夜間飛行

茂木賛からスモールビジネスを目指す人への熱いメッセージ


いつのまにかそうなっている

2012年12月18日 [ 言葉について ]@sanmotegiをフォローする

 先回「日本語と社会の同質性」のなかで、日本語の環境依存性について触れたけれど、“日本語と英語”片岡義男著(NHK出版新書)にも、同じような指摘があるので紹介したい。まずは新聞の書評を引用する。

(引用開始)

片岡義男著『日本語と英語』 副題は「その違いを楽しむ」。英語と日本語の表現はどう違うのか?拾い上げた表現をインデックスカードに書き留めて両方の言葉と向き合ってきた著者が、具体的な例から論じる。「状態」を基本にする日本語表現と、動詞で能動的に働きかける英語。英語訳の日本古典文学に異なる世界観を読み解くなど、言葉を通して見た文化論でもある。
(NHK出版新書・735円)

(引用終了)
<朝日新聞 1028/2012>

ということで、ここでいう「状態」とは、「環境」とほぼ同義である。本のカバー裏の紹介文も引用しておこう。

(引用開始)

「風呂を取る(take a bath)」ものだと思っていた少年は、ずっと「風呂に入る」ということが分からなかった…主体の思考とアクション(動詞)に奉仕する言葉である英語。一方、世界をすでにでき上がっていてそこに入っていく「状態」として捉える日本語。その二つの言葉の間で、思考し、楽しみ、書き続けてきた作家が、きわめて日常的で平凡な用例をとおして、その根源的な際を浮き彫りにする異色の体験的日本語論/英語論。

(引用終了)

 この本に、「いつのまにかそうなっている」と題された項目がある。このブログでいう、日本人はなぜ人為的な環境・組織からの精神的自立が果たせないのかという話に繋がるので、少々長いが一部を引用してみたい。

(引用開始)

 主語は必要ない、という日常の言葉で、日本の人たちはその日常を生きる。自分は言葉で生きている、というような自覚などいっさい必要がないほどの日常だ。そしてそこは主語のない世界だ。言葉の構造によって言いあらされる内容のなかに、主語は内蔵される。したがってそれは暗黙の了解事項であり、いちいちおもてにあらわれる必要はないし、言葉の構造じたい、常に主語を明確に立てるようには出来ていない。
 主語がIやyouならそれらは主語にならないし、Iやyouの思考や行動を引き受けて言いあらわす動詞も、必要ないから姿をあらわさない。動詞が働きかける目的語その他、主語からの一連の構造的つながりはそこになく、そのかわりに、いつのまにかそうなっている状態、というものが言いあらわされる。英語では、なんらかの動詞によって、そうなっていきつつある動態として表現されるものが、日本語ではすでにそうなっている状態が、名詞で言いあらわされる。そうなっている状態とは、Iやyouによって思考され行動された結果のものではなく、いつのまにかそうなり、いまもそのとおりそこにある、その状態というものだ。(中略)
 なにごとも動詞をとらずにすませるための主語の不在。思考が嫌いなのだろう。というよりも、それが出来ない。主語は隠れていることがほとんど常に可能だから、主語の主語たるゆえんである思考も隠れる、つまりそれは出来ないし嫌いだとなると、当然のこととして、思考に基づく行動も嫌いだろう。だから思考と行動の両方を放棄しても、日常の言葉を日常的に使って日常を営むには、いっさいなんの不自由もない。
 いつのまにかそうなっていて、いまもそうなったままの状態のなかに、人は入りたいと願う。いつのまにかそうなって、いまもそのままに、そこにある状態。人々はこれが大好きだ。だからそこに自分も入りたがる。いつのまにかそうなってそこにある状態とは、現状とその延長に他ならない。それが大好きでそこに入っていたいのだから、いまそこにあるその状態には、身をまかせるかのように従わざるを得ない。なんの疑問も抱くことなく、ほぼ自動的に従う。だから問題はなにも見えないし解決もされない。現状は悪化していくいっぽうだとしても。
 Youという呼びかけのひと言は、きわめてぜんたい的だ。youと呼ばれたその人のすべてがyouなのだ。youというひと言のなかに、そう呼ばれたその人のすべてがある。その人はyouと呼ばれることによって、すべてが丸出しのような状態になる。
 日本語の場合は呼びかけかたにいろいろある。そのときその場でその相手から必要とされる自分、という部分的な自分が、いろんな呼びかけかたのひとつひとつをとおして、呼びかけられる。それ以外の自分は隠れている。保護されている。自分は他者に対してほとんど常に、部分的な自分なのだ。Iについてもまったくおなじだ。Iがそうだから、youもそうなる。その時その場でその相手に必要とされる部分的な自分など、Iやyouにはあり得ない。(後略)

(引用終了)
<同書 101−104ページ>

いかがだろう。日本人はなぜ人為的な環境・組織からの精神的自立が果たせないのかというと、日本語が「なにごとも動詞をとらずにすませるための主語の不在」の言語だからなのだ。日本人が、公的な領域で精神的自立を果たすためには、日本語のなかに、Iやyouとおなじような「ぜんたい的」な主格を表す言葉が必要なのだろう。

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posted by 茂木賛 at 10:26 | Permalink | Comment(0) | 言葉について

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