前回に続いて“シェア”について考えてみたい。前回見たように、日本語の特質であるところの「環境依存性」は、日本人に「世間」という人間関係の強い縛りを強いてきた。以前「男性性と女性性 II」の項で、
(引用開始)
男性の「所有原理」と「空間重視」、女性の「関係原理」と「時間(リアルタイム)重視」は、男性性と女性性それぞれの欲望形式と認識形式とを言い表したキーワードなのだろう。
(引用終了)
と述べ、社会にとって大切なのは、男性性と女性性とのバランスであると書いたことがあるが、「世間」という人間関係の縛りは、社会に女性性の「関係原理」の方が過剰に働く結果だと思われる。
一方、この国の支配者たちは、人々の間に「世間」という縛りがあるのを良いことにして、昔の律令制からいまの官僚制に至るまで、男性性特有の「所有原理」をもって上から人々を押さえつけてきた。それは、
私有 → 共同利用
独占、格差 → 分配
ただ乗り → 分担
孤独 → 共感
にある左側の古いパラダイムと重なる。
以上の二点をまとめると、日本はこれまで、社会や人々は「世間」という関係原理、政治やビジネスは「律令」という所有原理によって形作られてきた訳だ。
地球規模でエネルギー循環が求められるようになり、日本が安定成長時代に入った今、われわれの社会は必然的に変わらざるを得ない。どう変わらなければならないかというと、人々は「世間」に縛られすぎることなく「所有原理」を自覚して精神的に自立すること、政治やビジネスは、女性性に基づく「関係原理」を大胆に取り入れること、この二つである。
以前これと似たことを「複眼でものを見る必要性」の項で、小沢一郎氏の「民主党代表選挙投票前決意表明文」(2010年9月)の一部を引用しながら考察したことがある。ここで、小沢氏の表明文の一部をもう一度引用しよう。
(引用開始)
私には夢があります。役所が企画した、まるで金太郎あめのような町ではなく、地域の特色にあった町作りの中で、お年寄りも小さな子供たちも近所の人も、お互いがきずなで結ばれて助け合う社会。青空や広い海、野山に囲まれた田園と大勢の人たちが集う都市が調和を保ち、どこでも一家だんらんの姿が見られる日本。その一方で個人個人が自らの意思を持ち、諸外国とも堂々と渡り合う自立した国家日本。そのような日本に作り直したいというのが、私の夢であります。
(引用終了)
<9/14/2010 MSN産経ニュースより>
個人の精神的自立と、お互いがきずなで結ばれて助け合う社会。ここには所有原理と関係原理、男性性と女性性との両立の重要性が見事に表明されていると思う。最後に、三浦氏が指摘した、
私有 → 共同利用
独占、格差 → 分配
ただ乗り → 分担
孤独 → 共感
といったパラダイム項目に、
世間 → 社会
もたれあい → 自立
所有 → 関係
モノ → コト
という私なりの項目を四つ付け加えておきたい。
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