この夏の終わりに、“上を向いて歩こう”佐藤剛著(岩波書店)という本を面白く読んだ。この本は、中村八大作曲、永六輔作詞で坂本九が歌った「上を向いて歩こう」の評伝である。
本を読むきっかけは、新聞の書評に、坂本九の歌い方が世界的ヒットを生んだ、と書いてあったことだ。日本語と西洋のリズムについては、このブログでもこれまで「リズムと間」や「一拍子の音楽」、「クワタの傑作」などの項でいろいろと見てきた。「上を向いて歩こう」という曲において、坂本九のどのような歌い方が世界に認められたのだろうか。
吉祥寺のジュンク堂の本棚に一冊だけあったこの本を手にしたとき、その厚さに一瞬気後れしたけれど、読み終わってみると買って良かったと思う。曲の評伝だけでなく、中村八大や永六輔、坂本九らその時代の音楽に携わった人々のこともよく描かれている。
さてその歌い方だが、本書によると、
(引用開始)
母音の響きが続く言語であるが故に、細かいリズムやサウンドに言葉がノリにくいのは、良くも悪しくも日本語の特徴である。
だが坂本九は、ロックンロールの持つビート感を、日本語で表現できる歌唱法を、独自に発明した。歌声の響かせ方、母音の繰り返しから繰り出される、弾むようなリズムの感覚がひときわ新鮮だった。口を横に大きく開いた笑顔の状態で声を出すと、通常よりももれる空気が多くなり、その分だけ音としてなるタイミングが微妙に遅れる。それがビートを誘発するのだ。独特の歌い方は、前例のない新しい表現だった。
(引用終了)
<同書123ページ>
ということで、母音の「発音体感」を微妙にずらすことで、本来の日本語にないリズム感を出すことに成功しているらしい。
坂本の歌い方にはそれ以外、ヒートカップと呼ばれる歌唱法や裏声、休符の巧みな使い方などがあるという。詳しくは本書をお読みいただきたいが、「クワタの傑作」で述べた桑田佳祐の歌唱法などと比べるとさらに興味深い。
「上を向いて歩こう」は、1961年に日本で、1963年にアメリカでヒットした。私が10歳から12歳頃のことだ。私は1963年2月に日本からアメリカへ渡ったから、日本とアメリカ両方でこの曲を(ヒット時に)耳にする機会に恵まれた。そういう意味でもこの曲はとても懐かしい。
ところで本の“あとがき”に、この作品はもともとスタジオジブリの月刊誌「熱風」に連載されたとある。この初夏に公開されたスタジオジブリ作品“コクリコ坂から”(企画・脚本宮崎駿、監督宮崎吾朗)にこの曲が挿入歌として使われたのは、そういう繋がりがあったからだろうか。
“コクリコ坂から”の時代背景は1963年、舞台は春の横浜だという。今年の春、映画のことはまだ知らなかったが、私は親しい友人と横浜中華街から山下公園のあたりを散策した。今年の横浜、映画のスクリーンに描かれた63年当時の横浜、スクリーンから流れる坂本九の歌声、63年当時アメリカで聴いた坂本九の歌声、それらが頭のなかで交錯する。
それにしてもこの夏、楽しい映画と懐かしい音楽、それにためになる優れた本を用意してくれた、スタジオジブリに感謝したい。
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