“「本屋」は死なない”石橋毅史著(新潮社)を面白く読んだ。本の帯から紹介文を引用しよう。
(引用開始)
だれが「本」を生かすのか
出版流通システムの現状や、取り巻く環境の厳しさに抗するように、「意思のある本屋」でありつづけようとする書店員・書店主たち。その姿を追いながら、“本を手渡す職業”の存在意義とは何かを根源的に問い直す。「本」と「本屋」の今と未来を探る異色のルポ。
(引用終了)
ということで、「本屋」というスモールビジネスや、書籍ビジネス全般に興味を持つ人にとって、この本は必読書といえるだろう。とくに書き手側の心の揺れが正直に描かれていて、それが本の内容に奥行きを与えている。業界に対するバランスの取れた見方にも好感が持てる。
この本には、以前「山の本屋」の項で紹介した、“イハラ・ハートショップ”の店主・井原万見子さんも登場する。私がブログ記事を書いたのは2009年のことだから、これによって井原さんのその後の活動についても知ることができた。
この本の中に、いまの新刊書店の問題点と関連して、「本の系譜」という言葉がある。その部分を引用したい。
(引用開始)
人文書など特定の分野に限らず、いま多くの新刊書店は、今回のこの新しい本はこのような歴史的経緯のなかで出てきたのだという流れを見せてくれず、膨大な本が生まれては消えていくのに対応するだけになってしまっている。推したい本を一本釣りで重点的に仕掛ける書店員はたしかに現状に一矢報いてはいるが、この方法も系譜を見せることからはますます遠ざかる。全ての本は過去にでた本に示唆されて書かれたのだという「本」の基本条件が、売場から立ち上がってこない。僕の中で古書店への関心が高まっているのは、たぶんそこにも理由がある。
(引用終了)
<同書 238ページ>
石橋氏は、“全ての本は過去にでた本に示唆されて書かれたのだという「本」の基本条件”のことを、「本の系譜」という言葉で表現しておられる。全ての本は、過去に書かれた本に示唆されて書かれる。このことはとても重要なことだと思う。この言葉は、書籍というものの本質を言い表している。全ての本は、人々が社会のなかで互いに繋がっているように、他の本と繋がっている。
そう考えると、本は著作権などによって守られるのではなく、多くの人に読まれることによって守られることがわかる。本の価値は、それが何冊売れたかということにではなく、その社会にその本を書く人が居た、ということ自体にある。勿論、つまらない本を書く人もいるわけだが、それも含めて、全ての本はその社会を映す鏡である。だから、本を大切にする社会は、人を大切にする社会なのである。
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