ページより。Mはマ氏、Fは福岡氏。カッコ内は引用者による補足。>

と語っておられる。マ氏自身中国人を両親としてパリで生まれ、間もなく一家でニューヨークへ移り住んだ経歴の人だから、経験的にもエッジ・エフェクトやフュージョン(融合)という概念に触発されるのだろう。

 「マージナル・マン」という言葉がある。「部落問題・人権辞典ウェブ版」から一部引用しよう。

(引用開始)

 異質な諸社会集団のマージン(境域・限界)に立ち、既成のいかなる社会集団にも十分帰属していない人間。境界人、限界人、周辺人などと訳される。マージナル・マンの性格構造や精神構造、その置かれている状況や位置や文化を総称して、マージナリティーと呼ぶ。マージナル・マンの概念は、1920年代の終わり頃に、アメリカの社会学者バークが、ジンメルの<異邦人>の概念(潜在的な放浪者、自分の土地を持たぬ者)の示唆を受けて構築した。(中略)

 マージナル・マンは、自己の内にある文化的・社会的境界性を生かして、生まれ育った社会の自明の理とされている世界観に対して、ある種の距離を置くことが可能である。それゆえにマージナル・マンは、人生や現実に対して創造的に働きかける契機をもっている。

(引用終わり)

 マ氏は、正にこのマージナル・マンとして、「シルクロード・プロジェクト」など、様々な分野で活躍されている。マージナル・マンは、エッジ・エフェクトに敏感だ。私も小学生のときに1年半ニューヨークで暮らし、成人してからも仕事で13年間アメリカに居た経験があるから、マージナル・マンとしての素地があると思う。起業支援などを通して様々な人と知り合うことに意義を感じているのは、きっとそのせいに違いない。今度のフラクターマン氏の講演のお手伝いも楽しみだ。これからもいろいろな「場」でエッジ・エフェクトを機能させていきたい。

 ところでマ氏と福岡氏との会談は、日本におけるマ氏のチェロ演奏会のときに行なわれたものらしく、冒頭、福岡氏が当日の演奏曲目を紹介している。その中に、J・S・バッハ「サラバンド(無伴奏チェロ組曲第5番ハ短調)」があった。バッハの無伴奏チェロ組曲は全6曲あって、スペインのチェロ奏者パブロ・カザルスの演奏が有名だが、そのビデオの一部が先日NHK・BSの「名曲探偵アマデウス」で紹介されていた。

 「名曲探偵アマデウス」は、元天才指揮者で探偵の天出臼夫と、音感だけは抜群の助手響カノンの二人が、数々のクラシック名曲の謎に挑むという愉快な番組だ。チェリスト古川展生氏の演奏を聴きながら、バッハの特徴とされる三つの旋律の流れ(ポリフォニー)、重音(複数の弦を同時に弾くこと)や開放弦の効果、五弦のチェロなど、曲の特徴やこの曲に纏わる作曲家の想いについて、天出臼夫探偵が(依頼人に対する謎解きの形で)次々に説明していく。

 バッハの無伴奏組曲は勿論ヨーヨー・マ氏も録音している。私の持っているCDは、”Inspired by Bach・The Cello Suites, Yo-Yo Ma”(Sony Records)という題名で、様々なアーティストとのコラボレーションをフィルムにしたときのものだ。”From the Six-Part Film Series”という副題が付いている。そのうち第5番は「希望への苦闘」というタイトルで、歌舞伎俳優・坂東玉三郎の舞踏との共同作品である。

 そういえば、「ホームズとワトソン」で述べた探偵(Resource Planning)と助手(Process Technology)の役割分担は、全体を大局的に俯瞰して事件の謎を解いていく探偵天出臼夫と、与えられた事件の環境に入り込んで天出を助ける役割の助手響カノン、ということで、(だいぶコメディー・タッチだが)この名曲探偵コンビでも見事に描き分けられていて興味深い。

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posted by 茂木賛 at 10:16 | Permalink | Comment(1) | 非線形科学

進化のアナロジー

2009年01月06日 [ 非線形科学 ]@sanmotegiをフォローする

 これまで「アフォーダンスについて」「免疫について」「アフォーダンスと多様性」などで、生態心理学(アフォーダンス)と生命情報学(免疫など)の社会科学への応用を提唱してきたが、以前「カーブアウト」で紹介した「細胞の文化、ヒトの社会」(北大路書房)の著者で生物学者の池田清彦氏は、以前より生物学の社会科学への応用を考えてこられた。

 氏はその「細胞の文化、ヒトの社会」のなかで、「人間の文化と伝統が人間という個人を要素とするコミュニケーションによって伝承されるように、細胞の文化と伝統は高分子間のコミュニケーションによって伝承される」(同書142ページ)と書かれている。

 進化について氏は、「生物は突然変異と自然選択で進化した」とするネオダーウィニズムへのアンチテーゼとして、DNAと細胞に関連して「情報系=DNA」と「反応系=細胞質」という区分を設けた上で、「生物の進化とは、反応系を中心として情報系をまき込む、細胞内の高分子間のコミュニケーションシステムの変化と考えねばならない。」(同書135ページ)と指摘されている。

 「免疫について」で指摘したように、個体内部のエネルギー循環(免疫系−自律神経)と、個体間のエネルギー循環(知覚系−脳神経)とが相似的構造を持つと考えれば、上の文章の「生物」を「社会」、「反応系」を「集団組織」、「情報系」を「言語」、「細胞内の高分子間」を「個体間」と置き換え、「社会の進化とは、集団組織を中心として言語をまき込む、個体間のコミュニケーションの変化と考えられる」と言い直すことができるだろう。

 社会の進化には「言葉」の果たす役割が大きいのだ。池田氏も、「柴谷篤弘と私は一九八〇年代の半ばすぎから、ソシュールの構造主義言語学を枕に、生物の『構造』と言語構造の同型性を強く主張してきた」(同書127ページ)と書いておられる。

 「視覚と聴覚」で紹介した解剖学者の養老孟司氏も、「養老孟司の人間科学講義」(ちくま学芸文庫)のなかで、言葉と脳(社会)、遺伝子と細胞との関係について、「情報系1」、「情報系2」といった分類を用いてその「同型性」を指摘されている。(同書50ページ)

 池田清彦氏と養老孟司氏、それに仏文学者で「ファーブル昆虫記(全10巻)」ジャン・アンリ・ファーブル著(集英社)の訳者奥本大三郎氏を加えた三人は、虫捕りのお仲間としても知られている。三人の最新共著「虫捕る子だけが生き残る」(小学館101新書)では、皆さんで子どもにとって言葉以前のリアルな感覚(虫捕り)の重要性を説いておられる。

 さて、池田氏は「細胞の文化、ヒトの社会」のなかで、時間について、「我々が存在しなくとも多分、自然は自存するだろう。少なくともそのことを疑う根拠はない。しかし我々が存在しなければ、いかなる時間も存在しない。」(同書52ページ)と書かれている。

 私が「集団の時間」のなかで述べた、

「個人」: 脳(t = 0)と身体(t = life)
「集団」: 都市(t = interest)と自然(t = ∞)

という4種類の時間構造は、池田氏のこの時間論の延長上にある。

 これからも、生物学や免疫学などを学びながら、個体内部のエネルギー循環(免疫系−自律神経)と、個体間のエネルギー循環(知覚系−脳神経)とが相似的構造であるとする「個体内部と個体間との相似構造論」を深化・発展させ、社会科学や企業経営への応用について考えていきたい。

 尚、池田清彦氏の著作では、生物学全般については「新しい生物学の教科書」(新潮文庫)、構造主義科学については「構造主義科学論の冒険」(講談社学術文庫)が良い入門書である。

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