前回「音声言語と書字言語」の項において、
(引用開始)
西欧では、表音文字であるアルファベットが普及したから、その文化の中心に「音楽」があり、東洋では、表意文字である漢字が普及したから、その文化の中心に「書」がある、ということらしい。
(引用終了)
と書いた上で、声中心の言語を「音声言語」と呼び、書字中心の言語を「書字言語」と呼んだけれど、ここで日本の平仮名とカタカナを考えてみると、これはもともと漢字から作られたとはいえ一種の表音文字だから、日本語は、表意文字としての漢字と、表音文字としての平仮名・カタカナによる「二重言語」であることが分かる。
この日本語の二重言語性について、石川九楊氏の“二重言語国家・日本”(NHKブックス)から引用したい。
(引用開始)
現在の日本語は大まかに言って、漢字と女手(平仮名)、つまりは漢語と和語の「詞」を中核に、これに和語の「辞」を添えることによって成立している言語である。だが、この漢語は単なる中国語ではなく、また和語も単なる古孤島語(倭語)ではない。
日本語における漢語とは、漢語の背後に和語が、また和語とは、和語の背後に漢語が貼りつき、複線化した語彙を指す。たとえば、地方によってどれほど発音が異なっても、中国語の「雨」は「雨」にすぎないが、日本語の一部である漢語の「雨」は「雨(ウ)」であると同時に「あめ」であり、和語の「あめ」は「あめ」であると同時に「雨(ウ)」であるという二重・複線の構造を持っている。
中国語を輸入するにとどまらず、中国語に相当する和語を新たに創出する二重・複線化運動によって、日本語はつくりあげられた。和語は古来から存在した倭語というよりも、擬似中国時代に再編され、また新たに創り出されたのだ。
(引用終了)
<同書129ページより>
いかがだろう。日本語は、表音文字(平仮名・カタカナ)と表意文字(漢字)が組み合わさったものだが、ベースはあくまでも漢字(書字言語)だから、アルファベット(音声言語)のような音楽性は見られない。二重言語の詳細については、さらに本書をお読みいただきたい。
これまでこのブログでは、言葉の「発音体感」と「筆蝕体感」とについて書いてきたけれど、これら言葉の(記号として以前の)本質的なはたらきは、空気と紙媒体に対する身体運動(口腔や手の運動)のアフォーダンスである。母音語でありかつ二重言語である日本語において、この二つ(「発音体感」と「筆蝕体感」)は、特に深い意味があると思う。言葉に関するソシュールやパースなどの記号論は、ここからあとの話なのである。
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