英語圏の人間は、仕事の上で何か重要な判断をしなければならないとき、よく“sleep on it”というフレーズを使う。たとえば“I will sleep on it.”など。“Weblio”によると、“To postpone a decision until the following day to avoid making hasty choice.”ということで、日本語に訳してみれば「よく寝て考え直す」といった意味である。その上で眠るという意味ではない。
何故一晩眠ると判断間違いを減らせるのか。今回はこの“sleep on it”の根拠について、二つの面から考えてみたい。
まず一つは、脳科学の面である。“運がいいといわれる人の脳科学” 黒川伊保子著(新潮文庫)によると、ヒトは眠っている間に賢くなると云う。その部分を引用しよう。
(引用開始)
一日のうちで、頭が良くなる時間帯というのがある。ご存知だろうか?
それは、なんと脳の持ち主が眠っている間なのだ。
脳には、記憶と認識を司(つかさど)る海馬(かいば)と呼ばれる器官がある(「海馬」というのはタツノオトシゴの別名で、形がよく似ているので付けられたそうだ)。この海馬、脳の持ち主が起きている間は、状況認識に忙しい。さりげない日常会話においても、私たちは、相手のことばの意味を認識するだけではなく、無意識のうちに相手の表情を読み、ことばの裏にある真意を探ったりしている。駅の通路でも、「ざわざわ」「わ〜ん」と聞こえる雑踏音から、危険な音や自分の名前を聞き分けている。私たちが知っている、実に何十倍もの情報を、私たちの脳は感知して、かつ認識しているのだ。しかし、眠ってしまえば、この状況認識の範囲はかなり狭まる。
さぁそこで、暇になった海馬は、知識工場へと変わるのである。起きている間の出来事を、何度も再生して確かめ、知識に変えていく。さらに、過去の知識と統合して、より汎用性の高い知恵に変えていくのだ。海馬は眠らない。というより、「脳の持ち主が寝てから」が、海馬が俄然(がぜん)活性化する、真骨頂の時間なのである。(中略)
というわけで、脳科学上、「いかによく眠るか」は「いかに頭を良くするか」とまったくの同義なのだ。
上質の眠りは、上質の脳をつくる。東大現役合格者の、受験生時代の夜の学習時間が以外に短い(二時間以下)という統計もある。著名な実業家やデザイナーなどに聞いてみると、以外に早寝なのがわかって面白い。少なくとも、策に困ったときは「眠るが勝ち」というのが、勝ち抜いてきた戦略家たちの普遍のセオリーのようである。
(引用終了)
<同書 27−28ページ>
ということで、これが一晩眠ると判断間違いを減らせる理由の第一である。
もう一つは、免疫学(生物学)上の根拠である。ヒトの体調をコントロールする自律神経(交感神経と副交感神経)の働きについては、以前「交感神経と副交感神経」の項などで述べたが、この二つの神経系は、一日の時間帯によってその優位性が変動する。“なぜ、「これ」は健康にいいのか?”小林弘幸著(サンマーク出版)から引用しよう。
(引用開始)
ラブレターを書くなら昼と夜、どちらがいいと思いますか?
どちらでも大して変わらないだろうと思ったら大間違いです。恥ずかしい失敗をしたくないと思うなら、ラブレターは朝、書くことをお勧めします。
自律神経には日内変動リズムがあり、基本的に活動する日中は交感神経が優位に働き、体を休める夜は副交感神経が優位になります。そして、副交感神経が優位になる夜は、理性より情動が優先されやすくなるので、ついつい恥ずかしいことを書いてしまう危険性が高いのです。(中略)
たとえば、朝一番にメールチェックする人がいますが、実はこれはとてももったいないことなのです。なぜなら、朝は副交感神経優位から交感神経優位に切り替わる時間帯だからです。この時間帯は、交感神経が優位になるとはいえ、夜の余波で副交感神経も比較的高いレベルにあるので、脳がもっとも活性化する時間帯なのです。
こうした時間帯にもっとも適しているのは、物事を深く考えたり、発想力を必要とする仕事をすることです。この貴重な時間を、脳をほとんど使わないメールチェックに使ってしまうのは、あまりにもったいないことです。
(引用終了)
<同書 170−172ページ>
ということで、一晩眠ると、自律神経のサイクルが一巡するので、重要な判断事を、理性と感性の両面から見ることが出来るわけだ。これが一晩眠ると判断間違いを減らせる理由の第二である。
以上、“sleep on it”の根拠について、脳科学と免疫学(生物学)の二つの面から考えてきた。みなさんも上司からなにか大事なことを相談されたら、遠慮なく“I will sleep on it.”といって、返事を翌朝まで持ち越してみてはいかがだろう。きっと正しい判断が下せる筈だ。
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