ここでいう近代住宅とは、「近代家族 III」などで見てきた、近代家族が暮らす住宅のことを指す。戦後の日本の近代住宅について、最近読んだ“フジモリ式建築入門”藤森照信著(ちくまプリマー新書)から引用しよう。
(引用開始)
日本固有の住宅表示として“2LDK”などというが、2とはふたつの寝室を指し、LDKとは、居間と食堂と台所が、壁とドアで仕切られず一つづきに納まっている部屋を意味する。(中略)
もともと一体化は“狭いながらも楽しいわが家”のための工夫だったが、広くて立派な家にまでおよび、今ではたいていの家がLDK一体となっている。
ではなぜ、三つの部屋をそれぞれ独立して充実させるだけの経済的ゆとりのある人々まで、一体化を受け入れたんだろうか。それは民主主義、男女平等を掲げる戦後思想のゆえだった。
LDKは、LもDもKも、主役は実は母にほかならない。男女平等というけれど、帰りが遅く朝の早い父がLDKに占める役割も過ごす時間も少ない。
LDKのうち、DとKは完全に母の勢力下にあり、とりわけKは母の拠点。そのKを、拠点にふさわしく作り変えたのはステンレス流し台だった。(中略)
輝く流し台の前で、キビキビと立ち働きながら、家の中の子供たちの様子にも気を配る母。戦後の母のステンレス流し台は、戦前の父の床柱にとって代わった。住いは、家父長制から母制へ。それにしても父権の場が失われた今、住いの中で父はどこでどう存在感を示せばいいんだろう。
(引用終了)
<同書 20−22ページ>
近代住宅は、
1. 家内領域と公共領域の分離
2. 家族成員相互の強い情緒的関係
3. 子供中心主義
4. 男は公共領域・女は家内領域という性別分業
5. 家族の団体性の強化
6. 社交の衰退
7. 非親族の排除
8. 核家族
といった特徴を持つ「近代家族」に都合よく作られてきたわけだ。このブログでは、「複眼主義のすすめ」の項などで、
A Resource Planning−英語的発想−主格中心
a 脳の働き−「公(Public)」−男性性
B Process Technology−日本語的発想−環境中心
b 身体の働き−「私(Private)」−女性性
といった二項対比を論じているが、日本語の特色からも、家父長制をなくした日本社会が、母制へ傾いていくのは必然の流れなのだろう。
昔よく、戦後強くなったものは女性と靴下といわれたものだが、最近、特にスポーツの世界で、日本の女子力が世界に冠たるものになってきた。日本の女子力がこれほど強くなったのは、輝く流し台を中心に据えた「近代住宅」の後押しを受けたからに違いない。
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