先日「場のキュレーション」の項で、“石ころをダイヤに変える「キュレーション」の力”勝見明著(潮出版社)という本について、
(引用開始)
勝見氏はまず、ものごとの捉え方には、固定的で静態的なビーイング(being =〜である)と、流動的で動態的なビカミング(becoming =〜になる)の二つの見方があると指摘する。人を見るときにも、「〜である」と捉えると固定的な見方が前面に出され、「〜になる」と捉えると、未来に向かって開かれ、様々なかかわりを通じて変化していくという「人の可能性」が浮かび上がる。
そこで、「場のキュレーション」にとって大切なのは、顧客をビーイングの存在として見るのではなく、ビカミングの存在としてみることである、と勝見氏は述べる。
(引用終了)
と書いたけれど、このビカミングの考え方について、同書から、関連する部分を引用しておきたい。
(引用開始)
ものごとをビカミングとしてとらえる世界観は、「世界はすべて互いに関連しあったプロセスで成り立っている。したがって、世界は常に動き続ける出来事の連続体である」という考え方に由来します。イギリス出身のホワイトヘッドという哲学者が唱えた考え方です。
ホワイトヘッドは、「世界はことごとく、常に生成発展するため、目を向けるべきはモノそのものではなく、コトが生成して消滅するプロセスである」と説きました。コトは人とモノと時間と空間の関係性の中から生まれます。そのため、コトのあり方は時間とともに変化し、生成しては消滅します。昨日のコトと今日のコトは同じようで違う。だから世の中はビーイングではなく、ビカミングである、と。
このホワイトヘッドの考え方が、二十一世紀に入った今、注目されているのは、モノが氾濫した二十世紀が終わり、ビジネスの世界でも、単にモノを売るのではなく、どんなコトを提供できるかという、コト的な発想が求められているからでしょう。
(引用終了)
<同書 180ページ>
さて、「世界はすべて互いに関連しあったプロセスで成り立っている」というと、この世の中のことはすべて決まっている(運命論)、自由意志など存在しない、と勘違いする人がときどきいる。しかし、繋がっていることと、決まっていることとは違う。人は自由意志を大いに発揮して、世界をより良い方向に転ずる努力をすべきである。
以前「1/f のゆらぎ」の項で、佐治晴夫氏の著書に触れながら、自然界において、時間や空間の中の場所が変わっていくにつれて物理的な性質や状態が変化していく様子を「ゆらぎ」という、と書いたけれど、人間社会においても、平均値の近くで自律的にその性質や状態が変化する様子を「ゆらぎ」と呼ぶことができる。
人間社会における「ゆらぎ」は、自然環境変化や気候変動、科学技術の発展、歴史や言葉の違い、貧富の差や社会ネットワーク・システムなどなど、それこそ無数の要因(コト)が複雑に絡み合って齎されるが、人の「自由意志」もそれらの要因の大切な一部である。とくに社会の多様性を保つために、人の「自由意志」の果たす役割は大きいと思う。
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