先日ある雑誌を読んでいたら、建築家の隈研吾氏が次のような話をしていた。
(引用開始)
そう。自然界は「フレーム」(意識の内側)と「シークエンス」(時間の流れ)で成り立っているんです。大きさや解像度の違うフレームが連続していくイメージです。それを巨大な平面で均質に考えようとしたのは、20世紀的科学の思考法であって、生物はそういう生き方じゃない。人間は、「フレーム」と「シークエンス」の中に自然とのつながりが体感できる。
(引用終了)
<ソトコト9/2011号86ページより>
隈氏のこの考え方は、以前「アフォーダンスについて」の項で述べた、
(引用開始)
アフォーダンス理論では、我々の住むこの世界は、古典幾何学でいうような、直線や平面、立体でできているのではなくて、ミーディアム(空気や水などの媒体物質)とサブスタンス(土や木などの個体的物質)、そしてその二つが出会うところのサーフェス(表面)から出来ているとされる。そして我々は、自らの知覚システム(基礎的定位、聴覚、触覚、味覚・嗅覚、視覚の五つ)によって、運動を通してこの世界を日々発見する。
(引用終了)
というアフォーダンスの考え方と近いと思われる。
隈氏のいう「シークエンス」(時間の流れ)とは、身体と環境との出会いであり、「フレーム」(意識の内側)とは、現在進行形の脳がそのときに注意(Attention)する対象を指すだろう。
建物の立つ場所や環境が持つ力を探り出し、そのエネルギーを建築に生かそうとする隈氏の設計哲学については、これまで「広場の思想と縁側の思想」や「街のつながり」、「境界設計」の項などで見てきた。地場材料への拘り、歴史への配慮、自然環境の重視などなど。
環境を均質なものとしてではなく、「フレームとシークエンス」の連続としてみることで、隈氏は、環境の持つ力をより柔軟に体感できているのだろう。氏の作品には、人工的な縦のヒエラルキー(階層性)とは無縁の、自然や環境と横のつながりを持つ魅力的な建物が多い。
このフレームとシークエンスもそうだが、これからは「20世紀的科学の思考法」からの脱却が急速に進むと思われる。以前「流域思想」や「流域思想 II」の項で、新しい思考法の一つとしてアフォーダンスと流域思考との親和性について考察したが、これからもいろいろと新しい「21世紀的科学の思考法」について考えていきたい。
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