前回「自由意志の役割」の項で、
(引用開始)
人間社会における「ゆらぎ」は、自然環境変化や気候変動、科学技術の発展、歴史や言葉の違い、貧富の差や社会ネットワーク・システムなどなど、それこそ無数の要因(コト)が複雑に絡み合って齎されるが、人の「自由意志」もそれらの要因の大切な一部である。とくに社会の多様性を保つために、人の「自由意志」の果たす役割は大きいと思う。
(引用終了)
と書いたけれど、「多様性を守る自由意志」というテーマにとって、最適なテキストがあった。“水を守りに、森へ”山田健著(筑摩選書)という本である。サブタイトルに“地下水の持続可能性を求めて”とある。まず新聞の書評を紹介しよう。
(引用開始)
サントリーで長くコピーライターを務めた著者は21世紀が迫ってきたころ、ふと、同社の事業がいかに「地下水」に依存しているかに気づく。同時に、その地下水が、森林の荒廃によっていかに危うい状況に置かれているかも。
以来10年余りにわたって、地下水を涵養(かんよう)する森を守ろうと日本中を奔走してきた経験が、軽妙につづられる。
ユニークなのは、企業の社会貢献ではなく、本業としての位置づけだ。水に生かされている会社が水を守るのは当たり前というわけだ。
ミネラルウォーターなどを生産する工場の周辺で、約7千ヘクタールの森林を整備してきた。山手線を一回り大きくしたとてつもない広さだが、日本全体では微々たるものだ。
広大な森林を守るには、国や自治体の力だけでは到底足りない。多くの企業に、本業に近いところで森林に目を向けてほしい。そう提案する。
「だれか」ではなく「私」の問題としてとらえてこそ。今こそ必要な発想の転換だ。
(引用開始)
<朝日新聞 2/26/2012>
ということで、なぜこれが(多様性を守る自由意志というテーマにとって)最適なテキストかと云うと、まず著者に「水を守るための森づくり」という明確な自由意思があり、それが会社の本業として位置づけられることで「社会(企業活動)の多様性」が生み出されたこと、と同時に、森を再生することで「自然の多様性」が守られるからである。
このブログでは、これからの街づくりを支えるコンセプトとして、山岳と海洋とを繋ぐ河川を中心にその流域を一つの纏まりとして考える「流域思想」を提唱しているが、山田氏のいう「水を守る森づくり」は、流域思想の優れた実践でもある。
それにしても、この本によると、日本の森林の荒廃は限界に来ているようだ。山田氏によると、放置された杉や檜の人工林問題はもとより、鹿の増加による食害、カシナガという虫によるナラ枯れ、止まらない松枯れなどなど、難問が山積しているという。「自由意志の役割」の項で考察したように、「世界はすべて互いに関連しあったプロセスで成り立っている」のであるから、このことは我々水を使う人すべての問題である。
ちなみに、山田氏は本のあとがきで、「水を守る森づくり」のお手本は、気仙沼で「森は海の恋人」活動を立ち上げた畠山重篤氏であると書いておられる。畠山氏については、私も「鉄と海と山の話」の項でその著書を紹介したことがある。併せてお読みいただければ嬉しい。
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