以前「新書読書法(2010)」の項で、“胎児の世界”三木成夫著(中公新書)について、
(引用開始)
体壁系と内臓系、個体発生と宗族発生、分節性と双極性など、人間と社会についての示唆に富む項目が並ぶ。
(引用終了)
と書いたけれど、今回はこのなかの「体壁系と内臓系」という対比について私の興味をまとめておきたい。
体壁系と内臓系の詳細については、本書及び三木氏の他の著書、たとえば“内臓のはたらきと子供のこころ”(築地書館)や“海・呼吸・古代形象”(うぶすな書房)などをお読みいただきたいが、簡単に纏めると、「体壁系」とは、人の身体の“感覚―運動”をつかさどる器官を指し、「内臓系」とは、“栄養―生殖”をつかさどる器官を指す。前者は動物器官とも呼ばれ、後者は植物器官とも呼ばれる。
1. 3の構造
体壁系、内臓系とも、次のような「3の構造」を持っていることが興味の第一である。
「体壁系」
外皮層 (感覚)
神経層 (伝達)
筋肉層 (運動)
「内臓系」 <食の相>
腸管 (吸収)
血管 (循環)
腎管 (排出)
「内臓系」 <性の相>
精巣 (排出)
導管 (導入出)
卵巣 (受容)
このことは、身体の分節性や双極性を考える上で重要だと思われる。
2. 呼吸について
呼吸(とくに吸気)が内臓系ではなく体壁系の筋肉(横隔膜)によって行われていること。以前「重力進化学」の項で述べたように、これは、生物の上陸劇にともなう呼吸器官の「鰓から肺への変容」がその理由であるという。人体における体壁系と内臓系のバランスが大切な由縁である。
3. 「近」と「遠」
動物器官としての体壁系が「近」と相関し、植物器官たる内臓系が「遠」と呼応していること。自力栄養のできない動物たちが、獲物を取るために誂えた身の周り=「近」に反応する能力。自力栄養を行う植物たちが、太古の昔から持つ自然=「遠」に共振する能力。その二つを示すのが、「近」の思考を示すロダンの“考える人”と、「遠」を観得する広隆寺の“弥勒菩薩”であるという。
以上私の興味を三点に纏めてみたが、三木氏の前掲著書“海・呼吸・古代形象”(うぶすな書房)には、体壁系と内臓系について、さらに次のような指摘がある。
(引用開始)
まず、体壁系は、その感覚機能と運動機能を仲介する「神経系」の中枢部――『脳髄』によって、それは代表される。これに対し、内臓系は、その呼吸機能と排泄機能を仲介する「循環系」の中心部――『心臓』によって、同じように代表される。前者の“脳”そして後者の“心臓”……。これらはいうなれば、だれもが口にする“あたま”と“こころ”の、それぞれの象徴なのである。
前回、私達は“いのちの波”を、大きく「食」と「性」の、二相に分けたが、これは、あくまで「食」の相での代表であって、これが「性」の相ともなると、おのずから、その様相は異なったものとなってくる。そこでは、雄雌の「合体」によって、初めて一つの個体が形成されるものとすれば、このいわば「二重体」では、まず、体壁系の中枢として、性の行動の主導権を握る、雄性の『脳髄』が、また、内臓系の中心をなすものとして、精巣と卵巣を結ぶ、雌性の『子宮』がそれぞれ選び出される。前者の“男の脳”そして後者の“女の子宮”……。性における、男女の思考の座を、みごとに抉り出したものではないか。詳細は次回に譲るとして、これらの代表器官が個体体制を把握する上での、貴重な“勘どころ”となることを忘れてはならない。
(引用終了)
<同書146ページ>
体壁系が男の脳、内臓系が心臓と女の子宮とで代表されるものであれば、体壁系=男性性、内臓系=女性性ということで、初期論的には、先日「複眼主義のすすめ」の項で示した「公(public)」と「私(private)」の対比と以下の様に整合する。
「公(public)」 「私(private)」
脳(t = 0) 身体(t = life)
都市(t = interest) 自然(t = ∞)
自立 共生
主格中心 環境中心
広場 縁側
マップラバー マップヘイター
Resource Planning Process Technology
効率 効用
子音語 母音語
解糖系 ミトコンドリア系
男性性 女性性
体壁系 内臓系
今後、上の興味三点と併せ、この観点からも人と社会について考えていこう。
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