夜間飛行

茂木賛からスモールビジネスを目指す人への熱いメッセージ


進化論と進歩史観

2015年03月31日 [ 非線形科学 ]@sanmotegiをフォローする

 私は生物学者ではないが「進化論」には特別な関心を持っている。20世紀の半ばにワトソンとクリックがDNAの二重らせん構造を発見して以降、進化はDNAという“モノ”によって齎されるという還元主義的な考え方が支配的であったが、21世紀の初めにヒトのDNA配列の全てが解析されてなお進化の全てが分らないという事実を前にして、人は進化には“モノ”以外のさまざまな“コト”の関与が欠かせないことに気付き始めた。

 『「進化論」を書き換える』池田清彦著(新潮文庫)という本は、その“コト”を受入れる身体側の仕組みを「形態形成システム」と呼び、進化学の最前線を分りやすく説明してくれる。カバー裏表紙にある紹介文を引用しよう。

(引用開始)

ダーウィン以来の、突然異変や自然選択に基づく進化論は、蛾の翅の色や鳥のくちばしの大小の違いなど、小さな変化しかカバーできず、種を超えた大進化を説明できない―――。伝統的な進化論の盲点と限界を示し、著者が年来の主張とする「形態形成システムの変更」に生物進化の核心をみる画期的論考。信仰と化した学問上の通説に正面から切り込み、科学的認識の大転換を迫る。

(引用終了)

 生物学における「進化」は価値ニュートラルな概念といわれるが、多くの人の意識の底には「進化」=「進歩」という西洋の進歩史観が潜んでいて、進化がDNAという“モノ”によって齎されるという考えは、社会の「進歩」も“モノ”が潤沢に流通することによって起る、という物質主義的な思想を支えてきたと思う。

 このブログでは、21世紀はモノコト・シフトの時代だと述べている。モノコト・シフトとは、「“モノからコトへ”のパラダイム・シフト」の略で、二十世紀の大量生産システムと人の過剰な財欲による「行き過ぎた資本主義」への反省として、また、科学の還元主義的思考による「モノ信仰」の行き詰まりに対する新しい枠組みとして生まれた、(動きの見えないモノよりも)動きのあるコトを大切にする生き方、考え方への関心の高まりを指す。進化が「形態形成システムの変更」によって齎されるという知見は、この新しいパラダイムを支える柱の一つとなるであろう。

 進化論の書き換えによって、「進化」=「進歩」という進歩史観も変るのだろうか。これはなかなか微妙な問題だ。分子生物学の最前線では、むしろDNAを取り巻く環境までをもコントロールして新薬を作り、より良い社会のために役立てようとする動きも盛んだ。

 少し考えれば、コントロール出来たと思った環境はすぐにまた変化するから、そういう努力は新薬と環境変化のいたちごっこにならざるを得ないことは自明だが、進歩史観の下では、これからも巨額をかけてそういう開発が続けられるだろう。

 進歩史観の基にあるもう一つの考えは、過去から未来へ向かって一定速度で進む「統一時間」が宇宙を律していて歴史は滔々とその流れに沿って動くとする時間論で、この考えが効率を是とする資本主義思想を支えてきた。今の社会では、新薬や新食品の開発は時に高額な利益を生み出す。

 進化論とともに時間論が新しく書き換えられてはじめて、科学的認識の大転換は完成するのだと思うがいかがだろう。

 それまで、進歩史観の影響下にある人々の間では、後ろ向きな気持ちで“コト”に浸ろうとする動きと、強大なコンピュータを駆使してでも“コト”を凍結しより効率のよい“モノ”を作ろうとする動きとが、混在する形で進むと思われる。

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自分のなかに自分はいない

2015年02月17日 [ 非線形科学 ]@sanmotegiをフォローする

 生物学者福岡伸一氏の『芸術と科学のあいだ』という新聞連載コラムを毎回楽しく読んでいる。その第44回に「無くしたピースの請求法に感心」と題した記事があった。

(引用開始)

 私の学生時代の知人にジグソーパズルの愛好家がいた。大判のパズルを―それはたぶん数百とか数千ものピースからなっていたと思われるが―飽きもせず長い時間をかけて完成させる。彼の言い分がふるっていた。「あと一個、というところまで作っておいて、最後のピースは彼女に入れさせてあげるんだ」。当時の彼に、彼女が本当にいたとしても、彼女はそのプレゼントをどれほど喜んだことだろう。今となってはよくわからない。
 ところで、こんなジグソーパズルのファンにとって困ったことが起こりうる。一生懸命作り上げたパズル、いよいよ完成という段になって、ピースがひとつ足りない。そもそもピースは小さい。どんな隙間にでも入り込みうる。部屋中を必死に探しまわってもどうしても見つからない…このような悪夢のような事態は実際、しばしば発生することのようだ。
 その証拠に、ジグソーパズルメーカー、やのまん(東京・台東)のホームページにこんなサービスの告知を見つけた。
 「弊社では無料で紛失したピースを提供させて頂いております」
 でも、いったいどのようにして無くしてしまったものを相手に知らせることができるのか。次の一文がふるっている。
 「請求ピースのまわりを囲む8つのピースをはずして、崩れないようラップ等でくるむ」(ラップ等で、というところがまたいい)=写真は同社ホームページの一部
 私はこれを読んで心底感心した。生物学の根幹を統べる原理がここにあますところなく表現されている。生命を構成する要素(ピース)は単独で存在しているのではない。それを取り囲む要素との関係性の中で初めて存在しうる。状況が存在を規定する。自分のなかに自分はいない。自分の外で自分が決まる。相補性である。ラップに包まれた8つのピースの中央におさまった真新しいピースがそっと返送されてきたら…このときこそ彼女は本当に至福を感じるだろう。

(引用終了)
<日経新聞 12/14/2014、写真は省略>

この「生命を構成する要素(ピース)は単独で存在しているのではない。それを取り囲む要素との関係性の中で初めて存在しうる。状況が存在を規定する」という生物学的認識論を、社会と個人の関係にまで敷衍したのが、去年私が執筆した電子書籍『あなたの中にあなたはいない』という小説である。

 勿論、人はパズルのピースとは違い「知覚」を持っている。その意味で、人には自分のなかに(知覚する)自分がいるわけだが、社会と個人との関係において重要なのは、そういう自分ではなく、「至高的存在」としての他者、恋人だったり友達だったり、両親だったり兄弟だったり、恩師だったりする相手=「あなた」を大切に思う気持ちであり、それが自分の存在を規定しているのではないか、というのがこの小説のテーマだ。

 西洋近代が用意した民主政治・自由経済という制度は、「個人」の自立を促した。その過程で、社会の掟や繋がりが古いものとして捨て去られ、機会の平等と弱肉強食が肯定された。複眼主義の、

A 主格中心−所有原理−男性性−英語的発想
B 環境中心−関係原理−女性性−日本語的発想

という対比でみれば、世界全体がAの側に引き寄せられていったということだ。複眼主義的には、Aは都市の原理、Bは自然の原理でもあり、社会としては常に両者のバランスが取れていなければならない。

 西洋近代は、陋習を否定する一方、自然を慈しみ、過去とのつながりも大切にしなければならないとする、カウンター・バランスも用意していた(ウィリアム・モリスのアーツ&クラフツ運動など)。しかし、「二つの透明性と西欧近代文明」の項などで述べたように、20世紀、そのカウンター・バランスの方は、アメリカの大量生産・輸送・消費システムに凌駕され、力を失ってしまった。

 21世紀に至り、Aの側に偏った社会が、実は、地球環境の破壊と結果の不平等という、当初の期待とは真逆の惨状を齎すことが見えてきた。とくに地球環境破壊は人類(だけでなく全ての生物)の存在そのものを脅かす。前回「回転と中心軸のトポロジー」の項でも触れた“モノからコトへ”のパラダイムシフト(略してモノコト・シフト)とは、A偏重社会への反動として生まれた、Bの側への感心の高まりである。

 その意味で、「自分のなかに自分はいない。自分の外で自分が決まる」という原理、「自分は環境によって生かされている」という気付きは、これからますます輝いてくると思われる。私が『あなたの中にあなたはいない』(とそれに先行する『僕のH2O』)という小説で訴えたかったのはこのことだ。

 どんな話しなのか興味のある方は、『茂木賛の世界』から目次を辿ってアクセスしてみて戴きたい。参考までに、小説の<あとがき>を転載しておこう。

(引用開始)

 以前「KURA(くら)」という信州の情報誌を読んでいたら、ガラス造形作家松原幸子さんの「Book of the sky」という作品が目に留まった(2011年7月号)。素敵な装丁本のなかに、白い雲が浮かぶガラスが納められでいる。

 記事によってその年の5月、安曇野のギャラリー・シュタイネで作品が展示されたことを知り、その冬、私はギャラリーを訪れた。幸い幾つか作られた「Book of the sky」のうちのひとつがまだギャラリーに残っていたので、さっそく購入、いま私のhome/officeに飾ってある。この小説のインスピレーションは、その作品と、ギャラリー・シュタイネのご主人との四方山話から生まれた。

 小説のテーマの方は、2007年以来掲載を続けているブログ「夜間飛行」の「“わたし”とはなにか I~III」(2011年7月)や「流域思想 I~II」(2010年5月)などの記事による。

 仕事などで幾度も訪れた松本という街、“わたし”の存在論や、流域の三層構造(奥山・里山・家の奥)、「Book of the sky」というガラス作品、安曇野のギャラリーの佇まいなどが脳裏で融合し、いわば即興的にこの短編が出来上がった。

茂木賛
7/21/2014

(引用終了)

 尚、福岡伸一氏の著書については、これまで「動的平衡とは何か」の項などでも紹介してきた。併せてお読みいただけば嬉しい。

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回転と中心軸のトポロジー

2015年02月10日 [ 非線形科学 ]@sanmotegiをフォローする

 「文庫読書法(2014)」の項で、日本人は抽象的な外来思想を具象的な環境に落とし込み土着信仰に習合させてきたと書き、前回「郷愁的美学」の項で、日本の男性性思考(螺旋運動)は場所に牽引されて抽象的な高みに飛翔し続けないと書いた。これは複眼主義の、

A 主格中心−所有原理−男性性−英語的発想
B 環境中心−関係原理−女性性−日本語的発想

という対比において、日本の男性性が日本語的発想に引き寄せられ、Bの側に偏っていることを指し示している。

 場所中心の日本人は何にでも入りたがる。風呂に入り、学校に入り、会社に入る。主格中心の西洋人は風呂をtakeし、学校でlearnし、会社でworkする。日本語では、地図上の自分の位置は「現在地」という矢印で示すが、英語では「you are here」という矢印で示す。これらの事例は以前「いつのまにかそうなっている」「現在地にあなたはいない」などの項で取り上げた。

 日本文化のバランスがBの側に偏っていることは、人々がその場の空気に流されやすく、個人の自立を前提とする近代民主政治制度下において財欲と名声欲(greed)に騙されやすかったり、官僚(buraucracy)の跋扈を許したり、弁証法が得意とする発見・発明にあまり成果がない等の欠点を齎す一方、男性性思考が場所に留まることで、日本各地でさまざまな場所・環境に応じた文化が育ち、それが内への求心性を保ったまま長く(江戸時代300年も)維持されるという良さも齎したといえるだろう。勿論、西洋でも場所・環境に応じて多様な文化が生まれたが、それぞれの場所における内への求心性よりも外への遠心性が勝ったことで、一神教と相俟って帝国が出現し、やがて植民地主義が始まったと思われる。

 これをトポロジカル(位相的)に見ると、西洋の螺旋運動が、おとぎ話の「ジャックと豆の木」に出てくる豆の木のように、どんどん高みに飛翔し続けやがて雲を劈いて天の高みに達するのに対して、日本の螺旋運動は、「鳴門の渦潮」のように、同時多発的に複数の場所で起るといえる。螺旋の周期性は離散的(デジタル的)、迷宮の内部は連続的(アナログ的)だ。これは「デジタル回路とアナログ回路」の項で述べた対比とも整合する。

A 男性性−デジタル回路思考主体−螺旋的な遠心性
B 女性性−アナログ回路思考主体−迷宮的な求心性

 「D/A変換とA/D変換」の観点から西洋と日本の男性性思考の違い見れば、西洋はプラトンとアリストテレス以来、弁証法を通して豆の木を登るようにまっすぐ上昇しながら迷宮を巨大化してきたのに対し、日本は、反転法を通して木々に絡まる蔦が横へ横へと広がり、そこ此処に迷宮の花を咲かせてきたといえる。明治以降、西洋の猿真似で豆の木もどきを天に伸ばそうとしたが、その贋物の木は途中で見事に折れてしまったことは記憶に新しい。

 21世紀に入って、豆の木と巨大な迷宮はグローバリズムに形を変えて地球を覆おうとしている。しかし一方で、「“モノからコトへ”のパラダイム・シフト」(略してモノコト・シフト)が始まり、西洋においても、豆の木から下りる人々が増えてきた。モノコト・シフトとは、20世紀の大量生産システムと人の過剰な財欲による「行き過ぎた資本主義」への反省として、また、科学の還元主義的思考による「モノ信仰」の行き詰まりに対する新しい枠組みとして生まれた、(動きの見えないモノよりも)動きのあるコトを大切にする生き方、考え方への関心の高まりを指す。

 世界各地で、地域社会を見直しスロー・フード、スロー・ライフを提唱する人々が増えてきた。だからこそ、そこ此処に迷宮の花を咲かせてきた日本の出番の筈なのだが、戦後もアメリカから借りた高度成長という豆の木の枝を登り続けてきた日本は、各地に小銀座や小京都などという「迷宮もどき」を作ってきたのだった。これからは、地域文化を見直して本当の迷宮を探そうではないか。

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D/A変換とA/D変換

2014年10月14日 [ 非線形科学 ]@sanmotegiをフォローする

 デジタルとアナログの話を続けたい。以前「脳は自然を模倣する」の項で、

(引用開始)

 人の脳は、目や耳から入ったデジタルな情報を、「意味」というアナログ情報に変換するが、これは、原子や分子を集めて「形態」を生成する自然界の模倣ではなかろうか。構造としてのデジタルと、機能としてのアナログ。

 世界の本質はデジタルだが、自然界は、ゆらぎによって形態を生み出し、多様な階層性を作り出してきた。弁証法は、自然界の「階層性」の模倣だった(生物の階層性については以前「階層性の生物学」の項で触れたことがある)。それと先程の「合目的性」。人の脳は、このように、自然の様々な力を模倣しながら、都市や文明を作り出してきたようだ。

(引用終了)

と書き、

「形態形成」=D/A変換
「階層性」=弁証法
「合目的性」=予測とコントロール

というアナロジーを記したが、この話と、先回の「デジタル回路とアナログ回路」の対比、

A、a系:デジタル回路思考主体
B、b系:アナログ回路思考主体

とは、どのように繋がるのだろうか。尚、D/A変換とは、デジタル情報からアナログ情報への変換のことを指す。

 まず、外部からの音や光といったデジタル情報は、人の脳に持続的に入力されることで、(自然が形態を生成するように)「一塊(かたまり)の意味のあるアナログ情報」にD/A変換される。これは、デジタル回路やアナログ回路以前、脳への信号入力段階の話だ。

 「一塊の意味のある情報」とは、たとえば、風のそよぎ、川のせせらぎ、星のひかり、といった形象を思い描けばよい。人は、そのアナログ変換された一塊に、心地よさ、切なさ、雄大さといった「文脈的な意味」を見出す。それが、先回の項でみた直感(脳のアナログ回路)の働きであり、それは世界をコトとして見ているわけだ。

 一方、風のそよぎ、川のせせらぎ、星のひかり、といった形象を、言葉や数字などのデジタル情報にA/D変換し計算するのが、脳のデジタル回路だ。風速何メートル、水の流体速度や揚力、光の速度と明るさの測定などなど。それは、世界をモノとして分析しているのである。

 その上で人は、「階層性」=弁証法に則って、このD/A変換とA/D変換のループを脳のなかで何度も回す。デジタル回路とアナログ回路の交互使用。男性性と女性性の相互作用。3の構造(頂点性・安定性・発展性)による螺旋状展開。そういう作業の果て、やがて人は、世界に新たな「意味」を見出す(発明・発見する)。この新たな意味の発明・発見は、おそらく、自然の「合目的性」と合致した法則下にあるものと思う。

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デジタル回路とアナログ回路

2014年10月07日 [ 非線形科学 ]@sanmotegiをフォローする

 『「無邪気な脳」で仕事をする』黒川伊保子・古森剛共著(ファーストプレス)という本を読んでいたら、「男性性と女性性」に関して、黒川さんの次のような指摘があった。

(引用開始)

黒川 そうなのです。脳のなかにはニューロン(生体細胞のなかで情報処理用に特別な分化を遂げた細胞)の連携をつかさどる軸索の長さによって、脳全体を使った直感に根ざした回路と、論理とか、空間認識をするような非常にメカニックな回路の二つが入っている。そして、誰でもその二つを使えます。前者が長い軸索の回路で、後者が短い軸索の回路です。便宜的にいえば、前者はアナログ回路で、後者はデジタル回路ということができます。
 ところで、女性と男性では脳梁の太さの違いによって、これらの回路を使う割合が異なります。女性のほうが全体回路、つまりアナログ回路のほうを頻繁に使うし、男性の場合は、どちらかといえば、短い軸索のデジタル回路をもっぱら使用して、直感に根ざした全体回路はときどき使うという特徴というか、違いがあります。

(引用終了)
<同書 44ページ>

脳には、その一部を使う論理的思考(デジタル回路)と、全体を使う直感的思考(アナログ回路)とがあり、男性性は主にデジタル回路思考、女性性は主にアナログ回路思考に表れるという指摘だ。

 複眼主義では、これまで、

A Resource Planning−英語的発想−主格中心
a 脳の働き(大脳新皮質主体の思考)−「公(Public)」
A 男性性=「空間重視」「所有原理」

B Process Technology−日本語的発想−環境中心
b 身体の働き(大脳旧皮質及び脳幹主体の思考)−「私(Private)」
B 女性性=「時間重視」「関係原理」

という対比を論じてきたが、A、a系における大脳新皮質主体の思考は、その右脳の空間認識力や左脳の論理力を局所的に突き詰めて使うという意味でデジタル回路的であり、B、b系における大脳旧皮質及び脳幹主体の思考は、脳全体を感覚的に使うという意味でアナログ回路的であるから、

A、a系:デジタル回路思考主体
B、b系:アナログ回路思考主体

という特徴をここに追加措定しても良いかもしれない。改めて言うまでもないが、複眼主義における二項対比は、「どちらかというと」ということで、冗長性を前提としつつそれぞれの特徴を強調表示している。各項目に「主体」「的」「中心」「性」といった言葉が添えてあるのはそういう意味だ。この場合、A、a系がまったく身体の働きを必要としないという意味ではなく、またB、b系がまったく大脳新皮質を使わないという意味でもない。あくまでも「特徴的には」という意味で(これらの二項対比を)理解していただきたい。

 さて、人の脳に入ってくる外部からの情報は持続的だから、女性性の脳がアナログ回路的思考を主体とするということは、その情報をそのまま直感的に(増幅・減衰)処理するということであり、それは、入力と出力とが常に1対1対応する線形的なモノ的世界よりも、1対1対応しない非線形的なコト的世界を把握するのにより力を発揮すると思われる。

 そして、男性性の脳がデジタル回路的思考を主体とするということは、外部からの持続的情報を一旦止めてA/D変換し細分化するわけだから、世界を線形的なモノの集積として分析するのにより力を発揮するに違いない。

 このことは、「二つの透明性と複眼主義」や「同期現象」の項で措定した、

A、a系:世界をモノ(凍結した時空)の空間的集積体としてみる(線形科学)
B、b系:世界をコト(動いている時空)の入れ子構造としてみる(非線形科学)

という対比と整合してくる。

 そもそも、デジタルとアナログ、線形と非線形の特徴は、

デジタル=離散的
アナログ=連続的

線形=入力と出力がリニアに対応する(「1+1=2」)
非線形=入出力がリニアに対応しない(「1+1=1」もしくは「1+1=多数」)

ということで、ふたつは別次元の話だが、人の脳が世界をどう見るかという点において、

A、a系:デジタル回路思考主体
A、a系:世界をモノ(凍結した時空)の空間的集積体としてみる(線形科学)

B、b系:アナログ回路思考主体
B、b系:世界をコト(動いている時空)の入れ子構造としてみる(非線形科学)

といった連動性が見えてくるわけだ。複眼主義の「特質を様々な角度から関連付け、発展させていくこと」という考え方の面白い一例だと思う。

 ただし、複眼主義で度々論じているように、片方を突き詰めるだけでは総合的なバランスを逸してしまう。コト(動いている時空)の解明に、デジタル回路思考も必要なことは指摘するまでもない。もともと、ゆらぎや同期といった非線形的な現象は、自然のバイナリー・システムから生まれてくるのだから。

 これからも、デジタル回路とアナログ回路、脳の両方を十全に使って、モノコト・シフト時代の様々な形象(形態と現象)を考えたい。

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同期現象

2014年09月16日 [ 非線形科学 ]@sanmotegiをフォローする

 2008年に「相転移と同期現象」の項で、『非線形科学』蔵本由紀著(集英社新書)を紹介したが、最近、同じ著者による『非線形科学 同期する世界』(集英社新書)という本が出版された。これは前著にもあった「同期現象」について、様々な例をとってさらに詳しく説明したものだ。

 同期現象とは、リズムとリズムが出会い、互いに相手を認識したかのように歩調を合わせてリズムを刻みはじめることで、シンクロ現象ともいう。蔵本氏はこの本の中で、ホイヘンスの二つの振り子、リズムを揃えるメトロノーム、同相同期と逆相同期、ミレニアム・ブリッジの騒動、ホタルの見事な光のコーラス、振動子ネットワークとしての電力供給網、生理現象としての同期、自律分散システムと同期などなど、様々な分野における「同期現象」を紹介し、物理や化学、生物学などの研究領域が同じ土俵に乗る「非線形科学」の重要性を説く。

 非線形科学とは、「全体が部分の総和としては理解できない」いわゆる非線形現象を追う研究であり、「全体が部分の総和として理解できる」線形現象を扱うために磨きをかけられてきた数々の手法では、容易に歯が立たない(同書8−10ページ)。

 このブログでは、21世紀は「モノ(凍結した時空)の空間的集積」よりも「コト(動いている時空)の入れ子構造」を大切に考える、いわゆる「モノコト・シフト」の時代だと述べているが、「モノ」の集積は線形的であり、「コト」の相互作用は非線形的な現象だ。「相転移と同期現象」の項の最後に、

(引用開始)

 非線形科学とは、「生きた自然に格別の関心を寄せる数理的な科学」(『非線形科学』18ページ)といわれる。「1+1=2」というのが線形的な、比例法則の基本的考え方だとすれば、「1+1=1」、もしくは「1+1=多数」というのが非線形的な考え方である。ビジネスも人という「生きた自然」を相手にしているのだから、このような「数理的な科学」が必要なのだ。今後も、非線形科学のビジネスへの応用についていろいろと考えていこう。

(引用終了)

と記したのは、今から思えば「モノコト・シフト」の予見だったわけだ。「モノコト・シフト」の時代には「非線形科学」の重要性が増す。

 世界を「モノの空間的集積」としてみるか、「コトの入れ子構造」としてみるか。物理・生物・化学それぞれの科学分野で、いま前者から後者へ大きなシフトが起っている。『非線形科学 同期する世界』の「おわりに」から引用しよう。

(引用開始)

 分析に分析を重ね、世界を成り立たせている基本要素や基本要因を探り当て、ひるがえってそこから世界を再構成しようとするのが科学的精神の基本だと、私たちはいつの頃から思いこまされるようになったのでしょうか。もちろん、この科学的精神のおそるべき力を私たち身にしみて知っています。諸科学もこの基本戦略にしたがって自然のしくみを暴き、コントロールしようとしてきました。確かに、それは大成功でした。しかし、ここに来て、人々は疑いと不安を感じはじめているように見えます。ほんとうに「分解し、総合する」という基本戦略によってこの複雑な現象世界を理解し、末永くそれと共存することが可能なのかと。それのみではとらえがたい、自然の重要な反面があるのではないでしょうか。この基本戦略にとって不得意な数々の問題に単に目をつぶり、輝かしい成果だけを誇ってきたというのが事実ではないでしょうか。しかも、成果だけでなく災厄もともなって。
「分解し、統合する」一辺倒ではない科学のありかたが可能なことは、もっと広く知られてよいと思います。それは分解することによって見失われる貴重なものをいつくしむような科学です。ひとたび分解してしまえば、総合によって貴重なものを回復することはまず不可能なことだと心得るべきです。むしろ、複雑世界を複雑世界としてそのまま認めた上で、そこに潜む構造の数々を発見し、それらをていねいに調べていくことで、世界はどんなに豊かに見えてくることでしょうか。それによって活気づけられた知は、どれほど大きな価値を社会にもたらすことでしょう。今世紀の科学への最大の希望を、著者はこの方向に託しています。

(引用終了)
<同書 238−240ページ>

 ところで、この本のカバー帯に“驚異の現象「同期(シンクロ)」の謎を解く”とあるが、蔵本氏はあまり結論を急がない。様々な同期現象を並列的に語ってゆく。前項「助詞の研究 III」の最後に、「環境を中心にして物事を考えるとそこから見える現象に捉えられて事柄の本質を見失ってしまう、とはいえあまり性急に結論を出すのも考えものではある」と書いたけれど、この匙加減はなかなか難しい。複眼主義でいう、

A Resource Planning−英語的発想−主格中心
B Process Technology−日本語的発想−環境中心

のバランスだ。非線形科学のような複雑系の研究には、結論を急がない日本語の「環境中心性」の特色がうまく生かされる(こういった分野は日本人に向いている)ように感じる。先日「二つの透明性と複眼主義」の項で、

(引用開始)

モノとコトを複眼主義的に再定義してみると、

A、a系: 世界をモノ(凍結した時空)の空間的集積体としてみる
B、b系: 世界をコト(動いている時空)の入れ子構造としてみる

という大きな絵柄を描くことができそうだ。

(引用終了)

と書いたことと話が繋がってくる。

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モノと物質主義

2014年05月13日 [ 非線形科学 ]@sanmotegiをフォローする

 『養老孟司の大言論 III 大切なことは言葉にならない』養老孟司著(新潮文庫)は、養老孟司の大言論シリーズ最終巻だ。ここでは、言語や宗教の問題を、主観・客観・現実感といった言葉や、物質主義、生物多様性や採算性、インドやチベット、台湾への旅行などを通して考える内容となっている。

 この本では、「科学と宗教と文明」の章にある「モノ」と「物質主義」の話が興味深い。その部分を引用しよう。

(引用開始)

 モノの定義はすでにしたことがある。一つの対象が五感のすべてで捉えられるとき、それをモノと呼ぶ。その意味では、音も光も、夕焼けも空もモノではない。では「物質主義」というときの物質とはなにか。
 物質とは、よく考えられた翻訳語である。勿論それは右に定義したモノではない。それに「質」が加わっている。物質主義の言語はmaterialismで、マテリアルは素材、材質といった意味である。感覚中心に世界を見れば、机は人工物である。しかし素材は木材で、木材は自然物である。欧米文化では、その素材に注目するから、感覚と概念の間で世界を切断する考え方は、ふつうはとらないのだと思う。つまり「机は人工物だろ」というところで話が切れない。素材に注目する限り、「机は自然物だろ」となってしまう。イスラム世界でもこれは同じである。私のところにいたイランからの留学生は、机を指して「材料は自然物です」とはっきりいった。
 材質に注目するなら、都市という「人工」世界もまた、自然と同じ「材質」で作られている。そういう世界の住人が、日本文化のように、「自然そのままを大切のする」という感覚をあまり持たなくても当然であろう。いくら自然をいじったところで、物質は不滅で、かつエネルギーは保存されるからである。むしろ「まったく手をつけるな」というのが、欧米式の自然保護である。でも「まったく手をつけない」なら、人間との関係が生じないじゃないか、とは思わないらしい。
 モノを見たとき、直接の感覚を重視するか、材質に注目するかの違いは、あちこちに表現されている。料理がそうで、和風なら「生き造り」が典型で、魚や海老そのままが出てくる。これは欧米流では、料理と見なされないであろう。素材を上手に変形することが、料理なのである。逆にその変形が論理的に見やすいものであれば、たとえ自然の造形であっても「人工的」である。だから六角形で占められた蜂(はち)の巣は、まさにartificialと表現される。

(引用終了)
<同書 64−66ページ>

日本文化は「モノ」を感覚で捉え、西欧の「物質主義」は、「モノ」を感覚ではなく、理性で(質量として)捉えるという。

 このことを複眼主義の対比、

A Resource Planning−英語的発想−主格中心
a 脳(大脳新皮質)の働き−「公(Public)」

B Process Technology−日本語的発想−環境中心
b 身体(大脳旧皮質及び脳幹)の働き−「私(Private)」

で考えると、前者はB、b系の捉え方で、後者はA、a系の捉え方ということになろう。

 「モノ」を質量として捉えると、物質は不滅でエネルギーは保存されるから、いくら自然を破壊しても前と「同じ」だと錯覚してしまう。21世紀に入って自然保護が叫ばれ始めたが、この線だけでいくと、今度は「まったく手をつけるな」という話になってしまう。日本文化は「モノ」を感覚で捉える。だから自然を慈しむ(と同時に畏怖する)。そして、自然に少しずつ手を入れて(里山として)それと共生しようとしてきたわけだ。

 だからといって日本人がいいとばかりも言えない。以前「迷惑とお互いさま」の項で指摘したように、日本人は、自然だけではなく、多くの人工物に対してもそれと共生しようとする。東京タワー、スカイツリーしかり。学校や会社組織、政治体制しかり。それが行き過ぎると、腐った組織や政治体制とも日本人は心中しかねない。複眼主義でいつも言うように、何事もバランスが肝心なのである。

 これで、新潮文庫の養老孟司の大言論シリーズはIからIII巻まで出揃ったわけだが、第I巻については「足に靴を合わせる」、第II巻については「差異と同一性」の両項で紹介した。併せてお読みいただけると嬉しい。

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動的平衡とは何か

2014年04月29日 [ 非線形科学 ]@sanmotegiをフォローする

 『動的平衡 ダイヤローグ』福岡伸一著(木楽舎)を読む。副題に「世界観のパラダイムシフト」とあるが、この本は、『動的平衡』(木楽舎)及び「動的平衡 2」(木楽舎)の著者福岡氏による、新しい世界観についての対談集だ。

 動的平衡とは何か。本書のプロローグの一部を引用したい。

(引用開始)

 私は、とがった鉛筆で紙の上にくるりと丸い楕円を書いてみせた。そして、若い学生たちに向かってこんなふうに問いかけてみた。

 ――ここに細胞があるとしよう。生きた細胞が一粒。では、いったいこの細胞のどこに生命が宿っているか、指し示すことができるかい。

 百人の学生がいたとすれば、その百人ともが、そんなことは明らかです、ここです、と楕円の真ん中をさすことだろう。

 でもそれは違う。細胞の生命は、細胞のなかにあるんじゃない、そこにあるのは細胞が囲い込んだ単なる液体だ。そして細胞の外にあるのも、細胞が追い出した液体にすぎない。では細胞の生命はどこにあるといえるのか。それは、まさにここにある。

 私は鉛筆の先を、さきほど一筆で書いた細い線の上にそっとおく。

 生命の本質はその動きにある。生命は細胞の内にあるのではない、むろん生命は細胞の外にあるわけでもない。生命は、内と外のあいだ、つまり境界線上にある。

 でも境界線――つまり細胞のうちと外を仕切る境界線――そのものが生命だというわけでもない。生命は境界線上の動きにある。外側から物質とエネルギーと情報を選り分けながら取り込み、内側から溜まったイオンと老廃物とエントロピーを汲み出す、そのたえまのない動きのなかに、生命の本質がある。

 細胞膜という存在そのものではなく、細胞膜という状態を考えること。構成要素ではなく、要素のありようによって何かを語ろうとすること。『動的平衡』(二〇〇九年)、『動的平衡2』(二〇一一年)を通じて、私が語りたいと思ったものも、そういう「場」のことだった。

 動的平衡という場においては、合成と分解、酸化と還元、エネルギー生産とエネルギー消費、コーディングとデコーディング、秩序の構築と無秩序の生成、そういった相反することが同時に行なわれる。そこには明確な因果律がない。原因は結果となるが、結果もまた原因となる。そして同じ原因は同じ結果を二度と生み出すことはない。動的平衡という場においては、すべてが一回性の現象として生起する。その上で、そこには一定の平衡、一方向の反応とその逆反応とのあいだの速度にバランスが生み出される。そのような動的なものとして生命を再定義したい。それが動的平衡である。

(引用終了)
<同書 1−3ページ>

対談の相手は、各分野で活躍する作家や画家、建築家など8人。カズオ・イシグロ、平野啓一郎、佐藤勝彦、玄侑宗久、ジャレド・ダイアモンド、隈研吾、鶴岡真弓、千住博といった面々。

 福岡氏の「動的平衡」という生命の本質を示す言葉は、要素還元論や機械論に対するアンチテーゼとして、モノコト・シフト時代(モノよりもコトを大切に考える新しいパラダイム)の世界観を代表するものだと思う。これからも、この生物学者の仕事から目が話せない。

 尚、福岡のほかの著書について、以前「マップラバーとは」「イームズのトリック」「贅沢な週末」の項などで紹介したことがある。また、本書の千住博氏との対談の内容は、先日「21世紀の絵画表現」の項で一部を引用した。併せてお読みいただければ嬉しい。

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差異と同一性

2014年04月08日 [ 非線形科学 ]@sanmotegiをフォローする

 『養老孟司の大言論 II 嫌いなことから、人は学ぶ』養老孟司著(新潮文庫)を読む。先日「足に靴を合わせる」の項で、『養老孟司の大言論 I 希望とは自分が変わること』の内容を一部紹介したが、このII巻目では、感覚世界(差異)と内部世界(同一性)を巡って、金や言葉、モノに関する考察が進められる。

 ここで興味深かったのは、ヒトが考え出した「同一性」という内部世界は、コラムという小さな機能単位が繰り返される大脳新皮質の特徴に基礎づけられているのではないか、という仮説である。どいうことか、その部分を引用しよう。

(引用開始)

ヒトが動物として特異な社会を作るのは、脳が大きくなったからである。なかでも大脳新皮質が拡大した。その新皮質は、コラムという小さな機能単位を繰り返す。おそらくそのことが「同じ」というはたらきを生み出したと思われる。感覚でいうなら、コラムはどこから入力を受けるかが違うだけで、コラム自体の機能がそれぞれ異なるわけではない。それが「同じ」というはたらきをおそらく基礎づけている。

(引用終了)
<同書 137ページより>

 ヒトの意識には二面ある。一つは、外界に開かれている面で、主に感覚世界を司る。もう一つは、内部に閉じられた面で、主に精神世界(内部世界)を統率する。養老氏によると、前者は「違う」という世界であり、後者は「同じ」という世界だという。動物一般が持つ感覚世界は、外界にあるものを個物として把握するからすべてが違って捉えられるのに対して、ヒトだけが持つ(と思われる)内部世界は、違ってみえるそれらのものに共通性(同一性)を見出すことに始まるからだ。

A Resource Planning−英語的発想−主格中心
a 脳(大脳新皮質)の働き−「公(Public)」

B Process Technology−日本語的発想−環境中心
b 身体(大脳旧皮質及び脳幹)の働き−「私(Private)」

という複眼主義の対比でいえば、感覚世界はB、b系であり、内部世界はA、a系といえるだろう。

 以前「脳は自然を模倣する」の項で、ヒトが観察から「意味」を紡ぎだすのは、自然界が離散的なエレメントから「形」を生成する様の模倣ではないかと書いたけれど、大脳新皮質のコラム形態と、「同じ」というヒトの意識形態の類似性は、脳のはたらきが自然を模倣するという点で似たような現象に思える。

 何かと何かを「同じ」と考えるヒトの意識は、「同じ」から外れる「差異」を分類する(できる)ようになり、やがて、それを俯瞰した「階層性」の認識へと辿り着く。「差異」とは「違う」ということだから、ヒトは「何かが違うぞ…」と呟きながら、一度動物的直感に立ち帰るわけだ。そしてまた「同じ」に戻って、今度はさらに「階層性」を認識する。階層性を自然の観察で考えれば、大脳新皮質におけるコラムの6層構造を思い起こすのも良いかもしれない。そして、「階層性」の認識から「弁証法」の発明までは指呼の間だ。

 自然の観察から、「同じ」と考える意識や合目的性の起源、階層性(弁証法)の由来、デジタル・アナログ変換と「意味」の生成、などについて考えるメタレベルでの人間科学は、モノの研究からコトの研究へ、と移り変わるべき21世紀のscienceにおける重要な分野だと思う。

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脳は自然を模倣する

2014年01月14日 [ 非線形科学 ]@sanmotegiをフォローする

 先日「勝負の弁証法 II」の項で、人(の脳)が考え出した弁証法というロジックは、自然界の出来事や生物進化の様子を模倣したものに違いないと書いたけれど、他にもいくつか、人の脳が真似たと思われる自然の特徴を挙げてみたい。

 例えば脳の合目的性。養老孟司氏はその著書『脳と自然と日本』(白日社)のなかで、人の脳が持つ合目的性(予測とコントロール)は、生物が進化の過程で積み重ねてきた合目的的な遺伝子情報システム(本能)の模倣ではないかと論じておられる。

 例えばデジタル情報のアナログ変換。『面白くて眠れなくなる素粒子』竹内薫著(PHP研究所)に、

(引用開始)

 実際、私たちはテレビを見ていても、ピクセルごとに分解してみているわけではありません。
 ピクセルごとに分解するのがデジタルの本質ですが、私たちはなめらかな映像があると認識する。人間はアナログ的にとらえるのです。
 おそらく人間の脳は、アナログ処理をするようにできているのでしょう。しかし、世界の本質はデジタルなのです。

(引用終了)
<同書 88ページ>

とある。人の脳は、目や耳から入ったデジタルな情報を、「意味」というアナログ情報に変換するが、これは、原子や分子を集めて「形態」を生成する自然界の模倣ではなかろうか。構造としてのデジタルと、機能としてのアナログ。

 世界の本質はデジタルだが、自然界は、ゆらぎによって形態を生み出し、多様な階層性を作り出してきた。弁証法は、自然界の「階層性」の模倣だった(生物の階層性については以前「階層性の生物学」の項で触れたことがある)。「形態形成」と「階層性」、それとさきほどの「合目的性」。人の脳は、このように、自然の様々な力を模倣しながら、都市や文明を作り出してきたようだ。

「階層性」=弁証法
「形態形成」=D/A変換
「合目的性」=予測とコントロール

 21世紀のモノコト・シフトは、20世紀の大量生産・輸送・消費システムと、人のgreed(過剰な財欲と名声欲)が生んだ“行き過ぎた資本主義”に対する反省として、また、科学の「還元主義的思考」によって生まれた“モノ信仰”の行き詰まりに抗して表出した新しい枠組み(コトを大切にする生き方・考え方)だが、それが、これからどのような社会の「形態形成」として結実するのか、人々がそこにどのような意味を見出そうとするのか、今から楽しみだ。

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短鎖脂肪酸

2013年11月26日 [ 非線形科学 ]@sanmotegiをフォローする

 前回「食品添加物」の項で参照した“「酵素」がつくる腸免疫力” 鶴見隆史著(大和書房)には、「短鎖脂肪酸」の話も出てくる。短鎖脂肪酸とは、飽和脂肪酸の一種で、炭素数6以下のものを指す。炭素の鎖の連結が短いために分解されやすいという。この短鎖脂肪酸、研究が始まったのは1940年頃のことだが、その働きが突き止められたのは、なんと今から十数年前(2000年ごろ)のことらしい。時と共に知見がどんどん新しくなるという典型的な例だが、我々の健康に大いに関係があるようなので紹介しておきたい。短鎖脂肪酸のことは、以前「酵素の働きと寿命との関係」の項で紹介した同じ鶴見氏の“「酵素」の謎”(祥伝社新書)にも出てくる。だが今回は“「酵素」がつくる腸免疫力”から引用しよう。

(引用開始)

 短鎖脂肪酸とは、酢酸、プロピオン酸、酪酸といった炭素数6以下の有機酸で、飽和脂肪酸です。これらは、水溶性の食物繊維やデンプンなどの糖質の発酵で生じる物質ですが、この短鎖脂肪酸をつくるときに働くのが、腸内細菌の善玉菌です。これらの有機酸が人間の免疫力を上昇させたり、健康を維持・向上させるうえで、大変重要な役割を果たしていることがわかってきているのです。
 発酵で生じた短鎖脂肪酸は、その95パーセントが大腸粘膜から吸収され、すべての消化管と全身の臓器の粘膜上皮細胞の形成と増殖を担っているのです。これがないと大腸壁の維持ができず、不足すると粘膜に隙間ができ、細菌が体に進入しやすくなります。
 短鎖脂肪酸は粘液を分泌させる働きもしているので、不足すると胃液や腸液、膵液、胆汁も十分な分泌ができないことになります。胃などは、胃粘液がないと胃壁から出る強い塩酸(胃酸)ですぐに穴が開いてしまいます。唾や涙や鼻水などの体液も、この短鎖脂肪酸がつくっているのです。
 その働きは、それにとどまらず細胞内のミトコンドリアにはたらき、エネルギーの活性化を促しています。腸のPH(ペーハー)も下げ(弱酸性にする)、殺菌力も高めてもいます。さらに、短鎖脂肪酸の中の酪酸は、がんのアポトーシス(→101ページ)にも関わっているので抗がん効果もあるのです。

(引用終了)
<同書 119−120ページ。フリガナ省略>

いかがだろう、世の中には別の考え方もあるから全てを鵜呑みにする必用はないだろうが、牛や馬などの草食動物が食物繊維だけで強い筋肉を作ることなども考え併せると、その発酵によって生じる短鎖脂肪酸が身体に良い働きを齎していることは確かのように思える。

 ここで、よい機会だから、食物繊維そのものの役割全般についても纏めておこう。これは“「酵素」の謎”から抜書き(箇条書き)する(162ページ)。

1. 便の構成要素となり、便量を増やす
2. 腸の蠕動運動を活発にして、内容物を速やかに移動させる
3. 発がん物質、有害菌、有害物質を吸着して、便として排泄する
4. 消化管の働きを活発にする
5. 糖の吸収速度を遅くして、食後の血糖値の上昇を防ぐ
6. 胆汁酸を吸着して、便として排泄する
7. コレステロールの余分な吸収を防ぐ
8. ナトリウムの過剰摂取を防ぐ
9. 善玉菌のエサになり、腸内環境を改善する
10.膵液や胆汁の分泌量が増え、酵素の量を多くする
11.不溶性食物繊維キチン・キトサンは、脂肪の過剰摂取を抑制する
12.短鎖脂肪酸のエサになる

という具合。短鎖脂肪酸など、腸内細菌と食物繊維とコラボレーションの詳細は、さらにこれら本をお読みいただきたい。さて、とりあえず体内の短鎖脂肪酸を増やすにはどうしたらよいか。ふたたび“「酵素」がつくる腸免疫力”に戻って引用する。

(引用開始)

 短鎖脂肪酸を増やす食品を紹介しておきます。いちばんはわかめ昆布などの海藻類、りんご、バナナなどのよく熟した果物に含まれている水溶性の食物繊維です。穀類、大豆、きのこ類にある不溶性の食物繊維のほか、黒酢、酢、梅干し、ピクルス、酢の物、らっきょう、漬物、キムチなどの発酵食品もそうです、これらの食品は、血液をサラサラにする効果もあります。

(引用終了)
<同書 122ページ>

ということで、味噌、醤油、納豆、酢、漬物など発酵食品の多い日本の伝統食が身体に良いといわれる理由がよく分かる。尚、発酵食品については、“100歳まで病気知らずでいたければ「発酵食」を食べなさい”白澤卓二著(河出書房新社)という本もある。これらの本を参考にして、日々の健康に留意していただきたい。

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食品添加物

2013年11月19日 [ 非線形科学 ]@sanmotegiをフォローする

 前回「遺伝子の水平伝播」の項の最後で触れた“「酵素」がつくる腸免疫力” 鶴見隆史著(大和書房)には、健康にとって要注意な「食品添加物」が幾つか挙げられている。その部分を引用してみよう。

(引用開始)

 がん、糖尿病の二大国民病を筆頭に、現在の日本の病気の惨状はびどいものです。その根本原因に、食を取り巻く環境の変化があります。本来の、自然では考えられないほど食が大量生産されているのです。その大量生産を支えるのが加工、保存のために使われる食品添加物であったり、野菜、果物に使う農薬だったりします。これらはまた、体内酵素を大量に消費させるものでもあります。
 食品添加物とは、加工食品を作るときに製造や保存に用いられる甘味料、調味料、着色料、保存料、酸化防止剤、漂白剤などのことですが、安い材料を改良・補強して色彩、香り、味を調えるために使われています。
 現在日本で認められている添加物は、800余種もあります。なかには腐敗防止のために、これらを加えないと食中毒の危険性のあるものもありますが、指定されているものの中には発がん性などのリスクが心配されているものも多々あります。(中略)
 添加物の安全性は、動物実験で確認されているとはいいますが、この過剰使用が私たちの健康を蝕んでいくというのは疑いようもないことです。現在の日本は、添加物の入っていない食品のほうが珍しいくらいで、食卓には食品がのっているというより、添加物がのっているといったほうがいいくらいです。
 要注意の添加物をあげておきましょう。防カビ剤のオルトフェニルフェノールやジフェノール、発色剤の亜硝酸ナトリウムと硝酸ナトリウム、漂白剤の亜硫酸ナトリウムと次亜硫酸ナトリウム、保存剤のソルビン酸と安息香酸ナトリウム、着色料のタール色素、酸化防止剤のエリソルビン酸ナトリウム、かんすいのポリリン酸ナトリウム、調味料の5’グアニル酸2ナトリウム、イーストフードの臭素酸カリウムなどがそれです。商品のラベル表示を見て、それらが含まれている食品には手を出さないのが賢明です。

(引用終了)
<同書 146-148ページ。フリガナ省略>

どれも舌を噛みそうな名前でなかなか覚えられないが、リストを手近かに置いておいて、買う(買った)商品ラベルと照らし合わせるのが良いだろう。“体を壊す10大食品添加物”渡辺雄二著(幻冬舎新書)には、次の10添加物が挙げられている。

(1) 発色剤・亜硝酸Na
(2) カラメル色素
(3) 合成甘味料3品目
    アステルパム
    スクラロース
    アセスルファムK
(4) パン生地改良剤・臭素酸カリウム
(5) 合成着色料・タール色素
(6) 防カビ剤・OPPとTBZ
(7) 殺菌料・次亜塩素酸ナトリウム
(8) 酸化防止剤・亜硫酸塩
(9) 合成保存料・安息香酸Na
(10)合成甘味料・サッカリンNa

両者でほぼ一致しているのは、発色剤、イーストフード(パン生地改良剤)、着色料、防カビ剤、酸化防止剤、保存料で、その他については違いがある。害の程度により、人により、また時と共に知見が新しくなるから、いろいろな本(文献)を読んで最終的には自分で判断する必要があると思う。

 ちなみに、硝は窒素(nitrogen)、硫は硫黄(sulfur)、塩は塩素(chlorine)のことで、酸化化合物の頭に付く亜・次・過は、そこに含まれる酸素の数を示す。標準的なものよりも酸素が一つ少ないと「亜」が付き、二つ少ないと「次亜」、逆に一つ多いと「過」が付く。

 食品添加物の過剰な使用は、20世紀型の大量生産・輸送・消費システムが齎した“行き過ぎた資本主義”の一面だ。このブログでは、モノコト・シフト後の日本に必要な産業システムとして、多品種少量生産、食品の地産地消、資源循環、新技術の四つを挙げているが、中でも食に関しては、人の健康に直接係わるだけに特に重要だと思う。全てを地産地消で賄うわけにはいかないだろうが、添加物はなるべく少なく摂取するようにしたいものだ。

 “「酵素」がつくる腸免疫力”には、食品添加物の話以外、酵素(体内酵素と消化酵素)の大切さ、体の生理リズム、食べる順番、腸免疫力の高め方、酸化から体を守る、など実践的な話も多く書かれている。腸管造血説や木炭が持つミネラルの力、マイナスの電荷を持った水素原子イオンや温熱の力などの知見も興味深い。是非一読をお勧めしたい。また、酸化については「活性酸素」の項も参照していただきたい。

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遺伝子の水平伝播

2013年11月12日 [ 非線形科学 ]@sanmotegiをフォローする

 藤田紘一郎氏の本を読んでいたら、「遺伝子の水平伝播」という言葉に出会った。藤田氏は腸内細菌や寄生虫の研究者で、このブログでも以前「脳腸バランス」や「糖質と脂質」の項でその著書を紹介したことがある。この言葉(遺伝子の水平伝播)が出てくるのは、氏の最新刊“遺伝子も腸の言いなり”(三五館)である。その部分を引用しよう。

(引用開始)

 2010年4月、フランスの海洋生物学と海洋学の研究・教育機関であるロスコフ生物学研究所の研究チームが、海藻を消化する酵素は日本人の腸内にのみ存在していると、科学誌「ネイチャー」で発表しました。
 研究チームは、ゾベリア・ガラクタニボランという海洋性バクテリアが、アマノリ属の海草に含まれる多糖類を分解する酵素を持っていることを発見しました。そして、日本人の被験者13人と、北米に住む被験者18人の腸内細菌の遺伝子を比較したところ、海洋微生物に由来する遺伝子は日本人の腸内からしか発見されませんでした。
 これは、日本人が長いあいだ、習慣的に海藻を使った料理を食べて海洋微生物を摂取することで、腸内に数兆個が棲むとされる細菌の一種が、海藻を消化する遺伝子を取り入れることが出来たのではないかと考えられています。(中略)
 今までの考え方では、遺伝子は生殖によって次世代に渡される垂直伝播のみ、つまり親から子だけに受け継がれるものだとされてきました。しかし実際は、このように遺伝子が種を越えて移転する、遺伝子の水平伝播という、異なる種のあいだでも遺伝子の受け渡しが起こっているのです。
 進化は遺伝情報の共有によって加速します。そうすれば他の生物が「学習した」内容を情報として手に入れることができます。遺伝子が共有されるのならば、生物は独立した不連続な存在ではないということになります。

(引用終了)
<同書 154−155ページ>

 遺伝子が環境の影響を受けて変化し、種から種へ伝播して変わっていくことを「エピジェネティクス」(後天的遺伝子制御変化)という。

(引用開始)

 エピジェネティクスの「エピ」は、ギリシャ語で「上の、別の、後から」という意味を持ち、本来の遺伝情報の「上につく別の遺伝情報」や「後で獲得した遺伝情報」という意味です。そして、エピジェネティクスによって変化した遺伝情報のことを「エピゲノム」(後天的遺伝情報)と呼びます。

(引用終了)
<同書 160ページ>

 エピジェネティクスは、遺伝子という“モノ”から、環境と細胞の相互作用という“コト”への関心のシフトということで、このブログで指摘している21世紀のモノコト・シフトの一例だと思う。「遺伝子が共有されるのならば、生物は独立した不連続な存在ではないということになります」という指摘は面白い。世界は、ミーディアム(空気や水などの媒体物質)とサブスタンス(土や木などの固体物質)、そしてその二つが出会うところのサーフェス(表面)から出来ているとするアフォーダンス理論の考え方が、生物学にも応用可能になるからだ。この分野での更なる研究に期待したい。

 それにしても、この本のメイン・テーマである腸内細菌の健康に及ぼす影響には驚く。酵素と細菌との関係については、「酵素の働きと寿命の関係」の項で紹介した鶴見隆史氏の新しい著書“「酵素」がつくる腸免疫力”(大和書房)などにも詳しい。

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クレタ人の憂鬱

2013年08月21日 [ 非線形科学 ]@sanmotegiをフォローする

 “不完全性定理とはなにか”竹内薫著(講談社ブルーバックス)を読んだ。この本は、カントールやデデキント、ゲーデルやチューリングの仕事を分りやすく解説したものだが、それはそれとして、私は、第4章の「不完全性と不確定性の関係(203ページ)」以降の著者のコメントが面白かった。

 ここで著者は、超ひもとブラックホール、質量とエネルギー、時間とエントロピーなど、「似ている」ことを辿って、ゲーデルの不完全性と量子力学の不確定性の相関を考え、「視点」という言葉に行き着く。

 著者は、相対性理論と量子力学、不完全性定理に共通するのは、「視点」を意識しなければならないことだという。それは、自分を客観的立場において宇宙や量子を考えるという意味だが、この「視点」は、「時を抜いた“モノ”」としてのいわゆるメタな視点だと思う。

 「時を抜いた“モノ”」については、「時空の分離」と「再び複眼主義について」の項で述べた。20世紀を席巻し、今も多大な影響力をもつ「時空の分離」を前提とした「視点」そのものは、実は、大きさのない点や太さのない線のように、人が脳の中でつくったフィクションでしかない。人の本当の視点は常にどこかの「場」に置かれているからだ(勿論、フィクションも多数決や工学計算には必要だが)。

 ゲーデルが証明したのは、あるシステム内では、真だけれども証明できない数式があるということだが、システムの外にいる人間については何も語っていない。ゲーデルは、自分を含むシステムを数学的に考えると矛盾が生じるといったわけだが、それはシステムに矛盾があるのではなく、システムを数学的に(「時を抜いた“モノ”」として)考える「自分」の側に矛盾があるということを言いたかったのはないか。

 ゲーデルの不完全性定理とは、「時を抜いた“モノ”」信仰の限界を、自己言及性の無限ループとして数学的に証明したものではないだろうか。フィクションは、自然を扱うには限界があるということなのだ。

 この本に、「嘘つきクレタ人」の話が出てくる。嘘つきクレタ人が「クレタ人は嘘つきだ」といったときにその話を信じて良いのか、という例のパラドックスだ。このパラドックスは「時を抜いた“モノ”」信仰を象徴している。

 モノコト・シフト後(「時を含んだ“コト”」時代)の我々は、シンプルに、「嘘つきクレタ人とは、いつの時点のどのクレタ人を指しているのか?」と問えば良い。クレタ人は「時を抜いた“モノ”」ではなく、日々生滅を繰り返す生きもの=「時を含んだ“コト”」なのだから。

 「時を含んだ“コト”」は「場」=「環境」において発動する。これからの科学の知見は「場」の研究にシフトしていくだろう。ヒトゲノムの全解読が「エピジェネティクス」の研究に、ヒッグス粒子の解明が「ヒッグス場」の研究にシフトしつつあるのはそういうことではないのか。

 理論科学も、カオス理論や複雑系を経ていまや同期現象や集合知などの「場」の研究に加速的にシフトしている。宇宙科学でも「時を抜いた“モノ”」信仰の名残のような理論は早晩新しい知見に止揚されると思う。

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時空の分離

2013年08月09日 [ 非線形科学 ]@sanmotegiをフォローする

 “「単位」の本質”潮秀樹著(技術評論社)という本を読んでいたら、次のような文章があった。

(引用開始)

 アインシュタインは時間と長さがある意味で同等であるというきわめて奇抜な考えに基づいて、相対性理論(特殊相対性理論)を作り上げました。時間と長さが同等であれば、空間の3つの座標軸x軸、y軸、z軸に加えて、時間軸を考える必要があります。空間の3次元に対して、時間を加えた4次元を考えることになります。

(引用終了)
<同書 87ページより>

ここにある「きわめて奇抜な考え」という言葉が興味深い。

 アインシュタインの特殊相対性理論は、「どの慣性系でも物理法則は同じ形で表される」という相対性原理と、「ある慣性系から見たとき、光源が静止しているか動いているかにかかわらず、光速cは一定である」という光速一定の原理の二つから導かれた。

 光速cは一定であるから、光速の到達時間と長さは同等であり、時間と長さが同等であれば、空間の3つの座標軸x軸、y軸、z軸に加えて、時間軸cを考えることができ、世界は、それまでの空間の3次元に、時間を加えた4次元で表現されることとなった。

 ここで何が起こったのか。それはこれまで言われてきたような「相対性原理の定立」だけではない。そこで起こったのは「時空の分離」ではないだろうか。

 前回「再び存在のbeについて」の項で述べたように、存在のbeは、自分をその環境から切り離して物事を俯瞰することを可能にするから、デカルトを始めとする西洋の近代科学者たちは、環境から自分を切り離し、空間を3つの座標軸x軸、y軸、z軸によって表現した。そして、その座標軸の中の“モノ”を数理的に計算し、分解・合成することでエネルギーを取り出し、文明を発展させてきた。“モノ”信仰時代の始まりと言っても良いだろう。

 しかし、当時の空間3次元は、そこに流れる時間の存在を前提としていた。空間と時間とはつねに一体のものと認識されていたから、誰も空間3次元に時間要素を書き加える必要など感じなかった。縦・横・奥行きの3次元空間は、3次元「時空」でもあったわけだ。

 アインシュタインは、どの慣性系でも物理法則は同じ形で表されるが、光速という時間はどこへいっても一定だから、空間3次元と時間とは分けて表現しなければならないとした。ここで、時間はそれまでの空間からはじき出されたのだ。

 すなわちアインシュタインは、世界を、それまでの時間を暗黙裡に含む空間3次元ではなく、時間を含まない空間3次元と時間を加えた4次元で表現した。当時は、誰も宇宙の寿命など考えなかったから、ほぼ全ての科学者がこの新しい宇宙表現のレトリックに同調した。

 夏目漱石がロンドンを離れた1902年からわずか3年後、1905年に発表されたこの「きわめて奇抜な考え」が20世紀を席巻した。

 時空一体から時空分離へ、それがアインシュタインの特殊相対性理論の新しさだったのだと思う。そこから、「時間を抜いた“モノ”」が科学の主役に踊りだした。いや、科学のみならず「時を抜いた“モノ”」は、近代文明の時代のパラダイムとなっていった。

 21世紀を迎え、世界は「“モノからコトへ”のパラダイム・シフト」(略してモノコト・シフト)の時代を迎えている。「時を含んだ“コト”」を研究するには、まずこの「時空の分離」を見直す必要があると思うがいかがだろう。

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酵素の働きと寿命との関係

2013年06月18日 [ 非線形科学 ]@sanmotegiをフォローする

 “「酵素」の謎”鶴見隆史著(祥伝社新書)という本を興味深く読んだ。副題には“なぜ病気を防ぎ、寿命を延ばすのか”とある。まず新聞の紹介文を引用しよう。

(引用開始)

人間の寿命や病気の原因は体内酵素の量やバランスによって決まる。研究の歴史はまだ浅いが、酵素の働きや身体との因果関係は近年になって次第に解明されてきた。第一人者が最先端の知識と情報を駆使して酵素の謎を解き明かし、加熱食の危険性や誤った常識、腸の大きな役割など、病気を防ぐための具体的な対処法を説き、酵素断食の実践も紹介。

(引用終了)
<東京新聞 3/31/2013>

 よく3大栄養素とか5大栄養素などというけれど、この本によると、栄養素は全部で9つあるという。糖質・タンパク質・脂質がまず3大栄養素。それにビタミン・ミネラルを加えて5大栄養素。さらに食物繊維・水・フィトケミカル(植物中にあるポリフェノールなどの天然化学物質)で8つ。そして9つ目がこの「酵素」というわけだ。先日「活性酸素」の項で、健康に関する項目を纏めたけれど、この本を読むと「酵素の働き」も欠かせないことがよく分かる。

 酵素には、人体にもともとある潜在酵素(体内酵素)と外部から取り入れる体外酵素とがあり、体内酵素には、生命活動を支える代謝酵素と食物の消化を助ける消化酵素、体外酵素には、これも食物の消化を助ける食物酵素と発酵活動を支える腸内細菌の酵素があると著者はいう。短鎖脂肪酸の役割、人体の生理リズム、酵素を摂る方法など有用な指摘が多々あるが、内容については本書をお読みいただくとして、ここでは、酵素の働きと寿命との関係について考えてみたい。

 老化の原因には「酸化ストレス説」「テロメア説」「老化遺伝子説」などいろいろとあるが、著者はその根本原因として、「酵素寿命説」を唱えておられる。著者はまず前の三つを簡単に紹介したあと、

(引用開始)

 しかし私は、紹介したこれらの三つは根本原因ではなく、現象の一部と考えています。酸化も、テロメアも、遺伝子も、すべて酵素が関係していますが、もっとも大きな原因は「酵素寿命説」です。
 一生に一定量しかない酵素が徐々に失われていくのが老化で、尽きる時が死を迎える時です。そのため、酵素の浪費は絶対に避けなければならないのです。

(引用終了)
<同書 193−194ページ>

 ここでいう酵素は、先程の分類でいうと人体にもともとある潜在酵素(体内酵素)を指し、これは一生に一定量しかないから、老化予防のためには、できるだけそのうちの代謝酵素を温存しておいた方が良いという話になのだが、ここで私は、以前「集団の時間」の項で紹介した“ゾウの時間 ネズミの時間”本川達雄著(中公新書)を思い起こした。どいうことか説明しよう。

 鶴見氏は、本書の中で「ラブナーの法則」というものを紹介する。この法則は、潜在酵素の消耗が動物の短命に結びつくことを証明したもので、動物の心臓の鼓動は代謝酵素を使うから、その寿命は、代謝酵素の消耗度に反比例することになるという。心臓の鼓動には代謝酵素がいるが、代謝酵素は一生に一定量しかないから、代謝酵素を多く使うほど、寿命が短くなるというわけだ。

 一方、本川達雄氏は、“バク論 人の死なない世は極楽か地獄か”池田清彦監修(技術評論社)の中の記事で、「動物の時間」は、体重のおよそ1/4乗(0.25乗)に比例し、「動物のエネルギー消費量」は、体重のおよそ1/4乗に反比例する。だから、動物において時間の速度(1/時間)はエネルギー消費量に比例する。すなわち、エネルギーを使うほど時間が早く進む、と書いておられる(同書17ページ“「人口長寿」の人生をいかに生きるか”より)。

 心臓の鼓動にはエネルギーが必要だ。エネルギー消費は代謝酵素を使うことに繋がる。本川氏のいう「動物の時間」とは動物の寿命のことだから、それがエネルギーを使うほど早く終わるということと、鶴見氏のいう、寿命が代謝酵素の消耗度に反比例することとは、同じことを別の視点から言っていることになる。動物のサイズとその代謝酵素量は、寿命を介して互いに比例しているわけだ。

 このブログでは、“モノからコトへ”のパラダイム・シフト(モノコト・シフト)について書いているが、動物の寿命とそのサイズ、代謝酵素量の比例相関は、“コト”のおこる時空(時間と空間)におけるエネルギー量とそのサイズ、構成要素との相関に、興味深い示唆を与えているように思う。

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視覚を巡る認知の諸相

2013年05月28日 [ 非線形科学 ]@sanmotegiをフォローする

 先日「認知の歪みを誘発する要因」の項で、歪みの可能性要因を内と外に分け、

<内的要因>

体全体:病気・疲労・五欲
脳(大脳新皮質)の働き領域:無知・誤解・思考の癖(くせ)
身体(大脳旧皮質・脳幹)の働き領域:感情(陽性感情と陰性感情)

<外的要因>

自然的要因:災害や紛争・言語や宗教・その時代のパラダイム
人工的要因:greedとbureaucracyによる騙しのテクニック各種

と纏めたけれど、最近、視覚を通した認知について面白い本を読んだのでご紹介しよう。“ひとの目、驚異の進化”マーク・チャンギージー著(インターシフト)がそれで、この本には、四つの視覚能力についてこれまでの常識とは異なった知見が披露されている。副題には“4つのすごい視覚能力があるわけ”とある。その四つとは、

第1章 感情を読むテレパシーの力
第2章 透視する力
第3章 未来を予見する力
第4章 霊読(スピリット・リーディング)する力

で、第1章には「カラフルな色覚を進化させたわけ」第2章には「目が横でなく、前についている便利なわけ」第3章には「現在を知覚するには、未来を見る必要があるわけ」第4章には「脳が文字をうまく処理できるわけ」との副題がついている。著者による纏めの部分を引用しよう。

(引用開始)

 第1章で取り上げた色覚は、感情やそのほかの状態を肌から読み取れるようになるために選択された。第2章で取り上げた前向きの目は、見通しの悪い環境で透視能力を使えるようになるために選択された。そして、第3章で取り上げた錯視は、現在を知覚できるように選択された未来予知能力の結果だった。
 自然淘汰はあらゆる動物の目を形作ったが、人間の目には一つ、ほかの動物には見られない特徴がある。私たちの目は外に向かって働きかけ、世界を形作るのだ! 目は―――そして私たちは―――文化を通してそうする。つまり、視覚の超人的な能力を進化させる第二の道があるということで、それはこの最終章での霊読に関する話を理解する上で決定的に重要になる。私たちは、文化を通して、目に合うように周りの世界を変えられる。自然淘汰は、目が自然のものを上手に処理できるようにした。そこで、文化は自然界のものと似た特性を持つ視覚的記号を進化させた。目ができるかぎりうまく処理できるように。

(引用終了)
<同書 273−274ページより>

 詳細は本書をお読みいただきたいが、この本には、このブログで書いてきたことを補う知見が多く含まれていると感じる。第1章の話は、肌の境界性(「皮膚感覚」)と、社会的動物としての人(生産と消費論)、第2章の話は、ものごとを複眼で見ること(「複眼主義とは何か」)の重要性、第3章の話は、脳の時間が現在進行形(t = 0)であること(「アフォーダンスと多様性」)、第4章の話は、さらに文字の「筆蝕体感」や言葉の「発音体感」へと発展する筈だ。

 全体として、視覚に関するこれらの話は、アフォーダンス理論における自己意識(自己と世界との関係)を想起させる。世界は人の能力をアフォードし、人は知覚を通して世界に意味を与えるのだ。

 この本の内容まだ仮説の部分が多いかもしれないが、こういった最先端の知見を検証することで、その分野の無知・誤解・間違いを少なくしていくことが、認知の歪みを減らすことに繋がる。これからもこういう面白い本があったらご紹介していきたい。

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活性酸素

2013年03月19日 [ 非線形科学 ]@sanmotegiをフォローする

 このブログではここまで、免疫、皮膚、自律神経、エネルギー生成、水、呼吸、ミネラル、腸内細菌、ホルモン、栄養素など、「健康」について色々と書いてきた。

免疫:「免疫について
皮膚:「皮膚感覚
自律神経:「交感神経と副交感神経
エネルギー生成:「解糖系とミトコンドリア系
水:「水の力
呼吸:「呼吸について
ミネラル:「硬水と軟水
腸内細菌:「脳腸バランス
ホルモン:「神経伝達物質とホルモン
栄養素:「糖質と脂質

 健康については勿論このほか、栄養素としてのたんぱく質やビタミン、機能性成分、さらには運動や鍼灸、漢方など様々あるわけだが、根本的に大切なのは、体内に発生し病や老化を齎す「活性酸素」をいかに抑制・除去するか、ということだ思われる。「糖質と脂質」の項で紹介した“糖質革命”という本から、酸化と糖化に関する文章を引用しよう。

(引用開始)

 老化を促進する原因は「酸化」と「糖化」です。
「酸化」は呼吸で得た酸素が体内で人間に有害な活性酸素へと変身し、体内を「サビ」つかせる現象です。
「糖化」は、体内にある糖類が身体を構成するあらゆるたんぱく質と無差別に結合してたんぱく質を変質させて、体内を「コゲ」つかせる現象です。(中略)
 腸から体内に取り入れられた鉄や銅を運搬しているたんぱく質が糖化すると、そのたんぱく質が変性して鉄や銅が遊離します。鉄や銅は体内の過酸化水素と反応して、ヒドロキシラジカルというもっとも強い活性酸素を発生させます。
 このように糖化と酸化は車の両輪のように関係しあって進行します。糖化は「コゲる」、酸化は「サビる」と呼ばれます。「コゲ」「サビ」の両輪が、私達を日々老化させているわけです。

(引用終了)
<同書 90−92ページ>

 活性酸素とは、電子数が変化して不安定になった酸素のことで、強い酸化作用がある。「糖質と脂質」の項で引用した“脳はバカ、腸はかしこい”の文章にも、活性酸素の影響による酸化と糖化に関する部分があった。念のために再度引用しておこう。

(引用開始)

 近年、老化や寿命に関係ある栄養素として、糖と脂質が重要視されてきました。糖や脂質は活性酸素の影響を受けてカルボニル化合物になり、たんぱく質を修飾して「AGEs(糖化最終産物)」を生成し、脂質が修飾を受けて「ALEs(脂質過酸化最終産物)」を生成し、これらが細胞や組織を傷害して老化やさまざまな病気の発症や進展につながっていくと考えられるようになったからです。このようなAGEsができる反応を、「タンパク質の糖化(グリケーション)」と呼んでいます。
 生物が呼吸して取り入れている酸素の95%以上は、生体中のミトコンドリア内の電子伝達系で水に分解されます。しかしその3〜5%が中間体として残り、いろいろな活性酸素が生成されます。その活性酸素にはスーパーオキシド、過酸化水素、ヒドロキシラジカル、一重項酸素、脂質ペルオキシドラジカル、次亜塩素酸などがあります。これらの活性酸素は他の物質と反応して安定しようとする性質があり、過剰になると共存するタンパク質や脂質、核酸などを酸化変性させてしまいます。その結果、糖と結合しAGEsに、脂質と結合してALEsになるのです。

(引用終了)
<同書 184−185ページ(文中の化学記号は省略)>

 体内の活性酸素は、自律神経の働きからも発生するという。“「自分の免疫力」で病気を治す本”安保徹・岡本裕共著(マキノ出版)からその部分を引用したい。

(引用開始)

 交感神経が緊張し、アドレナリンの作用が強くなると、その刺激を受けて顆粒球が増加します。顆粒球はふえすぎると体内の常細菌を攻撃し、急性肺炎、急性虫垂炎、腎炎、膵炎など化膿性の炎症を起こします。また、細菌のいないところでは活性酸素をまき散らし、組織を破壊します。(中略)
 体内では、呼吸で得た酸素から発生する活性酸素、細胞の新陳代謝から生ずる活性酸素など、さまざまなルートで活性酸素が産出されますが、活性酸素全体の比率では、顆粒球から放出されるものが8割を占めています。顆粒球が増加すればするほど、組織破壊が進むことになります。

(引用終了)
<同書 128ページ>

 以上、体内の活性酸素の発生と弊害についてみてきたが、その抑制・除去に必要なのが、初めに列記したような健康と体の恒常性(ホメオスターシス)に関する事項の理解であり、さらにこれからも発見されるであろう最新医学の勉強なのだと思う。ただし、「五欲について」の項で述べたように、いくら健康であっても、人や社会のために何もしないのでは、まったく宝の持ち腐れである。五臓六腑を健康に保ち、さらに脳を鍛え、生産(他人のための行為)に励もうではないか。

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神経伝達物質とホルモン

2013年03月05日 [ 非線形科学 ]@sanmotegiをフォローする

 先日「現場のビジネス英語“take your time”」の項で見てきた自律神経とエネルギー生成系に関連して、神経伝達物質とホルモンの働きについて、“脳内ホルモンで幸せ気分を手に入れる本”ライフ・サイエンス研究班編(KAWADE夢文庫)という本を読んだ。

 神経伝達物質については、以前「仕事の達人」の項で“脳内物質仕事術”という本を紹介したが、神経伝達物質とホルモンとの違いは、前者が、神経細胞のあいだで情報を伝達するのに対して、後者は血液中に放出されて情報を伝達する。前者は短時間しか作用しないが、後者は比較的長く作用する。この本でいう「脳内ホルモン」とは、脳内で分泌され人の感情や気分に関係する神経伝達物質とホルモン、両方を指すとのこと。また、本書にはハッピーホルモンという言葉も出てくる。「ハッピーホルモン」とは、脳内ホルモンに加え副腎などから分泌されるホルモンも含むという。本書から引用しよう。

(引用開始)

 ハッピーホルモンの数は100種類以上も存在することがわかっている。そして、それらのホルモンのうち、作用が解明されているものは少なく、明らかになっていないものが多い。
 よく知られているハッピーホルモンを挙げると、アセチルコリン、ノルアドレナリン、アドレナリン、ドーパミン、セロトニン、メラトニンなどがある。
 これらが感情や感覚の伝達を受けもっており、おもに興奮系、抑制系のふたつに分けられる。
 セロトニンは通常、興奮系に分類されるが、興奮系を鎮める調整役としても働く。調整系のホルモンは少ないが、ここではセロトニンを調整系に分類し、3種類に分けて紹介する。
 これら3種類のハッピーホルモンのバランスによって、心はさまざまな状態になり、感情も湧き上がってくるのである。
 興奮系、抑制系、調整系それぞれにどういうものがり、どのような働きをしているか見ていこう。
 3つのうちもっとも種類が多いのは、興奮系のハッピーホルモンで、これに該当するのがノルアドレナリン、ドーパミン、アセチルコリン、グルタミン酸など。(中略)
 次に、抑制系のハッピーホルモンの代表がGABA(γ−アミノ酪酸)だ。抑制系はほかにもいくつかあるが、GABAは圧倒的に多く、脳のなかなの神経細胞の30パーセントをGABA神経が占めている。
 GABAは、脳が興奮した際のブレーキ役を果たし、アクセル役の興奮系とのバランスを保っている。そのため、GABAが不足すると脳の興奮が鎮まらない。極端なケースでは、けいれんを起こすこともある。
 また、前述したが、調整系のハッピーホルモンは少なく、その代表的なものがセロトニンである。

(引用終了)
<同書 38−41ページ(ふりがなは省略した)>

各種化学物質の作用の詳細については本書をお読みいただきたいが、簡単に目次のタイトルから拾うと、

ドーパミン:快感や幸福感、やる気をもたらすホルモン
アセチルコリン:リラックスし、体にエネルギーをためるホルモン
βエンドルフィン:“脳内麻薬”の異名をとる鎮痛ホルモン
セロトニン:やる気をだし、精神を安定させるホルモン
GABA:緊張や不安、イライラを緩和するホルモン
オキシトシン:男女、親子の愛情を育てるホルモン
ノルアドレナリン・アドレナリン:ストレスに立ち向かうホルモン

となる。ちなみに以前紹介した“脳内物質仕事術”には、

ドーパミン:幸福物質(幸福、快感)
ノルアドレナリン:闘争か逃走か(恐怖、不安、集中)
アドレナリン:興奮物質(興奮、怒り)
セロトニン:癒しの物質(落ち着き、平常心)
メラトニン:睡眠物質(眠気)
アセチルコリン:記憶と学習(ひらめき)
エンドルフィン:脳内麻薬(多幸感、恍惚感)

とあった(カバー裏の表)。いろいろな本で「神経伝達物質とホルモン」の働きについて知っておくと、仕事にもきっと役立つことと思う。

 このブログでは、脳の働き(大脳新皮質主体の思考)と身体の働き(脳幹・大脳旧皮質主体の思考)とのバランスの大切さを強調しているが、健康には、自律神経(交感神経と副交感神経)とホルモン系、さらには以前「免疫について」の項で書いた免疫系とのバランスが欠かせない。さらに本書から引用しよう。

(引用開始)

 自律神経やホルモン系は、免疫とも密接に関係している。私たちの体は、恒常性(ホメオスターシス)が備わっている。ホメオスターシスは、外部からのさまざまな刺激にたいして、体内の環境(生理、代謝、臓器の働きなど)を一定に保つ働きである。自律神経の中枢がある視床下部は、自律神経だけでなく、ホルモン系、免疫系の機能も調整し、ホメオスターシスを維持している。
 そのため、自律神経、ホルモン系、免疫系は、三者それぞれが互いに影響しあう関係にある。つまり、自律神経が崩れるとホルモン系や免疫系に影響するし、ホルモン系に異常が生じると、それが自律神経や免疫系に影響する。また、免疫系に問題が起きると、それが自律神経やホルモン系に影響することがある。

(引用終了)
<同書 33−34ページより(ふりがなと一部括弧内を省略した)>

自律神経、ホルモン系、免疫系は、互いに影響し合いながら、我々のからだの恒常性(ホメオスターシス)を保っているのである。

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糖質と脂質

2013年01月29日 [ 非線形科学 ]@sanmotegiをフォローする

 前回紹介した、藤田紘一郎氏の“脳はバカ、腸はかしこい”という本の第四章「食べ物は脳をだます、腸はだまされない」には、五大栄養素の中の糖質と脂質について、最新の知見が纏められている。少々長くなるが、そのエッセンスの部分を引用したい。

(引用開始)

 近年、老化や寿命に関係ある栄養素として、糖と脂質が重要視されてきました。糖や脂質は活性酸素の影響を受けてカルボニル化合物になり、たんぱく質を修飾して「AGEs(糖化最終産物)」を生成し、脂質が修飾を受けて「ALEs(脂質過酸化最終産物)」を生成し、これらが細胞や組織を傷害して老化やさまざまな病気の発症や進展につながっていくと考えられるようになったからです。このようなAGEsができる反応を、「タンパク質の糖化(グリケーション)」と呼んでいます。
 生物が呼吸して取り入れている酸素の95%以上は、生体中のミトコンドリア内の電子伝達系で水に分解されます。しかしその3〜5%が中間体として残り、いろいろな活性酸素が生成されます。その活性酸素にはスーパーオキシド、過酸化水素、ヒドロキシラジカル、一重項酸素、脂質ペルオキシドラジカル、次亜塩素酸などがあります。これらの活性酸素は他の物質と反応して安定しようとする性質があり、過剰になると共存するタンパク質や脂質、核酸などを酸化変性させてしまいます。その結果、糖と結合しAGEsに、脂質と結合してALEsになるのです。(中略)
 糖質とともに、食事での摂取について注意しなければならないのは脂質です。
 ヒトを含めて動物は、長い進化の過程で絶えず飢えの危険にさらされてきました。そのため動物は余分なエネルギーを摂取したときには、それを脂質の形で蓄積し、飢餓の際にそれを利用することによって生き延びる仕組みを獲得しました。しかし皮肉なことにエネルギーの過剰摂取と運動不足が常態化した現代文明社会において、このしくみは肥満の原因となり、さらにはメタボリックシンドロームの要因となってきました。
 脂質は常温で固体のものと液体のものとに分かれています。脂質の成分はグリセロール3つの水酸基に脂肪酸がそれぞれエステル結合したものです。脂肪酸には炭素数や二重結合の位置および数の違いによってさまざまな種類があります。二重結合を持たない脂肪酸を飽和脂肪酸といい、二重結合を持つ脂肪酸を不飽和脂肪酸といいます。動物の脂質は飽和脂肪酸が多く、常温では固体です。それに対して植物では不飽和脂肪酸を多く含み融点が低く、多くの場合、常温では液体となります。
 飽和脂肪酸はバター、ラード(豚脂)、ヘット(牛脂)などです。不飽和脂肪酸は一価不飽和脂肪酸と多価不飽和脂肪酸に分けられます。一価不飽和脂肪酸にはオレイン酸がありオメガ9といわれています。これにはオリーブ油、キャノーラ油、ひまわり油、ピーナッツ油、パーム油などがあります。また、後者の多価不飽和脂肪酸のうち、リノール酸を含む油をオメガ6といい、コーン油、ごま油、大豆油、くるみ油などがあります。そして、α−リノレン酸やDHA、EPAを含む油をオメガ3といい、亜麻仁油、しそ油、えごま油、イワシやサンマなどの魚の油があります。
 このうちオメガ6とオメガ3は必須脂肪酸であり、人の身体では合成できないので、食べ物などから摂取することが必要となります。
 いま問題になっているのは、体内で合成できない必須脂肪酸のうち、オメガ6脂肪酸は現代文明社会において摂取量が拡大傾向にあり、オメガ3脂肪酸が減少傾向にあるということです。この二つの脂肪酸の摂取比率のバランスは、どんどんオメガ6脂肪酸に偏っているのが現代人の食生活であるといわれています。(中略)
 うつ病が20世紀に入って増加しているのは、オメガ6脂肪酸を多く含む植物油の摂取が増加しているからだと考えられます。

(引用終了)
<同書 184−199ページより(文中の化学記号は省略した)>

いかがだろう。さらに、脂質のなかでも、最近人工的につくられるようになった「トランス脂肪酸」に関する解説は次ぎの通り。

(引用開始)

 植物油である多価不飽和脂肪酸は、常温では液体で、酸化しやすい油です。そこで植物油を常温で固形状にし、しかも空気中に安定したものにするにはどうすればよいかが研究された結果、多価不飽和脂肪酸に水素添加するという方法が考えられました。水素添加すると普通の飽和脂肪酸とよく似ていますが、少しいびつな脂肪酸ができあがります。これが「トランス脂肪酸」と呼ばれるものです。
 脂肪を研究している科学者たちの間では、油に水素添加することを「オイルをプラスチック化する」と言っています。水素添加によって作り出されるトランス脂肪酸は、プラスチック同様、自然界では分解されない物質で、もちろん自然界には存在しない物質なのです。
 私たちの周りには、いつの間にかこのトランス脂肪酸を多く含む食品があふれています。マーガリンをはじめ、ショートニング、フライドポテト、ビスケット、クッキー、クラッカー、パイ、ドーナッツ、ケーキ、シュークリーム、アイスクリーム、菓子パン、クロワッサン、インスタント麺など、若者を中心に多くの日本人が喜んで食べているものばかりです。
 しかし、自然界に存在しない人工産物であるトランス脂肪酸が体内に入り込むと、必須脂肪酸としての役割を果たせないため、細胞膜の構造や働きが正常でなくなってしまいます。その結果、体内では活性酸素が生じるようになるのです。そして、摂取したトランス脂肪酸の影響を最も受けるのは、脳ではないかといわれています。それは脳の役60%が脂質でできているためです。(中略)
 もっとはっきりしていることは、トランス脂肪酸は動脈硬化などを起こす悪玉コレステロールを増やし、予防効果のある善玉コレステロールを減らします。この結果を受けてWHOは、トランス脂肪酸の摂取量を、総エネルギー摂取量の1%未満とする目標基準を設けるなど、トランス脂肪酸の摂取に関しては、現在欧米を中心として厳しい規制の動きが広がっています。

(引用終了)
<同書 203−206ページより>

 以上、糖質と間違った脂質の取りすぎが、健康によくないことがよく分かる。勿論これからも新しい知見がいろいろと出てくるだろう。ここまでのところで、どのような食材を取れば健康に良いかについては、本書や、“糖質革命”櫻本薫・美輪子共著(宝島社)などに詳しい。仕事が忙しい皆さんも、栄養素に関する最新の知見をいろいろと学びながら、健康に充分留意していただきたい。

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