前回「時空の分離」の項で、
(引用開始)
21世紀を迎え、世界は「“モノからコトへ”のパラダイム・シフト」(略してモノコト・シフト)の時代を迎えている。「時を含んだ“コト”」を研究するには、まずこの「時空の分離」を見直す必要があると思うがいかがだろう。
(引用終了)
と書いたけれど、今回もこのテーマについて考えてみたい。
様々な“コト”は、そのサイズの中に、そのコトを起こすためのエネルギーを固有の時間とともに内包している。「酵素の働きと寿命との関係」の項で探ったのはその法則性だ。生物だけでなく、石炭や石油など鉱物であっても、“コト”としての長い長い固有の時間をその体内に秘めている。全ての“モノ”(existance or being)は“コト”(becoming)なのである。鉱物や宇宙の時間は生物のそれに比して恐ろしく長いから、我々がそれに気付かないだけだ。
アインシュタイン以前の“モノ”信仰は、そこに流れる時間の存在を前提としていたため、分解・合成による利用の行き過ぎについては自然な制約があったと思う。“モノ”はexistanceであると共にbeingでもあったわけだ。アインシュタイン以降の「時を抜いた“モノ”」信仰は、「時を含んだ“コト”」をも「物質」と見なすようになった。石炭しかり、石油しかり、動物しかり、植物しかり、そして人しかり。変化した物質は「中間体」という名を与えらるようになった。“モノ”はexistance一辺倒に変わったというべきか。
20世紀の文明は、その「物質」を次から次へと破壊することでエネルギーを取り出し、それを工学的に変換して都市文明を維持してきた。“コト”の時間とサイズを圧縮してエネルギーを無理やり取り出してきたわけだ。
このブログで以前、
(引用開始)
世界は、XYZ座標軸ののっぺりとした普遍的な空間に(均一の時を刻みながら)ただ浮かんでいるのではなく、原子、分子、生命、ムラ、都市、地球といった様々なサイズの「場」の入れ子構造として存在する。それぞれの「場」は、固有の時空を持ち、互いに響きあい、呼応しあい、影響を与え合っている。この「場所の力」をベースに世界(という入れ子構造)を考えることが、モノコト・シフトの時代的要請だ。
(引用終了)
<「場所の力」より>
と書いたけれど、「時を抜いた“モノ”」信仰は、効率を求める近代文明を加速的に拡大させ、やがて放射性物質までエネルギーとして分解し、利用するようになった。そしてそれが、地球の環境自体を加速的に破壊させるに至り(その際たるものが核爆発だろう)、21世紀の時代のパラダイムは、「時を抜いた“モノ”」信仰から、「時を含んだ“コト”」を大切にする考え方に移りつつあるというのが私の見立てだ。
西洋近代文明を育んだ「存在のbe」は、自立精神とともに“モノ”信仰を生み、やがてそれは「時を抜いた“モノ”」信仰へと発展した。環境破壊は、21世紀における地球規模の問題の一つだが、それは主に、「存在のbe」を駆使して作り出された西洋近代文明の「行き過ぎ」によるものだと思う。人は本来、地球という「時を含んだ“コト”」と同期しながら生息している。石炭、石油、特に放射性物質を急速にエネルギーとして開放すれば、地球環境は激変せざるを得ない。「時を抜いた“モノ”」信仰が、地球の環境自体を加速的に破壊させたわけだ。
先日「再び存在のbeについて」の項の最後に、
(引用開始)
話が逆転するのは、私(private)空間にしか住んでいない日本人は、“草枕”で描かれるような自然との一体化はとても得意である。リーダーシップでいえば、Process Technologyの方の世界だ。この能力が実は世界の環境破壊を救うかもしれない。ここに今の日本語の限界と、逆にその存在価値があるような気がする。
(引用終了)
と書いたが、今の日本語は「存在のbe」をその語彙に持たない。日本人は、西洋近代文明を真似てここまで来たけれど、「存在のbe」を理解していないから本当の近代社会を築くことがまだできない。しかし、Process Technologyを得意とする日本語は、もともと「時を含んだ“コト”」を大切にする考え方には親和性がある。それが逆に、環境問題で悩む世界にとっての存在価値となる。
人が近代文明を享受し、「生産」(他人のための行為)の質を高めていくためには、「存在のbe」を理解し、“コト”としての生物や鉱物を、そこに流れる時間を感じつつ、環境を決定的に破壊しない範囲で適時エネルギーに変えていかなければならない。
「存在のbe」と「環境のbecoming」、その両方の重要性。「複眼主義」において、脳(大脳新皮質)の働き=Resource Planningと、身体(大脳旧皮質・脳幹)の働き=Process Technologyとのバランスを大切に考えようというのは、このことを言っている。
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