先日、以前より販売していた電子書籍小説“僕のH2O”と、電子書籍コンテンツ・サイト「茂木賛の世界」で連載完結した“僕のH2O ブログ編”を一冊に纏め、電子書籍販売サイト「パブー」から新規に出版した。値段は以前と同じ315円。表紙イラストはイラストレーターのタナハシヒロ氏にお願いした。このページ右にある“僕のH2O”と題された本のタイトル(又は表紙)をクリックいただくと、パブーのサイトに遷移するので、興味のある方はお読みいただければと思う。
ちょうど良い機会なので、本の紹介方々、この小説ができた背景などについて書いてみたい。“僕のH2O”はストーリー小説、“僕のH2O ブログ編”は対談小説の形をとっているが、どちらもこの「夜間飛行」のブログで綴ってきた「生産と消費論」をベースとしている。「生産と消費論」の要旨は、
1. 人は社会の中で生産(他人のための行為)と消費(自分のための行為)を繰り返していく。人は自分のために生まれるのではなく、社会のために生まれてくる。
2. ある人の生産は他のある人の消費であり二つは等価である。生産は主に理性(交感神経)的活動であり消費は主に感性(副交感神経)的活動である。
というものだ(詳しくはカテゴリ「生産と消費論」の記事を順にお読みいただきたい)。
人生そのものが他人の為などというと、宗教かボランティア活動と誤解されかねないが、この考え方は、自分の為のことをしてはいけないのではなく、「それが回りまわって人の為になる」というところに力点を置いている。贅沢をしてはいけないのではなく、それをばねに人が(仕事などに)より力を発揮するところに注目している。経済人類学、構造主義生物学、重力進化学、アフォーダンス理論などによって、人の利他的行為の源泉や贈与の意味を探ろうとしている。これまで、人の生産活動と消費活動とをこのように定義し、論理展開した考え方は(私の知る限り)ないと思う。そのせいもあって、この論旨はなかなか理解して貰いにくい。“僕のH2O”は、この考え方を、ストーリーと対談の形で出来るだけ具体的に表現しようとしたものである。
以下、パブーのサイトに載せた小説紹介文を引用しておこう。
(引用開始)
僕らは朝起きてから夜寝るまで毎日「名前のついていること」ばかりしている。この世界の「まだ名前のついていないこと」というものはほとんど存在していないに等しい。大学生勉はそんなことを考えて、あるとき自らその「まだ名前のついていないこと」を始める。「僕は毎日大学に通うことに退屈している。君のようになにか目的を持って勉強することが出来たら良いと思うけれど、今の僕にはそれが見つからないんだ」ニースにいる恋人の洋子に、勉が語るその「まだ名前がついていないこと」とは?
(引用終了)
ここでいう「まだ名前のついていないこと」が、生産(人のための行為)と消費(自分のための行為)を区別していくことなのである。“ブログ編”のプロローグの一部も引用ておきたい。
(引用開始)
これは、僕が手がけている「僕のH2O」というネット上のコミュニティー・サイトで、新しく会員になってくれたAさんと行なった対談の記録である。
「僕のH2O」というサイトは、会員が「人のために成した行為」と「自分のために成した行為」とを日記風に書き込んで、それに点数をつけたり、コメントを寄せ合ったりするコミュニティーなのだが、最近会員が増えてきたので、コンセプトをより深く理解してもらおうと、この対談を企画した。
「僕のH2O」のことは知っているけれど、いまひとつコンセプトが腑に落ちない、という方はこれを読んで欲しい。きっと活動の真意が分かっていただけると思う。僕にとっても、年長者で人生経験の豊富なAさんとの対話は、自分の考えを整理するのにとても役に立った。
(引用終了)
ということで、ここでは、人と社会とのかかわり(行為の波動性、利他的行為と神経経済学、自己とは何か、貨幣の意味、時間とは何か、理性と感性、行為の三態、言葉の偏り等々)について、「生産と消費論」の観点から総合的に分かりやすく解説を試みている。人が自由であるべき根拠や行動の契機も、生産と消費活動のダイナミズムに内在されていることを論証しようとしている。本編のストーリーを読んだあと、この対談を読んでいただくと理解がより深まるものと思う。
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