「フレームとシークエンス」の隈研吾氏と「“シェア”という考え方」の三浦展氏が、都市や建物のあり方について対談した本が去年出ている。“三低主義”隈研吾+三浦展共著(NTT出版)がそれで、新聞の書評には、
(引用開始)
『負ける建築』を書いた建築家と『下流社会』の消費社会研究家が、時代状況や建築史をふまえつつ生活重視の住居論や都市論を語る。「三低」は低層、低姿勢、低コストなどを意味し、丹下健三に続く「三高」的建造物を批判的に総括。古い住宅の再生など自身らの活動も披露しながら、新築より減築、所有よりシェア、地域の活性化、福祉や雇用など政策面にも言及。今日の気分にマッチした興味深い対談集だ。(NTT出版・1575円)
(引用終了)
<朝日新聞 2/14/2010>
とある。三浦氏のいう三低主義とは、街の記憶を大切に考え、古い街並みや建物をリノベーションして使い回すことを楽しむ生き方であるという。以前「街並みの記憶」の項で、
(引用開始)
昨今、日本の多くの地域で、優れた街並みが廃れてきている。20世紀型の大量生産・輸送・消費システムが、行き過ぎた資本主義を生み出し、それが人々に大切な「至高的存在」を忘れさせ、街並みが醜くなった。(中略)これからは、21世紀型の「多品種少量生産」「食の地産地消」「資源循環」「新技術」といった産業システムに相応しい、新しい街づくりが必要だ。
(引用終了)
と書いたけれど、これからの街づくりは、街の記憶(「自分を確認できる優れた場所や物」=「不変項」)を大切に考えるところから始まるといって良いだろう。
隈氏はこの対談の中で、
(引用開始)
隈 建築の設計っていうのは、結局すべて「場所のリノベーション」じゃないかって、最近よく思うんだよね。普通に考えると建築には新築とリノベーションがあって、近頃は新築よりリノベーションのほうが注目を集めている。なんてことになるんだけど、どっちも含めて結局は場所のリノベーションをやっているって考えたほうが、僕のめざしているデザインという行為の本質に近いような気がする。
(引用終了)
<同書 219ページ>
と述べておられる。場所に存在する「不変項」を引き継ぎながら、それをさらに刷新していこうという建築家の心意気が「場所のリノベーション」というキーワードに込められていると思う。
「三低主義」にせよ「場所のリノベーション」にせよ、これからの街づくりには、その街に住む人々や建築家の「場」に対する感度が問われているのである。
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