先日「都市計画の不在」の項で紹介した“対談集 つなぐ建築”(岩波書店)の著者隈研吾氏が、都市における「ムラ」の可能性を求めて「下北沢」「高円寺」「秋葉原」「小布施」の四箇所を歩き、同行したジャーナリスト清野由美氏と対話しながらその考えを纏めた本が“新・ムラ論TOKYO”(集英社新書)である。
「都市の中のムラ」とは何か。“新・ムラ論TOKYO”から引用しよう。
(引用開始)
「ムラ」とは、人が安心して生活していける共同体のありかであり、また、多様な生き方と選択肢のよりどころである。
わたしたちは今、都市の中にこそ、「ムラ」を求める。
(引用終了)
<同書 9ページ>
ということで、ここでいう「ムラ」とは、その場所と密着した暮らしがある共同体を指す。だから都市の中にも「ムラ」はあり得る。隈氏のことばをさらに本書から引用したい。
(引用開始)
二〇世紀の建築は、場所を曇らすために、人々を場所から切り離すために建てられた。僕たちはもう一度、場所を見つめることから始めなくてはいけない。大地震と津波とが、そんな僕らを場所へと連れ戻した。夢もフィクションも捨てて、場所から逃れず、場所に踏みとどまって、ムラを立ち上げるしか途(みち)はないのである。
(引用終了)
<同書 21ページ>
隈氏は、人を場所から切り離すために作られる建築を「空間の商品化」と呼ぶ。空間が商品化された「ハコ」としての建築物。そういう無数のハコが商品市場で売り買いされる時代が二〇世紀だったと隈氏はいう。しかし、
(引用開始)
土地というもの、それと切り離しがたい建築というものを商品化したことのツケは大きかった。商品の本質は流動性にある。売買自由で空中を漂い続ける商品という存在へと化したことで、土地も建物も、人間から切り離されて、フラフラとあてどもなく漂い始め、それはもはや人々の手には負えない危険な浮遊物になってしまった。
(引用終了)
<同書 20ページ>
だからこれからの時代は、場所に踏みとどまって、「ムラ」(その場所と密着した暮らしがある共同体)を立ち上げる必要があるという訳だ。
隈氏はこういった思考から、「負ける建築」「つなぐ建築」「場所のリノベーション」「フレームとシークエンス」「境界設計」「都市の中のムラ」といった新しい建築思想を紡いでおられるのだろう。
この考え方は、以前「流域社会圏」の項で紹介した“地域社会圏モデル”山本理顕他著(INAX出版)とも共通する問題意識に支えられているといえよう。このブログで提唱している「流域思想」とも勿論共鳴する。
「下北沢」「高円寺」「秋葉原」「小布施」四箇所それぞれのムラとしての魅力については本書をお読みいただきたいが、このブログでも「内と外」と「内と外 II」などの項で小布施について、「森ガール II」の項で高円寺について書いたことがあるのでお読みいただければ嬉しい。
また、この“新・ムラ論TOKYO”という本は、“新・都市論TOKYO”隈研吾・清野由美共著(集英社新書)の続編ということなので、興味のある方はそちらも併せて読まれると良いと思う。
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