前回に引き続き、街づくりにおける「内と外」の問題を考えてみたい。この課題は、前回紹介した“小布施 まちづくりの奇跡”川向正人著(新潮新書)の第3章でも詳しく検証されている。一部引用してみよう。
(引用開始)
修景事業以来、小布施では「外はみんなのもの、内は自分たちのもの」という合言葉が使われてきた。景観を構成する建築外観を共有財産と捉えて「外」はみんなのものと考えましょう、でも「内」は自分たちのものですよ、と呼びかける。この呼びかけには、景観への配慮をうながしつつ、住み手が自由にできろ「内」があることを明確に伝えようという意図がある。(中略)
小布施の修景事業では、最初から設計によって「外」と「内」を適切の関係付けることに力点が置かれた。たとえば、私も何度か訪ねている市村良三邸の場合、庭をオープンガーデンに開放しても住宅内での家庭生活にまったく支障がない。書斎・居間・ダイニングまでの人の出入りは多く千客万来の状態が続いても、さらに奥があって、必要な家族のプライバシーは守られている。
(引用終了)
<同書141−158ページ>
ここで「内と外」に加えて「奥」という言葉が出てくる。「外」と「内」を適切に関係付ける上で、「奥」というもうひとつの概念が提起される。ここで「奥」を“私生活”のコアとすると、「内」は「客間や応接間」と「縁側や庭」とに分けることができ、「外」は、「縁側や庭」につながる「道」とその先の「他家」ということになるだろうか。
川向氏は、「縁側や庭」とそれに繋がる「道」は、街づくりの上で、“中間領域”として重要な意味を持つという。“中間領域”の設計の良し悪しが、街の「つながり」具合いに影響するというわけだ。「縁側」については、以前「広場の思想と縁側の思想」の項で、日本家屋建築におけるユニークさとして書き留めておいた。
さて、この「外・内・奥」の三層構造、以前「里山ビジネス」の項で触れた、里山流域の構造に似ていることに気付かれるだろうか。里山流域の三層構造は、「奥山・里山・人里」ということだけれど、これを街づくりにおける三層構造と対応させてみると、街づくりの「外」が里山流域における「奥山」、「内」が「里山」であり、「奥」が「人里」という図式となる。
「里山」=「街」
「奥山」=「外」
「里山」=「内」
「人里」=「奥」
それぞれの三層構造の中央に位置する「里山」と「内」は、社会と家族にとって、それぞれ大切な“中間領域”なのである。
そもそも「3の構造」には、安定感と発展性がある。「階層性の生物学」の項で紹介した“性と進化の秘密”団まりな著(角川ソフィア文庫)にも、「外胚葉・中胚葉・内胚葉」という三層構造が描かれている。
(引用開始)
ヒトの身体には、二百五十種ほどの細胞があると言われていますが、こんなに多くの種類の細胞も、最初に胞胚(はい)の細胞群を三つに分け、それから次に外胚葉を神経と皮ふの二つに分け、というように、それぞれのグループを二つか三つに区切っていけば、何種類にでも分けられます。それが自然のやり方です。
こうして分けられた細胞は、基本的に最初の位置にとどまります。外胚葉だったものはいつも外側に残り、一番中心には内胚葉があって、消化活動を受け持ちます。物理的な力を出す時には中胚葉の細胞が働きます。たとえば物理的・化学的に食物を砕く役割の胃は、塩酸や消化酵素を分泌する本来の内胚葉の細胞と、ものすごい量の筋肉(中胚葉)とが、一緒になっています。これに対して、小腸はただ吸収するだけですから協力する筋肉も薄くて、食物に接する面積だけがめちゃくちゃ広くなっています。そして小腸で吸収したものを身体中の細胞に配るために、中胚葉からできる血管がきめ細かく張りめぐらされています。
(引用終了)
<同書152ページ>
このように「3の構造」は、人と街づくり、さらには流域全体に適応する優れた構造なのである。
「里山」=「街」=「身体」
「奥山」=「外」=「外胚葉」
「里山」=「内」=「中胚葉」
「人里」=「奥」=「内胚葉」
ところで、里山と街づくりの三層構造において、「奥」という言葉が、里山流域では一番外側の「奥」山、街づくりでは一番内側の「奥」(私生活)として使われている。流域全体の一番外側と一番内側に、同じ「奥」という言葉が使用されているのは興味深い。流域の両端は、きっと円環面のように、「奥」で繋がっているのだろう。
この記事へのコメント
コメントを書く