“森の力”宮脇昭著(講談社現代新書)という良い本を読んだ。まずは新聞の紹介文を引用しよう。
(引用開始)
副題は「植物生態学者の理論と実践」。1970年代から世界各国で植樹を推進する著者は、日本全国で鎮守の森に代表される土地本来の環境の総和から導かれた「潜在自然植生」を調査し、それをもとに「ふるさとの森」再生にとりくんできた。現在進行する、被災地のがれきも使った災害に強い自然の復元のためのプロジェクトにいたるまでを概説する。
(引用終了)
<朝日新聞 5/19/2013>
今回この本を読んで特に腑に落ちたのは、その土地本来の樹木(潜在的自然植生)と、里山のそれとの違いだ。「里山ビジネス」の項で述べたように、里山は、人の生活を支える資源循環のシステムである。だから土地本来の樹木を植えるわけではない。本書から、その違いの部分を引用しよう。
(引用開始)
里山と言われて親しまれてきた雑木林もまた土地本来の森ではありません。雑木林とは、国木田独歩の『武蔵野』や徳富蘆花の『自然と人生』に出てくるようなクヌギ、コナラ、エゴノキ、ヤマザクラなどの落葉広葉樹林で、長い間それが自然の森だと思われてきました。学会でも一九六〇年代半ばまでそれが定説でした。
しかし、わたしがドイツで学んだ潜在自然植生の概念からすると、それもまた土地本来の森ではないのです。
里山とは、何百年もの間、人間が薪や木炭をつくるための薪炭林として定期的に伐採したあとの切り株から芽生えが生長した「伐採再生萌芽林」であり、二〜三年に一回の下草刈りや落ち葉掻きなどの人間活動の影響下における代償植生、置き換え群落として持続してきたのが雑木林です。化学肥料が無かった時代に、あくまでも人間が肥料・飼料・建築材などの「資源」として利用するために管理してきた二次林なのです。
つまり、都市公園の中や地域の散策の場としては、数百年から人間活動と共存し、人間が手入れしてきた雑木林が好ましい。その一方で、環境保全機能や災害防止機能を重視するのであれば、潜在自然植生に基づく土地本来の森が望ましいと言えます。
(引用終了)
<同書 71−72ページ(ふりがな省略)>
潜在自然植生に基づく森は、一度木々を植えてしまえば、そのあと余り手を掛ける必要がないという。だから流域の環境保全や災害防止に向いているのだ。里山と長く親しんできた日本人は、「潜在自然植生」のことを忘れ、戦後、いたるところに生育が早くまっすぐ伸びて使いやすい、しかし手入れの必要なマツ、スギ、ヒノキを造林してしまったということらしい。
日本の潜在自然植生は、照葉樹林(常緑広葉樹林)地域ではシイ、タブ、カシ類、落葉(夏緑)広葉樹林ではブナ、ミズナラ、カシワなどが主木だという。それらは、いまも地域の「鎮守の森」に残っているという。これからの日本の植林は、「里山」と「鎮守の森」とのバランスを考えていく必要がありそうだ。
紹介文にもあるとおり、宮脇氏は、東日本大震災後の防潮提林を潜在自然植生によって作ろうというプロジェクトを進めておられる。くわしくは本書をお読みいただきたいが、宮脇方式の植樹方式においては、木を植えるマウンド(丘)づくりが必要で、その基礎に被災地の瓦礫が使えるという。とても優れたアイデアだと思う。プロジェクトはすでに、宮城県岩沼市の沿岸部などで、「千年希望の丘」事業として始まっているようだ。
尚、宮脇氏の本は、以前「森の本」の項でも紹介したことがある。併せてお読みいただけると嬉しい。私は木がとても好きだ。これからもその植生や効用について勉強していきたい。
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