以前「マップラバーとは」の項で、“世界は分けてもわからない”福岡伸一著(講談社現代新書)に関して、
(引用開始)
ところで、福岡氏のこの著書には、もう一つ「イームズのトリック」という面白い話題がある。それについてはまた後日触れてみたい。
(引用終了)
と書いた。今回はこのことについて考えてみたい。家具のデザインで有名なチャールズ・イームズとレイ・イームズは、「パワーズ・オブ・テン」という映像作品を作ったことでも知られている。パワー・オブ・テンとは10のn乗という意味で、その作品とは、10のn乗単位でカメラをズームイン・ズームアウトさせ、世界の階層構造を映像によって示そうとしたものだ。イームズのトリックとは、この作品に関する話だ。福岡氏の著作からその部分を引用しよう。
(引用開始)
しかしながら、イームズのすばらしい映像にはひとつだけトリックがあった。解像度を上げて対象を拡大すればその視野はより暗くなる、というシンプルな物理学的事実が捨象されていたことである。
生体のある細胞組織を顕微鏡で観察するとしよう。四十倍の倍率からパワー・オブ・テンを一段あげて四百倍としたとき、視野はどうなるだろうか。視野のフレームの大きさ自体はかわらない。かりに視野が正方形で、四十倍の時に見えていた映像を縦横10 x 10の方形のグリッドで分割したとすれば、その1 x 1のグリッドのひとつが縦十倍、横十倍に拡大されて、四百倍の際のフレームの縦横に貼り付けられた、ということである。だから、新しい視野に拡大して捉えられた映像は、もとの視野にあった百分の一のグリッドを切り取ったものである。そして切り取られたものは映像だけではない。映像とともに明るさも切り取られているのだ。新しい視野を照らしているのは、四十倍の視野の明るさの百分の一の光でしかない。
したがってもし顕微鏡の倍率を十倍だけ上げると何が起こるか。それは視野が暗転するということである。そしてさらに重要な事実は、もともと見えていた視野のうち99%はその光とともに失われてしまったということである。
イームズの映像は、倍率をどんなに上昇させても、視野はどこまでも同程度に明るかった。解像度が上がる快感だけが表現されることになった。
暗転した視野の内に見えるもの。そしてその外に捨象されてしまったものの行方について、何かを語ることができれば良いと私は願う。
(引用終了)
<同書 42−43ページ>
ということで、イームズのトリックとは、光の量と対象の大きさとの問題であった。狐につままれたような話だが、一見科学的と思えるこのような作品にトリックが潜んでいようとは、普通なかなか気付かない。このトリック、倍率がさらに上がって、対象が可視光の波長よりも小さくなれば、単に暗くなるだけでなく、可視光のままでは対象を解像できなくなる。その場合、電子顕微鏡やSPM(走査型プローブ顕微鏡)で見たり放射光を使ったりするわけだが、そうなると対象物への影響(吸収、散乱など)も出てくるから、結果の分析も一筋縄ではいかない。様々な要因を解析して総合的にみなければならないわけだ。最終的にはそれこそ“世界は分けてもわからない”のかもしれない。
このような極限の世界について、我々は知っているようでまだまだ理解していないことが多い。最近、素粒子ニュートリノが光よりも速く動いたという測定結果や、質量の起源とされるヒッグス粒子の発見が近づいたというニュースが話題になっている。トリックにひっかからない為にも、我々はこれらの研究を専門家任せにするのではなく、先日「鉄と海と山の話」の項で触れた“境界学問”の精神を持って、いろいろな角度から勉強・照合していかなければならないと思う。
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