“日本語と英語”片岡義男著(NHK出版新書)によって、日本語の話を続けよう。この本には、先回引用した「いつのまにかそうなっている」という項を含め、全部で83項目の日本語と英語に関する挿話が載っている。先回引用した本カバー裏の紹介文にある、「風呂を取る(take a bath)」ものだと思っていた少年は、ずっと「風呂に入る」ということが分からなかった…という話は、前書きの「一枚のインデックスカードに値する」という項に書かれている。日本語は、「状態」や「環境」主体の言葉だから、日本人は「風呂」を場所に見立ててそこに「入る」わけだが、動詞で能動的に働きかける主格中心の英語では、人が「風呂を取る」と表現する。たしかに日本人は何にでも入りたがる。
(引用開始)
風呂に入る以外に、日本語の人たちは、どこへ入るか。小学校に入る。会社に入る。保険に入る。家庭に入る。話に入る。仲間に入る。人の輪に入る。鬼籍に入る、という入りかたもある。「風呂を取る」などと言っていた子供が風呂に入ることを学んだのは、ずっとあとになってからのことだった。
(引用終了)
<同書 18ページ>
仲間に入りたがるから、日本人は仲間外れにされることを極端に怖がる。会社に入るから、「出る」ことに勇気がいるわけだ。このように、83項目の挿話のどれも面白いのだが、英語と日本語の違いを端的に表すのが“「現在地」にあなたはいない”という一番初めの挿話だ。引用してみよう。
(引用開始)
駅の改札口を出て、確かにこちらだったと思いながら、南口の商店街のほうへ歩いていこうとすると、交番の向かい側、タクシー乗り場の端に、近所の案内地図の掲示板が立っているのを見つける。最近ではこのような掲示板は堅牢な構造物となっている場合が多い。駅を中心とした単なる地図が、透明な保護樹脂に守られて暇そうにしている。役に立たない地図だから暇なのだ。
この近辺案内地図のまんなかあたり、少しだけ下の位置に、赤い色で塗りつぶした丸、三角、あるいは四角などの図形があり、その図形の上に黒い愛想のない文字で、「現在位置」と印刷してあるのを誰もが見る。「現在位置」とは不思議な言葉だが、誰もそんなことは思わない。「あなたが現在いる位置はここです」という意味が、現・在・位・置の、そしてこの順にならんだ、四つの漢字による言葉の内部に折りたたまれている。日本で標準的な教育を受けた人なら、そのくらいのことは言われるまでもなくわかる。「現在位置」という漢字の列をひと目見ただけで、その内部に折たたまれている意味が、誰にでもとっさに理解できる。(中略)
近辺案内地図の「現在位置」あるいは「現在地」という日本語に該当する英語の言いかたは、You are Hereだ。案内地図をふと見た人は誰もが、ほとんど名ざしで、youと特定される。そのyouはhereつまり、「ここ」にあるのだ。youと名ざしされたその人の問題として、hereという地図上の一点が提示される。誰でもがyouであり得るけれど、案内地図のなかからyouと言われたなら、そのときそこで地図を見ているその人が、特定されている。このことに比べると、「現在位置」、あるいは「現在地」という日本語の言いかたは、状況の一般論だ。現在という漠然の極みのような状態のなかに、「位置」や「地」が、なぜだか知らないがそこにある。
(引用終了)
<同書 28−30ページ>
近辺案内地図における日本語の「現在地」という表示と、英語の「you are here」という表示の違いに、「状態」や「環境」を中心に考える日本語的発想と、「主格」を中心に考える英語的発想の違いとが端的に示されている。
以前「言語技術」の項で、“英文法の謎を解く”副島隆彦著(ちくま新書)から、
(引用開始)
日本文を英文(ヨーロッパ語の文)と比較して、ひとつの大きな特徴があることに気づく。日本文は、どんなに複雑に見えようとも「A=B」に還元できる言語である。「きのうは疲れた」でも、「みんなの願いは景気回復だ」でも「彼はダメだ」「彼女はうるさい」でも何でも、全て、この「A=B」の構成になっている。これを英文に直すと、それが何通りかの文構成になるのである。ここに日本語という言語の重大な秘密が隠されているのではないか。
(引用終了)
<同書52−53ページ>
という文章を引用したけれど、日本語には、「A=B」を表す等価としてのbe動詞はあるけれど、存在そのものを表すbe(存在詞)が不在である。「you are here」のare(be動詞)は、この存在詞なのであって、「A=B」を表す等価としてのbeではない。
日本語に「you are here」と云える言葉を創り出さない限り、日本人はいつまでも○○に入りたがり続けるだろう。この○○は、TPPでも、原子力ムラでもいいが、○○に入る(出る)というメンタリティに留まっている限り、手ごわい組織との交渉は、初めから負けるに決まっている。なぜならそこには、自立した個人(Iやyou)が不在なのだから。この先の片岡氏の文章を引用しよう。
(引用開始)
「現在位置」、あるいは「現在地」は、案内地図の掲示板が立っているその位置を示しているだけだ。目的地までの道順を探そうとしてその案内板の前に立つ人がいれば、その人は案内板とほぼおなじ位置にいると言ってもいいだろう、という恐ろしいまでのyouの不在が、「現在位置」、あるいは「現在地」の背後にある。「あなたがいまいるのはここです」ときちんと日本語で表記した案内地図が、しかし、この日本にけっしてないわけではない、きっとどこかにある。
(引用終了)
<同書 30ページ>
ということでこの項は終わっている。「あなたがいまいるのはここです」ときちんと日本語で表記した案内地図。それは、はたして日本の何処かにあるだろうか。
この記事へのコメント
コメントを書く