前項まで、新しい家族の枠組みとその住宅形態を見てきたわけだが、各々の家族の価値が様々なかたちで定まってくると、街づくりにとっては、「継承の文化」の項で述べたような「コミュニティ全体の価値」と、これら「新しい家族の価値」との接点をどう作ってゆくか、ということが課題となる。
「新しい家族の価値」は様々であっても、住宅(暮らしの場所)がある地域を貫くいわゆる「コミュニティ全体の価値」は、ある程度の地理的な広がりにおいて集約できなければ意味がない。そのなかの一番大きな枠を地球全体とすると、次に大きな枠は言語もしくは国、そしてその次の枠が「地域社会」と呼ばれるものになるだろうか。
「新しい家族の価値」が様々であればあるほど、地域社会としての価値を何か一つの「新しいこと」に集約するのは難しいだろう。といって、これまでの地縁・血縁に頼った価値観をそのまま引きずるのも実情から外れる。
このブログでは、「流域思想」や「流域思想 II」、「流域社会圏」や「行事の創造」、「鉄と海と山の話」や「“タテとヨコ”のつながり」の項などで、山岳と海洋とを繋ぐ河川を中心にその流域を一つの纏まりとして考える「流域思想」について述べてきた。
山岳と海洋とを繋ぐ河川を中心にした領域は、自然エネルギーと生産物の通う道として古くから経済の中心であり、文化的には、奥山から里山、家の奥座敷を繋ぐところの「両端の奥の物語」を生み出す重心であった。今の時代、様々な「新しい家族の価値」を繋ぐ「地域社会価値」として、この「流域思想」ほど相応しいものは無いのではないだろうか。
流域思想に基づく「流域価値」は、山奥の水源を起点に、“鉄は魔法つかい”にあるような分散型エネルギーを生み出す力の纏まりとなるだろう。このことは資源循環が必要となるこれからの時代に極めて重要だ。文化的には、“オオカミの護符”で語られるような古くからの価値と、新しい家族の価値とを繋ぐだろう。
先日新聞のコラムに鷲田清一氏の次のような一文があった。
(引用開始)
コミュニティーの勁(つよ)さというのは、生きるため、生き延びるためにどうしても必要な作業を共同でおこなうところにある。かつて地方が町方に対し「ぢかた」と呼ばれたころには、食材の調達や分け与え、排泄(はいせつ)物の処理、次世代の育成、相互治療、防災、祭事、墳墓の管理など、広い意味での「いのちの世話」はみなが協力して担った、そこでは子供もあてにされていた。
もちろんそれはしがらみにがんじがらめになった共同体ではあった。掟(おきて)を破り、秩序を乱した者を「村八分」する過酷(かこく)な共同体でもあった。
(引用終了)
<東京新聞夕刊 10/5/2012より>
「流域価値」には、エネルギーや食物、防災などの「いのちの世話」要素が色濃く含有される。それが、しがらみの少ない「新しい家族の価値」と融合すれば、新しいコミュニティの価値として申し分ないと思う。
中小様々な河川に生まれる多様な流域価値は、その流域の新しい家族の価値によって豊かに育ちながら、川が合流するように、他の流域価値と出会い入れ子構造となり、やがて中小の河川が大河に流れ込むように、“長良川をたどる”で描かれるような大河流域価値を形成する。そして、次に大きな枠としての言語もしくは国の価値と融合し、その文化をさらに豊かなものにしてゆく。
流域によって形成される分散型エネルギー・文化的価値は、新幹線や高速道路によって形成される大量輸送型エネルギー・文明的価値と、際立った対比を齎すだろう。勿論、日本も地球規模のグローバルな文明的価値と無縁ではあり得ないが、それとは時空を異にして、日本列島各地に生まれるこの多様な「流域価値」こそ、“モノからコトへ”のパラダイム・シフト(モノコト・シフト)の時代、我々にとってより重要な意味を持つと思われる。
以前「場所の力」の項で、
(引用開始)
世界は、XYZ座標軸ののっぺりとした普遍的な空間に(均一の時を刻みながら)ただ浮かんでいるのではなく、原子、分子、生命、ムラ、都市、地球といった様々なサイズの「場」の入れ子構造として存在する。それぞれの「場」は、固有の時空を持ち、互いに響きあい、呼応しあい、影響を与え合っている。この「場所の力」をベースに世界(という入れ子構造)を考えることが、モノコト・シフトの時代的要請なのである。
(引用終了)
と書いたけれど、「流域価値」こそ「場所の力」の源泉となり得るだろう。
この夏、私は草津から長野蓼科まで車で走った。その途中、地蔵峠付近で日本海と太平洋を分ける「中央分水嶺」を通った。その案内板を見ながら不思議な戦慄を覚えたのだが、それは、「流域価値」という力に対する潜在的な畏敬の念だったのかもしれない。
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