「森ガール」の話を続けたい。以前「布づくり」の項で、人が身に纏う「布」は、身体境界の社会的な表現でありまさに「第二の皮膚」といえるだろうと述べたけれど、服装は、社会と自身との境界設計であるという意味において、街づくりにおける中間領域(縁側や庭や道路)と共通するところがある。
街づくりにおいて、“三低主義”の三浦展氏が注目しているのが、中央線沿線の高円寺である。三浦氏は、去年出版されたSMLとの共著書“高円寺 東京新女子街(トウキョウシンジョシマチ)”(洋泉社)のなかで、次のように書いておられる。
(引用開始)
路地が多く、街区が小さい高円寺では、都市のなかに多くの隙間が生まれやすい。その隙間を利用して、人が集まり、飲み、食べ、語らう場所ができる。
人が集まる場所にはいろいろある。子供連れの母親は公園にあつまるだろう。仕事帰りのサラリーマンはガード下の飲み屋に集まるだろう。しかし、公園に集まる場合でも、ホッとひと休みするのは緑の木陰のベンチだろう。つまり人は、ちょっとでこぼこしていて、隠れられるような空間にいるときに安らぐのである。ガード下の飲み屋、のれんで半分見えない屋台などがそうである。
(引用終了)
<同書 68ページ>
くわしくは同書をお読みいただきたいが、高円寺の「ちょっとでこぼこしていて、隠れられるような空間」づくりと、森ガールの「ゆったりしたワンピースにファーなどのふわふわしたアイテム。レギンスやタイツをはき、露出が少ない」という服装は、「街と建物」、「社会と自身」という違いはあるけれど、「境界設計」としてのテイストは共通しているように思う。
「森ガール」の服装は、ゆったりしたワンピースにファーなどのふわふわしたアイテム、自然素材、アースカラー、重ね着、ローヒール靴などにその特徴があり、高円寺の街は、路地が多く、街区が小さく、道路に面したサーフェスが、ゆるく、でこぼこしたりひらひらしたりしている。
三浦氏は、“高円寺 東京新女子街(トウキョウシンジョシマチ)”の「はじめに」に、次のように書いておられる。
(引用開始)
高円寺が今とてもいい。とても時代に合ってきている。どう合っているのかというと、まず、街の雰囲気がゆるい。がつがつせずに、毎日を楽しく生きたいという雰囲気が街全体に漂っている。それが今の若者に合っているし、仕事で疲れているサラリーマンやOLの癒やしの場にもなっている。
二番目に、ゆるいのに個性的である。郊外は巨大なショッピングモールが増え、都心の百貨店が次々と撤退し、代わりに家電量販店と世界のブランド店が競い合い、町の個性が失われている。そのなかで、高円寺は他の街にはけっしてない個性を持っている。それは、街をつくるのが大企業ではなく、あくまで自由な個人としての人間だからである。
(引用終了)
<同書 18ページ>
その高円寺の街に、「森ガール」の聖地“HATTIFNATT”がある。
この“HATTIFNATT”については、同書の「高円寺ガーリー日記」というコラムから引用しよう。
(引用開始)
ティータイムは、お気に入りの「HATTIFNATT(ハティフナット)」。今日は2階の奥の席をゲットする。“森の中席”と勝手に命名。“さくさくシフォンのふわふわショート”と“プリンのかくれんぼ”に“かぼちゃ君ちのモンブラン”を注文。お隣の席のラテアートがすごくかわいい。真似して頼んじゃえ。待っているあいだのさっき買ったものをお互いにお披露目。きゃっきゃっ。ケーキをちょっとずつ楽しみながらこの後の予定について話し合う。話し合いの結果、南口へ。
(引用終了)
<同書 冒頭カラーページ>
「“シェア”という考え方」の時代を象徴する「ゆるくて個性的で自由」な高円寺の街に、これからの安定成長時代の産業システムを象徴する「森ガール」の聖地があるのは、考えてみれば当然のことなのかもしれない。これからも高円寺界隈に注目してゆきたい。
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