今回は、最近読んで面白かった『田舎のパン屋が見つけた「腐る経済」』渡邉格著(講談社)という本を紹介しよう。いつものようにまず新聞書評によってその内容を紹介する。
(引用開始)
おいしいと評判の岡山のパン屋さんは“21世紀のマルクス”であるらしい。江戸時代の風情が残る人口8千人の山あいの町。著者はここで、地元の素材と天然菌にこだわったパン屋を営む。規模は小さくとも地域内で富を循環させて、自然や生態系を守りながら心豊かに暮らす――その生き方の背景には、効率や利潤第一の資本主義経済に対する強烈な違和感がある。
天然酵母パンの奥深き風味にも似て、本書の内容も重層的だ。元フリーターの起業物語であると同時に、食の安全や地域経済再生の提言でもある。瞠目すべきはマルクスの『資本論』をパンづくりの観点から読み解いていること。自然栽培の作物に比べ、無理やり栄養を与えられたものは生命力に乏しく腐敗しやすい(つまり財政出動などの「肥料」で経済を太らせてもダメ)など、菌と発酵の話もめっぽうおもしろく、考えさせられる。
菌とマルクスに導かれ、著者は「腐る経済」なる理想にたどり着く。やがては土に還る自然の摂理に反して増え続けるお金。「腐らない」お金が問題を引き起こしているからだ。ネーミングは目を引くが、少々腑に落ちない部分も。だが前代未聞の菌が主役のビジネス書ゆえ、そこは大目に見よう。静かなる革命の書は、読むほどにライ麦パンの酸っぱい香りが漂う気がする。
(引用終了)
<朝日新聞 11/3/2013 フリガナは省略>
どこが「少々腑に落ちない部分」なのかは不明だが、だいたいの内容はお分かりいただけると思う。このブログでは、モノコト・シフト時代の産業システムとして、多品種少量生産、食品の地産地消、資源循環、新技術の四つを挙げ、それを牽引するのは、理念濃厚なスモールビジネスであるとしているが、このパン屋さんは、正にこれからの時代の代表選手だろう。
この本には少なくとも三つのポイントがある。一つは天然酵母によるパン作りの話し、二つは食材の地産地消活動、そして、三つ目が「儲からない経営」。前の二つの詳細は本をお読みいただくとして、ここでは第三の儲からない経営について、「経済の三層構造」の観点から論じてみたい。経済の三層構造とは、
「コト経済」
a: 生命の営みそのもの
b: それ以外、人と外部との相互作用全般
「モノ経済」
a: 生活必需品
b: それ以外、商品の交通全般
「マネー経済」
a: 社会にモノを循環させる潤滑剤
b: 利潤を生み出す会計システム
であり、モノコト・シフトの時代には、特にa領域(生命の営み、生活必需品、モノの循環)への求心力と、「コト経済」(a、b両領域)に対する親近感が増す。尚、ここでいう「経済」とは、「自然の諸々の循環を含めて、人間を養う社会の根本理法・理念」を指す。
この構造で見えてくるのは、儲け(利潤)というものが、「マネー経済」の
b: 利潤を生み出す会計システム
からしか生まれないという事実だ。それ以外の経済における生産と消費は、互いに等価である。事業には再投資の為の資金が必要だが、それは「マネー経済」の
a: 社会にモノを循環させる潤滑剤
によって(商品の価格に上乗せされる形で)ストックされ捻出される。この上乗せ分は、
b: 利潤を生み出す会計システム
から発した余剰マネーではなく、ビジネスの「理念と目的」を達成するために必要な蓄え(コストの先取り)だ。身体にたとえれば、運動のための体脂肪のようなものである。
だから、モノコト・シフト時代のビジネスは、「儲からない経営」で一向に構わない。むしろ、その方が経済合理的だと思う。皆さんはいかがだろう、是非この本を読んでご一緒に考えていただきたい。
この本にはもう一つ、地方都市の魅力というポイントがある。著者が移り住んだのは、岡山県の真庭市という山あいの小さな町だ。しかしそこには、草木染で暖簾をつくる職人、200年以上の歴史を誇る造り酒屋、豊な水、江戸の風情を残す町並みがあり、活き活きと暮らす人々の姿がある。「地方の時代」の項で述べたように、モノコト・シフトの時代の革命は、大規模都市からではなく、このような魅力溢れる地方都市(や「都市の中のムラ」)から始まってゆく。
この記事へのコメント
コメントを書く