以前「両端の奥の物語」の項で、流域の両端(奥山と奥座敷)を言葉で繋ぐ梨木香歩さんのエッセイを紹介したけれど、去年の秋出版された梨木さんの『冬虫夏草』(新潮社)は、小説の形で流域の両端を結ぶ味わい深い物語だ。初めに、本カバーの帯(表、裏)から案内文を引用しておこう。
(引用開始)
ここはすでに、天に近い場所(ところ)なのだ――。
『家守綺譚』の主人公にして新米精神労働者たる綿貫征四郎が、鈴鹿山中で繰り広げる心の冒険の旅。それはついこのあいだ、ほんの百年すこしまえの物語。
疎水に近い亡友の生家の守(もり)を託されている、駆け出しもの書き綿貫征四郎。行方知れずになって半年あまりが経つ愛犬ゴローの目撃情報に加え、イワナの夫婦者が営むという宿屋に泊まってみたい誘惑に勝てず、家も原稿もほっぽり出して分け入った秋色いや増す鈴鹿の山襞深くで、綿貫がしみじみと瞠目させられたもの。それは、自然の猛威に抗いはせぬが心の背筋はすくっと伸ばし、冬なら冬を、夏なら夏を生き抜こうとする真摯な姿だった。人びとも、人間(ひと)にあらざる者たちも……。
(引用終了)
<傍点省略>
どこか漱石『草枕』の語り手を髣髴させる本書の主人公綿貫征四郎は、愛知川流域を遡る道中、村びとや友人の細菌学者、河童や天狗、赤竜の化身などと巡り会い、最後に瀑声轟く滝の下で愛犬ゴローと再会する。
この小説は、以前に出版された『家守綺譚』(新潮文庫)の続編であり、ほぼ同時に出版された『村田エフェンディ滞土録』(角川文庫)とも話が繋がっている。その繋がりを演出するのが、いづれの書にも登場する「竜神」だ。『家守綺譚』の白竜、『村田エフェンディ滞土録』に登場する火の竜サラマンドラ、そして『冬虫夏草』の赤竜の化身である。
村人たちの言い伝えによると、奥山竜ヶ岳から四方へ流れ出る宇賀川、青川、田光川、そして愛知川は、それぞれ白竜、青竜、黒竜、赤竜に守られているという。そのなかで、愛知川を管轄する赤竜が、長いことその地を留守にしていた。征四郎は道中、愛知川に戻る赤竜の化身と出会う。赤竜が愛知川に戻れば川は守られる。しかし、征四郎の亡友高堂は、宿に泊まる征四郎の枕頭で、「この地は将来、巨大な河桁によって水の底に沈む」と不吉な予言を残す。巨大な河桁とは、おそらく昭和に入って出来た永源寺ダムのことのようだが、この小説ではそこまで詳らかではない。
鈴鹿地方の竜神伝説は、以前「“タテとヨコ”のつながり」の項で述べた『オオカミの護符』の「オイヌさま」同様、流域の奥山と奥座敷とを結ぶ山岳信仰の神秘の象徴である。各地の流域には、このような奥山と奥座敷との間を結ぶ「魂の通う道」があった。しかし、大量生産・輸送・消費の時代に(ダムなどによって)寸断され、その多くが忘れ去られてしまった。「ついこのあいだ、ほんの百年すこしまえ」まで頻繁な行き来があったのに。
21世紀のモノコト・シフトの時代、これら山岳信仰の神秘は、流域を繋ぐ“コト”の象徴として、再び見直され始めている。梨木さんは、その辺りのことについて雑誌のインタビューの中で次のように述べておられる。
(引用開始)
ここ数年来、私自身意識する自分の「志向」として、匂い立つようなローカリティが書きたい、ということがあります。車で国道を走っていてもどうかすると北海道も鹿児島も同じような郊外型大型店やショッピングモールばかりで、方言も、もう昔のような方言は今の若い人には使えない、という話は全国至るところで聞きます。それはすなわち、噛み応えのある「その土地らしさ」が消え失せつつあるということ。おっしゃるような、土地の歴史、神話、地勢、習俗ひっくるめたローカリティというものを、せめて作品の中に、微(かす)かにでも残したい、という思いはあります。
(引用終了)
<小説現代1月号 581−582ページ>
この小説は、村人たちが豊な方言で語る土地の伝承や風習、各章を彩る草木の名前、最後に泊まる竜の眷属イワナの宿、愛犬ゴローが見つかる暴たる竜など、愛知川流域の人や天地自然の気を描いて余すところがない。完成させた梨木さんの筆力を称えたい。また、綿貫征四郎物語は今後も書き続けられるだろうからそれも楽しみだ。
本書を読んで興味を覚えた人は、『家守綺譚』と『村田エフェンディ滞土録』にも当って戴きたい。世界が広がり、感興が増すに違いない。
この記事へのコメント
〜さっきまた梨木さんの「冬虫夏草」読み直していたところでした!
素敵なお話ですよね。「家守」も好きですが。
ダム・・永源寺ダム?がメインテーマですよねこの小説の、きっと。
ごろ―も、高堂も、赤竜も、サラマンドラもきっとそれぞれが頑張ったのでしょうが(その時にできることを)
でもダムは出来てしまい、村は水の底に。
私は北海道人なので、本州独特の地方文化にとても憧れます。
鈴鹿の地形・歴史・水の道・琵琶湖・疏水
イワナの宿。いやカッパのお宿?アマゴの宿とか泊まってみたいです。
素敵なコメント有難うございます。
北海道人が憧れる本州独特の地方文化。
この視点は新鮮でした。
またのお便りをお待ちしています。
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