震災からの復興に向けた動きが始まっている。街づくりについて、流域思想の観点から考えを発展させてみたい。
このブログでは、街づくりにおける、流域思想と境界設計の大切さを述べてきたが、街の水辺設計は、まさにその実践と云える。“まちづくりへのブレイクスルー 水辺を市民の手に”篠原修・内藤廣・二井昭佳編(彰国社)は、日本における水辺設計の成功例を紹介した好著だ。新聞の紹介記事を引用しよう。
(引用開始)
生活に水辺を取り戻す各地の活動を紹介したシンポジウムの記録。木野部海岸(青森県)と源兵衛川(静岡県)のプロジェクトでは、市民やNPOが奮闘。児(ちご)ノ口公園(愛知県)と和泉川(横浜市)では、行政が主体となって悪戦苦闘した。
(引用終了)
<東京新聞 1/17/2011>
どのプロジェクトにも元気なリーダーがいて、その人の周りに各分野の専門家や地域住民が集い、豊かな水辺づくりが展開する。ここでもリーダーの存在が成功の秘訣のようだ。
この本を読むと、リーダーシップや、行政と市民・NPO間のコラボレーションの大切さもさることながら、そのベースとなる、法(河川法など)の整備の重要性がよく分かる。法の整備は、流域ごとに自然環境が違うわけだから、基本理念は全体共有した上で、その流域に合うように、地域主権で進められなければならないと思う。特に今回の津波被災地には特別な措置が必要だろう。
これからの街づくり・水辺づくりには、この本にある基本計画作成方法など、プロジェクトの具体的な進め方が大いに参考になる筈だ。子供目線から地域を読み解くこと、地域知の重要性、成果確認などなど。
このブログでは、これからの社会を牽引する産業システムの一つとして「資源循環」を挙げている。流域における川と海とは、資源循環の要(かなめ)である。こういった活動によって川が動き出せば、昆虫や動物、植物たちが流域に集い、流域の住人たちによって新しい継承の文化が紡ぎだされるだろう。それが“両端の奥”をさらに豊かなものにしてゆくに違いない。
ところで、この本の編者の一人である内藤廣氏は、私の高校時代のバスケットボール部一年先輩、故瀧脇庸一郎氏と早稲田大学の建築学科(吉阪研究室)で同期だったとのこと。私は、瀧脇氏の追悼文集“後世”に寄せられた内藤氏の文章(「第二章」というタイトル)によってこのことを知った。瀧脇氏が病気で亡くなったのは1993年、追悼文集は1996年に出版された。私は瀧脇氏のバスケットボール部時代しか知らないけれど、コート上でいつも全力を尽くす彼の姿が忘れられない。周りの誰かが手を抜いているとよく彼の叱咤声が飛んだ。背はあまり高くなかったけれど、ロングシュートの姿がとても綺麗だった。追悼文集の年譜を見ると、氏は1978年にアトリエを持ったとあるから、療養期間もあっただろうが、亡くなるまで約15年間、建築家として活躍していたことになる。内藤氏の編んだ本を読むうちに瀧脇氏のことを思い出し、もし彼が存命であったならば、今どのような作品を手がけているだろうかと考えた。
<お知らせ>
以前「牡蠣の見あげる森」の項で紹介した“海は森の恋人”の地が今回の地震と津波で被災し、緊急支援を募っています。小額ながら私も義援金を送りました。参考までにURLを転載しておきます。
http://d.hatena.ne.jp/mizuyama-oyster-farm/20110412/1302595826
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