このブログでは、これまで「内と外 II」や「境界設計」、「境界としての皮膚」、「布づくり」や「森ガール II」などの項で、街づくりや建築、身体や衣服における「境界」の重要性に注目してきた。先回「みんなの家」の項で紹介した“あの日からの建築”伊東豊雄著(集英社新書)にも、類似の指摘があるので紹介しておきたい。
(引用開始)
これからの時代にとって、新しいテクノロジーの活用は不可欠ですが、今日の大勢は近代主義思想の延長上で技術を展開しようとしている点に問題があります。
例えば、エネルギー源として太陽光を利用するのは言うまでもありませんが、大方の建築では内外の境界をより強固にして断熱性能を上げ、省エネルギー化をはかっています。境界の壁を強化すること、それでは人工的な人間の居住環境は周囲の自然環境からますます遠ざかっていくばかりです。
それよりも私は、建築の内部環境を外部環境に近づけたほうが、最終的には消費エネルギーを減らすことができると考えます。つまり、温熱環境を外部から内部へとグラデーショナルに変化させるのです。内外の環境を一枚の壁で仕切ってしまうのではなく、複数の壁で段階的に区切っていくのです。
かつての日本の木造家屋はこうした方法で自然と居住域を柔らかく隔てていました。勿論かつての木造家屋は、障子や襖のように境界面の断熱性能が低かったので、全体の断熱性能は決してよくはなかったのですが、それらの性能を上げていけば、私たちはもっと自然に近づいて住むことができるはずです。日本のように季節によって居住環境に大きな差のある地域では、夏のいちばん暑い日や冬のいちばん寒い日に照準を合わせて境界を定めるのはロスが大きいと言わざるを得ません。春秋の季節には外部に近い環境で過ごしたいし、一日をとっても朝晩と日中では温度が変化するのは言うまでもありません。
かつての木造家屋の思想を現代テクノロジーを用いて性能アップしていくことによって、私たちは生活をもっと楽しむことができるはずです。こうした考え方のほうが一枚の境界を堅固にするよりは、トータルな消費エネルギーを削減することに必ずなるはずです。先に津波に対してたった一枚の防潮堤で防ぐのではなく、複数の柔らかな環境によって防ぐべきであると述べましたが、建築自体においてもこの思想は全く同じなのです。私たちは近代の明快に切り分ける思想から脱してもっと柔軟に、内外の折り合いをつけていく考え方に切り替えることが必要ではないでしょうか。
(引用終了)
<同書 174−176ページ>
日本人は十二単の昔から、季節の温度変化に対していわゆる「重ね着」で対応することを服飾文化の一つとしてきた。そこで、こういった「近代の明快に切り分ける思想から脱してもっと柔軟に、内外の折り合いをつけていく考え方」を「重ね着の思想」と名付けてみたい。以前「場所の力」の項で、
(引用開始)
世界は、XYZ座標軸ののっぺりとした普遍的な空間に(均一の時を刻みながら)ただ浮かんでいるのではなく、原子、分子、生命、ムラ、都市、地球といった様々なサイズの「場」の入れ子構造として存在する。それぞれの「場」は、固有の時空を持ち、互いに響きあい、呼応しあい、影響を与え合っている。この「場所の力」をベースに世界(という入れ子構造)を考えることが、モノコト・シフトの時代的要請なのである。
(引用終了)
と書いたけれど、その「入れ子構造」をよく理解するには、境界に注目する「重ね着の思想」が大切だと思う。
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