以前「内と外 II」の項で、“小布施 まちづくりの奇跡”川向正人著(新潮新書)を引用しながら、
(引用開始)
川向氏は、「縁側や庭」とそれに繋がる「道」は、街づくりの上で、“中間領域”として重要な意味を持つという。“中間領域”の設計の良し悪しが、街の「つながり」具合いに影響するというわけだ。
(引用終了)
と書いたけれど、この“中間領域”について、屋敷内外における「境界設計」の視点から論じた本が、“境界 世界を変える日本の空間操作術”監修隈研吾・写真高井潔(淡交社)である。監修者の建築家隈研吾氏については、以前「広場の思想と縁側の思想」や「街のつながり」の項でも紹介したことがある。
隈氏はこの本の中で、
(引用開始)
日本建築は、境界の技術の宝庫であり、イケイケの終わった時代を生き抜くための知恵が、日本建築の中に満載されている。様々なスクリーン〔たとえばルーバー(格子)や暖簾(のれん)や、様々な中間領域(縁側・廊下・庇)〕が環境と建築とをつなぐ装置として再び注目されている。
(引用終了)
<同書 15ページ>
と述べ、その内容を、
第1章 内と外の曖昧な境界
窓、蔀戸、格子、犬矢来、垣根、塀、門、玄関、土間・三和度、通り庭、縁側、軒、壁、屋根、欄間、鞘の間、はとば
第2章 柔らかな境界
暖簾、簾、襖、障子、屏風・衝立
第3章 聖と俗、ハレとケの境界
床、神棚、枝折戸、躙口、茶室、沓脱石、飛び石(路地)、御手洗、手水、鳥居、注連縄、階段、白砂壇
第4章 「見立て」の境界
関守石、みせ、石碑
第5章 風景の中の境界
橋、坪庭、借景
第6章 現代の境界
根津美術館、House N、KAIT工房
といった章構成よって(美しい写真とともに)紹介しておられる。第1章の冒頭にある短いコメントには、
(引用開始)
言葉によって世界を切り取り認識しやすくするのと同時に、人は「自己の側」に属する空間を形成するために、仕切りや標(しるし)といった「境界」を用いてきた。
すると必然的に、自己の側以外の空間は、混沌とした「外部」空間に位置づけられる。人はしばしば、高い障壁などの強固な境界により、カオス=外部を拒絶した。「内と外」の二元論によって、世界を整理した。
しかし実際のところ、人間とは外部=自然環境との関連性によって生かされているにすぎない生物で、そのようなデジタルな処理では対応しきれない、もっと複雑で矛盾をはらむ生身の存在だということに、この国の人間は早くから気づいていた。
そして、外部との関係性を完全には断ち切らない、さまざまな「境界」が発展した。
(引用終了)
<同書 19ページ>
とある。
一方、“中間領域”の設計においては、「複眼でものを見る必要性」の項で述べたように、新しいものをどう取り入れるかという課題もある。先日「内と外」の項で引用した「KURA」12月号の小布施の記事は、新しいものの象徴である「道路」について次のように書いている。
(引用開始)
小布施の今後のデザインについて尋ねると、市村次夫さんから意外な返事が返ってきた。
「まずは、国道403号線など主な道路を一車線にして、歩道に工夫をしたいね。昭和30年代以降、道は道路になってしまった。これをいかに道に戻すかに苦心している」
「道路」は移動手段としての車を効率よく走らせるものに過ぎず、人が気持ちよく歩けるのが「道」だ。しかしどこかへ行くために歩くのではなく、ぶらぶら歩く。偶然に人に出会ったり、立ち話をしながら。立ち話や無駄話のなかで、本物の情報が耳に入ることがあり、ときには思いがけない人のつながりもできる。道は広くなったり狭くなったり、ベンチがあったり、花が植えられていたり、「足湯があったり、大道芸人もいいね」と市村さんは言う。効率優先の真面目さではなく、「人生を楽しむ」という観点から道を取り戻し、さらに面白い町づくりをしていきたいと語る。
(引用終了)
<同雑誌21ページ>
小布施の街の真ん中を通る国道403号線は外からは便利だけれど、確かに車が多くて歩きにくい。これを合議の上で一車線・一方通行にしても、(他にも道はあるのだから)皆それほど困らないかもしれない。
これからの「境界設計」は、日本の古くからの空間操作術を充分生かしながら、さらに車やITなどの新しいものを、(単に排除するのではなく)巧みに取り込むことが求められる。優れた境界設計は「エッジ・エフェクト」を誘発する。それは「継承の文化」の項などで言及した“流域両端の奥”をさらに深化させるだろう。
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