“対談集 つなぐ建築”隈研吾著(岩波書店)を面白く読んだ。なかでも(隈氏と)都市プランナーの蓑原敬氏との対談「都市計画の勝負(上下)」は、近代日本の「都市計画の不在」理由(の一端)を、関連する法律制定経緯を辿るかたちで詳らかにしてくれるので興味深かった。
日本の都市計画に関する法律は、主に都市計画法と建築基準法という二つあるわけだが、対談によると、これらは1919年(大正8年)に出来た古い法律(旧都市計画法と市街地建築物法)に、戦後、市場原理主義(儲け主義)と20世紀流工業社会型行政指導(調整ルール)とが足されただけのものだという。詳しくは同書をお読みいただきたいが、お二人によると、かかる法律の不備によって、日本の都市には、都市の文脈の中で建築物をどうつくるかという、本来あるべき長期的な視点に立ったResource Planningがまったく不在だという。
先日「精神的自立の重要性」の項で、
(引用開始)
日本社会においては、「大脳新皮質主体の思考」が優位に立つ場合でも、自分と相手とを区別する「自他分離機能」が充分働かないようだ。その為だろうか、「環境中心」の「日本語的発想」が政治やビジネスの世界にも侵食し、せっかく良いチャンスだった高度成長時代、社会に「英語的発想」=「公(public)」の概念が充分定着しなかった。
そして、本来公平であらねばならない「公(public)」の領域(政治やビジネスの世界)においても、個人の精神的自立が充分果たされぬまま、もたれあいや妬みあい、私有意識や非公開主義などが高度に構造化してしまった。今後も社会に「英語的発想」=「公(public)」の概念が根付かないままだと、それは是正されないことになる。
(引用終了)
と指摘したけれど、政治やビジネスにおける「凭れ合いの構造化」は、都市計画という公(public)の領域においても、夙(つと)に実証されているわけだ。
この対談に触発されて、“都市計画法改正―「土地総有」の提言”五十嵐敬喜・野口和雄・萩原淳司共著(第一法規)という本も読んでみた。ここにある土地総有という「コモンズ(Commons)的発想」は、「“モノからコトへ”のパラダイム・シフト」(略してモノコト・シフト)時代において、とても興味深い提案である。
対談では、都市計画における稀な成功例として、「銀座の街づくり」が挙げられている。銀座では、街の担い手の結束力がとても強く、銀座の人たちを窓口とする「デザイン協議会」があり、敷地単位の利害よりも街の景観や利害を優先する、成熟した合意形成が成されるという。コモンズ的発想と云えるだろう。なるほど、この街は今も洗練された味わいを保っている。このブログでもたびたび銀座を取り上げてきた(「銀座のハチミツ」「銀座から日比谷へ」「長野から銀座へ」)。これからも、銀座には大人の街として栄え続けて欲しいと思う。
この記事へのコメント
コメントを書く