夜間飛行

茂木賛からスモールビジネスを目指す人への熱いメッセージ


現場のビジネス英語“out of sight, out of mind”

2019年09月06日 [ 現場のビジネス英語シリーズ ]@sanmotegiをフォローする

 先日ネットで、きれいに整頓された部屋の写真を見た。インテリアの紹介か何かだったから整頓されていて当然なのだが、自分の書斎の乱雑ぶりと比較して、つい“out of sight, out of mind”という言葉を呟(つぶや)いてしまった。

 この言葉、日本語の「去る者は日々に疎し」という格言と似ている。恋人と長く離れていると気持ちも離れてしまう、モノやコトが視界から消えると、やがて思考からも消えてしまう、という警句なのだが、私の場合、書斎で考え事をしているとき、様々な本や書きかけの文章が眼に入るところにあると、それをみて急に思考が展開することがあるから、机の上をあまり片付けたくない。皆さんはどうだろうか。

 複眼主義の対比、

A Resource Planning−英語的発想−主格中心
a 脳(大脳新皮質)の働き−「公(Public)」

B Process Technology−日本語的発想−環境中心
b 身体(大脳旧皮質及び脳幹)の働き−「私(Private)」

でいえば、この言葉はB側の重要性を説いたものといえる。複眼主義では、AとBのバランスを大切に考える。sight、つまり目から入る情報と、mind、大脳新皮質の働きとの間で、常に「フィードバック効果」が働いている状態が好ましいのである。便宜上分けているがAとBは「人」という一つの時空を形成しているから、生きるプロセスの進行においてフィードバック効果が働いて不思議はない。sightは、他の身体情報に置き換えることもできる。そうするとこれは「アフォーダンス」の話に繋がってくる。

 経営的に考えると、この言葉は、事務所に籠りっきりではあまりいいアイデアはでない、現場を見ないと現実離れした話が多くなる、ということで、頭でっかちな部下に注意を促す警句となるだろう。何事も現場が大切ということで。

 以前「街並みの記憶」の項で、“一度失われた街並みは一朝一夕に再生できない”と書き「自分を確認できる優れた場所や物」の大切さを訴えたことがあるが、これなども“out of sight, out of mind”の実例といえる。

この言葉には、忘れてはいけないことも時が経つと忘れてしまうというネガティブな面がある一方、いやなこともいつかは忘れられる、というポジティブな面もある。物忘れが多いお年寄りなど、日々この言葉と対峙して過ごしておられるのかもしれない。
 
 “If it does not come to your senses, it does not exist in your mind.”という警句もある(いま私が作ったのだが)。複眼主義の対比は、さらに、

A 男性性=「空間重視」「所有原理」
A、a系:デジタル回路思考
世界をモノ(凍結した時空)の集積体としてみる(線形科学)

B 女性性=「時間原理」「関係原理」
B、b系:アナログ回路思考
世界をコト(動きのある時空)の入れ子構造としてみる(非線形科学)

と続く。常にAとBのバランスを考えて日々を送ろう。男であろうと女であろうと、男性性と女性性の両方を持っていることを忘れないように。

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現場のビジネス英語“a/an”と“the”について

2019年03月05日 [ 現場のビジネス英語シリーズ ]@sanmotegiをフォローする

 友人(K-Kodama君)とのバンド「HUSHBYRD」のサイトをご覧いただくと分かるけれど、我々の曲には英語(歌詞)のものが少なくない。その際使う不定冠詞a/anと定冠詞theについて、用法の骨格を整理しておきたい。ビジネスにも役立つと思う。参照するのは、『THEがよくわかる本』ランガーメール編集部著(共栄図書株式会社)と『aとtheの物語』同著(同社)の2冊。

 名詞には、可算名詞と不可算名詞とがある。不可算名詞には固有名詞も含まれるがこれは後回しにして、まずは可算名詞と一般不可算名詞に限って話を進めたい。

(1)A whale is an animal.
(2)The whale is an aminmal.
(3)Whales are animals.

この三つの文は日本語に訳すとどれも「クジラは動物です」となってしまう。このブログでは複眼主義と称して、

A Resource Planning−英語的発想−主格中心
a 脳(大脳新皮質)の働き−「公(Public)」

B Process Technology−日本語的発想−環境中心
b 身体(大脳旧皮質及び脳幹)の働き−「私(Private)」

という対比を述べているが、冠詞というものは、対象と向き合った主格が脳(大脳新皮質)で判断する記号(的な言葉)だから、環境と一体化する日本語的発想からは往々にして抜け落ちてしまうのだ。

 常に冠詞を気に留めている英語的発想で、上の三つがどのように区別されるのか見てみよう。まず(1)から。これは彼らにとって最もわかりやすい言い方で(単純な単数形の文体)、特に幼児と話すときなどに使われる。同じものがたくさんある中から幼児にその一つ(一頭)をピックアップして説明するという感じ。a/an suggests one of manyの用法である。次に(3)をみると、無冠詞の複数形になっているが、話の内容が少し大人向きの場合には複数形が用いられる。この用法は、

Whales are sociable animals.

といったちょっと高度な説明文の方が本当はふさわしい。a/an suggests one of manyにおけるmanyの場合の用法。では(2)はどうか。theは本来the implies one and onlyということで、たくさんある中の特別な一つ(または複数)を指す場合に使われる。これを(4)として加えると、たとえば、

(4)The whales there are big.

「あそこの(あの海域の)クジラは大きい」といった場合。しかし(2)はそうではなく、その一つが皆を代表するthe one representing allという意味で用いられている。これを「代表のthe」という。

 以上、それぞれの用法を整理すると、

(1)one suggests one of many
(2)the one representing all
(3)many
(4)the implies one and only

ということになる。一般不可算名詞では(1)と(3)はないが、(2)と(4)は基本的に同じだ。

(2)I am playing the jazz.
(4)I like the jazz played by Miles Davis.

 ここで日本人に特に難しいのは(2)の用法だろう。(4)は日本語でいう「その」とか「あの」だけれど、(2)は、目に見えない頭の中で考える仮想像の存在(実在)である。これは日本語的発想にはない。

The teacher needs endless patience.
I am learning the tango.
Monday is the worst day of the week.
He plays the piano.

などなど。一方(4)は目の前の存在で、

The teacher in our class is from Scotland.
Would you mind opening the window?
Go and stand in the corner.

など。日本語の「その」、「あの」という意味。より分かりにくいのは二つの用法が混ざる場合だ。たとえば、

I learned how to hold the bat.
Hold the bat this way.

といった場合、上は(2)の用法だが、下は目の前にあるバットだから(4)だ。状況によりtheは変身する。

 さらにややこしい習慣として、英語的発想では、親しみ(familiarity)や近道(short-cut)で、(2)の用法のtheを抜いてしまうことがある。

He plays the piano.
He plays piano.

会話などでは往々にして下の言い方をする。

He plays tennis.

これはHe plays the game of tennis.の略。さきほど一般不可算名詞のところで「基本的に」と書き加えたのも、(2)の用法の場合waterとかairとか一般的すぎる言葉には、親しみ(familiarity)で習慣的にtheを付けずに無冠詞でいくからだ。

 (2)においてtheを付けるか付けないかは文脈次第(it depends on the context.)といえる。強調したり文の格調を高めたり(theを付ける)、そうしなかったり(付けない)。日本人にはわかりにくいが、それでもこの代表のtheは面白い。とくに不可算名詞の場合には、英語的発想特有の考え方がふんだんに出てくる。LifeとかFaithとかGodとか。ランガーメール編集部氏は「この代表のtheがあるから英語が魅力的な言語になるのである。このtheがなかったら英語は絶対に国際語にはなれない。」と書いておられる(『aとtheの物語』53ページ)。詳細はこの2冊をお読みいただきたい。

 最後に、不可算名詞のうちの固有名詞(本などのタイトルや地名・国名など)について見ていこう。

<本などのタイトル>

The Magician(S・モーム)
Death on the Nile(A・クリスティー)
A Tale fo Two Cities(C・ディケンズ)
The Picture of Dorian Gray(O・ワイルド)

タイトルはキャッチコピーのようなものだから一般の文章とは扱いが違う。a/anで始めるか、theではじめるか、無冠にするか、要点はタイトルにいかに人々の関心を引き付けるかにある。突然Deathと出てくるとそこに一層の緊迫感が生まれる。The TaleではなくA Taleとくると、二都に関する物語は数あれどこれは皆さん今まで読んだことも聞いたこともない物語ですよ、といったニュアンスが出てくる。

<地名・国名>

地名には冠詞を付けない。

Lake Victoria
Mount Everest

しかしその一帯を指す場合はtheをつける。

the Strand
the Lake District
the Lizard Point

この場合のtheは広い地域を一つにまとめる働き(one and only +α)をする。

国名にはふつう冠詞はつけないが、

the United Kingdom
the United States

など連合国や合衆(州)国の場合はthe(only ones)が付く。

<建造物>はどうか。

London Zoo
Backingham Palace
The London Museum
The Golden Bridge

住人にとって身近に感じる建造物は地名と同じような扱いでtheが付かない。しかし博物館など身近でない場合やとくに他と区別したい建造物にはthe(one and only)を付ける。

 以上長々と書いてきたけれど、用法の骨格を理解していただけただろうか。疑問があればいつでも気軽にコメントをお寄せ下さい。私は英語の先生ではないから判断がつかない場合も出てくるかもしれないけれど、それは皆で考えましょう。

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現場のビジネス英語“dispositions”

2014年12月23日 [ 現場のビジネス英語シリーズ ]@sanmotegiをフォローする

 前回「integrityをインストールせよ」の項で、アメリカの学習基準として、

skills(スキル)
dispositions(資質)
responsibilities(責任)
self-assessment(自己評価)

の四つがあり、そのうちdispositions(資質)は、日本語には馴染まないが「思考や知的活動を左右する持続的な信念や態度」を意味する重要な項目だと述べた。このdispositionsについて、今回、ビジネス経営の観点からもう少し敷衍しておきたい。

 ビジネスにおいて、経営者はdispositionsとして何を習得しなければならないのか。何を「信念」とし、「持続」させなければならないのか。

 state(国家)の場合もそうだが、会社など「公」に関わる組織にはかならず「理念と目的」がなければならない。state(国家)の場合それが憲法前文などであるわけだが、会社の場合は企業理念などと呼ばれる。このブログでの言葉の定義を『複眼主義〜起業論』から引いておこう。

「理念(Mission)」:その会社がどのような分野で、どのように社会へ貢献しようとするのかを表現した声明文

「目的(Objective)」:その会社が具体的に何を達成したいのかを纏めた文章で、理念の次に大切なもの

 会社とは、複眼主義でいうところの「生産」(他人のための行為)を、個人を越えた規模で行なう場合に設立されるもので、そもそも社会の役に立つために存在する。会社の利害関係者(stakeholders)には、株主・社員・顧客・地域社会などあるけれど、その商品やサービスが社会の役に立っていなければ会社の存在価値はない。会社がどう社会に役立とうとしているのかを示すのが「理念と目的」であり、それは、会社にとって自身の存在価値に関わる最も大切な文章だ。

 従って、ビジネスにおいて、経営者が持つべき「持続的な信念」=dispositionsは、会社の「理念と目的」に裏打ちされていなければならない。会社の「理念と目的」こそ、経営者がdispositionsとして最初に習得しなければならないitemだと言ってもよい。以前「理念希薄企業」の項で述べたけれど、ここのところがしっかりしていない経営者が昨今多いのではないか。

 ここで、「理念と目的」以下、このブログでの経営に関する言葉の定義を記しておこう。

「事業(Business)」:会社の「目的(Objectives)」の実現手段

「目標(Goals)」:事業の達成ゴール。年度別、月別など。いつ頃までに何をするのか。事業の最終目標を予め明らかにしておくことも大切。事業の最終目標は、何を達成したら(あるいは失ったら)その事業をやめるかという目標であって、売却のためのいわゆる出口戦略(exit strategy)とは違う。

「ビジネスモデル」:「事業と目標」のこと

「企業戦略(Corporate strategy)」:会社の資産(asset)と市場とを分析し、最適なビジネスモデルを考えること

 留意していただきたいのは、「事業」も「ビジネスモデル」も、会社の「理念と目的」を達成するために存在するのであって、幾ら儲かるからといって、それらを独走させてはならないということだ。「企業戦略」「ビジネスモデル」あるいは事業戦略、事業計画などは、全て「理念と目的」の下位に位置付くものだ。重要な経営判断は全て、「理念と目的」に照らして成されなければならない。「理念と目的」の見えなくなった会社は、往々にして陳腐化した既存の「事業」や「ビジネスモデル」に縋り、ますます墓穴を掘ることになる。気をつけていただきたい。

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現場のビジネス英語“crossing the bridge”

2014年11月04日 [ 現場のビジネス英語シリーズ ]@sanmotegiをフォローする

 久しぶりのこのシリーズ、Aさんは今も外資系の会社に勤めている。アメリカ人のリーダー・トムの下で進んでいるプロジェクトの会議で、誰かがある問題点を指摘したところ、トムが“We will cross the bridge when we get there.”と答えた。さあ、どういう意味なのだろう。

 このフレーズ、訳せば「そこについたら(そこにある)橋を渡るだろう」となる。実際は「そのときになったら考えよう」といった意味である。だから、トムは「その問題はそのときになったら考えよう」と答えたことになる。

 この“We will cross the bridge when we get there.”という言い回しは、会議などでよく使われる。ここでは「そのときになったら考えよう」と訳したが、実はニュアンスが多少違う。そのことを前回の「英語の前進性」の話と絡めて説明したい。

 前回、英語は「主格中心」の言葉なので書き手が明示的に話を前進させてゆくのに対して、日本語は「環境中心」だから、書き手は後ろに下がって全体の景色が前面に出る、と書いたけれど、この違いが今回のフレーズにも当て嵌まる。

 英語の“We will cross the bridge when we get there.”の場合、いつ橋につくか分らないという曖昧性は残るものの、主体はweで、「我々はそこについたら橋を渡る」という、ストーリーの前進性がある。例えば、小隊が川沿いを行軍している感じか。

 日本語の「そのときになったら考えよう」の場合、主体が曖昧だし、「考えよう」では橋を渡る積もりなのか渡らないのかわからない。「そのとき」がいつなのかもわからない。

 このように、英語の前進性は、プロジェクト会議の際など、decisionが必要な場合に便利だ。言葉の範囲が明確で、曖昧性は極力排除される。日本語でやると往々にして、誰もdecisionしない所謂「問題の先送り」になりやすい。

 日本語でこのようなプロジェクト会議を行なう際は、白板などに、

●誰が:
●何を:
●何時までに:

を書き出すと良いだろう。

 会議が終わったら、その場で、白板情報のコピーを参加メンバー全員に配る。字が汚くても構わない。むしろその方がメンバーの脳にそれが書かれたときの状況が蘇るから良い。次の会議では、前回の情報がどう守られたか、守られなかったか、を共有するところから始める。こういったことを行なうだけで、「問題の先送り」は大分減らせる筈だ。

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現場のビジネス英語“sense of humor”

2013年06月11日 [ 現場のビジネス英語シリーズ ]@sanmotegiをフォローする

 前回「羅針盤のずれ」の項で、認知の歪みに陥らないためは、人は自らの無知や誤解、思考の癖、不得意分野などに自覚的でなければならないと書いたけれど、欧米人がよくスピーチの前にjoke(とくに自分の至らなさを肴にしたjoke)を言うのは、緊張気味の聴衆を和ませるためばかりではなく、聴衆に対して「わたしは自らの無知や誤解、思考の癖、不得意分野を心得ていますよ、だからわたしの言うことを信用して聞いてくださいね」というメッセージでもある。

 日本人はなかなかこれが出来ない。お集まりいただいて有難うございますと挨拶した後、すぐスピーチの本題に入っていってしまう人が多い。せいぜい途中で聴衆を飽きさせてはいけないことを思い出して出来の悪い駄洒落を言うくらいだ。近代日本語が環境べったりで、自らの無知や誤解、思考の癖、不得意分野などに自覚的であるという精神的自立の条件の一つが不十分なのだと私は睨んでいるが、それ以上に、真面目すぎる人が多いのかもしれない。日本ではjokeをいうやつは不真面目だと思われる。欧米人でも真面目すぎる人はあまりjokeを言わない。ユーモアのセンス(sense of humor)は、大脳新皮質の余裕を示すバロメーターだから、真面目すぎると忙しくて、頭の働きに余裕が無いのかもしれない。ただし、jokeの効用を分かっている日本人でも、日本人を相手にスピーチする場合、不真面目なやつだと誤解されたくないので敢てjokeを口にしないということも考えられる。いずれにしても、聴く方にしてみればあまり面白くないsituationではある。

 というわけで、“叡智の断片”池澤夏樹著(集英社インターナショナル)という愉快な本から、私の気に入ったsense of humorやjokeをいくつか紹介したい。自分の至らなさを肴にしたものばかりではないが、どれもどこか精神的余裕が感じられるのがお分かりいただけると思う。

(引用開始)

「ボーイさん、もしもこれがこの店のコーヒーならば、紅茶の方をくれないか。ひょっとしてこれが紅茶なら、コーヒーを頼みたいんだが」(80)
「私をメンバーとして迎え入れてくれるようなクラブには入りたくない」(33)
「何かを測るのはやさしい。むずかしいのは、自分が何を計っているかを正確に知ることだ」(44)
「アメリカ人を批判してはいけない。あれでも金で買えるかぎりのいい趣味を身に付けたのだからね」(162)
「政府に金と権力を渡すのは、ティーンエージャーにウイスキーと車の鍵を渡すようなもの」(152)
「悪口を最も優雅に受け止めるには、無視すればいい。それができなければ凌駕する。それが無理なら笑いとばす。もしも笑えないとなったら、その悪口は真実だと思った方がいい」(93)
アメリカとは「野蛮から退廃に一足飛びして、その途中にあったはずの文明をかすりもしなかった」国なのだそうだ。(161)
「イギリス人はたった一人でも正しく列を作る」(210)

(引用終了)
<同書より。括弧の中の数字は掲載ページ>

 ユーモアのセンス、とくに自分の至らなさを肴にしたユーモアは、思考の系から自分のことを外さないことによって生まれる。パース(1839-1914)のプラグマティズムの特徴は、事象の連続性、自己(観察者)を思考の系から外さないこと、合理的なロジック(推論)、の三つだが、アフォーダンス理論を創り上げたギブソン(1904-1979)は、パースから直接教えを受けたわけではないが、パースの友人・ジェイムズの影響を受けたホルトを師としてことで、間接的にパースのプラグマティズムを学んだと思われる。アフォーダンス理論は、極めて実務的に自己意識(自己と世界との関係)を論じたもので、パース哲学の三つのうち、事象の連続性と、自己(観察者)を系から外さないことの二つを見事に引き継いでいる。パースのプラグマティズムとギブソンのアフォーダンス理論は、21世紀の“モノからコトへ”のパラダイム・シフトの理論的支柱となると思われる。その意味でもユーモアのセンスを磨くことは有意義なことだと思う。

 ということで、これから皆さん、特に欧米人の前で話すときには、自分や日本人を論(あげつら)ったjokeの一つや二つかましてから本題に入ることをお勧めする。聴衆も「あいつは自分のことをよくわかっているな、本題の話も信用できるかもしれない」と思ってくれるかもしれない。しかし、jokeが過ぎると、それはそれでsarcasms(当てこすり、辛らつな皮肉)と取られてあまり趣味がよろしくとされるから留意されたい。ものごと全て、過ぎたるは及ばざるが如しである。

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現場のビジネス英語“give and take”

2013年03月12日 [ 現場のビジネス英語シリーズ ]@sanmotegiをフォローする

 英語に“give and take”というフレーズがある。直訳すれば「与え、そして受け取る」となるが、日本では「お互いさま」と訳されることが多い。以前「迷惑とお互いさま」の項で、日本人は「お互いさま」よりも「人に迷惑をかけないようにすること」の方を優先するが、その背景には日本語の「環境依存性」があると論じ、

(引用開始)

アメリカに暮らしていて、「人さまに迷惑をかけるんじゃありません」といった意味のフレーズを聞いたことがない。そういえば日本には「見て見ぬ振り」「長いものに巻かれろ」「波風を立てるな」「仕方がない」など、社会や人に迷惑をかけないための慣用句が多い。

(引用終了)

と書いたことがある。この日本語の環境依存性については、同項や電子書籍“複眼主義 言語論”などをご覧いただきたいが、今回はこの“give and take”について、話を敷衍してみたい。

 ジョン・レノンの“Nobody Loves You(When You are Down and Out)”という歌に“I scratch your back, and you scratch mine”というフレーズが出てくる。これは「君の背中を掻いてあげるから君も僕の背中を掻いてね」ということで、“give and take”の別の言い方として(英語圏では)時々使われる。仕事で同僚に何かを頼まれたら、手伝ったあとでこんどは自分の仕事を手伝って貰う場合などなど。

 英語圏のこの二つのフレーズ、よく見ると、どちらもまず何かを与える、助けることが先にあって、そのあとで、受け取る、手伝ってもらうというステップになっていることが分かる。日本語の「お互いさま」では、どちらが先か分からないけれど、英語では「与える」ことの先行が明示されているわけだ。

 先日上梓した「複眼主義入門」のなかで、生産(他人のための行為)と消費(自分のための行為)について、

(引用開始)

人は日々、世界とやり取りをしています。世界に何かを働きかけたり、世界から何かを取り込んだり。複眼主義では、人が世界に働きかけることを「生産」(他人のための行為)、世界から何かを受け取ることを「消費」(自分のための行為)と呼びます。

人は日々刻々、生産と消費とを繰り返しています。生産は、他人のための行為ですから、人から世界へ向けた“Give”活動です。消費とは、自分のための行為ですから、人が世界から何かを取り込む“Take”活動となります。(中略)

人生において、人は生産から始めるのか、消費から始めるのか、という根本的な問題について考えて見ましょう。

人は死ぬことは選べますが、生まれることは選べません。人は好むと好まざるとに関わらず、社会の一員として、この世に生まれてきます。それは「自分のため」ではありません。このことはとても重要なことです。

人は、自分以外、家族や社会、もっと大きくいえば「世界」のために生まれてきます。だから生まれてくることが、その人が最初におこなう生産活動だと考えることが出来ます。

人の活動は、消費(自分のための行為)ではなく、生産(他人のための行為)からスタートします。

(引用終了)
<同書 4−5ページより>

と書いたけれど、生産が“Give”で消費が“Take”であってみれば、“give and take”というのは、複眼主義的にも、ことの順番として正しい。

 “give and take”でもうひとつ重要なことは、その価値中立性だ。価値中立性とは、要するに「“give”と“take”するものの価値は互いに等しい」ということである。ジョンの作曲パートナーであるポール・マッカートニーが、“Abby Road”の最後“The End”という曲の中で、“and in the end, the love you take is equal to the love you make”(そして結局、君が受ける愛は君が齎す愛に等しい)と歌ったように。“love you make”を「君が齎す愛」と訳して良いかどうかちょっと迷うところだが。

 日本人は「人に迷惑をかけない」ようにすることの方を優先するので、「お互いさま」というと、どうしても「互いに迷惑を掛け合う」といった否定的なニュアンスが強いように思う。しかし、英語圏では“give and take”というものの考え方は、社会の常識として定着している。仕事や政治・経済のむずかしい話においても、交渉のルールとして存在している。

 “give and take”の基本精神は、もともとは、愛情に基づく「贈り物」の交換なのだろう。そう考えるとこのフレーズ、宗教的な教義としても興味深いが、単純に考えて、相手の背中を掻くことと、自分の背中を掻いて貰うことの価値は互いに等しい。だから交換が成り立つのである。考えてみれば、モノの金銭的価値は「脳の働き」が作り出したものに過ぎない。人の成す行為に「利益」や「余剰」などというものはもともと存在しない。「都市」の効率を基準にしたとき、はじめて人はモノに客観的な金銭価値をつけるようになった。だから、人生における生産(他人のための行為)と消費(自分のための行為)の合計は、“the love you take is equal to the love you make”と同様、互いに等価なのである。

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現場のビジネス英語“take your time”

2013年02月19日 [ 現場のビジネス英語シリーズ ]@sanmotegiをフォローする

 「糖質と脂質」と「脳腸バランス」の項で紹介した“脳はバカ、腸はかしこい”藤田紘一郎著(三五館)という本は、腸内細菌や腸の働きをよくして健康を維持し、さらに脳の働きを強めようという話だが、「ゆっくり動く」ことで、自律神経(交感神経と副交感神経)のバランスを整えようというのが、“「ゆっくり動く」と人生が変わる”小林弘幸著(PHP文庫)という本だ。カバー裏の紹介文を引用しよう。

(引用開始)

体を緊張・興奮させる「交感神経」とリラックスさせる「副交感神経」。両者のバランスが崩れるとさまざまな不調・病気を招くが、ストレスだらけの現代人の多くは「交感神経優位」になってしまっている! 本書では、自律神経研究の第一人者として知られる著者が、「副交感神経の働きを高める最も簡単かつ効果的な方法(=歩く、話す、食べるといった日常動作を『ゆっくり』行なうこと)を指南。文庫書き下ろし。

(引用終了)

いろいろな動作をゆっくり行なうと、呼吸が自然とゆっくり深いものに変わり、そのお陰で副交感神経の働きが高まる。だから、交感神経優位になってしまっている現代人にとって「ゆっくり動く」ことが大切になってくる。

 以前「呼吸について」の項でも指摘したことがあるが、呼吸の面白いところは、それが自律神経の支配下にありながら、体壁系の筋肉(肋間筋と横隔膜)によって行なわれることだ。呼吸は、我々が意識的に直接自律神経に働きかけることができる方法なのだ。

 この本に、“take your time”という英語のフレーズが出てくる。“take your time(テイク・ユア・タイム)”というのは、「自分のペースでゆっくりどうぞ」という程の意味である。その部分を引用したい。

(引用開始)

 「テイク・ユア・タイム」と「ドント・ラッシュ」は、じつは私がイギリス留学時代の恩師たちからよくかけてもらっていた言葉です。
 とにかく一日でも早く、イギリスでの仕事に慣れなければならない、そんなふうに思い詰めて、つねにバタバタ焦っていた私に、恩師たちは、それこそ、ゆっくり、穏やかな口調で、「テイク・ユア・タイム」「ドント・ラッシュ」というふたつの言葉を、ことあるごとにかけてくれたのです。
 そうすると、「早く、早く」と焦っていた気持ちが、一瞬でほっとする――。それはまさに、プレッシャーとストレスでギリギリまで追い詰められていた当時の私を救ってくれた魔法の言葉でした。私が、眠る時間もないほどの激務を乗り越え、無事に五年間のイギリス留学を終えることができたのも、そのふたつの言葉があったからこそだと思います。
 自律神経を研究するようになって、このふたつの言葉がいかに人の自律神経のバランスを安定させる金言であるかということがわかりました。
 そして今、仕事の遅い部下や学生たちに、つい「早く、早く」と言いそうになるとき、恩師たちのあの穏やかな口調を思い出し、反省するのです。

(引用終了)
<同書 226−227ページ>

ということで、“take your time”や“don’t rush”、“relax!”といったフレーズは、私もアメリカに住んでいる頃よく耳にした。

 さて、“take your time”といった場合の“time”とは何か。このブログでは、

脳の時間:  t = 0
身体の時間: t = life
都市の時間: t = interest
自然の時間: t = ∞

という四つの時間について書いてきたが、この場合は“your time”、「あなたの時間」ということで、それはこのうちの「身体の時間」だと考えられる。「自分のペースでゆっくりどうぞ」という場合、話者が想定しているのは、“時は金なり”で動く「都市の時間」の何時から何時までということでもなければ、「自然の(悠久の)時間」でもなく、相手の長い寿命(your time)における「一時(いっとき)」のことである。

 それに対して、「早く、早く」と焦るのは、勿論自分の「脳の時間」である。脳の時間はt = 0、すなわち常に「現在進行形」だから、頭だけで考えると「早く、早く」となってしまうわけだ。大事な仕事の前には、副交感神経の働きによって、「身体の時間」をゆっくり感じることが大切なのだ。このことは、“脳はバカ、腸はかしこい”という本における「腸で考える」という話にも繋がる。

 呼吸をゆっくり深くすると、体内に酸素を多く取り込むから、エネルギー生成においても解糖系からミトコンドリア系にシフトしてゆき、持久力を必要とする仕事に向いた体調になる筈だ。伝統工芸の職人さんなど、根気のいる職業の人は、言われなくとも日々「ゆっくり動く」ことを実践しておられるのではないだろうか。

 尚、以前「現場のビジネス英語“sleep on it”」と「現場のビジネス英語“after you”」の二つの項で、小林氏の別の本を紹介したことがある。併せてお読みいただければ嬉しい。また、自律神経については「交感神経と副交感神経」、人のエネルギー生成については「解糖系とミトコンドリア系」の項をそれぞれ参照していただきたい。

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現場のビジネス英語“after you”

2012年02月21日 [ 現場のビジネス英語シリーズ ]@sanmotegiをフォローする

 前回、“sleep on it”の効用根拠の一つとして自律神経の日内変動リズムに言及し、“なぜ、「これ」は健康にいいのか?”小林弘幸著(サンマーク出版)から関連する部分を引用したけれど、この本には、役立ちそうな英語が後半に一つ紹介されている。それが“after you”というフレーズである。今回はこの英語についてその効用を考えてみたい。

 “after you”というのは「お先にどうぞ」という意味で、著者で順天堂大学教授の小林氏は、ロンドンの病院で働いていたときによくこのフレーズを聞いたという。まずその部分を同書から引用しよう。

(引用開始)

 日本人は、外国の人たちから勤勉な民族とよくいわれます。
 「勤勉」という言葉は日本人にとってはある種のほめ言葉なので嫌な気はしませんが、これは視点を変えると「余裕に欠ける」といえないこともありません。(中略)
 日本人はみな、いつも大急ぎで歩いています。駅ではエスカレーターを急ぎ足で上がり、一台でも早い電車に乗ろうと駆け込みます。ドアにさしかかってもまわりを見る余裕のある人はいません。みんなまわりを見ることなく、一分一秒を争うかのように急いで歩いていきます。
 こんな交感神経ばかりを刺激する生活をしていたのでは、自律神経のバランスはいつまでたってもよくなるはずがありません。
 そこで私が日本人であるみなさんにとくに提案したいのが、心に余裕をもたらす魔法の言葉を、出来るだけ多く日常生活のなかで、使っていただくことです。
 その魔法の言葉は、イギリス生活のなかで、もっとも強く私の印象に残った言葉、「アフターユー(After you.)」です。
 これは日本語にすると「お先にどうぞ」という意味の言葉です。
 日本でも「お先にどうぞ」と道を譲られることがないわけではありませんが、イギリスでは日本人からは想像がつかないほど、さまざまなシーンでこの言葉がとてもよく使われています。
 たとえば、ドアにさしかかったとき、人が歩いているのが見えたら、イギリスでは誰もがドアを開けてその人を待っていてくれます。そしてにっこり笑って「アフィターユー」といってくれるのです。
 日本にはない習慣なので最初は戸惑いましたが、「アフターユー」と笑顔でいわれたとき、とても幸せな気持ちになりました。
 なぜ幸せな気持ちになったのか、当時はわかりませんでしたが、いまの私にはわかります。「アフターユー」ということばにともなう行動と笑顔に接することで、私自身の副交感神経が上がったからだったのです。(中略)
「アフターユー」という言葉は、心に余裕がなければ使えません。相手のために待ったり、先を譲ったりするには、心に余裕が必要だからです。心に余裕があるとき、その人は幸せです。(中略)
 もし、潜在能力の高い日本人が、この「アフターユー」の精神を身につけることができたら――、日本人は間違いなく大きく変わると思います。

(引用終了)
<同書 203−206ページ>

ということで、“after you”の効用は、交感神経優位に傾きがちな日常生活のなかで、副交感神経を上げて自律神経のバランスを回復させることにあるというわけだ。

 “after you”の効用はこれに止まらないと思う。それはいわゆる「公の精神」との関係である。どういうことか説明してみよう。

 以前「現場のビジネス英語“会議にて”」の項で、

A Resource Planning−英語的発想−主格中心
a 脳の働き−「公(public)」

B Process Technology−日本語的発想−環境中心
b 身体の働き−「私(private)」

という対比に言及したが、英語はそもそも「公(public)」の表現に強い言語である。

 駅や歩道やエレベーターの中など公共の場で多く使われる“after you”というフレーズは、“you”と“I”という主格同士が、互いの身体性に配慮した上で(権利を)譲り合うときの表現であり、脳(大脳新皮質)は、公共の場で相手から表明されたその「公の精神」に満足する。

 “after you”のもう一つの効用は、公の場で、脳が相手の「公の精神」を確認できるということなのである。

 正確にいえば、“after you”と「お先にどうぞ」とは意味が違う。日本語の「お先にどうぞ」という言葉は、その場(環境)における自分と相手との身体的位置関係(後先)を示すに過ぎないのに対して、英語の“after you”という言葉には、“you”と“I”という主格同士の関係において、“(I will go)after you”という明確な自己の意思(will)が表明されている。この英語的発想と日本語的発想の違いはとても大きい。その対比については、カテゴリ「公と私論」や、カテゴリ「言葉について」などの項をさらに参照していただきたい。

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現場のビジネス英語“sleep on it”

2012年02月14日 [ 現場のビジネス英語シリーズ ]@sanmotegiをフォローする

 英語圏の人間は、仕事の上で何か重要な判断をしなければならないとき、よく“sleep on it”というフレーズを使う。たとえば“I will sleep on it.”など。“Weblio”によると、“To postpone a decision until the following day to avoid making hasty choice.”ということで、日本語に訳してみれば「よく寝て考え直す」といった意味である。その上で眠るという意味ではない。

 何故一晩眠ると判断間違いを減らせるのか。今回はこの“sleep on it”の根拠について、二つの面から考えてみたい。

 まず一つは、脳科学の面である。“運がいいといわれる人の脳科学” 黒川伊保子著(新潮文庫)によると、ヒトは眠っている間に賢くなると云う。その部分を引用しよう。

(引用開始)

 一日のうちで、頭が良くなる時間帯というのがある。ご存知だろうか?
 それは、なんと脳の持ち主が眠っている間なのだ。
 脳には、記憶と認識を司(つかさど)る海馬(かいば)と呼ばれる器官がある(「海馬」というのはタツノオトシゴの別名で、形がよく似ているので付けられたそうだ)。この海馬、脳の持ち主が起きている間は、状況認識に忙しい。さりげない日常会話においても、私たちは、相手のことばの意味を認識するだけではなく、無意識のうちに相手の表情を読み、ことばの裏にある真意を探ったりしている。駅の通路でも、「ざわざわ」「わ〜ん」と聞こえる雑踏音から、危険な音や自分の名前を聞き分けている。私たちが知っている、実に何十倍もの情報を、私たちの脳は感知して、かつ認識しているのだ。しかし、眠ってしまえば、この状況認識の範囲はかなり狭まる。
 さぁそこで、暇になった海馬は、知識工場へと変わるのである。起きている間の出来事を、何度も再生して確かめ、知識に変えていく。さらに、過去の知識と統合して、より汎用性の高い知恵に変えていくのだ。海馬は眠らない。というより、「脳の持ち主が寝てから」が、海馬が俄然(がぜん)活性化する、真骨頂の時間なのである。(中略)
 というわけで、脳科学上、「いかによく眠るか」は「いかに頭を良くするか」とまったくの同義なのだ。
 上質の眠りは、上質の脳をつくる。東大現役合格者の、受験生時代の夜の学習時間が以外に短い(二時間以下)という統計もある。著名な実業家やデザイナーなどに聞いてみると、以外に早寝なのがわかって面白い。少なくとも、策に困ったときは「眠るが勝ち」というのが、勝ち抜いてきた戦略家たちの普遍のセオリーのようである。

(引用終了)
<同書 27−28ページ>

ということで、これが一晩眠ると判断間違いを減らせる理由の第一である。

 もう一つは、免疫学(生物学)上の根拠である。ヒトの体調をコントロールする自律神経(交感神経と副交感神経)の働きについては、以前「交感神経と副交感神経」の項などで述べたが、この二つの神経系は、一日の時間帯によってその優位性が変動する。“なぜ、「これ」は健康にいいのか?”小林弘幸著(サンマーク出版)から引用しよう。

(引用開始)

 ラブレターを書くなら昼と夜、どちらがいいと思いますか?
 どちらでも大して変わらないだろうと思ったら大間違いです。恥ずかしい失敗をしたくないと思うなら、ラブレターは朝、書くことをお勧めします。
 自律神経には日内変動リズムがあり、基本的に活動する日中は交感神経が優位に働き、体を休める夜は副交感神経が優位になります。そして、副交感神経が優位になる夜は、理性より情動が優先されやすくなるので、ついつい恥ずかしいことを書いてしまう危険性が高いのです。(中略)
 たとえば、朝一番にメールチェックする人がいますが、実はこれはとてももったいないことなのです。なぜなら、朝は副交感神経優位から交感神経優位に切り替わる時間帯だからです。この時間帯は、交感神経が優位になるとはいえ、夜の余波で副交感神経も比較的高いレベルにあるので、脳がもっとも活性化する時間帯なのです。
 こうした時間帯にもっとも適しているのは、物事を深く考えたり、発想力を必要とする仕事をすることです。この貴重な時間を、脳をほとんど使わないメールチェックに使ってしまうのは、あまりにもったいないことです。

(引用終了)
<同書 170−172ページ>

ということで、一晩眠ると、自律神経のサイクルが一巡するので、重要な判断事を、理性と感性の両面から見ることが出来るわけだ。これが一晩眠ると判断間違いを減らせる理由の第二である。

 以上、“sleep on it”の根拠について、脳科学と免疫学(生物学)の二つの面から考えてきた。みなさんも上司からなにか大事なことを相談されたら、遠慮なく“I will sleep on it.”といって、返事を翌朝まで持ち越してみてはいかがだろう。きっと正しい判断が下せる筈だ。

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現場のビジネス英語“Three strikes, you are out!”

2009年10月13日 [ 現場のビジネス英語シリーズ ]@sanmotegiをフォローする

 外資系の会社に勤めているAさんは、ある日ボスのトムが、部下のマイケルに対して、“Three strikes, you are out”というのを聞いた。Aさんの語学力でも、トムが「ストライク・スリーでおまえはアウトだ」と言ったことはよく分かったので、Aさんは、あとでマイケルにその意味を尋ねてみた。

 「トムは、僕が仕事で二度失敗したので、もう一度失敗したら馘首(クビ)だぞ、と云ったんだ。アメリカ人に分りやすい野球の比喩を使ってね」マイケルはAさんにそう教えてくれた。Aさんはこのブログで「3の構造」の項を読んでいたので、”Three strikes, you are out”というのも「3」に関連する云い回しだわ、とその符合を面白く思った。

 Aさんはそこで、「3の構造 II」に書かれていた、「3」の構造の特徴をノートに書き出してみた。

(イ) 多数のなかでの頂点を示す(「いろは」や「ABC」など)
(ロ) 安定性(三脚椅子の例のように不安定さの無い状態を示す)
(ハ) 発展性(二つが作用しあって新しい何かが生まれるという発展構造)

 さて、ボスのトムが使った云い回しは、どうやらこの中の(イ)に相当するようだ。三回も失敗を続ければ、そいつはその後も同じように多数の失敗を繰り返すだろうというわけだ。

 次にAさんは、ニュアンスの似た日本語の諺を考えてみた。すると、「二度あることは三度ある」と「三度目の正直」の二つが頭に浮かんだ。トムの言い分を当て嵌めてみる。「二度あることは三度ある」から次は失敗しないように気をつけろ、二度までは許してやるが「三度目の正直」で駄目なら馘首(クビ)だぞ、といった感じだろうか。Aさんは、アメリカと日本に同じような言い回しがあることに、「3の構造」の世界性を感じた。

 ところでAさんは、このうち「三度目の正直」という諺のなかに、別のニュアンスがあることを感じ取ってもいた。それは「動性」である。「二度あることは三度ある」という場合は、物事がそこで(静的に)安定してしまうけれど、「三度目の正直」には「前の二回とは違うようにする」ということで、行為の「動性」が伺える。だからこの諺は(ハ)の「発展性」に相当するのではないだろうか、とAさんは考えたのである。Aさんはこの考えに基づいて、三つの諺を(多少重なりはするものの)次のように並べてみた。

(イ) “Three strikes, you are out”(頂点性)
(ロ) 「二度あることは三度ある」(安定性)
(ハ) 「三度目の正直」(発展性)

 するとAさんはさらに、この三つの特徴のなかに(イ)→(ロ)→(ハ)という「流れ」が見えてきた。頂点性から安定性に、そして発展性へ。どういうことかマイケルの例で考えてみよう。マイケルが仕事で失敗を続ける今の状態から脱するためには、前の二回と違った何か別の遣り方をしなければならない。(イ)に始まって、(ロ)に留まってしまっていては、彼の成功は無い。マイケルは、前の失敗経験を生かして、(ハ)の発展性へと動き始めなければならないのである。

 いかがだろう、頂点から安定点に、そして発展へ、(イ)→(ロ)→(ハ)という「流れ」が見えてきただろうか。頂点を形成し、安定点へ到達しようとする意識の流れは、気付きによって、内部から分岐・発展させ、次のステージへと向きを変えることができる。皆さんも、仕事で失敗が二度続いたら、ボスから“Three strikes, you are out”と云われる前に、その失敗を活かして別の方法を編み出し、「三度目の正直」にチャレンジしていただきたい。Aさんからこのことを教えられたマイケルも、その後なんとか別のやり方で仕事に成功し、ボスのトムから褒められたという。

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現場のビジネス英語“会議にて”

2008年12月30日 [ 現場のビジネス英語シリーズ ]@sanmotegiをフォローする

 会議に出席し、発言せずにじっとボスのトムや他の出席者の発言を聴いていたAさんは、会議が終わった後トムから「会議で発言しないのなら次から出席しなくてもいいよ」(“If you are not going to say anything in the meeting, you don’t have to attend anymore.”)と云われてしまった。Aさんは自分の意見が無いわけではなかったが、「でしゃばる必要もないか、あとでトムに個人的に意見を言えばいいわ」と考えていたのだが…。

 Aさんはある外資系の会社に勤めている。この会社では、最近日本へやってきたばかりのアメリカ人のリーダー・トムの下であるプロジェクトが進められていて、Aさんもそのプロジェクトの重要メンバーである。

 トムの発言の理由について、「日本語について」で紹介した「外から見た日本語」という西原教授の記事を一部引用して説明しよう。

「意見を理論的に述べたり、仮説を立てて自分の意見とは異なった論調の立場からでも論じたりする『ディベート』形式の話し合いは、議論を楽しむ精神と、論議が尽くされたと考えられれば、多数決で決着をつける習慣が伴って初めて意味を持つ。表決の結果が51対49であっても、多数意見が得られれば、それで決着がついたと考えることでもある。
 日本語社会では、対立はなるべく避け、話し合いに参加する全員が納得したと思われる雰囲気を作り出すことに細心の注意が払われる。また、『仮にある立場を採って議論する』ということは不誠実だと思われがちである。だから、『落としどころ』が何処になるかを皆で探し出すまで、時間をかけて話し合うことになる。
 話し合いとは論理の詰めでなく、妥協点が何処に落ち着くかを探り合うプロセスだということもできるだろう。その代わり、一旦全員の気持ちが一致し、結論に納得すれば、実行は速やかに行われる。
 この『日本的な意思決定』を日本社会の特徴であるとして、日本人と一緒に仕事するための警告にしているビジネス関係出版物もあるほどである。
 話し合いの過程に関してもう一つ特徴とされるのは、日本的な意思決定の過程では、格別発言しないことも許されるし、黙って聞いている場合でも、話し合いに参加しているとみなされるということである。
 しかし、西洋的な話し合いの場では、発言しないことは議論を放棄することとみなされるのが通例である。ある外資系会社の日本人社員が、外国人の上司に『話し合いに参加していない』と注意されたという逸話を読んだことがある。その社員は、上司の意見に賛成だったので、頷きながら傾聴していたのだという。」(「結論より妥協点の話し合い」より)

長い引用になったが、Aさんの場合もまさにこの例に相当するといえる。まだボスのトムは来日して間がなく、「日本人と一緒に仕事するための警告にしているビジネス関係出版物」を読んでいなかったのだろう。

 英語における「ディベート」形式の会議については、個人的な思い出がある。子どものとき通っていたアメリカの小学校での体験なのだが、あるとき「ディベート」の授業があり、生徒の中から数人が選ばれて国連代表の役割が与えられた。私はクラスのなかで只一人の東洋人だったので、中国代表の役割が与えられた。さて実際のディベートが始まると、教師は私に中国代表らしく振舞うことを求め、(自分の意見はさておいて)各国が提案することに対してなんでも反対するよう指示した。だから会議が始まると、私はいつも「反対!」(“I disagree.”)とだけ叫んでいたのであった。

 中国代表は何でも反対するというのも今から思えば誇張した教え方だが、それはさておき、私はこの授業で、英語のディベートとは「ある役割を演じること」であり、極端な場合、会議のためには自分が思っていないことでも発言し、参加者の議論を喚起する必要があることを学習した。

A Resource Planning−英語的発想−主格中心
a 脳の働き−「公(public)」

B Process Technology−日本語的発想−環境中心
b 身体の働き−「私(private)」

という私の発想の原点はここにあるのかもしれない。英語社会においては、ディベートが終われば、参加したメンバーはみな友人に戻る。そうやって議論を戦わせることは、「公(public)」としての役割に過ぎないからである。

 西原教授は同記事の最後に、「ますますグローバル化する今の時代においては、意思決定の文化差にも注意し、時と場合によって使い分けることが期待されているのではないだろうか。」と書かれているが、私は同時に、日本語表現そのもののなかに、もう少し「公的表現を構築する力」を付与すべきだと考えている。それをどのように実現するか、これからみなさんと一緒に考えていきたい。

尚、「現場のビジネス英語」シリーズはこれまで、
否定形の質問について
Resource PlanningとProcess Technology
MarketingとSales
と回を重ねてきた。併せて読んでいただければ嬉しい。

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現場のビジネス英語“MarketingとSales”

2008年05月06日 [ 現場のビジネス英語シリーズ ]@sanmotegiをフォローする

 ある会議でのこと、ボスのトムがAさんたち部下に「今日はマーケティングの話だから販売の人は残らなくていいよ」(“Today, we need to focus on the marketing issues, so sales people are not required to stay”)と言った。

 皆さんの中には何か変だと感じた人もいると思う。「マーケティングの話なのに販売の人がいなくてどうするの?」、「おれはエンジニアだけど、商品化の話にはいつもセールスの連中を呼んでいるぜ」などなど。尚、Aさんやボスのトムについては『現場のビジネス英語「否定形の質問について」』を参照して欲しい。

 どうしてトムは、マーケティングの話に販売(セールス)を呼ばないのか?それは、マーケティングが、事業の中枢であるところの(技術やIPなどの)経営資源を、どのように市場とマッチングさせて商品化するかという作業であり、反対に、販売(セールス)とは、今ある商品の良さをいかに買い手に伝え、流通を整理してどのように売っていくかということだからだ。

 トムが言いたかったのは、この会議は新しい商品を考える場だから、既存の商品を販売してくれている人達の貴重な時間をつぶすことはない、ということである。今ある商品を売ることと、これからの商品を考えることとはまったく別の作業なのだ。勿論マーケティングとセールスと、どちらが良いとか悪いとかの話ではない。

 画期的な商品は、@新しい素材、A新しいコンセプト、B新しい流通、から生まれる。これらは既存の商品の否定から始まるのだ。勿論トムの部署には販売の経験を持つ人たちがいて、その連中がいまマーケティングをやっているから、既存のセールスのことも分かった上でこれからの商品をどのように流通させていくかを考えることが出来る。

 日本の多くの会社において、このMarketing機能とSales機能とがはっきり区別されていないのは何故だろう? それはおそらく、「カーブアウトII」で述べた、「カーブアウトの判断は、多分にResource Planning的行為だから、日本の会社はそもそも不得意なのである。」ということと関係するのではないか。新しい経営資源と市場とのマッチングを図るマーケティングも、カーブアウトと同じくResource Planning的作業だからだ。

 日本の企業の多くは、マーケティングというResource Planningと、Process Technology的作業であるところのセールスとの区別が付かない。だからマーケティングの会議に販売の人たちが出席し、新しい商品(案)は何故売れないか、という話になってしまうのだ。

 MarketingとSalesの区別がわかる企業は、既存の売上を確保しつつ新しい商品を立ち上げることが出来る。そうでない企業は、既存商品の売上が落ち始めるまで新しい商品のことを考えることが出来ない。そしてやがて市場から淘汰されてしまう。あなたの会社は大丈夫だろうか?

 ところで、Resource PlanningとProcess Technologyの二つを活かす「包容力」は、企業経営だけに止まらず、あらゆる組織運営に必要なことだと思う。

 最近「ボローニャ紀行」井上ひさし著(文藝春秋)を読んだが、氏はその軽妙な語り口で、ボローニャ市民が豊かな地域文化を創りあげてきた背景には、ローマ時代から長く受け継がれてきた「自治の精神」があり、市民たちの思考の原点には自分という「主格」がしっかりと置かれていること、と同時に彼らはボローニャという自分たちの「環境」を大切にし、市民同士の連帯のなかからいろいろなビジネスや施設を立ち上げていることを指摘しておられる。都市の運営にも的確なResource Planningと、行き届いたProcess Technologyが必要なのだ。

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現場のビジネス英語“Resource PlanningとProcess Technology”

2008年03月12日 [ 現場のビジネス英語シリーズ ]@sanmotegiをフォローする

 前に「爆弾と安全装置」の中で、企業戦略(Strategy)とは、持てる資産と市場とのマッチングを図ることであり、両者の乖離が激しいときは、ビジネスモデルの変更も視野に入れなければならないと書いたが、市場の変化がそれほどドラスティックでない場合は、ビジネスモデル自体を変えるのではなく、持てる資産の方を市場に合わせて、強化・改善していくことになる。

 今回は、資産を市場に合わせる方法としての二つの方法論、Resource PlanningとProcess Technologyについて考えてみたい。Resource Planningとは、持てる資産(Resource)を市場に合わせて計画・強化することであり、投資などがその例である。一方、Process Technologyとは、技術やプロセス・ノウハウ(KH)などの資産を、市場に合うように継続的に改善していくことだ。

 この二つの方法は、相互補完的であるべきだが、国内外の会社と長く付き合ってきた経験から言うと、一般的にいって、欧米の企業はResource Planning(投資など)に優れており、日本の企業はProcess Technology(工程改善)が得意である。

 Corporate Value Associates(CVA)の現パートナー、東京オフィス・マネージング・ディレクターパートナーの今北純一氏は、その著書「西洋の着想 東洋の着想」(文春新書)の中で、「切紙細工と粘土細工」、「円陣方式とバケツ・リレー方式」、「コンセプトとディテール」、「橋の上からの座標軸と小船の上からの観察」、などのキーワードを使って、両者の発想の違いを語っておられる。

 今北氏のいわれる「切紙細工、円陣方式、コンセプト、橋の上からの座標軸」は、置かれた環境の全体最適を外側から大局的に考える方法で、欧米の得意とするResource Planning的発想であり、「粘土細工、バケツ・リレー方式、ディテール、小船の上からの観察」は、置かれた環境を内部から改善する方法で、日本企業お得意のProcess Technology的発想だ。

 さて、以前私は『現場のビジネス英語「否定形の質問について」』の中で、英語では、個々人はつねに事実と向き合って、事実に関するお互いの意見を述べ合うのに対して、日本語は、環境を優先し、質問者の意見に対して賛成・反対を表明すると書いた。これは、英語的発想が、思考の原点に自分という「主格」を置くのに対して、日本語的発想がそれを置かず、「環境」を主体にして思考するということでもあった。

 「Resource Planning vs. Process Technology」という対比と、「事実と向き合って意見を述べ合う態度 vs. 環境を優先して賛成・反対を表明する態度」という対比とを横に並べてみると、双方の前者と双方の後者とがそれぞれ重なり合うことに気付く。「Resource Planning =英語的発想」、「Process Technology=日本語的発想」という訳だ。

 そういう言語的背景があるから、欧米の企業はResource Planningに優れており、日本の企業はProcess Technologyが得意なのだろう。確かに、Resource Planningを行うためには、「主格」を尊重し、現状を安易に肯定せず、様々な角度から足りないところを指摘し合う必要があるし、Process Technologyを極めるためには、与えられた「環境」に共に入り込み、皆で一致団結して改善作業を行わなければならない。

 このように、本来相互補完的であるべきResource Planning とProcess Technologyという二つの方法論が、英語的発想と日本語的発想という対峙をそれぞれのルーツとしているとすると、真の企業経営には、この両者をその両翼の下に宿す強い「包容力」が必要とされる筈だ。

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現場のビジネス英語“否定形の質問について”

2008年01月16日 [ 現場のビジネス英語シリーズ ]@sanmotegiをフォローする

 私は大学を卒業してすぐ、大手エレクトロニクス企業に入社した。入社して三年目にアメリカへ赴任し、そのまま十三年間アメリカで、製造と原価計算関わる仕事や、ビジネスプランの仕事をしていた。帰国後は、マーケティングや他社との共同開発のまとめ役、そしてブランド戦略に関わるネット事業の立ち上げを経験した。

 子供のときにもアメリカにいたことがあるので、都合十五年間、外では英語を使って生活していたことになる。そういう経験から、何回かに分けて、現場のビジネス英語について書いてみよう。まず初回は「否定形の質問について」である。

 Aさんはある外資系の会社に勤めている。この会社では、最近日本へやってきたばかりのアメリカ人のリーダーの下であるプロジェクトが進められているが、Aさんもそのプロジェクトの重要メンバーである。しかしそのプロジェクトは遅れ気味で、その日も朝早くからプロジェクト進捗会議が招集された。会議は当然英語で行われる。Aさんの語学力は、リーダーや他のメンバーの発言内容をだいたい理解できる程度だ。

 会議の中ごろになって同僚のBさんが、プロジェクトの遅れを回復するために一つの提案をした。Aさんはそれを聞いていて、あまり良い案だとは思えなかった。アメリカ人のリーダーであるトムもそう思ったらしく、「それはあまり良い案だとは思えないね」(”It does not seem to be a good idea”) といった。そしてその後、Aさんの方を向いて「あなたも彼のアイデアに不賛成でしょ?」(“You don’t agree with his idea, do you Miss A?”) と同意を求めてきた。Aさんは(自分もそう思っていたので)すぐに「そうですね」(”Yes”)と答えた。それを聞くと、トムはなぜか怪訝な顔をして、Aさんに「何故?」(“Why?”) と質問した。Aさんは慌てて何故その案を良くないと思ったかを説明をした。するとトムはな〜んだという顔つきで、「そうだよね」(“You are right”) と答えてくれた。おかげで会議は無事進行したのだが、Aさんはどうしてトムが始め怪訝な顔をして「何故?」と質問したのかが分からない。

 みなさんもこれに似た経験をしたことはないだろうか?なぜトムが怪訝な顔をしたのか?それは、Aさんの「そうですね」(“Yes”) という答えにある。Aさんとしては、トムの「それはあまり良い案だとは思えないね」という発言に対して、相槌を打った積りで「そうですね」と答えたのだが、アメリカ人のトムは、Aさんの返事を、Bさんの提案に対する肯定の”Yes”と取ってしまったのだ。

 英語ではこういった否定形の文に付加疑問詞がついた場合、質問者の意見に対してYes/Noを答えるのではなく、取り上げられた事象に対して、自分は肯定なのか否定なのかという答え方をする。だから本当はここでAさんは(Bさんの提案を良くないと思っているのだから)、“No”と答えなければいけなかったのだ。そして続けて、自分がNoと思う理由をきちんと述べるべきだった。

 この、「質問者の意見に対してYes/Noを答えるのではなく、話題とされた事象に対して、自分が肯定なのか否定なのかを述べる」という答え方は、「客観的な事実(Fact)の前では万人が平等である」という欧米の思考法に基づいた考え方なのだろう。個々人はつねにその事実と向き合って、事実に関するお互いの意見を述べ合う。しかも出来るだけ正直に。正直に述べ合うことによって、事実がより明らかになることを全員が望んでいるからだ。だからNoといっても相手の人格が傷つくことはない。

 日本語ではそれに対して、Aさんがそうしたように、「質問者の意見に対してYes/Noを答える」という返事の仕方をする。それは、「客観的な事実よりも共同体における人間関係の方が大切だ」といった日本社会の伝統的な考え方が影響しているのだろう。人々はつねに周りの人間関係に気を配りながら、質問者の意見に対して賛成・反対を表明する。しかも、反対するときはできるだけ遠まわしな言い方をする。そうすることで人間関係が円満に保たれることを望むのだ。

 さて、とっさの場合、YesかNoかどちらか分からなくなってしまう事もある。そのときはYes/Noはさておき、とにかく自分の意見をきちんと述べることだ。そうすればYesかNoかは相手が判断してくれる。英語での会話は、こういった欧米の思考方法に関する本質的なことを踏まえていないと思わぬ誤解を生むことがある。逆に言うと、英語を学ぶということは、そういう思考方法を身につけることでもある。

 ところで、英語の否定形の質問については、最近読んだ「西洋音楽から見たニッポン」石井宏著(PHP研究所)にも書いてある(エピローグ:「ノー」と言えない日本語)。この本の、日本語はリズムよりも旋律である、という指摘はとても面白い(第一章:俳句は四・四・四)。

西洋音楽から見たニッポン―俳句は四・四・四

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