ここのところ「自分でよく考えるということ」や「精神的自立の必要性」の項において、
A Resource Planning−英語的発想−主格中心
a 脳の働き(大脳新皮質主体の思考)―「公(public)」
Α 男性性=「空間重視」「所有原理」
B Process Technology−日本語的発想−環境中心
b 身体の働き(脳幹・大脳旧皮質主体の思考)―「私(private)」
Β 女性性=「時間重視」「関係原理」
という対比を見、偏ることなく物事を考えるにはAとB両方のバランスが大切であると繰り返し述べてきた。私はこれを「複眼主義」と名付け、これまでも「複眼でものを見る必要性」や「複眼主義のすすめ」、「南船北馬」といった各項で論を拡げてきた。今回はこの「複眼主義」とは何かについて、もう一度考え方を整理してみたい。
複眼主義の第一は、脳と身体、都市と自然といった二項対比や双極性の特質を、的確に抽出することである。例えば、脳と身体という対比において、その重要な特質は、「思考における脳と身体性の違い」にあるという点にまず気づかなければ何事も始まらない。この点に気がつけば、頭脳には大脳新皮質と脳幹・大脳旧皮質という異なる部位があり、大脳新皮質が主に論理的な思考を司り、脳幹・大脳旧皮質が身体的な機能と密接に関連していることを学び、脳の働き=大脳新皮質主体の思考、身体の働き=脳幹・大脳旧皮質の思考、といった特質の抽出が可能となる。
複眼主義の第二は、そういった二項対比や双極性を踏まえた上で、どちらか片方に偏らないバランスの取れた考え方を実践することである。例えば、脳の働きと身体の働きとのバランスの取れた考え方とは、ある物事に対して、理詰めに考えることと身体で感じることの両方を実践し、全体を網羅的に把握・体感することである。どこかの山に登る場合を考えてみよう。理詰めに考えるとは、事前によく地図を調べ、天候を調べ、服装などを整えることである。そして身体で感じることとは、当日の体調をよく勘案して、決して無理をせず、五感を研ぎ澄まして山道を歩くことである。そうすれば、山登りを十全に楽しむことが出来るだろう。
ものごとを両眼で見ると奥行きがみえる。単眼だと表面しか見えない。そこで、二項対比や双極性を踏まえた上で、どちらか片方に偏らないバランスの取れた考え方を実践することを、「複眼主義」と名付けたのである。
「自由意志の役割」の項で「世界はすべて互いに関連しあったプロセスで成り立っている」というホワイトヘッドの考え方を紹介したが、複眼主義の第三は、いろいろな二項対比や双極性を、様々な角度から関連付け、発展させていくことである。例えば、男女という二項対比を考えた場合、ホルモンの違い、脳構造の違いなどから、男性性=空間重視・所有原理、女性性=時間重視・関係原理といった特質が抽出できる。次はそれを他の二項対比、例えば脳と身体の対比と関連づけてみるわけだ。そうすると、脳の働き=大脳新皮質主体の思考=男性性=空間重視・所有原理といった一連の繋がり見えてくる。そして、身体の働き=脳幹・大脳旧皮質の思考=女性性=時間重視・関係原理というもう一方の繋がりも見えてくる。
尚、ここでいう男性性・女性性とは、人(男女)がそれぞれ一定の比率で持っている認識の形式を指す。男性、女性そのもののことではない。男は生得的に男性性比率が高いけれど、女性性も持っている。女は生得的に女性性比率が高いけれど、男性性も持つ(詳しくは「男性性と女性性」、「男性性と女性性 II」の項を参照のこと)。
ここまで関連づけたところで、偏らないバランスの取れた考え方を実践するために、再び山に登る場合を考えてみよう。理詰めに考えるとは、事前によく地図を調べ、天候を調べ、服装などを整えることであるが、さらに男性性を発揮して、空間を重視した山の位置関係を把握し、当日の経費の概算や山登りチームの編成などを考えておく。当日は、体調をよく勘案して、決して無理をせず、女性性を発揮してその時その時の楽しみを見つけながら互いに協力し合い、五感を研ぎ澄まして山道を歩く。そうすれば、山登りをさらに楽しむことが出来るはずだ。
こうして、いろいろな二項対比や双極性を、様々な角度から関連付け、発展させていったもの(の一部)が、冒頭のAとBの対比なのである。
社会には、バランスの偏った考え方がいまだ多く蔓延っている。例えば、考え方が男性性に偏りすぎると、社会は公私にわたり規律が強まり、成果主義が求められるようになる。一方、考え方が女性性に偏りすぎると、何でも馴れ合い・もたれ合いになってしまう。複眼主義の考え方は、都市空間における公(public)の事項(政治・経済)は、規律と成果主義で考え陋習を廃し、地縁・血縁・家族などの私(private)な事項(文化・宗教)は、それとはまったく別の共生・伝統主義で考えるということである。そしてその二つの理念の上に立脚し、さらに社会の発展を考えるということなのである。「都市の中のムラ」の項で論じたのは、そういう社会のあり方を探る試みの一端である。
さてここまで「複眼主義」について説明してきたが、改めて纏めておこう。
(一)二項対比や双極性の特質を、的確に抽出すること
(二)どちらか片方に偏らないバランスの取れた考え方を実践すること
(三)特質を様々な角度から関連付け、発展させていくこと
いかがだろう、複眼主義のエッセンスをご理解いただけただろうか。以前「マップラバーとは」の項で紹介した“世界は分けてもわからない”福岡伸一著(講談社現代新書)の最後に、「世界は分けないことにはわららない。しかし、世界は分けてもわからない」という著者の言葉がある。この言葉は複眼主義にも当て嵌まると思う。世界は、二項対比や双極性を抽出し、関連付けなければわからない。しかし、分けて関連付けるだけで、バランスの取れた考え方を実践しなければ、認識がさらに次の段階に発展していくことは望めないのである。
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