今年も短い夏休みを長野の山荘で過ごすことができた。相変わらずの読書三昧。今年山へ持っていった本は、
“不可能”松浦寿輝著(講談社)
“さもなければ夕焼けがこんなに美しいはずはない”丸山健二著(求龍堂)
“きれいな風貌 西村伊作伝”黒川創著(新潮社)
“ハウス・オブ・ヤマナカ 東洋の至宝を欧米に売った美術商”朽木ゆり子著(新潮社)
“意識は実在しない 心・知覚・自由”河野哲也著(講談社選書メチエ)
“銀座の喫茶店ものがたり”松村友視著(白水社)
の六冊。いつもの平行読書法の要領でこれらの本を読み進めた。
“不可能”松浦寿輝著(講談社)は、平岡公威(ペンネーム三島由紀夫)が生きていたらどういう老人になっているだろうか、という思考実験的小説。最後に日本を脱出してのんびりし、また小説を書こうかと思うところがなかなか佳い。私は以前から、三島由紀夫を論ずるのならば「三島由紀夫論」ではなく「平岡公威論」でなければならないと考えていた。著者も同じように考えて主人公の名前を「平岡」にしたのだろう。「三島由紀夫論」では、知らず知らずのうちに作家の作った「三島由紀夫」という舞台(フィクション)の上で踊らされてしまう。ペンネームも作家のひとつの創作なのだ。
“さもなければ夕焼けがこんなに美しいはずはない”丸山健二著(求龍堂)は、安曇野に居を構える孤高の作家の庭に関するエッセイ。以前「容器の比喩と擬人の比喩」の項で、日本語の論理は容器の比喩(空間の内と外や容器の上と下といった論理形式)が多く、英語の論理は擬人の比喩(主体―対象―動作という論理形式)が多いという説を紹介したが、丸山健二の文章には擬人の比喩が多い。例えば、
(引用開始)
夏の到来を告げる雷雨がまるで告発の声のように激しく庭を鞭打ち、あれほどまでにわが世の春を謳歌したさしものバラたちも、泣きに泣いたやもめのように、さもなければ、陵辱の落とし子であることをとうとう知ってしまった少年のように、今はすっかりしおたれている。
(引用終了)
<同書58ページ>
など。そういえば平岡公威も擬人の比喩が多い作家だった。例えば、
(引用開始)
芝のはずれに楓を主とした庭木があり、裏山へみちびく枝折戸(しおりど)も見える。夏というのに紅葉している楓もあって、青葉のなかに炎を点じている。庭石もあちこちにのびやかに配され、石の際(きわ)に咲いた撫子(なでしこ)がつつましい。左方の一角に古い車井戸が見え、又、見るからに日に熱して、腰かければ肌を灼きそうな青緑の陶(すえ)の榻(とう)が、芝生の中程に据えられている。そして裏山の頂の青空には、夏雲がまばゆい肩を聳(そび)やかしている。
(引用終了)
<“天人五衰 豊饒の海(四)”(新潮文庫)302ページ>
など。平岡は丸山健二の処女作“夏の流れ”を評価したと記憶しているが、二人の作家に共通する文章スタイルについて、いずれじっくりと考えてみたい。
“きれいな風貌 西村伊作伝”黒川創著(新潮社)は、神田駿河台にある文化学院の創設者である西村伊作の伝記。西村は自由を重んじるしなやかな思想の持ち主だったようだ。24才で米国に渡ったとき、現地の人に宗教や信条を聞かれ、”I am only a freethinker”と答えたという。明治・大正時代にはさまざまな個性が活躍したと改めて思う。と同時に、日本の近代化における“大逆事件”の影響の大きさを再確認させられる。
“ハウス・オブ・ヤマナカ 東洋の至宝を欧米に売った美術商”朽木ゆり子著(新潮社)は、欧米を相手に東洋の美術品を商った山中商会の興亡を描くノンフィクション。今書いている小説の主人公の父親がマンハッタンに店を開く骨董屋という設定なので、資料取材としてこの本を読む。ところで、著者の朽木さんは私の大学時代の少林寺拳法部の先輩。三鷹のキャンパスでよくご一緒に練習したものだ。
“意識は実在しない 心・知覚・自由”河野哲也著(講談社選書メチエ)は、アフォーダンス理論の社会学的応用。社会的な事象をさまざまなアクターが参加しているネットワークとして理解する「アクターネットワーク理論」が面白い。ここでいうアクターは人だけに限らない。自然や人工物、組織体なども含まれるという。
“銀座の喫茶店ものがたり”松村友視著(白水社)は、以前「銀座から日比谷へ」の項で、“銀座百点”という冊子の連載エッセイとして紹介した。今回書籍化されたのを期に購入。新聞の紹介文を引用しておこう。
(引用開始)
飛び切りの名店カフェ・ド・ランブル、芝居の舞台のように新橋演舞場前に立つ茶房李花、ワンダーランドさながらの文具店伊東屋のティーラウンジ…。銀座の歴史と空気に育まれた瀟洒(しょうしゃ)で個性豊かな四十五の喫茶店と店主の<ものがたり>を訪ね歩く。外資系チェーン店の進出で数は減ったが、著者の思い出やあこがれがつまった銀座の喫茶店文化に対するオマージュがつづられる。
(引用終了)
<東京新聞 8/14/11>
松村氏の味のある文章によってどの店も宝石のような輝きを発している。銀座に出たら一度打ち合わせや待ち合わせに使ってみよう。
この記事へのコメント
コメントを書く