遅ればせながら、“1Q84”村上春樹著(新潮文庫)を読んだ。文庫になったのを機に、1冊目から6冊目まで、主に電車やバスの中で読み継いだのだけれど、この間ずっと、車中や車窓の現実が、リトル・ピープルの支配する“1Q84”の「ズレた世界」と重なって見えるというシュールな体験が楽しめた。そして読み終えると、この身は現実(1984年の延長としての21世紀)に戻ったはずなのに、周りは依然として“1Q84”の延長のように見える。作者は小説を終わらせる都合上、青豆と天吾を1984年に戻したけれど、「現実は1984年以降、暗澹たる“1Q84”の世界に迷い込んだままだ」と言いたいのかもしれない。そうでなければ、“1Q84”の世界をあれだけ(文庫本6冊分も!)描く筈がない。
その後、“1Q84”に関する書評や村上春樹についての評論をいろいろと読んでみた。その中の一冊、“空想読解 なるほど、村上春樹”小山鉄郎著(共同通信社)という本に、「村上春樹は1963年という年にことのほか思い入れがある」と書いてあった。1963年は、アメリカのケネディ大統領が暗殺された年であり、当時12歳の私がニューヨークで子供時代を過ごしていた年でもある。1949年生まれの村上春樹はそのとき14歳だった筈だ。小山氏は同書で次のように書いておられる。
(引用開始)
話を簡単にするために、私の考えを先に書いてしまうと、このケネディへの記述の繰り返し、ケネディが暗殺された「1963年」の頻出は、ヴェトナム戦争への村上春樹のこだわりの表明ではないか。私はそう思うのです。
(引用終了)
<同書 55ページ>
ケネディ大統領暗殺当時、私はニューヨーク郊外の公立の小学校に通っていた。その日学校にいた我々生徒は、何も知らされぬまま、全員構内の体育館に集められた。
当時その小学校では、教室から教室へ授業に応じて移動する際、生徒全員が隊列を組んで廊下を歩いた。その日も我々は、教室から体育館までの暗い廊下を行進し、体育館に着くと、クラスごと纏まって木の床に座して次に起こることを待った。
やがて体育館に入ってきた教師たちが、それぞれのクラスに対して、たった今現職の大統領がダラスで暗殺されたことを告げ、老年の教頭が即刻の休校を宣した。我々のクラスの担任は男性教師だったが、彼は目に涙を浮かべ、若く希望に溢れた大統領の不慮の死を悼んだ。そのあと、私は家のTVで暗殺当日の報道を見た。
1963年に村上春樹がことのほか思い入れのあるという話に興味を覚えたのは、今私がその年の紐育(ニューヨーク)を舞台にした小説“太陽の飛沫”を書いているところだからである。電子書籍サイト「茂木賛の世界」で連載している。連載はもうすぐ終わるところだ。
現実が「暗澹たる“1Q84”の世界」だとしたら、いずれ「“1Q84”の世界をどうするか」ということが書かれねばならない。私が思うところ、その戦いは、青豆と天吾が手を取り合ったように、一人ひとりの精神的「自立」と、信頼するもの同士の「共生」によってなされる筈だ。そしてその戦法は、敵と無闇に刃を交える決戦主義ばかりではない筈だ。
私の小説“太陽の飛沫”は、1963年の夏、主人公がその辺りのことに気付くところで終わる。勿論“1Q84”などという言葉は出てこないけれど、世界が強大な「システム」によってコントロールされているという認識は共通している。思えば村上春樹は、1979年のデビュー作“風の歌を聴け”(講談社文庫)以来、戦術をいろいろと変えながらもずっとその“1Q84”的世界と戦い続けてきたのではなかったか。暗澹たる世界との戦いを始めるという意味で、私の“太陽の飛沫”は、彼の出発点となった“風の歌を聴け”に相当するといっても良いかもしれない。戦いは続編として続くことになる。
ところで、生物学者の福岡伸一氏は、その著書“福岡ハカセの本棚”(メディアファクトリー新書)の中で、リトル・ピープルとは、あの悪名高い「利己的遺伝子」のメタファーではないかと書いておられる。勿論小説だから多義的な解釈が可能だけれど、私は、それは人の大脳新皮質に棲み着く「無限の欲望」の象徴なのではないかと思う。人の無限の欲望が「空気さなぎ」などという、一見自然な姿に擬態しているところが恐ろしい。皆さんはがいかがだろう。
この記事へのコメント
コメントを書く