夜間飛行

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平岡公威の冒険

2011年09月27日 [ アート&レジャー ]@sanmotegiをフォローする

 以前「“わたし”とは何か」の項で、

(引用開始)

 人は無数の「非至高的(日常的)存在」に取り囲まれて、生き抜くためにいつも四苦八苦している。お金のことや身体の健康のこと、その身に降りかかるあらゆる不条理。しかしそのなかでも人は、日々「至高的存在」に近づこうと努力する。その姿が、別の人から「至高的存在」に見えることがある。“見る者”と“見られる者”とは別々の存在だ。

(引用終了)

と書いたけれど、“見る者”と“見られる者”との同一化を願ったのが、作家の平岡公威(ペンネーム三島由紀夫)である。

 平岡は、その著書“太陽と鉄”(講談社文庫)のなかで、「見ること」と「存在すること」(見られること)とは背反するけれど、その二つを同一化することが自身の人生の目標であるとし、人を林檎に例えながら、

(引用開始)

ふつう赤い不透明の果皮におおわれた林檎の外側を、いかにして林檎の芯が見得るかという問題であり、又一方、そのような紅いつややかな林檎を外側から見る目が、いかにしてそのまま林檎の中へもぐり込んで、その芯となり得るかという問題である。

(引用終了)
<同書58ページ>

と提起した。そして、

(引用開始)

林檎はたしかに存在している筈であるが、芯にとっては、まだその存在は不十分に思われ、言葉がそれを保証しないならば、目が保障する他はないと思っている。事実、芯にとって確実な存在様態とは、存在し、且、見ることなのだ。しかしこの矛盾を解決する方法は一つしかない。外からナイフが深く入れられて、林檎が割(さ)かれ、芯が光りの中に、すなわち半分に切られてころがった林檎の赤い表皮と同等に享ける光りの中に、さらされることなのだ。

(引用終了)
<同書58−59ページ>

と論を続けた。すなわち、見る者と見られる者とは背反するけれど、死によってそれは同一化されるとしたわけだ。その後彼が林檎の運命を身に負ったことは周知の如くである。

 私は当時平岡の熱心な読者だったから、「見る者と見られる者とは背反するけれど、死によってそれは同一化される」というドグマに長く悩まされた。愛読する作家にこのようなことを書き残されたら誰でも悩むだろう。そのドグマから開放されたのは、ずっと後、アフォーダンス理論と免疫学とによって、脳と身体がそれぞれ別々の「時間」に属していることに気付いた時だった。どういうことか説明しよう。

 アフォーダンス理論によると、脳、すなわち“見る者”の知覚には終わりがない。“見る者”にとって時間は常に「現在進行形」である。我々は、世界の何処で何をしていようが、常に世界全体を(一挙に)把握している。知覚システムは常に環境からの情報をそれまでの情報に重ね合わせて修正を加え続ける。たとえば、今あなたはPCの画面を覗いているが、画面の後ろにある壁、部屋全体、家や街、そして世界全体を(一挙に)把握している筈だ。あなたの頭の中にはあなたがこれまで体験してきた世界の全てが同時にある。

 一方、多細胞生物の身体、すなわち“見られる者”には寿命がある。免疫学の教えるところによれば、細胞にはアポトーシスと呼ばれる細胞死がプログラムされており、60兆個の細胞の塊である人間の身体システムには、老化という身体死があらかじめ組み込まれているという。あなたがいくら長生きしようと考えても、今のところ生きられるのはせいぜい120歳ぐらいまでだろう。

 現在進行形としての“見る者”と、寿命を抱えた“見られる者”とは、そもそも異なる「時間」に属している。このことを私は以前「アフォーダンスと多様性」の項で、

(引用開始)

 「個」におけるアフォーダンスで重要な点は、常に思考や行動の枠組みから「自分」というものを外さないこと(自己言及性)と、脳は常に「現在進行形」(time = 0)であるということだった。一方、免疫で重要なのは、限りある自分の身体時間(t = life)における自律神経(交感神経と副交感神経)のバランスである。

 「個」におけるアフォーダンスと免疫との考え方を整理してみると、人は生きている限りこの2種類の時間から逃れられないことがわかる。人は、常に現在進行形としての脳と、一定の寿命を持つ身体とを抱えて、この社会に(一過性的に)関わっているわけだ。

(引用終了)

と纏めたことがある。

 勿論脳も身体の一部だから、身体が死を迎えるとき、その知覚も同時に消滅する。しかしそれは“見る者”と“見られる者”との同一化などではなく、単に二つの異なる「時間」が同時消滅するに過ぎない。二つの異なる「時間」はけっして同一座標軸上で交わることはない。そして、個体は死ぬけれど、脳の成した仕事は社会の誰かによって、身体の遺伝子は子孫によってそれぞれ継承されていく。

 平岡は、西洋近代が発明した均一時間と均一空間という座標軸の上に、“見る者”と“見られる者”とを並べて置いてしまった。そしてその同一化という果たせぬ夢を追求し、“認識と行為”、“精神と肉体”などといった対立項を措定しながら、“文武両道”から“知行合一”へとその信条を進めていった。そして最後は自ら措定した二項対立を止揚すべく、戦後日本の欺瞞的な政治体制に身体をぶつけて死んでしまった。

 かれは死ななくても良かったと思う。なぜなら、“見る者と見られる者”、“認識と行為”、“精神と肉体”といった対比は、「脳と身体」の対比であり、それは同一化されるものではなく、互いに影響を与え合う性質のものだからだ。平岡は優れた作家だったから、彼が生きていればいまの日本社会はもっとましになっていただろう。彼の死は、この二項対立止揚の他にも要因はあっただろうが、もったいないことだったと思う。

 しかし考えてみれば、彼のそのような向こう見ずで一途な冒険がなければ、我々が“見る者”と“見られる者”について徹底的に考えることもなかったかもしれない。その意味で、彼の一連の思考と行動は、「平岡公威の冒険」とでも呼ぶべき貴重な試みだったのだろうと今にして思う。

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posted by 茂木賛 at 08:55 | Permalink | Comment(0) | アート&レジャー

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