このブログでよく紹介する新潟大学の安保徹氏の本を再読していたら、「人生系と生命系」という対比があった。その本“40歳からの免疫力がつく生き方”(静山社文庫)から該当箇所を引用したい。
(引用開始)
私たちはふたつの物語を生きています。人生系の物語と生命系の物語がそのふたつです。人生系の物語の主人公は、何かをしたい私、つまりエゴです。エゴはひとりひとり切り離された他者を意識します。エゴは他者と関わりををもち、組織と関係し、集団と関係します。生きていく力、原動力は、他者よりもよりよく生きたいという願いでしょう。
エゴにとっての継続性は所属する文化にあります。文化によって自己を形づくり、エゴが滅びたあとも文化は残ります。これが人生系のシステムの姿です。進化の歴史からいえば、ごく最近になって上積みされた大脳前頭前野がエゴの存在する根拠です。
もうひとつの物語である生命系は、全体でひとつなのです。人生系は孤立したエゴがせいぜい100年足らずの時間帯をもっているのに比べ、38億年の奥行きをもち、生きとし生けるすべてのものとつながり、全部が一体です。巨大な一とばらばらの一。このふたつの交わりにくい物語系を同時に生きているのが、私たちひとりひとりの人間なのです。
(引用終了)
<同書39−40ページ。振り仮名は省く>
安保氏の云う人生系=エゴとは、個人の脳(t = 0)と身体(t = life)が紡ぐ物語であり、生命系とは、身体(t = life)と自然(t = ∞)とが織りなす物語である。人生系の物語は基本的に「脳」がリードしていくのに対して、生命系の物語は「身体」が主役となる。
以前「自律神経と生産と消費活動について」の項で、
(引用開始)
多く場合、活動的な体調が「生産」の緊張を支え、リラックスした体調が「消費」の心理状態を支えている。従って、「生産」には交感神経優位の体調が必要で、「消費」には副交感神経優位の体調が必要といえる。すなわち、
「生産」:交感神経優位
「消費」:副交感神経優位
という対比が可能になるわけだ。
(引用終了)
と書いたけれど、安保氏の云う人生系の物語は、「何かをしたい私」が主役ということで、「生産」:交感神経優位の活動であり、生命系の物語は、「身体」が主役ということで、「消費」:副交感神経優位の営みのように思われる。
とすれば、人生系と生命系という「交わりにくいふたつの物語」を調和させるには、自律神経(交感神経と副交感神経)を上手くコントロールすることが大切になるだろう。
先日「1/f のゆらぎ」の項で、
(引用開始)
この「1/f ゆらぎ」の特徴は、振幅が小さいほど振動数が多く、振幅が大きいほど振動数が少ないというもので、星の瞬きからそよ風、心臓の鼓動や脳のα波に至るまで、心地よく感ぜられる自然現象に多く見られるという。
(引用終了)
と書いたけれど、人生の達人と呼ばれる人々は、「交わりにくいふたつの物語」をそよ風にでも準(なぞら)え、振幅が小さい呼吸や脈拍、脳波といった振動から、振幅が中位の昼と夜、気圧と気温、仕事と休息といったリズム、さらには幼年期、青年期、壮年期、老年期といった人生の大きな波動を、「1/f のゆらぎ」の要領で上手く同期(synchronize)させているのかもしれない。
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