夜間飛行

茂木賛からスモールビジネスを目指す人への熱いメッセージ


体壁系と内臓系

2011年05月17日 [ 非線形科学 ]@sanmotegiをフォローする

 以前「新書読書法(2010)」の項で、“胎児の世界”三木成夫著(中公新書)について、

(引用開始)

体壁系と内臓系、個体発生と宗族発生、分節性と双極性など、人間と社会についての示唆に富む項目が並ぶ。

(引用終了)

と書いたけれど、今回はこのなかの「体壁系と内臓系」という対比について私の興味をまとめておきたい。

 体壁系と内臓系の詳細については、本書及び三木氏の他の著書、たとえば“内臓のはたらきと子供のこころ”(築地書館)や“海・呼吸・古代形象”(うぶすな書房)などをお読みいただきたいが、簡単に纏めると、「体壁系」とは、人の身体の“感覚―運動”をつかさどる器官を指し、「内臓系」とは、“栄養―生殖”をつかさどる器官を指す。前者は動物器官とも呼ばれ、後者は植物器官とも呼ばれる。

1. 3の構造

体壁系、内臓系とも、次のような「3の構造」を持っていることが興味の第一である。

「体壁系」
外皮層 (感覚)
神経層 (伝達)
筋肉層 (運動)

「内臓系」 <食の相>
腸管 (吸収)
血管 (循環)
腎管 (排出)

「内臓系」 <性の相>
精巣 (排出)
導管 (導入出)
卵巣 (受容)

このことは、身体の分節性や双極性を考える上で重要だと思われる。

2. 呼吸について

呼吸(とくに吸気)が内臓系ではなく体壁系の筋肉(横隔膜)によって行われていること。以前「重力進化学」の項で述べたように、これは、生物の上陸劇にともなう呼吸器官の「鰓から肺への変容」がその理由であるという。人体における体壁系と内臓系のバランスが大切な由縁である。

3. 「近」と「遠」

動物器官としての体壁系が「近」と相関し、植物器官たる内臓系が「遠」と呼応していること。自力栄養のできない動物たちが、獲物を取るために誂えた身の周り=「近」に反応する能力。自力栄養を行う植物たちが、太古の昔から持つ自然=「遠」に共振する能力。その二つを示すのが、「近」の思考を示すロダンの“考える人”と、「遠」を観得する広隆寺の“弥勒菩薩”であるという。

 以上私の興味を三点に纏めてみたが、三木氏の前掲著書“海・呼吸・古代形象”(うぶすな書房)には、体壁系と内臓系について、さらに次のような指摘がある。

(引用開始)

 まず、体壁系は、その感覚機能と運動機能を仲介する「神経系」の中枢部――『脳髄』によって、それは代表される。これに対し、内臓系は、その呼吸機能と排泄機能を仲介する「循環系」の中心部――『心臓』によって、同じように代表される。前者の“脳”そして後者の“心臓”……。これらはいうなれば、だれもが口にする“あたま”と“こころ”の、それぞれの象徴なのである。
 前回、私達は“いのちの波”を、大きく「食」と「性」の、二相に分けたが、これは、あくまで「食」の相での代表であって、これが「性」の相ともなると、おのずから、その様相は異なったものとなってくる。そこでは、雄雌の「合体」によって、初めて一つの個体が形成されるものとすれば、このいわば「二重体」では、まず、体壁系の中枢として、性の行動の主導権を握る、雄性の『脳髄』が、また、内臓系の中心をなすものとして、精巣と卵巣を結ぶ、雌性の『子宮』がそれぞれ選び出される。前者の“男の脳”そして後者の“女の子宮”……。性における、男女の思考の座を、みごとに抉り出したものではないか。詳細は次回に譲るとして、これらの代表器官が個体体制を把握する上での、貴重な“勘どころ”となることを忘れてはならない。


(引用終了)
<同書146ページ>

体壁系が男の脳、内臓系が心臓と女の子宮とで代表されるものであれば、体壁系=男性性、内臓系=女性性ということで、初期論的には、先日「複眼主義のすすめ」の項で示した「公(public)」と「私(private)」の対比と以下の様に整合する。

「公(public)」    「私(private)」

脳(t = 0)        身体(t = life)
都市(t = interest)   自然(t = ∞)
自立           共生

主格中心        環境中心
広場           縁側
マップラバー      マップヘイター

Resource Planning   Process Technology
効率           効用
子音語          母音語

解糖系         ミトコンドリア系
男性性         女性性
体壁系         内臓系

今後、上の興味三点と併せ、この観点からも人と社会について考えていこう。

TwitterやFacebookもやっています。
こちらにもお気軽にコメントなどお寄せください。

posted by 茂木賛 at 10:42 | Permalink | Comment(0) | 非線形科学

男性性と女性性 II 

2011年03月29日 [ 非線形科学 ]@sanmotegiをフォローする

 脳レベルの性差に慎重で、男女差についてはジェンダー(社会・文化的な性差)を重視する精神科医の斉藤環氏は、その著書“関係する女 所有する男”(講談社現代新書)の中で、人の欲望形式について、男性は「所有原理」が強く、女性は「関係原理」が強いと指摘しておられる。この立場からも、空間や時間の認識に関して、先回「男性性と女性性」の項で述べた黒川伊保子さんの分析と重なるところがある。この指摘も体験的に納得がいく。まずその部分を引用したい。

(引用開始)
 
「所有原理」と「関係原理」は、認識に対しても大きく影響を及ぼす。
 たとえば空間把握力について考えてみよう。この能力は、ひろく概念操作能力として理解できる。これは視覚イメージを頭の中で操作する能力だ。対象を視覚化すること、またそのイメージを操作すること、いずれも「所有」に慣れた男性にとってはお手のものである。いっぽう、関係性を切り離しての概念操作は、女性にとってかなり不得意な領域だ。
 この空間把握については、興味深い実験がある。目的地に辿り着くのに、地図の描き方によっては、女性のほうが男性よりも良い成績を収めたというのだ。(NHKスペシャル取材班『だから、男と女はすれ違う』ダイヤモンド社、二○○九年)。
 簡単に言えば、距離と方角が示された地図を読むのは男のほうが得意だが、「眠れる少年像のところで左に曲がれ」といったように、目印を手がかりとした地図を読むのは女のほうが得意なのだ。この本では、あくまで「脳」の視点からこの違いを説明していたが、所有と関係という視点から捉えるほうが説明が簡単だ。
 さきほども述べたとおり、距離や方角といった空間把握は、概念操作のひとつだから、男性の「所有」原理になじみがいい。いっぽう女性は、そのつど出くわした目標物と自分の位置との「関係」をリアルタイムで把握しながら進むほうが得意なのだ。
 ついでにいえば、所有原理は一般性や普遍性を志向するため、しばしば無時間的なものとなる。これは男性が、所有が永続的であることを望むのだから当然だ。いっぽう女性は、その場その場でのリアルタイムな関係性を重視する。

(引用終了)
<同書233−235ページ>

男性の「所有原理」と「空間重視」、女性の「関係原理」と「時間(リアルタイム)重視」は、男性性と女性性それぞれの欲望形式と認識形式とを言い表したキーワードなのだろう。

 さらに、斉藤氏も、黒川さんの脳の分析同様、「所有原理」と「関係原理」という二つの欲望形式は、男女それぞれに固有・固定なものとは考えておられない。同書からの引用を続けたい。

(引用開始)

 僕がこの本で言いたかったこと。それは、人間の欲望には「所有原理」と「関係原理」というふたつの形式がある、ということだった。もうわかっているとは思うけれど、このふたつの原理とジェンダーとの関係は、絶対的でも固定的でもない。
「セックス(生物としての性)」「ジェンダー」「欲望の原理」は、それぞれ別の階層に位置づけられる。通常これらはシンクロすることが多いが、その結びつきにしっかりした因果関係はない。それゆえ階層間の関係は、ときに流動的だ。(中略)
 個人の欲望が、「所有」と「関係」という両極の間のどこかに位置づけられるということ。もちろんその個人が、複数の欲望の形式を持っていてもいい。ただ一般的には、生物としての男は所有原理で活動し、同様に女は関係原理で動く、という傾向があるだけの話だ。繰り返すが、そこになにか決定的な違いがあるというわけではない。
 ならばもうジェンダーを、男と女という素朴な枠組みで考えることもないだろう。世界はただ、「所有者」と「関係者」だけがいる。そういう見方はどうだろうか。どちらの原理が欠けてしまっても、この世界は失調をきたしてしまうだろう。
 圧倒的なまでに「所有者」が支配するこの「世界」の中で、いかにして「関係者」の存在を認識していくか。これはジェンダー・センシティブであろうとする態度から導かれた、もう一つの問いかけなのである。

(引用終了)
<同書246−248ページ>

 前回の黒川さんの分析と併せて考えると、先天的な脳の性差、あるいはジェンダーなどの後天的な性差に拘らず、人はある比率で「空間重視」、「時間重視」、「所有原理」、「関係原理」といった認識及び欲望の形式を持つといえるようだ。そして、斉藤氏が“圧倒的なまでに「所有者」が支配するこの「世界」の中で、いかにして「関係者」の存在を認識していくか”と問いかけるように、社会においては、やはり両者のバランスが大切なのである。

TwitterやFacebookもやっています。
こちらにもお気軽にコメントなどお寄せください。

posted by 茂木賛 at 13:46 | Permalink | Comment(0) | 非線形科学

男性性と女性性

2011年03月22日 [ 非線形科学 ]@sanmotegiをフォローする

 先回「発音体感」の項で紹介した黒川伊保子さんの著書の一つに、“恋愛脳”(新潮文庫)がある。この本は、男性の脳と女性の脳の違いと、それに基づく男女の機微を探ったものだ。まず、脳の性差について本書から引用しよう。

(引用開始)

 男性脳と女性脳。この二つの脳の決定的な違いは、一ヶ所である。脳梁(のうりょう)と呼ばれる、右脳と左脳を結ぶ場所が、男性脳よりも女性脳の方が「太い」のだ。(中略)
 脳梁の細い男性脳は、女性脳に比べて、右脳と左脳の連携が悪い脳ということになる。二つの映像の違いが、くっきりと際立(きわだ)つ脳だ。つまり、生まれつき、ものの奥行きに強い脳なのである。(中略)
 奥行きに鈍い女性脳は、目の前の世界を、写真のような二次元空間でをなめるように見ている。したがって、近くにあるものをつぶさに観察できる脳なのである。(中略)
 女性脳の情緒は、積分関数なのである。時間軸に、ゆったりと蓄積されていく。男性脳のキーワードが「空間」なのに対し、女性脳のキーワードは「時間」なのである。

(引用終了)
<同書73−104ページ>

このような話は新たな科学的発見によって修整されるかもしれないから、あくまで仮説として考えておいた方がいいだろうが、体験的にも納得できる分析である。

 さて、以前「アフォーダンスについて」の項で、脳は常に「現在進行形」(t = 0)であると論じた。とすると、ここでいう男性脳のキーワードが空間であり、女性脳のキーワードが時間であることと、現在進行形の脳とはどのような相関があるのだろうか。

 男性脳が空間を重視するということを逆から考えれば、独自の時間軸に拘らないということである。ならば、独自の時間軸に拘らない複数の人たちが集まって何かを決める際に必要なのは、基準となる共通の一定な時間軸ではないだろうか。いつまでに何をやるかを決める際に、みなバラバラな時間では何事も前へ進まない。私は、それが今の“1時間は60分、1分は60秒”といった時間軸の発明であり、グリニッジ標準時間であると思う。以前「集団の時間」の項で、都市の時間は金利(t = interest)であるとしたが、その金利(流通価値の基準)は、共通な一定時間軸の存在を大前提としている。

 一方、女性脳が時間を重視するということは、独自の時間軸に拘るということである。以前「アフォーダンスと多様性」の項で、人は常に現在進行形の脳と、一定の寿命を持つ身体(t = life)とを抱えてこの社会に関っている、と書いたけれど、独自の時間軸に拘るということは、この身体の時間(t = life)に拘ることということだろう。女性脳が拘る「時間」は体験の時間であって、けっしてグリニッジ標準時間ではないと思う。同じく「集団の時間」の項で、自然の時間は無限大(t = ∞)であるとしたが、自然は個々の身体時間の集積だから限りが無いのである。

 脳の性差の話はここで終わらない。黒川伊保子さんのこの本には、脳梁の太さという性差の他に、男性脳と女性脳について、次のような分析がある。

(引用開始)

 脳梁(のうりょう)の太さに起因して、男と女は、原初的ないくつかの相違点を持っている(三次元点型認識と二次元面型認識ですね)。この根本的な違いは、男と女の間に、さまざまな悲喜劇をもたらしている、というのはここまで書いた通り。
 ただし、私たちは、異性の脳の機能を後天的に学習しているのである。女性だからといって機械図面が書けないわけじゃないし、男性だからといって全員おしゃべりが不得意なわけじゃない。私たちは、根本的なところで男なら男性脳、女なら女性脳でありながら、その外側にそれぞれ女性脳、男性脳の機能を持っているのである。
 そうして、環境によって、自分の脳の中の男性脳:女性脳の使用比率を変えて社会生活を送っているのである。男よりも男性脳的な女性や、女より女性脳的な男性も、たくさんいる。男女比が偏るような職場では、異性脳が発達している人が、目立って活躍している場合が多いのである。
 それでは、異性脳が発達する人は、どうしてそうなるのだろうか。実は、家族や、学校、職場など、その脳が存在する系での男性脳:女性脳比率に大きく影響されるのである。では、男兄弟が多い女の子は男性脳型になるかというと、それは違う。逆になるのである。
 脳は、常に系でのバランスを取ろうとしている。親友や夫婦のような、たった二人の系であっても、どちらかの男性脳が強ければ、どちらかの女性脳が、これとバランスを取るために強く働くようになる。つまり、男性脳:女性脳比率が七:三の男と付き合う女性は、三:七でなければ男女関係として収まりが悪いということだ。これは、寄り添う二人の相関関係で生まれるバランスなので、同じ男性が、どの女性相手にでも七:三というわけでもない。(中略)
 職場やサークルでも、脳が集まれば、その場での脳の男女比を半々にしようと、皆の脳がいっせいに探りあい、互いに感応するのである。もちろん、無意識のうちに、だけれど。

(引用終了)
<同書95−98ページ>

人は性差に拘らず、ある比率で、男性脳=「空間」重視、女性脳=「時間」重視という、両方の機能を持っているというわけだ。これはとても重要な指摘だと思う。そもそも男性と女性とは同じ人種なのだから、両方の認識機能を持てて当然なのだろう。

 とはいえ、人がある比率で「空間重視」、「時間重視」といった認識の形式を持つことは事実だ。この形式の差は、脳の性差以外にも、自律神経、ホルモンや神経伝達物質、エネルギー生成系、あるいはジェンダー(社会・文化的な性差)など、様々な要素によって作り出されるに違いない。だからここで、この形式の差を、「男性脳と女性脳」ではなく「男性性と女性性」と呼ぶこととしたい。

 「男性性」の特徴は、三次元的な空間認識に優れ、「女性性」の特徴は、二次元的面認識や時間認識に優れている。大切なことは、女性も「男性性」を持つし、男性も「女性性」を持つということだ。人は皆ある比率で「男性性」と「女性性」とを持ち、その比率は、その人が置かれた場所や環境、年齢などによって変化するのである。

 この変化は、黒川さんが“脳は、常に系でのバランスを取ろうとしている”と分析しているように、社会においては、相互補完的な方向に働くようだ。そのことを社会の側から見ると、豊かな社会にとっては、両者のバランスが大切であるということなのである。

TwitterやFacebookもやっています。
こちらにもお気軽にコメントなどお寄せください。

posted by 茂木賛 at 17:24 | Permalink | Comment(0) | 非線形科学

境界としての皮膚

2011年03月08日 [ 非線形科学 ]@sanmotegiをフォローする

 先日、街づくりに関して「境界設計」の項で、

(引用開始)


 これからの「境界設計」は、日本の古くからの空間操作術を充分生かしながら、さらに車やITなどの新しいものを、(単に排除するのではなく)巧みに取り込むことが求められる。優れた境界設計は「エッジ・エフェクト」を誘発する。それは「継承の文化」の項などで言及した“流域両端の奥”をさらに深化させるだろう。

(引用終了)

と書いたけれど、今日は、その街に暮らす人々の、身体の境界(皮膚)について、“皮膚という「脳」”山口創著(東京書籍)という本に沿って考えてみたい。山口氏のご専門は、臨床心理学・身体心理学である。皮膚については、以前「皮膚感覚」の項で、

(引用開始)

皮膚は生体と外界の境界である。(中略)外環境との間で皮膚に何がどう起こっているのか、とても興味深いテーマである。

(引用終了)

と書いたことがある。皮膚について知ることは、“流域両端の奥”の深化にとって、街づくりにおける境界設計同様、とても大切なテーマだと思う。

 この“皮膚という「脳」”は、以下の4つの章から成っている。

第1章 露出した「脳」
第2章 五感はすべて皮膚から始まった!
第3章 皮膚は心をあやつる
第4章 豊かな境界としての皮膚へ

第1章から第3章までは、皮膚が身体に果たす役割について書かれている。こちらも興味深いけれど、今回は第4章を中心に、社会との境界としての皮膚について見てゆきたい。まず第4章の冒頭から引用する。

(引用開始)

 ここまでみてきたように、皮膚はさまざまな役割を果たしている。皮膚は五感の始まりであり、かつては視覚や聴覚の役割までも担っていたようである。
 一方で、私たちの心にとって重要になるのが、自己と社会の境界としての役割である。皮膚は境界の内側である自己(心)を反映すると同時に、外側である社会をも反映している。したがって皮膚は、自己と社会の病理の両者を映し出す鏡でもある。皮膚をこのような境界として考えることは、現代の私たちの暗黙裡にしている行動、あるいは社会の端々に垣間みられる病理性について、これまでとは異なる視点を提示してくれる。

(引用終了)
<同書168ページ>

 山口氏はこのあと、日本人は事の外「触覚」を大切にしてきたこと、かつての日本人は自己と社会とを隔てる境界として「豊かな皮膚感覚」を育んできたこと、しかし近代化以降、「自分の皮膚の外側は自分ではない」という西洋の身体感が強力に推し進められてきたことで、この「豊かな皮膚感覚」が見失われていること、そのせいで、皮膚と自己との間に違和感を持つ人が増え、それが美容整形やリストカット、皮膚炎などの増加に繋がっていることを指摘する。

 その上で山口氏は、文化人類学者のビクター・ターナーの提唱する「リミナリティ(liminarity)という概念を紹介する。リミナリティとは、非近代社会における通過儀礼に関する概念で、「分離期」「過渡期」「統合期」といった各段階の中間に位置するあいまいな時期のことを指す。氏は、皮膚という境界も、社会と個人との間のリミナリティとして考えることが出来ると指摘する。

(引用開始)

 かつての日本人は、アニミズムや神仏習合、共同体意識、自然と人間の一体化、心身一如など、境界があいまいだが豊かな世界観の中に生きてきた。
 そこに西洋の世界観である、境界を明確にする分類する思考法が入ってきた。そして、かつての日本社会が持っていた、皮膚への多様な刺激が少なくなった結果、皮膚は人工的な皮膜へと矮小化された。一方、その境界は現代社会の中ではアイデンティティを感じなくなるという形になってきた。
 現代の境界の特性を考えると、かつての日本のような厚みをもった深い境界に戻ったのではない。つまり、二分法としての「境界線」の垣根が低くなっただけである。二分法は生きているが、境界をまたいで移動することが容易になっただけである。
 いうまでもないが、これは、かつての日本の境界に戻ったのではない。また、そのような状態に戻ることが理想だと私は思わない。しかし、そのような形を越えて、西洋の境界による二分法は採り入れたうえで、それをリミナリティとして深さと厚みのある境界へと深化させることが、いままさに必要とされていると思う。(中略)
 皮膚は、外界から自己を守る単なる皮膜などではなく、さまざまな捻れや共振性を内包する、繊細なエネルギーに満ちた亜空間なのだ。
 それを人間関係に敷衍すると、自己という境界感覚をきちんと築いたうえで、他者と共振し統合できるようなリミナリティの領域を確保することである。(中略)
 本来、皮膚はリミナリティとしての厚みや豊かさをもっている。自己の境界と他者の境界が接する身体接触では、自他の間のこのふたつのエネルギーが交じりあうことで特別な状態が生まれる。このエネルギーが交換できるような、豊かな深みをもつ皮膚のリアリティを養うためには、皮膚を通して自己の発達を促すことが必要だと思う。

(引用終了)
<同書196-198ページ>

いかがだろう。“かつての日本人は、アニミズムや神仏習合、共同体意識、自然と人間の一体化、心身一如など、境界があいまいだが豊かな世界観の中に生きてきた。”という部分は、以前「日本人と身体性」の項で紹介した“裸はいつから恥ずかしくなったか―日本人の羞恥心”中野明著(新潮選書)の指摘とも重なる。社会と皮膚とは意外に類似的なのである。街づくりにおける「境界設計」同様、「皮膚」という身体の境界についても、日本の古くからの「豊かな皮膚感覚」を充分生かしつつ、近代社会のもつ新しい刺激に巧みに対応することが求められている。そのためにも、皮膚が身体に果たす役割をよく知ることがまず重要なのであろう。

TwitterやFacebookもやっています。
こちらにもお気軽にコメントなどお寄せください。

posted by 茂木賛 at 10:03 | Permalink | Comment(0) | 非線形科学

階層性の生物学

2010年12月14日 [ 非線形科学 ]@sanmotegiをフォローする

 “性と進化の秘密”団まりな著(角川ソフィア文庫)を面白く読んだ。「重力進化学」で紹介した“生きもの上陸作戦”同様、この本の内容も多岐に渡っているから、さまざまな「興味の横展開」が可能だけれど、ここでは「階層性の生物学」というテーマについて考えてみたい。まず同書カバーより紹介文を引用する。

(引用開始)

今から38億年前、とてつもない偶然が重なり、地球上に誕生した、たった1つの細胞。この細胞が人間のような複雑な生命へと進化した生命の仕組みとは?原核細胞から真核細胞、そして21億年もの間生き続ける不死の細胞を経て、有性生殖によって死を克服する細胞へ――。「階層性の生物学」という独自の観点から、“思考する細胞”と進化の秘密にせまる。いのちと性の不思議をやさしく解きあかす、独創的な生物学入門。解説・養老孟司

(引用終了)

 生物学における階層性とは何か。同書から引用しよう。

(引用開始)

 ある単純で、小さな単位が集まって、より大きく複雑な単位を作り出す、というのは、自然界の物質の一般的な性質なのです。この性質を、階層性と言います。そして、酸素の毒に立ち向かった「原核細胞」の一部が、苦し紛れに融合し、さらに酸素を利用できる種類の細胞と協力して生きのびた現場は、「真核細胞」という一段と複雑な細胞、つまり生物、を生み出す現場でもあったのです。
 階層性には、もう一つ大切な法則があります。一般に、より単純な「下位の単位」が集まって「上位の単位」を作ったとはっきりというためには、新しく生まれた「上位の単位」が、それを作った「下位の単位」にはなかったより高度な機能・作用をそなえていなければなりません。

(引用終了)
<同書30ページ>

階層関係について、団まりな氏の別の著書“生物のからだはどう複雑化したか”(岩波書店)には次のようにある。

(引用開始)

 以上のように、階層関係というものは、何がしかの複雑さのあるところなら、どこにも見つけることができます。そして、その内容のいかんにかかわらず、二つのもののあいだには、「包含関係」と「新機能の付加」という一般的な性質が成立しています。

(引用終了)
<同書15ページ>

 階層性とは、下位の単位を上位の単位に含む「包含関係」と、上位の単位にのみ与えられた「新機能の付加」という、二つの要素を備えた概念である。動物の階層的進化を考えると、ハプロイド体制→ディプロイド体制→上皮体制→胚葉分化→間充組織体制→上皮体腔体制→脳・中枢神経系ということで、それぞれの段階で「包含関係」と「新機能の付加」が成立しているという。

 階層性は、多様性とは異なる概念である。多様性とは、たとえば同じ脳・中枢神経系の動物に、キリンもいればライオンもいてゾウもいるという状態を指すのだろう。「包含関係」と「新機能の付加」が成立していない段階である。

 生物を含む自然環境が、「多様性」と共に「階層性」を持っているとすると、ある段階の「多様性」はどうようにして次の「階層性」へ分岐するのかという疑問が沸く。下位の単位から上位の単位への進化は長い長い時間がかかるので、実証は難しいだろうが。個体発生と系統発生、外胚葉・中胚葉・内胚葉からなる3の構造、機能と形態の生成、有糸分裂と減数分裂などなど。興味は尽きない。

 さて、階層性について、“性と進化の秘密”の解説のなかで養老孟司氏が面白い指摘をしておられるので紹介しよう。

(引用開始)

 階層性については、団さんとの間に、個人的な思い出があります。私が最初に書いた本『形を読む』(培風館)のなかで、欧米の学問は階層性を重視するけれど、私にはそれはわからないという趣旨のことを書きました。そうしたら、団さんからお手紙をいただいたんです。生物学では階層性はとても大切なことですよ、もっと考えてくださいな、と。
 こういう嬉しいというか、ありがたい指摘をしてくれる人は、本当に少ないんです。私はわかっていなかったから、すなおにそう書いたんですが、団さんの指摘以来、階層性のことをなにかと考えるようになりました。私の頭のなかの混乱を、読者に伝える必要はないでしょう。でも結局私は、階層性という問題は、日本の伝統的な思考のなかにあまり含まれていないのではないか、と思うようになりました。だから階層性は意味がないということではありません。大切なことなのに、ピンと理解できない。大げさですが、ひょっとすると、それは日本語、あるいは日本の文化と関連していないだろうか。そう思ったのです。べつに私が日本人を代表しているわけじゃない。でも私だって大学院まで教育を受けてきたのに、階層性が話題になる場面に出会わなかったんです。
 この話題の端的な例は、たとえば英語で学ぶ関係節です。一つの文章のなかに、入れ子構造の文章が入っています。文法的には主文と副文といいます。ここにもある「階層」がありますね。でも日本語にはこれがないんです。欧米人なら、ふだん使う言葉のなかに、階層がたえず顔を出す。これが思考の構造に影響を与えないはずがないでしょう。
 じゃあなぜ団さんは階層性を重視できたのでしょうか。育ちが関係あるかもしれません。「あとがき」で書いておられるように、団さんのお母さんはアメリカ人だったし、お父さんも日本人ではあるけれど、ひょっとすると奥さんの故郷の社会のほうが性に合っていたのかもしれません。

(引用終了)
<同書179−181ページ>

 同書の「あとがき」によると団まりな氏は、母親がアメリカ人であるだけではなく、小学五年生のときから一年半ほどアメリカで過ごしたとある。先日「バイリンガルについて」の項で見たように、バイリンガルは“マージナル・マン”たる資格がある。日本語と英語のバイリンガルとして、団氏も優れたマージナル・マン(woman)なのであろう。今後の更なるご活躍を期待したい。

TwitterやFacebookもやっています。
こちらにもお気軽にコメントなどお寄せください。

posted by 茂木賛 at 10:03 | Permalink | Comment(0) | 非線形科学

赤筋と白筋

2010年10月19日 [ 非線形科学 ]@sanmotegiをフォローする

 先日「解糖系とミトコンドリア系」の項で、人には解糖系とミトコンドリア系という二つのエネルギー生成システムがあるという説を紹介したが、その説によると、人の筋肉にも解糖系とミトコンドリア系があるという。「解糖系とミトコンドリア系」の項で紹介した“やはり、「免疫力」だ!”安保徹著(ワック出版)から、その部分を引用してみよう。

(引用開始)

 私たちの体には約四百種類の骨格筋がありますが、骨格筋は細胞の集合である筋繊維(きんせんい)からできています。この筋繊維には、ミトコンドリアが多い筋繊維と少ない筋繊維があります。
 筋繊維は、その見かけから赤筋と白筋に分けられます。赤筋は赤い筋繊維でできていて、白筋は白い筋繊維でできています。この色の違いはミオグロビン(筋肉中にあって酸素分子を代謝に必要な時まで貯蔵する)という色素タンパクの量の違いによるのです。この酸素を蓄える赤いミオグロビンが多いので赤筋といわれ、赤筋にはミトコンドリアが多く、白筋は逆にミオグロビンが少なくミトコンドリアが少ないのです。
 赤筋は、収縮は遅いのですが、繰り返し収縮しても疲労しにくいという特性を持っているので、遅筋(ちきん)とも呼ばれます。赤筋(=遅筋)は、長い間収縮し続けることができるので、長時間の持続的な運動に適しています。
 それに対して、白筋は速く収縮し発揮する張力も大きいので、速筋(そっきん)と呼ばれます。白筋(=速筋)は、素早く大きな力を発揮することができ、瞬発的な運動を行うときに活躍します。
 百メートル、二百メートルなど短距離走は、ほとんど無呼吸で疾走する瞬発力の世界ですが、そのときに使っている筋肉はミトコンドリアが少ない白筋(=速筋)です。白筋は酸素なしでエネルギーをつくることができる解糖系の細胞です。
 それに対して、ジョギング、マラソンなどの長距離走やバイク漕ぎ、エアロビクスなど持久力を必要とする運動は、有酸素運動といわれます。これらの運動で使うのは、酸素を使うミトコンドリア生成系の赤筋なのです。(中略)
 私たちの体の骨格筋は、ほぼ一対一の割合です。つまり、解糖系の瞬発力とミトコンドリア系の持久力をバランスよく使って、生活しているのです。

(引用終了)
<同書191−192ページ>

 さて、人類は、10万年から20万年前に起こったアフリカの地殻変動によって、アフリカ大陸から出てゆくことになるわけだが、安保教授は、その後の移動距離によって、民族の間で、赤筋と白筋に比率の微妙な偏りが生まれたとのではないかと推察しておられる。“かたよらない生き方 病気にならない免疫生活のススメ”安保徹著(海竜社)から引用しよう。

(引用開始)

 地殻変動後、人間はアフリカを離れていきます。ヨーロッパ、アジア、北米、南米まで放浪の旅に出ました。旅を重ねているうちに、だんだん赤筋が多くなったのです。日本人のように、西欧から見るとFar East(極東)の果ての果てまでたどり着いた民族は、ますます赤筋が優位になって、マラソンのような持久力を必要とする競技が強いのではないかと考えられます。(中略)
 体全体からみれば、解糖系とミトコンドリア系の比率はほぼ一対一となっているけれど、民族によって微妙なかたよりがあります。
 私たちは長い旅をして、極東といわれる、その果てにたどり着いた民族ですから、瞬発力、いいかえれば興奮や怒りよりも、忍耐力の世界で生きるようになったわけです。

(引用終了)
<同書157−161ページ>

 いかがだろう。“ミトコンドリア不老術”日置正人著(幻冬社)によると、老化とは、ミトコンドリアの数の減少によるものとのことである。日本人が長寿なのは、そもそも民族として、ミトコンドリア系に偏っているからなのかもしれない。

TwitterやFacebookもやっています。
こちらにもお気軽にコメントなどお寄せください。

posted by 茂木賛 at 09:19 | Permalink | Comment(0) | 非線形科学

解糖系とミトコンドリア系

2010年09月28日 [ 非線形科学 ]@sanmotegiをフォローする

 前回の自律神経(「交感神経と副交感神経」)の話に関連して、人のエネルギー生成についても書いておこう。これまで「免疫について」「重力進化学」などで紹介してきた安保徹教授(新潟大学大学院)は、人には「解糖系」と「ミトコンドリア系」という、二種類の「エネルギー生成方法」が備わっていると述べておられる。氏の著書“かたよらない生き方 病気にならない免疫生活のススメ”(海竜社)から引用する。

(引用開始)

 真核生物である動物、つまり多細胞生物は解糖系とミトコンドリア系という二つの生命体を、つまり細胞を使い分けて生きています。
 解糖系は、酸素なしでぶどう糖をピルビン酸と乳酸にする形のエネルギー生成系ですが、これは瞬発力と分裂に優れています。一方、ミトコンドリアは酸素を使って効率よくエネルギーをつくり持続力があるけれど、分裂のない世界です。
 この二つの使い道はまったく違っています。おそらく、解糖系とミトコンドリアの比率は一対一と考えられますが、年齢と生き方によって多少変化があります。現在でも解糖系は分裂と瞬発力、ミトコンドリアは持続力という性質を持っていて、私たちは状況に応じて使い分けているのです。

(引用終了)
<同書23−24ページ>

陸上競技でいえば、解糖系は短距離の瞬発力に、ミトコンドリア系はマラソンなどの持久力に使われるということだ。安保氏の最新著書“やはり、「免疫力」だ!”(ワック出版)からさらに詳しく見てみたい。

(引用開始)

 解糖系の瞬発力とミトコンドリア系の持続力の違いは、エネルギー系の効率と関係しています。
 酸素を使うミトコンドリア系はたんぱく質、脂肪、糖など何でも取り込みます。それをアセチルCoA(アセチルコエンザイムエー)という物質にして、クエン酸回路を回します。クエン酸回路とは、食事からの糖質、疲労の原因物質である乳酸や体脂肪などを分解して、エネルギーに変換する回路です。
 また、ミトコンドリア系は、解糖系とクエン酸回路で生じた水素を電気現象にして回します。これがミトコンドリアの内臓で起こる電子伝達系です。
 つまり、ミトコンドリア系のエネルギー生成はクエン酸回路と電子伝達系の二本立てでATP(アデノシン三リン酸)という「エネルギー通貨」(生物体内の物質代謝で使われる重要性から「生体のエネルギー通貨」と呼ばれています)をつくります。
 一方、解糖系は、エネルギー源はグルコース(ブドウ糖)で、糖しか使いません。米、小麦、イモ類など炭水化物を多く含む食物をとることで、グルコースとピルビン酸に分解して、ATPをつくります。そして最後には乳酸ができますが、筋力運動をしたり全力疾走したりすると、疲れるのは疲労物質である乳酸ができるからです。

(引用終了)
<同書193−194ページ>

 それでは、この二つのエネルギー生成系と、前回の交感神経と副交感神経との関係はどのようになっているのだろうか。“かたよらない生き方 病気にならない免疫生活のススメ”安保徹著(海竜社)から再び引用しよう。

(引用開始)

 では、自律神経とエネルギー生成系はどうつながっているかというと、エネルギーを解糖系でつくろうが、ミトコンドリア系でつくろうが、エネルギーをつくり、使っているときは交感神経が働いているのです。ですから、瞬発力で活動するときも、持久力で活動するときも交感神経の活性化です。
 その反対に、エネルギーの消費を抑え、休んだときは副交感神経です。解糖系でもミトコンドリア系でもエネルギーの産生を極限まで抑制して、たとえば眠っているような状態のとき、あるいは、エネルギーをつくったり、放出したりするの止めて、ものを食べてエネルギーを溜める材料を取り込み、エネルギーを貯蓄しているときなどが副交感神経です。
 つまり、二つのエネルギー生成系のどちらを使っても、交感神経です。逆にどっちも極限まで休ませて、ものを食べたり、休んだり、呼吸をしているときが副交感神経という関係なのです。

(引用終了)
<同書92−93ページ>

 人は二つのエネルギー生成系を使い、さらに自律神経のアクセル(交感神経)とブレーキ(副交感神経)とを使って環境に対処している。我々の健康の秘訣は、この二つのシステムのバランスを上手く図ることなのである。

 ところで、我々の体の中に酸素を好むミトコンドリアと酸素を嫌う解糖系の細胞があるのは、生物の上陸劇とは密接な関係があるらしい。一説によると、太古、シノアバクテリアの出す酸素が空気中に満ちていたとき、解糖系の細胞にミトコンドリアが共生したという。「カーブアウト」「進化のアナロジー」などで紹介した、生物学者の池田清彦氏の“38億年 生物進化の旅”(新潮社)から引用しよう。

(引用開始)

 多くの真核生物は、ミトコンドリアを取り込んだことによって、酸素を使ってエネルギーを得るようになった。それまでの無酸素呼吸に比べると酸素呼吸の効率は非常に高い。それによって真核生物のエネルギー効率は飛躍的に高まったのだった。

(引用終了)
<同書36−37ページ>

 ミトコンドリアが解糖系の細胞に共生したことで、生物は水の中から酸素濃度の高い空気のなかで生きることが出来るようになった。そのあと脊椎動物は「重力進化学」で述べたような進化を遂げ、とくに「交感神経」を発達させる。全身に広がった交感神経によって、「食べること以外」の調整が行われるようになり、その食べること以外の活動が、やがて「人間の文化」を発祥させたのである。

TwitterやFacebookもやっています。
こちらにもお気軽にコメントなどお寄せください。

posted by 茂木賛 at 12:07 | Permalink | Comment(0) | 非線形科学

交感神経と副交感神経

2010年09月21日 [ 非線形科学 ]@sanmotegiをフォローする

 前回「重力進化学」の項で、「交感神経と副交感神経のバランスによって我々の健康が保たれていることは免疫学のよく教えるところ」と書いたけれど、今回は、その交感神経と副交感神経について整理しておきたい。

 松丸本舗で買った“オキシトシン”シャスティン・モベリ著(晶文社)から引用しよう。

(引用開始)

 交感神経系と副交感神経系は、ある意味で正反対の働きをしており、お互いとの均衡を保っている。交感神経系は<闘争か逃走か>反応に関わっていて、心拍数と血圧を上昇させる。一方、副交感神経系は消化や栄養の蓄積に関与する。消化や栄養の蓄積は、<闘争か逃走か>状態ではペースが落ちるが、<安らぎと結びつき>状態では活発化する。健康で幸福であるには、この二つのシステムのバランスがとれていることが重要だ。

(引用終了)
<同書61−64ページ>

ここでいう<闘争か逃走か>、<安らぎと結びつき>とは、環境に対する人の相反する生理学的反応を指す。この二つについてさらに同書から引用しよう。

(引用開始)

正反対の反応

<闘争か逃走か>反応では、次のような特徴が見られる。
・心拍数の増加と、心拍出量(一回の拍動で押し出される血液量)の増加
・血圧上昇
・筋肉での血液循環の増大
・肝臓からのグルコース放出による余分の燃料補給
・ストレスホルモンの血中濃度の上昇

<安らぎと結びつき>反応では、次のような特徴が見られる。
・血圧の低下と心拍数の減少
・皮膚と粘膜での血液循環の増大(たとえば、顔や体のほかの部分がばら色になる)
・ストレスホルモンの血中濃度の低下
・消化、栄養の吸収と貯蔵が効率的になる(長期にわたれば体重が増える)

(引用終了)
<同書45ページ>

ついでに自律神経系そのものの説明についても同書から引用しておこう。

(引用開始)

自律神経系

1 心臓、血管、消化管、肺などの活動を制御する。
2 交感神経系と副交感神経系から成る。
3 求心性の感覚神経を含む。
交感神経は
・運動時に活性化している。
・<闘争か逃走か>反応の身体的反応を司る。
・脊髄から出ている。
・ノルアドレナリンを主要な神経伝達物質として用いる。
副交感神経は
・消化が行われているとき、活性化している
・<安らぎと結びつき>作用による身体的適応に関連している
・脳幹から出ているものと脊髄下部から出ているものがある。
・アセチルコリンを主要な神経伝達物質として用いる。

(引用終了)
<同書60ページ>

 いかがだろう。身体における交感神経と副交感神経のバランスは、環境に対する人の相反する反応、すなわち<闘争か逃走か>と<安らぎと結びつき>とのバランスそのものなのである。

 交感神経と副交感神経については、以前「免疫について」の項でも触れたことがある。

(引用開始)

 私の興味は今のところ少なくとも三つの視点から成り立っている。一つは自分の健康管理だ。体の健康を保つためには免疫の知識が欠かせない。参考になるのは「これだけで病気にならない」西原克成著(祥伝社新書)や「自分ですぐできる免疫革命」安保徹著(だいわ文庫)などなど。

 もうひとつは、上の安保徹教授(新潟大学大学院)がその重要性を説かれている、自律神経(交感神経と副交感神経)のバランスと、私が『「理性」と「感性」』の中で書いたこととの関連だ。

 安保教授は、交感神経優位が興奮する体調を生み、副交感神経優位がリラックスする体調を生むと述べておられる。一方、私が指摘したのは、「生産」は「理性的」活動を中心とし、「消費」は「感性的」活動を中心としているということだ。

 多くの場合、理性的活動が仕事の緊張を生み、感性的活動が余暇のリラックスした心理状態を支えているから、交感神経優位の体調が「生産活動」には必要で、その逆に、副交感神経優位の体調が「消費活動」を支えている、という対比が可能となる。「生産−理性的活動−交感神経優位」、「消費−感性的活動−副交感神経優位」というわけだ。(後略)

(引用終了)

 この「自律神経系」と「生産と消費論」のアナロジーについては、また項を改めて考えてみよう。

TwitterやFacebookもやっています。
こちらにもお気軽にコメントなどお寄せください。

posted by 茂木賛 at 12:25 | Permalink | Comment(0) | 非線形科学

重力進化学

2010年09月14日 [ 非線形科学 ]@sanmotegiをフォローする

 “生きもの上陸作戦”中村桂子・板橋涼子共著(PHPサイエンス・ワールド新書)を楽しく読んだ。サブタイトルに“絶滅と進化の5億年”とある。

(引用開始)

絶滅が大きな進化をうながす

今日、私たちが地上で目にするさまざまな樹木、美しい草花、周りを飛びかう虫たち、そして動物たち。こうした豊かな生態系の出発点はいまから5億年前――地球に生物が誕生して33億年、生き物たちが住み慣れた「水圏」を離れ、陸に上がることを決意したときのこと。まずは植物、そして昆虫、脊椎動物が上陸。5億年で5度の大きな絶滅を乗り越え、たくましく進化する生物の一大イベントを活き活きと描く。

(引用終了)
<同書カバーより>

ということで、この本は、胞子体の大型化、維管束の登場、花づくり遺伝子、翅ができる仕組み、植物と昆虫の共進化、魚類と顎の誕生、鰭から足へ、手はどうやって出来たのか、ゲノム重複、五回の絶滅、マントルプルーム、恐竜から鳥へなどなど、興味深いテーマについてわかりやすく説明してある。巻頭の「生きもの上陸大作戦絵巻」も楽しい。

 本書のテーマは多岐に亘っているから、さまざまな「興味の横展開」が可能だけれど、ここでは、脊椎動物の進化における「重力」の影響について考えてみたい。このテーマについては以前「脳について」の項のなかで、

(引用開始)

「内臓が生みだす心」西原克成著(NHKブックス)によると、脊椎動物の進化には大きく分けて三つの段階があったという。第一段階は、海中移動による「口肛分離」、第二段階は、上陸劇による「造血の骨髄腔への移動」、第三段階は、哺乳類の誕生による「歯の発達」。いずれの段階も重力が強く影響を及ぼしているという。

(引用終了)

と書いたことがある。西原克成医学博士については「免疫について」の項でもその著書を紹介したけれど、氏は、「脊椎動物の進化が重力を中心とした物理的・化学的要因によって起こる」ことを発見、以降これを「重力進化学」と名づけ、提唱しておられる。氏の重力進化学については“生物は重力が進化させた” 西原克成著(講談社ブルーバックス)に詳しいが、ここでは、“究極の免疫学”西原克成著(講談社インターナショナル)から、関連箇所を引用しよう。

(引用開始)

 生物の上陸にともなって、その身体には劇的な十二の変化が発生しました。それは、1.骨髄造血の発生 2.硬骨の発生 3.心臓脈管系の冠動脈の発生 4.鰓から肺への変容 5.赤血球・白血球の分化 6.リンパシステムの発生 7.大脳新皮質の錐体路運動神経の発生 8.毛細血管の発生 9.交感神経の発生 10.恒温性の発生 11.主要組織適合抗体の発生 12.楯鱗(皮歯)の獣毛への変化です。
 これらの変化は、重力作用が六倍になり、酸素の濃度が三十倍になり、生活媒体が比熱一の水から零に近い空気へと変わり、比重の面でも一から八百分の一へと変わったことで、もたらされました。

(引用終了)
<同書119ページ。引用者により一部漢字を数字に置換>

免疫学で重視される自律神経(交感神経と副交感神経)のうち、交感神経そのものが「重力」によって発生したという指摘はとても興味深い。西原氏は、この本のなかで重力と免疫の関係について、「水中から陸上への生物の進化が免疫系を進化させた」、「重力が細胞消化システムとしての免疫系をつくった」とさらに指摘しておられる。

 免疫系、なかでも交感神経の発生・発達が「重力」の影響であることについては、以前同じく「免疫について」の項でその著書を紹介した、新潟大学大学院の安保徹教授も指摘しておられる。同氏の“50歳からの病気にならない生き方革命”(だいわ文庫)から引用しよう。

(引用開始)

 自律神経は交感神経と副交感神経のバランスで調節しています。血液の循環を調節しているのは交感神経です。交感神経は脊髄から出て、血管のまわりをとりまいて全身に行き渡っています。
 脊椎動物になってから血管が生まれ、そのあたりで交感神経ができ始め、血管とともに進化して上陸した時点で全身に一気に広がっていったと考えられます。
 単細胞生物から多細胞生物へ進化するときに、すべての細胞を調節する自律神経ができたのですが、初めから交感神経と副交感神経があったわけではありません。生物は食べると一応生きられるので、消化器官を動かす副交感神経から始まったと考えられています。(中略)
 ところが、上陸するとじっとしていては食べられないし、危険が迫ると逃げたり、あるいは攻撃するようになって、食べること以外の調節がとりわけ必要になったので、交感神経ができたと考えられます。(中略)
 前からあった副交感神経は、生きる環境が水中から陸上に変わり、活動量が飛躍的に増えたので、頸部と仙骨に追いやられ、交感神経が全身に広がったと考えられます。

(引用終了)
<同書109−111ページ>

 交感神経と副交感神経のバランスによって我々の健康が保たれていることは免疫学のよく教えるところだが、全身に広がった交感神経によって、人間文化の発生の基となる「食べること以外」の調節が行われるようになったということであれば、改めて、人間の進化における「重力の影響の大きさ」について考えさせられる。

TwitterやFacebookもやっています。
こちらにもお気軽にコメントなどお寄せください。

posted by 茂木賛 at 12:44 | Permalink | Comment(0) | 非線形科学

3の構造 III

2009年12月28日 [ 非線形科学 ]@sanmotegiをフォローする

 「3の構造」の項を書いたのが今年の8月、その後10月に、“「3」の発想”芳沢光雄著(新潮選書)という本が出版された。その偶然に驚いたけれど、3の重要性について考えている人が他にもいたということで、己の意を強くした。まず同書の裏表紙の紹介文を引用しよう。

(引用開始)

 思考力や応用力は、計算ドリルの繰り返しでは身につかない!数学の世界では、「3」の発想を会得すれば、それ以上の数の事象についても応用によって解けるケースが多い。ティッシュペーパーやドミノ倒しの原理、オモリを使った計測法、3項計算、三段論法、作況指数とジニ係数など、分りやすい例を挙げ、いかに「3」を学ぶことが重要かを説く。「ゆとり教育」で損なわれた「考える数学」が本書で身につく。

(引用終了)

 本のサブタイトルが“数学教育に欠けているもの”とあるように、芳沢氏は、数学教育の見地から3の重要性を説いておられる。詳しくは本書をお読みいただくとして、以下、その骨子を同書の4つの章に沿って纏めてみよう。

第1章 つながっていく性質を持つ「3」

 ドミノ倒しのようにつながっていく現象を理解するのは、「2」ではなく「3」の発想が大切である。

第2章 「3」が要(かなめ)となる世界

 机の脚やカメラの三脚は「3」が特に安定している例だが、ジャンケンなどの「3すくみ」や「三角測量」なども、同じように「3」が重要な意味を持つ。

第3章 関係を定める時に必要な「3」

 「三段論法」などに見られるように、相互に関係する作用を一つずつ整理する上で、3つの関係の仕組みが礎となる場合が多い。

第4章 現象の特徴を表わすことができる「3」

 「3K」などのように、私たちはものごとの現象を3つの要因や特徴で表現することが多い。

 以上だが、この4つの特徴を、以前「3の構造 II」において纏めた三項目と照らし合わせると、

(イ)頂点性
第4章 現象の特徴を表わすことができる「3」

(ロ)安定性
第2章 「3」が要(かなめ)となる世界

(ハ)発展性
第1章 つながっていく性質を持つ「3」
第3章 関係を定める時に必要な「3」

ということになるだろうか。芳沢氏は、本書の最後に以下のように書いておられる。

(引用開始)

「ちえ」には2通りの書き方がある。「知恵」と「智慧」。前者は説明の必要がないだろう。後者は仏教で使われる言葉である。意味は、相対世界に向かう働きの智と、悟りを導く精神作用の慧。物事をありのままに把握し、真理を見極める認識力(『大辞泉』より)。そして、それは「聞慧」「思慧」「修慧」の三つ、「三慧(さんえ)」から成り立つ。
 聞慧とは、授業で聞いたり本を読んだりして、聞いたことや書いてあることを事実として知ることである。
 思慧とは、聞慧として身に付いたものごとに関して、自分なりにそれらの間の繋がりを組み立てたり、それらの背景を理解できるように考えることである。
 最後の修慧は、思慧として身に付いたものごとに関して、きちんと説明できるように書いたり、それらを応用して実践できるようにすることである。
(中略)
 ドミノ倒しのように、次々とつながっていく性質を理解するときの「3番目」、3すくみのように「3」が要となる世界、計算規則の理解で必要な「3」項の計算、3Kや三慧のように物事を説明する上で必要な「3つ」の立場など、それらの中には、日本人を古くから支えてきた「もう1つの選択」というべき「3という発想」に通低するものがあると私は思っている。その忘れかけている大切な発想を意識して毎日を過ごすことが、行き過ぎた合理主義に取り囲まれた現在の日本に、強く求められているのではないだろうか。

(引用終了)
<同書165−173ページ>

我々も、「三慧」を用いて、日々の生活をバランスよく過ごしたいものだ。

TwitterやFacebookもやっています。
こちらにもお気軽にコメントなどお寄せください。

posted by 茂木賛 at 12:16 | Permalink | Comment(0) | 非線形科学

跳ねるボール

2009年12月08日 [ 非線形科学 ]@sanmotegiをフォローする

 「興味の横展開」を仕事に活かすということで「個人事業主」の項を書いたけれど、「興味の横展開」という考え方は、勿論、勉強・学習にも活かすこともできる。ただし、ここで云う勉強・学習とは、自らの興味に基づく能動的な知的活動のことであり、お仕着せの受験勉強のことではない。

 最近私の興味を惹いた、熱力学に関する新聞記事を紹介しよう。この記事から、皆さんの興味がどのように展開するか楽しみだ。全文引用する。

(引用開始)

「跳ねて速度アップ 常識覆すボール」熱力学の根本に迫る

 ぶつけた速度よりも速く跳ね返る“常識破り”のボールを作れる可能性があることを、中央大学の国仲寛人助教らが計算機シミュレーションで示した。ボールの持つ熱がボールの運動エネルギーに変わって速度を増す。熱力学の根本に迫る現象という。米物理学会誌に発表し、注目論文として取り上げられるなど話題になっている。
 ゴルフボールも野球にボールも、ぶつけた速度よりも跳ね返ってくるときの速度の方が小さくなる。床で弾むスーパーボールも、跳ね上がる高さがだんだん小さくなる。
 理想的な反発力を持つ物体ならぶつけた速度と跳ね返る速度が等しくなるが、それでも超えることはない、というのが高校の教科書にも書かれた常識だ。
 跳ね返ると速度が落ちるのは、衝突の際に運動エネルギーの一部が熱に変わって逃げてしまうからだ。
 国仲さんは、原子が七百個集まった直径約百万分の三ミリの小さなボールを想定。このボール同士が正面衝突する様子をコンピューターで繰り返し調べた。実際の分子に働くような引力も考慮した。
 その結果、ボールを秒速十メートル前後でゆっくりぶつけたとき、反発の速度が増す現象が二十回に一回程度起きることが分った。速度は最大で一割程度増えた。
 この不思議な現象が起きる主な理由として国仲さんは「ボールの中の個々の原子は熱によって振動している。二つのボールがゆっくり接するとき、原子がちょうど相手をはじき飛ばす方向に振動していれば反発のスピードが増す」と考える。
 つまり、ボールの原子が持っている熱が、ボール全体の運動エネルギーに変わったということになる。熱力学第二法則では、外から手を加えずに熱が運動エネルギーなどの仕事に変わることを禁じている。熱から仕事が取り出せれば永久機関も実現できるからだ。
 計算結果はこの法則を破るように見えるが「反発のスピードが増すのは衝突の5%。全体を平均すれば反発のスピードの方が低くなり熱力学第二法則に反しない」という。
 共同研究者の早川尚男・京都大教授は「ナノサイズのボールをレーザー光で捕まえて衝突させれば、計算だけではなく実際に確かめられる可能性もある」としている。

(引用終了)
<東京新聞4/28/09>

熱力学第二法則を習ったことのある人ならば、誰でも興味を覚える記事だと思うが、いかがだろうか。

 この現象は「ゆらぎ」の一種なのだろうか。シミュレーションということであれば、パラメターの「初期状態」をどのように設定したのか、という点が特に私の興味を惹く。また、「計算だけではなく実際に確かめられる」というけれど、その根拠と方法についても知りたいと思う。

TwitterやFacebookもやっています。
こちらにもお気軽にコメントなどお寄せください。

posted by 茂木賛 at 10:09 | Permalink | Comment(0) | 非線形科学

パラダイム・シフト II 

2009年11月23日 [ 非線形科学 ]@sanmotegiをフォローする

 先回に引き続き「パラダイム・シフト」の話を続けたい。そもそもパラダイム・シフトのきっかけをつくる人はどういう人たちなのだろうか。なぜ夏井睦氏が「湿潤治療」を思いついたのか、“傷はぜったい消毒するな”夏井睦著(光文社新書)から引用する。

(引用開始)

 これまで説明してきたように、パラダイムの内部にいる人間は、それがパラダイムだということに気付かない。それが単なるパラダイムではないかと気付くのは、外側にいる人間だけである。
 筆者は十〇年ほど前まで従来の熱傷治療を熱心に行なってきた一人である。前にも書いたが筆者は形成外科の専門医であり、大学の形成外科局に十五年ほど所属し、この間、多数の熱傷患者を治療し、数え切れないほどの手術を行なってきた。(中略)
 そしてその後、湿潤治療を始めたので、いわば熱傷治療を内側と外側両方から眺めてきたことになる。その結果、大学病院時代には見えてこなかった熱傷治療の問題点が見えてくるようになった。

(引用終了)
<同書170ページ>

「熱傷治療を内側と外側両方から眺めてきた」という部分に注目してもらいたい。そして、以前「エッジ・エフェクト」で紹介した、「マージナル・マン」という概念を思い起こしてほしい。「部落問題・人権辞典ウェブ版」から、再度その部分を引用しよう。

(引用開始)

 異質な諸社会集団のマージン(境域・限界)に立ち、既成のいかなる社会集団にも十分帰属していない人間。境界人、限界人、周辺人などと訳される。マージナル・マンの性格構造や精神構造、その置かれている状況や位置や文化を総称して、マージナリティーと呼ぶ。マージナル・マンの概念は、1920年代の終わり頃に、アメリカの社会学者バークが、ジンメルの<異邦人>の概念(潜在的な放浪者、自分の土地を持たぬ者)の示唆を受けて構築した。(中略)

 マージナル・マンは、自己の内にある文化的・社会的境界性を生かして、生まれ育った社会の自明の理とされている世界観に対して、ある種の距離を置くことが可能である。それゆえにマージナル・マンは、人生や現実に対して創造的に働きかける契機をもっている。

(引用終了)

「熱傷治療を内側と外側両方から眺めてきた」夏井氏は、学会の「自明の理とされている世界観に対して、ある種の距離を置くこと」が可能だった。勿論マージン(境域・限界)に立っているからといって、それだけでパラダイム・シフトのきっかけを生み出せる訳ではないけれど、それは生み出すための必要条件なのだろうと思う。

 そういえば、「皮膚感覚」で紹介した傳田光洋氏も、大学では科学熱力学を学んでおられて、皮膚の研究を始めたのは三十歳を過ぎてからとのこと。夏井睦氏ともども、それぞれの研究領域におけるマージナル・マンなのであった。お二人の更なる飛躍に期待したい。

 ところで、夏井氏は「湿潤治療」に関して、インターネットを活用されている。その理由について氏は“傷はぜったい消毒するな”の中で、

(引用開始)

 こういう経験(ネットを通して貴重な楽譜をやりとりした経験)から私は、情報を全て公開し共有することで、より多くの情報が得られることを学んだ。苦労して手に入れた楽譜だからタダでは見せられない、と考えるか、苦労して手に入れたものだから皆で共有しよう、と考えるかの違いである。だから治療法を全て公開したのだが、治療例は学会発表するか論文にしなければ意味がなく、インターネットでの公開は無意味だという批判もあった。だが、全く気にしなかった。私にとって学会も論文もどうでもよかったからだ。また治療失敗症例は多くのことを教えてくれるし、治療上のトラブルについて皆で分析して解決法が考案されることで、治療法はより完全なものになっていく。だから、失敗例ほど公開しようと考えたわけだ。

(引用終了)
<同書66−67ページ。カッコ内は引用者による注。>

と書いておられる。インターネットを活用した「知のオープン化」については、これまで「ハブ(Hub)の役割」や「盤上の自由」などで論じてきた。併せてお読みいただければ嬉しい。

TwitterやFacebookもやっています。
こちらにもお気軽にコメントなどお寄せください。

posted by 茂木賛 at 12:23 | Permalink | Comment(0) | 非線形科学

パラダイム・シフト

2009年11月17日 [ 非線形科学 ]@sanmotegiをフォローする

 先日「皮膚感覚」の項で述べたように、皮膚についていろいろと勉強しているのだが、最近、“傷はぜったい消毒するな”夏井睦著(光文社新書)という本を読んだ。本カバー裏の紹介文を引用しよう。

(引用開始)

ケガをしたら、消毒して乾かす、が世間の常識。しかし著者によれば、消毒は「傷口に熱湯をかけるような行為」だという。傷は消毒せず、乾燥させなければ、痛まず、速く、しかもきれいに治るのである。
著者は、今注目の「湿潤治療」を確立した形成外科医である。その治癒効果に驚いた医師らにより、湿潤治療は各地で広まっている。しかし肝心の大学病院などでは相変わらず、傷やヤケドを悪化させ、直りを遅らせ、患者に痛みと後遺症を強いる旧来の治療が行なわれている。なぜ、医学において生物学や科学の新しい成果は取り入れられないのか。本書では医学会の問題点も鋭く検証。さらに、生物進化の過程をたどりつつ見直した、皮膚という臓器の驚くべき能力について、意欲的な仮説を展開しながら解説する。

(引用終了)

この紹介文の最後にある「意欲的な仮説」とは、皮膚の力を見直す思考実験なのだが、それは、「皮膚感覚」で紹介した傳田光洋氏の“皮膚は考える”(岩波書店)に触発されてのことだという。

 本書の中に、「パラダイム・シフト」について触れた箇所がある。湿潤治療や皮膚の思考実験についてはまた別の機会に譲るとして、今回はこのパラダイム・シフトについて考えてみたい。パラダイムやパラダイム・シフトについて書かれたものは他にもいろいろあるけれど、夏井氏はこの本で、パラダイム・シフトが起る動的プロセスについて説明しておられる。まず本書によって「パラダイム・シフト」とは何かについて確認しておこう。

(引用開始)

 パラダイムシフトは「その時代や分野において当然のことと考えられていた認識(パラダイム)が、革命的かつ非連続的に変化(シフト)すること」と定義されている。ここで重要なのは「非連続に変化」という部分だ。つまり、旧パラダイムから新パラダイムへの変化(シフト)は連続的に起るのではなく、二つのパラダイムは完全に断絶しているのだ。新しい考え方は旧いパラダイムを完全否定することで生まれるからだ。

(引用終了)
<本書164ページ>

ではこの「パラダイム・シフト」はどういうプロセスで起るのか。少し長くなるが夏井氏の文章をさらに引用する。

(引用開始)

 先入観を一番捨てにくいのは誰だろうか。それは専門家だ。専門家は自分の専門知識が正しいことを前提に考えるから、もしかしたらそれが間違っているかも、とはなかなか考えられない。(中略)
 素人はそもそも先入観もなければその分野についての知識もない。(中略)
 つまり、新しいパラダイムを素人は受け入れやすく、専門家は専門家としての自分の地位を守るために懸命になって拒否するわけだ。このためパラダイムシフトの真っ只中では、素人が専門家より知識の面で先を行って最新の知識を享受し、専門家は古い知識(=旧パラダイム)にしがみつくことになる。
 このような「専門家集団と素人の間での知識の逆転現象」は、パラダイムシフトの渦中では常に起きていたはずだ。そしてこの逆転現象こそがパラダイムシフトを完成させる駆動力となり、パラダイムシフトの本質なのである。
 なぜそれが駆動力になるかと言えば、専門家は生まれながらにして専門家だったわけではないからだ。彼らはもともとは素人であり、勉強して専門家になった。つまり、専門家集団の背景には膨大な数の「知識のない素人」が必要である。
 一般大衆(=素人)の間に新しい考えが広まってくると、次世代の旧パラダイムの専門家の予備軍(=知識のない素人)がいなくなってしまう。その結果、旧パラダイムの専門家集団への新規加入者が減り、やがて新規加入者より集団内の死者の方が多くなり、そのうち専門家集団は老衰死・自然死を迎える。その時パラダイムシフトは完了する。
 繰り返しになるが、パラダイムが信じられている時代では専門家が指導的立場にあるが、そのパラダイムが崩れようとしている時には、素人の方が最新の知識を持つのだ。


(引用終了)
<同書167−169ページ>

いかがだろう。このブログではこれまで、「モチベーションの分布」や「興味の横展開」、「日記をつけるということ」などで、個人的興味が変化する動的プロセスについて考えてきた。ここで分析されているのは、(個人の集合であるところの)社会的認識が変化する動的プロセスである。個人においては、モチベーションの正規分布と情報のベキ則分布、社会においては、常識の正規分布と専門知識のベキ則分布、どちらも、正規分布とベキ則分布とが絡み合う、面白い、非線形的な世界である。

TwitterやFacebookもやっています。
こちらにもお気軽にコメントなどお寄せください。

posted by 茂木賛 at 10:58 | Permalink | Comment(0) | 非線形科学

皮膚感覚

2009年10月19日 [ 非線形科学 ]@sanmotegiをフォローする

 “賢い皮膚”傳田光洋著(ちくま新書)を読む。本書は、同氏の“皮膚は考える”(岩波書店)、“第三の脳”(朝日出版社)における知見を総合的により詳しく纏めたものだ。傳田氏は資生堂研究所の主任研究員である。本のカバー裏の紹介文を引用しよう。

(引用開始)

 今、皮膚科学が長足の進歩を遂げている。医療や美容からのアプローチだけではうかがいしれない、皮膚メカニズムが次々に解明されつつあるのだ。「年をとるとしわができるのはどうして」、「お肌に良い物質はなにか」といった身近なトピックから、「皮膚が脳と同じ機能を担っているとしたら」というにわかには信じられない働きにまで本書は迫っていく。薄皮に秘められた世界をとくと堪能していただきたい。

(引用終了)

皮膚は生体と外界の境界である。以前「エッジ・エフェクト」のなかで「境界」の重要性を指摘したけれど、外環境との間で皮膚に何がどう起っているのか、とても興味深いテーマである。

 ここで私の「皮膚」に関する興味視点を整理しておきたい。勿論、傳田氏の著書に導かれてのことである。

 一つは、皮膚の自律システム(イオン濃度変化と電場の形成、バリア層、免疫の働きなど)についてである。以前「免疫について」で述べたと同じく、身体の健康を保つためには皮膚に対する様々な知識が欠かせない。

 二つは、体表と経絡ネットワークについてである。傳田氏は、自らの体験なども踏まえて、体表(表皮)そのものに、神経系・循環器系とは別の「経絡ネットワーク」とでもいうべき情報経路が存在するのではないか、と推察されている。以前「脳について」のなかで、脳内の情報伝達の仕組みについて、ニューロン・ネットワークの他にもう一つ高電子密度層があり、その仕組みが人の「内因性の賦活」を支えているという説に言及したけれど、体表そのものに神経系・循環器系とは別の情報経路が存在するという説は、人の脳と身体を考える上で大変興味深い。

 三つは、肌と五感(視覚・聴覚・嗅覚・味覚・触覚)との関係である。傳田氏は、いろいろな実験から、肌には通常考えられている「触覚」としての働き以上のものがあるのではないか、と推察されている。以前「視覚と聴覚」のなかで、第三の目としての「松果体」について言及したけれど、肌と視覚、肌と聴覚の関係は奥が深いと思う。

 ところで、「サラサーテのことなど」で引用した平岡公威(ペンネーム三島由紀夫)の、「蘭陵王」という短編小説の中に次のような一文がある。

(引用開始)

 私は全身の汗と泥を、石鹸の泡を存分に立てて洗いながら、皮膚というものの不思議な不可侵に思いいたった。もし皮膚が粗鬆(そしょう)であったら、汗や埃はそこにしみ入って、時を経たあとは、洗い落とそうにも落とせなくなるに違いない。皮膚のよみがえりとその清さは、その円滑で光沢ある不可侵性によって保証されているのだ。それがなければ、私たちは一つの悪い夢から覚めることもならず、汚濁も疲労も癒さず、すべてはたちまち累積して、私たちを泥土に帰せしてめであろう。

(引用終了)
<「蘭陵王」三島由紀夫著(新潮社)252ページより。本文は旧かな。引用者が新かなに変換した>

平岡公威は、「精神と肉体」という二元論を身をもって追求した人だが、同時に、皮膚という「表面それ自体の深み」にも強い関心を寄せていた。“太陽と鉄”三島由紀夫著(講談社文庫)からも引用しよう。

(引用開始)

 人間の造形的な存在を保証する皮膚の領域が、ただ閑静に委ねられて放置されるままに、もっとも軽んぜられ、思考は一旦深みを目ざすと不可視の深淵へはまり込もうとし、一旦高みを目指すと、折角の肉体の形をさしおいて、同じく不可視の無限の天空の光へ飛び去ろうとする、その運動法則が私には理解できなかった。もし思考が上方であれ下方であれ、深淵を目ざすのがその原則であるなら、われわれの固体と形態を保証し、われわれの内界と外界をわかつところの、その重要な境界である「表面」そのものに、一種の深淵を発見して、「表面それ自体の深み」に惹かれないのは、不合理きわまることに思われた。

(引用終了)
<同書22ページより>

自決によってその追求は叶わなかったけれど、日本と西洋文明との間を行き来するマージナル・マンとして、平岡氏は皮膚という「肉体と外界との境界性」にも敏感だったのだろう。

TwitterやFacebookもやっています。
こちらにもお気軽にコメントなどお寄せください。

posted by 茂木賛 at 18:07 | Permalink | Comment(0) | 非線形科学

マップラバーとは

2009年10月06日 [ 非線形科学 ]@sanmotegiをフォローする

 マップラバーとは何か。この楽しい言葉が出てくるのは、今年の夏休みに読んだ“世界は分けてもわからない”福岡伸一著(講談社現代新書)の中である。まずはその部分を引用してみよう。

(引用開始)

 おおよそ世の中の人間の性向は、マップラバーとマップヘイターに二分類することができる。(中略)
 マップラバー(map lover)はその名のとおり、地図が大好き。百貨店に行けばまず売り場案内板(フロアプラン)に直行する。自分の位置と目的の店の位置を定めないと行動が始まらない。マップラバーは起点、終点、上流、下流、東西南北をこよなく愛する。(中略)
 対するマップヘイター(map hater)。自分の行きたいところに行くのに地図や案内板など全くたよりにしない。むしろ地図など面倒くさいものは見ない。百貨店に入ると勘だけでやみくもに歩き出し、それでいてちゃんと目的場所を見つけられる。二度目なら確実に最短距離で直行できる。(後略)

(引用終了)
<同書88−89ページ>

 分子生物学者で青山学院大学教授の福岡伸一氏は、ロハス(Lifestyles of Health And Sustainability)な生き方の提唱者として有名だ。ロハス的生き方とは、健康と持続可能性に配慮した生き方のことで、私が提唱している「21世紀型スモールビジネス」の価値観とも共通するところが多い。21世紀型スモールビジネスとは、多品種少量生産、食品の地産地消、資源循環、新技術といった、安定成長時代の産業システムを牽引する、組織規模の小さいビジネス形態のことである(「スモールビジネスの時代」)。尚、福岡氏のご著書は、すでに「アートビジネス」、「エッジ・エフェクト」、「シグモイド・カーブ」などでも引用したので、お読みいただけると嬉しい。

 さて上の文章、なにやら福岡先生ご夫婦のことのようにも読めるけれど、そうではなく、この性向(特にマップヘイター)は、生物学的に重要な概念であるという。

(引用開始)

 実は、マップヘイターが採用しているこの分散的な行動原理は、全体像をあらかじめ知った上でないと自分を定位できず行動も出来ないマップラバーのそれに比べて、生物学的に見てとても重要な原理なのである。そして、私たちの身体が六十兆個の細胞からなっていることを考えるとき、それぞれの細胞が行なっているふるまい方はまさにこういうことなのである。鳥瞰的な全体像を知るマップラバーはどこにもいない。細胞はそれぞれ究極のマップヘイターなのだ。

(引用終了)
<同書93ページ>

この先、話はES細胞やがん細胞へと繋がり、やがて「世界は分けてもわからない」という本書のメイン・テーマへと展開されていくのだが、私はこの「マップラバー」という言葉から、「ホームズとワトソン」の話を思い出した。

 名探偵シャーロック・ホームズは、常に事件全体を大局的に俯瞰し、複雑な事件の謎を解いていく。一方、医者のジョン・ワトソンは、事件環境に入り込んで、身体を張ってホームズを助ける。マップラバーは、地図を俯瞰して、自分の居場所や目的地を論理的に考えていく。マップヘイターは、環境に入り込み、場所を肌で感じながら目的地に到達する。つまり、ホームズは福岡氏のいうマップラバーとその特徴が重なり、ワトソンは、マップヘイターとその特徴が重なるのである。

 これまで「公と私論」などで展開してきたホームズとワトソンの対比に、このマップラバーとマップヘイターを追加すると、

A Resource Planning−英語的発想−主格中心
a 脳の働き−「公(public)」−マップラバー

B Process Technology−日本語的発想−環境中心
b 身体の働き−「私(private)」−マップヘイター

となる。そもそも身体は(六十兆個の)細胞からできているのだから、細胞が究極のマップヘイターだとする福岡氏の説は、この対比とうまく整合するわけだ。ちなみに、ここでいう「脳の働き」とは、大脳新皮質主体の思考であり、「身体の働き」とは、身体機能を司る脳幹・大脳旧皮質主体の思考のことであるから念のため(詳しくは「脳と身体」の項を参照のこと)。

 すでに「ホームズとワトソン」などで見てきたように、ビジネスの成功には、Resource Planningの得意な前者と、Process Technologyに長けた後者との協力が欠かせない。皆さんも、マップラバーとマップヘイターという新鮮な視点で社内を見回して、両者の協力・非協力関係を観察してみては如何だろう。案外、身近なところに業績不振の元(ネタ)が見つかるかもしれない。

 ところで、福岡氏のこの著書には、もう一つ「イームズのトリック」という面白い話題がある。それについてはまた後日触れてみたい。

TwitterやFacebookもやっています。
こちらにもお気軽にコメントなどお寄せください。

posted by 茂木賛 at 10:55 | Permalink | Comment(0) | 非線形科学

3の構造 II

2009年09月08日 [ 非線形科学 ]@sanmotegiをフォローする

 先日書いた「3の構造」について考えを進めよう。まず「3の構造」の特徴を以下に整理する。

(イ)多数のなかでの頂点を示す

多くのものの中における頂点。先回の例では、「オリンピック・メダルの金・銀・銅」や「いろは」、「ABC」などがこれに当たる。

(ロ)安定性

三脚椅子の例のように、不安定さの無い状態を表す。多すぎず少なすぎないという特徴も、この「安定性」の内に含めて良いだろう。先回列記した例では、「上中下」や「三権分立」、「神話の三種の神器」、「三位一体」、「朝昼晩」、「大中小」など、多くがこれに該当すると思われる。

(ハ)発展性

何かと何かが作用しあって新しい何かが生まれる、という発展構造を示す。先回列記した例では、「弁証法のテーゼ・アンチテーゼ・ジンテーゼ」や「武道の守・破・離」、「第三の波」などがこれに該当するだろう。

 以上、特徴の整理自体が「3の構造」になってしまったが、なるほど、多すぎず少なすぎない。そういえばこれまでも、「アフォーダンスについて」、「免疫について」、「脳について」など、この「3の構造」で整理してきた。

 さて、これまでこのブログでは、「生産と消費論」、「公と私論」、「競争か協調か」、「モチベーションの分布」など、いくつかの双極、あるいは対立軸と、そのバランスの重要性についてみてきた。また、「里山ビジネス」、「エッジ・エフェクト」、「庭園について」などで、境界の重要性についても注目してきた。

 ある双極や対称性が、運動によって融合・崩壊し、新しい何かが生まれるというダイナミズムは、“何かと何かが作用しあって新しい何かが生まれる”という意味で、「3の構造」における(ハ)の発展性そのものである。

 以前「相転移と同期現象」の中で、

(引用開始)

「1+1=2」というのが線形的な、比例法則の基本的考え方だとすれば、「1+1=1」、もしくは「1+1=多数」というのが非線形的な考え方である。

(引用終了)

と書いたけれど、「1+1」が「別の1(もしくは多数)」になるという考えは、この運動の構図であり、「生産と消費論」などの双極・対立軸は、「エッジ・エフェクト」の境界性を通して、初めからこの「3の構造」を内包しているのであった。これからも「3の構造」とその周辺に注目していこう。

 ところで、「3の構造」で引用させていただいた“3つに分けて人生がうまくいくイギリス人の習慣”の著者井形慶子さんに、掲示板を通じて連絡したところ、嬉しい以下のご返事をいただいた。

(引用開始)

茂木さま、
こんにちは。
「3つに分けて人生がうまくいく
イギリスの習慣」を紹介してくださって
ありがとうございます。
ブログを拝見して、非常に感心することが多く、
とても興味深くよませていただきました。
茂木さんが紹介されていたいくつかの著書にも
惹かれるものがあります。
今後の活躍を応援しています。

(引用終了)
<「井形慶子’s Room」掲示板(8/23/09)より>

私が井形さんの本を最初に読んだのは、“イギリスの家を1000万円で建てた!”(新潮OH文庫)である。その行動力に脱帽し、それ以来彼女の本の愛読者になった。井形さんの最新著書“英語のおかげ”(中経の文庫)は、どのようにしたら英語を実用的に使えるようになるかということについて、ご自分の経験を通して自伝的に書いておられる。これから英語を勉強しようという人にはとても参考になると思う。

TwitterやFacebookもやっています。
こちらにもお気軽にコメントなどお寄せください。

posted by 茂木賛 at 11:04 | Permalink | Comment(0) | 非線形科学

3の構造

2009年08月17日 [ 非線形科学 ]@sanmotegiをフォローする

 「3」という数に興味がある。「3」は、弁証法のテーゼ・アンチテーゼ・ジンテーゼ、時間の過去・現在・未来、音楽のソナタ形式、武道の守・破・離、神話の三種の神器、数学の三角関数、その他、いろは、上中下、松竹梅、序破急、心技体、朝昼晩、ABC、大中小などなど、さまざまな場面に顔を出す。また「3」は、「コッホ曲線」と呼ばれるフラクタル図形の基本数でもある。「アフォーダンスについて」で述べた、ミーディアム・サブスタンス・サーフェスという世界構造も「3」である。フラクタルやアフォーダンスという非線形科学の根本に、「3」という数があるわけだ。これらをまとめて「3の構造」と命名したい。

 「3の構造」に関連して、“3つに分けて人生がうまくいくイギリス人の習慣”井形慶子著(新潮文庫)から引用しよう。

(引用開始)

「数」は万物の根元であり、数字のひとつひとつに隠された真実がある」と説いたのはギリシャの数学者ピタゴラスです。彼の理論をもとに体系立てた数秘学には、3の持つ意味がこう記されていました。
「3には2つの対立するバラバラな働きから、新しい展開やパワーを生み出し、物事をさらに発展させる創造的な力がある」(中略)
 2つの点からはただの直線しか生まれませんが、3つにすると三角形が出来上がり、面積が誕生します。「線が細い人」とたとえても「面が薄い人」とはいいません。しかも線を面に変えるだけで、イメージはたちまち安定します。たとえば椅子は二本脚では成り立ちませんが、三本にすると腰掛けても倒れない家具になるのです。
 
(引用終了)
<同書24−25ページ>

「3」は、「発展性」と同時に「安定性」を表す特別な構造である。次に、東京新聞「筆洗」(4/10/08)から引用しよう。

(引用開始)

 例えば「話したいことが三つあります」と言われると、聞いてみようかという気になる。一つや二つでは何となく物足りない。四つや五つでは多すぎるし、全部覚えることが難しそうである。
 オリンピックのメダルも金・銀・銅と三つあるので、一層盛り上がるのかもしれない。スポーツに限らず上位の「三」という数字は、多数の中で頂点を人々に感じさせる効果があるという(飯田朝子著『アイドルのウエストはなぜ58センチなのか』)。

(引用終了)

「3」は、多すぎず少なすぎず、さらに「多数の中で頂点を感じさせる」構造でもある。以前「ホームズとワトソン II」の中で、企業における資産と市場とのマッチングに関して、戦略の独創性が必要であると指摘し、

(引用開始)

独創性は、組織・商品・店舗・流通など合わせて少なくとも三つ以上欲しいところだ。

(引用終了)

と書いたのは、この「3の構造」を意識したものだった。

 「3の構造」は、冒頭に挙げた以外にも、物質の固体・液体・気体状態、一流・二流・三流、三位一体、三権分立、第三の男、第三の推論、第三の波、第三の道、3点測法、左中右、外中内、じゃんけんのグー・チョキ・パー、第3のビールなど、まだまだ色々ある。これからも「3の構造」について様々な角度から考えていきたい。

TwitterやFacebookもやっています。
こちらにもお気軽にコメントなどお寄せください。

posted by 茂木賛 at 09:29 | Permalink | Comment(0) | 非線形科学

シグモイド・カーブ

2009年06月09日 [ 非線形科学 ]@sanmotegiをフォローする

 先回「興味の横展開」のなかで、

(引用開始)

 自転車を買ってしばらく乗り回してからでないと、なぜ自分が興味を持ったのか本当のところは分からないから、自分が裾野の何処にいるかを知るには少し時間がかかるけれど、しばらくしてもやはり「身体を動かしながら風に当たるのが気持ちよい」ということに熱心な人は、類似性のある「ジョギングやマラソンなどのスポーツ」への興味が展開するわけだ。

(引用終了)

と書いたけれど、何かの意図が頭にひらめいてから、なぜそう思ったのかが本当に分かるまではどうしても時間がかかる。

 多くの人は、何かに興味を持っても、そのことを充分長く続ける辛抱強さが無い。すぐに飽きて他のことに目が行ってしまう。だから何が本当に好きなのかわからない。頭の中に密度の低い情報がただなんとなく散らばっている状態のままになってしまう。興味の横展開は、その興味の理由と度合いを自覚するところから始まるのである。

 「アートビジネス」や「エッジ・エフェクト」で紹介した分子生物学者の福岡伸一氏は、近著「動的平衡」(木楽舎)のなかで、自然現象におけるインプットとアウトプットの関係について、

(引用開始)

 生命現象を含む自然界の仕組みの多くは、比例関係=線形性を保っていない。非線形性を取っている。自然界のインプットとアウトプットの関係の多くの場合、Sの字を左右に引き伸ばしたような、シグモイド・カーブという非線形性をとるのである。
 非線形性は、たとえば音楽を聴くときにボリュームのダイヤルの回し具合(インプット)と聞こえ方(アウトプット)の関係を考えてみるとよくわかる。
 ボリューム・ダイヤルをだんだん右にひねっていくと、ボリュームは大きくなっているはずなのに、音はなかなか大きく聞こえてこない。つまり最初の段階では、インプットに対する応答性は鈍い。
 ところが、ボリューム・ダイヤルがある位置を越えると、音は急にガーンと大きくなって聞こえてくる。ここで応答は鋭く立ち上がるのである。しかし、ボリュームのダイヤルをかなり大きくひねった位置では、それ以上にダイヤルを回しても、大きな音は大きな音としか聞こえなくて、ダイヤルの回転に応じて大きくは聞こえない。
 つまり、シグモンド・カーブにおいて、インプットとアウトプットの関係は、鈍―敏―鈍という変化をするのである。

(引用終了)
<同書95ページより>

と書いておられる。脳のニューロン・ネットワークにおいて、例えば、自転車に乗りたいという興味のインプット(ひらめき)から、なぜ乗りたいのかという理由を見つけるアウトプットまでの関係は、この「シグモイド・カーブ」のような非線形性があるのだろう。この非線形性の故に、自転車を買ってから暫く乗り回してからでないと、なぜ自分が興味を持ったのか本当のところが分からないのだろう。皆さんも、ひとつのことに興味を持ったら、すぐ飽きることなく、ゆっくり時間をかけて自分が何になぜ興味を持つのかを分析し、興味の横展開に繋げていって欲しい。

TwitterやFacebookもやっています。
こちらにもお気軽にコメントなどお寄せください。

posted by 茂木賛 at 10:28 | Permalink | Comment(0) | 非線形科学

興味の横展開

2009年06月02日 [ 非線形科学 ]@sanmotegiをフォローする

 以前「モチベーションの分布」の中で、

(引用開始)

 釣鐘型の「正規分布」は、人の身長やみかんの大きさなど、自然界に広く見られる現象だ。モチベーションとは「やる気」である。人が興味を持つ対象はそもそも千差万別で、ある目的に対する「やる気」は、その人の興味の度合いに比例するだろうから、無作為にある目的を定めると、どうしても「全体のうち2割の人はよく働き、6割はふつうに働き、そして残りの2割はあまり働かない」という分布が出現してしまうのだろう。

(引用終了)

と書いたけれど、ある意図や行為に関する人々の興味を理由別に捉えると、360度の広がりを持つ富士山型分布曲線を描くことが出来る。

 例えば「自転車を買いたい」という意図に関して、人がなぜそれに興味を持つかという理由をいくつか考えてみよう。

1. 身体を動かしながら風に当たるのが気持ちよい
2. 普段あまり訪れないところへ行ってみたい
3. お金が掛からず通勤にも便利
4. エコロジカルなところが良い
5. 自転車のメカニズムが好き

などなど。これらの理由別に人々の興味の度合いを統計に取れば、「モチベーションの分布」で見たようにそれぞれ釣鐘型の「正規分布」になる筈だから、その正規分布を立体的に御椀のように並べれば、(頂上付近はもっとなだらかな形になるが)富士山型分布曲線になるというわけだ。

 「リーダーの役割」で考察したように、情報は、興味に関する「正規分布」のうち度合いの強い2割に集中するから、この富士山型分布曲線の裾野の何処に自分がいるかによって、集まってくる情報量が違ってくる。皆さんも経験があると思うが、好きなことに関しては努力しなくても何でも目に入ってくるのに、興味のないことであれば目の前にあってもまったくその存在に気付かない。興味の度合いに応じて、人の情報収集率は増減するわけだ。

 勿論、興味の理由は一つだけではないだろうから、裾野のあちこちに自分がいるわけだが、例えば「自転車を買いたい」という意図について考えてみると、それぞれの「正規分布」上度合いが強い方の2割の人は、興味の横展開として次のようなことが考えられるはずだ。以下の1.から5.は、それぞれ上の1.から5.に対応する。

1. ジョギングやマラソンなどのスポーツ
2. 地域の歴史や地図などへの興味
3. 節約全般
4. ヨットやカヌーなど
5. バイクや車など他のメカニックな乗物

 自転車を買ってしばらく乗り回してからでないと、なぜ自分が興味を持ったのか本当のところは分からないから、自分が裾野の何処にいるかを知るには少し時間がかかるけれど、しばらくしてもやはり「身体を動かしながら風に当たるのが気持ちよい」ということに熱心な人は、類似性のある「ジョギングやマラソンなどのスポーツ」への興味が、自然に横展開するわけだ。

 そこから先は、「立体的読書法」の要領で、次々に自分の興味の対象を広げていくことも出来るし、「繰り返し読書法」の要領で、一つのことをじっくりと掘り下げることも出来る。この「興味の横展開」を自覚することによって、自分の中に眠っている様々な可能性を見出して欲しい。

TwitterやFacebookもやっています。
こちらにもお気軽にコメントなどお寄せください。

posted by 茂木賛 at 08:42 | Permalink | Comment(0) | 非線形科学

自然の時間

2009年03月31日 [ 非線形科学 ]@sanmotegiをフォローする

 前回「都市の時間」について見たところで、集団を構成するもう一方「自然の時間(t = ∞)」についても触れておこう。まずは「集団の時間」から引用する。

(引用開始)

 身体は自然から生まれ自然へと還るものだ。だから自然 (t = ∞)は、「個」における身体(t = life)の時間と対応する。自然においては全てのものが循環する。循環する時間には果てがない。t = ∞というのは、自然の時間は無限大という意味である。厳密に言えば自然にも寿命があるのだろうが、人知の及ばない範囲の問題なのでここでは無限大としておいてよいだろう。

(引用終了)

ここで時間とは、長短様々な個物の寿命を集積した無限大の時間である。次に前回同様「効率と効用」から引用する。

(引用開始)

 「効率」には値段がつけられるが、「効用」には値段がつけられない。新幹線チケットに値段はつくが、親しい友人と楽しむ旅に値段はつかない。

(引用終了)

「効用」は、市場を介して流通させることが出来ず、便利さの度合いを比較することが出来ない。利益率という比率(ratio)で計算することが出来ない。「効用」は利益という余剰を生まず、生産と消費の等価性そのものとして自然と共にある。

 以前「アートビジネス」のなかで、

(引用開始)

 アートとは、自然 (t = ∞)の中から幾つか個別な時間を切り出してきてコラージュ(組み合わせ)し、他人の脳(t = 0)の前へ提示することだ。

(引用終了)

と書いたけれど、「効用」を齎すサービスは、自然 (t = ∞)の中から幾つか個別な時間を切り出してきてコラージュ(組み合わせ)し、人の身体(t = life)を癒すことだといえるだろう。山奥の温泉に浸かってゆったりと身体を伸ばしたとき、人は、幾ら儲かったかでは無く、幾日寿命が延びたかを体感する筈だ。

 その伝で「効率」を求める商品を定義すると、それは、自然 (t = ∞)の中から幾つか個別な時間を切り出してきてそのスピードを加速し、人の生産活動に役立てることだといえるだろう。原始的な手斧から原子力発電まで、あらゆる道具は、自然 (t = ∞)の中から幾つか個別な時間を切り出してきて、そのスピードを加速することによって作られる。

 時間の加速は人々に数多くの生活上の便益を与えた。しかし、度を越した加速は自然環境を悪化させる。これからの安定成長時代は、自然の環境負荷を増大させない「資源循環」が求められるのだ。

TwitterやFacebookもやっています。
こちらにもお気軽にコメントなどお寄せください。

posted by 茂木賛 at 11:03 | Permalink | Comment(0) | 非線形科学

夜間飛行について

運営者茂木賛の写真
スモールビジネス・サポートセンター(通称SBSC)主宰の茂木賛です。世の中には間違った常識がいっぱい転がっています。「夜間飛行」は、私が本当だと思うことを世の常識にとらわれずに書いていきます。共感していただけることなどありましたら、どうぞお気軽にコメントをお寄せください。

Facebookページ:SMR
Twitter:@sanmotegi


アーカイブ

スモールビジネス・サポートセンターのバナー

スモールビジネス・サポートセンター

スモールビジネス・サポートセンター(通称SBSC)は、茂木賛が主宰する、自分の力でスモールビジネスを立ち上げたい人の為の支援サービスです。

茂木賛の小説

僕のH2O

大学生の勉が始めた「まだ名前のついていないこと」って何?

Kindleストア
パブーストア

茂木賛の世界

茂木賛が代表取締役を務めるサンモテギ・リサーチ・インク(通称SMR)が提供する電子書籍コンテンツ・サイト(無償)。
茂木賛が自ら書き下ろす「オリジナル作品集」、古今東西の優れた短編小説を掲載する「短編小説館」、の二つから構成されています。

サンモテギ・リサーチ・インク

Copyright © San Motegi Research Inc. All rights reserved.
Powered by さくらのブログ