先日「認知の歪みとシステムの自己増幅」の項で、「過剰な財欲と名声欲、そしてそれが作り出すシステムの自己増幅」は、人の過剰な財欲と名声欲がイニシエーター(initiator)であり、官僚主義が実行部隊(executor)、認知の歪みがプロモーター(promoter)であると論じ、「理念希薄企業」の項で、それを会社組織に即して眺めてみた。
演説の草稿風に纏めれば、
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社会の自由を抑圧するのは、人の過剰な財欲と名声欲、そしてそれが作り出す「壁」というシステムの自己増幅、さらに我々の認知の歪みがそれらを助長する。システムの自己増幅を担うのは官僚主義。
What suppress freedom of our society are human greed, and the “wall” system created by human greed with its self re-productions carried on by bureaucracy, which are furthered by our cognitive distortions.
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という具合。いかがだろう。
この「過剰な財欲と名声欲、そしてそれが作り出すシステムの自己増幅」は、いわば人類共通の問題である。世界(地球規模)の問題は、このほかに「環境破壊」と「貧富格差の拡大」の二つを挙げることが出来るだろう。これらは互いに作用しながら、今の「世界の問題」の全体を形成している。
従って、これからの人類は、この三つを克服し、その上で、個人の生き方の自由と、文化の多様性を守らなければならない。と同時に、世界は21世紀に入り、 “モノからコトへ”のパラダイム・シフト(モノコト・シフト)の時代を迎えているというのが私の認識だ。
このブログでは、日本社会に相応しいこれからの産業システムとして、多品種少量生産、食品の地産地消、資源循環、新技術の四つを挙げ、それを牽引するのは、フレキシブルで、判断が早く、地域に密着したスモールビジネスであると論じている。これは、世界の今の状況を、日本社会の事情(歴史や経済、地理や人口構成など)に当て嵌めた場合の考え方だ。世界は勿論全て繋がっているから、物品の輸出入はあるし、日本から大量生産・輸送・消費が無くなるわけではないけれど、これからの日本社会を牽引していくのは、起業理念の濃厚な小規模企業(とその横の連携)だと考える。
そう考える一端を述べよう。日本社会は、冒頭の三種、
1.イニシエーター(過剰な財欲と名声欲)
2.実行部隊(官僚主義)
3.プロモーター(認知の歪み)
のうち、歴史的・文化的背景から、2.の官僚主義が、ことのほか肥大化した社会だ。詳細はこのブログの「公と私論」や「言葉について」などのカテゴリで縷々綴ってきたから繰り返さないけれど、リスクをとらない、波風を立てない、といったメンタリティが、日本社会を濃い霧のように覆っている。官僚主義は、国の機関や民営化された組織、理念を失った会社や学校、その他惰性に流されたあらゆる組織、職業に忍び込んでいる。この現状の打破は、新しい“コト”を起こす自立した理念濃厚なスモールビジネスと、その横の連携によってのみ可能だろう。
「理念希薄企業」の項で述べたように、理念を失った組織の運営目的は「利益」だから、そのためには効率が優先される。公的機関では弱者の切り捨てが行なわれるだろう。そのままだと個人の海外移住が増えていくに違いない。産業システムでは、効率の良い大量生産・輸送・消費に向かう。しかしいま日本は経済的・社会的状況からして多品種少量生産の時代を迎えているから、多くの理念希薄企業は必然的に海外との競争に敗れていくだろう。
世界規模の問題は、世界規模で正すことができればいちばん良いのだろろうが、我々人類はまだそのような便利なツール(tool)を持っていない。あるのはあくまでも、国や地域における政治、経済、産業、言語といったローカルなシステムでしかない。国や地域によって、その置かれた政治や経済、文化や自然の状態は異なっている。だから、人々はそれぞれの国や地域で、「世界の問題」にそれぞれ対処していかなければならないのだ。人類の目指すところは同じだとしても。これからも「世界の問題と地域の課題」、そしてその処方箋についていろいろと考えてゆきたいと思う。
先回触れた村上春樹の新作“色彩を持たない多崎つくると、彼の巡礼の年”(文藝春秋)に関して一言付け加えておきたい。「1963年」の項で書いた「“1Q84”の世界をどうするか」という課題について、歴史と向き合うことの重要性、個人の精神的自立と信頼するもの同士の共生の必要性については充分描かれているものの、「社会の自由を抑圧するのは、人の過剰な財欲と名声欲、そしてそれが作り出すシステムの自己増幅、さらにそれを助長するのが我々の認知の歪み」との戦いの観点でいえば、今回は、共同体員の認知の歪みを巡る旅と、そこからの回復に終始した内容で、過剰な財欲と名声欲、あるいはそのシステムについてはほとんど触れられていない。“1Q84”の主人公(天吾)が最後に到達した「父性」についてもあまり言及されていない。それらは以降の作品に引き継がれるのだろう。
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