建築家伊東豊雄氏の“あの日からの建築”(集英社新書)という本を読んだ。「みんなの家」とは、伊東氏が東日本大震災の被災地に建築している家のことで、本カバーの裏の紹介文には、
(引用開始)
東日本大震災後、被災地に大量に設営された仮設住宅は、共同体を排除した「個」の風景そのものである。著者は、岩手県釜石市の復興プロジェクトに携わるなかで、すべてを失った被災地にこそ、近代主義に因らないし自然に溶け込む建築やまちを実現できる可能性があると考え、住民相互が心を通わせ、集う場所「みんなの家」を各地で建設している。
本書では、鉱区内外で活躍する建築家として、親自然的な減災方法や集合住宅のあり方など震災復興の具体的な提案を明示する。
(引用終了)
とある。新聞の本の紹介文も引用しておこう。
(引用開始)
建築家の著者は、岩手県釜石市の復興プロジェクトに携わるうち、被災した住民たちが気楽に集える場所の必要性を感じて「みんなの家」の建築を各地で進めている。内と外を切り分けて個性的なかたちを提示する抽象的な概念提示から、外の環境とも自在に行き来する共同の営みへ。仕事を社会とつなげるための著者の試みをたどる。
(引用終了)
<朝日新聞 10/28/2012>
この「みんなの家」、既に伊東氏によって仙台市宮城野区、釜石市浜町、陸前高田市などに建てられているが、建築家山本理顕氏によっても、釜石市平田市に「みんなの家・かだって」が建てられている。「みんなの家」プロジェクトの発起人は、伊東氏の呼びかけで、東日本大震災の復興についてともに考え、行動することを目的に結成された「帰心の会」(伊藤豊雄、山本理顕、内藤廣、隈研吾、妹島和世)なので、この五人によって設計することを基本としているという。
このブログでは、世界は、時間が止まった「モノ」よりも、「コト」の起こる場の力を大切に考える「“モノからコトへ”のパラダイム・シフト」(略してモノコト・シフト)の時代を迎えている、と述べてきたけれど、「みんなの家」は、モノコト・シフトの時代における、新しい家づくり・街づくりの方向性を示している。本の中から伊東氏の文章を引用したい。
(引用開始)
私が設計の仕事を始めてから、つくり手と住まう人がこれほど心をひとつにしたことはありません。近代合理主義のシステムに従えば、「つくること」と「住むこと」の一致は不可能だと言われてきましたし、自分でもその境界ををなくすことはあり得ないと考えてきましたが、この日、つくることと住まうことの境界が溶融していくのを実感しました。それはこうした特殊な状況において初めて実感できたのであって、通常の設計行為においてこのような関係が成り立つとは思いません。しかしたとえ一瞬であっても、こうした瞬間に立ち会えたことは建築後してこの上ない幸せでした。(中略)
心のつながりは住民相互だけではありません。資金提供をしてくれた熊本県からも多くの人たちがここを訪れてくれました。県から贈られた「ゆるきゃらグランプリ」のぬいぐるみ、「くまモン」は神棚のような場所に大切に飾られています。また訪れた県議のなかに造り酒屋の主人がいて、住民たちと一緒に撮った写真をラベルに貼った焼酎(しょうちゅう)を贈ったり、さまざまな心の交流が始まっています。こうした心の交流こそ、正しく「みんな」の家の趣旨なのです。震災後、日本は勿論のこと、世界各地から膨大な義援金や救援物資が届けられました。そうした善意が有難いことは言うまでもありませんが、単に一方から他方への一方通行ではなく、相互に心が通い合う行為こそが、これからの人間関係や社会のあり方を考える鍵ではないでしょうか。
(引用終了)
<同書 78−79ページより>
ここでいう「相互に心が通い合う行為」こそ、モノコト・シフト時代の社会に求められていることなのだと強く思う。2012年のヴェネチア・ビエンナーレ国際建築展において、「みんなの家」が金獅子賞を獲得したのも頷ける。
尚、「帰心の会」のメンバーのうち、山本理顕氏について以前「流域社会圏」の項で、内藤廣氏については「水辺のブレイクスルー」、また隈研吾氏については以前「境界設計」や「場所の力」などの項で紹介したことがある。併せてお読みいただければ嬉しい。
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