前回「足に靴を合わせる」の項で触れた「新しい家族の枠組み」の中に、「社交の復活」という項目(6番目)がある。
1. 家内領域と公共領域の近接
2. 家族構成員相互の理性的関係
3. 価値中心主義
4. 資質と時間による分業
5. 家族の自立性の強化
6. 社交の復活
7. 非親族への寛容
8. 大家族
これからの時代は、生活の様々なシーンで「社交」が大切になってくる筈だが、いまの日本語は、あまりそれに適していないと思われるところがある。「あれは単なる社交辞令さ」といえば悪口に決まっている。社交とは、優れて都会的な振舞いである。複眼主義の対比でいえば、
A Resource Planning−英語的発想−主格中心
a 脳(大脳新皮質)の働き−「公(Public)」
α 都市の時間(t = interest)
B Process Technology−日本語的発想−環境中心
b 身体(大脳旧皮質及び脳幹)の働き−「私(Private)」
β 自然の時間(t = ∞)
におけるA、aの領域の話だ。だからいまの日本(語)人にはなかなか難しい。
この面における近代日本語の欠陥について早くから自覚的だったのは、作家の丸谷才一氏だとおもう。氏はその著書『挨拶はたいへんだ』(朝日文庫)における野坂昭如氏との対談のなかで、社交的挨拶の難しさについて次のように述べている。
(引用開始)
野坂 そんなふうにいろいろな配慮が必要なのは、結局、村落共同体での挨拶とはちがふ、都市社会での挨拶の仕方を考へなければいけないからでせう。
丸谷 そのとほりですね。われわれが今、挨拶の問題で困っているのは、村落共同体的な社会から都市的な社会へ、移りかけてゐるし、あるいは移ってしまってゐる。ところが言葉の実態はそれに伴つてゐない。新しい型は出来てゐないし、古い型はとうに亡んでしまつた。つまり非常に困る。その困り方を痛感するから、ぼくの困り方を例に出すことで、みんなで考へようというのがこの本なんです。
(引用終了)
<同書 243ページ>
社交には、村落共同体的な馴れ合いではなく、自立した都会的な言葉が必要なのである。この『挨拶はたいへんだ』と『あいさつは一仕事』(朝日文庫)の2冊は、丸谷氏の各種挨拶文を纏めたユニークな本だ。氏が苦労して練り上げた日本語のスピーチが楽しめる。一読を勧めたい。
『あいさつは一仕事』の中で、対談相手の和田誠氏は、丸谷流スピーチ術の心得を次の七つに纏めている。
その一「原稿を作って準備する」
その二「長すぎるのはだめ」
その三「余計な前置きを入れるな」
その四「引用は一つにせよ」
その五「おもしろい話を入れろ」
その六「ゴシップを有効に使え」
その七「悪口を言うなら対策を考えておけ」
以前「現場のビジネス英語“sence of humor”」の項で、近代日本語は環境べったりで、自らの無知や誤解、思考の癖、不得意分野などに自覚的であるという「精神的自立の条件」に不十分であり、そのせいで日本人はユーモアのセンスに欠けているのではないかと指摘したけれど、社交に大切なものの一つは、このユーモアのセンスである。それは、その五「おもしろい話を入れろ」という心得と重なる。
ビジネスでも挨拶は欠かせない。「新しい家族の枠組み」の時代、丸谷氏の本などを読みながら、自分の「社交のための言葉」を鍛えようではないか。
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