山を歩いていて道に迷う場合、途中東西南北の方位感覚が何かの間違いで少しずれてしまい、それがやがて拡大していってしまうケースが多い。いわば脳裏の羅針盤にずれが生じるわけで、昼間ならば太陽の位置など、晴れた夜ならば星座の位置などによって修正可能だが、星の無い夜間ともなるとお手上げで、登山の本には、夜になったら無理な移動はするなと書いてある。
一般的な認知においても、この「羅針盤のずれ」が起こる場合がある。「認知の歪みを誘発する要因」の項で、歪みの可能性要因の一つに、
脳(大脳新皮質)の働き領域:無知・誤解・思考の癖(くせ)
を挙げた。アフォーダンス理論によれば、人は知覚システム(基礎的定位、聴覚、触覚、味覚・嗅覚、視覚他)によって運動を通してこの世界を日々発見し、脳(大脳新皮質)の働きがそれを刻々更新してゆく。だから、思考の過程において、(無知・誤解・思考の癖によって)方位感覚が少しずれてしまう(認知が歪む)と、修正する契機が無い場合、それが脳裏でどんどん拡大していってしまう危険性があるわけだ。
「認知の歪みを誘発する要因」の項で、何かの専門家であればあるほどそれ以外の領域で認知の歪みに陥りやすいと書いたけれど、羅針盤のずれは、真面目な人であればあるほど起こりやすいといえる。なぜなら真面目な人は何でも理詰めに考え抜こうとするから、修正する契機がないと、ちょっとしたずれがそのまま拡大しやすい。いってみれば星のない夜間に無理やり移動するようなことになってしまうのだ。
以前「平岡公威の冒険」の項で、平岡公威(ペンネーム三島由紀夫)について、
(引用開始)
平岡は、西洋近代が発明した均一時間と均一空間という座標軸の上に、“見る者”と“見られる者”とを並べて置いてしまった。そしてその同一化という果たせぬ夢を追求し、“認識と行為”、“精神と肉体”などといった対立項を措定しながら、“文武両道”から“知行合一”へとその信条を進めていった。そして最後は自ら措定した二項対立を止揚すべく、戦後日本の欺瞞的な政治体制に身体をぶつけて死んでしまった。
(引用終了)
と書いたけれど、ことの他真面目だった平岡は、西洋近代が発明した均一時間の上に“見る者”と“見られる者”とを並べて置いてしまう、という小さな間違いから、その論理をとことん考え抜いた挙句、自死に至るほどの「羅針盤のずれ」を抱え込んでしまったのだと思う。彼がもうすこし不真面目だったら、あるいは身近に勇気を持って間違いを指摘する友人があったら、彼の星のない夜の移動のような最後の行動は止められただろう。彼の思考軌跡を愛惜の念を込めて「平岡公威の冒険」と名付ける由縁だ。
事業方針でも、商品開発でも、体調管理やダイエットでもなんでも、ちょっと羅針盤にずれが生じているかな、と思ったら、一度立ち止まり、脳裏の地図を広げ、書を読み、人に意見を聞き、もういちど自分の立ち位置を見直すのが良いだろう。また、身近にそういう人がいたら、是非親身になって間違いを指摘(自分が間違っている可能性も含めて議論)して欲しい。逆に人から「you are wrong」といわれても怒ってはいけない。現在進行形の脳(大脳新皮質)の働きはいつも羅針盤のずれと背中合わせなのだから、人の親身な意見には謙虚に耳を傾けるべきだ。勿論、私の羅針盤にもずれが生じている可能性がある。自覚している思考の癖、無知領域、弱点や不得意分野も多い。なにせこのブログ、「夜間飛行」と称しているくらいだから、星の無い夜の飛行にはくれぐれも気を付けるようにする積もりだが、間違いがあれば是非指摘していただければと思う。互いに切磋琢磨して認知の歪みをできるだけ防ごうではないか。
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