前回「新しい住宅」の項で、これからの家族が暮らす住宅形態の一つとして「シェアハウス(シェア型住居)」についてみたが、“みんなの家。”光嶋裕介著(アルテスパブリッシング)という本に描かれた住宅も、これからの新しい形態の一つだと思う。この住宅は、思想家内田樹氏の自宅兼道場で、最近建てられたものだという。新聞の書評から本の内容を紹介しよう。
(引用開始)
僕たちの時代の建築家が姿を現した。
「みんなの家」とは、思想家・内田樹の自宅兼道場「凱風館」。内田は設計をこれまで一軒も家を建てたことがない若者に託した。しかも、ほぼ初対面でいきなり。本書は、若き建築家が設計の依頼を受けてから、一軒の家を完成させるまでを綴った記録である。
内田の周りには、自然と魅力的な人が集まる。内田はそれを拒まない。すると自宅は単なるプライベート空間を越えたパブリックの要素を持つ。仲間は「拡大家族」となり、家はみんなに分有される、私的所有という観念が揺らぐ。
凱風館には、自ずと寄贈品が集まってくる。丸太梁から棟木、冷蔵庫、ベンチまで。みんなは自分の家のように愛着を抱き、建築プロセスに関与する。内田は家の一部を開放し、若者にチャンスを与える。つまり、関係性の基盤が、市場的価値ではなく贈与によって成り立っているのだ。
もちろん、お金はかかる。
重要なのは、どこにお金を流し、何を支えるべきかを吟味することである。山を守りながら丹念に木を育てる林業者、国産材を使い続ける工務店、高い技術を持つ大工、土を知り尽くした左官職人、手作りの瓦屋……。安上がりの大量生産に背を向け、守るべき価値を大切にする職人たちを応援する。(中略)
「凱風館」は、それ自体が思想である。そして、あるべき社会の方向性が提示されている。この建物は、グローバル資本主義の嵐が吹き荒れても、びくともしない。
希望に満ちた清涼感のある一冊だ。
(引用終了)
<朝日新聞9/9/2012より。フリガナは省略。>
いかがだろう。この住宅も、「新しい家族の枠組み」の特徴、
1. 家内領域と公共領域の近接
2. 家族構成員相互の理性的関係
3. 価値中心主義
4. 資質と時間による分業
5. 家族の自立性の強化
6. 社交の復活
7. 非親族への寛容
8. 大家族
によく対応できていると思われる。
内田氏自身も、その著書“ぼくの住い論”(新潮社)のなかで、この住宅を建てた経緯を書いておられる。短い書評を引用しておこう。
(引用開始)
『自分だけの家』では、こうはいかなかったはず。「『みんなのための建物』をつくろうと思ったら、どこからともなく資金も知恵も集まってきた」。長年勤めた大学を定年退職した著者が建てた、能舞台にもなる、家つき武道場「凱風館」。若き建築家、きこり、工務店、瓦や漆喰(しっくい)の職人など、顔の分かる人の手が造りあげた家とそこに託した夢、開かれた場の力、磨かれる感覚、人と人の関係の広がりを、“抱え込まずどんどん次にパスを出す”経済の思想とともに語る。
(引用終了)
<東京新聞夕刊9/11/2012より>
興味のある方はこちらも併せてお読みいただきたい。
先日「近代住宅」の項で、これまでの「近代家族」の暮らす住宅が、流し台を中心に据えたxLDKスタイルの母制住宅であることを論じ、
(引用開始)
このブログでは、「複眼主義のすすめ」の項などで、
A Resource Planning−英語的発想−主格中心
a 脳の働き−「公(Public)」−男性性
B Process Technology−日本語的発想−環境中心
b 身体の働き−「私(Private)」−女性性
といった二項対比を論じているが、日本語の特色からも、家父長制をなくした日本社会が、母制へ傾いていくのは必然の流れなのだろう。
(引用終了)
と書いたけれど、「凱風館」の男性家主による適度な統率は、これからの新しい住宅が、バランス的に、過度にBの母制に傾くことなくAの父性を取り込むための有効な方法であろう。
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