“商店街はなぜ滅びるのか”新雅史著(光文社新書)という本を面白く読んだ。まずは新聞の書評を引用しよう。
(引用開始)
若手社会学者が商店街の誕生から繁栄、衰退に至る経緯を豊富なデータをもとに解説する。商店街が20世紀初頭から始まった都市化の流れの中で誕生したという見方は新鮮だ。零細な商店の集積である商店街は「よき地域づくり」のために発明された近代的な人工物であるという。
それがなぜ、今日のような姿になったのか。戦後、社会の工業化が進み、地方の農業従事者の都会への流入でサラリーマンが生み出される一方、都市部での自営業者の数も大幅に増えた。商店街は雇用の受け皿でもあったが、小規模な家族経営であったことが経営の近代化を遅らせた。
一般に、商店街が衰退したのは出店規制が緩和されたスーパーや郊外型ショッピングセンターが台頭したからだとする分析が多い。だが本書は商店街が既得権益を追求して政治団体化し、一般市民に理解されなくなったことなどに原因があると指摘する。滅びる理由は商店街の側にいつのまにか内包されていたのだ。
再生の道はあるのか。高齢化が進む中で地域の拠点となる消費空間は必要だとして、地域社会が土地を管理する仕組みをつくって事業者の新規参入を促すことを提案する。やる気や才覚が商売の原点であることを思い起こさせる。
著者の実家は酒販店を営んでいたという。商売を間近に見てきた原体験が本書に説得力を持たせている。
(引用終了)
<日経新聞 8/5/2012>
この本の中に「近代家族」という言葉が出てくる。近代家族とは、近代以降の家族を指す社会学の用語で、本書に引用された“近代家族とフェミニズム”落合恵美子著(勁草書房)によると、
1. 家内領域と公共領域の分離
2. 家族成員相互の強い情緒的関係
3. 子供中心主義
4. 男は公共領域・女は家内領域という性別分業
5. 家族の団体性の強化
6. 社交の衰退
7. 非親族の排除
8. 核家族
といった特徴が見られるという。商店街の担い手が「近代家族」であったため、事業の継続性という点で大きな限界があったというのが本書の指摘だ。
確かにこれらの特徴を見ると、高齢化した商店街がシャッター通りになってしまう理由がよくわかる。しかし、この「近代家族」を超えた新しい枠組みの必要性は、商店街ばかりではなく、安定成長時代を迎えた今の日本社会全体についていえる筈だ。その背景には、「継承の文化」の項などでふれた「奥」の喪失がある。そう考えると問題の根は深い。
新しい枠組みの方向性については、これまで「“シェア”“という考え方」、「“シェア”という考えかた II」の項で、
私有 → 共同利用
独占、格差 → 分配
ただ乗り → 分担
孤独 → 共感
世間 → 社会
もたれあい → 自立
所有 → 関係
モノ → コト
といったパラダイム・シフトとして提示したことがある。これからも、社会における「自立と共生」のあり方について、様々な角度から考えてゆきたい。
この記事へのコメント
コメントを書く